a-koshino の回答履歴

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  • 世界史の考察

    今まで経済学や国際関係学のレポートなどは書いたことがあるのですが、世界史上の出来事を考察せよ、という課題を出されて困惑しています。過去の質問を見ると理系のものばかりでしたので質問させていただきます。 ・例を挙げると、名誉革命体制について考察せよ、という題で、 (ジェームズ1世が反動化、それに対してピューリタン革命が起きた、だが議会派が内部分裂した。クロムウェルは独立派独裁体制構築、彼の死後は王政復古、しかし2代続けて国王がカトリックに傾斜、だから名誉革命、そして名誉革命体制完成~) のようにひたすら事実を書いていけばいいのか ・理系のように実験の過程とか仮説を立てるのか まあこれは世界史には当てはまりませんが ・自分の意見を書いていけばいいのか 歴史上の事実に対して自分の意見など言ってしまってよいのか ・名誉革命を色々な面から見て書く 色々な面て言っても問題点を書くぐらいしか思い浮かばない 考察せよとはつまり何を要求されているのですか?完全に煮詰まっています。誰か救ってください。

    • ベストアンサー
    • wingryo
    • 歴史
    • 回答数4
  • 宮本武蔵

    この間井上雄彦さんの作品であるバガボンドを読みました。それで宮本武蔵にすごく興味を持つようになりました。 そこで質問なんですが宮本武蔵について詳しく教えていただきたいです。宮元武蔵の生涯についてや吉岡一門、佐々木小次郎などとの決闘、他にも雑学など・・・とにかく沢山知りたいです。 漫画の中でなく実際の事を教えていただきたいです。お時間のあるかたよろしくお願いします。

  • 「ニイタカヤマノボレ」の無線発信日について

    「ニイタカヤマノボレ」の無線発信日について 一般には12月2日といわれています。ただ、12月3日という資料もあるようです。 つぎの日本経済新聞のサイトでは、12月3日となっています。 http://www.nikkei.co.jp/tento/trend/20051128m48bs000_28.html これは単なる間違いでしょうか。それとも、日付変更線などのその他の理由があるのでしょうか。教えてください。

  • 太平洋戦争中のスパイ活動

     太平洋戦争中に米国が日本国内でスパイ活動をしていた事例、またはその逆の事例はあったのでしょうか。

  • WILL 小林よしのりさん達の2月号の論文でご質問・・・

    Will2月号 で小林よしのり氏は、 「そもそも、満州が当時、漢民族の土地だったのか?」と問い、 本来、満州族の土地に愛新覚羅を連れ「帰った」のだから、 漢民族の支配よりずっと筋が通っている。 と言われていますが、 本当に歴史的にそれは筋が通っていることなのでしょうか?? 愛新覚羅とは満州族なのですか??

  • 日本がフィリピンへいったのは占領などではないのですよね?

    勉強ぶそくなのでいろいろ調べたのですが、みるものによって少し違っているのでわかりませんでした。教えてください。 太平洋戦争あたりで、日本がフィリピンにいきましたよね、それ以外にもアジアへ出て行っていますが、植民地にしようとしたわけではなく、アメリカや他の外国に植民地化されたり、アジアを食い物にしているのから助ける感覚だったというのをきいたのですが それはちがいますか? フィリピンでも地元のひとはアメリカ兵より日本兵の方が親切にしてくれたといっていあっときいたのですが・・・ おしえてくださいおねがいします

    • ベストアンサー
    • jughjh
    • 歴史
    • 回答数8
  • 戦国時代の地図を探しています。

    戦国時代の地図を探しています。 大河ドラマでよく登場する、墨で描かれた地図(勢力図)がほしいのですが、 市販されているのでしょうか?

  • 近代化と事が起きた理由

    「近代化」という言葉に含まれる現象は様々にあると思いますが、 そういうものが起きてきたのは人類の何千年の歴史の中で 最近200年かそこらの事に過ぎず、その発信源となった地域も全地球 からみるとごく限られた範囲になります。 なにせ現代でも完全には近代化できてきいない国はたくさんありますから。 しかし考えてみれば本来は近代化などという現象が存在しない状態の方が、人間の当たり前の姿のようにも思えます。 たとえば、人間が限られた範囲で日々生きていくのに精一杯でなおかつそれで十分と考えている 時代であれば、村落共同体や部族社会といったような伝統的な枠組みを 越えた国民国家などというものを作る動機は出てこないでしょう。 掟や情実、権威者の裁定のような「人治」より均一的な「法治」に人間が従うようになるのも簡単な事ではありません。 物事を原理から考えたり、矛盾点をとことん突き詰めるよりも 生活に必要な範囲を経験則だけで処理したり、 昔からの言い伝えをそういうものと受け入れてる方が楽なんですから 科学的思考法をわざわざ発明することもありません。 未知の事象には不安を覚えるのが人間の性であり、技術革新で権益が侵されると考える人も多い状況で、 産業革命して工業化していくのは難しいでしょう。 その他諸々人間のオーソドックスな方向性に反して近代化という現象が現れた理由は何なのでしょうか?

  • 戦闘機から弾を打って地上の人に当たりますか?

    ある小説で、 「飛行機は、谷間の細い道を並んで、行ったり来たりしながら、兵士たちの無防備の背中を正確に射ち抜いて行く」 とありました。 飛行機は、第二次世界大戦中のソ連の戦闘機です。 猛スピードで飛んでいる飛行機から弾を撃って、地上を逃げ惑っている人間に正確に当たりますか? ヘリコプターのようにホバリングしていればできますが、どうなんでしょうか?

  • 日中戦争の発端は、北支派兵ですか?それとも、蒋介石の上海事変ですか?

    支那事変の原因は、 近衛文麿が、現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定) 結ばれるにもかかわらず、北支派兵を決定して、 進軍したことが原因だということが良く NHKなどで言われているそうですが・・・ それは、蒋介石らのしつこい挑発に、日本がしびれをきらしたから だと言われています。 また、最近では、蒋介石の上海事変での日本人租界への爆撃が 支那事変の本当の原因であるという話も聞きます。 本当のところは、どうなのでしょうか? 北支派兵は、日本の合法的な駐兵権による派遣軍なので、 それが、支那事変の原因だとするのはおかしいという人もいます。 是非、教えて下さいませ。よろしくです。

  • 日中戦争の発端は、北支派兵ですか?それとも、蒋介石の上海事変ですか?

    支那事変の原因は、 近衛文麿が、現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定) 結ばれるにもかかわらず、北支派兵を決定して、 進軍したことが原因だということが良く NHKなどで言われているそうですが・・・ それは、蒋介石らのしつこい挑発に、日本がしびれをきらしたから だと言われています。 また、最近では、蒋介石の上海事変での日本人租界への爆撃が 支那事変の本当の原因であるという話も聞きます。 本当のところは、どうなのでしょうか? 北支派兵は、日本の合法的な駐兵権による派遣軍なので、 それが、支那事変の原因だとするのはおかしいという人もいます。 是非、教えて下さいませ。よろしくです。

  • 日中戦争の発端は、北支派兵ですか?それとも、蒋介石の上海事変ですか?

    支那事変の原因は、 近衛文麿が、現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定) 結ばれるにもかかわらず、北支派兵を決定して、 進軍したことが原因だということが良く NHKなどで言われているそうですが・・・ それは、蒋介石らのしつこい挑発に、日本がしびれをきらしたから だと言われています。 また、最近では、蒋介石の上海事変での日本人租界への爆撃が 支那事変の本当の原因であるという話も聞きます。 本当のところは、どうなのでしょうか? 北支派兵は、日本の合法的な駐兵権による派遣軍なので、 それが、支那事変の原因だとするのはおかしいという人もいます。 是非、教えて下さいませ。よろしくです。

  • 日中戦争の発端は、北支派兵ですか?それとも、蒋介石の上海事変ですか?

    支那事変の原因は、 近衛文麿が、現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定) 結ばれるにもかかわらず、北支派兵を決定して、 進軍したことが原因だということが良く NHKなどで言われているそうですが・・・ それは、蒋介石らのしつこい挑発に、日本がしびれをきらしたから だと言われています。 また、最近では、蒋介石の上海事変での日本人租界への爆撃が 支那事変の本当の原因であるという話も聞きます。 本当のところは、どうなのでしょうか? 北支派兵は、日本の合法的な駐兵権による派遣軍なので、 それが、支那事変の原因だとするのはおかしいという人もいます。 是非、教えて下さいませ。よろしくです。

  • 馬上で敵の首を落とせる?

    歴史小説などを読んでいると 「○○は単騎で敵陣に踊りこんでいき、次々を敵兵の首を飛ばしていった」 といった描写がよく見られますが 三国志や日本の戦国時代の当時の兵士の体格(腕力)、馬上という不安定な位置、今とは比べられないくらい切れ味や質の悪い武器、敵も常に動いている、鎧も着ている、などなど とても不可能な芸当に見えるんですが、実際は馬上から騎馬兵や歩兵の首だけを落とせたのでしょうか? やはり小説の過剰な描写なのでしょうか?

  • 日中戦争の発端は、北支派兵ですか?それとも、蒋介石の上海事変ですか?

    支那事変の原因は、 近衛文麿が、現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定) 結ばれるにもかかわらず、北支派兵を決定して、 進軍したことが原因だということが良く NHKなどで言われているそうですが・・・ それは、蒋介石らのしつこい挑発に、日本がしびれをきらしたから だと言われています。 また、最近では、蒋介石の上海事変での日本人租界への爆撃が 支那事変の本当の原因であるという話も聞きます。 本当のところは、どうなのでしょうか? 北支派兵は、日本の合法的な駐兵権による派遣軍なので、 それが、支那事変の原因だとするのはおかしいという人もいます。 是非、教えて下さいませ。よろしくです。

  • 日中戦争の発端は、北支派兵ですか?それとも、蒋介石の上海事変ですか?

    支那事変の原因は、 近衛文麿が、現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定) 結ばれるにもかかわらず、北支派兵を決定して、 進軍したことが原因だということが良く NHKなどで言われているそうですが・・・ それは、蒋介石らのしつこい挑発に、日本がしびれをきらしたから だと言われています。 また、最近では、蒋介石の上海事変での日本人租界への爆撃が 支那事変の本当の原因であるという話も聞きます。 本当のところは、どうなのでしょうか? 北支派兵は、日本の合法的な駐兵権による派遣軍なので、 それが、支那事変の原因だとするのはおかしいという人もいます。 是非、教えて下さいませ。よろしくです。

  • 満州事変 どちらの記載が本当なのでしょうか?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF 満州事変 張学良 1931年に入ると満州でも左派勢力に煽られた抗日運動が活発化し関東軍や在満 邦人の強い反発をかっていた。関東軍が満州への武力侵攻を決め、軍を続々と 集結させているときはいつもの軍事演習だと思い、何の対策も取らなかったと 言う。満州事変が勃発した時、彼は北京にいたが、日本軍侵攻の報告を受ける と日本軍への不抵抗を指示した。応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判 断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴び るなど好ましくない結果をもたらすだろうと考えたということを当人はNHKの取 材で述べている。 とあります。また・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/37350760.html 満州事変は関東軍の暴走ではない。関東軍は、満鉄の守備など日本の権益 を守る警察の任務を担っていた。 1万人の警察(関東軍)が、日本権益を侵 害していた30万人の武装盗賊(張学良軍)を追放するには、柳条湖事件の ような作戦が必要だった。したがって、日本政府は、事後であっても、関 東軍の警察行動を承認した。決して関東軍の暴走ではない。次に、満州の 武装盗賊を追放したのは関東軍(警察)だが、満州国を建国したのは日本 ではなく溥儀をはじめとする満州人たちだった。 とあります。がどちらが本当なのでしょうか? 武装盗賊が左派勢力なのかどうか分かりませんが、彼らは ただの「小競り合い」をしていたのでは・・・?? 軍隊を越境させたわけではないのでは・・・? 私は、満州事変は、侵略とはまでは言えないと思っています。 パリ不戦条約は事実上法的有効性が薄いと思うし、主権国家への 攻撃ではないので・・・ けど、林銑十郎越境将軍の独断による軍の国境越えは やはり、暴走とまではいかなくても、 とがめられてしかるべきで軍の独断による越境であり、 自衛でもないと思うのですが・・・ また、満州国を建国したのは溥儀等であっても そのような傀儡政権を創らせたのは、日本人なのではないか? 当時の戦略からして現地人に国を創らせた方が、上手に侵入できることは 当然であっただろうから・・

  • 満州事変 どちらの記載が本当なのでしょうか?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF 満州事変 張学良 1931年に入ると満州でも左派勢力に煽られた抗日運動が活発化し関東軍や在満 邦人の強い反発をかっていた。関東軍が満州への武力侵攻を決め、軍を続々と 集結させているときはいつもの軍事演習だと思い、何の対策も取らなかったと 言う。満州事変が勃発した時、彼は北京にいたが、日本軍侵攻の報告を受ける と日本軍への不抵抗を指示した。応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判 断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴び るなど好ましくない結果をもたらすだろうと考えたということを当人はNHKの取 材で述べている。 とあります。また・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/37350760.html 満州事変は関東軍の暴走ではない。関東軍は、満鉄の守備など日本の権益 を守る警察の任務を担っていた。 1万人の警察(関東軍)が、日本権益を侵 害していた30万人の武装盗賊(張学良軍)を追放するには、柳条湖事件の ような作戦が必要だった。したがって、日本政府は、事後であっても、関 東軍の警察行動を承認した。決して関東軍の暴走ではない。次に、満州の 武装盗賊を追放したのは関東軍(警察)だが、満州国を建国したのは日本 ではなく溥儀をはじめとする満州人たちだった。 とあります。がどちらが本当なのでしょうか? 武装盗賊が左派勢力なのかどうか分かりませんが、彼らは ただの「小競り合い」をしていたのでは・・・?? 軍隊を越境させたわけではないのでは・・・? 私は、満州事変は、侵略とはまでは言えないと思っています。 パリ不戦条約は事実上法的有効性が薄いと思うし、主権国家への 攻撃ではないので・・・ けど、林銑十郎越境将軍の独断による軍の国境越えは やはり、暴走とまではいかなくても、 とがめられてしかるべきで軍の独断による越境であり、 自衛でもないと思うのですが・・・ また、満州国を建国したのは溥儀等であっても そのような傀儡政権を創らせたのは、日本人なのではないか? 当時の戦略からして現地人に国を創らせた方が、上手に侵入できることは 当然であっただろうから・・

  • 満州事変 どちらの記載が本当なのでしょうか?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF 満州事変 張学良 1931年に入ると満州でも左派勢力に煽られた抗日運動が活発化し関東軍や在満 邦人の強い反発をかっていた。関東軍が満州への武力侵攻を決め、軍を続々と 集結させているときはいつもの軍事演習だと思い、何の対策も取らなかったと 言う。満州事変が勃発した時、彼は北京にいたが、日本軍侵攻の報告を受ける と日本軍への不抵抗を指示した。応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判 断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴び るなど好ましくない結果をもたらすだろうと考えたということを当人はNHKの取 材で述べている。 とあります。また・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/37350760.html 満州事変は関東軍の暴走ではない。関東軍は、満鉄の守備など日本の権益 を守る警察の任務を担っていた。 1万人の警察(関東軍)が、日本権益を侵 害していた30万人の武装盗賊(張学良軍)を追放するには、柳条湖事件の ような作戦が必要だった。したがって、日本政府は、事後であっても、関 東軍の警察行動を承認した。決して関東軍の暴走ではない。次に、満州の 武装盗賊を追放したのは関東軍(警察)だが、満州国を建国したのは日本 ではなく溥儀をはじめとする満州人たちだった。 とあります。がどちらが本当なのでしょうか? 武装盗賊が左派勢力なのかどうか分かりませんが、彼らは ただの「小競り合い」をしていたのでは・・・?? 軍隊を越境させたわけではないのでは・・・? 私は、満州事変は、侵略とはまでは言えないと思っています。 パリ不戦条約は事実上法的有効性が薄いと思うし、主権国家への 攻撃ではないので・・・ けど、林銑十郎越境将軍の独断による軍の国境越えは やはり、暴走とまではいかなくても、 とがめられてしかるべきで軍の独断による越境であり、 自衛でもないと思うのですが・・・ また、満州国を建国したのは溥儀等であっても そのような傀儡政権を創らせたのは、日本人なのではないか? 当時の戦略からして現地人に国を創らせた方が、上手に侵入できることは 当然であっただろうから・・

  • 満州事変 どちらの記載が本当なのでしょうか?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF 満州事変 張学良 1931年に入ると満州でも左派勢力に煽られた抗日運動が活発化し関東軍や在満 邦人の強い反発をかっていた。関東軍が満州への武力侵攻を決め、軍を続々と 集結させているときはいつもの軍事演習だと思い、何の対策も取らなかったと 言う。満州事変が勃発した時、彼は北京にいたが、日本軍侵攻の報告を受ける と日本軍への不抵抗を指示した。応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判 断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴び るなど好ましくない結果をもたらすだろうと考えたということを当人はNHKの取 材で述べている。 とあります。また・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/37350760.html 満州事変は関東軍の暴走ではない。関東軍は、満鉄の守備など日本の権益 を守る警察の任務を担っていた。 1万人の警察(関東軍)が、日本権益を侵 害していた30万人の武装盗賊(張学良軍)を追放するには、柳条湖事件の ような作戦が必要だった。したがって、日本政府は、事後であっても、関 東軍の警察行動を承認した。決して関東軍の暴走ではない。次に、満州の 武装盗賊を追放したのは関東軍(警察)だが、満州国を建国したのは日本 ではなく溥儀をはじめとする満州人たちだった。 とあります。がどちらが本当なのでしょうか? 武装盗賊が左派勢力なのかどうか分かりませんが、彼らは ただの「小競り合い」をしていたのでは・・・?? 軍隊を越境させたわけではないのでは・・・? 私は、満州事変は、侵略とはまでは言えないと思っています。 パリ不戦条約は事実上法的有効性が薄いと思うし、主権国家への 攻撃ではないので・・・ けど、林銑十郎越境将軍の独断による軍の国境越えは やはり、暴走とまではいかなくても、 とがめられてしかるべきで軍の独断による越境であり、 自衛でもないと思うのですが・・・ また、満州国を建国したのは溥儀等であっても そのような傀儡政権を創らせたのは、日本人なのではないか? 当時の戦略からして現地人に国を創らせた方が、上手に侵入できることは 当然であっただろうから・・