臓器移植に関して
立体駐車場が怖くて利用できない35歳ダメ人間です(質問関係ない)
臓器移植法施行されて13年、改正臓器移植法施行後から3年ほどになりますが、最近はあまり議論されていないので問題提起を含めて質問します
改正臓器移植法は、『人の死』を定義するものとの批判がありましたが、
法律そのものは、臓器移植に関わる医師・コーディネイターの殺人罪(幇助罪)を阻却するのが主眼で、政治的には、臓器移植件数を増やすのが本意だと解釈しています。
質問は、以下の通り
臓器移植法によって摘出される臓器は、生体臓器(ドナーが生存している場合)でも、移植される臓器は、一種の公共財として、ドナーの処分権が及びません。
簡単にいえば、「あの人には提供したくない」「あの人に提供したい」という意思が表記できない上に、自分の臓器の提供先について選択できません。
これはある種、自分に所属する従属物の所有権の侵害、とする余地はありえるとは思いますが、所有権の限界とする意見は理解できますが、納得しえません。
(1)”自分の臓器を自分で処理する権利”は制限されることは、自由主義の政治原則からして、異質ではないでしょうか?
しいては、
(2)臓器売買に関して原則自由化するべきではないでしょうか?
同時に
(3)臓器の闇市場の存在は、移植制限がゆえに跋扈する問題だと思います。原則自由化して、臓器売買を市場原理的に自由化することによって闇市場を撲滅にはなりえないにしても、減らすことが可能だと思いますが、短慮でしょうか?
規制するからこそ、闇市場によって、様々な違法行為が跋扈し、違法ビシネスがまかり通るとしか思えないのですが・・・
(これは麻薬売買にも通じる話ではありますが)
臓器移植はあくまでも人工臓器が実用化されるまでの代替措置である、と思います。
したがって、幹細胞技術などの望ましい医療技術の進捗こそを重要視するべきだと思います。
そのような見解から、
(4)臓器移植に関する医療・契約に関して、一定の課税を行い、技術開発資金に回すことが望ましいとは思いますが如何でしょうか?
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改正臓器移植法によっても、現実的には、家族の同意が大前提になっています
思うに、
(5)家族の恣意性から、臓器提供の当事者の意思が反故にされるのは、自由主義原則からしても異常と思いますが、如何でしょうか?
同時に、
(6)15歳以上であれば、意思表示が可能とする同法及び”遺言可能年齢規定”の適否についてどこまで妥当性を認めうる余地があるでしょうか?
あわせて
(6)改正臓器移植法では、15歳以下の臓器提供に関して、家族承認だけで可能としていますが、その是非についてはどう思いますか?
(7)仮に、意思表記能力が備わっているとも思える15歳以下が臓器提供を希望していても、家族承認が要件になるわけですが、その自由主義的視座の妥当性は如何でしょうか?
さて、話は若干変わりますが
(8)臓器移植法では、政党の党議拘束がなかった稀なケースです。理由としては、党議拘束するほどの党内議論ができなかったなどの背景があるようですが、
そもそも党議拘束は日本の政党政治独自のもので、極めて自由主義社会の政党としては不可思議ですが、党議拘束の妥当性、仔細には、憲法上の妥当性については如何でしょうか?
最後に
(9)臓器提供を希望しますか?これは、提供する側・される側の両面で回答してください
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以上9点の質問です。可能な限りで回答してください。
多くの回答を要望しますので、締切は長めになりますことをご理解ください
お礼
有難うございました。