一度に大勢に知識を与えることができる、という点では合理的だと思います。
「教わる側のペース」にはもちろん、ある程度の個人差はありますが、大きく差がある時期は小学校や中学校くらいまでかと思うのです。
ただ、毎年同じ内容の講義で、テストや成績評価の形式も変わらない教授って必ずいますよね。
先輩のノートを借りてそれを読めば、出席しなくても単位がとれるような・・・。
こういう講義に対して、学生が授業料を払うのは合理的云々の問題ではなく、お金の無駄です。
しかし、例えそのような授業でも、さぼってばかりいて講義を聞かないことは、更にお金の無駄です。
こんな話を聞いたことがあります。
ある大学の教授は、講義の始めにこう言うんだそうです。
「君たちが講義をさぼってアルバイトしたとしても、せいぜい自給1,000円程度。君たち(或いは親)が年間に払っている授業料を単純に時間数で割ると、アルバイト代の2~5倍だ。つまり、授業をさぼるということは、何千円をドブに捨てるようなものなんだよ」
この話を聞いた学生たちの出席率は格段に上がるとか。
ちょっと脱線しますが、昔、フランス語のテストが
「枯葉」をフランス語で全部歌えれば"優"というものでした。
当時は「こりゃラクチン」と思っていましたが、今思うと
これが果たして評価の対象と見るべきものなのか、疑問です。
自分の不真面目さを棚にあげるようですが
当時、kawakawa教授のような方が大学にいてくれたら、もう少し有意義な学生生活が送れたかもしれないですね。
お礼
ありがとうございました。 回りに人がいると緊張感が上がると言うことでしょうか。 それはたしかにそう思うのですが、 なれてしまえば、自分でいかに緊張感を高めるかが重要になってきます。 そうすると本を読みながらで自分で緊張感を高めながら勉強するのと同様の結果になるのではないかと思います。 独学に対して講義の付加価値がそれほど高いのだろうかと思って こういった質問をしたんです。 またご意見があったら聞かせてください。