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日本の歴史

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  • すべての可算名詞はtheを使った総称表現に使えるか

    the 名詞を使った総称表現についてご意見を聞かせていただければありがたいです。  まず、私の考えを示しますから、それについて賛否なり、修正なりをお願いしたいと思います。 The lion is a wild animal. は総称文です。the lionは個々のa lionが持つ差異を捨象して共通項を取り出した結果得られたもので、典型または代表とも言うべきものです。 では、いかなる可算名詞でも総称表現の文に使えるのかということですが、そのものの上位カテゴリーさえ明示すれば問題なく使えるように思えます。というのは、以前の投稿<in the summerは総称表現か>でも述べましたが、総称表現のthe名詞は特定のカテゴリーを表し、同時に上位カテゴリーの成員でもあることを表します。もっと言うと、獲得した知識の効率的な運用のためにも概念間の階層構造を作るために必要とされたものだと思います。ちなみにthe lionの上位カテゴリーはa wild animalです。 ところで、the+名詞を使った総称表現に使われやすいものと使われにくいものがあります。解説書などには動植物とか発明品とか楽器とか職業などだと使われやすいと書いてあったりします。それ以外の名詞だと使われにくいとのことです。  ネイティブスピーカー達も同じようなことを言います。なぜそうなのかを述べた人が少数ながら日本の研究者の中にいました。動植物とか発明品とか楽器とか職業とかは中身が単純なものではなく、複雑で高度な仕組みや枢要部分を持っているからだと言います。そうしたものは、個々の差異を捨象することが容易なのでカテゴリーの中の典型・代表を表すことができるからだというわけです。たしかに一理あります。 ここで問題が一つあります。 the lionの典型・代表たるゆえんは差異を捨象して後に残った共通点を持つことにあります。だったら、共通点は複雑で高度な仕組みや枢要部分といったような大げさなものだけでなく、速く走れることとか、どう猛であることとか鋭い爪や牙を持っていることなども当てはまります。  The lion is a wild animal. と言う時、この文からイメージされるのは、高度で複雑な機能より野生的な外見だと思います。よって、典型・代表であるための絶対条件として複雑で高度な仕組みや枢要部分が特に言及されることには違和感があります。いかがでしょうか?  次の問題点に移ります。動植物とか発明品とか楽器とか職業のような名詞以外のものは総称表現に使えない、あるいは使いにくいということですが、本当にそうなのでしょうか。 そう言う人たちの一人が、theを使った総称表現に使わない名詞としてbookをあげていました。個別の差異を捨象して共通項を取り出そうにも差異がどこにあるのか判断しにくいと主張しています。  ところがbookの場合でも文脈さえ整えれば、つまり上位概念さえ明示すれば難なく使えます。  例えば、When it comes to tools for developing culture, enlightening people and bringing entertainment to life, the book is more easily accessible one than the play and the cinema. といったふうに、上位カテゴリーをa tool for developing culture, enlightening people and bringing entertainment to lifeだと明示して、おまけにbookと同レベルのカテゴリーの他の要素まで並べてしまえば、この文を容認しない人はいないと思います。 the bookを使った総称表現の文を実際に作ることができたということは、booksが持つ個別の差異が捨象されて共通部分が取り出されたことになります。 総称表現のthe 名詞は特定のカテゴリーを表し、同時に上位カテゴリーの成員でもあることを表すためのものであるとすれば、上位概念さえ明示すれば問題なく総称表現として使えるはずです。非常に単純なアメーバやチリや埃などについても上位概念さえ明示すればOKということになります。この考えでよいのでしょうか? 3つ目の問題点に移ります。 なぜ動植物とか発明品とか楽器とか職業のような名詞以外のものが総称表現に使えないのかということですが、動植物はもともと生物学や分類学などにおいて上位概念と下位概念に区分されやすいものなので、上位概念さえ明示すれば問題ないと思われます。  楽器とか職業はその性質上、特定の具体物と混同されるおそれが少ないのではないかと思います。The doctor must always be patient. と言う文において、特定の医者だと受け取る人はいないでしょう。 ところがthe bookの場合、例えばThe book has enlightened and enriched our life long since. といったような文は総称表現としてはなかなか容認されません。the bookに「その本」の読みがありうるからだと思われます(「その~」の読みが可能な場合はそちらが優先されるものと思われます。その方が総称表現より普通の言い方だからだと思います)。 書物(特に古典)の中には何世紀もあるいは(聖書のように)もっと古くから読み継がれるものがあります。楽器の場合は、よほど名の通ったストラディバリウスでなければまずありえません。 例えば、The violin has been used for about 4 centuries to be used in orchestras, and has shaken people's heart. と言う時、楽器として総称的に述べられているとも言えるし、特定のストラディバリウスの名器なのかも知れません。この世には長い歴史に耐える優秀なものがありますから。おそらく、特定のヴァイオリンの読みが優先されると思います。 というわけで、私の結論は、動植物とか発明品とか楽器とか職業のようなものが総称表現に使われやすいのは、それらが複雑な仕組みや統合的機能を持っているからではなくて、単に、具体的や特定物「その~」と解釈されるおそれが少ないからではないかと思います。いかがでしょうか? 4つ目の問題提起に移ります。 先ほど、可算名詞の場合、上位概念さえ明示すれば問題なく総称表現として使えるはずだと述べましたが、たしかに数えられるものであればどんなものでも、原則的に総称表現として使うことができるはずです。それができないのは、原理的に上位カテゴリーを想定できないものの場合です。例えば、objectやthingやcreatureです。 Objects exist in time and space. はOKでもThe object exists in time and space. とは言えません。実際、様々なobjectやthingやcreatureは漠然としすぎて、個別の差異がどこにあるのかわかりづらいように思います。おそらくそれらのものは全体で一つの統一的なものなので差異に言及することに意味がないのだと思われます。この考えでいいのでしょうか? 5つ目の問題提起に移ります。4つ目と関連しています。 objectやthingやcreatureに上位概念を想定できないということは、これら自らが上位概念であって、これ以上の上位カテゴリーが存在しないということだと思いますが、そもそも最上位の概念は何なのでしょうか。ひとつだけ存在するのでしょうか。それとも複数の基幹上位概念が存在すると考えるべきなのでしょうか。ご意見をお待ちしています。よろしくお願いします。

    • feeders
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  • 帝大文系からの医学部再受験について

    はじめまして 現在本州の某旧帝大文系学部に通っている1回生のものです。 今年度より地元北海道からでてきて現在一人暮らししています。 題名の通り、現在自分は医学部再受験について真剣に考えております。 というのも、もともと自分は将来必ず地元に貢献し少しでも多くの人たちのために働きたいと考えており、今現在というよりここひと月ぐらい非常に強く医者という職業になることに興味が沸いてきて、医者となって地元に貢献していきたいと思っているからです。 そもそも自分がなぜ今の大学に進学したのかと振り返ってみると 1.北海道から出て、また親元からはなれることでたくさんの色々な考え方の人々と出会い人間的に地元に残ったままよりは飛躍的に成長できると思ったから 2.今通っている大学では文系の実用的でない、つまり文学や語学を学ぶことを主目的とした学部で学ばさせていただいているのですが、それはその分野に関しては道外に出て学ぶほうがしっかりと学べるから 3.北海道では到底ありえないような都会で大学生生活を楽しみたかったことといろんな意味で深い伝統、歴史のある地域で生活したかったから という3点が主な目的だったのです。 今の大学生活については上記の目的も及第点レベルではできていると感じますし満足もしています。ですが、いまいち楽しめきれていない自分がいるのも確かです。 いろいろ自分なりに考察してみましたがなかなか答えがみえませんでした。 高校までのように体育会の部活に入ってみたり、文化系のサークルにも首突っ込んだり、いろんなバイトをしてみたり、彼女つくったり友達と飲み明かしたり、読書にひたったり資格勉強に本気で取り組もうと思って結局三日坊主になったり・・・ そこそこリア充な生活している気はするのですが何か決定的なものがたりなかったのです。 それが大学で専門的に学ぶものだと最近になってわかってきた気がするのです。 たしかに一回生のうちだから専門よりは教養系が多いから満足できないのかもしれません。 ですが同じ学科の先輩たちに尋ねてみてもイマイチ違うというより全然違うと強く感じてしまうのです。 それはなぜかと考えると今の学部だと比較的国際的な方面が強い勉強をしていくことになり自分が本当にしたいとわかってきたものとは正反対のものだからだと思うのです。 本当にしたいことはというと地元、つまり北海道のためになることを学びたいのです。 就職で地元に帰って企業に入るなり公務員なるなりいろいろ考えてきましたがどうも納得ができないのです。そこで高校のころから興味のあった地域格差のことなどを調べてみました。 その時に皆さんもご存知かもしれませんが北海道はとりわけ財政が苦しく地域格差や過疎化などあらゆる問題がどっしりと存在しています。その中に地域医療、僻地医療や医療崩壊などのものがありました。日本全体的に医療の問題は深刻らしいですが北海道もとりわけ苦しい状況に置かれている地域の一つといえるでしょう。 このような状態を思うと自分はこのままでいいのかと強く思い悩むようになりました。現在の状態のままだと過疎化はさらに進行しますし医療崩壊も歯止めがかからなくなるのではないでしょうか。 そこで私は医学部に進学して医療の面で全力で北海道に貢献したいと思うようになりました。 そこまで医療に固執しなくてもいいのでは・・・と思われるかもしれませんが医療は非常に重要な課題の一つだと思うので また自分は高1の文理選択の時点で楽、地歴楽しい、部活本気でやりたいなどといった考えで特にしょうらいについて深く考えず文系に進んでしまいました。その時点では医者という職業も将来の夢のひとつであったことはたしかです。 今、自分は情報収集と受験勉強を始めているのですが皆様のご意見がのどから手が出るほどほしい状態なのです。 医学部再受験について、このような考えで取り組むのはいかがお考えでしょうか? 再受験、学士編入と二種類の入学方法があるのは知っています。ですが学士編入については超難関である、入学できても無駄に学費がかかるし、そもそもそのための勉強のために大学生活それ自体が非常に味気ないものになってしまうと思うので考えておりません。やりたい勉強を本気でやって、かつ大学生活も充実させたいと考えています。 退学、休学についてもどうしようかと考えております。 自分的には腹くくって退学しようと思うのですが、入試の面接時にマイナス評価になるのは避けられませんよね・・・ 卒業してから再受験も考えるのですが授業料もかかりますし一人前の医者になるのも遅れてしまい親孝行を早くしたい自分には少し耐え難いです。 自分自身、理数系に苦手意識があり数IIIC、化学、物理、生物IIは未履修です。苦手ではありますが、センターでは数学、生物ともに9割越えできました。が、記述はそうはいきませんし、そもそもセンターは運もあると思うので このような状況から挑戦するのはアホですか? 両親は自分の考えに納得してくれていますし、極力援助もしてくれると言ってくれています。しかしながら道外に自分を進学させてくれ、何一つ不自由なく生活させてくれているのに今の大学をやめて下宿先も引き払ってていう過程もなかなかためらわれる要因であります。 実際、親とは二年は受験させてもらえることになっているのですが、失敗した場合などは大学中退のまま就職という可能性もあり結構びびってしまいます。 自分は現役でなんとか今の大学に入学できましたが浪人生の友人たちを見ていると浪人生活の大変さも感じることができますし、何より今の生活との落差が凄そうで怖いというか、、、逆に楽しみでもあるのですが・・・ 予備校に通うことなどについてもおしえていただければ嬉しいです。 志望校としては現在のところ 北大医学部、札医大、旭川医大の道内大学、自治医科大、あとは後期試験など組み合わせの問題で入れる可能性が高い大学を考えていくというような感じです。 正直、合格できればどこでもいいと思うのですが、北大は総合大ですし憧れますが理科3教科必要だし非常に難関ですし、臨床医というよりは研究医育成に力いれていそう、札医も難易度が結構高いのですが、札幌にある点が魅力ですし自宅通学も余裕で可能なので 自分的に一番アドミッションポリシーが好きなのは自治医大です。 全国から集まり卒後地元、僻地医療に貢献など非常に魅力的です。 ですが多浪生、再受験生には厳しそうです 旭川医科大も地域医療に力をいれていて、遠隔地医療などの試みもとても素晴らしく感じます。それに受験において医学部の中では易しいと思われるので・・・ 非常に長くなってしまいましたが何でもいいのでご意見いただけたら嬉しいです。 とりわけ再受験において中退することが非常に気になっている部分なんでその点のアドバイスもいただきたいです。

  • 無冠詞とゼロ冠詞について

    はじめにゼロ冠詞について私独自の見解を述べます。おかしいところやわかりにくいところがあればご指摘をお願いします。特に、説明のための論理的な整合性が保たれているかどうかをチェックしてください(歴史的な事実であるかどうかは当方は気にかけていません)。 例えばここに、無色・無臭の透明な液体(水)があったとして、それを概念化してwaterと名づけたとします。概念のwaterは心の中に存在するものなのに、どういうわけか文中(談話中)で使われます。ということは、名づけられた時点で概念は文中で語彙として使われる資格を与えられたのだとしか考えようがありません。  ところが、その後、数えられるものと数えられないものとの区別が行われるようになり、数えられるものを文中で言い表す際には、それが一個の個物である時は不定冠詞がつけられるようになりました。例えばa lionです。複数の個体である時は- s - がつけられるようになりました。これらがいわゆる限定詞です。あるものを数えられるものとして表すためには時間または空間的に限定(一定のまとまり)が必要ですが、その限定を与えるのが限定詞です。 ところで、概念のwaterはWater is a clear pure liquid. という文においては、カテゴリーを表すものであって実体ではありません。でも、カテゴリーではなく実際に水を飲む時は、コップ1杯、あるいは手のひら一杯の水を飲むので時空の制約を受けます。 数えられるものには時空の制約を受けることを示すために限定詞(- a - と - s - )がつけられましたが、数えられないものに限定詞がつかないのでは一貫性がないと言えます。一貫性を保つために数えられないものに限定詞のsomeをつけることになりました。他に量を表すものなら何でも構いません。量を表すということは時空の制約を与えることですから。I drank some / a lot of / a pint of water there. というふうに言い表されるわけです。 この段階では、概念は文中でカテゴリーを表す場合に限って、(限定詞なしで)そのまま語彙として使われる資格を与えられていると考えるしかありません。 抽象概念(観念)も、例えばFear is the feeling that you have when you are frightened. という時のfearはカテゴリーを表しますが、現実にひしひしと感じるfearの場合はI feal some fear. という言い方が可能になります。ということは、some fearは実体として扱われていることになります。物質名詞と抽象名詞を合わせてmass nounと呼ばれているようです。 文法書や冠詞の解説書などでは抽象観念は心の中にあるものなので実体ではないと書かれています。ここで言う実体とはどうやらtangibleなもの、すなわち見たり、手で触ったり、要するに五感でとらえられるものを指しているようです。ネイティブにもそのような考えの人がいます。でも、<実体>というものをもっと別の考え方でとらえた方が有意義だと思います。つまり、時間・空間という制約を持つものととらえるべきだと思うのです。そうしたとらえ方が可能であれば、数えられるものはもちろんのこと、数えられなくても五感でとらえられるもの(物質名詞)だけでなく、気分や情感としてとらえられるもの(抽象名詞)も実体として扱うことが可能になります。 そもそも、何かを認知することは五感で(知覚器官によって)とらえられるだけでなく気分や情感によってとらえることでもあると思うのです。というわけで、I feal some fear. においてはfearは実体を表すということで論を進めます。 ここまでの話をまとめます。数えられるものも数えられないものも文中で言い表わされる場合は原則として限定詞が必要とされますが、数えられないものがカテゴリーを表す場合のみ例外的に限定詞が必要とされません。きちんと紹介しませんでしたが、可算名詞でも無冠詞で概念的な表現を行う場合には限定詞が必要とされません。(go to school / work as interpreter ---)  この考え方だと、ある原則があってそれに対する例外が存在することになります。例外規定を設けずに統一的に見ることを可能にしようと思えば、カテゴリーを表すwaterに実は可視化されない限定詞がついているのだと言いくるめることも可能です。それをゼロ冠詞と呼んでいる人がいます。英語のzero articleが日本語訳された時に無冠詞という呼び名になったものと思われます。この場合の<無冠詞>は語彙化を可能にするという働きを持っていることになります。 私には、ゼロ冠詞は実体ではないのに実体と同じ扱いを受けるための免罪符あるいはおまじないのようなものに思えますが、それはそれであっても構わないと思います。 私が問題にするのは、zero articleまたは<無冠詞>という考え方を導入して、冠詞を統一的に指導すべきなのか、それとも、カテゴリーを表す場合の不可算名詞は限定詞なしでフリーパスで文中で使うことができるとすべきなのか、どちらの考え方がよいのかということです。自分はこういうふうに説明することにしていると決めておられる方がいらしゃればご意見を聞かせて頂ければありがたいです。 もう一つ問題点があります。固有名詞(の本来の用法)の取り扱いについてです。(a Mr. Smithというふうな普通名詞的用法は今回の議論から省きます)。固有名詞は実体そのものなので、問題なく文中で使えます。限定詞を必要としません。もちろんゼロ冠詞も必要としません。だから冠詞なしで使うわけですが、カテゴリーを表すwaterに冠詞がつかないのとはわけが違います。ですから、固有名詞を無冠詞で使うという言い方は誤解を招く可能性があります。冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考える(説明する)必要があります。  ここで冠詞および限定詞というものの働きを統一的にとらえて、いかなるもの(名詞)にも限定詞がつくのだと主張したいのであれば、固有名詞につく冠詞---眼に見えない冠詞でゼロ冠詞にかわるもの---を呼び名として作らなければならないことになります。調べてみると、null冠詞というものを提唱している人がいることがわかりました。たしかにこうしたものまで導入すれば冠詞の統一的な説明は可能ですが、不可視な冠詞が2つもあることになるし、冠詞が全部で4種類も存在することになってかえって煩瑣なような気がします。といって、冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考えるのもうっとおしいような気がします。ゼロ冠詞という呼び名だけでも使ってみようかと考えたりもします。  私としては大学入試レベルの英作文で冠詞の選択(a名詞 / the名詞 / 冠詞がつかない名詞)が生徒によって確実に行われるかどうかが問題なので、ゼロ冠詞とかnull冠詞とかを導入する必要はないのですが、そのこととは別に自分なりのスタンスを持っていたいと思うのです。ご意見を伺いたいと思います。 ---ところで、There is frost in the garden. におけるfrostは<霜>というカテゴリー全体のうちの部分を表しています。つまり、someがなくても実体を表しているわけですが、話がややこしくなるといけないので、この件は今回の質問では扱いません。I feel fear now. についても同様です。いずれ、この問題に関しても質問する予定です。

    • feeders
    • 回答数7
  • 20歳から数学者

    質問があります。 今私は浪人生です。中学受験をして偏差値70程の(いわゆる御三家とか言われる程凄い学校ではありません)学校に合格したものの、入学後一ヶ月で不登校になり、それからずっと不登校で、漸く17歳の時に高卒認定(旧大検)を取得するも、大学受験現役当時、右肩を骨折し、一浪するなら、と海外留学を目論むも、留学先へ渡航し一ヶ月もしないうちに父の癌が発覚し、保険に入っていなかったため、金銭的事情から、日本へUターン、その時には既に10月で、自分の望む大学への受験準備は間に合わず、二浪を選択するも、モチベーションが全く上がらず、何もしないまま今年の受験になりました。 身の上話はこんなトコロで、話をもとに戻すとこの歳から高等数学(大学課程の数学)を初めて、果たして物になるものなのでしょうか?第一線で活躍している、数学者の人たちは遅くとも、20代後半で花開くと言われ、そして、実際に高名な数学者の華々しい成果を見ると若干20歳程で、博士課程レベルの数学を物にしています。勿論その人達が一握りのなかの一握りの天才であることは知っていますし、自分がそうなれるだなんて夢にも思っていません。 しかし、確かに若さというものが数学を探求する上で欠かせないことは間違いのないことだと私は考えさせられました。前述のとおり私はまだ浪人生で、入試に必要な分野しか知りません(実を言うと微積分学については大学の内容を勉強しました。)普通の理系の人たちと比べても2年遅れています。その20歳の時の2年の遅れが大学で数学を学ぶ上で致命的なのではないか、だから今から数学科に入っても、遅いのではないか?数学史上の稀な遅咲きの数学者の偉人は知っています。しかしその人達は史実で知られてる天才であって一般例ではありません。しかも、そのような偉人でも高齢で数学を勉強して陽の目を浴びた人は自分が知る限りでは数少ない例です。 20歳で高校数学+αしか知らない、今年から大学課程の数学を学ぶ。 これはハンデキャップになるのでしょうか? 再度身の上話を交えながら質問の意図を明確にしたいと思います。 もともと、私は数学には興味がありませんでした。 しかし、17歳の時出会った、数学の予備校講師との出会いによって私の数学に対する味方はまるで変わりました。私が最も勉強をした時期、それは中学受験まで遡るのですが、数学と云われると私にとって、それは中学受験の算数でした。それは非常に直感に頼るもので、あいにくそう言った直感の働かない、馬鹿な私は中学受験当時算数が大嫌いで、算数の問題パターン全てを丸暗記して、自分の志望校に合格したほどでした。だから、高校数学もそういった自分には向いていない、パズルを一瞬で解くような才能が必要なのだろう、そう考えていました。 とにかく高校数学を学ぶ際、私を担当する先生を苦労させました。 自分の教科書を見ると、どこどこが曖昧だ、とか、それは一般的ではなくて、この時は成立しない、だとか、厳密ではないとか注釈や二重線が大量に入っている程で重箱の隅をつつきまくっていました。 なので、担当する先生にそういった質問をぶつけると、それは大学で詳しくやる、だったり時には、根拠もなく、お前の考えは間違っている、と言われ、それでも僕はじゃぁ僕が間違っている根拠を説明して下さい、と引き下がらずまるで授業は成り立ちませんでした。ひとつ、疑問や矛盾を見つけるとそれを解決せずには先へ進めませんでした。 その時現れたのがその自分を変えた数学の教師でした。 数学科を卒業し、二十数年高校の教員をしていた方でした。 その先生は能率などまるで無視し僕の質問に厳密に厳格に答えてくれた上で 僕に様々な書籍を紹介してくれました。それは、大学以降で学ぶ数学の概要や現代数学の発展の歴史であったり、僕にとって非常に刺激的な物でした。そこで初めて、数学の構造性、形式性、そして数学という学問自体がそれを問題としていることを知り、興味関心は収まりがつかないほど膨れ上がり、数学科を志望することに決めました。 その先生は僕の事を非常に高く評価してくれていて大学への進学という関門によって君の才能が詰まれるのはあってはならない事だ、と言ってくれます。その先生は非常に変わった先生で通勤時間に小さなメモ帳にびっしりと数式を書き詰めて、独自の定理を証明していたりするのですが、たまに、僕にそのメモ帳を見せてくれて、意見を聞かれることがあり、何が書かれているか、半分分からず理解できる範囲でこうなのではないか、と意見を述べたところ、後日、君のおかげで証明できた、君に言われなければ、きっと発見することが出来なかった、と言われます。統括して、その先生いわく、君の厳格さや厳密さ、執着心が大学の数学を学ぶときに頭角を表さない筈がない、らしいです。 他にも、東大の博士課程の物理の先生に、君は努力を続ければ、研究者になれる才能がある。 と言われたり、中学、高校も行っていないのに、1年も掛からず物理の全範囲を終えた、僕の教えている生徒の中では一番優秀だ、とも言われました。 さて良い側面ではその様に私は評価されます。 然しながら自分では何故その様に評価されるのか理解に苦しまざる負えない理由があります。 第一に私の入試問題上の数学の成績は努力相応のもので、雷鳴が如く瞬時に天命を受けたかのように入試問題をとく様な所謂、ステレオな数学の秀才、ではないからです。自分はじっくりゆっくり考えるのが好きで、確かに解けるけど、制限時間がなぁ、ということがよくありますし、なんというか生まれついてのおっちょこちょい(実は自分はADHDでアスペルガーです。)で、10回に6回計算ミスをするものですから、非常に注意深く検算をして時間を食います。世間一般にイメージされる数学の秀才と言えば、よく黒板なりノートに凄い勢いで式を書いてますよね? 灘や開成といった超名門校の生徒の高校時代の逸話を聞いても、自分の数学の問題を解く姿勢、速度とは一致しませんし、その辺の学校の数学な得意な生徒、とくらべても劣っていると感じるくらいです。それから物理の勉強に関して言っても正直僕は上辺だけの理解だと思っています。正直言って勉強の時間さえ取れば、上辺だけの理解なら1年と言わず3ヶ月もあればこなす自信があります。裏を返せば、教科書レベルの知識を単純に掠めとって、章末問題を解く程度であれば本質を理解せずとも解くことが困難でないということで、物理の先生が指摘する優秀さ、に疑問符がつきます。 他にも多々理由はあるのですが、評価されるにはそれなりの理由がありますから、自分が全く才能が無いとは思いませんが、果たして、物理や、ことさら、数学の先生が言うほどのものか、学者を目指せる程、目指さないのが勿体ないほどのものか、全くもって疑わしくてなりません。特に数学の先生からの評価は買い被りではないかと思うほど凄まじい物です。 似たような質問は件の数学の先生にも物理の先生にもぶつけましたが 数学の先生からは高校数学なんて単に容量の良さだからね、大学での数学を解けるための必要条件でも無ければ、十分条件でもないよ。物理の先生からは君のいう上辺だけの理解を大半の生徒がしている、君のいう本質的な理解をしている生徒や、理解しようという姿勢のある生徒は中々いないよ、そういう君の姿勢を評価しているんだ、との事でした。 皆さんは冒頭の質問も含めて、どう感じられますか?または考えますか?

    • bokuha
    • 回答数9
  • 海外旅行の機内で隣になった人が忘れられられない…

    良ければ二十台半ば以上の女性にアンサーして頂けると幸いです。 3ヶ月程前の事です。 私はスポーツと音楽を目的に海外旅行に行くのが大きな愉しみで、その時もそうでした。 しかし私は個人旅行が主なうえ、目的のためには恐れを知ることなく何処へでも出かけていく 悪癖のせいか、海外では大小様々なハプニングに出逢うケースが頻繁にありまして、 ご多分に漏れず今回も最後の最後で結構なしくじりをしでかしました。 経験の多さゆえか、例によって全くと言っていい位懲りていない(はずだった)私は搭乗券を手に 自信満々で腰掛けた後、見知らぬ英国人に肩を叩かれ、シートを間違えたことに気づいたのでした。 件の方に謝罪をして席を移った時、隣に座っていた女性に一言断りの言葉をかけました。 彼女は笑顔でよけてくれました。 この瞬間が、今に至るまで私の心を捉えて離さない人との出会いとなるとは、 知る由もなかった・・・。失礼ながら見た目が第一ではない私の目にも彼女は好みとは ほど遠いタイプでした。 窓側の席だったため「時々通路を歩きたいのですがよろしいでしょうか」といった言葉から 入ったと思います。なんてことはないありきたりなやり取りから始まり、その内会話は止まらなく なりました。私は普段海外渡航に際し、一定のルールを課しており、(例えば、帰国まで諸事情で ツアー参加等の場合を除いて日本人とのコミュニケーションは慎むなど)、 今思えばそれに抵触しているのを自分でも忘れてしまうほどに楽しかったのだと思います。 共通の好きなバンド、映画、海外ドラマ、現地での体験談、巡った地域の文化や歴史について、 お互いの育ち、職場等のバックグラウンドetc... 合間に「疲れてない?眠くない?嫌だったら率直に伝えてね」と私はしつこいくらい念を押しました。 というのも彼女の滞在スケジュールも中々ハードでしたから。 しかし彼女は「でも楽しいからまだ続けたい。それで…」3時間はこんな調子でした。 暫くして音楽が聴きたくなり、私はプレイヤーを荷物入れから出すため通路に出て、ついでに 手洗いを済ませて戻ってきたら、彼女はヘッドホンを着けてウトウトしている所でした。 途端に私の脳裏に彼女に申し訳ない思いが過りました。 『無理をして合わせていてくれたんだな』って。そしてこれまでのコミュニケーションの動機も 恥じました。人のよい彼女につけ込んでそのかけがえのない非日常の時間を手前勝手に 奪い『消費』していたかもしれないと。 そして音楽プレーヤーを聴きながら本に目を通してやり過ごし始めました。いつものように。 機内食の時間になっても彼女は眠ったままでした。通常機内食は後からでもオーダー出来ます。 しかしこの航空会社はそこらへんのサービスの融通がきかないため、後から頼むと予備のメニュー になってしまいます。もちろん種類も選べません。それも経験済みの私は暫し考えてから、 彼女に声をかけました。 すぐに目覚めた彼女はお礼を言ってくれて、またその端から会話が始まりました。 さっきまでと違うのは、『ある種の甘えは厳に慎むべき』という意識を強く持っていたことです。 しかしまたしても話は止まらなかったのです。少し途切れてもどちらともなく話題が出ては 繰り返され、時間はあっという間に過ぎていきました。 多数の人とアポを取る必要がある仕事柄トーク術のイロハ、最低限のマナー位は心得ているつもり でした。しかし彼女の持つ不思議な磁力に引き寄せられている自分に薄々気がついていたと思います。 当然消灯時などには私から自発的にこの状況を切る機会を作りもしました。 もちろん彼女はすぐに眠りに落ちるわけなのですが、最初のときからそうだったのですが 気がつくと私の肩にもたれかかっているのです。時々気がついて「すみません」と言うので その時は笑顔で応じる訳なのですが、また五分もしないうちに肩に彼女に感触があるのです。 この間私は不思議と安心で満たされていました。 そしてまた起きるとお喋りです。あっという間の14時間でした。 何事も無く着陸し、搭乗ゲートを潜って出入国審査に向かいます。相当に早足だったのですが、 隣には彼女がまだいました。歩くペースを落としてもそれは変わりません。聞くと、「明日明後日は お休みをとっているから大丈夫です」と答えていました。この期に及んでもまだ私は少しずつ芽生え だした本当の思いに気づかないままでした。 気がつけば手荷物受け取り場でも二人でした。同じ便に乗り合わせた周りの乗客は皆中々運ばれてこない手荷物に焦っている様子でした。 私は幸か不幸かロストバゲージに遭うこと8回の間抜けな海外経験を持つため余裕を持って待ち、 無事拾ったのですが、訳有って貴重品を詰めていた彼女の手荷物が出てくる気配がなく、とても不安 がっていたため、荷物が出てくるまで、また万一出てこなかったら力になれるかと付き合うことにしました。随分遅れたものの、それが無事出てきた時、私はその場を離れる機会だと悟りました。 その時の自分の感覚ははっきり覚えています。しかし私は以前より歳を重ねていることも自覚しています。「例によって吊り橋症候群か、まだまだ僕は青いなあ」など心の中で呟き、思いを断ち切りました。それに最初に席を立った時から私は気持ちを切替えていたのですから。 そんな思いに駆られている間まだ彼女は隣でトランクをチェックしていました。 そして私はその場からそっと離れ、遠くから手を振り別れの挨拶をしました。 彼女は一瞬虚をつかれたような様子に見えた気がします。 が、少し遅れて手を振り返してくれました。 名前すら聴かなかったのに、もとい聴けなかったのに、至福の時間を与えてくれた彼女に感謝して 空港近くのホテルに向かいました。 男女の機微は最低限気づく方だと思います(周りからは異常に鈍いとよく指摘されますが)。 これまでも人並みの経験はあります。先にも吊り橋効果の話をしましたが、それなら時間が 経つにつれて気持ちは離れていくはずです。しかし本当に困ったことに日増しに想いは強くなる 一方なのです。せめてアドレスくらい交換すべきだったとは思います。しかしあの時の割り切りと 下心を見せては失礼だというある種の思い込み、恋愛めいたことから離れて少し時間が あることもあり、それは出来ませんでした。 近頃、断ち切れない想いが苦しさに変わり始めました。この年齢になってもまだこういうことが 起こりうるのかと今更ながら驚いています。私は一目惚れの経験はありません。 周りの女性は年下ばかりです。 相談を持ちかけられることはあってもその逆はありませんでした。 思い切って古い知人に会うことにしました。 (ちょっと複雑な経緯があって距離を置いていましたが、一つ年上でだいぶ長い付き合いです) かいつまんで話したところ、返ってきた内容はシビアなものでした。 「おい、お前それでも男か?だいたいね、昔から絶望的なまでに鈍いヤツだとは思ってたけど、 いくら何でもそれは鈍すぎる、やっぱりお前はゾウ、マンモス、いやブロントサウルス並みに鈍い」と厳しい返答が返ってきました。 私は自分に言い訳をするように抗弁しました。ひと目で惚れたわけじゃないし、 最初の方で引かれた兆候があったし、とか、その彼女は元々は大阪の人で(私は関西の女性に 個人的に畏敬の念を抱いている)、東京在住僅か一年で、こちらの私が何時間も話しても 気づかないほど標準語が巧みであり、かつコミュニケーション能力の高い女性でとても 敵わないと思っただとか、仕事もキャリアも持ち合わせていて、収入こそ近年人並みになったとは言えフリーランスが長かった自営の僕とは釣り合いが取れないとか、僕で本当に良いのなら、世間慣れしている はずの彼女からアドレスくらい聴いてくるはずだとか 最後に至ってはは酒のせいもあって支離滅裂な言葉を繰り返しました。 しかし年上の彼女は断言するのです。「どっかのおバカさんと違って話を聞いてれば向こうの心の推移は分かる。 あのね女は男と違ってやりとりしながら細かく観察して少しずつ理解して好きになっていくんだよ。 でなきゃ到着間際にシングルだなんてわざわざ知らないヤツにアピールしないよ。 彼女はお前が言うより意外と奥手。お前は折角、手荷物受け取りや税関手続きまで一緒に居てもらって 連絡先くらい聞くチャンスまで与えられて逃げ出した」 「手掛かりはある。そのいくつかの共通のお気に入りのバンドはよく来日するからそれを待ってみな」 (私:無理に決まってる…) こんな度を越した冗長な文章の質問を最後まで読んで頂いて有難うございました。 今思い出すのは席に戻った時の彼女の寝顔です。 何故かその時だけ眼鏡をかけてはいるものの、まるで似合っておらず、 ほとんど化粧っ気のない少し緩んだ表情は三十台前半くらいに見えました。 私は未だにあんなに見ていて切なく愛おしい寝顔に出会ったことがありません。

  • 告白されたのに、相手は自分のことを何とも思ってない

    慣れておらず、長文で支離滅裂な内容かもしれませんが、どうかよろしくお願いします。 私と彼は、大学一年生の頃から同じサークルの同期です。 彼のことをかっこいいと思っていましたが、好きなタイプを聞くと「自分のことを好きになってくれるなら誰でもいい」と答えた彼に疑問を感じ、結局私は大学1年の終わりにひょんなことで3歳年上の学科の先輩と付き合うことになりました。 (私は付き合った人数は多いですが見た目も性格も悪く、彼は自分ではモテないと言っていますが吊り合わないと思ったのです) 飲み会とかではよくLIKEの意味で「大好きー」と私も言っていました。その度に、「彼氏持ちには興味ねぇよ!」と返されていました。 私も笑っていましたが、彼にとってやっぱり私はないんだなーと思ったのは事実です。 2年生の途中で、彼への思いが自分の中で恋愛感情に一瞬でも変わる気配があって、彼に頼んでメールで振ってもらいました。 私の中で彼はずっとアイドル的な存在で、彼の写真を撮り続けることで4年間満足するようにしていました。 3年に上がってからは、飲み会で私達の2ショットが撮りたいと後輩に言われると、彼は何も言わずに私の肩に手を回してくることがありました。(それまでも頭撫でられたりはしょっちゅうされていましたが、サークルの先輩方も結構撫でてくるので違和感はありません。でも肩を抱かれたのは初めてです) 男女の友情は成立すると思っている私も、これには疑問を感じて「どうして私にだけベタベタしてくるの?」と聞いたことがあります。(お酒入ると彼は男子相手にベタベタしていましたが、彼が自分からやる女子は私だけなので) すると「他の奴だとセクハラになるだろ!お前は怒らないからやるんだ」と言われました。 それで、彼にとって私は恋愛対象ではないんだな、と改めて痛感しました。 実際、私への彼の態度をを見た女の先輩に彼は頼まれると、同じように先輩の肩に手を回しました。それに、男子にも同じようにやっていても、やっぱり男だからこそ女の身体に触れたいから、仕方なく私にもするのだろうと、ずっと思っていました。 3年の夏に私は別の理由で付き合っていた相手と別れましたが、彼や親しい同期の中において恋愛禁止の雰囲気があり、今まで通りの仲でいるようにしていました。 しかし、中途入会してきたかわいい女の子からクリスマス前に呼び出され、彼のことが気になるから仲介してほしいと頼まれました。 『自分のことを好きになってくれるなら誰でもいい』と彼も言っていたので、よかれと思って結局彼と彼女の間に入りました。 それでも二人が付き合うことは誰よりも私が分かっていたので、彼女のアドレスを教えるときにメールで「後悔はないよね?」とだけ彼に聞きました。 「ないよ」と返ってきたことで、私は再び彼を諦めることにしました。それからしばらくして、二人が付き合い始め、彼はサークルのイベントにほとんど顔を出さず、来たとしても私とはあからさまに距離を置いていました。おそらく、彼女が嫉妬するからだと思います。(彼にとって初カノです) この時期、彼の写真も全然撮れませんでした。彼女がいると、こんなに距離が出来るのかと少しショックでした。 初めてのキスをしたと彼女から報告を受けましたが、忙しいのと苦しいのとで彼女とは全く連絡を取らなくなりました。 結局、私は以前付き合っていた3歳上の先輩と寄りを戻しました。 4年に入ってから、彼は段々とまたサークルのイベントに顔を出すようになり、その様子や風の噂で彼女と別れたことを知りましたが、彼の口から彼女の話を聞くことはありませんでした。 卒論で忙しい1月でも、私の家で飲み会をするから来てと冗談で言ったら、車で一時間かけて本当に来てくれました。 飲み会でみんなが帰ったあと、私の部屋で昼間に2時間ぐらい二人っきりになったこともあります。 最近では、「『卒論頑張れ』ってお前がメールで言うから、寝ようとしてたのにやったんだぞ!」という文句や、私がサークルのイベントに寝坊して参加出来ないと「お前がいないせいで誰とも話せなくて泣きそうだったんだぞ!」と怒られたりもします。 彼にとって、一番仲いい同期は男子を含めても恐らく私である自信は一応あります。 彼氏からは私が院を卒業したら結婚しようと言われていましたが、ドキドキすることもなく、性行為も苦痛でした。しかし彼氏とは一緒にいて楽なので、これが幸せなのだと思うようにして過ごしていました。 すべてが変わったのは、今年3月頭にあった追い出しコンパです。 席が離れていたはずなのに、いつの間にか私の席の近くに彼が来ていました。 それに気付いて酔って気分が高まっていた私は彼に抱きつく格好をすると、彼も手を回してくれました。 それからは普通に飲んでいましたが、後輩がカメラを構える度に彼は私の肩に手を回していました。(私も彼の腕にしがみついたりしました)ここまでは飲み会でよくあることです。 その2次会で、「私たちの学年で良かったか?」と同期女子が彼に尋ねたところ、「◯◯(※私)がいたから良かった」と言ったのです。 それを聞いた他の同期女子たちが、ふざけて「私は?」「あたしは?」と彼に聞きました。いつもの酔っ払った彼のテンションなら、「お前らみんな大好きだー」とか言うはずです。 ですが、彼は黙ったまま下を向いてしまいました。そこで私も、最初は冗談だと思っていたものの、様子がおかしいと思いました。 周囲もざわつき始めると、「他に名乗り出る奴いねぇか?!」と訳の分からないことを彼はみんなの前で言い出しました。 見かねた他の同期に二人で話すように言われ、私は彼の隣に座っていた男子に頼んでその席に移動しました。 彼はぼそぼそと、分かりにくい遠回しの表現でよく覚えていないのですが、要約すると「好きって言われてると少しは考える」というようなことを私に言ったはずです。 「あーこんな中途半端な酔いじゃ覚えてるし、こんなこと言いたくないんだよ……」と言いながら彼が口にする言葉を、信じられない気持ちで私は聞いていました。 酔っぱらいの戯言、と最初は冗談として流す気でいましたが、つい「私、二度も振られてるんだけど」と言いました。 すると彼は、「あの時、彼氏いないなんて知らなかった。あーー!!」と頭を抱え始め、私もようやく彼の言うことを信じようと思いました。 しかも、『誰でもいい』と言っていた彼の口から私の名前が出たことで、真剣に考えなければいけないと考えました。 結局、日本酒を大量に飲んでいたらしくその後吐き始めた彼を介抱し、一人暮らしの私の家に連れて帰って寝かしました。 翌日、起きた彼にどこまで覚えているか尋ねたところ、「吐いてからは覚えてないけど、ここまで来たことは覚えてる」と言っていたので、吐くまでのこと(私への告白まがいの流れ)は覚えているんだと内心理解しましたが、黙っておくことにしました。 それから、一週間考え、3年近く付き合った先輩とは別れました。 別々の日に計2通、『追いコンの夜に言ったことはどういうつもりなのか』という旨を書いたメールを彼に送りましたが、返信がありませんでした。 元々彼はメールが苦手ですが、おそらく彼にとって黒歴史で掘り返したくない内容なのだろうと同期女子に言われました。 それで直接聞くことにし、引越しのために車を一日出してもらうように彼にお願いしました。 夕飯はどこに行きたいか彼に聞くと、大学近くの安中華料理店の名前を彼は出しました。 私もそこで何かおかしいと内心思いましたが、その店で2時間も私たちは話していました。(デートには誘えませんでした) 改めて帰りの車の助手席で、まず彼氏と別れたことから伝えると彼は怪訝そうに「は?」とだけ言いました。 彼はしばらく黙ったままで、そんな彼に「◯◯(※彼)のことを良く思ってるけど、追いコンのことは突然すぎてどういうつもりなのか分からない」と伝えたところ、 「追いコンって何の話?」と言われ、私もようやく彼と自分に温度差があることに気付きました。 彼は覚えていると言っていたのに、内容を聞いてみると私の記憶とは全く異なっていました。 それで私が、「もしかして、覚えてもないし、そんなことそもそも考えてないってこと?」と尋ねると、彼はただ頷いただけでした。 覚えていないのはまだ許せます。けれど、『考えてもいない』というのが引っかかって仕方ありません。 お酒が入ると言えずにいたことが言いやすくなると思っていたのですが、 お酒が入ると言いたくもない、思ってもいないことがすらすらと出てくるものなのでしょうか? そんな人に今まで出会ったことがないので、4月半ばの今でもこのことでもやもやしています。 彼のことを嫌いになっても仕方ないはずなのに、好きという気持ちは収まりません。それに彼に想われる可能性があると考えると、今となっては諦められません。 今回のような思わせぶりな態度で後輩を傷つけて欲しくないので、お酒飲むなと言いましたが、飲んでいいよと最近は言ってしまっています。(飲まないと彼は話せないので) 私はあと一年しかサークルにいれないので私がいなくても後輩と話して欲しいのに、「俺もサークルやめよっかな」とか言っています。 長くなりましたが、お尋ねしたいことは以下のことです。 ・お酒の勢いだからって、全く好意を抱いていない女友達に告白なんて出来るのか? ・これで振られたのは3回目だが、彼と付き合える可能性はあるのか?(私から言うのは構いません) ・そもそも彼はどういうつもりなのか? よろしくお願いします。

  • 卒業旅行でシンガポールとマレーシアに行きたい

    卒業旅行でシンガポールに行こうと思っています。母が、シンガポール行くならマレーシアも行ってくれば。と言うのでセットで行きたいのですが、4泊5日くらいで足りるでしょうか?予算は旅行費用と現地で使う分で10万以内には収めたいです。出発地は羽田か成田です。(安い方で) また、シンガポールからマレーシアへの移動は飛行機がオススメですか? バスは安いですが大変そうだなと… 海外旅行自体が初めてなのですが、シンガポールは添乗員なしでも大丈夫でしょうか? そのほかオススメのお土産、アドバイス等ありましたら教えてください。よろしくお願いします。

  • (1)他国との関係がどんどん悪くなり、日本の方向がます

    (1)他国との関係がどんどん悪くなり、日本の方向がますます危なくなっていっている気がします。戦争からも逃げられなくなっていってる気もするし、ミサイルもまた来るのではないかという不安と恐怖があります。ロシア?が開発した低空飛行のミサイルも脅威ではありますし、これから先のことや皆さんの意見を教えてください。 (2)今日起きた地震と昨日の火球は繋がりがあるのでしょうか?ツイッターで流れていますが、今日の地震を予知している人もいたみたいでその人が他の日も予知してて今回も当たったし前回も当たったみたいで怖いと思いました。今回の震源地的に南海トラフが迫っているということでしょうか?私は新潟に住んでいるのですが、今後新潟に巨大地震が起こることはあるのでしょうか?南海トラフの時の新潟への被害はどのようなものやどのくらいの規模があるのでしょうか? 言葉がまとまってませんが、どうかよろしくお願いします‪(;-;)‬

  • 第二次大戦時の日本軍による被害国は、

    たくさんあります。 中国、フィリピン、ビルマ、インドネシア、ベトナム、等々 いまだに文句を言い続けているのは中国と韓国だけです。 でも中国は最近、それをやめました。大国になった現在、日本と手を結ぶ方が得と判断したようです。 今や反日国と言えばコリアだけと言っていいでしょう。 韓国は被害者と言えば被害者かもしれないけど、硬直した両班制度で立ち行かなかった国を併合で近代国家にしてもらったのでむしろ日本に感謝すべきです。現に台湾は同じ時期に併合されたのにちっとも反日ではありません。むしろ親日国です。東日本大震災では多額の援助金を送ってくれました。 コリアって本当に被害国ですか? ヨーロッパ諸国はナチスドイツとの戦争の被害者で間違いありませんが、韓国は日本と一緒に連合国と戦った立場です。実際はオーストリアの立場でむしろ韓国がよく日本に言う戦犯国なのではありませんか?

    • 4237438
    • 回答数5
  • こんな会話した事ありますか

    会話1 子「日本の国旗て何」       親「スポーツの時に掲げる旗だよ」 子「スポーツ界の代表旗だね」 会話2 子「門松て何」          親「家の門に松の木を立てるんだよ」 子「それがどうなるの」      親「何にもならないよ」 会話3 子「年賀状て何」         親「葉書に挨拶を書いて付き合いのある人に出すんだよ」 子「ラインでやってるから書かなくても良いよね」 会話4 子「君が代て何の歌」 親「遠い昔(明治)に出来た国の歌だよ」 子「意味がわからないし、のんびりした歌だね」 親「これもスポーツの時に流れるよ」 子「これもスポーツ界(相撲・ボクシング・オリンピック等)代表の歌か」 平成が終わり、新しい時代に生まれる子は益々無関心な伝統文化、他国から 移民してくる外国人と日本人が結婚、日本国に外来種があふれ在国種の日本 人は皇族のみと成るかもしれません。将来その時代まで歯止めはききません。 それが孫達の未来だと思います。ご意見をお持ちしています。

  • 歴史認識について

    韓国は日本と共に戦争で戦ったとする言い回し(認識)は誤りではないですか?

    • noname#251489
    • 回答数9
  • なぜフランス国民は怒るのに日本国民は怒らないのだろ

    なぜフランス国民は怒るのに日本国民は怒らないのだろうか? 国際カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。

    • 加藤
    • 回答数7
  • もしも断層が、決してズレないガチガチのものならば地

    もしも断層が、決してズレないガチガチのものならば地球はどうなりますか?

  • 婚約者が会社の同僚と海外に売春旅行に行っていまし

    30歳会社員女性です。3年お付き合いしている彼氏(会社の同期で以前は同じ部署でしたが、2年前に私が違う部署に異動したため今は仕事で関わることありません)からクリスマスにプロポーズされ、OKをしていたのですが、その数日後、彼が半年ほど前に同じ部署の部長など6~7人と海外に買春旅行に行ったことが発覚しました。 発覚した理由は、彼がうちに泊まりに来たときにごみ箱に海外で買い物をしたレシートが何枚か入っており、不思議に思い聞いてみたところ、「やましいことがあるから言えなかった。夜遊びのための旅行に参加した。現地で毎晩女性を買って行為をした。」と告白されました。 その晩は言葉も涙も出ず、全身から力が抜けていくような感覚に陥り、その日は話せないと思い、彼には帰ってもらい数日後話をすることになりました。彼がそのようなことをしていたことが一番ショックでしたが、わざわざ海外まで行ったこと、私が以前所属していた部署の人たちまで私を裏切っていたのかと思うと、食事も喉を通りませんでした。しかも、旅行に行った時期は私が病気で休職していた1ヶ月の時期でした。 数日後の話し合いで、彼は5時間泣きながら謝罪し、「行った時期は○○(私)とけんかしていてやけになっていた。もう二度とこのようなことはしない。○○を愛しているのにこのようなことをしてしまい、とても後悔している。結婚は一旦白紙に戻して1から関係を築いていきたい。病院で性病の検査をしてきたので後日結果を持ってくる。」と私に言いました。別れるつもりでいましたが、5時間話を聞くなかで、私もまだ彼のことがまだ好きなんだなと、彼をもう一度信じてみようと考え、別れない選択をしたのですが、1週間経ち、もやもやした気持ちが再び出てきました。彼のことはまだ好きだけど本当にこれで良いのだろうか、彼を信じて大丈夫なのだろうか、仕事中もそんなことが頭に浮かびます。なかなか友達や家族に話せるような内容でもないですし、どうすればいいのかわかりません。 このような経験をされた方いらっしゃいますでしょうか… 何かアドバイスをいただけると嬉しいです。

    • plpl123
    • 回答数19
  • 日本と韓国

    日本と韓国 今レーダー照射の問題で両国とも一歩も譲る気配の無い国際問題となっていますが、何故そこまでこじれて仕舞うのでしょうか?国と国が直接的な武力行使を行わないためにスポーツでの国際大会があるのではないでしょうか! ここは日本VS 韓国女子バレー対決で決着を着けたらいかがでしようか? もちろんレーダー照射事件は、お互い不問にするという前提条件で!

    • agnes20
    • 回答数13
  • 今だからこそ、残しておきたい格言や、ことわざ。

    年が変わり、皆様も新しい抱負やテーマなどお持ちの事と思いますが、同時に困ったなと思う世の中の問題や、自分の身の回りの出来事などお有りじゃないでしょうか。 そんな時に相応しい、格言や諺をご紹介頂きたいと思います。 僕が今気になってるのは、外国人の受け入れ問題です。 人手不足で困ってるところが有るのは、何となく分かるのですが、本当に今外国人の受け入れが必要なのか疑問に思っています。 僕が育った昭和の中頃は、人口が9500万人でしたが、政府は子供を増やさないための「産児制限」という政策を取っていました。 それでも経済は右肩上がりで発展し、今に至っています。 そして、日本より人口の少ない国でも、一人当たりのGDPが日本より高く豊かな国が幾らでもあります。 そして今、一番言いたいのは、増えすぎる外国人による、犯罪や治安の問題、あるいはゴミの不法投棄や各種マナーの問題まで、気になることが山積みです。 そんな時に言いたい「悪貨は良貨を駆逐する」 「悪がはびこると善が滅びる」ということを、最近身近で感じることが多くなりました。 彼らは、集団で陣地を広げてきます。 言っても効き目が有りません。 政府はどうしてわからないのでしょうね。 困ったもんです。 身近で、もっとホットでウィットに飛んだ、チョットした事柄でも結構です。

    • 5mm2
    • 回答数31
  • 日本はあと5年後に労働力が583万人足りなくなるそ

    日本はあと5年後に労働力が583万人足りなくなるそうです。 外国人技能実習生の受け入れ予定は100万人もいない。60万人の雇用しか考えていない。 5年後に523万人分の労力が不足するのですが日本はどうするつもりですか?

  • 江戸時代、魚の行商。

    広重の「東海道五十三次之内 日本橋 朝之景」には、仕入れた魚を市中に売りに出ようとする行商の魚屋が描かれています。 これらの魚屋は、どの辺りまで行商したのでしょうか。 江戸四宿と呼ばれる千住、板橋、内藤新宿、品川まで売り歩いたのでしょうか。 品川は海に近いので、落語“芝浜”のとおり魚は地元で賄えたはずで、日本橋からやってくることはなかったでしょうね。 よろしくお願いします。

  • ご意見お聞かせください。江戸時代ってどんな時代?

    Webメディアの「アゴラ」で活動している、徳島文理大学と国士舘大学で教えてはる、八幡和郎さんは、「江戸時代=暗黒時代、今で言えば北朝鮮」と、一貫して言うてはります。「アゴラ 八幡 江戸時代」で検索🔎すると、いろいろ、スゴい文章がヒットします。 対して、僕は、これまでに読んだ本から察するに、江戸時代には至らない点も多かっただろうけど、少なくとも暗黒でも、北朝鮮でもないと思います。 まぁ、一口に「江戸時代」と言っても、都市と農村ではまったく事情が異なりますし、第一、江戸時代は長い。 戦国の余韻が残っていた初期と、明治維新直前では一緒になりません。それに、体験者もいない、となれば、結論や正解は出ませんわな。 で、皆さん方の、「江戸時代ってこんな時代」と言うお考えをお聞かせください。なお、その際に、「こう言う本にこう出てた」と、書名をあげてくださるとありがたいです。 で、まずは、僕の読んだ本,,,「花暦八笑人」(瀧亭鯉丈)「東海道中膝栗毛」(十返舎一九)「浮世床」「浮世風呂」(式亭三馬) 「元禄御畳奉行の日記」(神坂二郎)「江戸の旅」(岸井良衛)「江戸の刑罰」(石井良助)「江戸名物評判記案内」(中野三敏)「幕末百話」「戊辰物語」,,,この辺です。 なお質問の性質上、ベストアンサーは決めません❗

  • 大阪最古の神社は生國神社ですが日本最古の神社はどこ

    大阪最古の神社は生國神社ですが日本最古の神社はどこですか?