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体罰、容認しますか?

 僕は、中学生活を送る中で、(現在中三です) 「体罰って、いじめなど、他人に暴力をふるう以上のものには行ってもいいんじゃないかなぁ・・・。」 と感じるようになりました。  そこでアンケートをとってみたいのですが、体罰、あなたはあっても良いと思いますか?良いと思う場合、それはどの程度の行為に対する罰として、行っても良いと思いますか?

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回答No.17

容認できないのですが、必要かと思います。 ちなみに、家の息子は中三の時に、親の前で、ゲンコツでゴツンと。 痛い思いをさせて、先生や親を悲しませるなと、伝えてもらいました。 授業を妨害したので。(他人に迷惑) タバコの時は、お説教だけでした。(自分が困る) 親なりに、理に適っていると思ったほどです。 先生も人の子、何が事故や事件につながるかわからない時世ですから、かなり慎重ですし、そうあって欲しいです。 しかし、いじめはどうかしら? 体罰で判るかなぁ、、、心の痛みだと思うから。 どんな形でも、会話が必要だと思うなぁ。

noname#15941
質問者

お礼

 皆様、ご回答ありがとうございます。  意外と、体罰容認派の方が多いのですね・・・。  ただ、体罰を容認することは結構難しいものなのですね。  教師が感情的に体罰を加えたら効果ないですし、その効果を、今の教師が出せるかも疑問かもしれません。そもそもそれほどの教師なら言葉で更正させられそうですし・・・。親などの意識改革も必要みたいです。    僕の考えとしては、とりあえず一時的ないじめ等の抑制策として・・・というイメージで、体罰を容認すべき、と考えていました。(ついでに、ちょっと感情論的な面も含んでいました・・・。)しかし、そんな単純な問題でもないのですね・・・。これで抑制できるかも自信がなくなってきました・・・。  個人的には、行うとしても、いじめに対するものだけで十分と考えています。もちろん、皆さんの回答にあるようなもの(まじめに授業などを受けない)は否定しませんが、法規制(実現は難しそうですが)には、そこまで記す必要はないと感じています。他人に迷惑をかけませんし、授業中うるさくするような行為でも、それほどの害があるとは思えないからです。  と、皆様の回答から感じたことと、自分の意見。

その他の回答 (19)

  • phantom1
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回答No.9

私が中学生だった1980年代頃には、堂々と竹刀を持ち歩く先生がいましたよ。かと言って決して粗暴では無く、ある種のカリスマ性を持った人でした。 私は、教育上体罰が必要な事もあると考えます。「暴力絶対反対」を唱えて体罰を糾弾する人々には、暴力の本質を理解している人が如何程居られるのか、甚だ疑問です。 良心とは後天的な物であり、罰を与えられない者に罪の意識が芽生える事も無いのではないでしょうか。 要するに程度の問題です。現在の教育現場は少々バランス感覚を欠いているように見受けられますね。教師は「学力」と言うスキルを売る技術者に成り下がってしまい、それ以外の事を禁じられているようです。

noname#21533
noname#21533
回答No.8

教師による体罰についてですよね? 原則として禁止される事情はわかります。 教師はあくまで生徒より立場が上なのですから、パワーハラスメントの観点から考えても公認はできないでしょう。 でも現場ではそうは行かないことも多いかもしれません。 その先生が信念を持って、後悔しないと思ってそういう行動をとったのならば、状況によっては「あり」だと私は思います。 ただ、生徒のトラウマになるような体罰、体に大きな苦痛を与えるような体罰は、いかなる理由でも許せないと思います。 親でさえ、子供を殴って傷を残せば許されないのですから。 私は幼い頃体質的に一度にたくさんものが食べられなかったのですが、小学生の頃は給食を残すと掃除の時間まで食べるように強いられました。 みんなが机を運んだり箒ではいたりして埃が舞う中で、冷たい給食をつついていました。 昼休みもほとんど無かったです。 それがトラウマになって、たくさん食べれるようになった現在でも食事を5~10分くらいで終えてしまう癖があります。 ゆっくり食べようと思っても焦ってしまってできません。 そんな風に、体罰には子供に一生影を落とすようなものもあります。 決して安易な考えで行っていいものではありません。

  • o_teu
  • ベストアンサー率38% (7/18)
回答No.7

どういった理由であれ暴力は暴力です。 体罰などと言う解決法では、本当の解決にはならないと思います。 体罰では「いじめ」「暴力」などの表面的な問題点は解決するかも知れませんが、法律と同じように抜け道を見つけ、陰湿な物証のないいじめなどは絶えません。 ではなく、人が尊いから人を大事にしなければいけない。もっと言えば、命が尊いから生命を大切にしなければならない。と、言うことが根付けば、いじめや暴力はなくなると思います。 と、思うのですがいかがですか。

  • yara
  • ベストアンサー率25% (166/661)
回答No.6

体罰=悪ではないと思います。 今の様に「悪」にしたのは、殴られた子供の過剰反応と、それにも増して過剰反応してバカ騒ぎする親です。 もっとも、最近の大人というか親は子供みたいな人が多いから、「愛情のある殴り方・殴られ方」なんて知らないで、ただ単に「いらつくから」「きにいらないから」「言うこときかないから」だけで本当にその人を思って殴るって事が出来ないってのも原因かもしれません。ようは子供の喧嘩です。

回答No.5

「痛み」を教えるには「痛み」を感じさせなければなりません。 だから、私はOKだと思っています。 ただ、やりすぎはまずいと思います。 例えば、病院に治療に行かなければならないほどの行為です。 (鼓膜を破った・骨折させたなど・・・)

  • koike627
  • ベストアンサー率25% (190/754)
回答No.4

あってもよいと思います。 個人的な考えは今の少年犯罪の主な原因は家庭はもちろん学校生活に関係するのではと思ってしまいます。 ”何をしても怒られない” それが一番の原因だと思ってしまいますね。 そういう意味で体罰はいろいろな意味場面で必要なのかも知れませんね。基本は忘れ物からかなと思います。忘れ物したら校庭1周とか、1週間一人で掃除とか。忘れ物一回でも人間は変わっていくと思います。 暴力でもいいかもしれませんね。誰かにたたかれたらたたいた人を倍にしてたたくとか(貴方が人をたたいた痛みだよって伝わると思いますよね) 当たり前のことをできなかったら体罰というのはあるべきだと思いますね。

回答No.3

体罰も含め、叱るという行為には愛情が含まれていれば感じるし 愛情ではなく叱れば、それも感じますね。 私は運動の部活動でテニスをして 殴られたことも、ラケットを投げつけられたこともありますが 恨んだりはしていません。 その後のフォローなどもあると思いますが お陰で強くなったし、テニスも上手くなったと思います。 ただ、最後まで責任もって付き合うぞ!!という 責任感は持って行って欲しいです。 治療が必要になるほどの怪我も困ります。 父親が涙ながらに殴るとか、そんなことは必要悪のように思います

回答No.2

最近の学校の先生が生徒に怪我を負わせた、体罰許すまじという風潮が強いようですが、少なくとも私のいた頃(約20年弱前です)は、ごく普通に体罰は行われていました。 体罰という言葉は負のイメージがより強く感じますが、悪いことをしたから罰を受けたというシンプルな理由ですよ。 学校は集団生活とそれに規律を学ぶところですが、さいきんは自由という言葉の真意をはき違えた学校や先生が多すぎるために、生徒に好き放題させているのでしょう。 最近の親御さんの中には先生に叩かれた経験がない方が多数居ます。そのために体罰=暴力と勘違いする方が多いのが実状です。 実際体罰を受けることで、叩かれた痛さが身にしみることで、人を叩くことの痛みを覚えるのではないでしょうか?叩かれた痛みを知らない親や教師が増えたので、加減を知らないんでしょう。 だから怪我をさせて問題となるし、叩かれる痛みを知らない子どもたちが、簡単に人を刺すのです。 動物でも子どもが悪いことをすれば親は罰を与えますが、決してけがはさせません。 あなたが今後どのような生活を送るかはわかりませんが、真剣に相手のことを思って人を叩くとき、叩かれた方はもちろん痛いのですが、叩く方はもっといたいと言うことを骨に刻んでください。

  • masa072
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回答No.1

私は、原則禁止だと思いますが、やむをえない場合はあってもいいと思います。 例えば、誰かを生命の危機にさらしたとき、暴力で抵抗するとき、暴力で人を虐げていたとき、指示を無視して全体に迷惑をかけているときは体罰も可だと思います。 話してわかるのであればそれでいいと思いますし、話そうという姿勢があればいいと思います。 しかし、最近の生徒はまともに話を聞いてません。行動も自分しか眼中にありません。 そのような場合には、赤ちゃんに対して教える時は言葉がわからないから痛みで教えるのと同様、痛みで教えるしかないのではないかと思います。

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