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今更ながら千と千尋の神隠しの疑問について。
gamasanの回答
質問1 これは明確な説明シーンはなかったですね 厳密には見分けたのではなくて その中にはいない ということを見破ったと言うべきでしょうが。 やはり親子なので直感的にというのが回答でしょうか。 確か途中で豚舎に一度行くシーンがありましたが どれが自分の親であると特定したわけではありません その後様々な経験をして ある意味成長したという ことを表現したいという手段であったように思っています 質問2 千尋が子供の時に落ちた事のある川の主だったん ですよね 多分その後埋め立てられて 無くなったという 設定だったと思います だから 千と同様 自分の名前を 奪われ 記憶も無くしかけて 湯婆に支配されていたのでしょう。 ですから 名前を取り戻して 支配からは脱した 確か消えるように分解しましたよね 天国に帰った と 私は理解していました。
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お礼
古い?映画なので覚えていらっしゃる方はいないかもと諦め半分な質問でしたがありがとうございます。 親豚が居ないことを見分けたのは直感と成長ですか。 感性で観る映画だと妻が何時も言って居るのですが、なかなか。ねえ。 千尋を庇っていた青年は消えてなくなる…と言うことは仏教で言うところの成仏と言ったものでしょうか? 天に召されたのでしょうか? 諦めていた質問に回答をいただくと嬉しいものですねえ。 本当にご回答をありがとうございました。