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ネットのブログが増えている理由とは?
- 最近、ブームになっているものにブログというものがあります。その中に、読んだ人のコメントを受け付ける機能を持っていないブログがある。
- コメント機能がないブログは、他の人の意見を求めていないと思われ、一方的で独善的な言い逃げの状態に見えます。
- なぜなら、ブログを公開することで他人に自分の意見を知ってもらいたいという期待があり、他を求めていると考えられるからです。
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質問者が選んだベストアンサー
ブロガーです。 基本的には、kigurumiさんと同じ意見です。 拙ブログは、コメント・トラックバック承認制にしています。 ブログは、コメントやトラックバックのやりとりで、自分と似たような・あるいは違う価値観の方とつながれるのが楽しいのになぁ、と思っています。 コメント不許可のブログを不思議に思っております。 ただひとついえるのは、非常にお忙しい方の場合、コメント・トラックバックを閉じるケースがあるようです。でもそれは、ここでご質問なさっている意図とは違う、きっとレアケースですよね。 ブログを更新していると、アクセスが徐々に増えるのが励みになることは確かです。 ブログでつぶやくことで、自分が存在し、ものを考えていることの証、となるでしょうか。 答えにならず、申し訳ありません。
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- w_letter
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こんばんは。 単なる、価値観の相違でしょう。 そして、ブログをしている人が多様であることを、考慮していないからでしょう。 例えば、 >相互に干渉しあうことに有意義さがわからず ではなく、相互に干渉しあうことを、嫌っている人がいます。 また、学校や、会社の友人グループでやっている人もいます。 このようなグループでは、ブログの内容に関するコミュニケーションは、リアルでやっていますよ。 また、単に、コメントを受け付ける機能があることを知らない人もいます。 他にも、理由は色々あるとおもいます。 そして、ブログでコメントを受け付けなければ、コミュニケーションの経験をつめないと考えるのであれば、ブログがなかった時代を生きてきた(私らの)世代は、コミュニケーションの経験をつめなかったのか? 全くの愚問だとおもいます。 ブログは、単なる1つのツールであって、そのツールを用いる人が、自分の目的に合わせて使用しているだけです。 人間の行動による1つの事象を、1つの心理で結論付けることは不可能です。(統計をとることはできるでしょうが) 心理は、対個人で、判断すべきだとおもいますし、そのために、コミュニケーションが必要なのでしょう。
お礼
>ではなく、相互に干渉しあうことを、嫌っている人がいます。 確かにいますね。 それだと「じゃあ 何故自室で独り言を言わないで、わざわざ公園に来て独り言を大声で言うのか?」という疑問が残ります。 例えば、選挙の時、駅の前でマイクを使って喋る人がいますよね。 この人は独り言を言っているわけではなく、選挙活動をし、みんなに呼びかけているわけです。 それに対して「がんばってください」と話しかけることで、コミュニケーションが成立します。 反応が無い場合はコミュニケーションを取っているとは呼べない。 選挙活動はコミュニケーションを目的としてはいないので、別段おかしくは無いです。 ところが、音楽を鳴らしながら「カミハイマス カイシンシナサイ」とマイクを使って独語を言う人がいたとしたら、あなたはこの人は宣教しているのか、それとも自分の行為に酔っているだけなのか、それとも、、、 学校や会社は広報ですよね。 裁判所にある破産宣告をした人のリストとかそいうものも、コミュニケーションではなく一方通行の連絡。 >ブログがなかった時代を生きてきた(私らの)世代は、コミュニケーションの経験をつめなかったのか? 全くの愚問だとおもいます。 いえ、学校で終末の約束を会話して交わして、終末は約束通り一緒に遊んでました。 だからブログなど不要だし、今も不要です。 第一、メールや携帯電話はほとんど使っていませんし、受信でしか使ってません。 いやなんですよ、相手の状態がわからないのに電話するのって。 前、食事時に電話かかってきて「あ 食事中だった?ごめん それでね・・・」って2時間一方的に喋られたことがある。 電話はいかに人を無礼行為を容易にさせるツールであるかしみじみ思った。 この場合は、コミュニケーションではないですね。 顔を合わせてないので、私のムカつきが相手に伝わらない。 で、ふと思ったんですよ。 芸能人って返信機能の無いブログを持っている人が多いですよね。 昔は本を出版する方法で、意見を言っていたわけですが、今は本にしないで、ブログにしていますよね。 それと同じように、一般の人も、もし自分の<作品>を世に出すためには、前は出版会社に持ち込んで採用されてはじめて出版されるか、自費出版して知人やポストに入れて宣伝して読んでもらうしかなかったわけですが、アマチュア小説家やアマチュアエッセイストがブログを使うことにより可能になる。 読者がコメントできないようにして一方的に発信することで。出版と同じ形態にできてしまいます。 さらには感想をかけなくしたり、感想メールができないようにしてしまえば・・・マイワールドができあがる。 このマイワールドが超常現象系だったりすると、「んなわけないだろーがー」と突っ込みいれるコメントを打ちたくなるが、言わせてもらえない。 超常現象マイワールドは健在。 こうなるとニートと同じになってしまう。 皇太子がハーバード大学を卒業する卒論かなにかを本にして出版したそうです。 指導した教授が「自分の研究が第三者の目にさらされ沢山の批評を受けることは良いことだ」とコメントしていたそうです。 返信機能が無いブログはさせない。 成長をさせない。 ピーターパンは永遠に少年のままで居られる世界。 つまり、ネバーランドとして返信機能の無いブログを利用している人も多いのではないか と、、、そのようなことを、うっすら思っていたのですが、人それぞれ とのことなんですよね。 >心理は、対個人で、判断すべきだとおもいますし、そのために、コミュニケーションが必要なのでしょう。 世界は一つだけではないと知るには、自分以外の人の存在が必須です。 相談系サイトで、祖父が亡くなり葬式の日に自室にこもって泣き叫び続けて部屋から出れなくなって困ったという相談があった。 「頭がおかしくなったのでしょうか?」と。 私はこうコメントしました。「あなたは人よりずっと心が繊細なんです」と。 その人は「そうだったのか。私は繊細なのでああなってしまったのですね おかしくなたのでは無かったのですね」と。
- Diogenesis
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#1さんの回答でほぼ尽くされていると思います。 ブロガーはブログの中でしか他者と触れ合えないわけではないでしょう。 リアルな世界で生活していく中で生身の他者との接触を日々繰り返しているはずですし, BBSやチャットなどウェブ上の「社交場」を利用することだってあるはずです。 たいていのブロガーにとってブログは生活の一部でしかありません。 ブログに期待するものも千差万別。 読み手からの共感だとか賞賛だとかを期待する人もいれば, 自分自身のための覚書として書き込む人もいる。 多くの人に知らせたい事実をブログに書き込む人もいれば, 作り話で固めたなりきりブログでもうひとつの人生を愉しむ人もいる。 人はブログのみにて生きるにあらず。 たかがブログごときを取りあげて ><人間は相互の干渉により、成長が促進される だから人間は集団で生活をしている>ということを知ら>ないとしたら、すごく損なことをしていると思う。 >子供なら経験が少ないので、相互に干渉しあうことに有意義さがわからず、いいっぱなし 言い逃げはや>っても不思議ではないのですが、大人がやるってのが理解できません。 なんて言ってるほうが幼いと思います。
お礼
今回の質問は、返信機能の無いブログが増えているのはどうしてか、返信機能をつけないというのは、人に意見を言わせないってことですよね。 SPAMとか宣伝とか、容易にブロックできますし、アクセス制限をすれば、荒らしカキコも容易に防げます。 テクを知らなくても、禁止用語を登録する欄に入力して送信ボタンを押すことで、禁止用語が書かれた内容は投稿できないようにしたり、この投稿者の投稿内容は削除し今後投稿できないようにする とかボタン一つでできます。 つまり 気に入らない人の意見は投稿できないように容易に出来るのに、それでもどうして返信ができないようにするのか。 つまり最初から他を拒絶していると言えると思うんです。 この掲示板では、同じサイトであれば、気に入らない人からの返信はもらわないで済むようにできる。 それとも違う。 完全に外部を遮断して読めないようにしているわけではなく公開しているので、自分を見て 感じて と外部に向かって訴えているように思うんです。 要するに公園で、透明な容器に入って、マイクを持って独演会をしているようなもの。 自分からは外は見えないし聞こえないが、外からは中の音が聞こえるし、中の様子も見える。 何故自室ではなく公園 つまり 多くの人が見るインターネットでやるのか。 その意義は。 みんなにきっと見てもらえると思っているからですよね。 この状況に異様さを感じるんです。 例えば、暴走族の人は日常は非常におとなしいですよね。 存在しているのかしていないのかわからないくらい職場でも影が薄い。 だけど夜のなると何十万もかけた改造車でギンギンに鳴らして暴走しますよね。 これは防衛機制の代償にあたると思います。 他人に文句は言わせないすごみがあるが、注目は獲得したい。 本当の俺はすごいんだぞ 文句あっか みたいな? 日中の代償を暴走行為によって埋め合わせをしている。 これに酷似しているように思えるんです。 そりゃあ 今日の夕飯に何を食べたか とか どんな本を読んだか とか ただ日常をつづっている人もいます。 「だからなに?」と思うし、そんなこと、ネットで公開しないで、ソフトで日記帳があるから、それにつけりゃあいいじゃないの と思うんです。 何故 多くの人が見るネットで、つぶやきたいのか? その心理はなんなんだろう??? って思うんですが、そのなんだろう?って。 幼いかもしれませんが、幼いからわからないんです。 どうか幼い私に教えてください。
ブログは非常に簡単にホームページを作れるようなツールですが、誰でもコメントが書けるせいで誹謗中傷やSPAM!と呼ばれる宣伝書き込みが非常に多くなります。 ブログの記事更新のしやすさを残し、宣伝やSPAM!を排除する結果コメントを禁止にしたという事ではないでしょうか? ホームページでもSPAM!排除の為に作成者のメールアドレスをのせてないページは多くなっていますし。
お礼
>誰でもコメントが書けるせいで誹謗中傷やSPAM!と呼ばれる宣伝書き込みが非常に多くなります。 ただし、アクセス制限や禁止用語を登録することで、その手のものは書き込みができないようにできますよね。 URLをリンクできないようにしたりもできますし、アクセス権を変更することで、読むことは誰でもできるが、投稿は信頼できる人限定だったりもできます。 ホームページにメールアドレスを載せなくなったのは、ホームページに載っているメールアドレスを収拾するロボットがいることと、ウイルスがホームページに記載されたメールアドレスにウイルスが仕込まれたメールを勝手に送るようになったことがあったからだったと思います。 ロボット拒否とワクチンができるまでは、ホームページにメールアドレスを載せず、返信フォームにてオーナーと連絡を取るという対応をしていたと思います。 そういうロボット拒否や、送信フォームにてメールを送る機能が無いレンタルブログの場合、メールアドレスを載せないようにとアドバイスをするかもしれません。 ただ、その手のロボットやウイルス対策とは違う気がするんです。 なんといいましょうか、放送? テレビもラジオも一方的な放送じゃないですか。 まだ視聴率とか気にするので、全く一方的すぎる媒体とは言えない。 だけど返信機能が無いブログの場合、視聴率とか気にせず、読者の意見が反映されない。 なんといいましょうか。 星の王子様に出てくるある星の王様みたいな感じ。 その星に住んでいるのは、その王様一人だけ。 「俺は王様だぁ」「尊敬しろ」って言っている。 王様ってのは、他に誰かがいてこそ 王様であることが可能になる。 誰もいない星で、一人で「俺は王様だ」って言っていることの虚しさ。 そのような虚しさ・悲しさを返信機能が無いブログに感じるんです。 言いっぱなし、書きっぱなし・独りごと。 終末な気がするんです。 エンデの作品に<はてしない物語>というものがある。 虚無がどんどん世界を蝕んでいく。 そのどんどん虚しさが人々の心を飲み込んでいく様を返信機能の無いブログの広がりに感じるんです。 どうして自らを滅ぼしたいの? その理由を教えてという気持ちで質問したのかもしれない。
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お礼
なるほど!! カウンセリングでも、クライアントが一方的に喋りますね。 他人のもわかるように整理して話をしなければならない。 そのために整理して話をするので、一人で考えているときよりも、気づきや発見が起こりやすい。 それでカウンセリングは有効とされるのだと思います。 それと同じ効果を返信機能の無いブログに求めてやっているというのなら、納得がいきます。 >ブログでつぶやくことで、自分が存在し、ものを考えていることの証、となるでしょうか。 デカルトですね。
補足
恐らく私の失言に関する内容にコメントを書いてくださった方だと思います。 すごく納得して、ベストアンサーをつけようと思っていたのですが、一方的に「こういうことですね」と書いて締めてしまっては、違った場合、「違うよ」という返信ができなくなってしまうと思い、もう少し待ってみようと、締め切らずにおきました。 しかし、何を血迷ったか、サポートの人は、あなたから返信されたものを削除してしまっており、私はどういう返信が帰ってきたのか、確認ができませんでした。 涙。 でも でも 多分 恐らくですが、あなたの返信が私がどうしても突破できない壁を破る力を与えてくれたのだと 多分ですが思いました。 あなたの返信で、すっごく納得したんですもの。 「そういうことか」って。 何故日本人は、ダイレクトに物事を言わないのか。 それが相手に対する礼儀であると知っているから。 礼儀的無視の類を日本の文化は持っているので、銃社会ではないわけですね。 おくゆかしさ は海外からみたら「はっきりしない ずるい」という感覚でしょうけど、日本の美なのですね。 失言とは言い間違いではなく、本当のことだと思うことをズバリ言ってしまうこと。 わかっていても言わない という礼儀をしないのが下品なふるまい。 日本人らしからぬふるまい。 ですが、それでも「王様は何もわかっていない、正しいことがわからぬ盲目と一緒。王様は聞き分ける耳を持たないドンキー」と吐き出さないと、たまりにたまってしまう。 それは日本人も同じ。 そんなところに、「王様の耳はロバの耳」と言えるブログが登場した。 だから、おくゆかしいが嘔吐しそうなほどたまりにたまって臨界期に近い状態になっている日本人は、心置きなく吐き出せる返信機能の無いブログに吐き出すことで、健全な精神を保とうとした。 なるほど! ということは、講師のブログから感じる畏怖は、不必要なことだったと言えます。 今度講師にそのことをつきつけてみます。 本当にありがとう。 あなたはヒーローです。 Did you ever know that you're my hero. you are the wind beneath my wings. You let me fly so high. thank you thank you thank you. それより roseかな? http://ww3.enjoy.ne.jp/~oyf/rose.htm 北風吹き抜ける中において、春の兆しを感じました。 削除されてしまったので、捕捉欄にお礼を書くことになってしまい、申し訳ありません。