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三島由紀夫と夏目漱石の「先生」との死の関連性
最近「国家の品格」を読みました。 その本の中で「三島由紀夫と夏目漱石作の「先生」の死との関連性は?」っと言う冒頭がありました。 私が知っている限り三島は国の将来を考え天皇万歳で割腹自殺したようですが、それと「先生」との接点はどこにあるのでしょうか? 教えて下さい。
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私は、藤原正彦の『国家の品格』を読んでいません……じゃあ回答するなって話ですね。しかし、お読みになったご質問者が、お分かりでないということは、その本の中に「関連性」が何であるか、書いてないわけですね? そこで拙考を述べますと、三島の自殺と、漱石の『こころ』の「先生」の自殺には、次のような関連性があると思います。 三島は、徴兵検査時に軍医が「肺病」と誤診したのをいいことに、実質的な徴兵逃れをした疑いがあります。軍医は、聴診音の判断を誤ったのです。第二乙種合格になったので(甲種・第一乙種の次)、召集の可能性は下がりました。兵営に入らずに済んだ三島と父は、人の見ていないところで大喜びしたといいます。 さて、後年三島は右翼・民族派に傾斜します。「自主防衛」や「自衛隊の国軍化」を唱え、自衛隊に体験入隊したり、「楯の会」なる戦争ごっこ集団を結成したりしました。当時の、高度経済成長を謳歌する「昭和元禄」の世相を呪い、武士道や、天皇の神格を称揚したのです。彼は切腹マニアでもあり(映画『憂国』では切腹シーンを熱演)、「輝かしい死」を夢見るようになります。 三島由紀夫割腹余話 http://www.geocities.jp/kyoketu/6105.html しかし、ちゃんちゃら可笑しい話だと思いませんか? 平和な世の中で、アマチュアとして軍事や散華(死んで花と散ること)を語るくらいなら、大日本帝国がリアルな戦争をしていた時代に、志願してでも軍人として務めを果たせばよかったじゃありませんか。三島と同世代の青年たちは、多く戦場に散ったのです。そのくせ、戦後の三島は愛国者気取り。卑怯者ですよ。 ただし、そのことは三島文学の価値を減ずるものではありません。文学者は、卑怯者や異常者であってナンボです。例えば、『花のノートルダム』のジャン・ジュネなんて、おかまの売春夫で泥棒の常習犯ですね。それに比べれば、人格者が書いた凡作なんてつまらないものです。 漱石の『こころ』の「先生」も、学生時代卑怯なことをして、友人の「K」を出し抜き、「お嬢さん」に結婚を申し込みます。「K」は自殺してしまい、「先生」は「お嬢さん」を妻としますが、その後何十年も懊悩し続けました。あげくに自殺を選びます。 三島も、戦後の自分の人生は虚妄だったと思っていたのかも知れません。 以上の考察は、藤原正彦が言わないであろうようなことを、わざと書いてみました。藤原は三島のスタンドプレイに幻惑されているかも知れませんが、割腹自殺が徒爾であることを、誰よりも三島は分かっていたと思います。 言葉は私を、陥っていた無力から弾き出した。俄かに全身に力が溢れた。とはいえ、心の一部は、これから私のやるべきことが徒爾だと執拗に告げてはいたが、私の力は無駄事を怖れなくなった。徒爾であるから、私はやるべきであった。 ――三島由紀夫『金閣寺』――
お礼
大変参考になりました。 三島の事は好きなので自分で調べているのですが、夏目の「先生」を途中まで読んで挫折してしまい、(つまらなすぎて)最後自殺をすると言う事を知りませんでした。「先生」の自殺と三島の自殺は自分の行った行為に憤怒・失望を感じて死んだと言う共通点があると言う事ですね? 今回のこの話を聞けて又三島ファン以外の言葉を聞けた事は大変勉強になりました。心から感謝いたします。