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セックス依存症とヤリチン・ヤリマンの線引きについて

特に当事者の方、医療側の方にお伺いしたいです。 自分と同様の状態にありながら、セックス依存症という診断が出る人出ない人がいるので、 疑問に思いました。 自分は10代の頃からまともな交際や結婚をせず、常に性的な関係を持つ女性の友人がいました。 現在もでして、ナンパやアプリで相手を見つけ続けています。 特に仕事やプライベートでのストレスが酷くなると、休日に一日で3-4人と関係を持ち、それが数か月続く事もあり、自分はセックス依存症なのではないか・・・と不安に思い、 数年前に複数の医療機関を受診し、カウンセリングを受けましたが、いずれもセックス依存症とは程遠いという結果が出ました。 一度の性行為での射精回数が1-2回と少ない事と、相手との関係性が持続的である事、 会話やスキンシップの比重が高い事などから、重度の愛着障害とADHDという診断でした。 私は生育環境が複雑で、未就学児の頃から両親・親族に暴力と暴言を受け続けてきた悪影響とのことでした。 しかしその後知り合った、私と同様にセックスに溺れがちな知人数人について、 セックス依存症と診断された人とされない人がおり、線引きについて疑問に思いました。 ①旦那が働かずにDV、子供2人を育てるため働き過ぎの人妻、休日が出来ると1日で4-5人と性行為を行う ⇒軽度の双極性障害 ②両親と兄弟が揃って失職し、働き過ぎの独身女性(風俗にも勤務)、暇に耐えられずに余暇を埋めるように性行為を行い、相手が見つからなければハプニングバーへ ⇒急性ストレス障害 ③大好きな仕事をしていた会社が倒産後、アプリで相手を見つけて余暇は全てセックスに充てていた既婚男性、SM趣味があって複数の女性に暴力的なセックスを行った事で現在服役中 ⇒セックス依存症・性暴力依存という診断 セックス依存症とヤリチン・ヤリマンの線引きはどのあたりなのでしょうか? もしくは、どのあたりに線引きをしているのでしょうか? よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.2

私も#1さんと同じく、自分でコントロールができるかどうかというのが依存症なのかそうではないのかの違いなんじゃないかなと思います。 今日ヤリてえけど、重要な仕事があるからできねえなあとなるなら依存症ではないでしょう。今日絶対に外すことができない重要な仕事がある日なのにそれをすっぽかしてソープランドに行ってしまったなら、依存症の領域だと思います。 事例にあげた人の中では、依存症とされた人は性行為が原因で刑務所に行くことになったわけですよね。そこは相手の同意がなかったというか、仮にあったとしても相手の承認を越えた領域にまでに至ってしまい、それを自分自身がコントロールすることができなかったわけです。 プロレスって反則技が5秒までセーフというルールがありますが、その反則技も一線は超えてはいけないという暗黙の了解はあるわけですよね。例えば目を攻撃する「フリ」はいいけど、本当に攻撃してはいけないとか、相手がケガをするような行為をしてはいけないとかね。 SMも同じで、お互いの了解を超えている行為や相手がケガをするような行為はNGです。それが分からずに刑務所に行くレベルのことをやってしまっているのはアンコントローラブルな依存症といわれても仕方がないことだと思います。 そういう点では「酒好き」と「アル中」の違いと同じだと思いますね。毎日仕事が終わった後にお酒を飲むのは色々心配ではありつつも「酒好き」に入ります。けれど仕事中も酒臭くなったらそれはもうアル中ですよね。

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.1

社会生活に支障をきたすほど重度ならば、セックス依存症でしょう。 たとえば、残業中、セックスがしたくて職場にまでセフレを呼び出し行為に及ぶとか、セックスやオナニーのために仕事を無断欠勤するとか、公衆の面前でもセックスがしたくてたまらない…など、公私の見境がなくなるほどに、性欲に溺れてしまうとしたら、セックス依存症でしょう。 または、自身のセックスのためであれば相手の合意などお構いなしの無分別な人も、セックス依存症と言えるのではないか、と。 つまり、セックスの経験数や頻度の問題ではなく、状況・シチュエーションにおける客観性の問題なのではないか、と思います。 何人もの相手とのセックスを毎日のようにしていたとしても、ちゃんと仕事や学校に行くなどの社会生活が送れているのなら、ただ性欲が強い(ヤリチン・ヤリマン)なだけで、セックス依存症ではないでしょう。