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金沢、石川県について

先週、仕事で金沢にお邪魔しました。 駅前の素晴らしい構造物。 兼六園や金沢城周辺の開発やスケールの大きな都市構築。 加賀百万石の歴史、文化など素晴らしい都市との印象を受けました。 市や県に財政豊富なものを感じました。 九州の田舎とは別次元の何かがある様な感じです。 その本質はどうなのでしょう? 地元の方の御意見やコメントはいかがですか?

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  • kandglose
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回答No.2

はじめまして。 >加賀百万石の歴史、文化など素晴らしい都市との印象を受けました。 >市や県に財政豊富なものを感じました。 >九州の田舎とは別次元の何かがある様な感じです。 >その本質はどうなのでしょう? 地元民として、お褒めに与り光栄です。 しかしながら財政基盤は決して豊富でも健全でもなく、平成22年度の起債指数は 金沢市で全国ワースト70位に入るほど地方債に頼っている状況であります。 http://wjp.iaigiri.com/thema004.html 【平成22年度 起債指数ランキング】 今後北陸新幹線金沢開業に伴い、観光立県として観光施設の整備や 魅力あるまちづくりのためのソフト面への出資、東京都心への人口流出を食い止める ストロー現象対策のため財政出動がより活発化することが予想され、 華やかな一面の裏で、いよいよ財政は予断を許さない状況になることが予想されます。 金沢駅終点効果で、人口が逆に増えて市中でのお金の流れが活発化してしてくれれば ありがたく思うのですが。 実は江戸時代の加賀藩でも、同様の苦難を抱えていました。 表向き、藩主が徳川将軍家の娘を3度妻にお迎えする裏で その度ごとに巨額の出費を余儀なくし、同時に幕府からの嫌疑を逃れるため 大名による幕府指示の公共事業や加賀藩主導の文化奨励政策で 文化都市としての金沢の名は大いに上がったものの、江戸中期からは 慢性的な財政難に苦しみ藩札発行が常態化するなど、当時の政争も相俟って その余りの過酷さから藩主の座を返上し、徳川将軍家から養子を迎え 後を譲ろうとする藩主まで現れたほどです。 【(出典)北國新聞社「ふるさと石川歴史館」より286頁を参照】 九州の諸藩が地道に実利的な産業振興や財政政策を図り、経済力を蓄えつつ 世界情勢に通じ、開国後の混乱にも的確な判断力で対応して発言力を強め、 やがては明治維新の原動力となって政権中枢を占めるようになる様とは対照的に、 幕府におもねるあまり、時流を読み誤った加賀藩は明治維新の流れに乗れず 維新以降は廃藩置県で藩主も金沢を去り、主人を失ったことにより 士族(←武士)階級を中心に人口流出が起こり、江戸末期は日本で人口第3位の 大都市だった金沢は相対的地位が低下し、現在はしがない一地方都市に過ぎません。 県庁所在地の人口ランキングでも2013年4月現在47都道府県中20位で、 同22位で隣県の富山市に追いつかれそうな勢いです。 http://uub.jp/rnk/cap_j.html 【都道府県庁所在地 人口・面積・人口密度ランキング】 ですが、私は金沢市民ではありませんが、金沢市民の文化(とりわけ伝統的文化)に対する 姿勢の真摯さは他に追随しないものがあると思います。 文化を学び、究め、そして広めていくためには財貨を惜しまない姿勢は 近隣市町村在住の私としては、頭の下がる思いです。 金沢=京都のミニチュアと捉える方もいらっしゃるようですが、 公家と町衆、神社仏閣や在住の武士達がが築き上げてきた京文化に対し、 当時の京都の文化から些か影響を受けたかもしれませんが 金沢の文化は藩主以下の武士主導で、中央(幕府)への対策と領国(加賀)の治政とを慮って 城下に住まう人々と共に技を高め究めてきた、れっきとした独自の文化です。 金箔工芸は金沢独自の伝統の技ですし(現在でもシェア98%以上を誇ってます)、 http://www.hakuichi.co.jp/kanazawahaku/ 【箔一「金沢箔について」】 一向一揆を藩として恐れ、金沢城下の寺院を寺町や山の上寺院群に集め その場所より犀川や浅野川を越え、城付近には建てさせなかったのは 金沢ならではと思います。 (明治以降は寺院も建てられましたが、現在も金沢城周辺の寺院の少なさは際立ってます。) https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF-8&q=%E9%87%91%E6%B2%A2%E3%80%80%E5%AF%BA%E9%99%A2&fb=1&gl=jp&hq=%E5%AF%BA%E9%99%A2&hnear=0x5ff83655468566c3:0x8df155c46fde6215,%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%B8%82&ei=fBt9UvfZHITTkAWE-4HQAQ&ved=0CL8BELYD 【金沢市内 寺院分布図(神社含む)】 京都でしたら御所至近にも寺院が結構多く建立されています。 https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF-8&q=%E4%BA%AC%E9%83%BD+%E5%AF%BA%E9%99%A2&fb=1&gl=jp&hq=%E5%AF%BA%E9%99%A2&hnear=0x6001a8d6cd3cc3f1:0xc0961d366bbb1d3d,%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82&ei=IRt9UvfcLYGClQXhm4GwDg&ved=0CMYBELYD 【京都市内 寺院分布図(神社含む)】 そして >駅前の素晴らしい構造物。 >兼六園や金沢城周辺の開発やスケールの大きな都市構築。 これも金沢独自のアイデンティティを示し、お客様の目を楽しませるための 「おもてなし」の心と捉えていただければ幸甚です。 今後の課題としては、いかに独り善がりにならずに金沢や石川県全体の良さを 客観的な見方で見出し、来県される他の都道府県や海外の方々を満足させ 反復的に来県する意欲を喚起させられるかにかかってくるものと、私は考えます。 それが構造的な財政難体質を抱える石川県の浮沈のカギを握っているとも考えます。 現在、新たな糸口を見出すための数々の試みを官民挙げて進めているところです。 いかがでしょうか。 参考になりましたら幸いです。

kennedy3
質問者

お礼

素晴らしい回答ありがとうございました。 地元の方の知識、分析に感銘しています。 金沢の歴史と姿勢の結果、やはり財政という観点では苦しい現状があるのですね。新幹線開業後は東京からのアクセスが向上し新たな展開も期待できそうですね。一金沢ファンとしてこれからも注目していきたいです。

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  • itou2618
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回答No.3

加賀百万石の半分は、隣の越中から、四分の一は能登から吸い上げていました。 金沢は吸い上げたものを消費するだけの町でした。 石川県になってからは、越中(富山県)から吸い上げられなくなりましたから、昔の栄華を維持するのは無理です。 身の丈に合った地方都市にせざるを得ないでしょう。

kennedy3
質問者

お礼

歩いて行ける範囲に見どころがありコンパクトな観光が楽しめました。質の高い落ち着いた街という印象です。人口は減っても文化密度の高い都市として日本を代表する町ですね。回答ありがとうございました。

noname#188107
noname#188107
回答No.1

>その本質はどうなのでしょう? 江戸初期に豊臣恩顧の諸大名が多数 お取り潰しの憂き目にあっています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E6%98%93 藩の成り立ちから常に徳川幕府の監視の目を 恐れ、その財力のすべてを 文化、学術などに注いできたわけです。 http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/toshiie/jpn/100/056.html 江戸時代を通して加賀百万石=京都の文化を 積極的に取り入れ、独自のものにしていったと いえるでしょう。

kennedy3
質問者

お礼

秀吉の親友でありながら、その後は家康のサポートをするという対価が「百万石」であったと。 更には徳川に対しては嫁をもらったり文化学術といったソフト路線を敷いたりという方針で進んだという事なのですね。 文化の深さや広がりを感じましたし、町全体が優雅でお金持ちという印象を持ちました。ただ、本当に財政が追いついているのかが心配でした。

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