- 締切済み
授業は携帯の写真で撮る? あなたの意見を
授業においてノートはとらず、黒板は携帯のカメラで撮るだけ。 そんな風習が最近多くなっているとかいないとか。 いままで授業と言えば先生の話を聞き、板書を取り、問題を解く。 それが当たり前でした。 しかし携帯のカメラ性能の向上やスマホ、タブレットの登場によって板書はカメラで撮る、 そんな勉強が最近多くなっているとか。 みなさんはどう思うでしょうか? 私はありではあると思います。 しかしカメラで撮れば終わりか?手書きよりいいか?と聞かれるとそれは違うでしょう。 現在、私も学生ですがテスト勉強なんかをするときは必ずノートを一度まとめなおします。 これをするだけで40点はテストの点数が変わってくるのでとても重要です。 手書きでやった方が覚えるというのは事実でしょう。 ただ板書を書き写しているとどうしても先生の話を聞き逃すことは多いです。 書き終わるとすぐに話し出す人なんかはどうしてもこちらが書いてる途中に話しだしますし、 もっと言うと黒板の書き方が下手だったり教えるのが下手な人はノートを後から見ても全くわからないなんてこともあります。 ここら辺は先生により一長一短でしょう。 授業は教科書を使わずプリントを配るからまず俺の話を聞いてプリントに書き込めという教師もいれば、 逆に俺は教科書通りに進むから俺の話も加えて板書を必ずすれという人もいました。 これを比べると分かりやすい教師と言うのは前者でした。 後者は0から100まで黒板に書き写しどこが重要かわからないなんてことがとても多かったです。 それに比べると前者の教師は重要部分が分かりやすく、ノートにまとめなおす時なんかは楽でした。 板書が不必要であるとは私も思いません。 人間は見たり聞いたりするよりも書くことで覚えるのだと思います。 授業での板書をカメラで済ます。 それだけで終わってしまっては何の意味もありません。 しかしその写真をどうやって使って勉強するかで内容も全く変わってくると思います。 私は授業でひたすら板書だけをして先生の話を聞き逃すよりは、 板書は写真で、授業は先生の話を聞くことに専念する方がより効果的ではないかと思います。 ただひたすら意味もわからず板書をしたところで内容も頭に入ってきません。 書く動作をさせるために板書を次回までに手書きでコピーして来いという教師もいましたが、 それならなんのために授業中に手書きで書いているのかよくわかりませんでした。 みなさんはどうでしょうか? 板書をすることは悪いとは言いませんむしろいいことでしょう。 しかし板書を写真で撮ってそれを活用するならばそれは立派な勉強ではないのでしょうか? 予備校なんかでは授業をPCサイトで、なんて言うことも増えてきています。 学校の授業だって変わってきてもいいのでは?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- madausa
- ベストアンサー率28% (320/1133)
自分で言うのもなんですが、学校の勉強はかなり得意でした。板書の書き写しは、効率が悪く中学二年生以降はしませんでした。でも、その代わりに自分で授業範囲の要点をまとめたノートを作っていました。 私個人の感覚では、勉強は授業・講義の「予習」が最も効果的です。「復習」はあまり重要ではないと考えます。重要度の割合は予習:復習=8:2くらいで見ていいと思います。 授業の前に予習することで用語や要点を掴んでいれば、それこそ板書など目を向ける程度でいいはずです。板書を写すより教師の説明に集中し、疑問点を洗い出すほうが有意義です。 板書をメモとして残す意義は十分にありますが、書き取る手間はデメリットです。撮影ならその手間を省けるのでかなり効率がよいです。 勉強に対して高い意欲を持ってる学生がやる分には板書撮影は良い方法だと思います。ですが、そうでない大多数の怠惰な学生は板書を撮影しても生かさずに終わるので、書きとらせて無理やり頭に詰め込んだ方が良いかと思います。 義務教育では足の遅いものに足並みを揃えるのが一般的なので、中学生まではしかたないとして。 高校生以上なら、ノートが不要となるようなテキストを用意し、録画した授業を生徒が各々のタイミングで視聴して質問や疑問点を教師に補足させるような形態の方が学習効果は高いと考えます。録画講義は、その場で生徒の疑問にフレキシブルな対応ができないデメリットがありますが、わかりにくい部分や聞き逃した部分をまき戻してみたり、後日同じものを再度見ることもできるのが大きな利点です。 ただ個々の学生に勤勉さと自主性がないと即破綻するので実施は難しいでしょうね。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんにちは。 そういうやり方もよいと思います。ご自分にあっていれば。 VAKといって、視覚、聴覚、体感覚のどれが優れているかは、人によって違うそうです。 板書をすることは、手を動かすのでK(体感覚)的な覚え方だと思います。 体感覚が強めの人には向いていると思います。 写真に撮る事は、V(視覚)的な覚え方と思います。 内容を読み上げたり、録音したものを聞いたりするのは、A(聴覚)的な覚え方と思います。 結果が出せるなら、 勉強のやり方そのものは、個人の好きなようにやればいいと思います。
わかりやすい=重要であることは少ない。 それに気づかない学生も学生。 板書は補助。 言っていることを録音しても一緒。 言っていることを全部理解できることのほうがおかしいw 大学院の授業で、「学部の授業を全部理解できたら教授になれる」とはそういうこと。 なぜかって? 学生には専門用語の理解が充分にないからさ。 例えば、「縮退」と言う言葉を工学部の学生がどの程度「充分に」理解しているかさ。 講義を聴いただけだと1人として理解していないだろう。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
簡単に覚えたことは簡単に忘れることだと思っています。 一瞬見ただけで全てを記憶できる人もいる、先生の話を半分聞いただけで全て理解してしまう人もいる、書くことと聞くことを同時進行できる人もいる、スマホやタブレットが無ければ最高でも60点しか取れない(40点の伸び代がある)人もいる。 生徒側も百人百様、ご質問者さんに合ったスタイルが皆に合うとは限りません。 ご質問者さん一人に合わせるためになら、学校の授業を変えるべきではないと思います。