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自分の研究しかしない教授・・・
こんにちは。私の夫は某国立大学で先生をしています。生徒に教えたり、院生の研究を指導したり、雑務をしたりと、朝から晩まで仕事詰めで、家に戻ってきた時にはいつも疲れた顔をしています。日中は、自分の研究をしている暇が全く無く、家に帰ってからまた夜中遅くまでパソコンで自分の研究を進めている模様です。私の知っている限り、大学の先生はこんな感じなので大変だなぁ。と思いつつも仕方ないと思ってきました。 ところが、大学内には、院生も取らず学科会議など大学の方向性を決めたり諸連絡をしたりする会議にも全く出席せず、勤務状況も良いと言えないような先生がいるそうなのです。ひたすら自分の研究しかしない先生で周りの先生も大層困っているそうなのです。片や朝から番まで働きづめ。片やいつ研究室に行っても捕まらないくらい大学にいない先生。それでも給料は同じ。すごく不公平だと思います。会議や院生の研究指導も仕事の内だと思うのですが。 私は、大学の内情はよく分かりませんがこういう先生って結構、いるんでしょうか?それともこの先生が特別なのでしょうか?こんな先生でも大学に置いておく価値はあるのでしょうか?すごく疑問です。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者様のだんな様は、私と同じタイプかもしれません。私は、国立大学の助手として一生懸命やっておりましたが、教授退官とともに、学長から退職を依頼され、私大に転出後もにたような仕事をしております。私の家内も似たような悩みを持っているかもしれません(今日、日曜日も平日と同様出勤予定です)。 さて、 >院生も取らず学科会議など大学の方向性を決めたり諸連絡をしたりする会議にも全く出席せず、勤務状況も良いと言えないような先生がいるそうなのです。ひたすら自分の研究しかしない先生で周りの先生も大層困っているそうなのです。 「院生も取らず学科会議など大学の方向性を決めたり諸連絡をしたりする会議にも全く出席せず、勤務状況も良いと言えないような先生」は、普通研究もしていないような気がします。ここまで来ると、私大ならクビ者ですね。国立ならおれるかも知れません(法人化したこれからはどうかわかりませんが)。研究をしているのなら、院生は取りそうですが・・・・。 私も、働きに応じて給料が増えればうれしいですが、なかなかそうはいきません。
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- takkochan
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>教授が退官されたら、助教授だった方が教授になり助手が助教授になると思うのですが一概には言えないのでしょうか? 一般的にはそのパターンが多いのですが、改革をしている大学は必ずしもそうならない場合があります。私が以前いた国立大学は、教授が完全公募制で、内部の人が昇進する場合もありますしならない場合もありました。 私の場合、教授が退職後、私が退職(私大へ転出)、助教授が1人残りました。その後、教授選が行われ、助教授は敗れ、外部から教授が就任。その後、その教授が転出し、現在、助教授1人残られています。この方は、今後、教授選が合った場合、年齢制限のため立候補できなくなりました。 >研究室の人員が教授退官後全ていなくなってしまったらtakkochanさんたちがやって来た研究について誰か受け継いでくれる方がいらっしゃらなくなってしまうと思うのですが・・・。 上述のように助教授の先生が残っておられるのと、私も類似の仕事を細々と続けています。 私は、世間で言うと、ずっとレベルの低い私大に赴任することになりましたが、何とか研究を続けていますし、大学の格なんか気にしていません。ただし、研究費が少なくなりましたから、大学の研究費以上に自費をつぎ込んでいますし、ほとんど休みませんから、家族には不便をかけています。 しかし、大学教員としてやるべきことをやっているつもりですので、自分としては満足(待遇は別にして)していますし、機会があればもっと研究できる所に移れることを夢見て精進しようと思います。
- sunasearch
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基本的に、最初から大学の(講義主体の)先生になろうと思って大学に残る人は少ないでしょう。 自分の好きな研究ができると思って、博士課程へ行き、大学に就職するのです。 大学に就職してから、「教えること」に意義を見出す人も少なくありませんが、もともとの動機が研究をすることですから、それ以外の仕事は、いわゆる「降って湧いた雑用」と感じるのです。 そこで次に考えることは、この「研究以外の仕事」をいかにうまく減らすか、です。 ここで、研究以外の仕事だけをまじめにやってしまうと、研究をすることができませんから、研究とのバランスを考慮して、力加減を調整する必要があります。 しかし、この調整のバランスをうまく取れない(取らない?)人も結構いて、そういう人は、研究をまったくやらなかったり、研究ばかりをするようになります。 おっしゃられるほど極端な先生は、あまりいないと思いますが、それに近い先生もいるところにはいると思います。
補足
ご意見を頂き、有難うございます。まさに、主人などを見ていると「研究以外の仕事」をいかにうまく減らすかというのは大きな課題のように思えます。しかし、他のトピックに大学の先生は「教育者」か「研究者」かと議論されているのを拝見したのですが、やはり大学が研究所などと違うところは「学生を育てる」という面にあると思います。主人が学生の頃に研究していた内容は主人の前の前の前の前のそのまた前の先輩から少しずつ緻密に研究され、進歩してきて綿々と受け継がれている研究でした。指導教授、院生、企業の方、先輩と色々な方が携わり、進めてきた結果、それが認められそして主人の後輩へと受け継がれていきました。そんな過程無しに院生の一人も取らず一人で進めた研究がどこまで深く、何処まで意義があるのか私には謎です。私のような一般人から見たら「降って湧いた雑用」でもちゃんと処理できないのであればプロフェッサーとは呼びたく無いですネ。(´Д`)
- Chuck_GOO
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Hemingwayさんご自身のお友達・お知り合いの方で、大学院に進まれた方はいらっしゃいますか? もしいらっしゃったら、そういう方のお顔を思い浮かべると、いくつのかのタイプの方がいたことにお気づきになるかもしれません。 1) 就職も迷いつつも、学問の道に打ち込むことに決めた方 2) そもそも学問のほうに就職よりも魅力を感じていて、そちらに進むことを早くから決めていた方 3) 就職する事がいやで、学問を選んだ方。 恐らく、Hemingwayさんがお示しになった先生は、3)のケースの方が多いのではないかと思います。 大学も組織ですから、ある程度一般企業や公共団体と同じく、組織マネジメントのための働きが要求されます。 上記の1)のタイプの人、2)のタイプの割合多数の人であれば、そういったことを苦手にすることなく引き受けこなされると思いますが、 3)のタイプの方はややもすると「何でオレがこんな下働きするんだ・・・」「オレは好きなところで最低限の研究やってれば十分。文句いわれる筋合いなし」といったところで、そういったマネジメント業務を拒否しがちなところがあると思います。 人嫌いの部分があるのかもしれませんし、プライドの高さが故かもしれませんし、それとも一種の”確信犯”の部分があるかもしれませんが・・・ 実はこういった方って、会社や公共団体にも皆無というわけではないでしょう。ただ、「上司に怒られる」「職場の年長者に怒られる」といったプロセスを経て、もう少し「上手な対応の仕方」が出来るようになってくるのが通例だと思われます。 大学はそういうことは割合少ない場所でしょう。指導いただいた先輩教授からしかられることはあっても、事務職員の方にしかられることは少ないでしょうし、しかられてもそれを素直に受け止められる人は決して多くはないかもしれません・・・ お示しいただいたような方、 一言で言うと「子供が子供のまま大きくなってしまった」人と考えるのが、よいのかもしれませんよ。 その”子供”に対して、いかに大学のルールなり評価なりで縛ろうとも、やはり”子供”ですから(しかも”頭のいい子供”ですから)、それだけで行動を変えさせることは難しいかもしれません。 研究分野の違い云々をこえて、組織人としてあまりにもオカシイ行動は、他の人が注意できる/叱れる環境、 これが大学のようなところにも求められてきているのだと思います。 Hemingwayさんのご主人にも、(実効的にはなかなかむずかしいかもしれませんが)「折を見て、その方に諭してあげたら・・・」とアドバイス差し上げてみてはいかがでしょうか?
補足
ご意見を頂き、有難うございます。残念ながら大学院に進んだ人は主人しか知りません。主人の学生の頃から付き合っていたのですが主人は(2)でしたので、私は大学の先生になる方の多くは(2)のような人だと思い込んでいたようでした。しかし、大学の先生になったからにはChuck_GOOさんのおっしゃるとおり、「組織マネジメントのための働き」をする事も必要だと思うのです。研究一筋ならどこかり研究所に行けば良いと思うし、先生方皆がこんな事になってしまったら「大学」自体が成り立たないと思うのです。しかも「他の研究室を干渉する無かれ」というような暗黙のルールもあり、誰かが諭すのも難しいような環境です。
- hard_drunkard
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国立大学には「研究者肌」、古き良き時代の教授(とても狭い専門分野のことしかわからない)は、まだ残っていると思います。 ある種、「天然記念物」、ワシントン条約で保護の対象になる、といった辛辣なジョークで揶揄される方はねゼロではないですね。 保護する必要はなく、淘汰されています。 世の中、よくできています。そんな方の再就職先はありません。 国立大学より私立大学の方が1~3割程度高給です。優れた方なら国立大学を退官後、5~6年程度私立大学で勤務することができます(年金支給までの空白期間程度)。 私の知る方は「ラジカルな研究者」だったので、国立大学時代は「助教授止まり」でした。 けれどその業績を高く評価する私立大学に招聘され、「看板教授」として研究施設までできました。 見ている人は見ているものです。 その私立大学の規定だと68歳まで常勤、72歳まで非常勤の教授として働けるそうです。
補足
ご意見を頂き、有難うございます。「ラジカル」とはどのような意味なのでしょうか?良かったら教えてください。「見ている人は見ている」この言葉を信じて主人に頑張ってもらいたいと思います。この問題の先生にしても研究ばかりやって論文の数は半端では無いようなので他の先生や他の大学の同じ研究をしている方たちからは一目置かれているみたいな感じです。本当にフェアな世界でないことだけが浮き彫りになってきて唖然としています。
- nananobaaba
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国立大学の先生の資質については私も常々疑問に思っています。国立大学と言う所は言わば無法地帯で何をしても良いと言う風潮があります。自分は自分、他人は他人 何ら関心を持たずお互いに何をしているかさえも分からない状況にあります。授業などは雑務と考え仕方なくやっていると考えている先生も多いです。 私の夫も国立大学の教授をしていますが相談者さんの夫の様に働いていたように思います。しかしゼミだとか会議と称して出かけていましたが実はゼミ生と不倫関係を持ち遊び歩いていました。その為サラ金に借金し自己破産、挙句の果てに私を殺そうとしてしまい暴行罪で罰金刑です。しかしクビにもならずそれどころか意気揚々と大学の中をそのゼミ生と闊歩しています。学部長曰く「我々は国家公務員法により厚く守られている。身分は保証されている。貫通などと言うものは一般的なもので問題なし。私を殺そうとした事件に関しても自白していないのだから問題なし。ゼミ生に自分は独身だと言って騙し関係を持ちクレジットカードを作らせお金を借りた事に対しては、ゼミ生は立派な大人であり個人の貸借関係なので問題なし。」と言う答えが返ってきました。国立大学ではその他にも似たような事件を起こしている人間が多数いますが問題となりません。 国家公務員と言う肩書きを持っている以上何ら問題は無いのです。お互いを干渉せず、自分の世界に入っているそれが国立大学です。国立大学は独立行政法人となりましたがそれでもまだこの様な事を言っているのです。 モラルと言うものは一切無いのが国立大学です。我々一般人とはかけ離れた存在です。 憤りは誰しもが感じる事ですが先生自体は何も感じていないです。 どんな先生でも大学においておく価値があるのか?と言う事については国立大学の先生と言うだけでそれだけで大きな価値があるのです。先生の常識、世間の非常識、まさにそのものです。怒りを持つ事自体馬鹿馬鹿しい世界です。お気持ちは分かりますが私のような体験をしている人間も多数居るのです。真面目なご主人を誇りに思って頑張っていってください。
補足
ご意見を頂き、有難うございます。意見を拝見させて頂きましたが、本当に吃驚して唖然となってしまいました。こんな事が実際にあっても平気でいられる世界というのは、私のような一般人には計り知れないです。主人の大学でもここまでひどくは無いですが人道的におかしな先生を何人か知っています。そして、そんなおかしな先生ばかりが要領が良いのか出世して、お給料もがっつり頂いていて、本当にちゃんと仕事をする事自体がばかばかしく思えてきてしまいます。貴重な意見を頂けて有難いです。
補足
ご意見を頂き、有難うございます。「腐敗」した大学の内情を知ってしまいショックを受けていましたが、一生懸命頑張っていた方がいらっしゃった事、とても嬉しく、また励みに思います。ちょっと分からないのですが、教授が退官されたら、助教授だった方が教授になり助手が助教授になると思うのですが一概には言えないのでしょうか?研究室の人員が教授退官後全ていなくなってしまったらtakkochanさんたちがやって来た研究について誰か受け継いでくれる方がいらっしゃらなくなってしまうと思うのですが・・・。さて、私たちは主人の研究のために海外の大学に一年ほど行かせてもらったのですがヨーロッパの大学(場所や大学によっても違うかも知れませんが)は先生方はみな「よく教え」「よく研究し」てました。又、家族サービスも良く時には4時前早々に「今日はクリスマスでサンタをやらなければならない」てな理由で家に帰ったりされていました。また、何年か頑張った先生には一年間のお休み(勿論、その間のお給料は確保されています。)がもらえたり、事務、雑用専門のスタッフがいたり、リフレッシュしていつでも研究できる体制が整っていました。(只、その先生が1年休暇に入ってしまうと、その先生の研究室に入りたい学生は人気のある先生の場合、留年になっちゃうのかな?この点はちょっと心配ですが。)日本も早くこのような体制が整うと良いなと心から思っています。 さて最後に「法人化」はしましたが体制は何一つ変わらないし名前が変わっただけで働くものにとっては何も変わっていないようで腐敗した部分は腐敗したままです。これからそれでも少しは希望が出てきたのかも知れませんが。