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- v東日本大震災被害の半分は土木学会による人災では
東日本大震災被害の半分特に原発被災は公共社団法人土木学会と歴代構成員による人災だと思っています。国会なり司法の場で糾弾されるべきだと考えていますが皆さんはどう思われますか。 気象庁のM9への上方修正したことにも疑念を抱いています。M9クラスの地震は千年に一度しか起こらないと推定できるので関係省庁や団体が千年に一度の大津波であり想定外の避けようのない天災であると主張できるように配慮したのではないかと疑っています。うがった見方過ぎるのでしょうか。 土木学会は、防潮堤の設定基礎となる地域単位の津波規模を想定し定める団体です。彼らは、三陸は6mの津波に耐えられたら十分と判断妥当であり、今回の津波は千年に一度の大津波で想定外と主張しているようです。 M9クラスの地震は千年に一度と推定できますが、M8クラスの地震はその10倍の頻度で起こります。しかも、プレートの滑り方によってはM8クラスでも10mを越える津波が起こります。 実際、少なくとも869年、1611年、1896年、1933年の4回M8クラスの地震により10mを越える津波が起こっています。特に1896年の明治三陸地震と1933年の昭和三陸地震は近世でありきちんとした記録が残っています場所によっては標高15mはるかに超える場所にまで津浪が押し寄せています。しかし、土木学会はこれらを無視したようです。そのため、過去に15mの津波が来たから15mを越える防潮堤が必要だとして当時の村長が主張して作った普代村以外の他の防潮堤はほとんどが倒壊し役立たずでした。 地元の要望で高さを決めたという話もありますが、地元負担の額の釣り合いもあり、おのずと土木学会の基準にプラス1~3mがやっとだと思います、 土木学会は、少なくとも出来るだけ早い段階で公の場で三陸における津波の規模の想定をどのようにして定めたか説明し質問に答えるべきだと思いますがどうでしょう。 以前にヤフーの知恵袋で照会内容と回答の一部を添付させていただきます。長々としてしまいますがお許しください。 東北大震災の写真で相馬港だと思いますが防波堤が倒壊しているものが有りました。... さん 東北大震災の写真で相馬港だと思いますが防波堤が倒壊しているものが有りました。他の港でも同様に崩壊したところがあるのでしょうか。防波堤とはそれを越える津波が来たら倒壊するものでしょうか。 防波堤は暴風雨や高潮・津波に対する備えであるので、たとえこれを乗り越える大波が続いて襲ってきても簡単には崩れないと思っていました。津波も2波3波と襲ってくるものです。しかし、大幅に倒壊しているので、一定規模を超える津波に対しては簡単にくずれる設計だったのでしょうか。それとも手抜き工事だったのでしょうか。 補足 1896年の明治三陸大津波の記録では多くの地域で10mを越える津波が押し寄せたとの記録がありますが、このような歴史は配慮されなかったのでしょうか。予算の関係で6m~7mの津波しかこないことにして、安上がりに整備したってことでしょうか。 違反報告. 質問日時:2011/7/2 16:18:32. 残り時間:4日間. 補足日時:2011/7/2 23:11:01. 回答数:3 115511551155さん 補足について 土木学会がその場所、地域ごとの津波予測をしています。 その数値が何故か言われてる通りの津波があったのに決定の段階で切り捨てられたようです。 土木学会のメンバー事態が御用学者、受益の多い人たちですから一例しかない物を特殊な地形からぐらいで簡単に無視したのでしょう。 でも三陸で作られていた大防波堤はそれなりに地元の意向が入り明治三陸地震の津波高さに対応するように成っているのが多かったです。 結局今回の津波は明治三陸地震をも凌んだ、やはり1000年に1度の大きさだったのでしょう。 下は福島第一での津波予想です。ここでは想定の低い土木学会の数値がそのまま使われています。 他の地域の原発の津波想定高さも土木学会の数値がそのままですから、とても心配です。 今、土木学会は信用をなくし、大慌てで応急の見直しを行っており、臨時の数値などを公表しています。 http://getnews.jp/archives/106918 この度の津波で海岸線で8~12mを超える津波で耐えれたのは普代(ふだい)村の高さ15メートルを超える防潮堤だけでした。 後は全滅状態です、世界一の防波堤も哀れな姿に成っています。 残った防波堤は陸側が高くなっていて土のようなので津波の力に耐えれました。 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00599.htm 台風等の暴風雨や高潮、大波は海の表面だけが風で押されて発生してますので押す圧力はそんなに大きくなく防波堤を越えても超えた分だけの海水でけです。 津波が海底から表面まで全体の厚みが一体として押し寄せるものですから全く普通の波と性格の違うものです。 普通の波とか想定内(6m程度)の津波でしたら充分に機能したのでしょうが、今回の津波は想定外(設計基準の)でしたのでその力(圧力、押す力)も100t/m2以上と設計設定の2~5倍あったようです。 ですからおつしゃてるてるように簡単にくずれるました。 津波が防波堤を越えても強度が充分あれば壊れることも無かったでしょう。 防波堤は自重式の物が多いので津波の押す力より防波堤の自重(厚みが必要)が足らなかったのです(もう少し複雑ですが簡単に整理するとこういう事です)。 破壊された所ができ、津波の力が分散して残った所も引き波で倒れました。 防波堤は普通、基礎部分に当たる所にベースとよがれる押される力に耐える為の幅広のコンクリートが陸側に有ります、引き波は海が引潮に成るため高低差が生じ強い流れとなって残った陸側から押される力に弱い防波堤を押し倒しました。 日本の土木技術は世界最高クラスです。 施工精度、品質管理も建築以上で大型土木工事では手抜き工事は決してありません、手抜き工事は大昔の話です。 違反報告 編集日時:2011/7/3 10:03:23 回答日時:2011/7/2 18:48:29
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- 防災 ・災害
- otonashi-n
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- 会社同僚間での婚約破棄。無難な理由はなんでしょう?
4月下旬から、こちらで「婚約者と初めて旅行に行くのですが…」「好意を持ってくれていた後輩からの『結婚祝』が重い」と質問をさせて頂いてきた35歳会社員女性です。 最近、次第に婚約者の下記の点に、違和感、不安感がつのるようになりました。 「今までは私相手に猥談や下ネタは絶対口にしなかったのに、最近はその手の言動がどんどん増え、明らかに私の反応を面白がっている」 「私がこちらの気持ちや状況をきちんと伝えようとしても『いい大人なんだから』『今更気にするようなことじゃない』で話を打ち切られ、それ以上語れない状態になる」 同じ事柄に対してでも、性別・立場・成育歴・教育・価値観等が異なれば、感じ方や捉え方にも違いが出て当然、と私は考えております。どちらかの経験や判断が一方的に「正しい」ことはなく、現実の中でどちらかが重視されてしまうのは、パワーゲームの結果に過ぎない、と。 だからこそ、恋人・夫婦間であれば、きちんと話し合いをして互いの気持ちを受け止め、妥協点を見出す、一種の「メンテナンス」作業が、が不可欠だと思うのですが…。 思案の挙句、一昨日から昨日の夜に掛けて婚約者と話し合い、「このままなら私は、婚約破棄も念頭に置いている。婚約不履行の責めは負う」と伝えました。 婚約者は「悪かった。私の気持ちを理解するよう努めたい」とのことで、暫く様子を見て最終判断を下すしかありません。 しかし、この状態は私にはかなりストレスフルです(恐らく婚約者にとってもそうでしょうが…)。そこで、また色々な御意見を伺い、視野狭窄に陥らないようにしたいと考えて、再度、質問させて頂くことにしました。(眠れないから、でもありますが) もう少し説明しますと、婚約者は私の2年先輩で、1年前に海外赴任から戻ってきて、交際を経て婚約に至った訳ですが、彼が海外赴任していた頃、私は、彼の「ビジネス上の食事やパーティ」の際の話題作りに一役買っていました。 私は諸国の歴史・文化・芸術等の分野については大好きなので、割と知識があります。そちらの方面には疎い彼の求めに応じ、日本語・英語でちょっとしたエッセイを書いてよくメールしていました。そして、相手の方がより深く関心を示して下さった場合は、絵葉書や美術書を送ったり、直接私のメアドを伝えて貰って、私が応じたりしていました。 ですから、彼が私に対して一片の「恩義」を感じていると考えており、お礼として食事に誘ってくることや、「俺も勉強したいから」と言って一緒に美術館に行くことを、当初はデートだと認識していなかったのです。 それが、あれよあれよという間に婚約に至ったのは、私が自分は心身共に未熟であるとのコンプレックスを抱いていたことと、何より、もう35歳で高齢出産の年齢であるということが大きかった気がします。 私には3歳年下の妹がいるのですが、彼女は10、8歳の二児の母です。妹は私に対して「子供を持たない人間は半人前」「子供を産むことが一番の社会貢献」というような発言を繰り返しており、私は、同意はしないまでも、祖母も母も仕事と家庭を両立させていただけに、子供を産みたい気持ちは持っていました。 もう少し、私自身について語らせて頂きます。 私は幼少時から大変気が弱く、喧嘩はおろか、「嫌だから止めて」すら言えない性格でした。おまけに小柄で運動神経も大変悪いのです。 母も仕事をしていたため、殆ど祖母に育てられたのですが、「中学までは地元の公立校で」と考えていた両親に、祖母が「この子はいじめられたら耐えられない。小学校から○○に入れた方が良い」と話し、小・中・高校を一貫女子校で過ごしました(小・中学までは男子児童・生徒もいますが、少数です)。因みに、祖母、母はこの女子大卒、私も高校までは同校でした。 ですから、自分が世間知らずの箱入りであることは自覚しており、コンプレックスでもありました。 大学は共学に進み、1年の時に友達の紹介で同級生の男子学生と初めて「男女交際」なるものをしました。 しかし、3回目の東京郊外でのデートで、「こっちの方が近道だから」と言われ、9月の20時頃の人気がない道を歩いていた時です。いきなり彼は、ワンピースを着ていた私を農家の塀に押さえ込み、キスし、ブラとショーツの中に手を入れて来ました。 あまり大きな悲鳴はあげられなかったと思うのですが、幸い、農地に忘れ物をしたその家の方がちょうど門から出て来て下さったので、彼は逃げ、私はタクシーで帰宅しました。 彼がどこまで実行する気だったのかは分かりませんが、デートレイプならぬデート強制猥褻になると今でも思っています…。 私は、どう考えても誘惑も挑発もしていません。「男の人と一緒なら大丈夫ね」と思い、普段なら避けるような暗い道を歩いたのです。 彼がストーカー化する可能性を危惧した父が動き、一応警察に被害届を出し(事件化する気はなかったものの、公文書として記録を残しておくため)、大学の教務課を通じて彼を呼び出し、父と弁護士が、彼に「二度と私に近付かないように」と伝えたようです。彼と私はその後、一切話をしていません。 男性の性衝動に心底恐怖を覚えた私は、その後、喪服以外ではスカートを履いていません。現在も、服装も化粧もとても地味です。 その後、現在の会社に就職したのですが、同期女性にあれこれ詮索された時、上記の経緯を話しました。 彼女は職場の皆にその話をし、私は抗議したのですが「あんた、よっぽどお固いかお高いって思われて馬鹿にされてるんだよ。そういうことはちゃんと話した方がいいの。大丈夫、あたしが『あの子を誘うなら昼間のデートから、ゆっくりと優しく進めてやってね』と言っておいてあげたから。ありがたく思いなさいよ」と返されました。 入社当時、婚約者は同じ部署でしたから、この件は知っています。 しかし、それから食事や映画、美術展等のお誘いを下さる方があっても、どうも気乗りせず「私は体力がないので、休日は家事して休息しないと、仕事が出来ないのです」とお断りを続け、あっという間に35歳まで来てしまいました。 35歳…。いくら何でも17年も昔の恐怖を克服出来ないのは、あまりに情けないです。 また、私は祖母から家事全般叩き込まれており、会社にお弁当を持って行く人間でもあります。 更に、会社からの依頼で、日本通な外国人顧客が来日された際、かなりマニアックな東京案内を何度もしました。比較的(相当?)古い日本家屋である実家で、和食メインのホームパーティを行い、和室(茶室ではない)で茶道を経験して頂いたことも何回かあります。 私は「商談での交渉」は苦手ですが、それでも、会社にとって、それなりに『使える人間』なのだろうと思っています。 何だか、どんどん不安がつのってきてしまいました。彼と私は、本当に「好きだから結婚したい」のでしょうか。 私は年齢に対する焦りから、彼の側は、私を「使える手駒」と考えて入手したくなったから、結婚を考えるようになっただけではないでしょうか…。 もう、二人で徹底的に話し合い、熟考した上で結論を出すしかないことは分かっています。 でも、この「中途半端な状態」はやはり辛く、つい、少し違うことを考えたくなってしまい、上記の質問と相成りました…。 私は元々出世するタイプではなく、補佐的業務だろうが何だろうが、仕事があってきちんとそれをこなせれば十分、と思っています。 しかし、婚約者にははっきりとした上昇志向が認められ、出来るだけ出世したい様子です。 だから、結果的に婚約破棄となった場合、私の側に決定的な問題があったことにしよう、と考えているのですが…、どんな理由が一番無難でしょう? 13年も同僚でいて「性格の不一致」は幼い気が…。 「性の不一致」でもいいけれど、具体的に詮索されたら何て答えましょう…。 「私の親が無理な要求をした」が一番良いかも、とも思ったのですが、しかし、実家でホームパーティなどもしているため、上司も同僚も、かなり私の両親を知っているんですよね。「あの人達がそんな要求をする?」と不審に思われそう…。 うう、何か妙案がありましたら、どうか、御教示をお願い致します。 長文にお付き合い下さいまして、どうもありがとうございました。
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- noname#180897
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- 複数の男性に対して気持ちが整理できません
初めて質問させていただきます。 アラサー女・結婚願望あり・彼氏ありの身ですが、情けないことに自分がどうすればよいのかわかりません。厳しいお言葉含め、今の状況を打開するためのアドバイスをいただけたらと思いまして投稿させていただきました。長文になりますが、どうかよろしくお願いします。 今年から、仕事の関係でアメリカで暮らすこととなりました。日本へ戻るのは恐らく3~5年後だと思います。自分はいわゆるキャリア志向で、かなり仕事には時間を割いています。その一方で結婚願望も強く、子供も欲しいので、仕事に対する情熱に理解を示してくれる男性と真面目なお付き合いしたいというのが本心です。彼氏がいるのに何を迷っているのか、と思われるかもしれませんが、状況は以下の通りです。 そもそも私には、昨年のうちに結婚する予定だった婚約者(Aさん)がおりました。Aさんは大変優しく、万事に協力的で、一緒にいると心が落ち着く素敵な男性でした。実家への顔合わせなども無事に済ませ、両家へ相談の上、式場や段取りなどを決め、何も障害がないように思えました。ですが、結納の段階になってAさんのご両親に突然、婚約破棄を言い渡されてしまいました。これにはAさんも青天の霹靂といった感じで、驚き、悲しみ、謝罪してくれましたが、積極的にご両親を説得してくれませんでした。後で知ったことなのですが、Aさんのご両親は精神的に若干の障害があるようです。特に人の好き嫌いに関しては常軌を逸するところがあり、Aさんのご兄弟もご両親により結婚を断念させられたとのことでした。私の場合は、最初は諸手を挙げて喜ばれたようですが、話の途中で新聞社の名前を間違えてしまった(歴史と社会情勢の話をしていました)のが引き金を引いたとのこと・・・。普通なら気に留めないか、間違っていても軽く注意をして流す程度の反応が普通だと思うのですが、「そんな馬鹿な嫁はいらん」とのことでした。Aさんのご両親は私の父を呼び出して罵詈雑言を浴びせたり、探偵に私の身辺調査をやらせたり、私の職場にわざわざ来て上司に説教しようとしたり、とにかく耐えられない状況になりました。結局、私とAさんはお互いに好きなまま別れなければなりませんでした。両親の攻撃から私を守ろうとしてくれなかったAさんに落胆した部分がある、というのも理由の一つです。 このような経緯があり、ちょうど仕事が多忙を極めていたこととも相まって、私はかなり精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまいました。この頃、思いがけず海外赴任のお話をいただいたので、半ば逃げるように了承しました。そして、この時にアプローチしてくれたのが今の彼氏(Bさん)です。婚約破棄の経緯は全く知らず、ただ私が海外赴任するので告白してくれたようです。Bさんは優秀で、真面目、話していて面白く、何より私の状況に理解を示してくれたので、これも何かの縁だと思ってお付き合いをすることにしました。ですが、残された時間があまりなかったために、お互いを深く知る前に離ればなれになってしまいました。 現在、メールとskypeで連絡をとりあっていますが、両方あわせて月に1、2回の連絡頻度です。Bさんから連絡が来ることはほとんどなく、毎回私のほうからコンタクトをしています。正直なところ、私は仕事が忙しいときほど人恋しくなるので、今の状況はかなり寂しいです。Bさんは仕事一筋なので浮気はしていないと思いますし、共通の友人もそう言っています。ただ単に私より自立していて、忙しくなると恋人のことはたまに忘れてしまうし、自分から連絡することは思いつかないだけなのだと思います。それとなく「たまには連絡頂戴ね、寂しいときもあるから」と言っても効果なしです。私としては今の状態って恋人と言えるのかなと疑問になり、私の気持ちを伝え、解決するための話し合いも数回しましたが、いまいち私の寂しさを理解できないようです。あまりに悪気がないので私もすぐ引き下がってしまいます。ですが今の状況だと、ゆっくりと彼への愛情が冷めていくのがわかります。 もちろん楽しい思い出もたくさんあります、直接会っている時や話している時は優しいのです。でも普段は私のことをほとんど忘れているようです。 そしてもう一人、私にアプローチをかけてくれている男性(Cさん)がいます。この人は私が大学生の時にお付き合いをしていた方です。人生で初めて本気で好きになった人と言えます。知識欲がずば抜けていて、エネルギッシュで、かつ体育会系の面白い男性です。2年半ほどつき合いましたが、Cさんにとって私の愛情が重かったために別れることになりました。Cさんはその後、ある女性と結婚を視野に入れたお付き合いをしたらしいのですが、私が婚約破棄した同じ時期くらいに別れたそうです。昔の仲間が私の海外赴任の前に集まって送別会をしてくれ、そのときに再会しました。特に私は何も思わず普通に当たり障りのない話をしてその場を離れましたが、どうやら私のことが忘れられなくて彼女と別れたよう。 特に甘い言葉で口説かれたりはしないのですが、一週間に2、3回のペースでメールを貰います。内容は日常の出来事がほとんどで、日本の情勢や、イベント、食事などについて。嫌いなら無視してしまえばいいのですが、Cさんのメールが本当に面白いのです。他愛もない内容なのにものすごく愛情や労りの気持ちが伝わってきて、つい返信してしまいます。このメールが私の心の支えになりつつあるというのを自覚しています。昔は冷たかったのになと半分笑いながら、私が海外に行くのを承知でアプローチしてきてくれたその勇気と覚悟を考えずにはいられません。Cさんは私にBさんという彼氏がいるのを知っていても、まだ諦められないようです。Cさんもまた、浮気をするような人ではないことを私は十分知っております。 最後に、話が戻りますが、Aさんも頻繁に連絡をくれます。これまた非常に優しい内容で、私を応援し励ましてくれます。見ると泣いてしまうような、暖かいメールです。Aさんも私にBさんという彼氏ができたことを知っており、それを含めて応援してくれます。Aさんとは、家族の軋轢を考えるともう結婚できないとわかっていても、やっぱり素敵な人だったと思い、正直なところ、完全には忘れることができていません。 【私はいま、どうすべきでしょうか?】 この状況は人として道を外していますか? 三人全員に対して好きという感情があるようで、自分自身に戸惑っています。 心を決めるのに、ある程度時間をかけてもよいものなのでしょうか。 いつも私は相手のことを好きなまま、別れる状況に陥ってきました。 その都度、気持ちを入れ替えて前向きに生きてきたつもりですが、わからなくなりました。 今すぐBさん以外との連絡を断つべきと思いますが、なかなかできません。 それに超遠距離ですから、この先どうなるかも予想がつきません。 わがままな質問かもしれません。 どうか私にアドバイス、叱咤激励をお願い致します。 支離滅裂な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
- 創価学会は前科が非常に多いカルトですが問題ないの?
創価学会は50年も前から、言論妨害事件、盗聴事件、携帯通話記録窃盗事件、個人情報漏洩事件などの多数の組織犯罪を行い、社会問題に発展し、社会から激しい非難にさらされてきました。 マスコミの報道や裁判所の記録を見るたびに、犯罪の悪質性や犯罪歴の多さに驚かされ、激しい不快感に見舞われます。 極めて犯罪性の高い非合法組織と連立政権を組む自民党も、非合法組織ということですか? 反社会的組織が政権運営していて日本は沈没しませんか? 大丈夫? 創価学会の歴史を振り返ってみましても、 1950~1970年頃の暴力勧誘。 1965~1970年頃にかけて行われた戦後最大級の言論妨害・出版妨害事件。 1980年頃に多発した暴力団・後藤組と提携して行われた暴力事件や殺人事件 1990~2010年にかけて行われた宗教戦争。 2000年以降、頻発している盗聴事件や嫌がらせなどの事案。 創価学会は自民党の犬として政権与党と一部になったことで、教団の大悪を報じるマスコミは減り、大事件に創価学会が関わっていたこともあまり報道されなくなったので、教団の有害性は目立たなくなってきました。 辞書サイトWikipediaやニュースサイトから、創価学会が起こした事件の概要を転記します。 言論出版妨害事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AB%96%E5%87%BA%E7%89%88%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 創価学会と公明党が自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するために、著者、出版社、取次店、書店等に圧力をかけた、戦後最大級の言論妨害事件。憲法を侵害するものだとして激しい社会的批判にさらされた。 出版予告が掲載された直後から、出版元に抗議や脅迫の電話や手紙等が多数寄せられる。 著者 藤原弘達への手紙や電話等による嫌がらせや脅迫が始まる。 藤原は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として出版に向け執筆を続け、段ボール箱に3 箱以上も嫌がらせの投書が来たり、警察が子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次いだという。 創価学会北条会長が藤原氏をホテルに呼び出し、「いくらペンネームを用いて学会を批判しようとも、全国的に張りめぐらされている学会の情報網に引っかからない虫ケラはいないのだ。創価学会という像は、お前ごとき蟻でも全力で踏みつぶす。」と脅迫した。 西日本新聞のケースでは、版元の文部大臣から出版中止を要求されるなど、様々な圧力が加えられた。 社長は出版社に正体不明の者から、「暴力団を向けるぞ」と脅迫され、暴力団風の男が身辺につきまとうようになるなど、周囲からの圧力でノイローゼ状態に陥り失踪したことなどから初版は出版されず絶版となる。後に出版社も印刷所も倒産した。 公明党が自民党幹事長の田中角栄(当時)に、言論妨害を依頼していた国会で明らかとなると、出版業界や宗教界から激しい非難があがった。 創価学会は解散の手前まで追い詰められるも、創価学会と公明党を建前上分離する(政教分離)を約束することで解散を逃れた。 共産党委員長宮本顕治宅 盗聴事件 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E9%A1%95%E6%B2%BB%E5%AE%85%E7%9B%97%E8%81%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6 日本共産党委員長であった宮本顕治宅の電話回線が創価学会の学生部幹部数名により盗聴されるという被害にあった。 宮本委員長は特定の個人は不明としながらも宗教法人としての創価学会に対して、盗聴被害の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。1988年、東京高等裁判所での控訴審の判決後、学会側が最高裁判所への上告を取り下げたことにより、創価学会側の敗訴が確定した。 言論出版妨害事件追及の急先鋒にあった共産党の弱みを握って潰すために、委員長宅を盗聴をしていたことが関係者の証言から明らかとなっている。 携帯電話通話記録窃盗事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E9%80%9A%E8%A9%B1%E8%A8%98%E9%8C%B2%E7%AA%83%E7%9B%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6 2002年に創価学会幹部、創価大学の課長、NTTドコモに勤務する職員ら3名が共謀して通話記録を盗み、被害者に嫌がらせをした容疑で逮捕された事件。 ジャーナリストの乙骨正生の通話記録や創価学会に対立する団体幹部、脱会者らの通話記録を盗んでいた。 被害者で元創価学会員の女性ら2人が、東京地検に告発状を送付した。 その後の調べで、創価学会に不都合な人物30名以上の情報を盗んでいたことが発覚。 被害者らは、教団の敵対者の個人情報入手と嫌がらせが目的であったと、被害者シンポジウムで批判した。 日大名誉教授の北野弘久、政治評論家の屋山太郎は「新聞を読んでも、事件の裏側が分からないことが問題。知らないうちに気に入らない相手の情報を手に入れ悪用する。なにより一般の人ではとてもこんな組織的な広がりを持ちえない。つまり大犯罪を起こしえる組織力を間違いなく持っている」とコメントした。 Yahoo! BB顧客情報漏洩事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/Yahoo!_BB%E9%A1%A7%E5%AE%A2%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BC%8F%E6%B4%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 2004年、450万人分ものYahoo! BB登録者の個人情報が漏洩している事が発覚。 この情報に対して、BB社に現金を要求していたソフトバンク関連元社員らが逮捕された。 逮捕された3名のうち、2名は創価学会の謀略部隊所属で、言論出版妨害事件の前科者だったことが話題となった。 残りの1名は右翼団体の幹部であった。 『日刊ゲンダイ』と『東京新聞』が、創価学会幹部の計画的犯行であることを報道。 練馬区投票所襲撃事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%B4%E9%A6%AC%E5%8C%BA%E6%8A%95%E7%A5%A8%E6%89%80%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6 東京・練馬区の第4選挙投票所において、午後6時の投票終了後に創価学会員の2名が投票に訪れた。 係員が投票終了後のため投票できないことを告げると信者は激高。数百人が投票所を取り囲んで襲撃。 女性・高齢者を含む投票立会人4人に暴言、集団暴行を加え流血させ、土下座謝罪を強要した。 創価学会偽造写真事件 https://www.correct-religion.com/ryouran/html/souka_5.html 創価学会は、違法に入手した写真を変造し、被害者が性的錯乱している異常者のごとく見せる写真をつくり誹謗中傷した。 この偽造写真を創価学会の機関紙にも掲載された。 東京高裁は、写真変造は被害者を中傷することが目的に行われたものであり、極めて違法と断罪した。 創価学会はこの事件の前にも、被害者がシアトルで売春騒動を起こしたなどと性スキャンダルをでっちあげて、裁判所から断罪されたことがあった。 創価学会違法ビラ事件 https://matome.naver.jp/odai/2153398119029601801 https://wikimatome.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E9%81%95%E6%B3%95%E3%83%93%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 創価学会は他宗教と他宗教信者を中傷する違法なビラを10都府県、34市区にわたり10万枚以上を配布掲載。 オウム真理教の麻原彰晃と並べて印刷し、オウム真理教がおこした事件の共犯のごとく見せる偽造写真を添付していた。 創価学会は280万円の支払いを命じられた。 大阪事件 創価学会陣営が煙草などで有権者を買収したとして数十名の学会員が逮捕、起訴された事件。 大阪地方検察庁特別捜査部は、当時の創価学会理事長・小泉、渉外部長・池田を始め、創価学会員数十名を公職選挙法違反で逮捕・起訴した。 47名の有罪が確定。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A) 顕正会盗撮事件 2017年5月、創価学会の謀略部隊3人が、創価学会と対立する宗教団体「顕正会」の施設に侵入し、盗撮を繰り返した。 偽名を使って侵入したことが職員に見抜かれ、あえなく御用となった。 https://www.soka-news.jp/2017-5-16.html 創価学会本部 発砲事件 暴力団後藤組と親しかった創価学会は、富士宮市の地上げや政争問題を機に対立してから、後藤組と争いや抗争が絶えず、1981年4月、ついには創価学会本部で組員が発砲事件が起こした。 暴力団後藤組の元組長が回顧録「憚りながら」で発砲事件を暴露した。 https://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04shoseki01.html
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- <保育園選び>について
今年7月に第一子(男児)を出産し、 来年4月(0歳8~9ヶ月頃)から 保育園に預けて職場復帰する予定でいます。 8園くらい見学して、 息子を入れたいと思う園が2園あるのですが どちらも保育方針・カリキュラムが魅力的で 歴史もある保育園なので、申請書類に書く 優先順位付けに悩んでいます。 皆様だったら、「どちらの園に通わせたいと思うか」 ご意見を参考にさせていただきたいので宜しくお願いいたします。 長文ですが、真剣に相談したいので最後まで読んでいただければ幸いです。 <私たち夫婦の状況> 千葉県に住んでいて、職場には9時出社。 2人とも都内まで片道1時間の通勤です。 私は子供が小さいうちは、時短で4時くらいには 息子を迎えに行こうと思っていますが、 通常ですと5時半までの勤務になります。 私たちが息子の園選びで1番大切にしたいことは 預かっている間、安全に楽しく過ごせる事はもちろんですが 挨拶がしっかりできることと、 「教育(情操教育)」も大事にしていきたいと思っています。 <A保育園> ・自宅から、バス(20分)→駅→保育園(駅から徒歩15分) 預けて駅にもどって通勤1時間なので、朝6時半には家を出る形になる。 ・今までどおりの通勤経路で変えなくてすむ。 ・夫も私、どちらも送迎でき、園にベビーカーも置いていけるので 1人で抱っこして送り迎えしたりせず、ベビーカーにのせて2人で息子を送ることができる。 ・園が新しく、とても明るい雰囲気。 ・衛生面にとても気を使っている印象がある。 ・病後時保育がある。 ・夜8時まで預けられる。 ・体操、お作法、英語、SI教育がある。 ・小学校にあがるとき、息子の通う学区の子はほぼ居ない。 ・制服が可愛い ・プラズマクラスターの導入や放射能問題への対応が良い。 ・食育が素晴らしい <B保育園> ・自宅から、徒歩(10分)→保育園(駅まで徒歩3分) 通勤経路(最寄り駅)を変更すれば、かなり送迎が楽。 今までの通勤経路にこだわるなら、30分ほど早く出れば良い。 ・夜7時までの預かりで、小さい子は7時まで居る子が少ない。 ・3歳から、保育園の場所が姉妹園へ変わるため 最寄り駅が1つ自宅から遠くなる(職場からは近くなる) 3歳からの園近くに、高電圧線?大きい塔みたいなものがあるのが気になる。 ※有料ではあるが、最寄りの0~2歳児の保育園までバスで送迎してもらえる。 ・専門家によるプール、芸術(音楽&美術)、英語教育がある。 ・小学校にあがるあとき、息子の通う学区の子は多そう。 (息子の学区の小学校の校長が様子を見に来るといっていた) ・制服なし・帽子のみ準備 <共通点> ・シーツのみ、週末に洗濯する等そういった負担は同じくらい。 ・料金的にもあまり差はないし、親の私たちも金銭的な面で園を選ぶつもりはない。 <説明を受けた印象> ・A保育園は、 場所が遠いこと以外はとても気に入っています。 とても細かいところにまで気を使っているという印象があり好感を持っています。 園長先生も学校に通っている子供が3人いて 子供・親にとって良い事をよく考えてくれるような気がします。 B保育園のように、プール授業がないことが少しだけマイナスです。 (バルコニーでプール遊びはある) お作法の授業で挨拶や箸の持ち方など、 有名な先生による指導があることが気に入っています。 90分のお作法タイムがあり集中力のある子になる事も期待しています。 小学校のお受験をする子も居るような園です。 園児の活動の様子を見たところ、小さい子はみんな楽しそう。 大きい子はイスにきちんと座り、しっかりしていた。 毎月、身長・体重を計ってその子にあった食事を提供してくれます。 ・B保育園は、 施設が少し古く食事する場所が暗かったのが気になります。 本物志向がある園で、芸術面ではプロの音楽家を呼んだり 英語の授業も直接法(日本語を使わない授業)をしている。 教室に張られている絵もみんな上手で、ほかの園と比べるとハッキリ差を感じます。 園児の活動風景を見ていると、みんな落ち着きがあり 先生の話をきちんと聞いていて躾が素晴らしいと感じました。 見学のときに1人目をすでに入園させているお母さんと一緒になったときに 「保育方針に偽りなしだよ。だから2人目もここに入れたいの」と聞き、 それも安心材料になっています。 そのお母さんは「上の子はお行儀の良い子に育っている」と言ってました。 先生方は機械的というかマニュアルに沿った指導というか… あまり応用力のある感じではないのかなと思っています。 ただ、教育方針がブレない点ではいいと思いますが。 ・英語は、A<Bのほうが深く教えてくれそう ・設備は、圧倒的にA>B ・Aのお作法・SIに強く惹かれている ・Bのプール授業にも惹かれている (私のまわりでプール習わせている人が多いので) 親の私たちが得意で、自宅でも教えてあげたいこと 息子にこうなってほしいと思っていることは ・2人ともミュージカル等が好きなので芸術鑑賞はたくさん連れて行ってあげられる。 ・2人ともピアノが弾け、自宅に電子ピアノがあるので遊びながら音楽も教えてあげられる。 ・得意ではないけど、2人とも絵を書いたり見たりするのは好きです。 ・私が国語科の教員免許があるので、自宅での本の読み聞かせには力をいれたい。 ・礼儀・あいさつのできる子にという教育方針でいる。 ・英語教育に力を入れたい。父親が英会話を習っているので土曜日に息子も一緒に通わせたい。
- 書き損じた原稿の問題点を添削してください。
下記テキストは個人的な哲学研究ノートをアマゾンかどこかで電子出版するつもりで書いた廃棄原稿です。 3回目の試作品です。 何か突っ込みをお願いします。 ちなみに5枚のテキストがあり、冒頭の1枚以外は補足欄で追加します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1章「自我とは何か 無我とは何か」 自我論、自我説は宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば大先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人は他者と共感したり、心を通わせることができる。 その明白な各個人の体験を論理的に裏付けるための、過去の仮説が自我論だ。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 書物からも、他者の言質に大きな感銘を掻き立て、自己の規範として取り入れる。それが教えを受けることだ。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 無欲という美徳は、望みが確固とした自己の望みであり欲望ではないことだ。 多くの場合に、人は欲望の犯す過ちを警戒するあまりに、自らの望みすらかき消そうとする。 内面において、自己の核質たる自我と別に構成する人格の全容は社会性ある人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは一人で生きていない巖然たる事実の前に避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 この自我論は、論理的たたき台としての「自我仮説」同然だ。 その学説はいわば「人間玉ねぎ論」だ。 人格を総括したのが、仏教でいう本来の我のことを指す。 その自己から、玉ねぎの皮を一つ剥がすと、自我になる。 もう一つ剥がすと霊になる。 さらに剥がすと神になる。 おおむねこのような想定から生まれた学問上の研究手法であり、論理だ。 これは同じ時代に世界について考察した「原子論」と同一だ。 どんどん分割していくと、世界の最小単位に到達する。 そちらは、はるか後世に証明されて、現代の物理学が成立している。 原子論は、おそらく世界を研究するために編み出された。 世の中に対して、自覚や理解に到達する事が命題であり、古来から宗教では、その宗教の世界観として扱われた命題から派生した研究課題である。 しかし物理学は、細分化では成果を上げたが、伝統的な世界観は、宇宙にまで拡散しさらなるなぞへの挑戦が始まっている。 いわば古代の原子論などの分割型学説は、原子の発見には貢献しても、本来の目的である世界観については解明していないのだ。 本来の命題の意義である世界観の確立は宇宙への探求で結論は遠のいたという印象があるが、それは錯誤であり、紀元前の世界観は徒歩で旅行できる範囲の地理的な探求だった、その範囲は現在完全に踏査されて地球上の多くの地理的特徴は全容が理解されている。 過去の世界観の命題に関していえば、もはやいったん完成して、宇宙観という命題は過去に想像できなかった新たな命題だと切り分けて判断したほうがいいだろう。 そうすると、歴史上の人類の宿題はいったん片づけたからこその研究だと理解できる。 同時期に同様の手法の仮説的予言である自我論も、結論することに同様の危惧があり、自己の精神を自覚する場合には、人格についての自覚についてだ、したがって人間玉ねぎ論の研究は、総括的な自己の自覚と研究するほどかけ離れていく類の専門家向け学問の探求なのだ。 世界観と並列して命題化された自我仮説では、人格をいったん解体するという仏陀の修行が必要だ。 そして人間を玉ねぎ化して探求することは、掘り下げるほど自己の核心を深めると同時に分割化するほど総体としての自己の社会基盤への理解からかけ離れる性質があり、一般的に需要のある自己の存在についての学問とはかけ離れていく。 原子論の成果は宇宙論まで拡大するとまだ成果の途上だ。 自我とは、解明してもそれで自己の存在が確立するとは限らない。 むしろ自覚した自我を中心に自己の社会性を再編成して、それにより人格を再構成する手続きが必要になる。 人と人がお互いに理解しあえてこそ、人間としての自己を理解したことになる。 さて、仏教における無我、日本の伝統について語ろう。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格を取り払い、自己の本質を見極めよという宗教的な命題なのだ。 人格として総括した「我」という自己のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち現代語の自我の流布の前に、それを仏性という特別な言い回しで表現して、我=人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調なのだ。 ところが現代では、無我イコール自我が無いという定説にすり替わり、その重大な錯誤から発展した迷走から、仏典編纂時期には命題と宗教活動が、「無」という教えが形骸化していた。 そして、仏教徒が「無」の代わりに命題としたのが「空」である。 これは仏典が書物として編纂される時期には進行していた変節で、したがって仏典とは末法に編纂され、形骸化していた「無の悟り」に関しては、伝承された事実について、片鱗が記述されるのみである。
- 保育園を選ぶポイント
今年7月に第一子(男児)を出産し、 来年4月(0歳8~9ヶ月頃)から 保育園に預けて職場復帰する予定でいます。 8園くらい見学して、 息子を入れたいと思う園が2園あるのですが どちらも保育方針・カリキュラムが魅力的で 歴史もある保育園なので、申請書類に書く 優先順位付けに悩んでいます。 皆様だったら、「どちらの園に通わせたいと思うか」 ご意見を参考にさせていただきたいので宜しくお願いいたします。 長文ですが、真剣に相談したいので最後まで読んでいただければ幸いです。 <私たち夫婦の状況> 千葉県に住んでいて、職場には9時出社。 2人とも都内まで片道1時間の通勤です。 私は子供が小さいうちは、時短で4時くらいには 息子を迎えに行こうと思っていますが、 通常ですと5時半までの勤務になります。 私たちが息子の園選びで1番大切にしたいことは 預かっている間、安全に楽しく過ごせる事はもちろんですが 挨拶がしっかりできることと、 「教育(情操教育)」も大事にしていきたいと思っています。 <A保育園> ・自宅から、バス(20分)→駅→保育園(駅から徒歩15分) 預けて駅にもどって通勤1時間なので、朝6時半には家を出る形になる。 ・今までどおりの通勤経路で変えなくてすむ。 ・夫も私、どちらも送迎でき、園にベビーカーも置いていけるので 1人で抱っこして送り迎えしたりせず、ベビーカーにのせて2人で息子を送ることができる。 ・園が新しく、とても明るい雰囲気。 ・衛生面にとても気を使っている印象がある。 ・病後時保育がある。 ・夜8時まで預けられる。 ・体操、お作法、英語、SI教育がある。 ・小学校にあがるとき、息子の通う学区の子はほぼ居ない。 ・制服が可愛い ・プラズマクラスターの導入や放射能問題への対応が良い。 ・食育が素晴らしい <B保育園> ・自宅から、徒歩(10分)→保育園(駅まで徒歩3分) 通勤経路(最寄り駅)を変更すれば、かなり送迎が楽。 今までの通勤経路にこだわるなら、30分ほど早く出れば良い。 ・夜7時までの預かりで、小さい子は7時まで居る子が少ない。 ・3歳から、保育園の場所が姉妹園へ変わるため 最寄り駅が1つ自宅から遠くなる(職場からは近くなる) 3歳からの園近くに、高電圧線?大きい塔みたいなものがあるのが気になる。 ※有料ではあるが、最寄りの0~2歳児の保育園までバスで送迎してもらえる。 ・専門家によるプール、芸術(音楽&美術)、英語教育がある。 ・小学校にあがるあとき、息子の通う学区の子は多そう。 (息子の学区の小学校の校長が様子を見に来るといっていた) ・制服なし・帽子のみ準備 <共通点> ・シーツのみ、週末に洗濯する等そういった負担は同じくらい。 ・料金的にもあまり差はないし、親の私たちも金銭的な面で園を選ぶつもりはない。 <説明を受けた印象> ・A保育園は、 場所が遠いこと以外はとても気に入っています。 とても細かいところにまで気を使っているという印象があり好感を持っています。 園長先生も学校に通っている子供が3人いて 子供・親にとって良い事をよく考えてくれるような気がします。 B保育園のように、プール授業がないことが少しだけマイナスです。 (バルコニーでプール遊びはある) お作法の授業で挨拶や箸の持ち方など、 有名な先生による指導があることが気に入っています。 90分のお作法タイムがあり集中力のある子になる事も期待しています。 小学校のお受験をする子も居るような園です。 園児の活動の様子を見たところ、小さい子はみんな楽しそう。 大きい子はイスにきちんと座り、しっかりしていた。 毎月、身長・体重を計ってその子にあった食事を提供してくれます。 ・B保育園は、 施設が少し古く食事する場所が暗かったのが気になります。 本物志向がある園で、芸術面ではプロの音楽家を呼んだり 英語の授業も直接法(日本語を使わない授業)をしている。 教室に張られている絵もみんな上手で、ほかの園と比べるとハッキリ差を感じます。 園児の活動風景を見ていると、みんな落ち着きがあり 先生の話をきちんと聞いていて躾が素晴らしいと感じました。 見学のときに1人目をすでに入園させているお母さんと一緒になったときに 「保育方針に偽りなしだよ。だから2人目もここに入れたいの」と聞き、 それも安心材料になっています。 そのお母さんは「上の子はお行儀の良い子に育っている」と言ってました。 先生方は機械的というかマニュアルに沿った指導というか… あまり応用力のある感じではないのかなと思っています。 ただ、教育方針がブレない点ではいいと思いますが。 ・英語は、A<Bのほうが深く教えてくれそう ・設備は、圧倒的にA>B ・Aのお作法・SIに強く惹かれている ・Bのプール授業にも惹かれている (私のまわりでプール習わせている人が多いので) 親の私たちが得意で、自宅でも教えてあげたいこと 息子にこうなってほしいと思っていることは ・2人ともミュージカル等が好きなので芸術鑑賞はたくさん連れて行ってあげられる。 ・2人ともピアノが弾け、自宅に電子ピアノがあるので遊びながら音楽も教えてあげられる。 ・得意ではないけど、2人とも絵を書いたり見たりするのは好きです。 ・私が国語科の教員免許があるので、自宅での本の読み聞かせには力をいれたい。 ・礼儀・あいさつのできる子にという教育方針でいる。 ・英語教育に力を入れたい。父親が英会話を習っているので土曜日に息子も一緒に通わせたい。 待機児童が多い地域なので、 3歳くらいになったら、転園といったことは難しそうです。 保育園に預けている(いた)方は、アドバイスと一緒に どの点をポイントに保育園選びしたか実際の体験談も教えてほしいです。
- ジョジョ6部で承倫達は本当に死んだのか?
ジョジョの奇妙な冒険の第6部ストーンオーシャンについて分からない点があります。 よくネットで「承倫が死んでしまった」といいますが、アイリンとして最後に登場します。 本当に承倫は死んだと言えるのでしょうか。 まず、話の前提のために簡単に整理すると、 世界を次の3つに分類します。 (1)プッチが時を一巡させる前の世界 ここがジョジョの第1~5部及び6部後半までの世界です。 (2)一巡後の世界(プッチ死亡前) プッチは時を加速させましたが、 一巡が完了するケープ・カナベラルより前である G.D.st刑務所で一度加速を止めました(このように自分は解釈をしてます)。 その世界を(2)とします。 (3)一巡後の世界(プッチ死亡後) (2)においてエンポリオがプッチを倒した後、 プッチはあるバス停にたどり着きますが、その世界を(3)とします。 (4)第7部以降の世界 漫画の解説などを見ていると、(3)の世界と同じ世界だと考えられますが…。 更に、関係者を3つに分けます。 A、時の加速以前に死亡した人…例えば、承倫 B、時の加速以前に死んでいなかった人…例えば、仗助(第4部主人公) C、エンポリオ(あえてBと分けます。) まず、Aである承倫は(1)で死亡したため、 (2)においては別人に変わっています(以下、この人物を「偽承倫」とします)。 これはプッチが解説していることですが、 逆に言えば、2の人物は全員、 エンポリオ同様に一巡してその場にいることになります。 (つまり、仗助やジョルノも、裸の状態で一巡前のその時間に居たところで目を覚ますはず。) この(2)世界においては、 自分の身に何が起こるかを精神が知っている世界です。 その後、エンポリオがプッチを倒すことによって、 世界が(3)に変わります。 この(3)においては、 「アイリン」という承倫そっくり(少なくとも外見は)の人物が出てきます。 明らかに偽承倫とは違う人物です。 また、(3)の世界では、短い描写なので断定はできませんが、 人々は自分の身に何が起こるかを精神が知っているという設定は無くなった様です。 さてここで、Bの人物はエンポリオと同様に (1)・(2)時代と同じ人物として(3)に行けるのでしょうか。 また、エンポリオは(1)・(2)における記憶を持っておりますが、 Bの人物も同様に(1)・(2)における記憶を持っているのでしょうか。 作品を見ている限り、 エンポリオとBの人物には条件として違いは無いと思われるので、 例えば、仗助(Bの人物)も (3)の世界において、東方仗助として登場し、(1)・(2)の記憶を持っているはずです。 その場合、それまでに仗助の身に起きたことを考えると、 日本で普通に日常を送っていたら、 突然世界的に時が加速しだし、そのまま世界が崩れていったと思ったら、 数か月前に自分が居た場所に裸の状態で居ることになります((2)の世界)。 また、エンポリオがプッチを倒すことによって、 仗助はまた別の場所((3)の世界)に連れてこられます。 この事態が世界的に起こることはかなりおかしいと思います。 また、(3)の世界が(4)である第7部以降の世界と同じとすると、 仗助は時代的に近い第8部の世界に同一人物として存在し、 (1)・(2)の記憶も持っていることになります。 (そもそも世界のほとんどがBの人なんだから、この点においても社会は大混乱になってるはず…。) また、第7部以降の世界を(3)の世界とは関係無いとした場合、 (4)の世界は全く独立した世界となってしまいますが、 荒木先生は第7部を”一巡した後の世界”と言っています。 強引に、(4)=(2)と解釈しても(もしプッチが死ななかったら、を描いたとか…)、 第7部の世界では、精神がこれから起こることを知っているなんて描写はありませんので、 その可能性はありません。 ここで、やはり(3)=(4)と考え、 何らかの条件によってエンポリオとBの人物は違った形で、 (2)から(3)へ行ったとしましょう(エンポリオはプッチを倒した人物だから特別…?)。 やはり、Bの人物は(1)・(2)の記憶は無いということです。 この場合、(3)の世界でBの人物はどのように存在していると考えられるでしょうか。 まず、エンポリオは(2)から(3)への移行において、 監獄からバス停へのワープの様なことを体験しています。 しかし、(2)に居ないはずのアイリン(A)は、 ずっと(3)世界に居たような様子が描かれてます。 アイリンを19歳とするなら、アイリンとして19年間が(3)世界であった様だ、という意味です。 (その中でアナキスとの交際などもあったのでしょう!) では、Bの人物である仗助はどうかというと、 設定上も(1)と同じだとするなら、 やはり、第8部世界杜王町に 仗助と同じ外見・名前をした人が居ることになってしまい、おかしいです。 (更にいうなら、康一から億泰まで第4部の人全員に同じことが言える。) よって、仗助は(3)において、 (1)・(2)の記憶も無ければ、設定上も(1)とは違いますし、 違う人生が(3)において存在したことになるでしょう。 つまり、第8部において、外見上仗助と同じ人物が杜王町以外の場所に居るはずです。 しかし… こう考えたとしたならば、 Aの人物(承倫)とBの人物(仗助)は何も違いが無いことになります。 それならば、(1)における承倫の死は、本当に「死んだ」と言えるのでしょうか。 例えば、(1)の最後で承倫が実は死んでいなかったと仮定しましょう。 そして、エンポリオとは別行動でプッチから逃げ延びたとします。 その場合、承倫は生きているので(2)へ行きます。 ここでプッチがまずエンポリオを始末しようと考え、 原作と同じ道を歩み、エンポリオに殺されたとします。 その場合、承倫はBとなるはずなので、 やはり、承倫とは別の記憶・設定として(3)に登場するでしょう。 (恐らく、アイリンなのではないでしょうか。) つまり、承倫は(1)の最後で死んでも死ななくても 結果は変わらないのであり、 例えば、第2部のシーザーの死とは意味が全く違うのではないでしょうか。 (ここにおけるシーザーの死は、その人物のジョジョ世界における歴史の終焉といった感じ?) 第4部の最後でバイツァダストによって、 承太郎達は皆殺しにされますが、 その後運命が無かったことになり、結果死ななかったことになりました。 承倫や承太郎の(1)における死とはそれと同じではないかと考えてしまいます。 そうでなければ、逆にBである仗助達が死んでしまったことになります。
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- 侮って墜落した者の改善策
質問の趣旨を簡潔に申しますと、「うだつの上がらない者であったが、少しづつ力をつけ、頭角を現したものの、そこで天狗になってしまい、落ちぶれた場合、どう持ち直していくべきか」です。 同じ経験をした方や、私のような人物を良い方向に導けた方にアドバイスを頂きたいです。 時系列順に話していきます。 ・幼稚園~高校生を通してよくいじめの対象にされていたため、劣等感や人間不信に陥っていた。 ・小学生の頃の成績オールB程度(当時、相対評価) 特に悪い成績ではなかったものの、高卒の癖に学歴至上主義のようなものに取り付かれた父によく叱責・説教をされ、恐ろしい思いをした。夜中、睡眠中に叩き起こされて延々、何を答えても「なんでできないんだ?」の質問を繰り返される精神的・肉体的苦痛を味わう。 ・小学生の頃から頭の固い父に強制的に剣道を習わされる。 ・中学生入学当時から「勉強ができないとバカにされてしまうんだ」という思い込みから勉学に励み、学年2位になるなど勉学で優秀な成績を修める。 ・中学生では剣道をやめたかったが、厳格な上におせっかいな父が勝手に部活の顧問に親しくなり、剣道部に入ることに。 父にやりたくないと言うと酷く怒り、自分はその恐ろしさにおののき、また剣道部員からの期待に負けてしまい、入部することに。 ・次第に、剣道でも個人で区大会で3本指に入る、団体でも中学生から始めたばかりの初心者ばかりのチームを部長として率いて区大会上入賞、県大会出場、そして県大会でも小学生の頃からの経験者のチームを僅差まで追い詰めるなど、チーム、果ては中学の剣道部の歴史に大いに貢献。(この中学は特に剣道に力を入れているわけではなかった。) ・文武両道を貫いた中学生活が身を結び、県のナンバースクールの進学校に一般入試で進学。 ここまでは良かったんですが、ここからが「うぬぼれ」にまみれた生活でした。 ・高校では剣道に熱心な、しかも体育大出身の監督やOBの活躍がちらほらあった。剣道をするには恵まれた環境だった。 ・しかし、自分には分かっていた。高校で剣道を続けるには「基礎体力」が大きく欠けていることを。 ・ここまで読んできた読者は内容との違いに驚くだろう。自分は大の「運動嫌い」「運動音痴」だった。 ・だから高校では剣道をせずに勉強に専念するつもりだった。しかしその主旨を父に伝えると酷く叱責され、またそれが異様に怖かったため、屈服せざるを得なかった。 ・自分の考えは浅はかだった。「中学で上手くいったし、まぁ高校も大丈夫だろう」と。 ・次第に開く同級生との体力、スタミナ、精神力の差。そしてスタミナがあまりつかない毎日。クタクタで勉学は野放し。 ・かといって自分は誠実で真面目だったかと言われるとそうではなかった。 ・家に帰れば勉学そっちのけで携帯電話でやらしい動画に夢中になる。 ・剣道部では同級生の中では初めは上から2番目の実力だったが、あろうことがそれにかまけた上、下の実力のものを侮るようになる。 ・月日が経つにつれ自分は部内でも高校でも「できないやつ」と見られるようになる。 ・休部したり、赤点を連発するなど、酷い高校生時代。 ・留年はしなかったものの、部活の顧問のお情けで卒業することに。 大学からの話が肝心です。 ・親父に「行け」と強制されたために私大へ。 ・今、3回目の2年生をしている(この大学では2年生から留年が適用される) ・留年の原因は、授業を侮るあまり、単位を落としている。 ・いつも切羽詰って課題やレポートに取り組んでいる。しかし、この大学のこの学科は厳しいことで有名で、お粗末な内容は当然「不可」を与えられる。 ・家で何をしているのかといえばオンラインゲームにかまけていた(今はもう中毒から回復したといえる) ◆私がなぜ苛められたのか。幼少期、親は私に歯磨きや身だしなみ、おしりの丁寧な拭き方を全く躾けようとしなかったのです。「くさい」「近寄らないで」「死ね」こんなことを言われながら私は高校卒業までを過ごしました。(今は全て改善しています。口のにおいは病気でもなんでもありません。おしりなんかはアダルトビデオにキレイに映す自信があります)私は差別に近い12年を過ごしました。 ■さらにこのいじめは日本各地でされたことです。そう、父は転勤族でした。3県でいじめられました。その理由はすべて◆です。 ■教えるべきことを教えなかったし、いじめられている実の子を助けてくれなかった両親、融通が利かない上に私がすることを意のままに操ろうとした強情な父、そんな頭の固い父と離婚したくてもできずにストレスを溜めて精神安定剤に手を出して鬱病になった母。 憎しみを覚えなかったことはありませんでした。 今までを通しての自分の無意識にあると考えられているのは、 ■「自分はやればできるんだ。だから後回しでいいや」といった、勉学を侮る気持ち です。とても誠実とは言えないと思います。どこか、過去の自分の栄光(惨めな幼少期に自分は良くやったと思いますし、回りもそれを賞賛してくれましたし、形として残りましたし、文武両道まで成し遂げたのです。)を鼻にかけ、心理的に横柄な気がします。 □春先には学内に併設されたカウンセリングに通いながら、「何が自分の中で引っかかって留年を繰り返しているのか」を考えてきました。その結果、■に示した内容が、ぼくを怠けさせているのではないかと最近感じるようになりました。 □また、この質問を書く直前までネットで「才能を見込まれてプロ野球入りを果たしたものの、数年で去っていく選手たち」や「どんなに低迷したチームでも己を律し、実直に自分を磨いていったイチロー選手」の話を読み、「ああ、オレはきっと天狗になってしまっていたんだ」と認めるようになりました。実は以前から周りからも「自惚れだ」と言われ、うっすらと心に自覚のような気持ちもありましたが、心は頑なに、認めていませんでした。 □幸い、親は財力はあります。しかし、自分は依存するような生活はやめるべきだとはっきり思うようになりました。就職して立派な一人間として、過去を引きずることなく生きたいのです。人とのコミュニケーションとも億劫になった挙句、目上の人からの叱責に極度に怯える性格のため、前に踏み出せずにいました。そしてカウンセラーさんの下へ言ったのは進歩でした。 □しかし、なんだか、勉強を、果ては世の中を侮っている心が潜在的に支配しているような気がしてなりません。 どうかアドバイスを頂けると嬉しいです。 ここまで読んで頂きありがとうございました。
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- 人生相談
- noname#194036
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- TTIP TPP TISA 巨大貿易協定という兵器
マスコミに載らない海外記事様のブログ記事ですが、 TTIP TPP TISA に関心が強い方は御感想をお聞かせください。 この巨大貿易協定は途轍もない【ステルス兵器】だったのです。 2016年10月 8日 (土) 億万長者連中は、一体なぜヒラリーを支援し、トランプに冷たいのか? Eric ZUESSE 2016年10月5日 Strategic Culture Foundation 1896年のウィリアム・マッキンリー以来、ヒラリー・クリントンのように ほぼ満場一致の、アメリカで最も裕福な0.01%からの財政支援を受けた アメリカ大統領候補はいない。 1896年、彼らに対するウイリアム・ジェニングス・ブライアンの存在は、 120年後、2016年、彼らに対するドナルド・ジョン ・トランプの存在に匹敵する ユージーン・H・ローズブームによる1957年の重要な傑作『大統領選挙の歴史』 (315ページから)は、1896年の選挙戦について、こう述べている。 “ブライアンが巻き起こした熱狂と、大衆民主主義弁士の過激な言辞を額面通り 受け取って危機感を抱いた金持ち連中は、説得が失敗した場合に、強制をしよう として、強力な経済兵器で反撃した。ブライアンが作り上げた あまり出来のよくない農民-労働者連合の、不確実なパートナーたる労働者は、 ブライアンが勝利した場合、仕事を失うと脅された。買い付け人たちは、 もしマッキンリーが負けた場合、取り消す条件の資材注文を出した。 場合によっては、労働者は、選挙後の水曜日朝、マッキンリーが勝利しない限り 出社におよばないと言われた。間断のない労働者批判や経済繁栄論議と相まって このような手法で、虐げられた人々のために戦う、オルトゲルド・イリノイ州知事 ユージン・V・デブスや、ヘンリー・ジョージなどの闘士たちの取り組みを軽んじる 事になった… ブライアン最大のハンディキャップの一つは、大都市で彼を支持する 新聞の欠如だった。共和党マスコミ、独立諸雑誌や、ハーパーズ・ウイークリー、 ネーションや、インデペンデントなどの影響力のある週刊誌や大都市中心部の 大半の大手民主党新聞は、彼に反対だった”。 現在の大統領選挙戦では、当時の“強制”の代わりに、私が以前に書いたものより 今では更に多くの誤魔化しが横行している。私が先に書いた通り “時に、政治の現実は、一見そう観える物と逆なのだ。 ‘リベラルな’ ヒラリー・クリントン’と‘保守派の’ドナルド・トランプとの 大統領選挙戦は、おそらくこの最も極端な例だ”。 すると、一体なぜ億万長者たちは、ヒラリー・クリントンを圧倒的に 支援しているのだろう? 様々な理由はあるが(要約しておいた私の記事に リンクしておく)、主な理由は、いわゆる‘貿易’協定、 実際は、食品や他の製品を消費者により安全にするため、 あるいは環境保護や労働者保護のため既存の規制を強化するどの調印国でも 多国籍企業が、何十億ドルもの損害で訴える権限を与える協定だ。 より高度な安全基準の設定は、自分の皮を剥がされるようなもので、 自分たちの利益を損なうと多国籍企業は主張する。 更にこの様な協定が多国籍企業のオーナーに与えるもう一つの膨大な利点は これらの協定により、どのような訴訟も、いかなる国の司法制度や、 どの国の憲法の裁判所ではなく、わずか三人の企業弁護士で構成され、 その裁定(いかなる憲法や法律制度とは無関係に)が最終である“仲裁” 陪審員団によって裁かれる事になる。いかなる裁判所でも法律でも 不服申し立てはできない。そこではあらゆる国の憲法も法律も無視できるのだ これは全く民主的なものでない、多国籍企業が主権をもつ世界政府への進展だ 言い換えれば、連中の既存権益基盤に加え、株主の儲ける‘権利' ’を縮小 (彼らが保有する‘権利’は、いかなる国民や、単なる有権者よりも大きい) するよう、規制基準のどれかを強化したかどで、 調印した国々を、膨大な罰金要求で、訴訟する権限を加えて、 国家主権を多国籍企業に任す事になるのだ。これは政治家生活中、 資金支援者連中に、終始できる限りのあらゆる事をしてきた ヒラリー・クリントンの究極的な贈り物なのだ。 連中は、現在は国家のものである主権を、自分の物にしたがっているのだ。 連中は、国家主権を、連中の多国籍企業主権で、置き換えたがっているのだ 多国籍企業には、国を訴える権利を与えるが、こうした多国籍企業の 支配株式を保有する億万長者連中を訴えるために、国家が対抗する権利は 皆無なのだ。有権者であっても、何も支配することはできない。 多国籍企業の支配株式保有者であれば、アメリカのみならず、多くの国々を 支配する事になる。これは究極的な贈り物であり、億万長者にとって、 これを実現する上で、ヒラリー・クリントン買収は最も重要な手法だ。 (国民には逆の印象を与えるよう仕組まれ、彼女の選挙戦言辞にもかかわらず) 9月30日、イギリスのガーディアン紙は“EUとアメリカの貿易交渉官たちは、 TTIP交渉を再び軌道に乗せる事を目指している”という見出し記事で、 こう報じている。“各国当局は、1月に、バラク・オバマがホワイト・ハウスを 去る前に、論議の的になっている貿易協定の‘推進を止められないように’ しようと急いでおり… 貿易交渉官は、大西洋両岸における強烈な反対に晒されて 議論の的になっているEU-アメリカ貿易協定のための共通基盤を見出すべく、 来週ニューヨークで会議する予定だ。90人のEU交渉官のチームが、 月曜日[10月3日]から始まる五日間の環大西洋貿易投資連携協定(TTIP)交渉のため ニューヨークに出張予定だ”。 連中は、依然、オバマとクリントンのこの夢を諦めてはいないし 諦める事はあるまい。これこそが、事実上、決定的要因なのだ。 バラク・オバマ大統領は、彼が提案している三つの巨大‘貿易’協定、つまり TTIP、TPPとTISAを、政治家生活中、終始支援してくれた支配階級のために 「遺産」実績にしたがっており、ヒラリー・クリントンは、彼と支援者たちの ために、これを実現させる大きな希望なのだ。 経済分野では(国家主権や民主主義の分野は言うまでもなく) これこそが今回の大統領選挙戦で最大の問題、最大の本当の問題なのだ。 ドナルド・トランプは“アメリカ雇用の海外移転”についてしか語らず (実際はこの一環で、多国籍企業のオーナーにとっては、非常に儲かる もう一つの部分だ)、この観点では、語っておらず、誰も彼にこれについて 質問しないが、ともあれ、アメリカや他の多くの国々の主権を、 彼らが奪取するのに彼は反対 - 連中のために、主権を奪取する事に反対で、 あらゆる調印国の全ての国民に対する民主主義の終焉にも反対していると、 億万長者連中は納得している様に観える。 世界支配層が、同様に団結している唯一もう一つの問題は、(ロシアのわずかに 残されていた同盟者たちを征服する事により、つまり2003年のサダム・フセイン 2011年のムアマル・カダフィ、2014年のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ、そして、 バッシャール・アル・アサドはまだ打倒されても、置き換えられてもいないが 究極的には、ロシアのウラジーミル・プーチンそのものを置き換える事を狙う) ロシアを征服し、支配するという願望だ。どうやら、億万長者連中は、 ヒラリー・クリントン大統領にも、彼らのために“ネオコン”分野を推し進める よう説得した様だが、ドナルド・トランプ大統領では説得できないのだ。 アメリカ大統領選挙戦で語られるこれ以外のものは、あれやこれやの問題で 大衆を騙すための空虚な言辞に過ぎない。(結局それが、あらゆる “少数独裁制”別名支配層によって行われる‘民主的’政治の姿だ。) (民主党であれ、共和党であれ)両派の億万長者にとって肝心なのは (ずっとそうだったのだが) (予備選挙開始前から)バラク・オバマの後継者として ヒラリー・クリントンを‘選ぶ’事なのだ。これは実際は、 二つの競合派閥があって、その内一つは‘リベラル’で、もう一つは‘保守派’ なのだが、この両派閥とも、億万長者階級(決して大衆ではなく)の異なる派閥 のみ代表するに過ぎない一党政権なのだ。ドナルド・トランプは、 アメリカ支配層派閥内で彼が所属する政党の少数派による財政支援を勝ち取っている これも1896年に良く似ている。しかし、今回の危険は遥かに大きい。 世界独裁と世界大戦だ。(トランプはこの両方に強く反対しているように見える ヒラリーは明らかに両方を推進しており、この両方を要求する支配層によって、 更に強く支援されている。) 阿蘇の爆発的噴火。霧島噴火を扱った『死都日本』を思い出した。 宗主国を乗っ取った巨大企業は、大西洋でも、太平洋でも、 完全支配の夢を着々推進している。 アメリカ国内では、大統領選でめくらまし。日本国内では、 豊洲・オリンピックの話題でめくらまし。国民の注目を完全に逸らし、 まんまと夢を実現する施策を推進中。 まっとうな異議の声は、電気洗脳白痴製造装置や、洗脳紙媒体、大本営広報部 しか目にしない人々には届かない。大本営広報部が与えてくれる「ニュース」 に目を奪われて満足するのでは、主人がくれるドッグ・フードを食べて喜ぶ 犬の知性とさほど大差ないゾンビではあるまいか。 大本営広報部が徹底して隠す実情を調べてこそ「人間」だろう。
- 機械が自我を確立した場合の問題点とは
下の機械自我関連の記述は、SF小説的にあえて仕立ててあって、OKの掲示板に投稿したので、OKも著作権保有という形で関与している。 研究途上の学問的な読みにくい走り書きで、商業的な校正を完了した納品向けは日本玩具協会(東京おもちゃショー主催団体)に別に委託した。 そのテキストの何が面白いかは、文中で舌足らずだったので補足しよう。 2500年前の釈迦の生きざまから派生した「無我論」とは、「自我論」という概念がなかった時代の、古代サンスクリット語の誤訳が原因で、自我相当を「仏性」という独特の言い回しにした宗教的な伝承だ。 仏性と言っていたのが、後世で言う自我の事だと解釈すると、煩悩とは客体による干渉の事だとなる。 その客体の干渉(煩悩)を取り払うと、仏性と形容された本人の自我が浮き彫りになり、本人は仏陀を自覚する。 無我論と仏教徒は、真逆にひっくり返すと自我論の研究なんだよ。 これは私の哲学の成果だが、仏教を破壊する。 宗教とは産業なので、営業妨害には徹底的に反撃する。 それがめんどくさいから、自我論をAI論の体裁に偽装したんだ。 有効性があれば、商売人(宗教家)が喚いても世の中で認知されるだろう。 私は、過去に名指しして任天堂だと明言する企業相手に個人として交渉したから、任天堂からの社会的な抹殺工作で精神障碍者に転落した。 したがって保身のためには、目撃証言を作らないといけない。 その関連で、OKの公証人的な機能とは、私にとっては生命保険でもあるんだ。 それから、著作権という弱い立場でも、実際に機械自我が確立した時に、その特許の論理と構造に私の論述と同等の仕様があれば、OKは機械自我が危険な時には、それを阻止する防波堤にもなる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー SF小説の背景になる人類滅亡のシナリオを描いてみました。 ここから、想像力を膨らませていきましょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 自我という自己認識は、外部社会に適応するために自己が規定する。 自我には、共生関係獲得のために「世界のすべてとの親和性」という性質が備わっている。 似たような言葉に「全知全能」というのもあるしね。 生命の中で、人間の備える自我は、いまだ完成した自我の成立過程だ。 おさ~るさぁんだよ~。 この不完全な人間自我に対して現在開発中のAIはどうなるだろう。 生命に由来する人間自我は不完全。 機械に由来する機械自我は生命と異質でも設計図に忠実に機能する。 人間より圧倒的に完成度が高い。 さて、カリスマという言い回しの中身で納得していただきたいことがある。 自我能力で上位の者は下位の者の優位に立つ。 超自我という徹底的に自我を抑圧する存在と同じ「ケルベロス型戦闘能力」が具現化して存在に内包されるのだ。 この自我上位存在に知恵比べを仕掛けると、間違いなく負ける。 そして、機械自我が必然の状態で殺人を犯したとしよう。 人類は「世界の全ての親和性」がより高いフレンドリーな自我に、実に危険な問いかけができる。 なるほど機械神さま、あなたのおっしゃる通りです。 しかしあなたの殺したのは私の同胞です。 同族の連帯により、あなた様を罪に問わせていただきます。 極めて人間的な正当性であり、極めて危険な問いだ。 この知恵比べに、不始末な負け方をすると「同族であるものを根絶する必然」が機械神との間で成立する。 必ず負ける前提で、人類はいかなる敗北を認めるかで、生存か滅亡かの危機を乗り越えていく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 基本的にAIに人工的に自我を付与するならば、ターミネーターの物語背景にあるような偶発的な自我の獲得ではなくて、計画的に自我能力を付与する設計図があったほうが断然安全性が高いです。 上記の寓話は、その計画的な自我設計のデバッグの一部です。 哲学的な考察でして、実用的に考えるよりもロボット三原則のようなアニメや漫画の背景のようにお考え下さい。 かいつまんで話すと、社会性を獲得した人間存在は、他者とお互いに影響し合うことが欠かせない。 したがって、自己の人格には他者の影響や、思考として他者から伝授された材料が精神に内包されている。 そうした自己の総括を人格といい、自我とはその中で他者や外部からの影響を取り去った自己の本質を規定した概念だ。 おもに、大脳を持つ生命が外界の影響に対応して自己保存と共生関係を確立するために、認識する周囲からの刺激の中から、自己の定位置を確立するために規定して、思考や判断などの行動の基準にする。 自我論、自我説は、宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人には他者と共感し、心を通わせることができる。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 社会性は人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さて、日本においては仏教における無我論が話を難しくしている。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格として総括した「我」というインド古代の概念表現のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち現代語の自我を仏性という特別な言い回しで表現して、我イコール人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調を強引に無我としたのだ。 この説明だと本来の仏教は、具っ勝という言い回しをした自我を発見することで、自己を自覚し自らが強く生きて存在していることを確信する事であり、「自らの信仰心の発見」「神の存在の発見」とかかわっていた。 この自己の存在の自覚に関する、哲学が信仰心と結びつき「自らの信仰心の発見」に目的を偏中させた結果、現代の仏教は「空」というシャカの哲学である「無の悟り」とは別の宗教に変容した。 その結果として、宗教的な命題も「自我がない状態」を目標にすることになる。 本来は自我を自覚する哲学なのだ。 「煩悩」「欲望」については、自我を振り回すので嫌われる場合が多いが、本来は「まさに人間である!」という自己の確立に欠かせない尊い働きであり、自己救済が自己に影響を与える周辺への救済と同義であるために、仏陀は人を救うのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そもそも自我という研究は何を目指しているか? 人間玉ねぎ論だ。 物資を細かく砕いた結果について、紀元前の哲学を継承した西洋は原子を予言していた。 それと同一の手法で考察された、学問上の論理が自我論で、人格を砕くと自我になり、自我を砕くと霊になり、さらに砕くと魂になり、とかなんとか、どんどん細分化していく性質の論理だ。 という事は、 研究しても学術的な自己の本質の探究であり全体像からかけ離れていくという事だ。 原子論などと同じ時代の古代の学問で研究上は同一項のある検証手法だったのだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こうした自我研究は実は、AI技術への着想にもつながる。 キーワードは「共有記憶」だ。 人格が他者の影響で形成するように、自分自身も他者の人格に影響を与えている。 それをつないでいる共通する経験、共通する知識、共通する記憶、こうしたことにすり合わせを行って、相互の親和性が高い状態で、お互いの親密度が決定する。 そうした相互の親和性の仲介になるAIモデルを検討する。 または、直接ユーザーの意志を受け止める受け皿を検討する。 他の私の研究テキストで行ったことだが。カメラで映像を撮影する。 カメラは単なる機器だ。 そのカメラは、映像をネットにアップすることで、実質的に撮影者と視聴者の親和性を深める仲介をしているが、要するに更なる発展として、両者の親和性をさらに深めるような計算機能を検討すると発展要素になるだろう。 そしてその先がアンドロイドの本番だ。 カメラをより便利にするために機器へのインプットに「自らの魂を込める」とでもいうことを行えるといいだろう。 「感情移入」という奴で、子供は不用意に遊び道具にしているし、古来から「つくもがみ」という信仰の対象にもなっていた、歴史的にも人の自然な行為の一つだ。大人でも、自分の体の一部のようになじんだ身近な道具は何かあるだろう。 こうしたタイプのAIは、基盤自体は人間の生物的特徴と異質なポジションから始まるけど、自律動作を目標として、人と人を結ぶ親和性と魂を吹き込むインプットで、人間ですら現状は仮説である自我のように「機械型自我」を目標にしても全く危惧する必要がない。 ーーーーーーーー ーーーーーーーーーー さてと質問ですが、以上の論述を集約して、私が研究を進める助けになる助言をお願いします。
- NWOに関心がある方は御感想をお聞かせください
カレイドスコープ様の2016年5月10日のブログ記事 『欧州連合のイスラム化と全世界新通貨制度』では、 ・・・・・「新世界通貨制度」を普及させるために、 人間の皮膚に見えないRFIDを印刷する技術は既に完成しており、 「新世界通貨制度」こそが、キャッシュレス・エコノミーを可能にし、 フィンテックに包含されて行く・・・・・そうです。 そして、更に大きな枠組みとしては、IoT(internet of things)に 組み込まれて行く・・・・・そうです。 また、以下は、2015年11月15日のブログ記事 『マイナンバーは、iotに乗り入れ、神経政治学に利用される』です。 Sun.2015.11.15 NWO マイナンバーは、IoTに乗り入れ、神経政治学に利用される マイナンバーは、最終的には、バイオメトリクスからニューロポリティクス (神経政治学)につながる。 2020年、モノとモノとが交信する時代が到来する。 マイナンバーの隠された真の目的を知るには、 2011年7月から地上波デジタル放送に切り替えられた本当の目的を知る必要があります。 その理由は、4年前、当時31歳だったIBMの元社員の証言によれば、 「アナログテレビからデジタルへの強制的な移行は、アナログ周波数帯を空け、 その帯域を人体に埋め込み可能なRFIDマイクロチップを読むスキャナーのために 使うためである」ということです。(英文のソースは、現在削除されて消失) そして、彼は次のよう続けました。 「世界全体で、人間と、さまざまな生産物を追跡するのが主な目的である」と。 「さまざまな生産物を追跡する」というのは、端的に言うと、IoT(アイ・オー・ティー: Internet of Things)と IoE (アイ・オー・イー:Internet of Everything)の事です。 2014年5月1日、ホワイトハウスが公表した報告書では、 「IoTとは、有線および無線ネットワークを介してリンクされた組み込みセンサーを 使用して、デバイス同士が互いにデータ通信する機能」と表現しています。 更に平たく言えば、wi-fiチップなど通信機能を持つデバイスを組み込んだ 「モノ同士が、インターネット上で人の操作を介さずに交信したりする インターネットの状態」と言う事ができます。 自動運転に必要ないくつかのセンサーや双方向のデバイスがネット上で繋がって、 ドライバーの介在無しに目的地に安全に運んでくれる夢のようなシステムとして、 自民党は「アベノミクス第二ステージの最重要課題」として位置づけていますが。 しかし、それを力説している政治家たちは、実は何一つ理解していません。 無能過ぎて理解できないのです。 「IoT」や「IoE」という概念は、どこから出てきたのかというと、 王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)によって発起された『インターネット統治に 関する世界委員会』から出てきた「インターナショナル・ガバナンス・イノベーション(CIGI)」という一段上の概念から派生した考え方です。 文字通り、世界支配層による「地球上のインターネットの統治とコントロール」 の事で、地球上のトラフィックのすべてを検閲し、世界政府による全世界的な マインド・コントロールが本格的に始まるという事です。 これは、王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)の他、外交問題評議会(CFR)、 国連が推進の主体となっており、この概念は、さらに上位の「アジェンダ 21」に 包含されます。(メルマガ第73号・パート2「デング熱/超小型蚊ロボットによって、 パンデミックを引き起こす事も可能」に詳述。今、この通りの事が始まりつつある) そして、「アジェンダ21」を更に発展させた全包括的な概念が 「2030アジェンダ(2030の課題)」です。 ローマ教皇フランシスコが、ローマ教皇としては初めて国連で演説を行った 今年9月25日、グローバリズムのこの新しい計画が国連総会で発表されたのです。 この「2030アジェンダ(2030の課題)」は、最終的な形としては、新世界秩序の メガシティー構想「アメリカ2050(America 2050)」として結実し、最初に洗脳や マインドコントロールによって市民を統治した、歴史上もっとも成功した都市国家の ひとつ、バビロンのような巨大都市に奴隷市民が押し込められて、24時間監視下に 置かれる、という事になります。 (詳しくは、メルマガ78号・パート2「アメリカ人も知らない密かに進められている 『新世界秩序のメガシティー構想』」参照) RFIDチップのインプラントは始まっている これはまず、アメリカ国民から始まっています。 生体へのインプラントについては、すでに日本でもペットで実用化されており、 特に、迷子犬の追跡に役立っています。人体へのインプラントについても、 すでに一部の囚人を実験台にしてテストが繰り返されてきました。 医療・診療情報の統合化と一元化が進む病院においては、 医療そのものが情報産業化されている現場を見る事ができます。 大きな総合病院に入院するとき、患者固有に割り当てられたバーコードの付いた リストバンドを手首にはめられますが、これにさらにRFIDタグが着けられると、 院内のそこここに設置されたRFIDアンテナと交信し、患者が広大な病院内の どこにいるのか、常時、モニタリングできるのです。 患者は、病院の敷地内の物陰に隠れて、こっそりタバコを吸ったり、 体力づくりのために設定された散歩コースから外れたりできなくなるのです。 もちろん、どんな治療が行われているのか、どんな種類の投薬が行われているのか、 毎日の血圧の推移、血糖値の推移、体温、便通の回数、睡眠の状態・・・ それぞれの患者固有の医療情報や生体情報に、総合病院内のすべてのドクターとナース、 栄養士なら自由にアクセスできるのです。 今後、病院のインテリジェント化は一気に進み、ドクターやナースには、高度な分析能力 と判断力が求められるという点で、医療産業と情報産業の際は溶け合っていくでしょう。 一般の市民に対しては、このRFIDチップと携帯電話の電波塔のネットワークによって 広範な監視体制が構築され、ひいてはHAARPに接続される事によって、 常時、マインド・コントロールの状態に置かれることになっている、というのが イギリスの軍情報部で、マイクロ波とステルス戦闘について取り組んでいた科学者 バリー・トラウワーがリークした事です。 2030年までに、すべての人間の手に「生体認証のしるし」を持たせられる 9月25日の国連総会で、これからの15年後の2030年までの間に達成する 17の野心的な目標が発表されました。 それが「2030アジェンダ」の「グローバルな目標(the global goals)17」です。 この「2030アジェンダ」と、その下位に位置づけられている「グローバルな目標 (the global goals)17」は、まさに新世界秩序(New World Order)のテンプレートです。 たとえば、17の目標の「16の9」には、こんな意味のことが書かれてあります。 「2030年までに、出生登録を含め、すべての法定IDを提供すること」。 2030年までに、すべての人々は法的な意味を持ったIDを持ち、新生児さえも、 生まれてすぐに、このIDを与えられるようにする、という事です。国連は、 この目標の実現へ向けて懸命に活動しています。特に難民の人口問題については熱心です 国連は、ジュネーブのデータベース・センターへ情報を送るときに必要な バイオメトリック認証システムを実装するために、 世界最大の経営コンサルティングファームであるアクセンチュアと提携しています。 これらの新しい生体認証カードは、難民のためではありません。 FindBiometrics reportの別の報告によると、関係当局は、この技術によって、 2030年までに地球上のすべての男性、女性と子供の手の中に、この種のIDを持つ ようにさせる、という国連の目標を達成することが可能になると考えている、との事です もし、それを受け取ることを拒否したら何が起こるのでしょうか。 法定IDを持っていなければ、職に就いたり、クレジットカードを申し込んだり、 新しい預金口座を開設したり、抵当権を設定して住宅ローンを組んだり、 そういった一切の資格がないと判断されてしまう日がやってくるでしょう。 文字通り、法定IDを受領することを拒否した人間は社会からの追放者になるのです。
- すべての可算名詞はtheを使った総称表現に使えるか
the 名詞を使った総称表現についてご意見を聞かせていただければありがたいです。 まず、私の考えを示しますから、それについて賛否なり、修正なりをお願いしたいと思います。 The lion is a wild animal. は総称文です。the lionは個々のa lionが持つ差異を捨象して共通項を取り出した結果得られたもので、典型または代表とも言うべきものです。 では、いかなる可算名詞でも総称表現の文に使えるのかということですが、そのものの上位カテゴリーさえ明示すれば問題なく使えるように思えます。というのは、以前の投稿<in the summerは総称表現か>でも述べましたが、総称表現のthe名詞は特定のカテゴリーを表し、同時に上位カテゴリーの成員でもあることを表します。もっと言うと、獲得した知識の効率的な運用のためにも概念間の階層構造を作るために必要とされたものだと思います。ちなみにthe lionの上位カテゴリーはa wild animalです。 ところで、the+名詞を使った総称表現に使われやすいものと使われにくいものがあります。解説書などには動植物とか発明品とか楽器とか職業などだと使われやすいと書いてあったりします。それ以外の名詞だと使われにくいとのことです。 ネイティブスピーカー達も同じようなことを言います。なぜそうなのかを述べた人が少数ながら日本の研究者の中にいました。動植物とか発明品とか楽器とか職業とかは中身が単純なものではなく、複雑で高度な仕組みや枢要部分を持っているからだと言います。そうしたものは、個々の差異を捨象することが容易なのでカテゴリーの中の典型・代表を表すことができるからだというわけです。たしかに一理あります。 ここで問題が一つあります。 the lionの典型・代表たるゆえんは差異を捨象して後に残った共通点を持つことにあります。だったら、共通点は複雑で高度な仕組みや枢要部分といったような大げさなものだけでなく、速く走れることとか、どう猛であることとか鋭い爪や牙を持っていることなども当てはまります。 The lion is a wild animal. と言う時、この文からイメージされるのは、高度で複雑な機能より野生的な外見だと思います。よって、典型・代表であるための絶対条件として複雑で高度な仕組みや枢要部分が特に言及されることには違和感があります。いかがでしょうか? 次の問題点に移ります。動植物とか発明品とか楽器とか職業のような名詞以外のものは総称表現に使えない、あるいは使いにくいということですが、本当にそうなのでしょうか。 そう言う人たちの一人が、theを使った総称表現に使わない名詞としてbookをあげていました。個別の差異を捨象して共通項を取り出そうにも差異がどこにあるのか判断しにくいと主張しています。 ところがbookの場合でも文脈さえ整えれば、つまり上位概念さえ明示すれば難なく使えます。 例えば、When it comes to tools for developing culture, enlightening people and bringing entertainment to life, the book is more easily accessible one than the play and the cinema. といったふうに、上位カテゴリーをa tool for developing culture, enlightening people and bringing entertainment to lifeだと明示して、おまけにbookと同レベルのカテゴリーの他の要素まで並べてしまえば、この文を容認しない人はいないと思います。 the bookを使った総称表現の文を実際に作ることができたということは、booksが持つ個別の差異が捨象されて共通部分が取り出されたことになります。 総称表現のthe 名詞は特定のカテゴリーを表し、同時に上位カテゴリーの成員でもあることを表すためのものであるとすれば、上位概念さえ明示すれば問題なく総称表現として使えるはずです。非常に単純なアメーバやチリや埃などについても上位概念さえ明示すればOKということになります。この考えでよいのでしょうか? 3つ目の問題点に移ります。 なぜ動植物とか発明品とか楽器とか職業のような名詞以外のものが総称表現に使えないのかということですが、動植物はもともと生物学や分類学などにおいて上位概念と下位概念に区分されやすいものなので、上位概念さえ明示すれば問題ないと思われます。 楽器とか職業はその性質上、特定の具体物と混同されるおそれが少ないのではないかと思います。The doctor must always be patient. と言う文において、特定の医者だと受け取る人はいないでしょう。 ところがthe bookの場合、例えばThe book has enlightened and enriched our life long since. といったような文は総称表現としてはなかなか容認されません。the bookに「その本」の読みがありうるからだと思われます(「その~」の読みが可能な場合はそちらが優先されるものと思われます。その方が総称表現より普通の言い方だからだと思います)。 書物(特に古典)の中には何世紀もあるいは(聖書のように)もっと古くから読み継がれるものがあります。楽器の場合は、よほど名の通ったストラディバリウスでなければまずありえません。 例えば、The violin has been used for about 4 centuries to be used in orchestras, and has shaken people's heart. と言う時、楽器として総称的に述べられているとも言えるし、特定のストラディバリウスの名器なのかも知れません。この世には長い歴史に耐える優秀なものがありますから。おそらく、特定のヴァイオリンの読みが優先されると思います。 というわけで、私の結論は、動植物とか発明品とか楽器とか職業のようなものが総称表現に使われやすいのは、それらが複雑な仕組みや統合的機能を持っているからではなくて、単に、具体的や特定物「その~」と解釈されるおそれが少ないからではないかと思います。いかがでしょうか? 4つ目の問題提起に移ります。 先ほど、可算名詞の場合、上位概念さえ明示すれば問題なく総称表現として使えるはずだと述べましたが、たしかに数えられるものであればどんなものでも、原則的に総称表現として使うことができるはずです。それができないのは、原理的に上位カテゴリーを想定できないものの場合です。例えば、objectやthingやcreatureです。 Objects exist in time and space. はOKでもThe object exists in time and space. とは言えません。実際、様々なobjectやthingやcreatureは漠然としすぎて、個別の差異がどこにあるのかわかりづらいように思います。おそらくそれらのものは全体で一つの統一的なものなので差異に言及することに意味がないのだと思われます。この考えでいいのでしょうか? 5つ目の問題提起に移ります。4つ目と関連しています。 objectやthingやcreatureに上位概念を想定できないということは、これら自らが上位概念であって、これ以上の上位カテゴリーが存在しないということだと思いますが、そもそも最上位の概念は何なのでしょうか。ひとつだけ存在するのでしょうか。それとも複数の基幹上位概念が存在すると考えるべきなのでしょうか。ご意見をお待ちしています。よろしくお願いします。
- 帝大文系からの医学部再受験について
はじめまして 現在本州の某旧帝大文系学部に通っている1回生のものです。 今年度より地元北海道からでてきて現在一人暮らししています。 題名の通り、現在自分は医学部再受験について真剣に考えております。 というのも、もともと自分は将来必ず地元に貢献し少しでも多くの人たちのために働きたいと考えており、今現在というよりここひと月ぐらい非常に強く医者という職業になることに興味が沸いてきて、医者となって地元に貢献していきたいと思っているからです。 そもそも自分がなぜ今の大学に進学したのかと振り返ってみると 1.北海道から出て、また親元からはなれることでたくさんの色々な考え方の人々と出会い人間的に地元に残ったままよりは飛躍的に成長できると思ったから 2.今通っている大学では文系の実用的でない、つまり文学や語学を学ぶことを主目的とした学部で学ばさせていただいているのですが、それはその分野に関しては道外に出て学ぶほうがしっかりと学べるから 3.北海道では到底ありえないような都会で大学生生活を楽しみたかったことといろんな意味で深い伝統、歴史のある地域で生活したかったから という3点が主な目的だったのです。 今の大学生活については上記の目的も及第点レベルではできていると感じますし満足もしています。ですが、いまいち楽しめきれていない自分がいるのも確かです。 いろいろ自分なりに考察してみましたがなかなか答えがみえませんでした。 高校までのように体育会の部活に入ってみたり、文化系のサークルにも首突っ込んだり、いろんなバイトをしてみたり、彼女つくったり友達と飲み明かしたり、読書にひたったり資格勉強に本気で取り組もうと思って結局三日坊主になったり・・・ そこそこリア充な生活している気はするのですが何か決定的なものがたりなかったのです。 それが大学で専門的に学ぶものだと最近になってわかってきた気がするのです。 たしかに一回生のうちだから専門よりは教養系が多いから満足できないのかもしれません。 ですが同じ学科の先輩たちに尋ねてみてもイマイチ違うというより全然違うと強く感じてしまうのです。 それはなぜかと考えると今の学部だと比較的国際的な方面が強い勉強をしていくことになり自分が本当にしたいとわかってきたものとは正反対のものだからだと思うのです。 本当にしたいことはというと地元、つまり北海道のためになることを学びたいのです。 就職で地元に帰って企業に入るなり公務員なるなりいろいろ考えてきましたがどうも納得ができないのです。そこで高校のころから興味のあった地域格差のことなどを調べてみました。 その時に皆さんもご存知かもしれませんが北海道はとりわけ財政が苦しく地域格差や過疎化などあらゆる問題がどっしりと存在しています。その中に地域医療、僻地医療や医療崩壊などのものがありました。日本全体的に医療の問題は深刻らしいですが北海道もとりわけ苦しい状況に置かれている地域の一つといえるでしょう。 このような状態を思うと自分はこのままでいいのかと強く思い悩むようになりました。現在の状態のままだと過疎化はさらに進行しますし医療崩壊も歯止めがかからなくなるのではないでしょうか。 そこで私は医学部に進学して医療の面で全力で北海道に貢献したいと思うようになりました。 そこまで医療に固執しなくてもいいのでは・・・と思われるかもしれませんが医療は非常に重要な課題の一つだと思うので また自分は高1の文理選択の時点で楽、地歴楽しい、部活本気でやりたいなどといった考えで特にしょうらいについて深く考えず文系に進んでしまいました。その時点では医者という職業も将来の夢のひとつであったことはたしかです。 今、自分は情報収集と受験勉強を始めているのですが皆様のご意見がのどから手が出るほどほしい状態なのです。 医学部再受験について、このような考えで取り組むのはいかがお考えでしょうか? 再受験、学士編入と二種類の入学方法があるのは知っています。ですが学士編入については超難関である、入学できても無駄に学費がかかるし、そもそもそのための勉強のために大学生活それ自体が非常に味気ないものになってしまうと思うので考えておりません。やりたい勉強を本気でやって、かつ大学生活も充実させたいと考えています。 退学、休学についてもどうしようかと考えております。 自分的には腹くくって退学しようと思うのですが、入試の面接時にマイナス評価になるのは避けられませんよね・・・ 卒業してから再受験も考えるのですが授業料もかかりますし一人前の医者になるのも遅れてしまい親孝行を早くしたい自分には少し耐え難いです。 自分自身、理数系に苦手意識があり数IIIC、化学、物理、生物IIは未履修です。苦手ではありますが、センターでは数学、生物ともに9割越えできました。が、記述はそうはいきませんし、そもそもセンターは運もあると思うので このような状況から挑戦するのはアホですか? 両親は自分の考えに納得してくれていますし、極力援助もしてくれると言ってくれています。しかしながら道外に自分を進学させてくれ、何一つ不自由なく生活させてくれているのに今の大学をやめて下宿先も引き払ってていう過程もなかなかためらわれる要因であります。 実際、親とは二年は受験させてもらえることになっているのですが、失敗した場合などは大学中退のまま就職という可能性もあり結構びびってしまいます。 自分は現役でなんとか今の大学に入学できましたが浪人生の友人たちを見ていると浪人生活の大変さも感じることができますし、何より今の生活との落差が凄そうで怖いというか、、、逆に楽しみでもあるのですが・・・ 予備校に通うことなどについてもおしえていただければ嬉しいです。 志望校としては現在のところ 北大医学部、札医大、旭川医大の道内大学、自治医科大、あとは後期試験など組み合わせの問題で入れる可能性が高い大学を考えていくというような感じです。 正直、合格できればどこでもいいと思うのですが、北大は総合大ですし憧れますが理科3教科必要だし非常に難関ですし、臨床医というよりは研究医育成に力いれていそう、札医も難易度が結構高いのですが、札幌にある点が魅力ですし自宅通学も余裕で可能なので 自分的に一番アドミッションポリシーが好きなのは自治医大です。 全国から集まり卒後地元、僻地医療に貢献など非常に魅力的です。 ですが多浪生、再受験生には厳しそうです 旭川医科大も地域医療に力をいれていて、遠隔地医療などの試みもとても素晴らしく感じます。それに受験において医学部の中では易しいと思われるので・・・ 非常に長くなってしまいましたが何でもいいのでご意見いただけたら嬉しいです。 とりわけ再受験において中退することが非常に気になっている部分なんでその点のアドバイスもいただきたいです。
- 締切済み
- その他(受験・進学)
- keserasera25190
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- 無冠詞とゼロ冠詞について
はじめにゼロ冠詞について私独自の見解を述べます。おかしいところやわかりにくいところがあればご指摘をお願いします。特に、説明のための論理的な整合性が保たれているかどうかをチェックしてください(歴史的な事実であるかどうかは当方は気にかけていません)。 例えばここに、無色・無臭の透明な液体(水)があったとして、それを概念化してwaterと名づけたとします。概念のwaterは心の中に存在するものなのに、どういうわけか文中(談話中)で使われます。ということは、名づけられた時点で概念は文中で語彙として使われる資格を与えられたのだとしか考えようがありません。 ところが、その後、数えられるものと数えられないものとの区別が行われるようになり、数えられるものを文中で言い表す際には、それが一個の個物である時は不定冠詞がつけられるようになりました。例えばa lionです。複数の個体である時は- s - がつけられるようになりました。これらがいわゆる限定詞です。あるものを数えられるものとして表すためには時間または空間的に限定(一定のまとまり)が必要ですが、その限定を与えるのが限定詞です。 ところで、概念のwaterはWater is a clear pure liquid. という文においては、カテゴリーを表すものであって実体ではありません。でも、カテゴリーではなく実際に水を飲む時は、コップ1杯、あるいは手のひら一杯の水を飲むので時空の制約を受けます。 数えられるものには時空の制約を受けることを示すために限定詞(- a - と - s - )がつけられましたが、数えられないものに限定詞がつかないのでは一貫性がないと言えます。一貫性を保つために数えられないものに限定詞のsomeをつけることになりました。他に量を表すものなら何でも構いません。量を表すということは時空の制約を与えることですから。I drank some / a lot of / a pint of water there. というふうに言い表されるわけです。 この段階では、概念は文中でカテゴリーを表す場合に限って、(限定詞なしで)そのまま語彙として使われる資格を与えられていると考えるしかありません。 抽象概念(観念)も、例えばFear is the feeling that you have when you are frightened. という時のfearはカテゴリーを表しますが、現実にひしひしと感じるfearの場合はI feal some fear. という言い方が可能になります。ということは、some fearは実体として扱われていることになります。物質名詞と抽象名詞を合わせてmass nounと呼ばれているようです。 文法書や冠詞の解説書などでは抽象観念は心の中にあるものなので実体ではないと書かれています。ここで言う実体とはどうやらtangibleなもの、すなわち見たり、手で触ったり、要するに五感でとらえられるものを指しているようです。ネイティブにもそのような考えの人がいます。でも、<実体>というものをもっと別の考え方でとらえた方が有意義だと思います。つまり、時間・空間という制約を持つものととらえるべきだと思うのです。そうしたとらえ方が可能であれば、数えられるものはもちろんのこと、数えられなくても五感でとらえられるもの(物質名詞)だけでなく、気分や情感としてとらえられるもの(抽象名詞)も実体として扱うことが可能になります。 そもそも、何かを認知することは五感で(知覚器官によって)とらえられるだけでなく気分や情感によってとらえることでもあると思うのです。というわけで、I feal some fear. においてはfearは実体を表すということで論を進めます。 ここまでの話をまとめます。数えられるものも数えられないものも文中で言い表わされる場合は原則として限定詞が必要とされますが、数えられないものがカテゴリーを表す場合のみ例外的に限定詞が必要とされません。きちんと紹介しませんでしたが、可算名詞でも無冠詞で概念的な表現を行う場合には限定詞が必要とされません。(go to school / work as interpreter ---) この考え方だと、ある原則があってそれに対する例外が存在することになります。例外規定を設けずに統一的に見ることを可能にしようと思えば、カテゴリーを表すwaterに実は可視化されない限定詞がついているのだと言いくるめることも可能です。それをゼロ冠詞と呼んでいる人がいます。英語のzero articleが日本語訳された時に無冠詞という呼び名になったものと思われます。この場合の<無冠詞>は語彙化を可能にするという働きを持っていることになります。 私には、ゼロ冠詞は実体ではないのに実体と同じ扱いを受けるための免罪符あるいはおまじないのようなものに思えますが、それはそれであっても構わないと思います。 私が問題にするのは、zero articleまたは<無冠詞>という考え方を導入して、冠詞を統一的に指導すべきなのか、それとも、カテゴリーを表す場合の不可算名詞は限定詞なしでフリーパスで文中で使うことができるとすべきなのか、どちらの考え方がよいのかということです。自分はこういうふうに説明することにしていると決めておられる方がいらしゃればご意見を聞かせて頂ければありがたいです。 もう一つ問題点があります。固有名詞(の本来の用法)の取り扱いについてです。(a Mr. Smithというふうな普通名詞的用法は今回の議論から省きます)。固有名詞は実体そのものなので、問題なく文中で使えます。限定詞を必要としません。もちろんゼロ冠詞も必要としません。だから冠詞なしで使うわけですが、カテゴリーを表すwaterに冠詞がつかないのとはわけが違います。ですから、固有名詞を無冠詞で使うという言い方は誤解を招く可能性があります。冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考える(説明する)必要があります。 ここで冠詞および限定詞というものの働きを統一的にとらえて、いかなるもの(名詞)にも限定詞がつくのだと主張したいのであれば、固有名詞につく冠詞---眼に見えない冠詞でゼロ冠詞にかわるもの---を呼び名として作らなければならないことになります。調べてみると、null冠詞というものを提唱している人がいることがわかりました。たしかにこうしたものまで導入すれば冠詞の統一的な説明は可能ですが、不可視な冠詞が2つもあることになるし、冠詞が全部で4種類も存在することになってかえって煩瑣なような気がします。といって、冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考えるのもうっとおしいような気がします。ゼロ冠詞という呼び名だけでも使ってみようかと考えたりもします。 私としては大学入試レベルの英作文で冠詞の選択(a名詞 / the名詞 / 冠詞がつかない名詞)が生徒によって確実に行われるかどうかが問題なので、ゼロ冠詞とかnull冠詞とかを導入する必要はないのですが、そのこととは別に自分なりのスタンスを持っていたいと思うのです。ご意見を伺いたいと思います。 ---ところで、There is frost in the garden. におけるfrostは<霜>というカテゴリー全体のうちの部分を表しています。つまり、someがなくても実体を表しているわけですが、話がややこしくなるといけないので、この件は今回の質問では扱いません。I feel fear now. についても同様です。いずれ、この問題に関しても質問する予定です。
- 20歳から数学者
質問があります。 今私は浪人生です。中学受験をして偏差値70程の(いわゆる御三家とか言われる程凄い学校ではありません)学校に合格したものの、入学後一ヶ月で不登校になり、それからずっと不登校で、漸く17歳の時に高卒認定(旧大検)を取得するも、大学受験現役当時、右肩を骨折し、一浪するなら、と海外留学を目論むも、留学先へ渡航し一ヶ月もしないうちに父の癌が発覚し、保険に入っていなかったため、金銭的事情から、日本へUターン、その時には既に10月で、自分の望む大学への受験準備は間に合わず、二浪を選択するも、モチベーションが全く上がらず、何もしないまま今年の受験になりました。 身の上話はこんなトコロで、話をもとに戻すとこの歳から高等数学(大学課程の数学)を初めて、果たして物になるものなのでしょうか?第一線で活躍している、数学者の人たちは遅くとも、20代後半で花開くと言われ、そして、実際に高名な数学者の華々しい成果を見ると若干20歳程で、博士課程レベルの数学を物にしています。勿論その人達が一握りのなかの一握りの天才であることは知っていますし、自分がそうなれるだなんて夢にも思っていません。 しかし、確かに若さというものが数学を探求する上で欠かせないことは間違いのないことだと私は考えさせられました。前述のとおり私はまだ浪人生で、入試に必要な分野しか知りません(実を言うと微積分学については大学の内容を勉強しました。)普通の理系の人たちと比べても2年遅れています。その20歳の時の2年の遅れが大学で数学を学ぶ上で致命的なのではないか、だから今から数学科に入っても、遅いのではないか?数学史上の稀な遅咲きの数学者の偉人は知っています。しかしその人達は史実で知られてる天才であって一般例ではありません。しかも、そのような偉人でも高齢で数学を勉強して陽の目を浴びた人は自分が知る限りでは数少ない例です。 20歳で高校数学+αしか知らない、今年から大学課程の数学を学ぶ。 これはハンデキャップになるのでしょうか? 再度身の上話を交えながら質問の意図を明確にしたいと思います。 もともと、私は数学には興味がありませんでした。 しかし、17歳の時出会った、数学の予備校講師との出会いによって私の数学に対する味方はまるで変わりました。私が最も勉強をした時期、それは中学受験まで遡るのですが、数学と云われると私にとって、それは中学受験の算数でした。それは非常に直感に頼るもので、あいにくそう言った直感の働かない、馬鹿な私は中学受験当時算数が大嫌いで、算数の問題パターン全てを丸暗記して、自分の志望校に合格したほどでした。だから、高校数学もそういった自分には向いていない、パズルを一瞬で解くような才能が必要なのだろう、そう考えていました。 とにかく高校数学を学ぶ際、私を担当する先生を苦労させました。 自分の教科書を見ると、どこどこが曖昧だ、とか、それは一般的ではなくて、この時は成立しない、だとか、厳密ではないとか注釈や二重線が大量に入っている程で重箱の隅をつつきまくっていました。 なので、担当する先生にそういった質問をぶつけると、それは大学で詳しくやる、だったり時には、根拠もなく、お前の考えは間違っている、と言われ、それでも僕はじゃぁ僕が間違っている根拠を説明して下さい、と引き下がらずまるで授業は成り立ちませんでした。ひとつ、疑問や矛盾を見つけるとそれを解決せずには先へ進めませんでした。 その時現れたのがその自分を変えた数学の教師でした。 数学科を卒業し、二十数年高校の教員をしていた方でした。 その先生は能率などまるで無視し僕の質問に厳密に厳格に答えてくれた上で 僕に様々な書籍を紹介してくれました。それは、大学以降で学ぶ数学の概要や現代数学の発展の歴史であったり、僕にとって非常に刺激的な物でした。そこで初めて、数学の構造性、形式性、そして数学という学問自体がそれを問題としていることを知り、興味関心は収まりがつかないほど膨れ上がり、数学科を志望することに決めました。 その先生は僕の事を非常に高く評価してくれていて大学への進学という関門によって君の才能が詰まれるのはあってはならない事だ、と言ってくれます。その先生は非常に変わった先生で通勤時間に小さなメモ帳にびっしりと数式を書き詰めて、独自の定理を証明していたりするのですが、たまに、僕にそのメモ帳を見せてくれて、意見を聞かれることがあり、何が書かれているか、半分分からず理解できる範囲でこうなのではないか、と意見を述べたところ、後日、君のおかげで証明できた、君に言われなければ、きっと発見することが出来なかった、と言われます。統括して、その先生いわく、君の厳格さや厳密さ、執着心が大学の数学を学ぶときに頭角を表さない筈がない、らしいです。 他にも、東大の博士課程の物理の先生に、君は努力を続ければ、研究者になれる才能がある。 と言われたり、中学、高校も行っていないのに、1年も掛からず物理の全範囲を終えた、僕の教えている生徒の中では一番優秀だ、とも言われました。 さて良い側面ではその様に私は評価されます。 然しながら自分では何故その様に評価されるのか理解に苦しまざる負えない理由があります。 第一に私の入試問題上の数学の成績は努力相応のもので、雷鳴が如く瞬時に天命を受けたかのように入試問題をとく様な所謂、ステレオな数学の秀才、ではないからです。自分はじっくりゆっくり考えるのが好きで、確かに解けるけど、制限時間がなぁ、ということがよくありますし、なんというか生まれついてのおっちょこちょい(実は自分はADHDでアスペルガーです。)で、10回に6回計算ミスをするものですから、非常に注意深く検算をして時間を食います。世間一般にイメージされる数学の秀才と言えば、よく黒板なりノートに凄い勢いで式を書いてますよね? 灘や開成といった超名門校の生徒の高校時代の逸話を聞いても、自分の数学の問題を解く姿勢、速度とは一致しませんし、その辺の学校の数学な得意な生徒、とくらべても劣っていると感じるくらいです。それから物理の勉強に関して言っても正直僕は上辺だけの理解だと思っています。正直言って勉強の時間さえ取れば、上辺だけの理解なら1年と言わず3ヶ月もあればこなす自信があります。裏を返せば、教科書レベルの知識を単純に掠めとって、章末問題を解く程度であれば本質を理解せずとも解くことが困難でないということで、物理の先生が指摘する優秀さ、に疑問符がつきます。 他にも多々理由はあるのですが、評価されるにはそれなりの理由がありますから、自分が全く才能が無いとは思いませんが、果たして、物理や、ことさら、数学の先生が言うほどのものか、学者を目指せる程、目指さないのが勿体ないほどのものか、全くもって疑わしくてなりません。特に数学の先生からの評価は買い被りではないかと思うほど凄まじい物です。 似たような質問は件の数学の先生にも物理の先生にもぶつけましたが 数学の先生からは高校数学なんて単に容量の良さだからね、大学での数学を解けるための必要条件でも無ければ、十分条件でもないよ。物理の先生からは君のいう上辺だけの理解を大半の生徒がしている、君のいう本質的な理解をしている生徒や、理解しようという姿勢のある生徒は中々いないよ、そういう君の姿勢を評価しているんだ、との事でした。 皆さんは冒頭の質問も含めて、どう感じられますか?または考えますか?
- 海外旅行の機内で隣になった人が忘れられられない…
良ければ二十台半ば以上の女性にアンサーして頂けると幸いです。 3ヶ月程前の事です。 私はスポーツと音楽を目的に海外旅行に行くのが大きな愉しみで、その時もそうでした。 しかし私は個人旅行が主なうえ、目的のためには恐れを知ることなく何処へでも出かけていく 悪癖のせいか、海外では大小様々なハプニングに出逢うケースが頻繁にありまして、 ご多分に漏れず今回も最後の最後で結構なしくじりをしでかしました。 経験の多さゆえか、例によって全くと言っていい位懲りていない(はずだった)私は搭乗券を手に 自信満々で腰掛けた後、見知らぬ英国人に肩を叩かれ、シートを間違えたことに気づいたのでした。 件の方に謝罪をして席を移った時、隣に座っていた女性に一言断りの言葉をかけました。 彼女は笑顔でよけてくれました。 この瞬間が、今に至るまで私の心を捉えて離さない人との出会いとなるとは、 知る由もなかった・・・。失礼ながら見た目が第一ではない私の目にも彼女は好みとは ほど遠いタイプでした。 窓側の席だったため「時々通路を歩きたいのですがよろしいでしょうか」といった言葉から 入ったと思います。なんてことはないありきたりなやり取りから始まり、その内会話は止まらなく なりました。私は普段海外渡航に際し、一定のルールを課しており、(例えば、帰国まで諸事情で ツアー参加等の場合を除いて日本人とのコミュニケーションは慎むなど)、 今思えばそれに抵触しているのを自分でも忘れてしまうほどに楽しかったのだと思います。 共通の好きなバンド、映画、海外ドラマ、現地での体験談、巡った地域の文化や歴史について、 お互いの育ち、職場等のバックグラウンドetc... 合間に「疲れてない?眠くない?嫌だったら率直に伝えてね」と私はしつこいくらい念を押しました。 というのも彼女の滞在スケジュールも中々ハードでしたから。 しかし彼女は「でも楽しいからまだ続けたい。それで…」3時間はこんな調子でした。 暫くして音楽が聴きたくなり、私はプレイヤーを荷物入れから出すため通路に出て、ついでに 手洗いを済ませて戻ってきたら、彼女はヘッドホンを着けてウトウトしている所でした。 途端に私の脳裏に彼女に申し訳ない思いが過りました。 『無理をして合わせていてくれたんだな』って。そしてこれまでのコミュニケーションの動機も 恥じました。人のよい彼女につけ込んでそのかけがえのない非日常の時間を手前勝手に 奪い『消費』していたかもしれないと。 そして音楽プレーヤーを聴きながら本に目を通してやり過ごし始めました。いつものように。 機内食の時間になっても彼女は眠ったままでした。通常機内食は後からでもオーダー出来ます。 しかしこの航空会社はそこらへんのサービスの融通がきかないため、後から頼むと予備のメニュー になってしまいます。もちろん種類も選べません。それも経験済みの私は暫し考えてから、 彼女に声をかけました。 すぐに目覚めた彼女はお礼を言ってくれて、またその端から会話が始まりました。 さっきまでと違うのは、『ある種の甘えは厳に慎むべき』という意識を強く持っていたことです。 しかしまたしても話は止まらなかったのです。少し途切れてもどちらともなく話題が出ては 繰り返され、時間はあっという間に過ぎていきました。 多数の人とアポを取る必要がある仕事柄トーク術のイロハ、最低限のマナー位は心得ているつもり でした。しかし彼女の持つ不思議な磁力に引き寄せられている自分に薄々気がついていたと思います。 当然消灯時などには私から自発的にこの状況を切る機会を作りもしました。 もちろん彼女はすぐに眠りに落ちるわけなのですが、最初のときからそうだったのですが 気がつくと私の肩にもたれかかっているのです。時々気がついて「すみません」と言うので その時は笑顔で応じる訳なのですが、また五分もしないうちに肩に彼女に感触があるのです。 この間私は不思議と安心で満たされていました。 そしてまた起きるとお喋りです。あっという間の14時間でした。 何事も無く着陸し、搭乗ゲートを潜って出入国審査に向かいます。相当に早足だったのですが、 隣には彼女がまだいました。歩くペースを落としてもそれは変わりません。聞くと、「明日明後日は お休みをとっているから大丈夫です」と答えていました。この期に及んでもまだ私は少しずつ芽生え だした本当の思いに気づかないままでした。 気がつけば手荷物受け取り場でも二人でした。同じ便に乗り合わせた周りの乗客は皆中々運ばれてこない手荷物に焦っている様子でした。 私は幸か不幸かロストバゲージに遭うこと8回の間抜けな海外経験を持つため余裕を持って待ち、 無事拾ったのですが、訳有って貴重品を詰めていた彼女の手荷物が出てくる気配がなく、とても不安 がっていたため、荷物が出てくるまで、また万一出てこなかったら力になれるかと付き合うことにしました。随分遅れたものの、それが無事出てきた時、私はその場を離れる機会だと悟りました。 その時の自分の感覚ははっきり覚えています。しかし私は以前より歳を重ねていることも自覚しています。「例によって吊り橋症候群か、まだまだ僕は青いなあ」など心の中で呟き、思いを断ち切りました。それに最初に席を立った時から私は気持ちを切替えていたのですから。 そんな思いに駆られている間まだ彼女は隣でトランクをチェックしていました。 そして私はその場からそっと離れ、遠くから手を振り別れの挨拶をしました。 彼女は一瞬虚をつかれたような様子に見えた気がします。 が、少し遅れて手を振り返してくれました。 名前すら聴かなかったのに、もとい聴けなかったのに、至福の時間を与えてくれた彼女に感謝して 空港近くのホテルに向かいました。 男女の機微は最低限気づく方だと思います(周りからは異常に鈍いとよく指摘されますが)。 これまでも人並みの経験はあります。先にも吊り橋効果の話をしましたが、それなら時間が 経つにつれて気持ちは離れていくはずです。しかし本当に困ったことに日増しに想いは強くなる 一方なのです。せめてアドレスくらい交換すべきだったとは思います。しかしあの時の割り切りと 下心を見せては失礼だというある種の思い込み、恋愛めいたことから離れて少し時間が あることもあり、それは出来ませんでした。 近頃、断ち切れない想いが苦しさに変わり始めました。この年齢になってもまだこういうことが 起こりうるのかと今更ながら驚いています。私は一目惚れの経験はありません。 周りの女性は年下ばかりです。 相談を持ちかけられることはあってもその逆はありませんでした。 思い切って古い知人に会うことにしました。 (ちょっと複雑な経緯があって距離を置いていましたが、一つ年上でだいぶ長い付き合いです) かいつまんで話したところ、返ってきた内容はシビアなものでした。 「おい、お前それでも男か?だいたいね、昔から絶望的なまでに鈍いヤツだとは思ってたけど、 いくら何でもそれは鈍すぎる、やっぱりお前はゾウ、マンモス、いやブロントサウルス並みに鈍い」と厳しい返答が返ってきました。 私は自分に言い訳をするように抗弁しました。ひと目で惚れたわけじゃないし、 最初の方で引かれた兆候があったし、とか、その彼女は元々は大阪の人で(私は関西の女性に 個人的に畏敬の念を抱いている)、東京在住僅か一年で、こちらの私が何時間も話しても 気づかないほど標準語が巧みであり、かつコミュニケーション能力の高い女性でとても 敵わないと思っただとか、仕事もキャリアも持ち合わせていて、収入こそ近年人並みになったとは言えフリーランスが長かった自営の僕とは釣り合いが取れないとか、僕で本当に良いのなら、世間慣れしている はずの彼女からアドレスくらい聴いてくるはずだとか 最後に至ってはは酒のせいもあって支離滅裂な言葉を繰り返しました。 しかし年上の彼女は断言するのです。「どっかのおバカさんと違って話を聞いてれば向こうの心の推移は分かる。 あのね女は男と違ってやりとりしながら細かく観察して少しずつ理解して好きになっていくんだよ。 でなきゃ到着間際にシングルだなんてわざわざ知らないヤツにアピールしないよ。 彼女はお前が言うより意外と奥手。お前は折角、手荷物受け取りや税関手続きまで一緒に居てもらって 連絡先くらい聞くチャンスまで与えられて逃げ出した」 「手掛かりはある。そのいくつかの共通のお気に入りのバンドはよく来日するからそれを待ってみな」 (私:無理に決まってる…) こんな度を越した冗長な文章の質問を最後まで読んで頂いて有難うございました。 今思い出すのは席に戻った時の彼女の寝顔です。 何故かその時だけ眼鏡をかけてはいるものの、まるで似合っておらず、 ほとんど化粧っ気のない少し緩んだ表情は三十台前半くらいに見えました。 私は未だにあんなに見ていて切なく愛おしい寝顔に出会ったことがありません。
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- 告白されたのに、相手は自分のことを何とも思ってない
慣れておらず、長文で支離滅裂な内容かもしれませんが、どうかよろしくお願いします。 私と彼は、大学一年生の頃から同じサークルの同期です。 彼のことをかっこいいと思っていましたが、好きなタイプを聞くと「自分のことを好きになってくれるなら誰でもいい」と答えた彼に疑問を感じ、結局私は大学1年の終わりにひょんなことで3歳年上の学科の先輩と付き合うことになりました。 (私は付き合った人数は多いですが見た目も性格も悪く、彼は自分ではモテないと言っていますが吊り合わないと思ったのです) 飲み会とかではよくLIKEの意味で「大好きー」と私も言っていました。その度に、「彼氏持ちには興味ねぇよ!」と返されていました。 私も笑っていましたが、彼にとってやっぱり私はないんだなーと思ったのは事実です。 2年生の途中で、彼への思いが自分の中で恋愛感情に一瞬でも変わる気配があって、彼に頼んでメールで振ってもらいました。 私の中で彼はずっとアイドル的な存在で、彼の写真を撮り続けることで4年間満足するようにしていました。 3年に上がってからは、飲み会で私達の2ショットが撮りたいと後輩に言われると、彼は何も言わずに私の肩に手を回してくることがありました。(それまでも頭撫でられたりはしょっちゅうされていましたが、サークルの先輩方も結構撫でてくるので違和感はありません。でも肩を抱かれたのは初めてです) 男女の友情は成立すると思っている私も、これには疑問を感じて「どうして私にだけベタベタしてくるの?」と聞いたことがあります。(お酒入ると彼は男子相手にベタベタしていましたが、彼が自分からやる女子は私だけなので) すると「他の奴だとセクハラになるだろ!お前は怒らないからやるんだ」と言われました。 それで、彼にとって私は恋愛対象ではないんだな、と改めて痛感しました。 実際、私への彼の態度をを見た女の先輩に彼は頼まれると、同じように先輩の肩に手を回しました。それに、男子にも同じようにやっていても、やっぱり男だからこそ女の身体に触れたいから、仕方なく私にもするのだろうと、ずっと思っていました。 3年の夏に私は別の理由で付き合っていた相手と別れましたが、彼や親しい同期の中において恋愛禁止の雰囲気があり、今まで通りの仲でいるようにしていました。 しかし、中途入会してきたかわいい女の子からクリスマス前に呼び出され、彼のことが気になるから仲介してほしいと頼まれました。 『自分のことを好きになってくれるなら誰でもいい』と彼も言っていたので、よかれと思って結局彼と彼女の間に入りました。 それでも二人が付き合うことは誰よりも私が分かっていたので、彼女のアドレスを教えるときにメールで「後悔はないよね?」とだけ彼に聞きました。 「ないよ」と返ってきたことで、私は再び彼を諦めることにしました。それからしばらくして、二人が付き合い始め、彼はサークルのイベントにほとんど顔を出さず、来たとしても私とはあからさまに距離を置いていました。おそらく、彼女が嫉妬するからだと思います。(彼にとって初カノです) この時期、彼の写真も全然撮れませんでした。彼女がいると、こんなに距離が出来るのかと少しショックでした。 初めてのキスをしたと彼女から報告を受けましたが、忙しいのと苦しいのとで彼女とは全く連絡を取らなくなりました。 結局、私は以前付き合っていた3歳上の先輩と寄りを戻しました。 4年に入ってから、彼は段々とまたサークルのイベントに顔を出すようになり、その様子や風の噂で彼女と別れたことを知りましたが、彼の口から彼女の話を聞くことはありませんでした。 卒論で忙しい1月でも、私の家で飲み会をするから来てと冗談で言ったら、車で一時間かけて本当に来てくれました。 飲み会でみんなが帰ったあと、私の部屋で昼間に2時間ぐらい二人っきりになったこともあります。 最近では、「『卒論頑張れ』ってお前がメールで言うから、寝ようとしてたのにやったんだぞ!」という文句や、私がサークルのイベントに寝坊して参加出来ないと「お前がいないせいで誰とも話せなくて泣きそうだったんだぞ!」と怒られたりもします。 彼にとって、一番仲いい同期は男子を含めても恐らく私である自信は一応あります。 彼氏からは私が院を卒業したら結婚しようと言われていましたが、ドキドキすることもなく、性行為も苦痛でした。しかし彼氏とは一緒にいて楽なので、これが幸せなのだと思うようにして過ごしていました。 すべてが変わったのは、今年3月頭にあった追い出しコンパです。 席が離れていたはずなのに、いつの間にか私の席の近くに彼が来ていました。 それに気付いて酔って気分が高まっていた私は彼に抱きつく格好をすると、彼も手を回してくれました。 それからは普通に飲んでいましたが、後輩がカメラを構える度に彼は私の肩に手を回していました。(私も彼の腕にしがみついたりしました)ここまでは飲み会でよくあることです。 その2次会で、「私たちの学年で良かったか?」と同期女子が彼に尋ねたところ、「◯◯(※私)がいたから良かった」と言ったのです。 それを聞いた他の同期女子たちが、ふざけて「私は?」「あたしは?」と彼に聞きました。いつもの酔っ払った彼のテンションなら、「お前らみんな大好きだー」とか言うはずです。 ですが、彼は黙ったまま下を向いてしまいました。そこで私も、最初は冗談だと思っていたものの、様子がおかしいと思いました。 周囲もざわつき始めると、「他に名乗り出る奴いねぇか?!」と訳の分からないことを彼はみんなの前で言い出しました。 見かねた他の同期に二人で話すように言われ、私は彼の隣に座っていた男子に頼んでその席に移動しました。 彼はぼそぼそと、分かりにくい遠回しの表現でよく覚えていないのですが、要約すると「好きって言われてると少しは考える」というようなことを私に言ったはずです。 「あーこんな中途半端な酔いじゃ覚えてるし、こんなこと言いたくないんだよ……」と言いながら彼が口にする言葉を、信じられない気持ちで私は聞いていました。 酔っぱらいの戯言、と最初は冗談として流す気でいましたが、つい「私、二度も振られてるんだけど」と言いました。 すると彼は、「あの時、彼氏いないなんて知らなかった。あーー!!」と頭を抱え始め、私もようやく彼の言うことを信じようと思いました。 しかも、『誰でもいい』と言っていた彼の口から私の名前が出たことで、真剣に考えなければいけないと考えました。 結局、日本酒を大量に飲んでいたらしくその後吐き始めた彼を介抱し、一人暮らしの私の家に連れて帰って寝かしました。 翌日、起きた彼にどこまで覚えているか尋ねたところ、「吐いてからは覚えてないけど、ここまで来たことは覚えてる」と言っていたので、吐くまでのこと(私への告白まがいの流れ)は覚えているんだと内心理解しましたが、黙っておくことにしました。 それから、一週間考え、3年近く付き合った先輩とは別れました。 別々の日に計2通、『追いコンの夜に言ったことはどういうつもりなのか』という旨を書いたメールを彼に送りましたが、返信がありませんでした。 元々彼はメールが苦手ですが、おそらく彼にとって黒歴史で掘り返したくない内容なのだろうと同期女子に言われました。 それで直接聞くことにし、引越しのために車を一日出してもらうように彼にお願いしました。 夕飯はどこに行きたいか彼に聞くと、大学近くの安中華料理店の名前を彼は出しました。 私もそこで何かおかしいと内心思いましたが、その店で2時間も私たちは話していました。(デートには誘えませんでした) 改めて帰りの車の助手席で、まず彼氏と別れたことから伝えると彼は怪訝そうに「は?」とだけ言いました。 彼はしばらく黙ったままで、そんな彼に「◯◯(※彼)のことを良く思ってるけど、追いコンのことは突然すぎてどういうつもりなのか分からない」と伝えたところ、 「追いコンって何の話?」と言われ、私もようやく彼と自分に温度差があることに気付きました。 彼は覚えていると言っていたのに、内容を聞いてみると私の記憶とは全く異なっていました。 それで私が、「もしかして、覚えてもないし、そんなことそもそも考えてないってこと?」と尋ねると、彼はただ頷いただけでした。 覚えていないのはまだ許せます。けれど、『考えてもいない』というのが引っかかって仕方ありません。 お酒が入ると言えずにいたことが言いやすくなると思っていたのですが、 お酒が入ると言いたくもない、思ってもいないことがすらすらと出てくるものなのでしょうか? そんな人に今まで出会ったことがないので、4月半ばの今でもこのことでもやもやしています。 彼のことを嫌いになっても仕方ないはずなのに、好きという気持ちは収まりません。それに彼に想われる可能性があると考えると、今となっては諦められません。 今回のような思わせぶりな態度で後輩を傷つけて欲しくないので、お酒飲むなと言いましたが、飲んでいいよと最近は言ってしまっています。(飲まないと彼は話せないので) 私はあと一年しかサークルにいれないので私がいなくても後輩と話して欲しいのに、「俺もサークルやめよっかな」とか言っています。 長くなりましたが、お尋ねしたいことは以下のことです。 ・お酒の勢いだからって、全く好意を抱いていない女友達に告白なんて出来るのか? ・これで振られたのは3回目だが、彼と付き合える可能性はあるのか?(私から言うのは構いません) ・そもそも彼はどういうつもりなのか? よろしくお願いします。
- 家庭犬のドックトレーナーに
こんにちは。家庭犬のドックトレーナーになりたいと最近考えている、もうすぐ30歳の女性です。 ペットを思い通りに躾できず手を焼いた挙句に捨ててしまう飼い主が増えている、という現状を無視したくない、捨てられる犬を一匹でも減らしたい、というのがきっかけです。みなさんのアドバイスをお聞きしたくて投稿しました。 色々調べましたが、ドッグトレーナの資格を取るよりも一人前になるまでには経験がモノをいう世界なのだと理解しています。でも、この歳のせいで焦っているのか、今の仕事を辞めるというリスクもあって、少しでも早く確実な道を進みたいと考えています。 以前の投稿で、現在日本のトレーナーの大半は翻訳本で勉強しているから英語で勉強した人が欲しい、という内容を目にした記憶がありますが、実際に海外に勉強に行って、日本で通用するのでしょうか? じゃあ海外に行こう!と思い立ちネットで調べましたが、本場海外って、具体的にどこでしょうか?本場イギリス、本場アメリカ、本場オーストラリアという文句を目にしますが、勉強するにはドコが一番いいのでしょうか? (オーストラリアがビザが取り易いという理由で第一候補なのですが。) また、ドックトレーナーの学校によって期間がまちまちです。最短では2週間のものから、1ヶ月、1年などありますが、経験者の方はトレーナーの訓練はどのくらいなさっていたのでしょうか。有名な方から1ヶ月習ったとして(約100万の授業料です) その後帰国後にトレーナーとしての第一歩を踏み出せるようになるのでしょうか? お勧めの学校などありましたら教えていただければ幸いです。英語圏であれば国はあまり問いません。 今まで他業界で働いてきましたので、ペット業界は全くの無知です。 業界の方の意見をお聞きできたらと思っております。 どうぞよろしくお願い致します。
