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人材を育てるとは

 今月末で退職するのですが 届けを出した際に「折角育てたのに」「コストを払ったのに」と言われました。  前任もおらず相談できる人もおらず、自分一人で 一から日々、試行錯誤でした。  会社から講習会などへの参加は7年勤めた間に 2回ほどありましたが、休日には自分で動きましたし、 仕事が終わってからも自宅でお金を費やし、 技術習得に努めました。 よって、それなり(自己評価ですが)の技術を 習得できたと思っています。  また、後進にも一通りの事は伝えたつもりです。 技術も会社には、蓄積したつもりです。  退職届を出した際には、「やめさせない」と 言われていましたし。 出勤の最終日に社長に挨拶した際には、 「ハイハイハイ、ハイハイハイ。」と目も見て もらえず・・・・ 専務は、姿も見せず・・・ 人材を育てると言う事とはどういう事なのでしょうか? 育てて頂いたと思っていますが、 それ以上に自分でやったと私の場合は思っています。 思い上がりでしょうか? 「会社が人材を育てる」とはどういう事なのでしょうか。 講習会、セミナーなどへの参加ですか? 給料を払って会社に置いておくことですか? 労働時間外の社員の努力も人材を育てることの一つですか? 能力を身につけるに要す時間とお金を与えることですか? 私にはそれらが全てそうであり、また、そうでないと 思えます。禅問答みたいで嫌ですが、それらには 個人の能力も関わってきます。 長々と申し訳ありませんでした。 特に、経営者の方がいらっしゃいましたら ご意見をお聞かせ願えないでしょうか?

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回答No.2

私は,経営者ではありませんが,ご質問に大変興味を持っています。唐突ですが,この問題は,いわゆる主体性の問題であろうと思っています。主体性というのは,自分というものは、自分のためにのみ存在するものであると考えることです。つまり主体性には、原理的に存在理由がないわけです。何か,自分以外のために存在するのではないのですから,強いて言えば,自分がいるから、自分はいるのだくらいの,ある意味では実に不合理な存在なわけです。これは余り愉快な結論ではないので,ひとは主体性のことは問題にしないで,自分の能力などを自分と考えて,その存在理由を自分(という主体性)の存在理由にすりかえてしまいます。能力は,主体性と違って,存在理由があるから、あいまいなことはないわけです。恐らく一番の問題は,能力の存在理由はというのは主体性の肩代わりをしてくれるということなので、能力は主体性が存在しなければ,大切にされないということです。つまり主体性のない人には能力はないわけです。会社に、まともな根拠から不満を持つ人は,主体性が高いので能力もあるはずです。しかし経営者(会社)が期待するのは、あなたという主体性が会社にとどまっていることではなく,あなたが持っている能力なわけです。低い主体性と高い能力という組み合わせを多くの経営者は良いものとしますが,これは原理的にも不可能なものです。いわゆる,有名大学で教授の言うことをよく聴いた優等生は,そのときはいかにも能力があるように見えますが,主体性が希薄ならば、数年もたたないうちに何もできない存在になってしまうことは,大企業でよく見られる風景です。これは採用する側に、主体性が持っている無用性と有用性の間にある本質的矛盾を理解する能力がないことに起因します。人材育成というのは、高い主体性を代償する高い能力を持った人を確保するということに尽きます。いわゆる理系人間でも、主体性と能力の関係について興味を持たない人は,経営者としては適任ではないと思います。

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noname#155689
noname#155689
回答No.3

これは世代間ギャップの問題だと思いますので あまり悩まれない方がイイと思います。 例えば、こんなコラムを読んでみて下さい。 http://reikoyamamoto.blogzine.jp/ynot/2004/05/post_4.html >「折角育てたのに」「コストを払ったのに」 というのは基本的に終身雇用が約束されている組織のロジックです。 終身雇用が約束されていない組織がこれを言うのは 単なる途中退職者に対する嫌味の常套句です。 要するに自分の配下の者が減るのが気に入らないだけです。 もし「折角育てたのに」と本気で言っているなら あなたがこの会社でずっと働きたいと思えるモチベーションの育成に 彼らは失敗しただけだということだと思います。

  • ururai
  • ベストアンサー率13% (89/674)
回答No.1

よく入って5年は勤めてもらわないと元が取れない、ということが言われます。会社によっても違いますが、具体的な研修以外にも日常のOJT他様々な「人材を育てる」コストがかかっています。それ以外にもコストがかかっており総称して退職させたくないときに、そのような表現が使われることのになります。「会社が人材を育てる」とはどういう事なのかは実は問題ではなく、できればその会社、あるいはその会社の人脈を今後も生かそうというなら円満に退職する努力をすればいいし、そうでなければ、退職するかどうかは本人の自由ですからきにする必要は全くありません。

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