- 締切済み
人の視線が気になって仕方ない
お世話になります。 私は40代の三歳の子供を持つ父親です。 現在左目の瞼及び眼球に障害があり一日通して 左目にガーゼを着けて約2年間生活しているのですが 人の目線が左目ばかりに注がれている気がして 怖くて外出が億劫に成ります。 四月からは子供が幼稚園に入園の為に子供やその親御さん、 先生方と会わなければならないし 特に園児の視線と物珍しさでジロジロ見られたり 視線を外さずずっと私のほうをみたり 近くに寄って来て凄くみられるんです。 多分その子供達は家族やその周辺の人たちに 私みたいな人がいないから珍しいのだろうなぁと 自分に言い聞かせているのですが。。。 今まで数人の子供があんまりみるので 私から「どうしたの?」と声をかけたら目のほうの心配している 言葉をくれた子もいました。 中には私のほうを見て園児同士ひそひそ話してたり 親に耳打ちしている子供達もいて正直耐えるのが辛く成ってきました。 現在左目は治療中でこれからも左目はガーゼ等着けていなければならないし これがきっかけで私の子供がいじめに遭わないか心配です。 こういう場合どう対処していけば宜しいですか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
眼帯を付けているか、テープで止めているのでしょうが、 顔の輪郭にマッチしたサングラスか、 色つきレンズのファッショングラスを採用しませんか。 視線恐怖症のようになってしまっているようであれば、 SAD(=社会不安障害)の症状ですので、お早めに、 精神科医の診察をうけてみませんか。 過去、質問者さま自身は、眼帯の人などに 視線を向けた記憶はありませんか。あるとしたら その時の心境をできるだけ具体的に思い出して みませんか。それで、許せるかもしれませんよ。 私なら特別気にして視線を向けることはありませんが 仮に向けた場合でも《どうしたのかな、可哀想だな》などと 思うだけで決して攻撃的な眼差しにはならないと思います。 他の人もそうではないでしょうか。なので、気にしないことを お勧めします。 日ごろ、視線恐怖以外にも、対人恐怖、広場恐怖、 関係妄想、被害妄想などがあるようでしたら、 そうしたことも精神科医に話してください。 サングラスもファッショングラスも精神科医も 拒否・拒絶するとしたら、カウンセリングの専門書を 熟読して、セルフ・カウンセリングで自身を救ってください。 それも拒否・拒絶するとしたら、目が治るまで 自宅にいて、一切、外出しないようにするかでしょうね。 なにはともあれ、 お大事に!
- 20121031
- ベストアンサー率23% (10/43)
質問を読ませていただきました 私は、顔面に障害を持つ息子の母です 私は、産まれた時からですから随分永く自分の顔とお付き合いしています 子供が小さい頃幼稚園のお友達に、指をさされたり、変な顔と言われたりしましたね 今も、珍しそうに見られます 私は、決まって色々な人がいるのよって優しく言います 大人より、子供の視線が怖いですよね 小さい子供は、みたもの、そのままに言いますから逆に言うと純粋で汚れがないんですね 質問の内容は、痛いほど分かりますよ でも、すきでそうなったのではありません 私は、お化粧はいたしません いつも素顔でいます、社会的にはルール違反でしょうが、私は素顔が好きなのです 正面きると、ほとんどの人が??って顔をします 私は、ボランティア活動で小学校、中学校で絵本の読み聞かせを10数年しています 子供達からは、?と言う顔から、おばちゃんの顔どうしたの?と聞かれることも でも、人って慣れるものですよ これから、幼稚園、小学校に関わろうとされていらっしゃいますよね 是非、行事には参加してあげて下さいね いじめに逢うのではないかとのご心配、私も同じ思いでした けれど、最初はお互いが知らない者同士 知り合いになって慣れてもらいましょう 道行く人の視線は厳しいかも知れませんが、時間をかけて慣れていきましょう お子様は、しっかり胸を張り、前を向いて行く姿を子供ながらに見ています 私も応援させていただきますね 同じ思いをしている者同士、お気持ちがよくわかりますから どうぞ、気になさらないで 色々な人がいていいんです お力にはなれませんが、お話をさせていただきました
お早うございます。 人の視線が左目の眼帯に!気になって仕方ない。のですね? 相手の無遠慮な欠点に目をつぶるのは、 実は良好な関係を築くうえでマイナスになってしまう。 ただ、ちょっとイヤな面があるからといって 相手のことを全面的に否定してしまったり、 すぐ別れてしまったりするのでは、 いつまであなたは孤独なままということになりかねない。 そこで、“相手を批判しない形で自分の気持ちを伝える”テクニック。 過去の記憶を分析しましょう。 過去を検証する目的は、他人を評価することではなく、 自分の傾向を知ることです。 つまり、「過去にこういう人物と出会ったことがある、 自分はその人物と似ている」というふうに、 自分を見つめることが大切です。 いつも見た目を気にされるという人は、 自分の過去を徹底的にあらいだす必要があります。 自分が過去にどんな人間と、どのような関わり方をしてきたのか ということを具体的に書き出してみる。 実施する際には、2点気を付けなければなりません。 1点目は、人間は自分では忘れたつもりになっている思いがけない記憶に縛られている。 つまり、過去を検証しようとすると、 どうしても直近の記憶―たとえばつい最近のエピソ-ドなどに捉われがちです、 実はこうした鮮明な記憶よりも、 すぐには思いだせないような記憶に重点を置きます。 昔の卒業アルバムなどを引っ張り出して、なるべく古い記憶を呼び覚ます。 もう1点は、人をラベリングして分かったつもりになってはならないのです。 つまり、過去に関わった人物を検証していくと、 どうしても「こういう見た目の人は、こういう性格をしている」と、 ラベリングして満足してしまいがち。 しかし、他人をラベリングすることは、新たな先入観を生み出すだけで、 それがミスリードになるおそれがある。 人を見る目を誤らせるひとつの要素は“先入観”。 先入観は、過去に自分が実際に体験した出来事からも形成されるが、 テレビや漫画などのメディアからも影響を受ける。 自分の“先入観”を浮き彫りにするためには、「こういう人はこう」 という人間観を思いつく限り書きだす。 容姿に関することだけでなく、服装や態度など、 “目に見えるものからどんな印象を受けるか”について、吟味する。 たとえば、「太っている人はおおらか」「銀縁眼鏡の人は真面目」 「声の大きい人は自信家」などです。多ければ多いほどいいのですが、 キリがないので20~30個くらいを目標とし。 この作業は、ひとりでやってもいいが、 できれば家族・友達も巻き込んでお互いに見せ合うなどすると さらに効果的。他人のものと比較することで、 自分の人間観をより客観的に把握できる。 また、この作業の目的も、前述の過去の検証同様、 “自分の傾向を知る”ことで、自分の先入観が正しいかどうかは二の次。 自分がどんな人物に甘く、逆にどんな人物に厳しいのかを知ることが大切。 人は過去の経験や様々な情報から学習することができます、 「人を主観で判断する」というのは、悪いことではない。 むしろ、鋭い人の場合、直感がかなり正しいということもある。 ただ、いつも見た目でだまされる、いわゆる“人を見る目がない”人は、 ぜひ実践して、正しく人を判断する! 「誠実な人だと思ったのに、とんでもない女たらしだった」とか 「優しそうな顔をしているのに、実はDV男だった」というように、 いつも第一印象にだまされて、後悔していませんか?もしくは、 「つまらない女だと見限って振ったら、あとで大ブレーク。こんなことなら 、付き合っておけば良かった……」というふうに、 相手を過小評価して失敗するパターンもあるのですが。 “主観で判断”は悪いことばかりではないのです、 人は初めて会った人物を、どのように評価するか? 「身長は170cmくらい」「紺色のネクタイをしている」 「左目の上にほくろがある」……といった具合に、 客観的なデータばかりを頭にインプットするというのは、 非常に稀で、客観的なデータではなく、 実は人間は主観でしか相手を判断することができない。 というと、何だか悪いことのように思えますが、 これは人間の脳の便利な機能でもある。 コンピューターのように、いろんなデータを相手から集めて、 ひとつひとつ吟味するというのでは、脳が疲弊してしまう。 その点、パッと見て主観で判断するというのは、 脳に余計な負担がかかりませんし、複雑な人間社会において、 不可欠な機能といえる、まして子供脳はそれ以上には育ってません。 いじめに発展するなど、意地の悪い大人の思考です。 このように、“人を主観で判断する”というのは、便利な機能ではあるが、 判断過程に誤りがあれば、いつも見た目でだまされることになりかねません。 判断過程を誤らせる要素の1つ目は、“過去の記憶”です。 人間の脳には“エピソード記憶”といって、 自分の経験や出来事に関する記憶が数十年は保存される。 エピソード記憶は簡単にフラッシュバックする仕掛けになっていて。 しかも、当の本人は、自分が過去の記憶に縛られているというのに全く気付かない。 実は過去の経験から間違った学習をしてしまっているせいかも。 誤らせるもうひとつの要素として、“根拠のない先入観”というものがある。 たとえば、「○○な人は××だ」というように、見た目から内面を規定する表現ってよくある。 たとえば、見た目と内面を結び付けることで、正しい判断ができることもあるが、 根拠のない先入観はときに判断を誤らせると心に留めておくべき。 実は過去の記憶や先入観のために損をしているかも。 なかなか好きな人ができない。もしくは、 できてもすぐにイヤな面に我慢ができなくなって別れてしまう……。 また、自分自身がそうでなくても、 「妻や家族が人のあらさがしばかりするので正直しんどい」。 なぜ、他人の行動を見過ごすことができないのか? “ダメダメ人間”はコンプレックスの塊 他人の目ばかりに気付く人というのは、 実は自分に強いコンプレックスを抱えている。 「他人は自分を映す鏡」なんて言葉がありますが、 自分の悪い面を認めたくないときに、 他人にその悪い面を押し付けてしまうという心のはたらきがある。 もちろん、自分にコンプレックスが全くないという人は稀ですが、 自分の欠点だけでなく、長所もよく分かっているという場合は、 他人の良い面を認めるし、目も気にならないと言うことができる。 一方、深層意識で自分のことが欠点だらけの人間だと思っている人は、 他人にその欠点を見出して、激しく嫌悪してしまうのです。 例としてだらしのない人を「いや、自分は几帳面だからこそ、 だらしのない人を見ると許せないんだ。 自分の欠点を他人に押し付けているわけではない!」 と反論する人もいるかも。 ただ、根っからの几帳面な人というのは、 ルーズな人に対して「しょうがないなぁ」という程度の感情は持っていても、 激しく嫌悪するまでには至っていないことが多い。 「ルーズな人が許せない」という人は、もともとは几帳面ではなかったのを、 しつけなどによって矯正されたのではないか? それで、のほほんとルーズなままでいる人のことを余計に許せないのかも。 ここで例に挙げた“だらしがない”という点に限らず、 他人の欠点や目が気になってしかたがない人は、 「もしかして自分の欠点を他人に投影しているだけではないか?」 とちょっと冷静に自己分析してみてはどうでしょう。 自分がさほど気にしていないようなささいな点にするには? もちろん、無遠慮に誰が見ても許せないという性質のものもあります。 たとえば、“ちょっと人にはうつる訳ではない病なのです”。 そういった対応にしつこく極端な質問など あからさまに指摘してくる人は、いかにも尊大に見えますが、 実はコンプレックスの塊で、身近で“ダメ出し”ばかりされています。 正直しんどいでしょうが、それでもうまくやっていきたいなら、 相手の自己愛が満たされるように、 なるべく相手のいいところを見つけてコマメに褒めて 「私はあなたのいいところをいっぱい知ってるよ!」 というのが相手に伝われば、しつこい“質問攻め”も 少しは緩和される期待はできるのではないでしょうか。
- kkkkkoa
- ベストアンサー率13% (19/141)
おはようございます。 そこまで気にする必要は全くありません。 川島なお美さんの夫も川島さんのアイデアでおしゃれな眼帯をしています。 タモリさんも、子供の頃の怪我で片目が見えないのではじめ眼帯してましたが、今はサングラスしています。 おすぎとピーコさんのどちらかが、義目をしています。テレビで義目を堂々とはずしているのを見ました。 おしゃれな眼帯か、サングラスかければいいと思いますよ(^^♪
- ikagessou
- ベストアンサー率12% (41/336)
子供は好奇心旺盛ですからね~ 目がイタイイタイだからうちの〇〇と仲良くしてね~とか言ってみては? 訳わかりませんが園児たちは真に受けると思います