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私の人生は幼稚園までだった
質問します。 私は、20代・未婚女性です。 私の人生は幼稚園までだった。 と思うのですが、どうでしょう? 幼稚園(5、6才。いっても小学校低学年まで。)の頃までは、 私は、最高の日々でした。 毎日が楽しかったし、 何か、ちょっとしたことをするだけで、褒められたし、 喜ばれたし。 食事の支度も、 洋服を決めるのも、みんなやってくれたし。 幼稚園だって、やることは 簡単なことばかり。 それが… 今はどうでしょう。 毎日、つらい会社勤め。(今日はお休みしとります。) 何をやっても、 すごいことやっても、褒められない。 食事の支度も、携帯電話の支払いも、 全部自分。 災難が降りかかっても、全部 自分で取り除かねばならない。 あ~。昔はよかった。 たしかに、 私は一人っ子で、どちらかというと甘やかされ、育った。 今も、両親は近くに住んでいる。(私は一人暮らし。) だけど、もう昔のようには甘えられない。 両親に負担はかけられないから。 でも、昔のほうがよかった。 と思うのですが、 こういう方って、他にいらっしゃいますか?
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のび太君もそういってます。
- nyakosu
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やりなおしたいことは幾つかあります。 現状のまま生きていても意味がないとも思い、色々と足掻いてはいますが、現状を脱せる確信はなく、あえかな希望をも見失い、自暴自棄になりかけたり自殺を考えたりという状態になって十年以上経ちますが、ただ庇護されるだけの頃が良かったとか戻りたいとかは思わないです。 特に子供の頃を思い出すと、当然だけど馬鹿だったなあとちょいと恥ずかしくなります。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
幼稚園の頃に塀から落ちて左手肘関節を粉砕骨折しました。 痛さと怖さに怯え震え、手術が終わったと言われて目を向ければ、左手に突き刺さった金属の棒が目に入り、それがもう元には戻らない肘関節の骨の替わりの部品だと理解することもできず、大声で泣き叫ぶしかできない幼い私がそこにいました。 数日後、左手は何かを持つことはおろか、肘の機能も失ったと医師に告げられても頭の中では他人事のよう、聞いているフリしながら、誰かが持ってきたであろう籠に入った果物はいつ食べていいのかを考えていた覚えがあります。 20歳の時に山道を自動二輪で走行中に大型ダンプと正面衝突、現場で自分の身体各部のダメージを結構、冷静に確認後、蛇口のように血が流れ出る右足損傷部位は自分で動く左手を使って圧迫止血、千切れて道端に転がっていた自分の右足は自分で拾いました。 痛みは過去に経験した中で比べることもないくらいキツく、何度も意識を持っていかれそうになりましたが、パニックになっていたダンプの運転手さんに救急車を呼ぶようにも私が自分で声をかけました。 物体としての1本の右足を失うと同時に、今後生きて生活していく中で失うことを覚悟しなければならないもの、私の進む姿勢次第では失わずに済むもの。 20歳の私は手術中から既に現実と正面から向き合うことができるようになっていました。 ご質問者さんも本当は今の自分が20年間で得てきたモノの価値は、お分かりなのではないでしょうか。 今晩のように昔を振り返れば、何も考えず誰かに庇護されていた頃が良かったと思う夜も有れば、今の成長した自分に誇りが持てる夜もあると推察します。 そんな夜は私にもあります。 オッサンなので話が長くてすみません。m(_ _)m
後で振り返ってみると今でも幸せです。 例えば周囲の男性はけっこうあなたをちやほやしてくれませんか、50、60歳になるとそうはいきませんよ、食べたいものだって食べられる、我々おいしい物をテーブルに並べることはできるけど、やれ歯が痛い、胃を手術した、血圧が心配だといって食べたいものを食べられない状況です。 災難が降りかかって全財産を失っても、あなたはゼロからやり直せるけど、我々はもう浮上できない、たぶん50歳を過ぎて今を振り返ると全く違う感想を持つと思う。
- 10pt
- ベストアンサー率6% (21/341)
同意。