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  • 悪い遊びをした方がいい? 感受性の取り戻し方

    おはようございます(・ω・*) いつもこちらではお世話になっておりますalufaravenと申します(^∀^*) 今年22歳を迎えましたd(・ω・´) 今回の質問なのですが、僕は以前働いていた職場では真面目すぎると問題視されていたました(´ω`;) 例えば、ちょっと注意されると落ち込んでしまったり・・・ 接客業なのに人に話しかけて、ちょっと真面目すぎてお客さんが警戒しちゃうと注意されたり・・・。 「alufaravenは仕事ばっかりでつまらないよ。仕事以外でもっと自分の好きなことを見つけたほうがいい。俺は君に遊びを教えてあげたいんだよ」 なんてことを教えてくれる人がいたのですが、実際その人と遊びに行くと。 パチンコ、キャバクラ、風俗・・・・・。 まぁ長い人生。 こういうのもありかとは思うんですが・・・・・・。 一番最悪だったのはある家電量販店に行って。 「ちょっとクレームをつけようよ!」 「え?」 「いやちょっと遊ぼうよw」 「・・・えぇ、やめましょうよ・・・」 「いいじゃんwちょっと客のフリしてさw」 なんていうんでしょうか、こういう遊び。 クレーム遊び? その時は、実はお店に知り合いが働いていたのでそれを口実にクレームをさせなかったのですが・・・(´ω`;) 学生時代は友人が酒類を買うときに免許証の提示を求められて、ブチ切れたりとか…… そんなん素直に免許証を相手に見せてあげればいいじゃない、相手も仕事なんだしって思ったのですが……。 これ以外でもニコニコ動画とかで見ていても。 よく”釣り”とかやってますよね?(・ω・`) 釣りと言っても魚の釣りではなく、男性(もしくは女性)を釣る方です。 主にSkypeで人を募集して、変なことをしますよね。 釣られる方もどうかとは思うのですが、それを面白半分にやるのもどうなんだろうと毎回見ていて思います。 なのであまりマジマジと長時間見てないのですが、コメントを見るとそれをすごく楽しんでいる感じが見受けられます。 クレーム遊びとか”釣り”って楽しいですか? 僕は正直やる気にもなれないし、見ていて楽しいとすら思えないのですが……。 自分がやられたら嫌だし、動画とかで見ていてもかわいそうになってしまいます……(釣りの方は微妙だけど……。) もし自分がそれをやらされることになったら、もう怖いというか申し訳ない気持ちでできないのです(;ω;`) 毎回友人とかコメントを見ていて不思議に思ってしまいます。 ただ、そういう人たちのが人生を楽しんでいるのかなとも思えます。 すごく楽しそうですものね。そういう方々は。 僕は何かあったという訳じゃないけれど、なんだか毎日静かに平穏に暮らしてます。 でも、このままの人生だとちょっとつまらないよなぁとも思ってます(´ω`;) 基本家に引きこもりで、時々暇を見つけて外にぶらり散歩などをしています。 別にこのままでもいいやと思う気持ちもあるのですが(・∀・) そんな僕も最近Skypeでチャットで会話をした(もっと言うと、相手からうまく話を聞き出せた)ときはすごく充実を感じましたし、なんというかうれしかったです(´ω`*) 多分2時間以上チャットをしていたような……。 ただ、ネットですからねぇ……会話と言っても。 リアルとか通話とかだとなかなかうまく人と話せないんですよね。 相手にどういう風に質問してあげればいいのか、相手が何を言えば喜んでくれるのか、ゆっくり考えてる時間もありませんし・・・。 以前こんなんで飲み会で僕だけ無言になってしまって。 無言なりに笑顔で話を聞こうと思ったのですが、先輩に「alufaraven君はまた話に入らないのかな?」って怒られちゃいましたし(;ω;`) 昔からこんなんで人とうまく話せなかったんですよね。 でも幼少期だけもうそれはそれはお喋りで一度しゃべりだしたら止まらない子でした。 でも大きくになるにつれて、なぜか人と話せなくなってしまったんですね。 (特に女子!なぜか女子に対して恥ずかしくて話せなくなってしまった。 小学生3年のころから女子に対して「さん」づけでしか呼べなくなっていた。) それプラス、子供のころから生真面目過ぎて(?) 悪いことをほとんどしてないんです。 今思い出しましたが、小学生の時に友達に万引きを一緒にしようと誘われて、それはダメだよ。 と言って、自分の財布から500円を渡してさせなかったことがあります……(今思えばそんなの解決にならないか……(´ω`)) そういう感じで未だに悪いことが全然できないんですが、悪い事ができる人間って。 なんというかコミュニケーション能力が高い方が多い気がします。 やっぱりちょっと悪い事をした方がいいんでしょうか? あとはそれとは別件なんですが、子供のときの様な感情を取り戻す方法ってありますか? 子供の頃は本当感受性豊かだったみたいなのですが、今では全くないです……。 実家にある絵があるのですがそれを友達に見せて。 「見てみて!?これ美しいでしょ!?」 なんて言ってたり。 木漏れ日を見て。 「ママ!!見てみて、木漏れ日がすごく綺麗だよ!!」 なんて感動してわざわざ母を家の中から連れ出して、一緒に見たり……。 そんな風に些細なことで感動していた時期があったみたいです。 小学年1年の時には料理に生の魚がでてきて、まだ息があった。 既に身体をさばかれていて、それでも息があるので本当にかわいそうで心が苦しかった……。 小学生2年の時には天国と地獄を初めて知って。 よきことをした人間は天国、悪きことをした人間は地獄へという話を聞いて。 そこから初めて死ということを意識して、死というものが恐ろしく怖くて泣きはしないもののいつも不安の感情に苛まれていました。死んだらどこへ行くのだろうか? もし輪廻転生があったら、またこの家族の元へ生まれるのかな? とかそんなことを本気で考えていました。 小学生3年の頃に出目金が目が飛び出て死にかけていた時。 友達がそれを笑いながらいじっているのを見て本当に心が苦しかったです。 もう見るのが本当につらかった……。 中学生の時の保健体育の時。 男女が出会って、セックスをして子供が生まれる。 でもその子供を生まれるまでの過程で、一億個の精子が競争をして。 卵子に届いた1億/1の精子だけが生まれることができる。 それ以外の精子は死ぬと聞いて。 ずっと憂鬱になったり……僕は一億分の生き残りなんだ……負けてたら死んでたんだ……。 じゃぁ死んだ精子はどうなるの……? 無駄死にじゃないか……。 こんなことを本気で考えてました。 友達に言ったら、お前どんだけ子供の時感受性豊かなんやねんwwwと笑われてしまいました(笑) でも今では何を見ても無感動。 ほとんど感情が動かないのです(´ω`;) この間牛の頭が切り取られてそれでも生きている牛の動画を見ていました。 恐らく娯楽でそんなことをやったのでしょうか。 そんなことをする人間に微かな怒りを覚えましたが、それ以外の感情を感じられませんでした……。 今はもう人とか動物に対して愛情というのもなくなってしまったようです……。 今ではもう本当物事や人に対して無関心になってしまって……。 こういうところも治していきたいなぁと思うのです。 子供の時の様にいろいろ物を感じ取れたらなぁと本当に思います。 感情や感受性を取り戻せる方法を知っている方がいらっしゃいましたら教えて頂ければと思います。 もし質問等あればお時間があるときにお答えいたします。 年齢問わずに皆様の意見をお願いいたします。

  • 自分のことをAセクシャルでAロマンチック(参照:

    自分のことをAセクシャルでAロマンチック(参照: https://jobrainbow.jp/magazine/asexual-shindan)のように感じます。 その為、色々なことが理解できなく感じるし、どうも人と違った感情を物事に抱きやすいです。 どうして男はそんなに女に惹かれるか、どうして男は女のことを考えると自分が損しそうなことでもできるのか、女に占有されている属性に対して男はなぜ嫉妬心を持たずにむしろポジティブに受け止められるのか。 ここ周りがまるっと分かりにくいです。 ただこれのおそらく根っこは似ている気がします。 また付随事項として、僕自体がゲーム(RPG系が特に)好きなのですが、そこでも違和感を感じることがあります。 男性プレイヤーが女性主人公で遊ぶ人が多いことについてです。 僕は基本的に常時主人公が選べるなら男を選びますし、パーティ全員の性別も男ばかりで選んだ方が違和感が少ないです。 自分が主人公の立場で遊ぶのが一番世界観やストーリーに精神的に密になれて楽しめるし、面倒なレベル上げも強くなることだと思えば辛く感じないし、敵に負けたくないと思えるのもそれのせいだと思います。 ところがそう感じない人が知る限り多いみたいです。 女の方が見てて楽、着せ替え要素があるならそっちが良い、と言う人が多く、要は根っこを辿ると自分が主人公の立場になる訳ではなく、架空の異性を思うままに操作したいという気持ちを持つ人が多いのです。 僕はそっちはなにが楽しいのかよく分かりませんし、世界観やストーリーにどうやって没入すれば良いのかわかりません。 どうしてそこまでして女を操縦したいのかと思います。 もっともここはちょっと独立した付随要素なので今一緒に長く書きましたが、最初の話に戻りますね。 それをこれから一個ずつちょっと掘り下げます。 どうしてそんなに女に惹かれるのでしょう? まずここがよくしっくりきません。 一体どこがどう良いのか考えても頭がゴチャゴチャとしてしまいます。 次に、どうして男は女のために、自分が損するようなことでも厭わないのでしょう? 例を挙げるとまずは性犯罪。 これなんて捕まって失うものを考えれば、おおよそやる気は起きないかと感じます。 僕の場合はそれで得るものがなにも分からないので、やる意味不明です。 次に、僕の目線からだとあれですね。 相席屋みたいなお店は単なる性差別のお店にしか見えません。 なんで俺ら男が、知らねえ女の飲食代を全額負担しなきゃいけないのか、そんなことをする恩も義理も何もない相手に私財を差し出す必要がなぜあるのか。 ここが理解できないからです。 それにこの手のお店って基本逆は無く、男が女に一方的に貢いでる様にしか見えないことから、両方の意味で単なる性差別の店にしか思えません。 なぜこんなもんが成り立つのか全く理解に苦しんでいます。 こんな店が近所にできると単に不愉快極まらないです。 他にも飲み会やコンパの料金って女の方が安いことが多いですが、剰えそれを男の幹事がOKしちゃう意味が分かりません。 自分が損することを厭わないの?と感じます。 要は男が身を切って女に忖度していること全般が理解できません。 なぜでしょう? なぜそこまでするのでしょう? 次に女が占有していると思えることに男が不満を感じずに、むしろ占有していることを好ましく思う男が多いことが理解できません。 その際たるものを挙げると、エロ萌え属性、性的魅力に当たるものですね。 なおこの話をするに至って予備的要素として、変な話Aセクシャル要素が強い分、「フェティシズム」の属性は人より僕は遥かに強いと思います。 性的な発散要素が人でなければ、物しかなくなりますからね。 さてそれを踏まえて、男たちはエッチな格好をしている女が好きです。 僕自身もその「エッチな格好」という物や、そのためのアイテムには愛好するものがあります。 しかしその反面、ある種の嫉妬心のようなものを女に感じます。 どうして女だけがそういう格好をすることに対して市民権を得ているのか、男はなぜ市民権を得られないんだ。 というものです。 これはどうやらそういうアイテムが好きな他の男とは相容れない要素があるようで、男もそういうアイテムが使える日が来ると良いとか、そういうアイテムを愛用したいかどうかという話を持ちかけると、邪険に扱われてしまうことがほとんどです。 僕も他の男もそのアイテムが好きであるという点では共通点があると思います。 でも、僕はそのアイテムを自分も使いたい、女の物として占有させたくは無いという気持ちを持っていますが、なぜかほとんどの男は逆にそれを女に占有させておきたいと思っているのか、そこでどうしてもズレが生じます。 例えば男の人だと、ミニスカートやブルマに萌えや性的興奮を感じる人が多いですよね。 僕もそういうアイテムには魅力を感じています。 でも、僕はせっかくならミニスカートは、ちょうど昔の人の腰布とかチュニカの様に、男の人も着て楽しめるアイテムとして向き合って行きたいし、ブルマに関してもああいうアイテムを身につけたいと思ったり、男でもああいうアイテムで肉体美を表現することが許されればと感じるのです。 でもなぜかほとんどの男はそれを女に占有させたいようです。 どうしてそんなにそのアイテムが好きなのに、女に占有させるなんて、自分のものにならないことについてなんとも思わないのか、むしろそうすることを嫌悪するのかが理解できないと感じます。 こういった面で、一見好きなものが同じジャンルだと思える人とも、単に恋愛感情が無いということで理解がし合えないのはちょっと苦痛です。 そして恋愛感情について人に聞いても、持っているくせに分かってない人、説明できない人が多く、僕はあまり持たないものなのでもどかしく感じてしまいます。 そういう人間関係のことが一番ストレスではありますが、他にもフィクション作品を楽しむときには大体恋愛ってそこに入っているので、それがどういうことなのか、ヒロインの存在をなぜ男性視聴者が好むのかなどが理解できず、正直言って面白さが分からないので困っています。 恋愛容姿が無くとも女を登場させるとなぜそれが華になるのかもさっぱり分からず、それ以外に存在価値が薄い女キャラが出てくると単なる場違いキャラにしか見えないことが多くて、むしろ邪魔に感じるので困ってしまいます。 恋愛要素がなくて黙々と一人の男が強くなっていく、謎を解き明かしていく、といった話なら楽しめるんですけどね。 そんな訳で、Aロマンチック、Aセクシャル要素が強いせいで困っています。 どうやったら理解できるでしょうか? 人と会話するときに共感できないくてストレスがたまったり、娯楽作品が十分に楽しめなくなったりするので、気持ちが重たくなります。 できるものなら理解したいところです。

  • 心霊系の質問。幽霊見えるけど信じてないんですが

    幽霊は信じてない。居ないとは言わないが、居るとは言わない。ってのが自分のスタンスなんですが。これって変なのかなってたまに思います。 小さいころ、悪霊のものすごい奴を見たことがありまして。ってかあるらしくて。従妹がお坊さんなのですが、お寺に遊びに行ったとき。「ああ、見たか。」と笑って説明されました。お客さんだと思っておじちゃんのところに言いに行ったら、お寺には必ずお札が四方の出口にしてあり、中に入ったら出れなくなるようにしているらしいんです。宗派にもよると思うんですが。私が見たのは、顔が真っ赤な女の人。髪は長い。服装は忘れた。 お堂を走りまわっていたら、入口に立っていたから、さっき入って来たんだと思って「ケガしてる人が来た」と叔父に伝えたんです。ガキだったから、ケガが治るお守り買いに来たんじゃないかって。そのあと、弟子のお坊さんに連れていかれて隣に座らされて30分以上、一緒にお経あげさせられた。相当な恨みを持っているから、念のようなものでも受け取るだけで危ない状態だったと小学になって教えてもらった。相手に憑りつかなくても危ないのが悪霊と教えてもらって、心が凍ったのか、怖いってより「無」になった。でも、なんで恐怖は忘れた。 それから、小学6年の頃に再び。学校の音楽室の奥、外に出るドアの前に掃除時間になると、いつも丁寧にホウキをかけている同じ年くらいの子が居て、私は近くのトイレ掃除をクラスメイトとしていたから窓越しに見ながら、あそこってあんまり汚れないのに。掃除してるフリのサボりかなーぐらいに思っていた。ズルいねよね。って見回りに来た先生と談笑中に言ったら「〇〇さん。あの子は居ない子だから、やめなさい」って言われた。あとで聞いたら、そこは汚れないので掃除当番いなかったし、昔から出ると有名な場所だった。でも、どうしても怖いって感情は無くて、居るけど居ないのが幽霊だな。って思っていた。ただ、周りは「はいはい、そーゆーサイコちゃんね」系の嫌悪全開反応か、「あるよね!」って謎共感かで盛り上がるから、そういった空気がどっちも嫌で、話題に出すことなのかな。って思って黙りだしたのが中2の頃。窓閉めが日直の仕事だったんだけど、3年の男子先輩が外階段のところでたばこ吸ってて閉められなかった。先輩だし、学校でたばこ吸うってヤバい類かな。ってか関わりたくないな。って思って同じ日直の女の子とどうしようって相談してたら、一緒に帰る約束してた二人が来て「ごめん。誰も居ない」って真顔で言われた。二人で見てたから、先輩の特徴言ったら無言で手を引っ張られて帰った。調べるような真似はしなかったけど、結局、開けっ放しにして帰ったら先生が見つけて閉めたらしくて、「わかってるからいいよ」って言われたときに、ようやくずっといる人なんだなってわかった。それから高校の修学旅行中。原爆ドームに1日目寄って九州行ったんだけど、もう慣れちゃった状態の私が「時代が違う人たちが多い」って中二の頃のあの日直一緒だった子に言ったら、「うん。戦後の人が多い」って広場で会話した。でも着ている服が時代めちゃくちゃで、みんなただ歩いているだけ。ドーム内には居ないけど、広場には観光の人と混じって行きかう戦後の服装の人たちか、その前の人たちとか沢山。ただ、相手の子もそうだったけど、親友ではないが、そういった話はその子としかしないルールが勝手に決まっちゃってたかな。 それから成人して、沖縄行ったとき。ひめゆりの慰霊施設で自決があった洞窟がそのまま見えるようにしてあったんですが、「すごいな。蝋人形で再現してる」って、洞窟の中に女の子たちや男性がこっちを隠れたり、立ったまま見ている凄く綺麗な等身大の人形が並んでいた。それを一緒に旅行していた職場の友人に言ったら、友人、知らぬ間に逃走。あとで聞いたら、蝋人形はなくて、その部屋に展示してあったひめゆり隊の女の子たちの写真をすたすた歩いては立ち止まり「この子居たね」「あ、この子」と四方の壁一面にある写真の中からスパスパと数点を指さして蝋人形の子!と言っていたらしい。写真のところにまっすぐ行って、言い終えると、迷いなく離れた写真に向かう私を見て、怖くてガチ逃げしたんだと言っていたが、私、記憶がないと言えなかった。部屋に入って普通にじゅんぐり見ていた覚えしかなくて、喋っていた記憶すらない。なんか申し訳なくて相手には未だに言ってないけど。 ただ、東京に戻って、その子から「靖国ってなんかいる?」って聞かれた。え?って思ったし、心霊系は話さないって決めていたから迷ったけど「すっごくクリーン。あそこ、なぁーんも居ない!」と本音言った。正直言うと歩いている人は居るが歩いているだけ。何も居ない。私はガチで見えるっていうより、見える奴は見えるだから、全部見てるわけじゃないし。信じてないスタンスだからしゃべりたくなかった。あと見間違えもあると思うし。けれども、その旅行から心霊系!!!の話が大好きな女子社員に囲まれて、彼女らが連れてきた顔見知りの子が見えるらしい。ってことで、警察に詰問されている気分で吐露しなきゃいけなくなった。ヤバい奴はその場から動かない。大丈夫な奴は動いて去っていくってのは自称信じない同士の会話で成立して、会社に霊道っていうのか、よく居る場所があると話題になり、せーので言ったら相手とドンピシャ。そんでもって午後三時に必ずいる眼力だけ凄いババァ!帰宅時間帯辺りに必ず現れ、壁の前に立ち止まって佇んでは引き返してく着物の女性!あいつは本当にまずい。ヤバいから近づかない!あと、猫が五匹。たまにまとわりつく!って会話してたらその場シーン。全員怖くなったらしい。ほぼ同時に「猫がいるね」「五匹でしょ!」「そう!黒と灰色と黒黒黒の~大きさ違うけど」「いるいる!!!」「でも、本当は猫じゃないよね」「うん。絶対違う」ってふたりで打ち合わせたように息ぴったりで盛大に話したせいだったと思う。ただ、テンション的には井戸端会議で笑い話が盛り上がった感じだった。が、周りは違ったらしい。 その後、その子とメールして「もうやめよう。話すほど見えるタイプじゃお互いないんだし。面倒。本職じゃないし。なんだかんだで未確認なんだから」ってことで終わった。が、見える見えないが論点になるけど。居るし居ないってシュレーディンガーの猫だから。居るかもしれないが、どっちかっていうと居ないとも思うんだ。居るし居ないって変な言葉だけど。 それって変かなーってふと思うんですが、おかしいんでしょうか。 お祓いとか、清めのナントカとか買わないし、興味ないし、TVの心霊系は「スゲーっ」って楽しんで娯楽してるんです。むしろ、飲み会とかで、そういった話になって神妙に語られると「えーっと、関係ある人?知り合い?」って聞きそうになるから黙ってる。けど、居合わせたからしゃないしな。人身事故の瞬間の方が怖いのになーってボーっと聞いてます。でも、なんで神妙に語るか全然わからなくて、周り合わせて頷いてますが、あの時間辛いです。今の会社ではそういった類の話は自分の事はまったく言ってないんで、語られるんですが、さっぱり意図がわからなくて・・・。 やっぱり変でしょうか。

    • noname#229814
    • 回答数3
  • 借金旦那との家計

    皆さんにご意見いただきたく、質問いたします。 長文になりますが、お願いいたします。 結婚12年。10歳の男の子と7歳の女の子が居ます。 旦那とは、恋愛結婚で6年の交際を経て結婚しました。 二人で、大阪で気ままに生活し、恋愛中と変わりなく仲良くやっていました。 長男が二歳になる前に、義理父が亡くなり、義理母のことを想い、今後の将来の経済状態なども考え旦那の実家に同居するべく、主人の実家へ戻りました。 主人も、何とか仕事がやっとの思いで見つかり、私も子供を預け看護婦として仕事を始めました。 しかし、この頃から生活が一変しました。 まずは、旦那が女の子への間違いメールを私のところへ送ってきたのが発端でその後、別の女性ともメール交換を、しており「愛している・・・」等の受信など見つけ、私が直接彼女に話をして、分かれさせるなどしました。 その頃から、旦那が信じれなくなりました。その頃確かに、必要以上に旦那をがんじがらめにしていました。 彼は、誠心誠意私に向き合ってくれていましたが、なかなか信じきれず、その頃からハッキリとした深い溝が出来てしまいました。 その頃から、仕事だと深夜に帰宅することが増え、深夜二時三時が当たり前になりました。 お金の使い方も、顔つきも、態度も別人のようになって来ました。 お小遣いの三万以外に、会社の支払いだの、出張費だのと度々五万程度を、家計から借りたり返したりしていました。 気になり、」主人の財布から、カードを調べると何十万かの借金も発覚。 その後、何とか債務情報を入手すると、合計200万弱の借金が発覚。 主人の母と姉に相談をしました。 とても、私に協力的で親身になって力になってくれ、旦那の深夜の行動など一緒に調べてくれました。・・私は、下の子がまだ一歳頃で家を離れられなかったので・・・。 結局、ほとんどがパチンコ。後は、一人でボーっとしたりしていたようです。 家族で話し合い、泣いて怒って怒鳴って頼んで、今まで隠していた給与通帳をはじめて出してきました。 彼は、その頃40万前後を派遣社員として貰っていましたが、半分程度しか家計に入れず、後は自分に使って居たようです。 思えば、結婚前から何年も彼を見てきた私は、まさか彼がそんなな事をするなんて想っていませんでした。 明細などを彼は見せたくないと言っていたので、強引に開示を強要せず、彼を信じてしまっていたのです。 今まで夫婦で頑張って、いつか自分たちの家を・・・と夢見てしまったのは、馬鹿な私一人の思い上がりでした。 結局、通帳の開示ができ、心を入れ替えるといった彼に・・・・ 姉が、200万貸しました。  ○夜中12時には家に帰る。  ○週1だけは、早く帰る。  ○毎月すこしずつでもいいから返済金を銀行に振り込む。 の約束を取り付けて。。。 しかし、一年後、情報開示。。。 300万発覚。。。。 カードで調べると、キャッシング、飲み食い、風俗でした。 今度は、離婚も考えましたが、子供の事を思い、いつも味方になって親身になってくれる義母を思い、債務整理を主人と選択しました。 毎月銀行へ四万の返済。姉へ二万の返済。 はじめの一年は、おこづかいのやりくり、アルバイト〔得体しれず〕などで、何とか捻出していましたが、二年以降ごろになると「仕事でバイトに行けなくなった、、、」「付き合いで飲み会に行った・・・。」等で返済はしなくなり、彼のボーナスから毎月引いています。 ちなみに月三万の小遣いでは足りづ、毎月追加で2~3万程度ボーナスから引いています。 私の方はというと、二回目の借金以降仕事を減らしました。私が、看護師で月20万程度稼ぐと、彼が、私の収入を当てにしてしまう性格を考慮してです。 私が、旦那と離婚しないのは、打算的な面と、、、やはり子供、、、あと、義母です。 子供には、旦那は「夜中までいつも仕事をしてくれている。」「大事なことはパパに聞いてから・・・」等、パパを立てる様に教育しています。 その甲斐あって、パパを敬っている心があるようです。 気持ちの中ではモヤモヤしますが、「このために私は我慢して旦那と居るんだ」と思うと成果があるようです。 子供たちには、大きくなったとき、この「父の背中を想って欲しい・・・」と願っています。 義母ですが、都心中心部に家を構え、そこの一角を改築してもらって、私たち夫婦は越してきました。 二世帯住宅です。 不動産の何個かありますが、全く贅沢な生活はせずに質素な生活をされています。 子供、孫の幸せだけを、想っています。 本当に私にもよくしてくださり、このお母さんが居なければ、必ず私はここにはもう居なかったでしょう。 しかし、裏を返せば、このお母さんが居ると思うと、「ココはなかなか離れられない・・・」と思うのが正直な気持ちです。 さて、私たち夫婦間の関係ですが、もうほとんど気持ちは無いツモリです。 浮気も大丈夫。 隠し子は、ビックリしますが納得できるかも。。。 夜の関係は二年くらいありません。関係すると、子宮がん検査でひかかります。自己負担で検査したのですが、私は子宮がんのヒトパピロウマ?の悪性ウイルスを彼に感染させられているようです。 だから、風俗大好きの彼とは死んでもしたくありません。 ケンカもしてましたが、全く思いはうまく伝わりません。自己利己主義の彼とは歩み寄れません。 彼は毎日、深夜12時前後に帰宅〔〕。土曜、祝日出勤。・・・のあいだ、ずっと仕事。。。。らしいです。 ・・・で、無くても、それでも構いません。 彼の人生です。自由にフラフラしてくださって構いません。 しかし、日曜日、家族で出かける等など「幸せ家族」しています。 私が、今悩んでいるのは家計です。 私の実家自体が、貧しい家庭です。 父が病気しましたし、貯蓄が必要です。そのため仕事を増やそうかと思っています。 旦那にも、この機会に借金返済の自己返済を改めて自覚してほしいと思っています。 今までは、食費、雑費、交通費、医療費、娯楽費、外食費、妻の小遣い、衣服代、学用品。 全てを五万前後でしていました。 しかし、昨日・・・風俗の匂いをさせて帰ってきた旦那に・・精神的に疲れてしまいました。 そのほか、うそをつく。何でも隠す。。。 何のために、節約して節制しているのか、、、。だって・・・、私が贅沢してたら「あっ、金に余裕あるな・・・、おこづかい足りないんだけど、、、。」といわれても、何にも言えないでしょ?。 限界かもしれません。。。 夫婦別財布にしたいと、思っています。 そうすれば、離婚したいと思った時も、スムーズに行くと思います。次、六年後ごろブラックリストが亡くなった頃、借金があれば、子供も十分成長もしてますし、離婚もいいかなと思っています。 とりあえず、六年をめどに計画を立てています。 彼の給与から、分担した生活費を貰います。残高から、銀行、実姉の返済。 残りは、こずかい。ボーナスの八割は「子供の教育費の貯蓄」〔現在夫婦の共有貯蓄なし〕。 残り二割はこづかい。 少し、甘いかも知れませんが、月平均八万くらいにはなる予定です。 彼の言う、会社の付き合いがあるなら、もしそこを信じればコレだけあれば十分かと思います。 私のパートは、彼に申告した給与8割くらい生活費。2割は貯金にする・・・とします。 ・・・・が、実は、その倍はパートを増やして自己貯蓄を増やします。 ☆一度、パート増やすといって扶養からはづれる申告を頼まないといけないので・・・ そうすると、彼にも美味しい話しだし、自己返済の自覚のできると思います。 仕事も、頑張った分じぶんの小遣いになるし、頑張れるかと・・・。 もちろん、給与振込みの通帳はおさえておくつもりです。 銀行返済の通帳も。。。 しかし、姉への返済は。。。そこまで面倒みきれません。。。。 私も、こうなると、こころのバランスが取れる気がします。。。 少しは、贅沢もしてもいいのかな?と思います。 服も、フリマ以外で買いたいし、子供の制服も買いたいし、下着もどんどん新しくて白いのを買ってやりたい。百円マック以外も、食べさせたい。美味しい、生パスタも、食べさせたい。ビールも、100円の発泡酒飲みたい。 つーか、半額でなくて普通に買い物する生活したいんです。 ・・・旦那は、上記の別財布で生活できるでしょうか・・・? ちなみに現在雇用形態が変わり、月収はほぼ半減状態。 五年前くらいまでは、そこまで金銭管理ができていない様子ではなかったようです。 ・・・情報開示からも読めるのですが。。。 実家への金銭への甘えがあるようです。 いろいろとココまで長々と、お付き合いありがとうございました。 どなたか、少しでもアドバイスいただけると助かります。 今日明日で、旦那に別財布を打診しようかと考えています。

  • 大 摩 邇 様のブログ記事ですが御感想を願います

    大企業権力と戦うには、それを理解しなければならない マスコミに載らない海外記事さんのサイトより http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-7316.html <転載開始> 2016年6月12日 Chris HedgesTruthdig 6月7日、記者たちが、共和党暫定指名候補ドナルド・トランプ記者会見後に、 記事を推敲する中、支持者に演説する民主党大統領候補ヒラリー・クリントンが 映っているテレビ・モニター画面。(Mary Altaffer / AP) 1941年の冬、ポーランド西部の県ヘウムノのユダヤ人墓堀人夫が、 ワルシャワに現れ、必死に、ユダヤ人指導者たちとの面談を求めた。 人夫は、指導者たちに、ナチスが、老人、女性や子どもを含むユダヤ人をかり集め、 しっかり密閉されたバスのようなものの中に、無理矢理追い込んでいると話した。 バスの排気ガス・パイプは車内に引き込まれていた。ユダヤ人たちは、一酸化炭素で 殺害された。逃げるまで、彼は何千もの遺骸用の大規模墓地を作るのを手伝っていた。 ワルシャワへの道すがら、彼は村々を訪れ、ユダヤ人たちに狂ったように警告した。 村々や、最終的にはワルシャワで、多くのユダヤ人が彼の恐怖の証言を聞いたが無視した とはいえ、それでも、二年後に、ワルシャワ・ゲットーにおける、500人の武装 ユダヤ人戦士による蜂起を率いるのを助けたツィヴィア・リュベトキンを含む、 ごくわずかな聴衆は、ナチス国家の究極的な狙いを瞬時に理解した。 “ナチスが占領したヨーロッパの、あらゆるユダヤ人社会の完全絶滅は間近だという 恐ろしい確信を、どうやって直感的に共有したのか私にはわからない”と、 彼女は回想録“In the Days of Destruction and Revolt”に書いている。 彼女と少数の若い活動家たちは、反乱の計画を始めた。その瞬間以降、 彼らは並行する現実の中に生きるようになった。 “自分たちの命、貧しい暮らしのために戦っているという恐怖の、反目する、 張りつめた幻想の中で暮らしながら、押し合いへしあいしている ワルシャワ・ゲットーの混雑した街路を歩きながら、現実には、目を閉じると、 彼ら全員が死んでしまった光景が目に浮かぶ …” ユダヤ人指導者たちは、ナチス占領者が設定した範囲の中で動くようにと言って、 レジスタンス戦士に思いとどまるよう警告した。反撃する計画を聞かされた時の ユダヤ人指導者たちの表情は“突然の恐怖からか、あるいは、我々の無鉄砲さに対する 怒りからか真っ青になった。彼らは激怒していた。彼らは我々が、無責任に、 絶望と混乱の種を人々の間に蒔いていることや、武装抵抗のことを考えつく、 我々の生意気さを非難した。” 地下運動が直面した最大の問題は、“偽りの希望、大きな幻想”だったと 彼女は書いている。運動の主要な課題は、こうした幻想を破壊することだった。 真実が知られて初めて、広範なレジスタンスが可能になる。 忍び寄る生態系の崩壊を考えると、大企業国家の狙いは、あるいは、ナチスや、 スターリンのソ連が実行した大量虐殺行為よりずっと破壊的なものかも知れない。 大企業プロパガンダの規模と効果は、アドルフ・ヒトラーやスターリンが行った 膨大な取り組みさえも小さくみせる。何層もの欺瞞は、手が込んでおり、効果的だ。 ニュースは、国家プロパガンダなのだ。精巧な見せ物や、様々な娯楽の全てが、 現実を無視するか、虚構の自由と進歩が本物である振りをして、大衆の目をそらす。 教育は洗脳だ。二流知識人が、ネオリベラルや帝国主義という国家教義に従順な、 テクノクラートや専門家と一緒になって、学問的資格や学識を利用して、大衆を欺く。 大企業国家と、その政治指導者がする約束、つまり、皆さんの雇用を回復します、 皆さんのプライバシーや市民的自由を守ります、国家のインフラを再建します、 環境を保護します、銀行や、略奪的な大企業によって、皆さんが搾取されることを 防ぎます、皆さんを安全にします、皆さんの子供たちに、未来を与えますなどというのは 現実の逆だ。 プライバシーの喪失、国民に対する絶えざる監視、無差別な致死的暴力行為を遂行する ための、軍隊化された警察の活用は、日々の現実であり、marginal communities-and relentless drive toごく少数の大企業エリートを富ませるために、国の三分の二までも、 貧困に追いやろうとするalong永久戦争の病、ファシズムや共産主義支配の間に、 何千万人も死に追いやった全体主義体制と同様に過酷な暗黒郷(NWO)の前兆だ。 ナチス占領下のポーランドで、ユダヤ人のニーズや権利が決して受け入れられなかった のと同様、大企業国家が改革をしたり、国民のニーズや権利を受け入れたりする事は あり得ない。だが、最後の瞬間まで、この現実は、民主主義と改革という意味のない 美辞麗句の陰に隠しておかれる。抑圧的政権は、その意図を否定しながら、 次第に益々過酷な支配方式を導入する。言いなりになっている国民が、 何が起きているのか理解する頃は、もう手遅れなのだ。 絶滅されることが決まっている、通常、大きなダビデの星をつけられたユダヤ人や、 他の人々を、ガス室のドアに辿り着くまで受動的にしておくため、 ナチスが準備した巧妙な策略は、良く知られている。 死の収容所につれて行かれた人々は、仕事に行くのだと言われていた。 トレブリンカの降車ホームは、でっちあげの列車時刻表を壁に貼り、偽の鉄道時計や 発券窓口で、駅に見えるように作られていた。収容所の音楽家たちが演奏した。 老人や虚弱者は、家畜車から、赤十字のマークがついた医務室と呼ばれる建物へと 案内され、それから後頭部を銃撃された。一時間のうちに、ガス室で死ぬはずの 男性、女性や、子供たちは、その衣服や貴重品の引換券を渡された。 “虐殺する人々を導く際、ドイツ人は実に礼儀正しかった”と リュベトキンは辛辣に言っている。 死の収容所への移送を待つゲットーのユダヤ人は、ナチのために働き、 それゆえある種の特権を持った人々と、そうでない人々にわかれていた。この分裂が、 最後の移送まで、二つの集団を、効果的に、お互いに対抗させていた。 自分たちは助かるのではという、はかない望みから、殺人者連中と協力するため、 ユダヤ人自身が、ユダヤ人評議会、ユーデンラートを組織し、リュベトキンが “連中のお仲間、傍観者、悪徳商人、密輸業者”と呼んだ連中と一緒に、 ユダヤ人警察を形成した。 死の収容所で、ユダヤ人は、少しでも長く生きる為、火葬場で、ゾンダーコマンド (労務部隊)として働いた。虐げられた人々の中には、ほんの少しだけ多くのパンが 欲しくて、進んで仲間を売り渡す人々がかならずいるものだ。 生活が絶望的になるにつれ、選択はえてして、協力か、死かのいずれかとなる。 我々の大企業のご主人たちは、これから何がおきるのかを知っている。 連中は、生態系が崩壊し、金融崩壊が、新たな世界的な金融メルトダウンをもたらし、 天然資源が汚染したり、枯渇したりすると、 絶望はパニックと憤激にとって変わられるのを知っている。 沿岸の都市は、上昇する海面に覆われ、作物収量は急減し、気温上昇で、地球全体が 住めない場所になり、大洋は酸欠海域となり、何億人もの難民が捨て鉢になって逃亡し 統治や組織の複雑な構造は崩壊する事を、彼らは知っている。 ファシズムや、共産主義同様、イデオロギーとしての、強力なユートピアという 新自由主義の正当性や、大企業権力が滅びることを連中は知っている。 狙いは、我々を、出来るだけ長期間騙し、まとまらない様にしておく事だ。 大シェルドン・ウォリンが“あべこべの全体主義”と呼んだ制度で動いている 企業支配国家は、我々が、彼らの意図や、我々の究極的窮状に、決して気がつかない様に すべく、今回の大統領選挙だけでも、50億ドルという膨大な金額を投資している。 こうしたプロパガンダは、我々の感情や願望につけこむ。 プロパガンダで得た知識で、どう感じるべきか我々を混乱させるのだ。 連中は、我々に、候補者のでっちあげられた人格と一体感をもたせる。 彼の収容所に投獄されていた多数の人々を含め何百万もの人々がヨシフ・スターリンの 死に泣いた。人には独裁的権力の父性的性格を信じたがる強烈な願望がある。 複雑な組織には、ひび割れがある。 新自由主義への信頼喪失が共和党や民主党内反対派の駆動力だった。 ドナルド・トランプと、ヒラリー・クリントンは、もちろん、大企業による攻撃を 止めるような事は何もする筈はない。改革などあり得ない。全体主義体制は合理的 ではない。より過酷な姿の抑圧体制と、より広範な洗脳・プロパガンダ体制しか 有り得ない。今や社会の隅に追いやられた反対派の声は沈黙させられるだろう。

  • 生きる意味意義とは?ヒト人類は消失絶滅すべきです。

    shikanneiko20170419 「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」 (2ページ目) 以上諸々のようなスタンス・態度を是と、している、させられている方々や哲学的思考、の断念を決意、を断念した、を断念している、人々→即ち斯界については寡黙状態の向き・諸人、そして更には哲学的思想関連の、権威、(学)識者、研究者、並びに(市井に存する人に於いても)哲学的な思考関連の情報系統の自分自己自身への入力行為にばかりいそしんでいる傾向の各人たちにも私、強調して提起したいです。 自己内の信念なり主張なり言い分なりを外界に向かって発信・出力・表現・「対話」しなきゃあ、てんで意味が無いんだよ!と云いたいのです。 (尚、自己の内因的制限要素(無学ものであります…)から、少なくとも私だけに限っては「ハムレット型」よりかは(当たって砕けろ式、猪突猛進然として…)「ドンキホーテ型」(陽明学然とも?)を踏襲する、地で行くしかないのがいささか悔やしい所です…。) 更にこうも言いたいです。 外的存在として超弩級巨大膨張広範化している決して無視できぬもの、即ちマスメディア・マスコミュなどの送り手から発信される情報、即ち政治、経済、社会問題、事件、等にとらわれ過ぎてはいませんか?と。 その殆どが、その場その時限り、当座的、短期的、(確からしい事実ではあるのですが、疑似的であるという意味で…→)空想・錯覚(←例えば、あたかも自分は世界や社会としっかりと繋がっているのだという幻想とか…)・別世界的、虚像・虚構的、民間性・庶民性の無さ、個人の力ではほぼ統制は不可能な点、恣意・偏向的、等の側面に特徴付けられている感じです。 しかして、考察すべき事の優先順位を真剣に考えてみれば、(そのようなほぼ無駄な雑念を生起させるものにとらわれる事無しに、)哲学的思考こそがその一番初めに来るべきものであり、且つ課せられた絶対的責務だと思います。 自然を制覇掌握凌駕するというひとつの価値観念、克服への念願、欲求、願望を以てして科学は今の今まで推進されてきました。 事物象を明確に「対象化」する事を端緒とする事は論を俟つまでもない「科学」の営みの基本的特徴かと思います。 現今まで科学ばかりが盛んに伸びました(細密化、精緻化、分化、新生)が、この方面(哲学的思想関連、周辺)の議論の(微々たるものでもいいし或いは画期的な)進捗はあったでしょうか? 諸「科学」分野は目まぐるしい隆盛をきたして目覚ましいものがありますが、肝腎の道徳、正義、正道、道義、倫理、聖性の精神、がおろそかにされている感じ…。 尚注意しなければならないのは「科学それ自体は厳然と存在しているのみ。」という事だと思います。 (その意味に於いては進捗途上(或いは「発見予定」的な科学)のものはおろか、未成立、未知、未開拓、未踏、未然、の科学(隠れて・隠されて、いまだ見果てぬ・見えない・見えていない・見る事が出来ない科学)もまだまだある筈です。「潜在科学」?) 只、それ自体には何の罪業性も無いです(科学の無害性)。 紛らわしい、ややこしいのですが、厳密には科学の功罪を問う事自体は全くのナンセンスであると思います。 但し、志学の傾向や「知識」「学」の取捨選択の、(情緒的・恣意的な)「偏向性」が問題として取り沙汰されると思います。 科学は推進、進捗させるにあたり目的が同時に発生すると思うのですが、その根底にあるものは返報・見返り・報酬等といった利益・利得に対する何らかの欲求願望(←私情、主観、個人的or固有or特定の嗜好・趣味・価値観念、を含意したものとして…)にまつわる要素因子であり、これを自動的に包含する、兼ね備える事になってしまうと思います。 外的な要因として時代・世相・社会に由来する要請・需要・機運・採用のされ易さ、等もある種の変数・関係性として大いに考えられるかと思います。 これらの関係性が介在、絡んでくる事に由り、始めて、これを運用する側に対してこそ、問題点が所在(私情、欲望、価値観念、感情、好悪、恣意、…等を以てして科学を良い意味でも悪い意味でも利用する)して来るのであると思います。 哲学はもっと万人(万「生物」にも)に門戸を開け放たれているべきです。 哲学自体に「悪気」(?)は無いのでしょうが、飽くなき精緻化を求め続けたがあまりに、複雑・難解(・怪奇)化してしまい、もはや実用的とは言えなくなってしまっている観があります(よく似たいい例が「広辞苑」でしょうか?内容の、精緻さ、広範さ、正確さ、情報量の多さ、等の面に於いて、紛れもなく非常に優秀、秀逸。その功績は殆ど誰もが認める所です。然し直截に言ってしまえば、重い!小回りが利かない!即ち、そのあまりの膨大な情報量を詰め込み過ぎたが為に、自重(ジジュウ)の重過ぎさがあだとなって、果たして便利、実用的と言えるかどうかははなはだ疑問…。という点です)。 例えば緊急時、暴動時、巨大異変時、等の場面に於ける長考熟慮高学識を必要とされる様になってしまった哲学の実用性とは?と考えました。 つまり長広膨大な「理論」が咄嗟、突差に何の役に立つのか?という素朴な疑問をかねてより、懐疑的な私は抱いております。 ですから、机上の空論呼ばわりされる事態が判らぬでもありません。 そのほかには、個々別々の、関係性、特徴、差異、等を加味した上で問題として顕在化される「汎用性」とかも考慮するべきに値するのでは? (例えば、国別・地域別等の場の素因、人種別・性格別・世代(「世代間のギャップ、壁」とか)別等の人間的素因、時代・時期等の時間の素因、等。) 哲学の議論・意見交換の場として考えられるのは国連が考えられますが、実際のその進捗状況がどの程度なのかは全く謎に包まれています(もしかして、この方面の議論など軽視されているのが実情では?)。 しかも、国連の組織としての実質的真相、即ち実効力・拘束力の無さ、見掛け倒しの弱体的勢力に過ぎない事、道徳・倫理面に於いての完璧性とはまだまだほど遠くいまだ考究・整備が発展途上にある事、威厳が今ひとつ欠如している事、平等とは言い難く偏向性・階層性・差別性・恣意性が内在している事、等を考え合わせれば大きく夢・希望・期待を託す程までには、残念ながらとても出来ないように思えます。 非常に不安定的、危なっかしい感じ、印象を受けてしまいますのです。 他に哲学の議論・意見交換の場として考えられるのは大学あたりでしょうか…。 具体的にどのような授業が行われているのかは、私は全く知るべくもありませんので、せいぜい想像の域を出ぬのが何とも拙いのですが、例えば、その現場に於いては、哲学と哲学史とをはき違えていやしまいませんでしょうか。 他の偉大な先駆者達の、軌跡、わだち、功績、記録、資料、文献、をなぞる、模倣する、踏襲する、学習する、…。 これだけでは真の哲学とは言えないのでは? 無論自説の創始・展開の為の、参考資料やヒントとする分には大いに有意義でありましょうが、そこに主体的な私情や自己からの思考察を含意した編集的行為が必要なのではないですか? あと、私的、個人的牙城(限定的な空間、例えば、研究室、教室、議場、講壇場所、議会、講演会、等)に立て籠もって、引き籠もって、閉じ籠もって、内輪で同志間であれやこれやと議論・談論・意見交換してみてもそとに向けて出力しなければ何の意義も無いです。 これでは、ほんの少数の限られた学者連達だけのみに許容認可されている所詮は、独善的、自己満足的、快楽享楽悦楽的、衒学欲求的、な→「知的遊戯」・「お遊び」・私的趣味・道楽・娯楽・ゲーム・学知識の発揚or誇示の場、といった所ではないでしょうか。 そして、せいぜい為政者層・権力層或いは富裕層の諮問機関どまりに成り下がっているのが実態かと。 知的興奮を満喫し、教えを垂れる事に悦楽感を得、尚且つも高給取りで…。 こんなうまい商売は無いのでしょうか…。 自称「学者」「識者」の→実質「オタク」どまりなのでは? 孤高を決め込んでいる、特権化・専売特許化した、形式的哲学に堕した、ブラックボックス化してしまった、象牙の塔化した、敷居の高くなってしまった、哲学及びその周辺の「知」関連に未来はあるでしょうか? (昔も今も)(学)識者もさることながら哲学者関連の人々に、緊迫した課題を先送り、棚上げしている自我に対して良心の咎め、呵責は無いor無かったのでしょうか? 無力感に自己嫌悪に陥ってはいないのでしょうか? 哲学的思考の始まりの時代はいまだ制圧制御しきれない自然の脅威にさらされていました。 然しそれは今は昔の事、自然を気が済むまで征服、凌駕しまくってきた現今は価値観念の画期的革新が必須、迫られていると思います。 (3ページ目に続きます)

  • 難解の文章

    都市への/からの視線1 現代の都市に暮らす人びとの心は、都市の建物、雑踏、シッソウしたり渋滞したりする自動鮮、ショウ・ウィンドウや街旅 のテレビ・スクリーンに映し出される映像、郊外住宅地の風景、携帯電話の小きなディスプレイ上の文字列、小さなイヤフォン から流れつづけるリズムやビートといったものたちのなかにトウエイされ、表象されている。それだけではない。そこに暮ら す人びとの心的生活が、そうした事物に規定され、それらを通じて現れ、それらなしにはまったく別棟のものになるであろうと いう意味で、それらの事物は、そこに暮らす人びとの心の一部なのだ。 物質が見る夢、物が抱く感情、メディアのなかの記号やイメージとともに明滅する心や感情が、都市や社会のなかで私達 を捉え、私(たち)によって生きられる。私たちが見てきたのは、そのような場としての都市や社会ではなかっただろうか。 物質が夢を見る。あるいは、心が物の中に、あるいはものを通じて現れる。こうした一見すると奇妙な物言いは、ヴアルター・ベンヤミンやマーシャル・マクルハーン、ミシェルフーコーの思考を通過したあとの社会学的思考にとっては、必ずし も奇異なことではない。 、′ たとえば都市をめぐるベンヤミンのテクストでは、商品や室内、パサージユやその内外をイロドるモードといった、十九 世紀から二十世紀はじめの都市空間に見出される端的にモノである存在群は、そこに人びとの意識が表象されるだけでなく、そ れ自体が集合的な心的現象であるかのように取り扱われる。 芸術家が作る建物からエンジニアが作る建物へ。絵画から写真へ。これらは建築やイメージを「精神」から解放していくかの ように見える。だが、実際、そのようなテクノロジーとともに現れたパサージユやプルジョワジーの室内、博能会やパノラマと いった事物が示すのは、それらの事物を生み出した人びとの意識や欲望である。そしてそれらは、単に人びとの意識や欲望を表わしているだけで ではない。そのようなテクノロジーに支えられた事物はまた、積極的に人びとの意識や欲望を駆動し、作り出す ものであり、その意味で入びとの意識や欲望の一部をなしてもいるのである。 マクルーハンは、「メディアはメッセージ」という警句的教現によって、種々のテクノロジーが社会のなかに生み出す行為や 関係のペース、スケール、パターンへの注目をカンキしただけではない。彼はまた、みずからの警句をさらにもじった「メデ ィアはマッサージ」という言葉で、そうしたテクノロジーが生み出すペース、スケール、パターンが人びとの意識や感覚に働き かけ、たとえば「活字人間」や「テレビ人間」のような、特定の思考や感覚の形式を備えた人間類型を生みだすことに注目した。 マクルーハンによれば、メディアとはそもそも「人間の拡張」を可能にするものである。活字人間やテレビ人間にとって、活字 やテレビ、そしてそれらが可能にする意味や表現やイメージの空間は、人間に外在するものでほない。それらは拡張きれた人間 の一部なのである。同じことは、鉄道、高速道路と自動車、高層ビルといった〝メディア〝についても言えるだろう。現代の都 市に暮らす私たちほ、〝鉄道人間″や〝自動車人間〝高速道路人間〝や〝高層ビル人間〝であり、私たちの意識や思考、精神は、そうした〝拡張された身体″と相関した存在でしかありえない。 また、フーコ-が監獄の誕生で示したことの一つは、監獄や教室、兵舎のような物的施設の空間内の配置が特定の運用規 則と組み合わされることで、その内部に位置づけられる人びとのなかに、「不断に自分を監視し、管理する自分」という という特異 心的メカニズムを生み出すと同時に、そのような心的メカニズムに支えられた身体間の相互関連のなかの存在へと、人間を形成 していくということであった。「身体の監獄たる精神」という監獄誕生のなかの言葉は、身体に内在する多様な運動性が精神を蝶番にして規律・訓練されていくことを示しているのだが、その精神は人びとの身体のなかにだけあるのではない。監 獄の建物に、そして教室や兵舎の建物にそうした精神が宿り、身体を攻囲しているのである。 十九芸世紀以降の都市と社会を特徴づけていることの一つは、こうした物質的であると同時に社会的な世界のなかに、高速交通や高速通信を可能にするメディアに媒介された、それまでに存在しない「場」や「地形」が生み出されていったとい うことである。 たとえば、鉄道敷設は、その沿線の空間を線状に結び付けていっただけではない。以前であれば五感によって経験されて いた移動する途中の空間が、そこでは車窓の外を飛び去っていく「風景」という像として経験されると同時に、「移動する車内」と という新たな場と、居眠りや読書、とりとめのないおしゃべりや、車内の中吊り広告をほんやり眺めるといった、新たな行為や経験の様式を作り出す。して、そのような行為や経験を通じて、鉄道路線で結ばれた駅の数珠状の鎖列を軸として国土や地域や都市をイメージする空間了解の形式が共有されていく。と同時に、通勤や通学、業務のための移動などの活動を、鉄道の運行時間にしたがって管理・調整するという、時間的・空間的な行動の管理も、日常生活を送るための必要な技術として浸透 く。それは、社会化された機械装置を軸とするものへと社会的な空間や時間が編成されて、そのような機械装置とそれに媒介さ れた空間・時間のなかで、身体の集合的な活動が編成されていくということ、それを通じて新たな質や構造をもった「場」や「社会の地形」が、社会生活の物質的な基盤であり、かつまた時空間上の広がりをもったイメージとして、成立していったというこ とである。私たちが知っている「都心」や「郊外」という場は、物質性とイメージと、そこでの人びとの行為や問係のスイコ ウを通じて編成された社会の地形のなかに現れるのであり、そのような地形のなかで固有の実定性を与えられるのである。また、映画のうな映像メディアや、電話やテレビのような電気的な通信メディア、グラビア化した雑誌のようなプリント、メディアの普及と浸透は、地理的な場とは異なる言語やイメージの伝達の場を、聴覚や視覚という物理的かつ身体的な位相で存在することを可能にすることで、新しい社会的な環境を形成していくものだった。こうしたメディアは、文字や絵画を媒体とするそれ以前のメディアに媒介された環境とは異なる遠近感、身体感覚、現前性をもつ場を、社会の中に切り開いていく。そこでは、ひとびとにとって有意味な社会の広がりが、みずからの身体の近傍に経験される広がりだけでなく、種種のメディアを通じて拡張され、自己や生活の理想的なイメージメディアもメディアを通じて日々降り注ぐファッショナブルな幻像のなかに求められるようになる。そして「経験」「結びつき」「理想的」といった言葉が意味するものも、かつてそれらの言葉が意味していたものとは異なるものへと変貌する。それはつまり、「世界」や「社会」に対する人々の了解と想像の形式が変わるということ、端的にいって「世界」や「社会」のあり方が変わってしまうということだ。都市の「境界」という伝統的には地理的空間上に見いだされる存在すら、そこではメディア媒介的な現実の位相において思考され、経験されるのである。私たちが生きる世界は、十九世紀以降に出現したこうした諸メディアが切り開く新たな物質性の次元も、その素材として取り込むとこに成立している。 映画スタジオにおいては、器械装置が現実の奥深くまで侵入しており、その程度たるや、現実の純粋な姿、器械装置という異物から解放された姿のように見えるものはある特殊な処理の産物、つまりその目的のために特別にセットされたカメラで撮影したものを、同種の他の撮影フィルムとモンタージュした結果なのである。器械装置から解放された現実の姿は、ここでそのもっとも人工的な姿となった。なまの現実の光景は、技術の国の青い花となった。ここで述べられているのは、映画というテクノロジーのなかでは、器械装置が現実の構成に深く浸透しており、最も自然に見えるものこそが器械的な技術や処理を通じて現れてくるということだ。そして、映画というテクノロジーとその表現が、大衆的な娯楽を通じてひとびとの日常的な環境の一部になっていくとき、映画をつうじて現れてくるさまざまな映像は、ひとびとにとっての現実の一部を構成していくようになることができるだろう。このとき、そうした技術に深く支えられた技術の国では、なまの現実なるものは伝説の青い花のような、決して手の届かないロマン主義的な憧れの対称という位置を、技術化された環境のなかで、夢みられるものとしてあてがわれることになる。 この文章の論理展開と筆者が何を言っているのかまったく理解できません。できれば、解説お願いします。

    • luut
    • 回答数3
  • 精神障害者手帳と精神科医療に対する素朴な疑問。

    私は今年の前半に、精神障害者手帳3級を取得した、もうすぐ40歳の男性です。 大学在学中から、今もずっと同じ個人クリニック(精神科専門)に通院しています。 ずっと、そのクリニックの院長に診て頂いているので、その院長の精神医療に対する考え方しか分かりません。 ずっと、その院長の考え方を信じて生きてきました。 大学を卒業し、勤め先を辞めるまでは、精神科に通院し処方された薬を飲みながら、こんな感じで生きてきました。 まず、仕事以外は全ての時間を睡眠にあてていました。 兎に角、疲れきっていました。 勤め先が特別ハードな職場だった訳ではありません。 朝の9時に出社し、夜の7時くらいに帰れる極一般的な職場です。 年に3週間程度、夜の10時~11時くらいまで、残業しないといけない時期があるくらいで、それ以外は、1日1時間程度の残業で十分な会社でした。 おそらく普通の職場より残業の少ない会社だったと思います。 それでも、疲れきって、夕食を食べた後すぐに風呂に入り、力尽きて眠る毎日でした。 自分の患っている精神疾患では、職場の人間関係を何とかやり過ごし、仕事を人並みにこなすだけで、全エネルギーを職場で使い果たしてしまうの実情でした。 土日は、まず確実に休める職場だったのですが、平日の疲れが溜まりに溜まっていて、土曜日と日曜日は1日中寝ていました。 1日中寝ていても、夜は夜でまた眠くなり寝ていました。 結果、働いていた時は、仕事をしているか寝ているかのどちらかという状態でした。 当然、余暇を楽しむ余裕など皆無でした。 自分の人生はこれでいいのだろうか?と、さすがに考えたりもしましたが、働いて収入を得て自立して生きていく事だけで手一杯なら、それを全うするのが、あなたの人生だというニュアンスの事を、当時、院長に言われていたのを覚えています。 そして、あなたの病は絶対良い方向へ向かうはずだから、いずれ余暇を楽しむだけの余裕も出てくるというようなニュアンスの事も言われていました。 とりあえず、その言葉にすがり、処方されている薬を飲みながら働き続けました。 しかし完全に症状が悪化し働けない状態になり、勤め先を退社する事になりました。 そして、勤め先を辞めて、現在3年近く経ちます。 現在は人生をやり直すべく、障害者職業センターに通っています。 障害者手帳を使い、障害者職業センターを通じ、障害者枠での就職も視野に入れ活動中です。 そして空白の3年間ですが、勤め先を辞めてから2年近く寝たきり状態でした。 本当に酷い酷い鬱状態でした。 死ぬことばかりを考えていました。 病院に行く時以外は、ほとんど布団の中で過ごしていました。 勿論、TVを観る、読書をする、新聞を読む、ゲームをやる等の簡単な娯楽ですら、やる気力も体力もありませんでした。 しかし、この時期は、私の通院先の院長からは、あなたのは甘えといわんばかりの事しか言われませんでした。 気力がなく元気が湧かないから何もしないのは間違っている、無理やり何かをして元気を取り戻さないとダメだというようなニュアンスの事を言われ続けました。 勿論、院長には、「私の処方している薬をちゃんと飲んでいるなら、それくらいの元気は絶対出るはず!」という確信もあったのかもしれません。 しかし、私は処方された薬を、ちゃんと飲んでいてもそんな状態だったのです。 そして1年と少し前くらいにやっと、それなりの気力と元気が戻ってきて、将来の事を考えられるようになりました。 そして紆余曲折の末、精神障害者手帳の取得と、その手帳を使いハローワークと連携し就職活動を行う事になりました。 障害者枠での就職も視野に入れて動くことになりました。 そして現在、ハローワークの勧めで、障害者職業センターに通っているのですが、そもそも通院先の院長は、あなた程度の症状ではまず手帳の取得は不可能と言い切りました。 何度も何度も話し合い、診断書を何とか書いてもらえたのですが、先生は、「とりあえず診断書は書くけど、あなた程度の症状では、正直申請は通らないと思うよ。」と言われました。 しかし、手帳の申請は通りました。 先生に報告すると、先生は本当に驚いた様子で、「えっ!?手帳もらえたの!?」と、びっくりしていました。 このような経緯があったので、自分は本当は障害者と言えるほど重症ではないんだと密かに思っていました。 しかし障害者職業センターに通いはじめ、ある疑問を抱くようになります。 私の通う障害者職業センターは、全員、精神のカテゴリーの障害者です。 そして障害者職業センターに通う人達は全員、手帳持ちです。 手帳を所有している事が、通える為の条件です。 しかし、通ってすぐ違和感を感じました。 皆さん、普通の人達なんです。 しかし、この手の病や障害は見た目で分かるものではないので、そこはすぐに納得しました。 私も、普通にしていれば普通の人にしか見えないだろうし。 しかし、ある事がきっかけで違和感がある種の確信に変わりました。 単純にオシャレでコミュニケーション能力が高いだけでなく、本当に元気な人達の集まりにしか思えない出来事があったのです。 それは、コミュニケーションの時間と呼ばれる毎週ある曜日に行われる、何らかのテーマについて色々話し合う時間の時です。 私なんて、十数人いる人達の前で話さないといけないとなると、身体は震えだすし汗を吹き出すしで、自分でも何を言っているのか分からなくなるくらいなんですが、皆さんは雄弁にしゃべります。 しかし、この段階では、私以外の人達は対人的な障害や疾患は持ってないんだなとしか思っていませんでした。 問題は話している内容です。 確か、ストレス発散法というテーマについて話し合った時だったと思いますが、ある女性は6~7人の仲間と女子会を頻繁に開いてストレスを解消していますと語り出しました。 ある男性は、友達が多いらしく友人達と飲み歩いてストレスを解消していると語り出しました。 また、スポーツマンタイプの人も多く、学生時代の仲間と野球やサッカーをして、ストレスを解消していると言う人も多かったです。 インドアタイプの人も家で1人で出来るゲームなどに没頭してストレスを解消していると言っていました。 私は唖然としました。 私は大学を出て社会人になってからは、全くそんな元気もありませんでした。 TVも観なくなり、読書もしなくなり、ゲームもしなくなり、とうとう新聞すら読めなくなりました。 余暇はただ寝る為だけの時間でした。 そうしないと働き続けることが出来なかったのです。 コミュニケーション能力も高く、普通に余暇も楽しめるだけの元気があるのに、何で精神障害者の手帳をもらえたんだろう?? 不思議で仕方がありません。 コミュニケーション能力が高いだけなら分かります。 そういう人でも、実は精神疾患を患っているという人達はいくらでもいると思います。 もっとも、私は対人面での疾患も酷く、相当苦労してきましたが。 まぁ、それはいいとして、コミュニケーション面で問題が無い上に、仕事をして余暇を楽しむことも出来る余裕があるなら、それって健常者では??と思いました。 しかも、実務をする上での能力面で極端に劣っているような人もいないですし。 あれ?もしかして、通っている病院次第で、障害者手帳なんて実は容易くもらえるものなの??という疑問が強烈に湧き上がってきました。 自分があれだけ無理を押し通し苦しんで生きてきた人生って一体何だったんだと途方にくれているのが今の自分です。 誰か私の疑問に答えて下さい。 私の主治医は、今でも私の病はそこまで深刻なものではないと思っていると思います。 少なくとも手帳がもらえるほどのものではないと。 しかし、私の目の前には、私より遥かに症状が軽い、というか症状自体実はないんじゃないか?というような手帳保持者がわんさか居ます。 センターのスタッフ達も、それを当然の事のように受け止めています。 むしろ、センターのスタッフ達は症状が一番重い私の方を疎ましく思っているようです。 質問です。 私の主治医の精神医療における考え方は患者に損な生き方、酷な生き方を背負わせる類のものですか? 実際には良い意味でも悪い意味でも患者を甘やかし、楽な生き方に導いている精神科医の方が多いのですか? そして、やはり手帳は、精神科医の考え方次第で、同じ症状でも1級の手帳をもらえる人もいれば、 手帳自体もらえず苦しんでいる人もいるというのが現実ですか? 誰か教えて下さい。

  • 高校三年の男です。学校に行けなくて困っています。

    長文になり読みにくくなってしまっています。 申し訳ありません。 あたたかい御反応をいただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。 今学期から高三生となりました。 学期初めの始業式、HRなど三日間程登校することができましたが、 以降先週は全く登校することができませんでした。 「一週間休んだくらいで」とか「甘えないで行け」とか思われてしまうのだと思います。 でもなぜか自分でもわかりきってるそんな簡単な『一歩』がどうしても踏み出せないのです。 話が脱線して申し訳ないのですが、少し僕自身の昔話をさせていただきます。 僕は小さい頃から忘れ物が多かったりすぐに物を落としたりしてしまう子でした。 そんな僕は集中力と頑固すぎるほどの真面目さがあり、そのおかげが某国立小学校に運良く入学することができました。 その後、少し特殊な環境ではありましたが何の変哲もない小学校生活を送り、附属の中学校へと内部進学しました。 附属と言えど軽い進学試験はありましたが到底「受験」と呼べるようなものではありませんでした。 中学校では小学校からの付き合いがほとんどという環境や、持ち前のコミュニケーション能力の高さからいつの間にか部活やクラスの中心・先頭的存在となっていました。 他学年からの知名度も高く、校内では割と有名な存在でした。 (主観的、客観的また医学的にも見た僕の長所の一つのようです。) しかし、そんな人間関係や娯楽等にうつつを抜かしているうちに成績はどんどん落ちていき、高校の内部進学を自主的に断念しました。 受かるだろうと教員からは言われていたのですが、さらにハイレベルになる高校の授業への不安や、今までずっと同じ仲間たちと同じ世界で生きてきていたので外に出てみたくなった為、外部受験を決意しました。 今振り返ってみると、 故意ではありませんが『「憧れの対象」としていつの間にか見られるような存在になっていた自分』と『本当の自分』とのギャップに無意識に耐え切れなくなっていた事、そして試験に落ちてしまった未来の自分を想像したときに、格好悪いことですが「憧れの対象」としてのプライドが許さなかったのだと思います。 そして現在通っている某都立校に進学しました。 9年間も同じ仲間がいるぬるま湯のような環境で過ごした僕は、案の定、入学当初から友達ができず孤立していました。 誰かに声をかけることは苦手ではないのですが、初めて知らない人たちの中に埋もれた緊張と動揺から何もできず塞ぎ込んでしまいました。 とは言え他クラスに小中と一緒の学校の親友がいたり、中学校から始めたハンドボール部に入ったりと徐々に交友関係も広がり、平凡な日々を過ごしていました。 そんな「平凡な日々」をすごす「平凡な自分」の脳裏を過ぎるのは「憧れの対象」だった『過去の自分』でした。 今の「平凡な生活」に不安はありませんでした。 あの日々も今思えば幸せで、大切な大切な毎日でした。 しかし愚かで無知で子供だった僕は『過去』にとらわれ続けていました。 昔のクラスメート、チームメイトなどと頻繁に会い、中学校にもよく遊びき行き同窓会の幹事も担当しました。 そんな自分への自己嫌悪、かつての同級生からどう思われているか悲観的にとらえてしまったこと、また当時のクラスメートたちへの申し訳なさなどで、 僕の中の何かが弾け、崩れてしまいました。 2012年10月雨が降っていた登校日のある土曜日のことでした。 制服を着た僕は、どうしても学校に行きたくなくて「行ってきます」と親に伝えたまま雨の中当てもなく自転車をとばしました。 行き着いた先は、中学のクラスメートとBBQ等の同窓会をした海浜公園でした。 呆然とした僕は降りしきる雨の中、柵の向こうの荒れ狂う海を見つめていました。 どれだけの間そうしていたかは覚えていません。 ただ、柵に手をかけ乗り越えようと力を込めた時に近くに清掃員の方がいたのを見つけ我にかえったことだけは覚えています。 その日は、無断欠席、連絡手段のシャットアウト等を柄にもなくしてしまったため、あと少しで警察沙汰になるところでした。 それから僕は学校に行けなくなりました。 混同してしまいそうな複雑な話、かつ拙い文のため読解しにくく申し訳ありません。 これは二年前、高1の時のことです。 精神状況が不安定なままの不登校は続き、精神科にも数件伺いました。 そして自分に合った医師、カウンセリングの先生と巡り合うことができ徐々に回復していった僕は単位や出席単位もギリギリではありましたが保持し、無事高校二年生に進級することができました。 当時診断された病名は「躁鬱状態」でしたが、理性もあり「うつ病」とはっきり診断することはできなかったようです。 高校二年生になった僕は、初夏頃に親身に支えてくれる良きパートナーもでき、また「平凡な」高校生活を過ごしていました。 しかしちょうどその頃から、高1のときに仲が良かったクラスメートが僕と同じような状態になり不登校になってしまいました。 「仲間が苦しんでいる」それだけでも放っておけない性格に加え、「自分と同じ苦しみを味わっているのか」といてもたってもいられなくなった僕は元クラスメートの仲間たち等と学校前の早朝に家まだ迎えに行ったりと自分勝手に尽力しました。 しかし彼は結局、戻ってくることはありませんでした。 もっと的確な対応ができたのではないか、無我夢中になりすぎて距離感を間違えすぎていたのではないか、 あの頃のことを思うと後悔ばかりがあふれてきます。 そしてその影響からか、僕自身もまたちらほらと学校を休み始めてしまいます。 パートナーの支えもあり何とか登校することが増え安定してきたと思っていました。 しかし9月に行われる文化祭関連で一悶着あったりと段々僕の心内は崩れそうになっていきます。 不安定な僕はパートナーを無意識に傷つけ疎遠になっていき11月のはじめに別れました。 対象喪失によりここで崩れると思いきや持ちこたえ、後悔と感謝とこれから頑張ろうという気持ちで悲しみを誤魔化していました。 そんな不安定すぎる状態のまま行った修学旅行で全てが崩れました。 独りになりたくてもなれず、ハードなスケジュールにもついていけず、だれとも会いたくなくなってしまっていた状態での集団行動。 地獄でした。 修学旅行明けの一週間程は自分を誤魔化し登校していましたが、本当の地獄はこれからでした。 一学期、二学期でちょくちょく休んでいたツケがここで来ました。 誰とも会いたくない独りでいたい。 何もしたくない何をする気も起きない。 でも、 欠席すると日数の関係で退学。 考査である程度の点数を取らないと成績不良で退学。 学校からは「もう諦めろ」という圧力。 元来の性格から本音を隠し偽り、抱え込むタイプで誰にも頼れず、 ただただ夢か現実かもわからない毎日を独りで生きました。 登校し、机に伏せ、誰とも話さず、必要な授業のみ出席し、めまいで倒れそうになりながら帰宅。 話す相手は母親かカウンセリングの先生、精神科の先生、担任の先生くらいでした。 あの頃、本当に「現実に」生きていたのかは今でもわからないほど辛辣な日々でした。 しかし大人の方々の支えと自身の意地で出席も成績もクリアした僕は段々と「普通」に戻ることができました。 そんな日々のなかで嫌になるほど自分と向き合い、様々なことを学びました。 対処法や自分への対応についてたくさん、たくさん知りました。 でも、現在学校に行けません。 春秋に起こる季節性の躁鬱かもしれませんが、不思議と今の心は安定しています。 ただ自分の四肢が異物であるような感覚など、過去の感覚を彷彿とさせるようなことがあるのも事実です。 精神薬、睡眠薬、ADHD(注意欠陥、多動症)の傾向があるのでその作用を抑える薬は一年以上服用していて自己管理できています。 先日は抗鬱剤を処方されました。 学校に行きたくないわけじゃないのですが、行きたいわけでもなくて… 今の引き籠り生活に悪い意味で慣れてしまったのかもしれません。 どうしても、どうしても「一歩踏み出す勇気」がでません。 「きっかけを作ろうとする意欲」がわきません。 「頑張ろう」って、思えないんです。 たったこれだけの読みにくい昔話じゃ僕のことを大して知っていただけないとは思います。 でももう、自分じゃどうすればいいか「わかってる」のに出来なくて。 どうしたらいいか「わからなくて」。 仲間に頼れなくて自分に溺れる弱虫な僕にはもう顔の見えない第三者的立場の皆様にご意見をうかがうのが精いっぱいで… 長々とした内容になってしまい申し訳ありません。 最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。 それだけでも感謝の気持ちで一杯で少し気も楽になった気もします。 助けてください、とは言いません… 何かあたたかいお言葉、アドバイス等いただけたら、とても、とても嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

  • 生きる意味意義とは?ヒト人類は消失絶滅すべきです。

    shikanneiko20170419 「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」 (1ページ目) (自然発生的に誰しもが考えることだと思われますが、)「人」としての最重要課題、(以下に示しました矢印「⇄」は敷衍の遷移、順序を示すものでは決してありません。考えの原初からの順序列は今となっては最早定かではないと思います。しかし推移の順位、順番などこの際特別段に問題とはならない筈です。只言える事は対象それぞれには紛れもなく深く強い密接な相互関連性が存在している事(相即不離)は自明、という事です。「自」と「他」の截然たる区分けは社会化が前提の現代では、どうしても出来ぬ事なのかも知れません…。)即ち、「私」⇄「人間、ヒト」⇄「全人類」の存在のor生きる意味及び意義並びに根拠とは何でしょうか? (ところで、私自身の「ばか丸出し」然、無知を曝露呈する様で御恥かしい限りですが、私の漠然とした認識では、哲学は「意味」の分野を思考察、片や倫理は「意義」の方面を思考察するものと思っております。自信がありません、とんだ誤釈でしょうか?) 個人⇄集団の内面、何たるか、主体、概念、の充全な洞察、考究は緊張感・責任感・切実感・切迫感・羞恥心・謙虚精神・罪悪感・謝罪感、を以て臨むべきことであると強く思います。 グローバルな地球的な国際化・社会化した現代に於いては、尚更にも増して人間として考えなければならぬ最重要課題でしょう(然し私、個人的にはその方面の談論風発の見聞、いまだかつて覚え無し)。 又更に利己的「意義」(の追究)はわかりますが、利他的「意義」という代物は何らかあるのでしょうか? 私、例が思い浮かびません…。 然しながら以上、結論を先に言ってしまえば、(予想して今後将来的にも)蓋し凡そその答えは、無い、或いは見つける事は不可能、というのがほぼ決定的な真相かと思われます。 少なくとも有史以前以後にも先達諸々が論究せんとして来た事ですが確実な証明、完成の功相成るに至っていないのが現実です(何故ならば、直観的に現実の各様各態のカオスの山積を概観するだけでも、物心ついた人ならば即座にも判じ得る事だからです)。 達観して悟りの境地に至った人等、果たしているorいたのでしょうか? (ところで、ちょっとした余談です…。梁塵秘抄の有名な歌、「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。」があります(殆ど周知ですよね…)。誠に僭越ながら私なりの我田引水、牽強付会な私的解釈を致せば、生きる意義とは何かとの哲学的問いかけであったのでは?、との読み替えを致しました。最重要課題、大切なものを、なおざりに、置き去りにして、個々が勝手気ままに、自由に、遊び(=諸々の何らかの行為・所作・行動)に耽っています、御執心です。「遊び」イコール各主体それぞれの何らかの欲求願望の充足…と解釈致しました。(かと言って、この場合に於いて、「あそび」とは何も必ずしも娯楽、遊興、享楽、快楽、的な事象に限った事ではありません。人為、ヒトの所業を全て「あそび」として総括。「生きる事の「意義」を考える事、解明する事、無くして「あそ」んでばかり居ていていいのか」との警句…。との読み替えです)つまりは、寄与・貢献・慈善・愛他・利他・学究・研究・勤労・仕事・作業・献身・苦行・ストイシシズム関連・等でさえも究極的には、絶対的には、本質的には利己的欲求願望の一種に過ぎません。) このような状況から鑑みまして、私の個人的な(且つ極論・酷評的な?)言い方をすれば「惰性で駄齢を重ねてきた人類史」と表現せざるを得ません(生意気を申し上げます様ですが…)。 さて、自己、自我とは何か?そして果ては社会や世界全体とは何か?に就いて。 これらが何故だか世間的に盲目的気味になっている事、逃避・遁走されがちで遠慮・忌憚扱いを呈している状況の要素・因子を、雑然とですが自分なりに考えてみました。 元来からして、各人各様どのような形であれヒト主導の国際社会の蓋然的な揺るぎ無い存続の「確信」を本気で妄信→考える必要性・切迫感を感じない。 受動的に虚像を妄信させられている、被妄信。 わざと、故意に、意図的に、知らぬふり、かまとと、確信犯的無難志向・事勿れ主義、の道・方略を選択する。 多忙。 考えている暇など無し。 外界からの各種何らかの刺激・入力が多過ぎて対処・集中が出来ない、困難。→注意・関心が散逸、分散してしまう。 関心が起こらない。 別の事物象に関心を向けている(夢中になっている)。 或いは向けさせられている。 もしや「関心寄せ」の巧妙な操作(?)をも被っているのでしょうか? どうしても具象的とか直観的とか感覚的な、比較的認識・判断の容易な物事が偏愛、嗜好されがちである事。 (挙例として不適当かも知れませんが…、)かの有名な「杜子春」的、生き方・人生設計への転換→落着・帰結。 世渡りに於いて、華美豪奢では非ずに、かと言って卑下零細の道を辿る訳でもなく、「中庸」の人生方略を執るべき事こそ最上最良最高なのであると自己を説得してしまうとか…。 特殊な「専門分野」のひとつと解釈して割り切ってしまう(心の中で斯界、斯道の権威に委託)。 「どこかのだれかがやってくれているさ…」とか…。 哲学(的思想関連諸々)など実の無い贅沢な有閑人、閑居者、暇人のくだらない「思索」の産物である、空論だ、との偏見・決め付け。 その他の例としては…。 寡黙、むっつりを決め込む。 そして更には何の流儀か知らぬが、自己愛、自己陶酔的に孤高を「地で行く」向きも多数存在。 「能ある鷹は爪を隠す」(実際は、肝腎かなめの「爪」自体そのものが存在しなかったりする人も少なくない様で…。)を気取る御仁たち。 言外に(非言語的コミュニケーションにてで)自身の高尚さ高邁さをそれとなく匂わす、アピールする(しかしその内相実体は何ともお粗末だったりする…。いわば単なる見掛け倒し)。 等々が思い浮かびました(もし以上以外のその他の要因について存知なさっておられますようでしたらば御教示の程、されたく思います…)。 そしてまた更には、哲学的思考をいざしようものなら、その大抵が直接的にも間接的にも、外界的要因からも「禁忌の事項・行為」として抑圧・阻害・妨害を被る事になる様に思えます。 その兆しを、歓迎ないし放置(中立的対応)するどころか由々しきものとして冷遇する、攻撃対象とする暗黙裡の符牒でも存在しているかの様です。 例えば、 モラトリアム人間のステレオタイプとしてラベリングされ、誠実に、本気で、真面目に取り合ってくれない。 或いは「小人閑居して不善をなす」の先在、既存パターン・鋳型を連想、→借用して当て嵌めてしまう。 創始・進取の気概の萌芽を社会的圧殺を以て諦念させる。 外的要因の各関係性を鑑みた上での(疑似的シミュレーション的な)学習性無力感による想起から諦めに至ってしまう。 イノベーター、革新者は良い意味でも悪い意味でも統制を乱す存在として、その多くが由々しき曲者として何かと煙たがられる(特に為政者側、保守的傾向人間、権威主義的性格の者、等からは目の敵にされ易い(自分の地位の安泰・盤石・太平を脅かす存在として忌み嫌う)様な感じがします。尚この事は、自由主義の諸刃の剣の様な感じがしないでもありません。哲学的教育課程の画期新規組み入れ・組み込みは、主導者・権威者・為政者側にとっての意図せぬ、計らざる「造反者」「謀叛人」「革新家」「イノベーター」の養育・発生のリスクをも包含する事になるからです)。 遂行せんが為に(主体性を以てして)暗中模索或いは試行錯誤に奔走した、その当該者自身も「角が取れて丸くなってしまった」人々と成り果て「あれは若気の至りであった…」と悔悟してしまう。 人生の過程で様々な紆余曲折を経て、ようやっと持論・自説が凝結、結実をみて、いざ外界に向かって提言したく思うようになりしも、気付いた時には自分は既にもう干からびた老人…。 誰も話に耳を貸さない。 世の習いで、せいぜい「年寄りのうるさい、つまらない繰り言」扱いを受けるようになってしまう。 「集団・大勢・多数派からの逸脱への恐怖→同調志向、無難志向」という人生設計転向・方針転換パターン。 …等。 斉一性、斉合性、整合性、を重んじるお国柄、国民性の影響も無視出来ない様に思われます(この国固有独特のいわゆる「村八分」思想もこれと関連している感じです)。 以上これらが、珍しくもない顕著、蓋然実態であるのではないでしょうか? かくいう私も、いわゆる「モラトリアム(人間)」或いは「アダルトチルドレン」のそしりを免れぬかもしれません。 しかしそのそしる・けなす・ののしる御当人方々は一体全体この問題をどう克服して大のおとなになったのか? 所詮「現実逃避」「責任放棄」「妥協」「我慢」「事なかれ主義」「現状満足」「安住志向」「和を以て貴しとなす」「損得の面などから打算して敢えて直視しようとしない」「集団同調」…等々のいずれかを決め込んでいるのが関の山なのでは? やる前から達成の困難さに怯え即座に諦めてしまった短絡への恥、壁を越えられなかった悔しさ、自己自身の勇気の無さ、…等々どうして自己嫌悪に陥らないのでしょうか? 摩訶不思議でなりません…。 蓋し謎は深まるばかりで理解に苦しみます…。 (2ページ目に続きます)

  • 格差なんてあっても良い。だって、能力が違うんだもん

    以下は、格差社会の弊害とその対処に関する、鈴木と城之内とナンシーの3人の対談です。ご覧いただいて、何かコメント下さい。 *鈴木:日本では、手取り年収の上限を5千万円に定めます。 *城之内:えっ?どういうこと?6千万円を稼いだら、その人はドーなるの? *鈴木:その年の可処分所得が6千万円ならば、1千万円を没収します。可処分所得が1億円ならば、手取り年収が5千万円になるように調整して5千万円を没収します。 *城之内:誰が没収するの? *鈴木:税務署だよ。確定申告はやらなきゃだめで、そのときに近くの税務署に行くでしょ。 *城之内:税務署は所得税の請求なら出来るけど、5千万円以上の所得からハミ出た分の没収なんて不可能でしょ。 *鈴木:現実はそうだね。だから、新たな税を設けるのです。 *城之内:税を新設するの? *鈴木:そうだ。今の直接税は所得税と住民税だけだが、これに加え、過剰所得税を新設するのだ。 *城之内:過剰所得税?何だソリャ。 *鈴木:最初に話した通り、法定の最大可処分所得を定める。それは年5千万円だ。そして、そこからハミ出た可処分所得が過剰所得だ。過剰所得は全額課税、言わば没収だ。 *城之内:キミみたいな奴が、ここでそんな税改革案をオレに語ったところで、そんなの実現しません。 *ナンシー:Yes,that's right!鈴木ワ国会議員じゃナイ。自分ノ立場ヲわきまエロ! *鈴木:何だよソレ?おしゃべりの場だから、何を語っても良いだろ。否定したいなら、この税改革案を強制執行したときに起こる問題を例示してみたらドーだ? *城之内:そんなの納税というよりは、強盗だろ。人が汗水垂らして働いて稼いだお金を、納税という名目で没収して良いのか? *鈴木:過剰所得税は累進課税の延長だから、強盗には当たらない。この税徴収が嫌ならば、それ以降は営業しなければ良い。 *城之内:しかしだね、そんな強盗みたいな税制だったら、高額所得者はみんな外国に移り住んじゃうよ。 *鈴木:外国移住、大いに結構。どうぞご自由に。 *城之内:高額所得者は、日本経済のリーダーなんだよ。 *鈴木:リーダー?いやいや、金の亡者でしょ。 *城之内:リーダーだよ。汗水垂らして働いて、日本経済の生産性を牽引し、社会に貢献しているんだよ。だから、それだけの高額な所得を受け取るべき正当な理由があるんだよ。 *鈴木:違うね、5千万円以上の高額なお金となると、汗水垂らして働いたところでここまでは稼げない。こんなに稼いでいるということは、何か悪いことやってるということ。そんな奴は、日本から出て行ってくれた方がいい。 *城之内:本当に出て行っちゃうと、日本経済が大打撃を受けるぞ。 *鈴木:誤解していないか?日本経済を支えているのは、コンピューターとインターネットとロボットと自動車。そして、アルバイトで地道に働いている人だ。キミはそこに恩恵を感じているでしょ。しかし、高額所得者にありがたいって思ったことがあるか?高額所得者が日本から出て行っても、経済大打撃とはならない。 *城之内:キミは大胆な発言をしているけどさ、それはキミが年収5千万円以下で過剰所得税が発生しないから、他人事になっているだけでしょ。 *ナンシー:Yes,that's right!鈴木がビンボーだからッテ、Rich personをねたんデ意味不明の税徴収とか考えテ、コンジョーが汚いゾ。 *城之内:やはりね、自分が金持ちになりたいのなら、努力が必要なんだよ。 *鈴木:オイオイ、論点が変わってるぞ。オレは貧乏人の話なんかしていない。年収5千万円以上の金持ちの話をしているんだ。 *城之内:でもさ、キミが努力して年収1億円になったことを想像してみろよ。それはキミの資産だろ。それを半分没収されるってことなんだぜ。ソレ、金持ちの立場になって物を考えてるか? *鈴木:オレは構わないよ。だって、手元に5千万円が残るんでしょ。そんだけあれば、生活上何の問題も無いし、かなり贅沢できるよ。それから、繰り返しになるけど、1億円なんて努力で稼げるもんじゃないよ。悪いことして庶民から貴重な生活費をむしり取っているんだよ。 *城之内:プロ野球選手も、悪いことして高額年俸を稼いでいるのか? *鈴木:選手本人が悪いとは言わないが、1億円を超えるのは貰い過ぎだ。 *城之内:貰いすぎ?それだけ優秀な成果を出したから、それが報われているんだよ。プロ野球選手は、庶民とは能力が違う。それが羨ましければ、キミがプロ野球選手になってホームラン王にでもなればいいんだよ。そうすれば、キミは1億円プレーヤー、嬉しいね。 *ナンシー:Yes,that's right!悔しけレバ、ホームラン王になってミロ! *鈴木:あのなー、オレがホームラン王になったって、ボールを場外に打ち返しているだけで、食べ物を作っている訳でもゴミ収集している訳でもない。こんなの、何の生産性も無いんだよ。ホームラン王を理由にオレが1億円を貰うのなら、その財源をどうやって用意する?誰かのお金を奪うか、通貨を発行するかのどちらかでしょ。前者なら搾取、後者ならインフレ、これの何処が社会貢献だ? *城之内:ホームランを打てば、観客に元気を与える。立派な社会貢献だ。なので、観客からお金を集めて1億円を用意するから前者だけど、それは搾取とはならない。 *鈴木:ホームランを見て元気が出るのならば、ユーチューブでも見とけ。それなら無料だ。こんなもんに庶民を洗脳してチケット買わせて、詐欺じゃないか。 *城之内:詐欺じゃねーよ、まともな商売だよ。観客の自由意思でチケットやグッズを買っていて、その売上からホームラン王の報酬を払っているんだよ。 *鈴木:たしかに、それで球団が儲かっているからそれだけの報酬を払えるのだけど、それは、高額なチケットやグッズを買うファンが愚かでもある。とくに、貧乏で生活に困っている人が、S席を買うなど、気がしれない。2万円くらいするでしょ。 *城之内:需要があるから、チケットもグッズも売れてるんだよ。売れるから儲かって、選手の年俸が何億円にもなるんだよ。 *鈴木:まー、観客とスポンサーが馬鹿だな。野球を見たければ、テレビを見るなど安い方法がある。チケットを買う必要は無い。それに、スポンサーも、広告費にお金をかけすぎている。球団とかテレビ局とかに、何億円を支払っているのか? *城之内:チケットを買う、グッズを買う、広告の契約をする、そんなの、ソイツらの勝手だろ。馬鹿だとキミが批判することか? *鈴木:何だよソレ?キミは、自分のお金を無駄遣いしてしまっていることを認めているのかな?キミは、お金を増やしたいでしょ。だけど、実際は逆なんだよ。キミのお金は、無駄遣いで減っているんだよ。野球観戦の高額チケットを買うという馬鹿の無駄遣いで。 *城之内:オレじゃねーよ! *鈴木:誰でもいいよ。プロ野球があるから、多くの国民のお金は減っているんだよ。やはりだね、多くの国民はお金を増やしたいのだから、そこに貢献することが経済のリーダーなのだよ。その逆はダメだよ。 *城之内:観客の自由判断だから、良いんだよ。需要が無ければ、チケットもグッズも買わなければいい。 *鈴木:観客を馬鹿にしてチケットを販売して、観客の貴重な生活費を吸い取って選手の高額年俸の財源にするなんて、経済のリーダーがやることではない。 *城之内:観客を馬鹿にしている? *鈴木:そうだ、庶民的娯楽の野球観戦に数万円の価値があると洗脳される馬鹿を見つけてチケットを買わせているんだ。 *城之内:違うよ、バックネット裏で見るプロ野球は迫力があって面白く、高額チケットの価値があるから買っているんだよ。だって、リピーターが居るでしょ。観客が馬鹿なんじゃなくて、その価値か分かる人には分かるんだよ。 *鈴木:ならば、その迫力と面白さをもっと多くの国民に提供してこそ社会貢献だ。高額チケットを買わなきゃ楽しめないのならば、所詮は少数者向けのビジネスだ。そんなのは、社会貢献にも高額年俸にも値しない。 *城之内:でも、それでチケット収入になるのならば、年俸の財源になるじゃん。 *鈴木:そうやって稼ぐ年俸は、5千万円まで。それだけあれば十分でしょ。それを上回る所得は、過剰所得なので全額課税。 *城之内:選手はS席を買った少数の観客に媚びただけであり、テレビで無料観戦している視聴者には貢献していないから、それ以上の個人所得は規制されるのか? *鈴木:まーそうだ。私は無駄遣いなんてしたくないから、S席のチケットを買わない。野球観戦をしたくなれば、無料のテレビを見る。野球観戦なんて、不要不急だし、価値は所詮その程度のもの。多くの国民が私くらいの知性と冷静さを持てば、チケットは値下がって、選手も謙虚になって、高すぎる年俸は適正になる。 *城之内:宇宙旅行に行く夢を叶えようと頑張ってお金を稼いでいる人は、ドーなる?最大所得が5千万円では、到底無理だぞ。 *鈴木:宇宙旅行?そんなの個人の道楽でやるべきではない。宇宙に行きたければ、宇宙物理学者にでもなって、研究目的で行って下さい。それなら、個人の支出は無く全額公的支出で宇宙に行けるでしょ。あるいは、安価なロケットでも開発して旅費が数千万円にコストダウンしてから、自費で宇宙に行って下さい。 -- 「城之内の発言が正論」「鈴木は育ちが悪い」など、何でも構いませんので、コメント下さい。

  • 21歳年上の彼

    クリックありがとうございます。 いいたいことがまとまらず とても長い内容ですが よろしくお願いします。 彼...今年40歳 (バツイチ、03人の子持ち、親権は前の奥さん 長女/高01/長男/中02-3次男/小3-4) あたし...今年19歳 (両親離婚/父方にいる/祖母と叔母と暮らしていた 父親は義母と義妹で暮らしている 実母は実家で暮らしている) あたしは去年の04月から 某引越しセンターに アルバイトで勤めていました。 そこの社員だったのが彼です。 いい人だとは思ってましたが あまり好きなタイプではなかったです。 しかし お互いに車好きということもあり 彼の好意で車に乗せてもらったり 時には支店まで送り迎えするなど 徐々に仲良くなっていきました。 彼のマンションにも 行ってましたが彼が不在で 玄関先に買ったもの(食器など)を 置いて帰る程度でした。 (料理作ってほしいけど道具もないし イチから買わないとといってたので) ところがある日 彼に話したいことがあるといわれ 初めて部屋に入りました。 彼はバツイチで03人の子持ち 親権は前の奥さんにあり 養育費は要らないから 子供に会わないという条件で 5年以上前に離婚したこと (離婚の原因も知ってます) Mさん(共通の友人・女)と 付き合っていたこと 学費や生活費を渡していたこと。 あたしと一緒にいると Mさんと重ねて見てしまうこと を話されました。 「過去は過去だし別にいいんじゃない」 と言いました。 あたし自身 Mさんとのことは 職場でも他のスタッフに 聞かされていたので 大して気にしませんでした。 打ち明けられた帰り いつものように家まで 送り届けてもらったとき 彼のマンションの合鍵をもらいました。 次の日出勤した際に 以前から相談していた 会社の先輩スタッフ Hさん(共通の友人・男)に 彼のことを好きになってしまったが Mさんのことを彼が気にしているようで どうにも動けないが 昨日合鍵をもらったと相談しました。 その後 彼のマンションで宅飲みしたとき Hさんが酔った勢いで 「こいつは誰よりも お前のことが好きなんだよ 合鍵まであげて期待させて 捨てるなんてことしないよな? いつでも来れるようにって 合鍵渡したんだろ? 今までこんなに好いてくれるやつ いなかっただろ お前は好きなの嫌いなの」 と言い放ってしまい あたしは泣くしか出来ず 彼は困り顔 「好きになるなってゆっただろ」 と一言いっただけ。 するとHさんが 「好きになんなつったって こいつは好きになっちゃったんだぞ お前だって期待することしただろ」 と言い返しました。 より一層空気が重くなり もうダメだと思った瞬間 「お前の父親の01歳下 母親の01歳上なんだよ。 長女はお前の02歳下だ それでもいいの?」 と聞かれましたが 「年齢なんて関係ないし あなたがいいんです。」 と答え収束しました。 半月後恐れていた事態が起きました。 あたしの母親が会社に電話して 彼のことを詮索し始めたのです。 すぐ彼氏にも話がいき 近々話し合いをするといって あたしと彼を呼び出しました。 男の部屋に通っている 帰りが遅い 外泊する ということを祖母が 母親に連絡したみたいです。 そのころ 半同棲のようになっていて ちゃんといわなかった自分に 問題があると思ってました。 彼、あたし、母親、祖母で 話し合った結果 母親は罵倒の嵐で猛反対 祖母も反対でしたが 後に賛成してくれました。 年齢のこと離婚歴 自分の意見をいわない彼に 母親は気に食わなかったみたいです。 しかし 「一緒にいて楽しいし こいつが望むなら傍にいたい。 今は結婚は考えていないが 子供がほしいですし その時期がきたら また考えると思います。」 とちゃんと伝えていたんです。 子供好きというのもあり 03人の子供が小さいうちに離れ お父さんらしいことを してやれなかったから 寂しいのかなと 聞いていて思いました。 話し合いの帰り 一緒に帰ろうと泣きじゃくる 母親を見ながら 帰らない別れないと 一点張りで無理やり祖母と帰らせました。 その02ヵ月後から ちゃんと同棲をはじめました。 母親は彼と別れて 家にいると思ってます。 祖母は決めたことを曲げない という性格を知っているので 週01で顔を見せに行くのが条件で 一緒に住むことを許してくれました。 母親には内緒にしてもらってます。 幸せな気持ちもつかの間 彼の態度が急変 「別れよう、嫌いだよ、離婚して」 が口癖のようになりました。 (当時~今も) 毎日のことなので 本音か定かではないです。 あたしと彼の関係が Mさんのようになっていると 仕事場でも広がり あたしは責められ続けました。 Sさん (彼が今の職場になって 一番初めに仲良くなった女 付き合ってはいない) そういう精神的なこともあり ケガすることが増え 仕事にも支障が出てきて チーフのNさんや マネージャーのTさんにも 迷惑かけるようになり 去年の10月付けで 就活のためという理由でやめました。 その後は生活していくため 就活をしながらアルバイトをし なんとか生計を立てていました。 そんな中 彼の01番の理解者でもある Yさん(共通の友人.Mさんとも関わりあり)に 「別れたほうがいい、いつ出て行くの」 などと会うたびいわれるようになり 自信喪失してしまったのは間違いないです。 でも 人って怖いですね。 今じゃもう慣れてきてしまい スルーできるようになりました。 今年に入って あたしは念願の車関係の仕事に就き 食費と彼の娯楽代を出しています。 彼は家賃.光熱費などですね。 年末年始は 当初の予定では 彼が久しぶりに実家に帰るから あたしを一緒に 連れて行くとのことでしたが 職場の人が突然来てしまったので また今度ってことになりました。 しかし 楽しく過ごせたと思います。 年はじめに 彼の実家から 弟さんが母親の手作り料理 お米などたくさんいただきました。 そのときは 弟さんと初めてお会いしました 挨拶程度ですが・・・ 年が明けてすぐに 彼がSさんに あたしと一緒に住んでることが 知れ渡ってるから Sさん般若みたいな顔になってると 報告を受けました。 彼の家に誰が来ても 彼とあたしは一緒に寝るので そこから広まったのかもしれません。 Sさんは彼の携帯を一時期使っており 料金彼持ちで仕事場でも 批判を受けていた存在でした。 あたしは「彼に携帯返してもらって」と 何度もいいましたが 「お前が取り返しに行け」 といわれて何もしてくれませんでした。 その携帯は今返ってきてますが 新しく契約した携帯を持っていて また料金が彼持ちだというんです。 彼と携帯の繋がりがあるから Sさんは自分だけの人と 思っているようですが あたし自身はじめから知っていましたし 腹立ちますけど放っておきました。 そもそも SさんはチーフのNさんと 付き合っていましたが Nさんが実家に帰るといったとき 恥ずかしくて連れて行けないといわれ 置いていかれたそうなんです。 仕事場で構ってくれる人は 彼が01番居心地がいいみたいで また寄ってきたみたいです。 携帯のことに関しては あたしの携帯も01台は 彼に払ってもらってるので 人のことはいえませんが・・・ そんなこともあり Sさんが職場で彼と自分は 恋人関係だ結婚するんだと 話していて彼は否定しないので あたしの存在って家政婦なのか セフレなのか自暴自棄に・・・ ですが Iさんいわく更衣室で着替えていたら 彼がSさんに対して 「俺ら付き合ってねぇだろ 勝手に言いまわんのやめろ」 という口論を聞いたと あたしに連絡してきました。 ちゃんと否定しない彼 男をとっかえひっかえするSさん 何もしない自分 みんなに問題ありますよね。 なんだかんだ問題がある中 その02ヵ月後 あたしの誕生日に 彼は指輪を買ってくれたんです。 最初はネックレスがほしいと 話していたんですが いいものがなく帰ろうとした途端 某有名ブランドの店舗を見つけて 連れて行ってくれました。 ネックレスも見ましたが 最終的には彼が選んだ 指輪をプレゼントしてくれました。 そんなこともありながら 最近は実家の母親から 電話があるようで 楽しそうに話していました。 彼の笑い声を聞いていたら 彼の声のトーンが 一気に下がったんです。 終話後に彼から一言笑いながら 「おふくろにいい人いないの? いい人いたら連れてきなさいね っていわれたけどいないって言った」 といわれ呆然としました。 嫌なことに対して なんとか自分なりに中和して 保ってきたはずが 「いない」 その言葉で一気に落ちました。 あたしは将来的には 彼と結婚したいと思っています。 しかし 彼は「結婚なんて一生しない」 といっています。 ふざけてるのか本音なのか 定かじゃありません。 明らかに彼が先に亡くなって 何もかも01人でしなければならない。 彼の介護もある。 もちろん 身内の説得も。 彼いわく前に聞いた話 「結婚式もあげられないし 披露宴も出来ないよ」 といわれました。 そんなの 関係ありません。 甘い考えなんですけど 一緒にいれるなら 事実婚でもいいと思います。 長々と読んでいただき ありがとうございます。 アドバイスや お叱りの言葉 第三者の意見を いただきたく思い 今回は書き込みさせていただきました。 よろしくお願いします。

  • 世界の動向は...配給経済

    『 将来はどうなるのだろうか?労働時間はますます短縮されるだろう。一日六時間、五時間、四時間、三時間......と次第に短くなっていくはずである。  逆に、年次休暇は長くなっていくだろう。また引退の年齢は、五十歳、四十五歳、四十歳......と次第に早まっていくだろう。  そのとき人間はどのように時間を費やすのだろう?あなたはどう思うだろうか?ここに一つの問題が浮かび上がってくる。あなたの受けた教育があなたをも汚染し、強制労働の終身刑に同意するようにあなたを形造ってしまっていることだ。人間には二つのタイプが出てくることになろう。一方は、一つの天職「天賦の才」を持ち、余暇もしくは引退後に、自分の好きな領域で自発的に労働することで自己開花する人びと、他方は、余暇を、自分の教養を高めたり文化活動やスポーツなど、各人に応じた娯楽のために活用する人びとである。  各人の自由時間が次第に増えるにつれ、常時あるバカンスでこれらの大衆を楽しませるために、あらゆる種類の作家、画家、詩人、エンターテイナー、芸術家がますます必要となるだろう。あるときは生産者、あるときは消費者というように、各人がその能力と嗜好に応じて自由にその立場を変えるのである。  一定期間(できる限り早急に)が経過すると、労働時間はますます短縮され、引退年齢もますます早まり、最後には義務的労働、強制的労働は完全に廃止されることになるだろう。働くことが好きな人々のみが「自発的に」労働を続けるのだ。そのとき人びとは、「人権宣言」の第一条に「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」と記すであろう。  それではその時、必要不可欠な仕事をいったい誰がやるのかと、あなたは私に問うだろう。それは、機械がやるのだ!まだあなたが十分気がつかない程度ではあるが、既にロボットは人間の負担を軽減し始めている。もし私たちが「既に」一日八時間以上は働かなくなっているとしたら、それは機械のおかげに他ならない。もし機械が存在していなかったなら、私たちは五十年前と同じく、いまだに一日十時間は働かなければならないだろう。  しかし、明らかに資本主義社会では、このシステムは成功の見込みがない。というのは、例えば工場の所有者は、全労働者を解雇し、かれらにはもはや給料を払わず、そうすることでかつての労働力であった労働者を飢えるままにしておきながら、機械のおかげで自分たちは荒稼ぎするからである。これは不正であり容認できないことである。 百人の労働者に代わる一台の機械を製造させた経営者は、もはや働くことのなくなった百人の労働者たちに給料を支払い続けねばならない。その時機械は、労働者たちがレジャーと開花の文明に入ることを可能にするのだ。 また、人間が強制労働の機械、もしくは強制労働の場所へ行く通勤の機械と混同されている限りは、技術は社会の人間性を喪失させることになろう。機械と人間とは決して混同されてはならない。人間は開花のための場所で存在するように造られており、いっぽう機械は、ロボットやコンピューターに管理されて、労働のための場所で存在するように造られているのだ。  人間によって遂行される労働はすべて、必ず機械によって遂行されることが可能だ。人間が行うことのすべてをコンピューターは行うことができ、しかも、人間よりもはるかに上手に行うことができる。人間にはミスがあるが、コンピューターには決してない。  もし地球上の軍事予算に使い尽くしている金額を、工場、生産現場および事務所の改良に投資するなら、七年間で労働は完全に自動化され、人間はもはや労働する必要がなくなるであろう。  人間は自己開花するために造られ、機械は働くために造られている。ロボットが人間の作業を行うべきであって、人間がロボットの作業を行うべきではない。しかし現在、すべての企業で起こっていることは、残念ながら後者である。  それでは、誰が機械を監視するのかと、あなたは私に問うかもしれない。それは実に簡単なことだ。生産手段の完全な自動化に必要な最初の約十年間は、軍隊が、この監視と保持の仕事に配属されることが可能である。あるいはさらに、現に毎年何週間かスイスで行われているように、兵役にかわって、公的サービスが一、二年のうちに創設されるかもしれない。そうすると、召集兵と専門家集団のみが各生産単位で働くことになり、それ以外の人間は完全に自由となる。  ――   所得格差の是正から貨幣の廃止へ  世界中のあらゆる政府が、所得格差を減少させるための計画を立案している。フランスではその差は六倍以内に、またスウェーデンでは、既に格差を四倍以内におさえ、さらに近い将来は所得の最大格差を三倍以内に、つまり最低賃金の三倍以上の所得を得る人を無くす方向で検討している。 そして、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がO(ゼロ)になる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」    配給経済  「終身強制労働」の廃止は、配給経済の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。  この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。  人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。  社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。  国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。  もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。 ( ラエル著 )』 ・・・・・  機械化自動化オートメーション化の進展による社会の変容、労働環境の変化、人権問題、労働マネージメント 等が記されていますが、 ~ 労働時間はますます短縮され、引退年齢もますます早まり、最後には義務的労働、強制的労働は完全に廃止されることになる~ ~ 人間によって遂行される労働はすべて、必ず機械によって遂行されることが可能だ~ ~ それでは、誰が機械を監視するのか~、~あるいはさらに、現に毎年何週間かスイスで行われているように、兵役にかわって、公的サービスが一、二年のうちに創設されるかもしれない~  、機械化労働が人にとって代わる(労働の義務の軽減化・廃止)までの期間、公的サービスの創設導入が提案されていますが、最も社会的であり合理的なものであるとして、  これは主に学生のあたり、新社会人のあたりに適用される項目ではないでしょうか? 日本の教育機関(文部省など)をはじめ、世界の教育機関、地域の学校、そして教育者、すべてにわたる改革が示され行われることが日本そして世界の生産・産業を支えることになるのではないでしょうか?  若者を労働主力とした公的サービスの創設、それは国家事業・世界事業となるものと考えられますが、その導入の遅れは社会の老齢化と地域/社会の荒廃をまねくのは必定では...?  また、 ~ 百人の労働者に代わる一台の機械を製造させた経営者は、もはや働くことのなくなった百人の労働者たちに給料を支払い続けねばならない。その時機械は、労働者たちがレジャーと開花の文明に入ることを可能にするのだ。~ ~ 所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」 ~  人々の人権・生存権が記され、貨幣の廃止が記されていますが、 ~百人の労働者に代わる一台の機械を製造” 、もっともだろうとおもわれますが、 “働くことのなくなった百人の労働者たちに給料を支払い続けねばならない~、~「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」~ 、とあり、  社会_政府はすべての人々(全人類)の 消費 その生産計画からその計画実行そして全配給それらのリスク(災害/資源の枯渇/食物の不作など)を全管理し、完全管理しなければならない、重要では?  日本政府および世界の指導層の取り組みと進展状況、 どのようなものでしょうか ?  また、 ~職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば~、 これらは全人類・全世界の共存共栄について・人類の目指す将来についての提言とおもわれますが、 その時、~価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう~ 、とされますが、 価値がなくなるものとは何か? 金権でしょうか? 心当たり、ありましたら?

  • 国語の質問(難)

    現代の都市に暮らす人びとの心は、都市の建物、雑踏、シッソウしたり渋滞したりする自動鮮、ショウ・ウィンドウや街旅 のテレビ・スクリーンに映し出される映像、郊外住宅地の風景、携帯電話の小きなディスプレイ上の文字列、小さなイヤフォン から流れつづけるリズムやビートといったものたちのなかにトウエイされ、表象されている。それだけではない。そこに暮ら す人びとの心的生活が、そうした事物に規定され、それらを通じて現れ、それらなしにはまったく別棟のものになるであろうと いう意味で、それらの事物は、そこに暮らす人びとの心の一部なのだ。 物質が見る夢、物が抱く感情、メディアのなかの記号やイメージとともに明滅する心や感情が、都市や社会のなかで私達 を捉え、私(たち)によって生きられる。私たちが見てきたのは、そのような場としての都市や社会ではなかっただろうか。 物質が夢を見る。あるいは、心が物の中に、あるいはものを通じて現れる。こうした一見すると奇妙な物言いは、ヴアルター・ベンヤミンやマーシャル・マクルハーン、ミシェルフーコーの思考を通過したあとの社会学的思考にとっては、必ずし も奇異なことではない。 、′ たとえば都市をめぐるベンヤミンのテクストでは、商品や室内、パサージユやその内外をイロドるモードといった、十九 世紀から二十世紀はじめの都市空間に見出される端的にモノである存在群は、そこに人びとの意識が表象されるだけでなく、そ れ自体が集合的な心的現象であるかのように取り扱われる。 芸術家が作る建物からエンジニアが作る建物へ。絵画から写真へ。これらは建築やイメージを「精神」から解放していくかの ように見える。だが、実際、そのようなテクノロジーとともに現れたパサージユやプルジョワジーの室内、博能会やパノラマと いった事物が示すのは、それらの事物を生み出した人びとの意識や欲望である。そしてそれらは、単に人びとの意識や欲望を表わしているだけで ではない。そのようなテクノロジーに支えられた事物はまた、積極的に人びとの意識や欲望を駆動し、作り出す ものであり、その意味で入びとの意識や欲望の一部をなしてもいるのである。 マクルーハンは、「メディアはメッセージ」という警句的教現によって、種々のテクノロジーが社会のなかに生み出す行為や 関係のペース、スケール、パターンへの注目をカンキしただけではない。彼はまた、みずからの警句をさらにもじった「メデ ィアはマッサージ」という言葉で、そうしたテクノロジーが生み出すペース、スケール、パターンが人びとの意識や感覚に働き かけ、たとえば「活字人間」や「テレビ人間」のような、特定の思考や感覚の形式を備えた人間類型を生みだすことに注目した。 マクルーハンによれば、メディアとはそもそも「人間の拡張」を可能にするものである。活字人間やテレビ人間にとって、活字 やテレビ、そしてそれらが可能にする意味や表現やイメージの空間は、人間に外在するものでほない。それらは拡張きれた人間 の一部なのである。同じことは、鉄道、高速道路と自動車、高層ビルといった〝メディア〝についても言えるだろう。現代の都 市に暮らす私たちほ、〝鉄道人間″や〝自動車人間〝高速道路人間〝や〝高層ビル人間〝であり、私たちの意識や思考、精神は、そうした〝拡張された身体″と相関した存在でしかありえない。 また、フーコ-が監獄の誕生で示したことの一つは、監獄や教室、兵舎のような物的施設の空間内の配置が特定の運用規 則と組み合わされることで、その内部に位置づけられる人びとのなかに、「不断に自分を監視し、管理する自分」という という特異 心的メカニズムを生み出すと同時に、そのような心的メカニズムに支えられた身体間の相互関連のなかの存在へと、人間を形成 していくということであった。「身体の監獄たる精神」という監獄誕生のなかの言葉は、身体に内在する多様な運動性が精神を蝶番にして規律・訓練されていくことを示しているのだが、その精神は人びとの身体のなかにだけあるのではない。監 獄の建物に、そして教室や兵舎の建物にそうした精神が宿り、身体を攻囲しているのである。 十九芸世紀以降の都市と社会を特徴づけていることの一つは、こうした物質的であると同時に社会的な世界のなかに、高速交通や高速通信を可能にするメディアに媒介された、それまでに存在しない「場」や「地形」が生み出されていったとい うことである。 たとえば、鉄道敷設は、その沿線の空間を線状に結び付けていっただけではない。以前であれば五感によって経験されて いた移動する途中の空間が、そこでは車窓の外を飛び去っていく「風景」という像として経験されると同時に、「移動する車内」と という新たな場と、居眠りや読書、とりとめのないおしゃべりや、車内の中吊り広告をほんやり眺めるといった、新たな行為や経験の様式を作り出す。して、そのような行為や経験を通じて、鉄道路線で結ばれた駅の数珠状の鎖列を軸として国土や地域や都市をイメージする空間了解の形式が共有されていく。と同時に、通勤や通学、業務のための移動などの活動を、鉄道の運行時間にしたがって管理・調整するという、時間的・空間的な行動の管理も、日常生活を送るための必要な技術として浸透 く。それは、社会化された機械装置を軸とするものへと社会的な空間や時間が編成されて、そのような機械装置とそれに媒介さ れた空間・時間のなかで、身体の集合的な活動が編成されていくということ、それを通じて新たな質や構造をもった「場」や「社会の地形」が、社会生活の物質的な基盤であり、かつまた時空間上の広がりをもったイメージとして、成立していったというこ とである。私たちが知っている「都心」や「郊外」という場は、物質性とイメージと、そこでの人びとの行為や問係のスイコ ウを通じて編成された社会の地形のなかに現れるのであり、そのような地形のなかで固有の実定性を与えられるのである。また、映画のうな映像メディアや、電話やテレビのような電気的な通信メディア、グラビア化した雑誌のようなプリント、メディアの普及と浸透は、地理的な場とは異なる言語やイメージの伝達の場を、聴覚や視覚という物理的かつ身体的な位相で存在することを可能にすることで、新しい社会的な環境を形成していくものだった。こうしたメディアは、文字や絵画を媒体とするそれ以前のメディアに媒介された環境とは異なる遠近感、身体感覚、現前性をもつ場を、社会の中に切り開いていく。そこでは、ひとびとにとって有意味な社会の広がりが、みずからの身体の近傍に経験される広がりだけでなく、種種のメディアを通じて拡張され、自己や生活の理想的なイメージメディアもメディアを通じて日々降り注ぐファッショナブルな幻像のなかに求められるようになる。そして「経験」「結びつき」「理想的」といった言葉が意味するものも、かつてそれらの言葉が意味していたものとは異なるものへと変貌する。それはつまり、「世界」や「社会」に対する人々の了解と想像の形式が変わるということ、端的にいって「世界」や「社会」のあり方が変わってしまうということだ。都市の「境界」という伝統的には地理的空間上に見いだされる存在すら、そこではメディア媒介的な現実の位相において思考され、経験されるのである。私たちが生きる世界は、十九世紀以降に出現したこうした諸メディアが切り開く新たな物質性の次元も、その素材として取り込むとこに成立している。 映画スタジオにおいては、器械装置が現実の奥深くまで侵入しており、その程度たるや、現実の純粋な姿、器械装置という異物から解放された姿のように見えるものはある特殊な処理の産物、つまりその目的のために特別にセットされたカメラで撮影したものを、同種の他の撮影フィルムとモンタージュした結果なのである。器械装置から解放された現実の姿は、ここでそのもっとも人工的な姿となった。なまの現実の光景は、技術の国の青い花となった。ここで述べられているのは、映画というテクノロジーのなかでは、器械装置が現実の構成に深く浸透しており、最も自然に見えるものこそが器械的な技術や処理を通じて現れてくるということだ。そして、映画というテクノロジーとその表現が、大衆的な娯楽を通じてひとびとの日常的な環境の一部になっていくとき、映画をつうじて現れてくるさまざまな映像は、ひとびとにとっての現実の一部を構成していくようになることができるだろう。このとき、そうした技術に深く支えられた技術の国では、なまの現実なるものは伝説の青い花のような、決して手の届かないロマン主義的な憧れの対称という位置を、技術化された環境のなかで、夢みられるものとしてあてがわれることになる。 問題1 それらの事物は、そこに暮らす心の一部なのだとあるが、そのように言える理由として、最も適切なものを選べ。 1人々の欲望から生み出された都市の事物は、一方で人々が抱く欲望の多様性を奪う拘束となるから。 2都市の事物は、そこで暮らす人々の心の反映であるとともに、人々の欲望を現出させるものであるから。 どちらが正しいか解説お願いします。

    • luut
    • 回答数3
  • 母親から娘への性的虐待

    タイトルの通り、生まれてから今日まで両親にされたことについて自分では判断しかねるので教えてください。お願いします。 両親を殺してやりたいです。  大学5年目ですが休学していたので4年です。親から早く卒業しろ恥だ恥だと言われます。 小学校以前 ・外出先のトイレでは、絶対にドアを閉めて一人でさせてもらえなかった。必ず母親が開けっ放しのドアの前に立って監視された。周りに白い目で見られても、やめなかった。逃げようとすると捕まえられ「いいの。いいの。ほらさっさとしな。大丈夫だから大丈夫だから。」等と言いながら無理矢理脱がされてさせられた。(母)   小学校 ・高学年で入りたくない入らなくていいと言ったのに無理矢理母親に3度温泉の男湯に父親と一緒に入れられた。(母) ・卒業旅行で全学年ただ一人スカートで参加させられる。動き回るから全員ズボンだったのに。自分だけ体育座りでスカート押さえて不自然に暗い表情で写ってる。(母) ・イベント時の100%強制スカート(母) ・イベント時に監視したことについて「だあーれとも会話しないで一人でいやがる。写真もとらないで採る係にまわされてやがる。誰にも誘われやがらない。」など笑いながら付きまとってぐだぐだ言われる。(母) ・自立を死に物狂いで阻み、「何もできねえくせにえらそうな口をきくな」「学生の分際で」「早くこの家から出て行けよ」「お前さあ、喋れるんだから言葉話せや」などと言う。(父母) ・友人と遊んでいる時に監視・盗聴し「あの子はここがだめだ。この子はあれがだめだった。不合格だ。友達をやめろ変えろ仕返しして来い」「お前の態度のここがだめだった。こう言えば良かったのに次こうしろああしろ」などと言ってくる。(母) ・風呂上がりに家に隣の家の男の子が来ていて、その子と弟と母親の見ている前で無理矢理居間で着替えさせられた。(母) ・脱衣所で着替えさせてもらえず何度も居間で家族の前で無理矢理着替えさせられた。 それをネタにされたり、後からにやにや笑いながらしつこく言ってくる。(母) ・寝ていると何度か部屋に入ってきて無言でタオルケットの上からつんつんつつかれたり、べたべたと体を触られ、起こされた。気持ち悪過ぎて私がキレると、「ぐふふっ、だって○○起きてるかとおもったんだも~~~~~ん。」などと気味悪く笑いながら謝りもせず満足そうににやにや去っていく。(父) ・ベッドでドアをふさいでも、ドアを壊さんぐらいの勢いで体当たりしドアをこじ開け入ってくる。(父)   中・高 ・帰ったら日記を読まれており「前々からこういうことを書いているのは知っていた。これを読んだらこれは返してもらう。隠すなよ。黙ってやってりゃいい気になりやがって。ふざけるなよ。」等と書かれていた。(母) ・携帯を持ってからは被害が減ったが、家に私宛の電話がかかってくるとテレビを消し、聞き耳を立て相手の声まで聞こうとし相手の声が聞こえないぐらいの大声で横から口を挟むケチをつけるいちいち笑う受け答えを指示する答えを決める怒鳴る。(母) ・こっちに用事があっても、病気でも行きたくなくても当日の朝いきなり無理矢理車に乗せられセールの子ども服売り場に連れて行かれ親の好みの服を買わされる。(母) ・無理矢理試着させられ何度も途中でわざと開けられ他の客の注目が集まるのと店員や私が驚くのをおもしろがって笑う。(母) ・親の好みの服を着せられる。(母) ・「じゃあなにがいいのさ!お母さんここにいるから自分で選んどいで!!」「はあ~~~~。お母さんもう疲れたわー。もうお前とは来ない!!勝手にしろ!」と店内で怒鳴り私に好きなものを選ばせるが、決まり親の所に持っていくと「これはだめだ。これもだめだ。何よこの服。小汚ねぇ。気に入らない。」「やっぱりこっち買うよ!戻してこい!!」「買わないよ!買うなら自分で買いな!!」となり、 「お前さあ、いいかげんにしろよ。あ~~~~~~~~、疲れた疲れた。お前と服見に来ると本っっっ当疲れる!もうお母さん二度と来ないからね!勝手にしなやもう知らん。好きにしろや。勝手に好きなもん着たらいいべや買えるもんならな。あ~~~~~、やだやだ。」と帰りの車の中でいつまでもぐちぐち言っている。 しかし翌週振り出しに戻る。(母) ・ナプキンを洗濯してしまい怒鳴られ怒られた後弟も呼ばれそれを見せられる。(母) ・金は一円もよこさず「○○さあ、そろそろブラジャー買いな。わかったかい?ちゃんとブラジャーしなよ。ブラジャーして歩きな。猫背になるよ。かっこ悪い。」と家族や人前で大声で言われる。(母) ・何度も故意に着替え途中の脱衣所のドアを開けられ全裸の時に入ってくる、じろじろみてにやにやする。(全員)   大学 ・喧嘩時私が飼っている(家族も可愛がっている)モルモットを殺すと言われた。(母) ・私に腹を立てるとモルモットに八つ当たりするが、数十分後には気持ち悪い猫なで声で話しかけている。(母) ・金がない金がないお前の学費のせいだ学費のせいだ今すぐ返せ返せ貸せ貸せバイト代よこせよこせと言うが、奨学金もローンも手を出さず身内や会社から借りぐだぐだと恩を着せようとする。(母) ・常時金を盗まれたり、物色されたりパソコンの中を見られたりごみをあさられたりしていたが部屋に鍵をつけることを許してもらえなかった。(母) ・あさったごみ・パソコン・私物について聞いてくる。(母) ・どんなに断っても強く拒否しても「いい。いい。お父さんがやっといてやる。お父さんに任せろ。全部やっといてやるから。な?」と言いいない時に何度もパソコンを持ちだされ不必要なソフトを入れられたり、整理されたり授業のファイルや発表原稿を消されていたり盗まれていたり変更されていたりする。 それで激怒するとその都度「せっかくしてやったのになんだその態度は!!!てめえそれが親に対する態度か!!?ああ!!?お礼も言いやがらねえ。あ~~~~~~~、腹が立つ!!!」などと逆切れ・怒鳴る。(父) ・学習しない。同じ失敗を何百回でもする。(全員) ・非を認めない。(全員) ・謝罪できない。(全員) ・責められるとにかく逆切れ怒鳴れば万事すむと思っている。(全員) ・人に恥をかかせて大喜びする。(母) ・殴る・蹴るもあった。(全員) ・逆切れするどころか「なんだその態度は!謝れ!!!」と無理矢理謝罪させられる。(父) ・毎日夫婦喧嘩で寝不足・離婚せず。 だが勉強しろ離婚しないのは私の為。(父母) 1.以上のことは性的虐待・虐待ですか?  また、専門機関に相談して判断したいのですが 2.どこに相談すればよいでしょうか?教えてください。 相談窓口・ダイヤルは官民多々ありますがどこが最適なのかいまいちわかりません。 子供の虐待通報だったり、自殺防止だったり、母親の育児相談だったりは見つかりますが自分の相談を出来る所はないんでしょうか? 3.今すぐ家を出てとにかく親と離れる方法はないでしょうか。貯金し市外へ就職するか市内の高いオートロックマンションとかに住むしかないんでしょうか?絶対に探偵を雇われて身辺調査されたり尾行されたり連れ戻されたりしそうなんですが。その都度逃げ回って警察に相談するしかありませんか?身内だと助けてもらえないと聞くのですが。 4.引っ越し費用は最悪借りるしかありませんか? ここに書いたことで数千分の一でとても書ききれません。 卒業写真と日記諸々はあまりに気分が悪く即燃やして捨てました。  相談ダイヤルは、不快な噂も目にします。  私は大学入学後精神科にずっと通っていますが、満足には行けていません。稼ぐようになるまで本格的な治療はできません。娯楽に使いたい。趣味に打ち込みたい。精神科行く為にバイトしているのかバイトする為に精神科行ってるのか。  文献も読み漁っています。 父親からの性的虐待は随所で見ますが母親から娘への性的虐待と言うのはほぼ聞いたことがありません。 挿入されなければ・性器に触られなければ性的虐待ではないなどとも聞きます。  もうすぐだもうすぐだと自分を励ましますが就活・勉強に身が入らない。家族と離れたい。でも身を隠せない金がない。疲れた苦しい。  就職先も市内だと一人暮らしは許さない同居しろと言われます。自分は微塵も変わらずいつも同じ理由で無意味な言い合い。やれ勉強しろ勉強しろやれ成績上げろやれバイトパート派遣は駄目だ正社員しか認めないこの業界しか認めないここ受けろそこ受けろと干渉します。こっちが何か言えば全てに無関係な内容の昔の嫌味をギャーギャーギャーギャー。  ああ殺してやりたい。殺してやりたい。今日轢き逃げでもされて苦しんで苦しんで死んでくれないかなー通り魔とかに刺されてくれないかなーホームで突き落とされないかなー誰かに殺されて死体遺棄されてくれないかなー。あー自殺してくれないかなー。  と気づけば毎日毎分毎秒考えてます。  自由になりたい。自由になりたい。  何千回も自殺を考えて、親殺してからにしようと思いとどまり、何万回か実行しようとしました。 幼稚園のころからずっと親を殺す夢を定期的に見てました。 辞めたくて休学したのですが親が許さず嫌々学業を続けています。なのにこのザマです。 ここ数年は日中何をしていてもいきなり意識が遠のき白昼夢も見ます。泣き叫びそうになったり目の前にいる人を攻撃したくなったりするので、面接どころか外に出るのが怖い有様です。  長文でまとまってないですが涙と嘔吐が止まらずもう疲れたので投稿します。

  • 日本って若い男性が不遇な社会では?

    私は20代の男性ですが、昨今の日本社会では、どうも20~30代くらいの若い男性の扱いが他と比べてなにかと不遇すぎだと思うのです。 もちろん、性別世代関係なくそれぞれに苦労はあるし、いたずらに世代間、男女間をカテゴライズし対立を煽ることは好ましくないというのは 承知の上で、相対的に見て感じる問題点を色々と書こうと思います。(全ての老人や女性がそうだということではなく全体的な傾向ということです) 「老人が若者を叩くのは古代から変わらない当たり前のことだ」とよく言われますが現代日本が問題なのはその老人の数が多く若者が少な過ぎるため、多勢に無勢でもはやサンドバック状態なのです。 テレビ等でも出演者の高齢化が進み、ニュースでも討論番組でも当の若者はほとんど呼ばれず、老人たちがなんでもかんでも若者のせいにして盛り上がっていますね。 政治も実態はシルバー民主主義であり、老人の老人による老人のための政治であり、例え全ての若者が選挙に行こうが年配層の票数に勝てないかもしれません。 また、非正規低賃金過重労働が蔓延している若年層では、年配層に比べて選挙や政治に関心を持つ体力的、金銭的、時間的余裕が圧倒的にないのです。 学校の授業でも、政治的な知識や関心を持たせるようなものはほとんどなく、若者に政治参加されたら困るからわざとやってるんじゃないか、とさえ勘繰ってしまうほどです。 ゆとり教育の実験台にされ上の世代からも下の世代からも嘲笑され、 ほとんどもらえもしないであろう年金と、老人の通院が多すぎるせいでバカ高い健康保険料を 給料からがっつりとられます。 私たちの親世代はまだ多少裕福な時代だったので子供時代は恵まれており、 学校では個性を大事に、夢を希望をと教育され、 子供は減っているのに大学は増えているので、 受験も比較的楽な状況でのほほんと成長しました。 しかしそこから一転して過酷な就職戦争が待ちうけており、就職できたとしても晴れて社会に出てみれば、 長時間ブラック労働と雀の涙のような給料に加えて根性がないこれだからゆとりはと罵られ使い捨てられる、 そのギャップに多数の純粋な若者が絶望し、自ら命を絶つ者もいます。 それなら子供の頃から「お前たちは社会の歯車なんだ自分を犠牲にして働け」と現実を教えてほしかった。 今じゃ「5時から男」とか「アフターファイブ」なんて考えられませんが、 例え労働時間や労働負荷が同じだとしても、高度経済成長期、終身雇用で給与アップが保障されており サービス残業も少なかった今の初老~老人世代と比べて仕事に対するやる気なんて出るわけがありません。 街を歩けば多くの楽しそうな老人が食事やショッピングに興じている一方、若者の目は死んでいます。 これから親となる世代にも貧困の波が広がるのに年金税金等の社会保障費は上がる一方で 我々世代以上にこれからの子供たちがかわいそうでなりません。 また経済、外交、教育様々な分野で深刻な問題を作っておきながら先延ばしし、若者に責任をなすりつける姿勢にはブレがなく、 そういった様を見ていると、上の世代を尊敬することが難しくなってきます。 もちろん今の老人世代にも功罪あり、日本の良い部分も作ってきた感謝を持たなければ、と思うのですが、 我々若い世代も同じように新しい技術、新しい文化、新しい社会を作ろうと懸命に努力しているのです。 しかし、とかく若者が作った新しいものは理解されにくく、老人が気に入らないものは規制しようとします。 それは人間社会の常かもしれませんが、先に述べたように今は老人の数が多く力が強すぎます。 ゲームよりもアニメよりもネットよりも、酒・タバコ・飲み会文化などの方が遥かに悪い面が多いと私は思うのですが。 ただ、近年の女性を優遇する風潮もあり、若者の中でも女性はまだ男性に比べればマシな気がします。 加えて「幅広い世代の男性が若い女性を求める」という生物としての構図があり、 少子高齢化になると、若い女性の希少性が上がり相対的に権力が強くなるのです。 今の若い女性のチヤホヤされ具合はすごいものがあると思います。 したたかに年上男性を経済的に利用してる若い女性を多く知っています。 普通に恋愛しようとしても男性側は要求される様々なめんどくさいハードルをクリアせねばならず、 婚活では男性だけが年収を書かされ商品のように品定めされる。 もちろん男性にも選ぶ権利はあるのですが、こと恋愛・結婚に関しては絶対的に女性が優位なのは間違いないです。 よく「女は美人ならいいけど不細工だと男より大変だ」などと聞きますが そんなのよっぽどの不細工だけです。 多少容姿が良くなくても、若ければ言い寄ってくる男はいるでしょう。 普通程度ならもうモテモテです。化粧や整形、ファッションでごまかしやすくもなってますし。 まあ出産できるのが女性だけである以上、その面で女性が優位になるのは仕方がないとも思います。 そこで「男は仕事、女は家庭」でバランスを取っていたのに、近年の女性の社会進出、 雇用機会の平等ならまだいいけれど、アファーマティブアクションだの女性枠だなんだので 下駄を履かせ無理やり女性を登用するからもう滅茶苦茶です。 男は仕事してナンボ、女は働いても家庭に入ってもいいし産んでも産まなくても独身で好きに生きても良い。 私は絵描きになるのが夢でしたが、絵描き仲間の女性は結婚して専業主婦しながら優雅に好きな絵を描いている。 私はたまの休みにしか好きな絵は描けません。 男女の給与を平等に、でも楽な仕事は女性に、きつい、汚い仕事は男性に。 でも男性の方が年収を要求される。 出産があるからと夫に経済力を求めるのは分かります。だから男は仕事、女は家庭でよかったのに、今はそうではない。 あまりにも不平等過ぎやしませんか? 男性は運と努力を総動員して競争に勝ち社会的地位と経済力を得て初めて評価されますが 女性は全ての人が最初から無条件に持つ「若さ」でなんとかなります。 モテない地味な先輩が努力に努力を重ねて30歳でついに医者になった途端 同窓会などの集まりで女たちが寄ってくるようになって、 「自分が必死で勉強してる間に、こっちには目もくれずイケメンと遊んでたくせに今さらふざけんな!」 と言っていたのが忘れられません。 草食系男子という言葉がありますね。 女性向けの記事に限らず、様々な場面で「今の男性は草食系だから困る」といった論調で使われがちです。 しかし、草食系にしたのは誰でしょう。 女性側に問題があるとは意地でも考えないのでしょうか。肉食獣でも腐った肉は食べません。 男性の性的な欲求を憎み、悪しきものとするような教育、風潮が強すぎるのです。 もちろん野生動物ではないので、男性の性欲に歯止めは必要ですが 手が当たっただけで痴漢、後ろを歩いただけで通報、ちょっとでも女性が気分を害したらセクハラ、 積極的にアプローチしたらストーカー。 これでは恐ろしくて女性に近づけません。 男性は好き好んで大人しくなったのではなく、社会全体で男性の性欲を押さえつけ精神的に去勢しているのです。 そして男性の性欲を蔑視する一方で、男性の性欲による恩恵を女性は多数受けています。 加えて様々な娯楽や女性の代替物が溢れている世の中では、 女性の優先順位が下がり、「そこまでして女と付き合う価値ないわ」となっても仕方ないのです。 それに社会全体で「男には何言ってもいい、ひどい扱いしていい」みたいな風潮があるので、 男性陣が拗ねてしまうもの無理ないです。 草食系男子という言葉の生みの親である深澤氏は「最近の若い男性はこんなにいい子ですよ」 という意味合いで考えた言葉なのに、こぞって男叩きに使われると嘆いています。 ↓ソース https://www.youtube.com/watch?v=sa-OG8_2yuA 最近多い女性専用○○系のものにも言いたいことは山ほどありますが、 もう女性専用国でも作って離れて住めばいいのにと思いますね。 実社会ではこれらのことを男性が発言しようものなら総叩きだし、 「自分は不遇なんだもっと優遇しろ、社会が悪い周りが悪い」 といって喚き立てるのはみっともないしで男性はあまりそれを口にしません。 それでネットで言う人が増えているのですが、決まって女性からは 「モテない童貞がなんか言ってるキモ」みたいな感想がありますね。 自分には結婚予定の彼女が居ますが、こういった話をよくします。 女も大変なんだけど~と言いつつも同意してくれ、 「男の子が産まれたら今の社会だとかわいそうだね」と言っていました。 私個人の経験でも、 ・学校で男子は外で女子はエアコンの効いた室内 ・「車持ってない男は人間じゃない」と言われる ・事務の求人募集に電話をかけたら女性のみだと断られる ・職場でおばさんから「日本の男は情けないから韓国行って徴兵されろ」「男の子は一生働かんといけないから大変やねー私やったら絶対嫌やわ」 ・バイト先で女性は服装髪型自由だけど男性は短髪強制 ・受験で同程度の成績だと女子優先で通す ・バイト先でミスして腹を殴られる(女性だと注意もされない) ・女性専用車両がホームど真ん中にあるせいで乗り遅れる などなど、色々ありました。 女性が男性から受けているストレスや恐怖が多いのも分かりますが、 同じように男性もつらい思いをしているということを見て見ぬフリしないでほしいし、 若い男性の皆さんはもっと声を上げるべきだと思います。 よかったらこれを読んでどう思うかご意見下さい。長々と失礼しました。

    • noname#208458
    • 回答数8
  • 同棲中の彼とのこれからについて。

    私には今、付き合って3年目で同棲2年目になる恋人がいます。 上京をきっかけに同棲が始まりました。 私はよく小さな我が儘を言ってしまうと自分でも自覚しているのですが、 その一つに、朝から出かける際の駅までの送りを彼にお願いしていました。 駅までは歩いていけないこともないですが、私は歩くのも遅く割と荷物を持っていることが多いので、 彼に甘えて週に3~4日送ってもらっていました。 彼は仕事で夜の10~11時、日を超えて帰ってくることも多く、 そこからお酒を飲んだり娯楽の時間を過ごしているので寝るのはもっと遅くなります。 そんな彼が朝起きるのはつらいのだろうな、ありがたいな、という気持ちはありましたが、 最低4,5時間は寝て私を送ってからも何時間か寝られるので、 そんなにめちゃくちゃ大変なことでもない、と思っていたのも事実です。 私が起きて準備をし、家を出る5分前くらいに彼を起こすのですが その日は何度起こしてもなかなか起きてくれず、 パソコンの前や床にビールの空き缶や何かを食べたお皿やゴミがあったので 「いつも片付けてねって言ってるのに…」と少し腹を立てていたせいもあって、 「早く起きて!遅刻しちゃうから」と少し強めに言ってしまいました。 彼は少し不満そうにぼそぼそと何かを言ったので 「何?」と聞き返すと「別に…」と言われ、 余計に気になった私が何度か聞いても、 「時間大丈夫なの?」など色々言って誤魔化されたので その時すっかり腹を立ててしまい、「もう送ってくれなくていい!」と言うと、 「自分が叩き起こしといて…」と少し強めの口調で言われました。 なので私も「そんな風に嫌々されるなら私も気分悪い。お互いいいことなんてないでしょう」と言うと、 彼は不満げにため息をついて煙草を吸いにベランダに出てしまいました。 彼はこんな風に言い争いになったらすぐ煙草を吸いにベランダに出たりどこかに行ってしまったり、 自分から話し合おうという態度を全く見せてくれません。 その日も用事を終えて帰った私とほぼ口をきかず、私から話しかけないと会話をしませんでした。 別に怒ってそうしているわけではないのです。(きちんと返事はしてくれますので) 毎回、言い争いになったりした時はその繰り返しでした。 そういった態度の数々にも私は常々不満を感じていたので、 ・話し合わないと解決しないんだから、そのままなあなあにしようとするのはやめてほしい ・私ばかり話し合おうとしてるみたいで不安になる ということを何度も何度も伝えて、彼も「次からは話し合おうとする」と言ってくれていたのに、 その約束が果たされたことは一度もありません。 今回も次の日に私から、「ずっとこのままでいいわけないよね?」と話しかけて二人で話をしました。 ですが彼は、私がなぜ腹を立てたのか何度説明してもわかってくれません。 私は何度聞いても答えてくれず、あげくに誤魔化されたことに腹が立ったんです。 それを何度も、感情的にならないよう自分にも言い聞かせて努めて冷静に話しても、 「自分は言った覚えはないが、無理矢理叩き起こしといてって言われたことに腹を立てている」 という考えが彼を支配しているようです。 あとは私を駅まで送らなかったということに腹を立てていると。 なので何度、それは違う、何を言ったか教えてくれなかったのがイヤだったんだと言っても、 「つまり、言われたのがイヤだったんだろ?謝るよごめんなさい」と言われます。 これ以上は言った言わないの水掛け論の用になりそうで、私もとりあえずそのことについては黙り、もう一つの怒った原因である ・自分から話し合おうとしない ということをどう思っているのか、と聞くと、彼は黙ってしまいました。 私は口も達者な方でぽんぽん言葉が出てくるタイプなのですが、彼はよほど考えてから口を開くタイプらしく、よくこうして黙り込んでしまいます。 なので少し時間がたってから話しかけようと、私も彼のそばを離れ、朝の準備をしていました。 ふと彼の方を見ると、寝転んで携帯をいじっていたので、 「その態度はあんまりじゃないのか」と抗議しました。 すると彼は、 「大事な連絡が来ているかもしれないからチェックした」(特に身内に不幸が近いとかそういうわけではないです) 「話しかけたのに無視された」(私には聞こえていませんでした) と言い、 「わかった、これからはどれだけメールが来てもお前のことを優先する。それでいいんだろ」と言い放ちました。 何を言ってもわかってもらえる気がしなかったので黙って泣いていたら、 「悪かった、許してほしい、仲直りがしたい」と抱きつかれました。 そんな彼に対し、 「仲直りってどういうこと?私は私の気持ちをわかってほしいしあなたの気持ちもわかりたいと聞いていたけど、メールのチェックだって私はあと20分もしたら出かける予定だったんだがら、話が終わってからじゃできないの?無視されたというけど聞こえていなかったし、私が返事するまで話しかけたらいいじゃない。それがあなたの中では常識なのかもしれないけど、私には理解できない。理解してほしいなら説明すればいいのにあなたはそれもしない。あなたが何に対して悪いと思っているかも言わないで許してほしいなんておかしい。」 と言うと、また彼は黙ってしまい、仕事に行きました。 深夜2時を過ぎても帰ってこなかったのでチェーンをかけ、でも帰ってきたときのためにと思い起きていたのですが帰ってこず 8時まで起きていたのは覚えているのですが寝てしまったらしく、 10時前に鬼のようなチャイムの嵐と電話に起こされ通話ボタンを押すと、 「いい加減にしろ。これだけ迷惑をかけたら十分だろ。こっちはこれから用事があるんだから早く開けろ」 と言われ、開けたら何も言わずに持ち物を持って出かけていきました。 彼は基本的には私の我が儘を聞いてくれたり思いやりはあるはずですが、 一度キレると言葉が乱暴になりとても怖いです。 そのあと冷静になって謝ってくれますが… 私の言い方が気に入らなかったのか、一度のしかかられて胸倉をつかまれ罵倒されたこともあります。 その時は猛烈に反省したらしく、それから二度とそんなことは起きていません。 今まで、彼が明らかに悪く起きた言い争いもあります。 ・同棲したら煙草はやめると言っていたのに隠れて吸っていた ・2人でやっていた500円玉貯金を勝手に使っていた ・公共料金の支払いを滞らせていた などです。 煙草も確かにやめてほしいとは言いましたが、最終的に「やめる」と言ったのは彼で、 それを破るという行為が私には許せませんでしたし、 500円玉貯金もずっと気付かず、私が貯金箱に触ったことで発覚しました。 同棲するときの決め事で、公共料金は彼、生活費は私、として お互いに月1万5000円ずつ負担することにしていたのに、それも私には黙って滞らせていました。 いつもいつもそんなことがわかった時、「どうして言ってくれなかったの?」と言っても黙ったまま「ごめん」と繰り返し、「お金のことは言いづらい」などと言うばかりでした。 私は彼のことが今でも好き…だと思います。 だからこそこれまでいろいろありましたが、最終的には妥協したり彼を許してきたつもりです。 彼は私と結婚するつもりだと当たり前のようによく言っていますが、何度言っても貯金をしてくれなかったり不安もたくさんあります。 それでもやっぱり好きだから、一緒にいたいと思っていました。 彼のダメなところもたくさん知っていますが、同時に良いところもたくさん知っています。 その2つを合わせて考えてみても、やっぱりまだ私は彼のことを好きなんだと思います。 ですが今回のことでさすがに堪えてしまい、このまま彼と一緒にいてもいいのかと思うようになりました。 何を言っても結局彼にはわかってもらえず、また私も彼のことがわからないのかな…と不安でいっぱいです。 一緒にいるなら彼にも直してほしいところはいっぱいあるし、それは今までも彼に伝えてきました。 私に直してほしいことがあるなら言って、と言うと 「すぐ別れるって口に出すのはやめてほしい」と言われ、(確かにもういいやと思うと言ってしまっていたのは事実です) 別れよう、と言いたくなっても我慢して話し合おうとしてきました。 私も別れる、という言葉を軽々しく使ってきたことには反省しています。 でも私はそれくらいの気持ちだった、というのを彼はわかってくれていないのかな、とやっぱり落ち込んでしまいます。 今彼は出かけていますが、彼にとっても家はここしかありません。(実家は遠いので) 帰ってはくるのでしょうが、また何も話さないでだんまりを決め込まれてしまうのは精神的にきついです。 正直に言うと、自分ではどうしたいのかわかりません。 別れてしまった方がいいのか、修正できるように私が頑張ってみるべきなのか… 皆さんのお考えを聞かせてください。 冷静に事実をかいたつもりですが、彼のことばかり悪く書いてしまっていたら申し訳ありません。 私自身、自分の悪いところが見えていないのかもしれず、そこもご指摘いただけたらと思います。 長々とまとまりのない文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。

  • 時代劇のウソ

    時代劇とか西部劇などで何となく見ているシーンの中で、専門家に言わせると明らかにウソだと言えるものが多くあるようです。 最近聞いた話では、西部劇で一匹狼のガンマンが馬に乗って荒野を旅するシーンがよくありますが、これは大ウソだとか ・・・ というのは荒野のド真中で馬が倒れたら、人間まで危険に晒されるので、遠出をする時には必ずもう一頭の馬を連れて行くとか聞きました。 聞けば、なるほど、たしかにそうだなと思われますよね。 そこで質問なのですが、日本の時代劇とか西部劇に出てくるシーンで明らかにウソだと思われる事はどんなものがあるでしょうか? 自分としては、たとえば鎌倉時代や室町時代での戦闘シーンに登場する馬は今のような結構大型の馬が多いのですが、たしか昔の日本ではもっと小型の馬が多かったと聞いた事があるのですが ・・・ 源義経の 「ひよどり越えの逆落とし」 では兵士が馬を担いで急な坂を下ったようですが、これは馬が非常に小型の馬だったから可能だったとか ・・・ あと、時代劇に登場するヤクザの描写にも大ウソがありそうな感じがします。 洋の東西を問わず何でも結構ですので、時代劇での大ウソがあれば教えて下さい。

    • noname#174737
    • 回答数21
  • 家計のやりくり

    今度、結婚することになりました。旦那の手取り、月30万なんですが、このうちの貯蓄は何割していけばいいのでしょうか?とりあえず、自分では、家賃75000円、 と計算していったら、10万は出来そうな気もするんですが。月30万あれば、共働きはせずに子ども一人もうけても 大丈夫でしょうか?あと、ガス・電気・水道の平均は いくら見とけばいいのでしょうか?旦那のおこづかいの 平均も教えてください。旦那は、時間の不規則な営業関係 なので、週6ぐらいは、お昼と晩御飯は外食になりそうです。車とガソリンは、会社支給です。 よかったら、家計簿の内訳とか参考にしたいんですが。。

  • 女性同士で「何でも言い合える仲」というのは?

    ちょっと疑問に思ったので質問させて下さい! 私は以前に20年来の元親友から、 「私とあなたは何でも言い合える仲で嬉しい」 といったような事を、しばしば言われていたのですが。 ・・・これって実は、 私が言いたい事の半分も言わない状態で、 彼女の気分が良くなるような受け答えばかりをしていたのです。 その一方で彼女は遠慮なくポンポン批判や意見をし、 そりゃ、ストレスは少なかったんじゃないかと思います。 私が何も言い返さないと、見くびられている部分もありました。 私の持論では、お互い全て言いたい事をぶつけ合ってしまったら、 女の友情って成り立たないと思うのですが、どうでしょう? ある程度の距離感とか、この人にこれはタブーな話題とか、 誰しも無意識の内にバランスを取って会話していませんか?親しくとも。 かなりプライベートな事まで批判したり、 辛らつな事まで友人に言ってしまうタイプの人というのは、 反対の立場で同じように自分も言われたら、やっぱり気分悪いですか? 女性同士で「何でも言い合える仲」というのは、 どういう状態を指すのか、人によって定義も様々だと思いますので、 他の方のご意見が聞けたら嬉しいです。よろしくお願い致します。

    • noname#79660
    • 回答数8