hegelian の回答履歴

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  • 否定できない質問は存在するのか?

    否定できない質問は存在するのか? ○○を教えてください。という質問ではなく、?がつくような質問の事です。 例えば「僕は毎日お経を唱えていますが、それは人の自由でしょうか?」 という質問があったとする。 大勢の人は「それは人の自由です」と答えると思う。 しかし中には「お経はよくないから賛美歌にしなさい」というキリスト教の 信者の回答があるかもしれない。 つまり大勢の人が、それは人の自由だろうと思っていることも否定される事がある。 と、いうことで「質問」というのは、否定される可能性が必ずあるのですか? それとも、まったく否定でない質問は存在しますか? ちなみに「僕はバナナが好きでしょうか?」というような質問は、しらんがな~ としかいいようがないので、そういう日本語の怪しいものははずしてください。

  • ヘーゲルの文章の出典

    次の表現は,ヘーゲルのどの本から出ているか,ご存じの方教えてください. A: "世界を理性的に観察するものに,世界は理性的な側面を見せる.両者は相互的な関係にある" B:"現実に行われていることは,常に合理的である" Bは,このような表現であって,必ずしも正確ではありません.

  • ハイデガーは現象学から何を引き出したのか

    フッサールの弟子がハイデガーで、フッサールに感動して哲学の道に進んだのがサルトル。これはよく知られていますが、ハイデガーの概論書を読んでも、またはサルトルの実存思想について少しずつ知識が身についても、そこに一体どのように現象学が導入されているのかよくわかりません。 方法論として、ということかと解釈していますが、それにしても、ハイデガーの存在思想の中に、フッサール流の「現象学的還元」とか「厳密学」といった特徴を見出すことに困難を感じています。 詳しくご存じの方、または大まかなイメージをお持ちの方、お教えいただけるとありがたいです。

  • カントに詳しい方お願いします

    カントの義務論についての記述です ~~~~ それが普遍化可能なときのみモラル原理は正しいと主張した。すなわち、ある行為がモラル的に正しいということは、その際に従ったルールを全ての人が採用できる場合であるという。 ~~~~ すべての人が採用できる場合というのは、すべての人が納得できる場合ということですか? 例えば、国民全員にお金を配る行為が善か悪かという判断において、 お金が欲しくない人は少数ですがいますよね?ってことは悪になるのですか?この記事はそういう意味ですかね?

  • 哲人王の失敗例

    哲学者が王様になるべきとプラトンは自著の中でソクラテスのセリフとして描いていますが、哲人王が失敗した例はあるのでしょうか? 

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  • 全人類が滅んでも善は行われるべきだとは

    ”全人類が滅んでも善は行われるべきだ。”という言葉は誰の言葉でどのような文献・文脈の中で語られたものでしょうか。 それがどのような文脈の中で語られたとしてもこの言葉は、我々が日ごろ生活の信条としていること(人を思いやることが大切などなど)を全面的に否定する可能性を秘めた言葉であることは間違いないように思います。 地球環境の保全のための二酸化炭素排出規制技術にまい進しているエンジニアとて、その行為が否定される側面があると言っているわけですよね。人の気持ちがわかるひとになりましょうというスローガンなども。 それが善に照らしてどうなのかという点検を受ける必要があり、どのような行為でも否定される可能性があるということですね。 どのように考えるのでしょうか。

  • 全人類が滅んでも善は行われるべきだとは

    ”全人類が滅んでも善は行われるべきだ。”という言葉は誰の言葉でどのような文献・文脈の中で語られたものでしょうか。 それがどのような文脈の中で語られたとしてもこの言葉は、我々が日ごろ生活の信条としていること(人を思いやることが大切などなど)を全面的に否定する可能性を秘めた言葉であることは間違いないように思います。 地球環境の保全のための二酸化炭素排出規制技術にまい進しているエンジニアとて、その行為が否定される側面があると言っているわけですよね。人の気持ちがわかるひとになりましょうというスローガンなども。 それが善に照らしてどうなのかという点検を受ける必要があり、どのような行為でも否定される可能性があるということですね。 どのように考えるのでしょうか。

  • 日本でもっとも分析哲学が盛んな大学はどこになるでしょうか。

    私は現在、高校2年生で、分析哲学に関心があり、中でも後期ウィトゲンシュタイン思想に一番興味があります。大学も、そういった研究が盛んな所を受験したいです。 そこで質問ですが、日本でもっとも分析哲学が盛んな大学はどこになるでしょうか。 ぜひ、教えていただきたいです。

  • 森で倒れる木の音のネタもとは?

    ときどき映画やテレビのドラマで出てくる 話で、 森に一本の木があって、その木が倒れたとする。 その音を聞いた人が誰もいなかったとき、 この音は存在していると言えるのであろうか? というのがあるのですが、大学の哲学科の 譲業みたいなシーンで出てくるので、 何か有名な話なのだと思うのですが、 ネタもとは何でしょうか?

  • 日露戦争時に日本がロシアの反勢力を煽ったこと

    日露戦争の日本勝利で収束したことの要因のひとつとして、日本が当時のロシア国内の反対勢力を煽ったからだと聞きましたが、どのように煽ったのでしょうか? このことはいくつかの勝利の要因としては比率的には大きかったのでしょうか?

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  • (ヘーゲル、ニーチェ関連)「最初の人間」、「最後の人間」の初出は?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A#.E6.9C.80.E5.BE.8C.E3.81.AE.E4.BA.BA.E9.96.93  このページの4節の「最後の人間」の冒頭の数行から、ヘーゲルの著作物で「最初の人間」が、またニーチェの著作物で「最後の人間」が論じられているものと推測します。 「最初の人間」はヘーゲルの如何なる著作に於いて論じられていますか。 「最後の人間」はニーチェの如何なる著作に於いて論じられていますか。 よろしくお願いします。 なお、上記のページから「最初の人間」、「最後の人間」の意味合いは見当がついています。 また、断るまでもないのでしょうが原書は読めません。

  • 『純粋理性批判』はニュートン物理学の基礎づけか?

    カントの『純粋理性批判』をニュートン物理学の基礎づけと解したのは誰ですか?そしてどの著作ですか? 「そのような解釈はおかしい!」という指摘を目にするのですが、どれも具体的な著者名や書名などが挙げられていません(新カント派あたりということくらい)。 できれば具体的な情報を教えて下さい。よろしくお願いします。

  • レーニン、トロツキー、スターリンはペンネームだけど、公式文書では本名なのか

    レーニン、トロツキー、スターリンはペンネームですが、 これは公式な書類や外交文書でも本名ではなく ペンネームになってるのでしょうか? (書記長就任やヤルタ会談の署名など)

  • サルトルの、カミュへの弔辞についてですが・・・

    こんにちは。 どなたか教えてください。 サルトルがカミュの葬儀の際によんだ弔辞のテキストを探しています。 どこかに載っている本や雑誌などないでしょうか? ずーと探しているんですが、どういう風に探せばいいのかもわかりません。 読んでみたくてしょうがありません。 邦訳したものでもフランス語でもかまいません。 フランス語はできませんが、辞書片手に翻訳する覚悟です!! あとメルロポンティの葬儀の際の、サルトルの弔辞もあわせて読んでみたいです。それぞれの関係を考えるときに、すごく気になります。 だれかーたすけてー お願いします。

  • positive religion とは?

    positive religion とは何でしょうか? また定訳があれば、それも教えてください。

  • ヘーゲルの自己意識にとってのもう一つの自己意識とは?

    ◆「自己意識にとってもう一つ別の自己意識が存在する。それは自分の外に出ているが、このことは、二重の意味を持っている。 一つには、自己意識は自己自身を失っている、ということである。 なぜなら、それは、自分をもう一つの他の実在として見出すからである。 第二に、自己意識はそうすることでもう一方の相手を破棄している。 というのは、それは、相手を実在としてみるのではなく、むしろ自己自身を相手のうちに見出すからである。」(141.109-19) ヘーゲルは、「自己意識が二重になりながら統一を成しているという概念」(141.109-9)に、「自己意識で実現されている無限性」をみる。 自己意識が二重になりながら統一を形成するというのは他者と人間関係を結ぶ中でこそ、自分に対する期待、自分の果たすべき役割、自分のなしうることなどについて、意識されるからである。 (加藤尚武編『「精神現象学」入門より』) という事は、自己意識にとってのもう一つの自己意識とは他者なのでしょうか? また他者は如何に、どうやって自己意識に把握されたのでしょうか?

  • ヘーゲルにおいて、奴隷の内面的な自由ではなく、真の現実的な自由とは何でしょうか?

    ヘーゲルは、奴隷は労働において内面的な自由を獲得するとしましたが、それでは奴隷ではなく自ら進んで自然を対象とし、開拓していく様な人は真の自由を実現していると考えていいのでしょうか? また、現在の労働者はシステムに隷属していると考えていいと思いますか? また、ヘーゲルにおいて、外に向けた現実的な自由とはどのようなものなのでしょうか? ヘーゲルがそれを示せなかったのだとしたら、他の哲学者の考えでもいいので教えて頂ければ幸いです。

  • ヘーゲルの自己意識がよく分かりません

    ヘーゲルの自己意識とはどういうことでしょうか。 「無限性を対象にする意識は自己意識である。」 この時点でまず分かりません。 「無限性が意識にとって現れた姿であったとしても意識の対象になるとき、意識は自己意識になっている。 」 無限性が意識の対象になると、意識は自己意識になる?? ここもわかりません。 「現象が引き上げられ現象が消え去り、内なるものが内なるものを見るという事態が現れている。」 現象(カント認識論で言う現象と捉えています)を克服すれば、真理が、無限が捉えられるという事でしょうか。 おそらく、ヘーゲル通の人からすれば、馬鹿らしい質問なのかもしれませんが、「自己意識」は分からないままにするには、あまりにヘーゲル哲学の根底に属しているよう気がするので、何とか消化したいです。 宜しくお願いします。

  • 第二次世界大戦は『萌え』?

    はじめまして。 将来歴史に関する仕事をしたいと考えている高校生です。 昨日電車の中で、大学生と思われる女の人二人が 「勢い余って日本に原爆落としちゃうアメリカ超萌え!  それにしてもアメリカって爆弾のネーミングセンス悪すぎだよね!」 「第一次世界大戦と第二次世界大戦は萌えの宝庫!」 と話しているのを聞いて、びっくりすると同時に腹が立ちました。 電車の中にはおじいさんやおばあさんもおられたし、その方がもしも戦争を経験されていたならきっと気分を害されたと思います。 でもよくよく考えると、私はとても中国や日本の歴史が好きで司馬遼太郎さんなどの本を読んだりして「大坂の陣は燃えるなぁ」「項羽はかっこいいなぁ」、と考えることがあります。 私がそう思うことは先の大学生の方の発言と同じなのではないのだろうか、そんな私が大学生の方を非難する資格があるのかと思いました。 第二次世界大戦萌えと言うのが不謹慎で白村江の戦いや官渡の戦い萌えと言うのはOK、なんて事はあるのでしょうか。 あるのだとしたら、一体それは何故なのでしょうか。 質問の意図が分かりにくい文章ですみません。 気持ちのもやもやを解消する手助けをしていただけたら、と思います。

  • 【日本語と古代ラテン語の共通の言葉】 秦氏は地中海から来た?

    与謝野鉄幹・晶子の孫で言語学者の与謝野達氏の『ラテン語と日本語の語源的関係』(サンパウロ社刊)を読みました。 彼は「伝統的な日本語の単語の多くがラテン語を起源としている」と主張しています。 日本語約700語を題材に、その語源と見なされるラテン語を詳しく紹介しています。 比較言語学の最新の概念を使いこなしながら、長時間かけて丁寧に考察された興味深い労作です。 一例を挙げると こころ←corculum」 哀れ←avare」 こい(恋)← cupio 上げる←aggero 下げる← suggero 起こす←occurso がんばれ←quam vale おめでとう←omen datum などのルーツはいずれもラテン語と喝破し、 「2世紀以降のやや俗化したラテン語か派生語が、何らかの理由で日本の古代期に入り、日本語の形成に影響を与えた」と推測している。 もし、↑の日本語の起源が古代ラテン語だと仮定した場合、その流入経路はどのようなルートだと思いますか? (1)人がローマからインド洋を渡り、東洋に至る航海が言語をアジアに繋いでいたかもしれない。(文化人類学者の山口昌男氏) (2)秦氏は地中海周辺から来た古代ラテン語を操る民族であり、秦氏の言葉が日本語に与えた影響は大きい。(考古学者の和田宗耶氏) など様々な意見がありますが、古代ラテン語が日本に流入する可能性はあるのでしょうか? 大相撲の掛声の「ハッケヨイ」もラテン語だと聞いたことがあります。