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自力で読み始めた幼児への、読み聞かせの誘いかた
読書好きのお子さんをお持ちの方、ご自身が幼児期から読書好きだった方、 教えてください。 私は、幼児期から青年期まで本は全く読まなかった、読書嫌いです。 物語など、すぐ飽きてしまい読めません。 なので、絵本好きな我が子の気持ちを想像できなくて困っています。 二歳半で、本を暗唱してめくりながら読み、 三歳で字を拾い読み、三歳半では初読の本もスラスラ読むようになりました。 年齢にしては言葉が早く、論理的な話し方をします。 で、四歳頃から、朝起きたらまず、絵本をひとり静かに黙読するようになりました。 そして、最近、読み聞かせを、断られることがでてきたのです(泣) 黙って目で文字を追ってからページをめくっていき、 「誰と誰が出てきて、何々をするお話なのよ」「最後はこうこうこうなるのよ」 程度の説明は、親にしてくれます。 登場人物とストーリーのおおまかな順序はわかっているみたいなんですが、 作者の意図の理解までは、目で文字を追う一読だけではまだ無理だ、 と親の私は考えていますが、四歳ではどうでしょうか? 要約して言葉に表せないだけで、子供の中には、無形ながらも残ってるのでしょうか? 親としては、せっかく読むなら、読み聞かせをして、感想を述べ合ったり共有して、 それぞれの絵本の、作者の意図や意味を感じてもらいたいのです。 でも、 自分で読んで終わった本を、親からまた読み聞かせられるのは、 子供にとって、うっとおしい大きなお世話なのでしょうか? 絵本は、週に何十冊と読み、図鑑や事典も読みます。 お気に入りを繰り返して読むのと、次の新たな本を読むのとで、 多読と精読が入り混じった状態です。 本は、赤ちゃんのころは買いましたが、最近は買わない方針に変えました。 値段が高いし、何でも読むので、買うと増えすぎて、困るのです。 でも、返却日が来て図書館に返すときには、悲しがったり、泣いたりもします。 本嫌いの私には、気持ちがわかりません。 赤ちゃん期の本なんか、もう今は読まないので、買ってもったいなかったと思っています。 それでも欲しがればお金をつかって買った方がいいのでしょうか? 読書好きにとっては、そこはケチったらだめなんでしょうか? 我が子は、図書館や書店で、親に見られない場所で内緒で、 タイトルを照れくさそうに隠して読んだりもするようになりました。 それを見て、 自分の関心事や疑問や感情を、本を通して何でもかんでも親に知られるのは、 プライドが許さなくなったのかな、と感じたのですが、 幼児でもそういうことって、ありますでしょうか? ひとりで読み始めたら、読解力がまだ浅くとも、 求められた場合だけ、読み聞かせるにとどめた方がいいのでしょうか? 私は読書は苦手ですが、こどもに聞かせる朗読なら得意なので、 読み聞かせは、毎日一時間やったとしても、苦にはなりません。 ご経験談や、一部分への回答でもありがたいです。 どうぞ、よろしくおねがいします。
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物語は大好きでしたが、文学系の知識は全くありません。 小さいながらも、本を一人で読んでその世界に浸っているんでしょうから、「読み聞かせ」をされたらうっとうしいと思いますよ。 本を読む人なら、一人で読んでいるところ、「ちょっと私が読んであげるから」となったら、確実にめんどうです。 たまには、朗読を楽しむのもいいかもしれませんが、せっかく読書すること興味を持っているのですから、今の状態を褒めて伸ばしてあげればいいと思います。 作者の意図を感じる、というのも個人的には「どっちでもいい」と思います。 そういうのを考えるのが好きな方もいますが、物語は書いて人の目に触れたらその時点である種、作者の手を離れていると思っています。 おもしろい、つまらない、考えさせられる、深い、軽薄、切ない、心温まる、それぞれの感想はその人自身のものなので、「作者がこういう思いを書いている」というのを理解しなければならないわけではないと思います。 ただ、本の感想をお互いに語り合うのはいいことだと思います。 でも、思考の誘導(「このときはきっとこう思ってたんじゃないかな?」と言うような)をし過ぎると、だんだん子供も嫌になってしまうかもしれません。 > 我が子は、図書館や書店で、親に見られない場所で内緒で、 > タイトルを照れくさそうに隠して読んだりもするようになりました。 なんとなくですが、自我の目覚めと言うより「本を勝手に読むと怒られる、よくないと思われてる」とお子さんが感じているように思います。 干渉し過ぎず、「本読んでるの?エライね!!」と褒めてあげるぐらいがいいかもしれません。 本を読む習慣は、一生の財産ですので、大切にしてあげてくださいね!
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- kyo-mogu
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いま、字が読める、理解できることがうれしい時期です。読み聞かせしたいと思っている状態です。 私も子供に読み聞かせしてましたけど、その年齢の頃はよく奪われました。 しかし、しばらくすると「読んで」と本を私に来ましたよ。小学生に入った頃かな? また、自分で読み始めていますけど、寝る前に読んでと言うこともありますよ。 大人が読むような細かい物は「読んで」と来ますけどね。
お礼
ありがとうございます。年齢別に書いて頂き、推移がわかって、納得しました。読んでもらったり、自分で読んだりしながら、大きくなるんですね。安心しました。
- heinell
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>要約して言葉に表せないだけで 多分そういう視点が原因でしょう。 「要約する」なんて学校勉強式の読書の典型。 他の要素を見ても、あらすじの把握とか、まさに学校勉強の堅苦しさです。 多分、読み聞かせで「問題を出して、正解の回答を求める」なんて会話してたのではないかと推測します。 >自分の関心事や疑問や感情を、本を通して何でもかんでも親に知られるのは、 >プライドが許さなくなったのかな、と感じたのですが、 >幼児でもそういうことって、ありますでしょうか? 特に学校勉強式だと、「間違い」に対し否定的な指摘をしがちになります。 不正解は減点だから矯正しなければ!みたいな感じで。 そこから「質問者さんと本を読めば怒られる」みたいな認識になってしまっていたのではないか?というのが疑わしいです。 そちらの方を気にしてるのではないかと思います。 子供にとっちゃそんな読書なんか嫌でしょう。 本を読んでその内容を話せば怒る親に見つかるより、自由気ままに没頭したいから一人で読む。 そんな状態を予想します。 脱線あり・妄想ありの自由な発想から、思い描く夢の世界に没頭するのが子供の読書じゃないかな?と思います。 >読解力がまだ浅くとも、 読解力なんて、子供の読書の中に占める割合とすりゃ微々たる物です。 ともかく、本という情報から頭の中に刺激を受け、別の記憶?想像力?に連鎖反応が働くことが重要です。 いっそ蝶々の文章が書かれていたら、その場で庭に飛び出して探しに行ってもいい。 海の文章を読んで、絵を描きたくなってもいい。 挿絵で書かれていた服の赤い色に心を奪われてもいい。 大人の想像を絶するほどの「なんでもあり」でかまわないんです。 >でも、返却日が来て図書館に返すときには、悲しがったり、泣いたりもします。 大人の発想だと、本1冊の内、意味があるのは60%なんで、それを満たせばあとは不要…みたいな感じ。 子供の発想だと、本1冊から得られる夢の世界は、想像力が尽きない限り無限大。 …全然スケールが違うんです。 加えて大人はそれまでに蓄積された知識があるので、比較すれば1冊の本で得られる情報はほんの僅かな割合。 子供は蓄積された知識が少ないですから、1冊の本から大きな割合の情報を得ます。 それこそ、読む本読む本全てが「人生を変えた一冊の本」扱いです。 そりゃ、子供にとっては無限に広がる夢の世界が奪われる訳ですから泣きもします。
お礼
ありがとうございました。 >読解力なんて、子供の読書の中に占める割合とすりゃ微々たる物です。 >ともかく、本という情報から頭の中に刺激を受け、別の記憶?想像力?に連鎖反応が働くことが重要です。 私もそう思います。大切なことを言っていただき、感謝します。 読書によって無限に広がる夢の世界など、私は持ったことがないので、 実感が伴わず、ここで質問させていただきました。 「どんな話だったか言ってごらん」「そうかなあ?こうだと思うよ?」「こういう意味で、こういったんだよ」 みたいなことをいう教師みたいな大人は嫌いです。 言われるがままに一日に同じ本を何回も読んだり、次から次へと何百冊も読んできたまでです。 なのに自分はちっともおもしろくありません。 でもこどもは読んだ本のことを、一日中、 毎日、思いだすたびに言ってくるので、それを一緒に面白がってやるだけです。 子どもは読んだ本のことをずっと覚えているので、それだけ、浸っていられるんだなあ、と思います。 おっしゃる通り、こどもの夢の世界は無限のようです。 >大人の想像を絶するほどの「なんでもあり」でかまわないんです >読む本読む本全てが「人生を変えた一冊の本」扱いです。 >本1冊から得られる夢の世界は、想像力が尽きない限り無限大。 >全然スケールが違うんです。 どれも共感しました。 同時に、自分が幼児期に覗くことができずにそのまま消えてしまった世界って、 一体どれだけの大きさがあったんだろう、と悔やまれます。 もちろん、夢の世界が奪われて泣いたことなど、私にはないし。 我が子には、読むに任せておけばそれが一番いいんでしょうか。 「えーママもさっきの本、一緒に読みたいと思ってたのに(嘘だけど)もう読んで返しちゃったの?どんなお話だったか教えてよう」 のような尋ね方は、子どもにしています。 「私も」その本のことを知りたい、楽しさを共有したい、 あくまでそういうスタンスに限り表わして、尋ねてきました。 おかげさまで、子供が本から得ている世界は、大人の自分には手の届かないものなんだと、少しわかってきました。
>それぞれの絵本の、作者の意図や意味を感じてもらいたいのです うーん、本好きの子どもにとって、これって結構「うっとおしい」ことが多いと思います。 子どもは、大人と違う目線で本を読み取っていますし、さらにいうなら大人目線で(場合によっては無理やり)読み取った「作者の意図や意味」って子どもにとって(場合にとっては作者にとっても)的外れであることって多いと思います。 さらに、絵本の場合、意図も意味もなにもない、ナンセンス絵本も多くありますよね。 そこに無理やり意図や意味を押し付けたりしたら、子どもの感性も伸び悩んでしまうのではないでしょうか。 感想を言い合うのは素敵だなぁ、と思うのですが…。 >求められた場合だけ、読み聞かせるにとどめた方がいいのでしょうか? それでいいのではないでしょうか。 さすがに、あまりにも頻度が少なくなったら心配ですが…。 ただ、お母さんから誘うのが悪いことではないと思います。 「お母さんもその本を○○ちゃんと一緒に楽しみたいからお母さんが読んでいい?」とか誘ってみてはどうでしょうか? それでも断られたら、引いたほうがいいかもしれません。 大人に「物語の意味」とかを解説されるのが大っきらいだった元本好きの子どもでした。 (ちなみに今になっても生半可な意味を押し付けられるのは好きじゃないです。考え抜かれた考察なら面白いんですけど、文庫本の解説とか読んで「甘い! 研究不足!」とかよく言ってます)
お礼
元本好きの方の声ありがたいです。ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 >「本を勝手に読むと怒られる、よくないと思われてる」とお子さんが感じているように思います。 思い当たる節があります。怒ったり、禁止はもちろんしないんですが、 何を読んだの?とか、もう一回読んであげようか? など、こどもが読み終わった後に尋ねたことはあります。 それがうっとおしいのだろうか。 もういい、って言われた時にはすぐ撤収するんですが。 思い出したんですが、 子どものとき、私は親に絵本を読んでもらったことが一度もありません。 でも、本を読めと、怒られました。 親が、こどもの読書の手助けをしないと、子供は本を読まなくなる、 今まで、そういう思いこみが強すぎたかもと思います。 まだ幼児なんだし、子どもの読んだ本については、 親は把握しようとつとめてもよい、そう思っていました。 結局、今のままでは過干渉、ってことでしょうか。 禁止や否定はありませんし「思考の誘導」もないですが、 干渉には心当たりがあります。
補足
これまで回答くださった皆様のおかげで、 こどもの本の世界を親と全部共有するのは、やめよう、 ぼちぼちにしていこうという考えができました。 現在、日に数冊は、読み聞かせを求められてますし、 読みたいとせがまれる本は、図書館や書店にいくたび増えて、追いつきません。 子ども時代、絵本をたくさんたくさん買ってもらい、 私物として持っていたことがよかった、という人はいますか? 自室の書棚にあるべき本って、どんな基準で選んでますか? 一時の衝動で選んで買ってしまう本が、たくさんになって困りませんか? かといって、本当に大切な本がどれかと熟考して選んでいるあいだに、 手に入れる最適な時期や関心を逃してしまうことはありませんか。