• ベストアンサー

宗教について忌憚の無い意見を伺います。

宗教は人にとって必要なものでしょうか? 人間の信条の根幹でもあり、その人にとっての琴線ともなるものですよね。 だからこそ争い、偏見、また逆に心のよりどころとなったりします。 皆さんのもつ宗教に対する忌憚の無い意見が開陳されたらと思います。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • minollinn
  • ベストアンサー率38% (631/1630)
回答No.9

必要であり大切なのは宗教ではなく「宗教心」ではないかと考えています。 生きる上で、絶対に必要なものだと考えます、倫理観などと言い換えてもいいかもしれません。 宗教、という具体的な団体、行為などがあれば安易に参加して、何だかわかったような、安心したような気分にひたれます。 精神的に弱った時などは安心感を得るには便利ですし、何事も「神様」のせいにすれば簡単でもあります。 そういうことを求める人が多いので、「私が神である」などと言う人が現れておかしなことになったりします。 「神」という概念は人間を超越した存在だと思いますし、また、人間一人一人が「神」であるとも例えられます。 また、それ以外、従来の神社仏閣などは「冠婚葬祭」用の形式的な習慣であり、今では宗教とは言えないような気がします。 宗教心は、特定の行為や団体にとらわれることなく、感謝とか信念とかを自分の心の内で実行していかなければいけません。 安易な方向なら「自分に甘く、他人に厳しく」とかにもなります。 ジョークと思ってください、私のお勧めは「自分教」です。 自分が教祖で信者、自分が経典であり自分が実行する「自分教」です。 他人に強要はしないで自分ひとりで実行します。 誰も見ていなくとも「自分が見ています」 自分で自分を律する、モニターする、判断する。 そうなると「心のよりどころ」は無いのか?それも自分か?と言うことになりますが、心のよりどころは人生のその都度、趣味、恋愛、子供、自分の成長、などでいいのではないでしょうか。 まあ、自分教ですから「毎日必ず~しよう」でも「今日は調子が悪いから~はまたにしよう」とか・・自由ですが・・・

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分教ですか。 本来は個々人の信仰はそのひとそのひとによって 千差万別だから、自分教であることが一番良いのかもしれません。 自分教であれば人にいいからいいからと進めることもありませんからね。

その他の回答 (10)

  • tips
  • ベストアンサー率14% (829/5762)
回答No.11

こんにちは。 自分は、宗教などを信仰していませんが 宗教を信仰している方や宗教組織や団体を否定したりするつもりは ありません。 自分が宗教についておもうのは、 宗教を信じている人は、教えがもう用意されているから 楽だろうな、ということです。 自分の頭の中で考える必要がないし、上から下へ、右から左へ 自分というフィルターを通さずに生活したり 何か問題や疑問が発生したときに、教えをこうことで 救われるから、そう思います。 でも、実際自分は宗教を信じたことはないし、宗教自体の 実態について詳しく知っている訳ではないので こういう風に、宗教をひとからげにして、論じてしまうのも 大変失礼なことだとも、おもいます。 宗教を信じて、安定した実りにみちた暮らしや人生を 送り幸せになっている方もたくさんいるとおもいますが、 宗教という価値観や正義(正論だと思い込んでいる)を 周りに押し付けたり、宗教を信じない人を憐れんだり馬鹿にしたり そういう方も、一部ですが存在しています。 宗教も食べ物の好みも文化的な嗜好でも、 個人個人が違うし、違って当然なのだから、 まずは、それを認めてほしいとおもいます。 宗教に限らず、人に押し付けたりするのは、不快です。 でも、生きる希望を失いかけた人が、宗教というものの 教えや実務的な行事や礼拝?お祈り?によって また明日まで生きてみよう、次の集まりまでは!と 思えるような、つながりみたいなものに救われるのであれば いい契機だとおもいます。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 宗教を信じている人は楽だろうなあ自分の考えがいらないからという観点に感銘しました。 おしつけは確かに迷惑ですよね。 ただ宗教に入信することで生きがい持てるのであればいいことでしょうね。

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4428)
回答No.10

いろんな宗教を経験しました。 どれもこれも、元になる教えは、「人間が書いた、人として生きていくための智恵」にすぎないし、 それらのことは、「親」をはじめとする「大人たち」が「後に続く者たち」に教えていけばいいだけのことのはずです。 「宗教」なんていう特別なものじゃないんです。 人として、当たり前の「教育」なんです。 それが出来ないから、たまにその教えを聞くと・・・ 「あの人、いいことを言っている」となっちゃうんです。 そこを、うまくついて「洗脳」してしまう・・・。 悲しいことです。 究極は、どれも同じような教えなのに、「自分だけが正しい」として おたがいをつぶそうとする。 「本末転倒」ですね。 人間のおろかさを感じます。 「宗教洗脳」だけは、許すことができません。 というのが、私の「忌憚の無い意見」です。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 人としての当たり前の教育が出来てないから素晴らしいものと 思って、つけこまれて洗脳されてしまう。 確かにそのとおりですね。 しかもそれが正しいと思い込んだら他者を徹底的に排斥する。 人間のおろかさを感じますね。 私の洗脳されてしまった友人のしつこい勧誘にただでさえ 病臥にふせっていたのに悪化させてしまい、現在休職中です。 生真面目な人が洗脳されやすいのでしょうか。

  • a0832669
  • ベストアンサー率30% (45/148)
回答No.8

私はかつてアラブの人に「なぜ、日本人は神を信じないのか?」と言われて、食事のあと、回答があるまでは車から降ろしてもらえませんでした。悩んだ末に「私たちは祖先を崇拝してるんだ。神はあちらこちらに存在する」と答えたら、納得して開放してくれました。宗教が必要なのかどうかはわかりませんが、宗教は苦しんでる人を助けなければなりません。ある宗教団体は個々の利益のために信者を食い物にしてるところを見ますが、あれは宗教ではないと、思います。信じるも信じないのも個人の自由で、ご利益があったと思ったとき、初めて、お布施と言うのが行われるのではないでしょうか?実際にそのような方もいらっしゃることを知っています。今では忙しく、弟子たちに代わりをさせてるみたいですが。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 アラブ系の人は日本人がよくいう無神論というものを理解できません。 神を信じないものは人間にあらずと教育されているので、 無神論者は化け物扱いされるのです。 身なりは人間なのに化け物だから、化け物か人間かを確認するため 飛行場で足止めをくらったことがありました。 ようやく私も理解して、信条欄に神道と書いて無罪放免されました。 我々の常識と、アラブの常識は全く違うものだと痛感しました。 日本の宗教団体の一部は確かに人の弱みにつけ込んで食い物にしていますよね。 私もある人の葬式にいって香典をおさめたのに香典返しがこないので いぶかしがって率直にきいてみたら、香典はすべて宗教団体に上納され 葬式の費用も全部遺族がもたされたということを聞いて唖然としたことがあります。

  • usagikun2
  • ベストアンサー率28% (52/182)
回答No.7

>宗教は人にとって必要なものでしょうか?  必要でしょうね! 人種や国を超えて色々な宗教が有りますから・・・  国や宗教によって他宗教を認めないところも有るようですが、日本は昔から万の神々を信仰していますから、代表が七福神でしょうか! そして、毎年10月出雲の国に集まる神々の中で唯一貧乏神だけが旅費が無いため我が家に居候してます、特に信仰していませんが居心地が良いのでしょうか?  他の神々も特に信仰しておりません、しかし、神棚は有ります。  お盆には、お墓参りもします、地域に溶け込む若しくは、お付き合いと言った感じです。  強いて言わせて頂けば、どのような宗教を信仰されても良いでしょうが、他の方に強要だけは避けて欲しいと思っています。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに他の方への強要はやめてほしいですよね。 私もとある宗教団体の信徒からしつこく付きまとわれて 挙句、体壊して現在休職中です。 本人は正しいことをするときには必ず悪いことが起こるものだと 全く人の気持など感じていないのですから困ったものです。

noname#100277
noname#100277
回答No.6

世界的に「中世」迄は必要不可欠で在ったでしょう。 近代や現代に於いては宗教は「形骸化」の一途を辿ってます。 有名な言葉ですがキリスト教での「キリストの心は教会に在らず」と云われてる位ですからね。 現在では「宗教哲学」だけで充分で、集団化した組織は不要と考えてます。 古今東西集団化した宗教組織は何かしらの問題やトラブルを抱えてたり、犯罪の隠れ蓑に利用されて来ました。 殺人を律する筈の宗教が大虐殺をしてたりと云う過去の事例は枚挙に暇が在りません。 組織化した集団は即刻解散消滅すべきでしょう。 宗教心は個人に帰すモノで在って集団には帰しません。 勧誘なんて以ての外です。 例外としては原始的な自然宗教(自然崇拝)は現在の環境問題を考える意味でも、必要な要素で在るのには間違いが無いと思われます。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに集団化した宗教は時に大虐殺や犯罪の隠れ蓑にされてきていますよね。 おっしゃるとおり個人の心の問題で収めていれば何のトラブルもおきないでしょう。 アニミズムが環境問題を考える上で必要という点はご指摘受けるまで気づきませんでした。 感謝します。

noname#87168
noname#87168
回答No.5

あくまでも社会秩序の為に人間が作り出した哲学(方便と言っても良いです)である事を理解すれば良いのにと思います。 神に与えられたものだなんて思い込めるのは、人間が自然科学について無知であった時代だけで十分だと思いますけどね。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに方便ですよね。 神に与えられたものだなんて思い込めるのは、 人間が自然科学について無知であった時代だけで十分 科学文明が開けた今は確かにそうですね。 だけどなかなかそうはいかないものですよね。

noname#88230
noname#88230
回答No.4

必要不可欠というものではありません。 しかし、不要とも言い切れません。 欧米のように、教会が地域の振興や教育に貢献できる例もあります。 一方で、信仰が犯罪を呼び起こす例もあります。 死後の世界への不安や、死者への弔いの儀式が宗教を求めている事は否めません。 答は出しにくい問題ですが。 私は、神仏の存在を信じても、宗教とは距離を置いています。 教義は是としても、宗教団体には否定的です。 マルクスを尊敬しても、共産党員ではない。と同じ様なスタンスでいます。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに必要不可欠なものではないかもしれないけど全く不要とも 言い切れないですよね。 おっしゃるとおり死後の世界に不安や畏れがあることで人が宗教を求めてるんでしょうね。 私も答えがわからないんですよ。 長くなりますが少しお付き合いください。 今から23年前に私の隣の家の人亡くなりました。 42歳という若さでした。 この人の家族は全員ある宗教の信者で深く信仰の道を進んでおられたようでした。 その人の葬式に参列したときのことですが、信者の方はみんな 人が亡くなっているというのに微笑んでいらっしゃいました。 それにすごく違和感を感じたのと同時に、天国の話をしていたので、 死んでしまえば天国も地獄もあるものか。生きていてなんばじゃないか と思っている私にとっては非常な違和感と人の死を微笑みで送ることに 不快感を感じました。 しかし、その宗教では笑顔で天国へ旅立つ人を見送るのが常識のようで 信者でない私と私の母の泣きじゃくる姿に好奇のまなざしをおくっていました。 今から思えば世間一般の葬式の常識というものが各宗教によってそれぞれ違うし、 ある宗派から見れば、死者を泣いておくるということは非常に 不謹慎なことで新しい門出を祝う席なのに失礼なことだということに 今頃になって気がつきました。 なかなか難しい問題ですよね。

  • 3times
  • ベストアンサー率19% (25/130)
回答No.3

宗教とは少なくとも原始~古代社会では必要なものだったと思います。 というのも、宗教とは科学の発展していない時代、人が動物とは一線を画し、人として在る規範としての役割があったからです。 例えば天国・地獄といった因果応報の観念によって、人は社会に仇なすことをあえてしないように自戒するようになったし、先祖や年長者を敬う教えによって、動物的に力弱くなった老人を若者は害したりしなくなり、老後の安全をある程度保障されることによって、人は安心して同族・社会のために働くことができるようになりました。 今は無宗教という人も増えましたが、それでも冠婚葬祭では多少なりとも宗教行事を無意識に行っているし、正月やクリスマスなどの年中行事も多分に宗教的意味合いを持っています。 言わば宗教は人類の文化であり、良し悪しは別として、人類にもはや無くてはならないものだと考えます。 時に宗教は権力者の利権と複雑に絡み、時に陰謀や扇動、戦争の原因ともなり、多くの宗教の教義は現代科学に矛盾する記述も一部ありますが、それでも宗教の存在によって、人類は社会を築けたのだと思います。

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに、仰るとおり、宗教の存在が社会の規範を築き、 人間社会を築けたのでしょうね。 なければ猿と同じように、年老いて衰弱したリーダーは 代替わりごとに失脚していってたでしょうからね。

  • nemoax006
  • ベストアンサー率14% (343/2433)
回答No.2

日本人は宗教に関して広く浅くですからね 12月25日クリスマス 12月31日お寺で除夜の鐘 1月1日神社でお参り と短期間に3宗派の行事こなしますから 祖霊のお参りとかもありますね 自分自身は原始宗教なんで神道系になるのかな 直接の生活には結びつかないので無くても問題は無いと思いますよ

osuwariha
質問者

お礼

ありがとうございます。 日本は確かに神仏習合の習慣が連綿と渡って続いてきているから 宗教には寛容すぎるきらいがありますよね。 私のところは何派になるかは知りませんが日蓮宗のようです。 ところが法事と葬式の時以外はお経を唱えるようなこともしません。 宗教的な儀式や説法を嫌う親の元で育ったので日蓮宗とは名ばかりで どちらかというと先祖崇拝に近いのかもしれません。

  • misaemasa
  • ベストアンサー率16% (87/532)
回答No.1

宗教はなくていいのです。 ただ、理屈ではなくて、心のよりどころとして、 人生を生きていくのに気持ちが楽になるのです。 長年の人の生きる智慧がつまっています。 しかし、宗派や人によって受け取り方が全然違うのが欠点です。 それは、経験しかありません。 けっして、人に強制はしてはいけません。

osuwariha
質問者

お礼

一番最初の回答ありがとうございます。 長年の人の生きる知恵が詰まっているという点 深く感銘受けました。

関連するQ&A

  • 宗教

    色々、人生勉強をして来ましたが、これだと思う宗教はT理教 でした、創始者の教えはすばらしいのですが、携わっている 人間が不完全なので、今一、教盛が伸びないのだと 思っています、宗教は、人生の中で避けては通れない分野 だと思います、皆さんの、心のよりどころは何ですか 又、心に響くフレーズがあれば教えて下さい、お願いします

  • 宗教は必要か?どんな宗教が?

    人間はこの世界・宇宙の真理を悟りきる事は難しいだろうと思う 無理かもしれない しかし人間は生きなければ成らない 自信もなくては思い切った事は出来ない ならば何かを信じて生きる 思想信条と言うものは必要、少なくとも持って良いと思う それが思想信条の自由だと思う。 そこに宗教も在り、また生まれる。世界中に万と言う宗教があり 生きる指針と成っている。 ただ宗教の副作用である妄信的部分も否めない 日本人は宗教が形骸化しているので無宗教でも通るが 超人にでもならないと宗教無しで自信を持って生きるのは難しい。 世界が一つの宗教になればそれに越した事はないが 統一教会の例を見ると難しかろう 自浄作用のある 進化する宗教が生まれないものか とも思う。 それを踏まえて日本の宗教はどう在るべきか? 道徳や倫理も宗教に寄るものも多かった 祭りや神事も宗教のうちだろう この様な宗教バラバラ妄信状態をどうすれば良いか ご意見伺いたい者です。 

  • あなたは信じている宗教がありますか?

    あなたは信じている宗教がありますか? もしあったならそれはどんな宗教ですか?またなぜその宗教を信じているのですか?心のよりどころですか?教理に共感してですか? もしくは、信じる宗教がなかったなら、あなたは何を信じて生きているのですか?科学ですか?自分ですか?家族ですか?仕事ですか?会社ですか? 人は何かを信じて生きていくべき生物なのでしょうか?その方が精神衛生上良いのでしょうか? 質問が散文的ですが、あなたが思っていることをお書き下さい。

  • 宗教とは人を追い込む道具として社会にあるのか?

    心のよりどころとしてあるものと思っている 宗教が人間集団に変質して人の存在を、 簡単に、否定したり、圧力をかける。嘲笑を浴びせる。 どこかで軸が狂っているとしか思えません。 創価学会、統一教会など、が浮かびますが、その他の 宗教でもかまいません。よろしくお願いします。

  • 何を信じて生きていますか?

    宗教や哲学、科学や合理主義など、様々な価値観を心の拠り所にして 人間は生きているのだと思いますが、皆さんは何を信じて生きていますか? また、人は何かを信じて生きる必要があると思いますか?

  • 宗教が生まれるメカニズムについて

    宗教の講義を取っているのですが宗教が生まれたメカニズムが 良く理解できず質問しました。 まずキリスト教が誕生したのは人間の本質である「愛」を 具現化するために愛の象徴である神を作り出したと考えれば 良いのでしょうか? あるいはニーチェが言う様に人間の不安な気持ちを解消し心の 拠り所を作るために神を作り出したという説のが正しいのでしょうか? キリスト教に限らず一神教の宗教は、この様な形から生まれたのでは ないかと思うのですが、どうなのでしょうか?

  • 宗教について、自分なりの答えを探しています

    先日、友人が聖書を読んでいました。私は、宗教に頼るヤツは自分の心が弱いからその支えを求めて、ココロのよりどころとしてはまってしまうんじゃないかってずっと思っていたんです。でも友人はこう言いました。「世界の文明がある国では、必ずといっていいほど宗教が生まれる。世界の人々が信じているキリスト教の考え方を学ぶことは、きっとこれから役に立つ」 この言葉が、今僕を悩ませています。人間ってなんで宗教を生んだんでしょう。聖書を読むことは、本当にこれから生きていく上で参考になるのでしょうか?聖書を読むということが、なにか宗教へはまってしまう道への一歩のようにも感じられます。 教えてください。人間にとって宗教の意義とはなんでしょう?

  • 宗教について教えて下さい。

    宗教について教えて下さい。 世界中には様々な宗教がありますよね、 なんで人間には宗教が必要なんでしょうか? 一応、我が家も一般的な宗派はありますが、 個人的には「無宗教」です。 宗教を否定してるわけではなく、 人にはなぜ宗教が必要なんでしょうか? たまにかんたんな宗教の教えの本とか読むと「なるほど~、うまいこというなぁ~」とか「おもしろいなぁ~」とか思うのですが、 私の印象としては「人が人としての道」の様なものを、はずさずに生きてくよう、 教えてる印象があります。 しかし、昔に宗教のせいで起きた戦争がありましたよね。 宗教というものがよく分からないから私は「無宗教」なのかもしれません。 分かりやすく説明すると、「宗教」とはなんでしょうか? そして世界中には様々な宗教が存在してますよね。 皆、同じ人間なのに、生まれた国、または家柄で宗派が変わってきます。生き方まで変えてしまいます。 決して否定してる訳ではなく、 皆、同じ人間なのに、なぜ世界中、または日本だけでも沢山の宗教が存在するのでしょうか? 「人、皆、それぞれ」だけではなく、遺伝子的に生まれた時から絶対的な「何か」を本能的に必要としているのでしょうか? デリケートな内容の質問ではありますが、ずっーーーーーと疑問に思っていました。 何かの宗派の方でも、無宗教の方でも、どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m。

  • 宗教アレルギーの方の心境って?

    初めまして、宜しくお願いします 私はある宗教で信心させていただいている者です 何も問題のある団体ではありませんし 無茶な金銭要求もありませんし 団体内での人間関係トラブルも勿論ありません ですが、旧友の一人が私の家にある その宗教の本を見つけてから物凄い形相で反対するのです 心配してくれているのでしょうが その宗教をやめないならアナタとは絶交する! 最低な人間だ!! そんな人だとは思わなかった!! とまで言い出して怒り出して手がつけられません 私は相手へ一度も宗教の話をしたことはありませんし 今まで信心していて危険なことも不快なこともありません 日本は信心や信仰の自由を認めているのに 信心しているというのがまるで悪いことか 恥ずかしい事のような風潮がありますよね 私個人としては心のよりどころにもなりますし 相手の機嫌を取るためにやめるつもりはないのですが 今後も同じようなことがあるかと思うとウンザリします どうしてここまで嫌なんでしょうか? 信心反対の方・賛成の方からの色々な意見をお待ちしております ※申し訳ありませんが、特定の宗教の御坊様とか専門の方はご意見をお控えください。一般の方の素朴な意見を聞いてみたいのです。

  • 宗教について

    インターネット上でしか宗教については触れたことがありませんが 私は宗教にはまる人は途中で自分で考える事をやめた人にしか見えません。 自分自身はそういう人間は好きではないです。 ですが入っている方について否定はしません、個人の自由だと思うので。 皆さんは宗教の存在についてどうお考えですか? 宗教にはまる人の心理についてどう思いますか? 社会に出ていない子供(17歳高校生)の意見ですので、 もし不適切な表現などが有りましたら申し訳ないですm(__)m 指摘されたら削除します