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「指揮者によって楽譜の解釈が異なる」と聞きますが…

よく、クラシック好きの人がたくさんのレコード、CDを収集し、聴き比べている事に対して我々素人が 「一枚あれば充分なのに、なぜ同じ楽曲のレコード、CDをたくさん集めるの?」 と聞くと、マニアからは 「指揮者によって楽譜の解釈が違うから。  指揮者によって同じ曲でも全然違って聞こえるから」 という答えが返ってきます。 指揮者によってそんなに演奏が変わってくるものなのでしょうか? 学校の音楽の時間には五線譜に書かれた通りに演奏し、歌うことを習得します。 楽譜に4拍子と書いてあるのに 「先生、僕の感性だとここは3拍子でワルツっぽく演奏した方がごの楽曲が良くなると思うんですよね」 などと利いた風なことを言ったら良い成績はもらえないでしょう。 疑問に思うのですが、楽譜上に書かれた音符、記号、情報のどれが 「指揮者によって好きに解釈してかまわない部分」 でしょうか? それらは作曲者側も承知の上で楽譜を書いているのでしょうか? 極端な話、クラシックの作曲家が墓から出てきて現代のコンサートを聴いたとき 「俺、そんな風に演奏しろなんて楽譜、書いてねえぞ!!」 と怒られる可能性はないのでしょうか? それから、クラシック通の方は目をつぶって聞いても、指揮者を判別できるのでしょうか? (そういうクイズ、やってみたいな) 通の方、ご回答お願いします。

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  • 回答No.6
noname#163573
noname#163573

たとえば、台本にある同じせりふを違う役者が喋ると ぜんぜん雰囲気が違ってくると思います。 同じ時間内に収めなければいけない、という条件をつけて 声優さんで比べてみても。 声質の違いとかだけじゃなくて、どう表現するか 本当に微妙ですが、どこを溜めてどこを流すか。 激しいのか抑えたような激しさなのか…。 台詞を勝手にかえちゃぁ、そりゃいかんでしょうな。 4拍子を3拍子にしたらもう、元の曲ではなくなってしまいますよ。 でもフレーズをどうつなぐのかとか 楽譜に書いてある以上の部分での音のバランスや強弱とか それこそ表現とか…。 「歩くぐらいの速度」ってどれくらい? 「やや強く」ってどれくらい? など指示があってもさじ加減というものはあるでしょうね。 同じ歌を美空ひばりさんが歌うのと、宇多田ヒカルさんが歌うのでは違うでしょうね。 もし同じ声だとしても。 大幅に拍を変えたり、音を変えたりしなくても。 マニアな人なら目をつぶっていてもわかるでしょうね。 そういうクイズもあるかもしれません。 指揮者が違うだけじゃなくて「一緒に演奏する楽団」とか 収録、演奏された会によってももちろん演奏は違います。 だから、同じ演奏でも 「○年のだれそれの、どこそこフィルのが一番だね!」 なんて好みもでてきます。 文学でもそうでしょうね。書いてある本文から情報を緻密に読み取った上で 異なる解釈にたどり着くことはあっても 書いていないことを無理やり妄想したりすれば それは認められないでしょう。 もしもニコニコ動画のアカウントをお持ちでしたら こちらを見てみてください。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm14742419 http://www.nicovideo.jp/watch/sm11978382 http://www.nicovideo.jp/watch/sm3177597 同じ楽団、同じ曲を異なる指揮者での聴き比べです。

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ご回答ありがとうございます。 ニコニコ動画、アカウント取得してみます。

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  • 回答No.5
  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)

 題名のない音楽会という番組を見てみると分かるかも。そういったクイズみたいな物もするときもある。  まず皆さんは基本と言うことが出来ているから応用的な物も出来ます。  編曲されているものもあります。使用する楽器や演奏規模によっても異なります。  同じ指揮者でも間の取り方や強調したりする部分とか多彩です。重厚な感じもあるし、柔らかく表現したりと変わります。同じピアノでも演奏者が変わると違った感じにもなります。  人が演奏するからこそ出てくる物だと思います。  今は打ち込みという方法で機械的に演奏は出来ますが、楽器を使ったライブなどクラシック以外でもまったく異なる事もありますよ。  それと余談になりますが、組曲「惑星」に関しては作曲から指示があるそうですよ。このように演奏してくれと。編曲とかしないでみたいな。

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ご回答ありがとうございます。 >題名のない音楽会という番組を見てみると分かるかも。そういったクイズみたいな物もするときもある。 今度見てみます。 >楽器を使ったライブなどクラシック以外でもまったく異なる事もありますよ。 うん、まあ、そうですね。間奏などはCDに収録、発売されたものと、ライブ演奏では全く異なる場合も多いですね。その部分を 「CD通りに演奏しろよ! CDの通りの演奏を見たいんだよ!」と思う客もいれば 「このプレイヤー、こんな演奏もできるんだね!」と思う客もいますね。そこが興味深いところですね。 >それと余談になりますが、組曲「惑星」に関しては作曲から指示があるそうですよ。このように演奏してくれと。編曲とかしないでみたいな。 そういう作曲者もいるわけですね。

  • 回答No.4
  • urax2
  • ベストアンサー率22% (69/301)

YouTubeや図書館のCDなどで聴きくらべていただきたいのですが、同じ曲でもまったく違うことがあります。だいたい、指揮者がちがえばオーケストラもちがいますからね。 「楽譜」はじつは、「音楽のごくごく一部」であって「音楽そのもの」ではありません。とくにバロック時代から前期ロマン派時代までは演奏した瞬間に消えてしまう音楽をメモしておく。貴族などが家でも演奏できるように売るといった目的で楽譜が出版されていました。現在のように、作曲家の意図をくみ取り、聴衆を感動へ導く再現芸術のために楽譜が存在していたわけではないのです。 それに、記譜法もまだ国際的なルールなども確立されていなかったので、楽譜に書かれたままを演奏しても無味乾燥な音の羅列になってしまいます。当時の演奏習慣や強調したい部分など、フレーズの一つひとつと曲全体をどう響かせるかはすべて演奏家の解釈にかかっていたわけです。 たとえばかつてベートーヴェンやブラームスの交響曲は、重々しく悠然としたテンポで奏でられるのが好まれました。いまは軽くリズミカルでスピーディーな演奏を好む人も増えました。 HIP(Historically Informed Performance)に関する研究と実証が進んで、演奏と表現はもうワンランクおもしろい段階を迎えています。

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ご回答ありがとうございます。 貴殿ならきっと目隠しでも指揮者を当てられるでしょうね。

  • 回答No.3

クラシックの演奏は確かに多くの場合作曲家が書いたと同じ楽譜を使うわけですが、基本的に個々の演奏が再生芸術である以上、表現が誰かの演奏と同じであることを心掛ける必要がありません。もし同じものならそれは「芸術」ではありません。 また、楽譜には1から10まで演奏の仕方が記述されている訳ではありませんから、その演奏は表現者の自由にまかされている部分はたくさんあります。演奏者は楽譜の音符・記号・情報に沿って演奏するのが普通ではありますし、音符の並び方から見れば仮に何も書き込まれていなくても一定の約束事が存在するのも確かです。それをどう重んじるか、どう奏者の個性を盛り込むかが面白いところです。 >「俺、そんな風に演奏しろなんて楽譜、書いてねえぞ!!」 作曲家はそこまで横暴ではありません。但し作曲家が生きた時代や彼の他のたくさんの作品から推量されるその作曲家のスタイルを無視した演奏をすれば、演奏者の理解力が疑われる事は大いにあり得ますが、でもそれを超えて演奏者の個性が喜ばれる、と言う事だって十分にあり得ます。ピアニストのグレン・グールドが弾いたバッハなどは衝撃的でした。 一方でモーツァルトのフォルテを、同じフォルテと書いてあるからとベートーベンのタッチで演奏すれば「この人の感性って何?」と言われるのがオチだと思います。 ないようであるのが音楽の約束事、あるようでないのがやっぱり音楽の約束事ではないかと思います。

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ご回答ありがとうございます。

  • 回答No.2
  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1855/6064)

クラシック通じゃなくてもちょっと他人と演奏したことある人間なら 楽譜通りに演奏するつもりでも演奏者によって微妙な違いが出てしまうことは知っています。 そして、その微妙な違いを自分の解釈に統一することができるのが指揮者だ、なんてことも気づきます。 そもそも、作曲家だって完璧な自己のイメージの再現方法を楽譜に記せているわけではない、くらいのこと思いついてくださいよ。 例えば、バイオリンのビブラート、複数の人数がいきなり同じように合わせられるわけないじゃないですか。 1/16ずつ上下するビブラートを四分音符一つあたり24回、なんて指示は楽譜にはありません。 >極端な話、クラシックの作曲家が墓から出てきて~怒られる可能性はないのでしょうか? ありませんよ。 死者はは生き返りませんから。 生きている作曲家が指揮者やや演奏家に文句つけることはあるかもしれませんね。 >クラシック通の方は目をつぶって聞いても、指揮者を判別できるのでしょうか? 当然、そういうひとはいるでしょうね。 いない、と考える理由がありません。

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ご回答ありがとうございます。

  • 回答No.1

基本的には楽譜に書いてある事を演奏します。でも、同じフレーズを演奏していても、ちょっとしたタッチで繊細だったり力強かったり、楽しげだったり、とその演奏家・指揮者の色合いが出るものです。また、間合いやリズム感(書いてあるものを変えると言う意味ではなく、テンポ感の違いとかタメを作るとか)によっても曲の雰囲気を変える事ができます。 特定の音色、雰囲気で弾いてもらい場合、何かしらか注意書きのように書いてあります。注意書きが多ければ、少々作為的だとは思いますが、作曲家が求めた曲に近いものが演奏できます(本人が生きていれば一番わかりやすい)。しかし、作曲家によっては(例えばモーツアルト)指示記号をあまり書いていない事もあります(むしろ、こちらの方が多いかも)。この場合は、演奏家のビジョンが非常に大事になってきます。曲のスタイル、伝えたいであろう感情・表現を自分なりに解釈して演奏していく必要があります。 まとめ:書いてある事は基本的には忠実に従うが、感情表現・情景の描き方、等々は演奏家・指揮者のビジョン次第です。 (ちなみに指揮者の場合ですが、常任の指揮者かゲスト指揮者によって曲の仕上がりが違う場合があります。常任の指揮者(特に芸術監督)だと、ある程度楽団員を自分の求める水準・音色・表現力で選べるので、より自分が求めている音を作る事ができます。同じ楽団に複数の指揮者がいる場合、演奏家一人ひとりのレベルを精査する事が出来ないので、その楽団でできる範囲は限られますが、やっぱり違いがでます。)

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