人間失格
前に職場の問題を質問しました。今まで自分の現実問題からなるべく逃げようとしていたのですが、そろそろ現実の自分と向き合おうとすると、ものすごく大きな壁を感じて、萎えてしまいます。それはたぶん太宰がテーマにしたのと同じ、現実の自分は「人間失格」ではないかということです。「人間失格」はたぶん誤解されていると思うのですが、「ダメ人間」ということではなく、「ダメ人間ではダメ」だということがわかってきました。ダメ人間は合格人間です。それゆえエイリアンのように人間性を封鎖して完璧をめざします。
ところが、私の場合は集団関係がテーマですが、その中で完璧エリートの形でふるまおうとして、現実の自分のダメさ、失敗を露呈してしまうと、他人がどうこう見る前に、自分がそういう自分を決定的に許せなく、そのしてしまった失敗を白紙にしない限り、自分を責め続けることをやめられない傾向があることがわかってきました。辛い傾向です。失敗ができない。病気とか事故とか死とか、およそ人間的なダメな出来事を受けとめられない。自殺の話ともつながっているように思えます。
ただ知人といろいろ話して、そこまではわかってきました。知人はそういう重い傾向のある自分にどう向き合うかだと言います。そう思います。ただその時にまだ、「あなたは失格者ではない」とか、「ダメでもいいじゃないか」という前向きな言葉は受け付けないのですが、(だから悩んでいるのですが) 「人間失格ではないか」という自分の現実に太宰のように向き合い続けることは、それこそ人間としてどこまで可能なのかどうかを、質問してみようと思いました。その中でまた得るものや、整理ができるのかどうか?