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オリンピック

カテゴリーがあっているかわからないですが・・・  皆さんはアマチュアの祭典であるオリンピックにプロ選手が出場することをどう思われますか?

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回答No.3

深いですね、この質問。 結局、「オリンピックの意義ってなんなんだろう?」って話ですよね。 「オリンピックの意義」ということで探したら、良いページを見つけました。 (参考URL) やはり最初は「アマチュアの祭典」だったようですね。 このページによると、 「あらゆる種目で研鑽を積んだ選手達が一同に会し技を競う、 大会出場を目標に鍛錬に励みレベルを高めていく、 その努力の成果としてメダルが与えられる、そんな大会でした」 つまり、 競技者に目標を与えてあげることで、練習に張り合いを持たせてあげ、 ひいてはその競技のレベルアップにつながれば良い、 とうのが、本来のことのようです。 ということは、 オリンピックに向けて努力することが大事で、 オリンピック自体での勝利は重要ではない、ということですね。 まさに「参加することに意義がある」ですね。 それが、なぜ、プロが参加するようになってしまったのか。 参考URLによると「政治的な背景+商業主義」のためのようです。 つまり、 「国として勝たなくてはならない」ということと、 「客を集めてお金を儲けよう」という、本来の意味とはかけ離れた次元から、 プロの参加となっていったわけですね。 そう考えると、プロの参加はやめるべきですね。 ですが、大きなくくりで言うと、 オリンピックは「スポーツ振興」のためにあるわけですよね。 たとえば、「テコンドー」 オリンピック種目になっていなかったら、 たぶん僕はその競技を知らなかったと思います。 オリンピック種目になったことで、競技人口は確実に増えているはずです。 これは、オリンピックをみんなが見ているからです。 と、すると、 「みんなが見たくなるようなオリンピックにしていこう」と努力することは、 本来の理念から言っても、間違いではない気がします。 (もっとも、本来は「見たい」ではなく「参加したい」なんでしょうけど) その方法が、 「プロを参加させる」であったなら、容認せざるを得ないのかもしれません。 そもそも、 「オリンピックでの勝利は重要ではない」といっているのだから、 「あの国だけプロが参加してズルイ!」って言うこと自体が、 理念に反してますよね。勝ち負け関係ないんだから。 だけど、 視聴者と言う立場で言うと、やっぱり「ズルイ!」と思ってしまいます。 やはり、日本代表を応援しますし、日本代表に勝ってもらいたいですからね。 で、結局、僕の意見としては、 「目標」としてのオリンピックが残っていくのであれば、 プロが参加してもいいのではないか、 ということです。 だから、プロが参加することで、 アマチュアの目標としての意味が絶たれるのであれば、 やめたほうが良いって事です。

参考URL:
http://www.tanutanu.net/politic/poli122.html

その他の回答 (2)

  • Phms
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回答No.2

プロ、アマの境界線が曖昧ですから別にプロが参加しても良いのではないでしょうか。 唯メダルが欲しい為にプロ選手個人が参加を強要される風潮や、アマチュアとしての最終目標のオリンピック参加をプロにさらわれてしまう状況になるのは、可哀想に思いますが。 アマチュアの祭典ていう考え方は本来有ったのでしょうか?

noname#1001
noname#1001
回答No.1

日本はずいぶんプロアマ規定が厳格ですが、国によってはメダル獲得で生涯の身分が保証されたり多額の報酬が用意されたり、と待遇は様々ですよね。国がオリンピック選手を養成しているところもあるようですし。 日本で言うアマチュアの域から出ている生活環境の選手も、特に社会主義圏などでは随分多いのではないでしょうか。また、資本主義の国の中でも仕事の空き時間を利用して練習するような人が多数派だとは思いません。もしかするとプロよりも競技漬けの生活を送っているアマチュアというのも存在するのではないかと思うほどです。 私は、オリンピックはアマチュアの祭典といいますが、現実にはアマチュアの規定が曖昧で実際に今後の生活の手段としてメダル獲得を目指して日々努力している人もいるのですからすでにオリンピックの精神は形骸化していると思います。 国のイデオロギーなどの関係でアマチュア規定というのが曖昧にならざるを得ないのであれば、むしろプローアマの区別を線引きする事の方がプロと呼ばれる人たちを疎外しているような気もしてきます。プロも、演技なり競技なりを見せる事で主催者から報酬を得るのでなければプロとして参加しているとは言えないですよね。競技に参加する立場が同じなら、プロとアマを区別する物は何なのでしょうか。あまり上手すぎてはいけないのでしょうか。それに専念して極めようと思った人たちは参加できない、というのは何を目指しているのか判らなくなってしまいます。 オリンピック記録は人類の肉体の可能性のあらわれだ、という気もしてみておりますが、プロを排除すると言う事は、意図的にレベルダウンした競争とその結果だということになるのでしょうか。私はプロだアマだと区別をつけるよりも、人類の肉体の素晴らしさを目の当たりにする場として眺めているほうがオリンピックを楽しめそうに思います。 プロになったからといって人間でなくなるわけではないのですから。 野球やサッカーなどに限らず、体操やスキー、スケートなどでもプロ大歓迎です。本当の意味での世界の最高レベルの競技を見てみたいと思います。そうしたとしても、アマチュアの出る幕が全く無くなるということにはならないと思います。年齢的・体力的なこともあるでしょうし、そもそも、他より優れているという理由だけがプロになる動機でもないでしょう。逆に言えば、プロよりも力のあるアマチュアも沢山いるという事で。 オリンピックがそういうプロとアマチュアの勝負の場になるというのもワクワクしますし、興味深い事だと思います。

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