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ニュースは不必要か?必要か?
- ニュースは実は不必要なのではないかと思われることがあります。しかし、ニュースを受け取らなくても社会を生きていくことは可能です。
- 流行り廃れの情報や芸能人のスキャンダルなどは本当に必要な情報なのか疑問です。
- 日本人は必要のない情報に埋もれており、不要な心配や嫉妬、消費をしている可能性があります。ニュースの必要性について皆さんの意見を聞かせてください。
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質問者が選んだベストアンサー
一部だけ見て全部が不要だ、必要だという判断はすべきではないと思います。 必要なニュースもあり、不要なニュースもある。 これが私の考え方です。
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- IXTYS
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>ニュースが必要か必要でないか? #13の再入場です。 テレビも見ないし、新聞も読みません。 しかし、インターネットで殆どのニュースは入って来る。 しかもインターネットは見出しを見ていくらでも深く掘り下げられる。 新聞やテレビは情報提供の役目としては終っている。 テレビには娯楽の提供という機能があった。 しかし、今や『you tube』によって世界中の芸能番組やニュースが瞬時に入って来る。 質の決して高いとは言えない日本の娯楽番組が淘汰されるのも時間の問題ではないだろうか。 日本のテレビ各社は外国のドラマをどしどしお茶の間に流してくれる。 お陰でこれらのドラマをオリジナルなまま『you tube』でいくらでも鑑賞出来る。 その紹介業には感謝するが、テレビ局には可哀そうだが存在価値がなくなっている。
- naoagu
- ベストアンサー率21% (25/116)
NO.12です。 補足を付け加えます。 私か言っているのは、あくまでも人、それぞれにとっての「情報」です。 自分の得意分野や趣味、専攻、仕事に関することは、いくらでも深く掘り下げ、その道の情報を知識として仕入れればよいのであって、ニュースは、それ以外の社会適応するための手段では、ないのか?と思っています。
- flex1101
- ベストアンサー率37% (45/119)
ニュースを見るのは所詮暇潰し。 多くの雑事を詰め込んでもつまらない人間にしかならないと思う。一つ一つがテレビやニュースの受け売りになってしまう。反対に数少ない対象を色々な面から述べられるくらいハマっている人の話は何度聞いても面白いと感じます。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
>実は日本人は多くの必要のない情報に埋もれてしまっているのではないでしょうか? まったく同感です。 私は年金生活者ですが、ここ数年テレビのニュースは殆ど見ません。 実はNHK紅白歌合戦も見なくなって四半世紀になります。 『紅白』を見ないと日本人でなくなるのかなと思いました。 見ている人も、他にないから仕方なく見ているとわかりました。 テレビニュースやバラエティ番組も同じです。 見る方が消極的な選択なら、提供する側にもやる気が伝わって来ないのです。 だから止めたのです。 年金生活者になって、一日24時間が自分の自由になりました。 そこでそろそろ古稀を迎える年になって、正式に声楽を始めました。 『日本のスーザン・ボイル』として衝撃のデビュー(?) 暇さえあると発声練習をやっています。 一年も経っていないのに、音域が倍に広がりました。 ウソではありません。 こういうことは70才ではなく、7才からやっていたら良かったのにと残念です。
- naoagu
- ベストアンサー率21% (25/116)
最近、某チャンネルでは、ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯にも永遠とニュース・報道番組を放映していますよね。朝からニュースを見ていると、何度も同じことを聞かされてうんざりします。 私の場合は、新聞はとっていませんし、インターネットも自分の興味のある部分しかクリックしません。なので,自ずと情報に偏りが出てしまいます。例えば、全然興味のない野球のスポーツ情報を流すニュースが、聞くでもなく、見るでもなく、でもなんとなく頭の中に入るのと、全く知らないのとでは、大きな差がでると思います。自分からは、絶対に得ることがない情報も、聞いたことがある、ということで野球の話に加わる、考えるきっかけになります。 情報は勉学のように、深くじっくりと。。という必要はないけれど、広く浅く、多くを知っているに越したことはないのでしょうか? しかし、繰り返し、何度もは、必要ないと思います。。。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
情報というのは、「自分の生活する場」や「自分そのもの」と、「外部の情況」との間の“知らせ”だと言えます。 そして大事なのは、その“知らせ”が、自分にとって(いい悪いにかかわらず)影響があると判断した場合に「情報」となるのです。 逆に影響がないと判断した場合は無視されることになります。 ですから“知らせ”が情報として活きてくるか否かは、本人の認識・受け止め方次第と言えます。 ニュースも玉石混交の知らせですから、それを有用なものとして取り入れれば「情報」ということです。 質問者さまにとって無用なものでも、他の人には情報となることもあります。 ニュースは日頃は必須ではないと思いますが、突発的に必要な場合も出てくる。 それがいつかは誰にも分かりませんから流しているといえます。
- Nannette
- ベストアンサー率26% (1499/5697)
情報はこの世の中に満ち溢れています。もちろん新聞やテレビのニュースも情報のひとつです。そして、情報は人それぞれが価値を見出し必要なものだけを取り入れることが出来るものです。取入れた情報は、他の情報と比較し組み合わせて、さらに深みのある情報に作り上げることが出来ます。 ただ、それは情報を求めている人の場合の話、何かをするために必要な情報を求める、何かの情報を得れば、それは何かに活かせる、直接生かすほどでもないが、知識としては役に立つ、エトセトラ。もちろん、その必要度は人さまざま、必要な情報の量も人さまざま。極端に言えば、人は情報が無くても生きていられます。 でも、今日のこの社会、最前線で活躍している者にとっては、日々のニュースは貴重な情報源です。仕事に役立て、会話の潤滑材に使い、投資のために活かし、将来の道しるべとしての判断材料にし、そうした知識を持ち、判断に活かせる者ならではの人格まで作用することもあるからです。もちろん、それを望まないなら、それもひとつの結論です。
お天気情報だけは目が行きますね。 後は殆ど聞き流してます。 新聞は読みません。 ゴシップネタも興味ゼロです。 でも、ちゃんと人とコミュニケーションは 取れてるつもりです。 何でも鵜呑みにしなければ良いだけの 話ではないでしょうか。
No.4です。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100412-00000270-yom-soci こういう記事を目の当たりにすると、当事者や当該地域のみならず、 全国区に向けてのニュースが必要と思わされる。
- +81-905-000 4189(@Nannetta)
- ベストアンサー率6% (4/60)
知覚伝達系として相互作用のないマスメディアに触れることは大変な危険をともないます。 電波受信しているヒマがあるなら自らを信号源として社会協同システムのソリトン波として独立しましょう。 インフラはフラット化。 これはもう情報洪水決壊のように自明。 だいたい自分自身の精神も心も頭脳も身体も財産もすべてがメディアなのだから。 超越性の前には無力。 わたしの存在はさらに無力。 無力なくせに無カになる点がかわいいらしいですわ。 *このqaサイトは健全ですがそれは世界全体と比べればの話。無料と引換に失われて行く大切なもの。それが何か気づくまでは時流に凪がされているのもひとつの選択たりえますかね。
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