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境界性パーソナリティ障害と希死念慮

境界性パーソナリティ障害(境界性人格障害・ボーダーライン)では、しばしば希死念慮がみられると思うのですが、ボーダーの人が死にたい、という気持ちに至る理由はどんなものなのでしょうか。 どのような気持ちから、死にたいと思うのでしょうか。 例えば、うつ病の希死念慮の場合、自分は要らない人間だ、と思い、死にたいと考えるようになる、というふうに。 境界性パーソナリティ障害の人が希死念慮を抱くようになる経緯、理由のようなものを教えてください。 よろしくお願いします。

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回答No.1

愛着 親しみ が 普通の方とは桁違いではないかと感じます。 普通のひとが好きな人に感じる愛着の気持ちの強さと比べれば はるかに強く、 それだけ 自分が気に入ったひとへの思い入れが強く深くなりがちで、 そのために、非現実なほど、愛着対象の人物への理想化や幻想的な愛を持ってしまうのかもしれません。 それは、愛着を持たれたお相手にとって、勝手な思い入れや期待、理想化といった重荷に成り得、最初は愛が深く強い関係に夢中になっていても、次第に、重荷やプレッシャー、になり、 最終的には、ストーキングや束縛、監視、といった事態へ発展してしまうのかもしれないでしょう。 そして、そういった、非現実なほど強くて深い、理想化や愛着の気持ちは、 一転して、極度の裏切られ感を作り出し、理想化の力が桁違いに強かった反動で、憎悪の力も強くなってしまうのでしょう。 こうして、理想化と憎悪という、極端な感情を押し付けられた相手は、疲弊し、重圧を押し付けられ、離れてゆく、というパターンに終わりがちなのでしょう。 そして、本人は、親や養育者から同じパターンで裏切られた心の傷が根本にあるために、 今まで同じパターンで、友情や恋愛パタンを作っては壊し、というつらい対人関係を経てきている可能性があり、 その後遺症として、わたしはいつも、裏切られ、誰からも愛されない、認められない、一生涯このままだ、もうわたしの未来はない、絶望しかない、という極端な未来感、人生観を持ちがちなのでしょう。 それは、この世のどこにも、私の安楽の地はない、居場所が無い、という世界観を持つことになりがちで、それが、慢性的な抑うつ的な希死念慮に自然になるのでしょう。 とくに、誰からも愛されることは無い自分という自己概念を持ちがちで、長年の蓄積した自己否定感、自己存在感の欠如、といったつらい症状を慢性的に抱えているために、そのルートからも、ネガティブな世界観を持ち、希死念慮につながるのでしょう。 以上のこと以外にも、原因や背景などたくさんあるとおもいますが、いずれにしろ、治療やケアは、本人の継続した治療意欲が当然ながら求められ、中長期的な期間の間、適度な距離感を持てるサポータが必須かと思われますが、現実的には、治療代金を伴っての専門家がふさわしいのでしょう。 一般の方でそこまでの知識や感性を持った人物がどれだけおられるかわかりませんが、 もし、ご自身やご家族、ご関係者のなかで、BPD的な方がおられ、日常的に疲弊されているのであれば、自ら、こういうサポータになるべく、どこかの患者会や自助グループなどへの参加や、ワークショップ参加、心理や治療法の学習など、求められるかもしれません。 長きにわたる困難な道ですが、陰ながら、事態の好転をお祈りしております。 ご参考になれば。

LoneBirch
質問者

お礼

なるほど。 とても丁寧に、どうもありがとうございました。

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