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諺は信じますか?
皆さんは諺を信じますか? 心理だと思いますか?ただの一意見でしかありませんか? 関連質問 ことわざを鵜呑みにする人いませんか http://okwave.jp/qa/q8323444.html
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>諺は信じますか? ↓ 諺には先人の知恵・経験則が含蓄されており、判断材料の一つとして、参考にしたり勇気づけられたりはしますが、相反する訓えや戒めもあり、あくまでも、その取捨選択・決断は自分自身でします。 諺を活かすも殺すも信じる信じないも、最終的には自己責任・自助自立が大切だと思います。 徒に捉われたり盲信したり諺に依存したり責任転嫁はしません、あくまでも選択肢の一つに過ぎず、参考にしても結論は結果責任は自分がジャッジしたものだと思いますから・・・・ ここにリンゴがあっても、視野視点を変えれば、光や背景が変わればその姿は様々です。 また、手に取って味わわねばその味覚は正確には分からないと思います。 そのように、目の前の岐路や悩みに際し、どのような選択をするのかどうか、ミスジャッジやミスリードを回避し、出来るだけベストな解、悔いのない選択をしたいと思うから、・・・。 迷いや選択する場面にあっては、その状況をよく観察し、内観し、想定される方向を取捨選択のシュミレーションを行う中で、参考意見や文献や歴史を検索・参照するように、その一部に諺は有る&活用するものだと思います。 要は、私にとっての諺は様々な事象や障壁や疑問に際し、その取捨選択の為の啓示であり参考データーでもありアドバイスだと思います。 人生の旅人でもある私自身が、その進路や速度や目標を探る標識や道標や地図のように、自分自身の決断・結論に活用する必要条件に成り得ても、自らの優先順位や価値観や社会規範に叶っているかどうかの十分条件との整合性・合致も含め必要十分条件を満たせば、その解が確信を持ち迷いなくジャッジメントが出来、しっかりとした判断歩みが出来ると思います。 諺には、これまでも沢山のアドバイスをもらい、他の方に自分の考え思いを伝える貴重なサイン・記号・グッズでもありました。 今後も、先人の知恵・経験則として、その意味・意図・意義を勉強し、様々な場面や環境や事象に対し、数多くの諺の中から自己責任を前提に取捨選択し、TPOやシチュエーションに則した引用・黄葉・活用をしたいと思います。
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- sakura-333
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信じるとかってもんじゃ・・ 昔の人の観察日記。
お礼
ありがとうございます。
ことわざによるよ。 事実を見て、判断する。 類は友を呼ぶ とかは合ってそうだね。 でも、「継続は力なり」は、自分に才能がないことをやっている場合、 あてはまらない。 こんな感じ。
お礼
ありがとうございます。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
信じる、信じないではなく「当てはまる」と以前の質問に補足をつけました
お礼
ありがとうございます。
>諺は信じますか? まあ、これは「真理」だなあ、と感心することはよくありますね。そんなときは、これをつくったひとはよく人間のことをよくわかっていたんだなあ、と思います。たとえば「光陰矢のごとし」とか、「善は急げ」とかですね。こういったよくできたことわざを否定することは不可能だと思います。 でもそういった気分は、その言葉を信じるというようなことではないと思います。たとえばよく出来た俳句などに感銘を受けるとか、短編小説の一節に共感するとか、音楽の小品にうっとりするとか、そういった気分に近いものでしょう。 よくできたことわざは一種の言語芸術だと思います。意見としてみる使われ方もあるとは思いますが、それに責任を負わせることは出来ませんし、一般的ではないと思います。そういう意味では「ただの一意見」でしょう。
お礼
ありがとうございます。
>ただの一意見でしかありませんか? 長い歴史に裏打ちされた、 一面の真理を含む 含蓄のある言葉だと思いますが。
お礼
ありがとうございます。 そうですか。個人的にはデタラメもある気がします。 例えば「火の無い所に煙は立たぬ」など。
- lions-123
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追伸 質問を見て瞬間的に思い付いたのが,フジテレビ「ほこ×たて」のヤラセ・過剰演出の問題です。 タイトルの出典・ルーツと思われるのが矛盾という熟語or諺だと思います。 要約すれば、世界一の「何をも貫くという矛(ほこ)」と「何ものも通さぬ盾(たて)」を謳い商いしていた商人に、それではその矛でその盾を突けばどうなるかと問うたような、正に矛盾を突いた教え&訓えだと思います。 その場面を想定すれば・・・ 状況や条件を絞り設定すれば、特定したシーンでは解が導かれたり実証できるのではないでしょうか? そういう意味合いで諺は「人生塞翁が馬」→環境やテーマーや価値観に沿って取捨選択されたフイットするものを利用活用すれば良いし、あくまでも自らの判断や意思で行動するも良しだと思います。 結果オーライも含め、場面場面で状況変化の中で→悔いのないジャッジと言動、ボキャブラリや表現の好みの問題もあろうが過ちの無い選択肢、自分らしさを語り表せれば、諺の利用有無は二の次、別次元だと私は思います。 ◇ご参考 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1310/24/news139.html
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ありがとうございます。
- あずき なな(@azuki-7)
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信じるというより当てはめるものでしょ?諺ってのは
お礼
ありがとうございます。
- KoalaGold
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使い方によってどれも一理あります。 つまり意見を代弁した標語という扱いです。選んだ時点でそのシチュエーションにことわざが当てはまっているという意味でうまく使えばいいのであって、それ以上の意味はありません。 二度あることは三度ある。 早起きは三文の徳。 手を上げて横断歩道を渡りましょう。 飲むなら乗るな。乗るなら飲むな。 犬も歩けば棒に当たる。 ごろがいいとか七五調であるとかで耳障りもいいので。諺や聖書の言葉に縛られている人は視界の狭い人だとの印象を受けます。世の中は言葉にならない事も存在しますから。 書物にした頃は、奴隷は叩けば言うことを聞く、機械は叩けば治るって思ってた時代かも。それを超えた哲学者の発言には聞く価値がありますけど。
お礼
ありがとうございます。
- alterd1953
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ある局面を良く言い当てているとは思いますが 当然、矛盾する諺もありますし それを信じて行動の指針にする訳ではありません。 多くは、人間社会に昔から存在する愚かさや矛盾を表わしていて それに対する人間の無力感に慰めを与えるものではないかと思います。
お礼
ありがとうございます。
その場に応じた適切なことわざを選んで使うものです。 「一石二鳥」 (うまくいった場合) 「二兎を追う者は一兎をも得ず」 (失敗した場合)
お礼
ありがとうございます。
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お礼
ありがとうございます。