• ベストアンサー

四季「ジーザスクライストスーパースター」について

「ジーザス・クライスト・スーパースター」はお勧めですか。 本来は自分で観て判断すべきで、他人に「私は感動するでしょうか」などと聞くのは 愚問かもしれませんが、 参考までに。 観たことのある人は感動しましたか。 私は「李香蘭」「異国の丘」には感動しましたが、それらに比べて音楽の傾向がいかがでしょう。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yuyuyunn
  • ベストアンサー率41% (20359/48651)
回答No.1

こんばんは コーラスラインには感動しましたがジーザスは最初は感動しませんでした エルサレム版を見たことがあります 何だかよくわからなかったというか先入観とかどんな話か知らずに見たので ただ時間が経つにしたがってジワジワいい舞台だったんだな。と思うようになりました 曲がいいというか歌が口をついて出ることがあるんですよ ちょっとびっくりです

関連するQ&A

  • 劇団四季を見に行きたいのでオススメを教えてください

    今月、ちょっと気になっている年上の先輩(26)と劇団四季の公演を見に行こうと思っています。 私は劇団四季が好きでライオンキングを2回、ウィキッドを1回、ファミリーミュージカルを何種類か見に行った事があります。 ただ、日程と場所の関係で今回は 李香蘭 異国の丘 春のめざめ とライオンキング、ウィキッドの中から選ぶ事になりそうです。 今まで見たのはどれも満足しているのでまた同じのを見るのでもいいのですが、特に見たことがない上記3つについての意見が知りたいと思っています。 どういう点が面白かったか、大体のストーリー、オススメ、止めておいた方がいい、ライオンキング等と比べてどうか…など何でもいいので教えてください。 よろしくお願いします。

  • キリスト教の原点は何だろう。

    さて、日本には神学を整備する習慣がなかったので、明治期以降に参考書としてキリスト教系の教材が広く流布した。 これが日本に甚大な疫病の被害を拡散させた。 さて、イエスとはユダヤ教の神学者で、奴隷階級のユダヤ人のために信仰を回復させようと尽力した。 信仰心のあるものを人間と認めるのは現代も一緒だ。 そして、王と神が一元である記憶が生々しい時代に、ユダヤ王の名目で反逆罪で処刑された。 実に簡単な成り行きで現代人も納得できる。 感動的なイエスの悲劇が周辺国に広く拡散した。 多くはローマ圏だろう。 この当時、ユダヤの神は日本でいう氏神だ。 部族が強固な神を維持して、人間を失わないことを奴隷階級解放の企てとして、ローマへの抵抗があったのだろう。 この時点で、キリスト教にとってもユダヤ教とは、いま日本が扱うようなキリスト関連読み物のような教科書だった。 しかがって創成期には、キリスト教には祭壇にまつり、いかなる聖霊を下すのか明白な志と教えがあった。それが本来のキリスト教の根本だ。 新約聖書はユダヤの経典をなんちゃって気分で模倣した偽物で、それがローマの意図で本来の志とすり替わったことで裏切り者の宗教になった。 ローマを復興させたい裏切り者の宗教だ。 さてさて、質問です。 その、キリストなる志が何であったか推理してください。 この質問は、哲学には命題自体を考案する手法があるので、私が考案したトンデモ説です。

  • 自分のカラオケをネットでアップする人

    自分のカラオケをネットでアップする人 自分のカラオケの歌声をネットでアップする人がいますが、 どういう心理なんでしょうか? 失礼ながら、自慢するほどうまくないようにも感じられる歌声をアップしていて、 コメント欄に批判的なコメントがされているケースもあります。 音楽とはビジネスでなければ、本来他人からどう評価されても自分で楽しんでおれば、かまわないものですが、 ああやって人に聞かせることで、自分が不愉快な思いをする可能性に対する恐怖はないのでしょうか? 要するに、自分の歌を客観的に判断して、「批判的なコメントもありえる程度のレベルっぽいな・・・」という判断は事前にないのでしょうか?

  • 音楽(演奏)と視覚について

    こんにちは。 よろしくお願いします。 音楽は耳で聴くもの。…なんて事は当たり前なんですが コンサートや映像で観る場合『視覚的』な要素も加わりますよね。 日本人は比較的『汗水たらしエキサイティングな演奏を賛美し共感する傾向にある』と ある書籍で読みました。 若い頃 私もコンサートでとてもエキサイティングで それこそ汗水たらして指揮者さんが頑張って?いる演奏に対して 思わず演奏内容云々ではなく その迫力に感動した覚えがあります。 最近ほんの少しだけ?年齢を重ねた事もあり 視覚からの影響を受けにくくなったとは思いますが どうしても未だに拒否反応を起こすのが ピアニストの表情過多?動作の奇妙さ?です。 カエルを踏み潰したような?顔の歪め方、顔を上下左右に振ったりするのを見ると どうしてもゾッとしてしまいます。そんな事に気を取られる私がまだまだ未熟なんだとは思いますが。 最近 日本人の若い男性ピアニストを聴いた(観た)時も ピアノに覆い被さり(腰が90度になるほど?)表情もカエル踏み潰し(笑)。 それを見なければ とても良い演奏なんですけどね。 人それぞれ演奏スタイルがあって そうしないと音楽に没頭できないのかもしれませんが… 前置きが長くなりましたが 皆さまは 音楽を聴いていて視覚に左右(良くも悪くも)される事があるのでしょうか?それとも全く気にせずに音楽に集中できるのでしょうか? またご自分で演奏される方は ご自分の演奏スタイルにこだわりをお持ちなのかもお聞かせ頂けると嬉しいです。 愚問の上に 長文失礼しました。

  • 音楽の美的把捉と病的把捉とは?(ハンスリック)

     次の見解についてみなさんは どうお考えになりますか?  ▲ (国安洋:美的把捉と病的把捉の画別) ~~~~~~  (あ) ハンスリックの指摘をまつまでもなく 音楽のようにわれわれの内面に深くまた鋭く截り込んでくる芸術は他にないといえよう。音楽は他のどの芸術よりもいっそう速くまた強度に感情に作用する。  (い) そしてわれわれは嬉しさまたは悲しさに心を動かされて感傷・感動にひたる。あるいは最も内奥なるものにおいて高く昂揚させられたり 震撼させられる。あるいは音楽との全面的な融合によって生ずる感情に耽溺し それに絶対的に帰依する。あるいは自我の解体をともなった陶酔に陥る。  (う) このような感情享受の諸形態は われわれが日常身近に体験している音楽の聴き方ではなかろうか。  (え) そしてこれは他の芸術よりも音楽に固有の受容とみなされ ロマン派の人たちにとっては音楽の本来の聴き方として支持された。先ほど触れたヘーゲルの見解も この感情享受が音楽に固有の聴体験であることを述べたものであり ヴァッケンローダーにとっては 二つの聴き方のなかでも感情享受こそが真の聴き方であった。また ヴァーグナーがめざした陶酔も感情享受の徹底である。  (お) このように音楽にとって固有の そして本来的な聴き方である感情享受をハンスリックは否定するのである。(以上 pp.318-319 )  ▲ (國安洋:美的把捉の二側面) ~~~~~~~~  (か) 芸術の受容は二つの局面から成り立っているといわれる。《美的判断》と《解釈》 より一般的には《体験》と《理解》の二つである。  (き) ハンスリックの〔* 《感情享受》なる《病的把捉》とは別の〕美的把捉はこの二つの局面を分離されていない状態で含み込んでいる。  (く) この美的判断〔* ないし美的享受〕と解釈の二局面を音楽に即して言い換えるならば 《純粋聴》と《音楽聴》になるであろう。  [・・・]  (け) いかなる関心ももたずに耳を澄まして音楽に聴き入ること[・・・]そのような聴き方に対する定まった呼称はないが 《純粋聴》とよぶことができるであろう。  (こ) もうひとつの局面の《解釈》とは《理解》に裏づけられた聴体験であるので それは《音楽聴》にほかならない。  (さ) 音楽の美的把捉は純粋聴であるとともに音楽聴でもある。しかし この二つは音楽の聴き方の別個の形態である。たとえば われわれはひとつの音楽作品に同時に純粋聴と音楽聴をもってかかわりあうことはできない。あるときには純粋聴 またあるときには音楽聴をもって聴くのである。  (し) この二つの局面のなかでハンスリックが重視したのは 純粋聴よりも音楽聴である。それはハンスリックがとくに精神の働きを強調していることに表われている。その理由は《精神的活動なくしていかなる美的享受も存在しない》からである。(以上 pp.322-323 )  (國安洋:音楽における受容美学――ハンスリックの聴体験論―― in 今道友信編 『精神と音楽の交響 西洋音楽美学の流れ』 1997  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ いかがでしょう? 《美的把捉と病的(パトローギッシュ)把捉》そして《純粋聴と音楽聴》についてどんなものなんでしょう? ハンスリックの言うようなことなんでしょうか?

  • 偏見とは?

    皆さん、おはようございます。「偏見」についての文章を書いてみたんですが、ちょっとご添削していただけないでしょうか。よろしくお願いします。 現在には、偏見・差別問題については大規模に議論されてきている。しかし、実際には、偏見とはどういうことを指すのだろうか、どうして人間は偏見を持つのだろうかという疑問を持つ人は多いい。  基本的には、偏見という言葉は二つの方法から定義することができる。  一つは社会的なアプローチである。社会学から言えば、偏見というのは個人、集団、職業、人種などに対する不十分な根拠に基づく否定的な態度だということである。こんなふうにして、人間は社会に生み出されたステレオタイプを通して、他人を判断をしがちである。  もう一つの見地は心理的なアプローチである。その見地によれば、偏見ということは人間に本来に備わっていることで、ある対象は悪いか良いかを区別するメカニズムでる。それにしたがって、人間はあらかじめ情報や外面に基づいて、ある対象を経験・体験せずに、すべてを判断する傾向がある。  ただし、多く場合では、その情報や感情は妥当性がなく、ほとんどは的外れな一般化によるものでる。これは偏見問題の主な原因の一つである。  偏見を解消することは不可能であるが、それを減らす方法がある。わたしたちは、何かを判断する前に、自分の知識の妥当性を検討し、十分な情報に基づき行動するべきである。

  • 【陰険な女性に対する同姓の対処法とは】

    【陰険な女性に対する同姓の対処法とは】 興味があったので投稿します(20代男)。 女性は、脳の構造や人格形成背景、嗜好、国内の風土により男性と比べて 他者に対して排他的になったり主観的判断で非難する傾向にあると思います。 また、常に外部に対して意識が向いていて、他人の目や人間関係を気にしているように 思えます。 「女性が多い職場、コミュニティなどでは人間関係が大変」という話を ネットだけでなく、現実世界でもよく耳にします。私自身、同じ職場で 全く面識のない女性に事実無根の噂を流されたこともあります(^^; ここで質問なのですが、上記のような傾向にある女性は数多くいますが、 同姓の方はどのように上手く対処しているのでしょうか? (男性は付かず離れずでキチンと仕事をしていれば比較的問題ないと思います) ■(参考1)何故、少女たちは仲良しグループや派閥を作り、互いに牽制し合ったり、排他的になったりするのでしょう? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1225604072 ■(参考2)女性ばかりの職場って… http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0408/233736.htm ■(参考3)Googleで『夫(スペース)』と入力すると…

  • 四季報

    四季報をweb上で見れないものでしょうか?

  • 四季について

    宝塚はよく音楽学校に入るのはすごい倍率で、超難関たと聞きますが、四季ではどうなんでしょう?1回のオーディションで何人くらい合格できて、倍率はどのくらいなんでしょう?あと、たとえば他の劇団から来てキャリアのある人でも必ず「四季研究所」に入らないといけないのですか?

  • 四季

    四季があるのは、地軸が公転面にたいして23.4度かた向いているからと中学の時に習いましたが、傾いていたらなぜ四季が訪れるのかわかりません。教えてください!

専門家に質問してみよう