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仕事は使命・役割ではないのでしょうか。
仕事とは自分の成長や目標、名誉やお金のためだけではなく、人の役に立つこと・役割を担っているということでもあるということだと思います。 本来の仕事とは、何でしょうか。 決して食品会社が経費削減のために牛ミンチに豚肉を混ぜることでも、国民のために働く政治家が税金を無駄遣い・着服することでもないと思います。 自分の仕事を必要としてくれている人たちのために働きお金を頂くというのなら、そうした人たちを裏切るようなことが、本来ならあってはならないはずです。 人の役に立つ・人のためになるということがどういう意味かということも、仕事をすると同時に判断すべきだと思います。 「もっと仕事の意味を深く考えるべきではないか」に対して皆さんはどう思いますか? 何かを決定したいわけではありません。 ただ皆さんのご意見を聞きたいと思っただけなので、何が正しいかということではなく、単純に皆さんのご意見を聞かせて下さい^^
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一言で言って、「仕事はその人がこの世に生を受けた証に、その人に与えられたミッション(使命)を果たす機会のひとつ」だと思います。 勿論その対価としてお金を頂くわけですから、「仕事はお金を稼ぎ、家族の生活を潤すもの」と考えても差し支えありませんし、そのために意に染まない仕事をしなければならないこともあるでしょう。 又、「お金を稼ぐこと」と「ミッションを果たすこと」とどちらが先かという議論は、「にわとりと卵はどちらが先か」という議論と同じで、意味がないかもしれません。 ただ、少なくても、社会に対して害や迷惑になること、つまり不正を働かないこと、というのは最低限の一線だと思います。 最近、法律に規定されていないから、とか、見つからないだろうから、とか言って、株の不正買い占めや、食品会社の不正や、政治家の金にまつわる事件などが頻発していますが、そこには、かつて日本人が持っていた「お天道さまが見ているから、悪いことはできない。」という精神が失われ、人を出し抜き、自分がよい思いをするためには、「何でもあり」というあさましい心理が見え見えだと思います。 ほかにも例えば、迷惑メールを大量に多くの見知らぬ人にばらまく、という人たちも、社会に対して害を与えているだけですよね。 仮に不正や犯罪或いは他人に迷惑になることを、上司に命令されたら、あなたはそれでもその会社に勤め続ける意味を見出せますか? 実際には、家族のことを思うとすぐには上司に反抗したり、辞めることは難しいかもしれませんが、少なくても社会に害を与える組織で働き続けることは、自分自身としても社会を裏切る行為だと思います。
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- GJ-Officer
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ご質問を読んでいて、マックス=ウェーバーの『職業としての政治』を思い出しました。 私も勤め人ですが、「仕事」をするにあたってはこうありたいとずっと考えてきました。 >自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が、自分の立場からみて、どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。 >どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。 >そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。
お礼
素敵な言葉ですね。 信念を持ち、どんな現実でも貫くこと。 何よりも自分のためであることが、きっと人のためになってくるんだなぁと感じました。 献身とは、きっと自分を粗末にして相手に尽くすことではないですよね。 この言葉には、その基本があるように思います。 ただの教訓でなく、私にとってちゃんと意味のあるものとして私に届きました。 とてもありがたいです。 お互いに、頑張りましょう!^^ ありがとうございました★
- ライフ *゚+。(σ‐σ)。+゚*(@InTheLife)
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お邪魔します(*^-^*) >本来の仕事とは、何でしょうか。 私は、現在、某企業で経理をしていますが、 学生時代の短期アルバイトも含めて通算すると、 実に、様々な職種の「お仕事」に携わってきました。 郵便局。飲食業。スーパー。本屋。児童福祉。建設会社。電話会社etc... 仕事は、こうした職種の違いに関わらず、 総て、社会の輪を支えるサービス業の一環なんだというのが、私の意見です。 その労働対価として、報酬を受ける。それが、社会の仕組み。 相手の要求に応えることに終始するのではなく、 要求される前に気付き、自分から働きかけるのが、 お給料をいただくプロとして、目指すべき理想。 要求に応える努力はせずとも、儲けは、たくさん欲しい。 それは、仕事とは呼べませんm(_ _)m 会計人の意見としては、非常に曖昧で申し訳ないのですが、 私自身、お給料とは、会社ではなく、お客様からいただくものと考えます。 仕事も、お客様の満足に貢献するためのもの。(^ー^v-☆ 見知らぬお客様から、名指しでお褒めの手紙をいただいた時は、 お給料を貰うより、すごく嬉しかったですね。 もちろん、職業人としての存在価値を、自分に与えてくれた会社への恩は、 忘れてはならないと…一応は…心がけています。 仕事の在り方を巡り、上司とケンカしちゃうコトも、時々ある私ですが、 お客様との繋がりのみならず、 社内での人間関係を大切にするのも、仕事の内と考えます。 仕事上でトラブルが起きた時、個人の責任問題で終わらせるのでなく、 皆で原因を考え、全員が反省する姿勢も、企業の成長のために必要です。 職場の先輩から受けた教訓です。 「都合の良い仕事は他人に譲り、都合の悪い仕事は自ら引受ける度量を持て」 「仕事上のミスはいくらでも挽回できるが、ひとの気持ちは修復が難しい」 報酬のための仕事ではなく、係わる相手の立場に立てるサービスのための仕事。 今後、どのような職に就こうとも、この志は変えずに頑張ろうと思っています。
お礼
>総て、社会の輪を支えるサービス業の一環なんだというのが、私の意見です。 >その労働対価として、報酬を受ける。それが、社会の仕組み。 これは素敵なご意見だと思います。 私はお金のためといった気持ちが強い気がして、「サービス」という言葉がどうもずっと好きではなかったのですが、InTheLifeさんの回答を読んで、少し見方が変わりました。 サービスって、思いやりなんですね。 お給料を手にする時に、自分の役に立ったと思ってくれた人が形にして感謝をしてくれてるんだと思えば、素直に喜べる気がしました。 会社のためにというよりは、やっぱり結果として人のために働き、そして人の気持ちがお給料として自分に返ってくるのでしょうね。 それは、会社の人たちとも協力しないと出来ないことですね。 この回答をきっかけにとても重要なことに気づかされた気がします。 ありがとうございました★
- Asa132-gym
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個人的な意見です。 仕事、労働、いろいろな言い方ができるかと思いますが、あえて「働く」と言わせてください。 「働く」…端(はた、周囲)を楽にする。 と、私は恩師から教わりました。 大げさではありますが、自分が働くことで社会は回っていく。農業などは良い例ですが、農家の方が働くことによって日々、野菜やお米を食べられる。確かにお金を出して買うのは消費者ですが、農家の方が生産しなくなってしまったらお金があっても食べていくことができません。 農業ではなくても、働いているということは社会の歯車の一つとなり経済や国を動かしている存在であると思います。なので目に見える、見えないに関わらず働いている人は何らかの形で他人の役に立ち、社会の役に立っている、と私は考えています。 そして、その代償(言葉として適切ではないかもしれませんが)として給与を勤め先からいただいている、と思っています。 生きていくうえでお金は必要です。なので賃金のため、生活のために働く、ということは当然のことと思います。 しかし、それを目的として働くのか、自分自身の成長や社会への貢献、ということを目的として働くのかはその人自身が決めていけば良いことだと思います。 私は実際、お金のために働いている、という気持ちが8割くらいあります。入社当時は世のため、他人のため、という気持ちの方が強かったのですが。。。 「もっと仕事の意味を深く考えるべきではないか」という問いに対しては考えたい人が考えれば良い、という回答です。 私は考えだすと悩み続けてネガティブな思考に行ってしまうので、なるべく考えないようにしています。 ですが、この問いを日々持ちながら生きている方の仕事振りは、きっと素晴らしいものだと思います。なぜ働くのか、というのは「人生とは何か」といったことに通じるものだと思うので、とても真剣に日々を生きていらっしゃるんだなぁと感じます。 最後に、私はニートや定職についていない、働いていない人も社会の一員として必要だと思っております。働くことだけが社会や他人の役に立つわけではない、と考えるからです。人が使命や役割を果たすのは仕事の中だけではなく、その可能性は無限にあると思います。 極端ですが、近所のおばさんから朝あいさつをされて爽やかな気持ちになった、友達の何気ない一言で心が軽くなった、癒された、そのようなささいなことでも十分生きている役割を果たしている、と。 質問とずれましたが、このように考えております。 長くなりましたがご参考までに。
お礼
そうですね、社会を動かす歯車であるということは、どの仕事に対しても必ず言えることだと思います。 この質問をして数日経ちましたが、その間に色々考えさせられること機会がありましたので、少しずつ感覚も変わってきました。 今なら、「もっと仕事の意味を深く考えるべきではないか」という問いではなく、「自分の仕事が人の役に立っているという意識を持つべきではないか(持っても良いのではないか)」という質問をしたいです。 その場合も、Asa132-gymさんはしたい人がすれば…とお答えしたかも知れませんね^^ 私もAsa132-gymさんの農家の例と同様、飲食店やコンビニ店員、先生、デザイナーなどなど……思いつく職業から、もしその人がいなかったらということを想像していました。 そこで食べたい料理は食べれなかったし、夜中にお腹が空いたときにお弁当やお菓子を買えなかった。 例えその仕事をしている人が意識していなくても、自分にとって役に立つことをしてくれているんだなぁと感じました。 そう考えれば、ニートや近所のおばさんにしても、その人にしか出来ないことがあるでしょうしね。 だからこそ、そういった折角の役割を果たせる舞台で、不正・迷惑行為は(自分が)すべきではないとも、思いました。 どうもありがとうございました★
- kokon2
- ベストアンサー率18% (2/11)
難しい質問ですね。 確かに一昔前なら、「仕事は社会貢献でみんなのために」のようなことが一番だったろうと思います。 私は、製造業にいたのですが、名目上はお客様のため、とか言っていますが、内情は、人件費・経費・コスト削減が一番。で、社会・お客様のためというのが3の次くらいでした。 公務員でない限り、そういう考えの方は少なくなってきているでしょうね。 まず自分自身の身を守ることが、一番にきているから出ないでしょうか? 給与削減・ボーナスカット、サービス残業の増加の不安定の状況の中で、人の役に立つこと・役割を担っているっていうところまで、考えれないでしょうね。私もそう。 だから、仕事はお金稼ぐための手段の人が増えているのでしょうね。 一番の奉仕者の公務員があの残念な状況ですから、一般企業で考えるのは難しいでしょうね。 それを目的にしているのではなく、結果的に貢献しているのよう状況が多いのでは、ないでしょうか。
お礼
お金(経費や儲けなど)のことは、誰でも出来るというか、考えなくてもしなければならないことなので関わることは出来ますが、そこから先は自分で考えないと出来ないことですよね。 仕事に限らず、色んな分野において一人ひとりが強制ではない意識を持つのは大事なことだと思います。 「お客さまのため⇒自分たちのお金のため」みたいな感覚に近いのでしょうかね? そうする側としては、そうされる(扱われる)ことに対してはどう思っているのでしょう。 人それぞれでしょうが。。 「きっとこれで良い」という思いが、逃げや安心感を得るためでなく、信念であってほしいと思います。 どうもありがとうございました★
- Ama430
- ベストアンサー率38% (586/1527)
日本では労働組合が弱いので、社会に貢献する仕事をしたいと思っても、企業の利潤追求の論理に負けてしまうことが多いのだと思います。 それでも、消防士・看護師・介護ヘルパー・教員など、安い給料で激務をこなしている印象のある職種もありますね。 民間では難しい場合もあると思いますが、仕事の意味を立ち止まって考えるチャンスがあれば、制約の多い中でもできることはあると思います。 その意味では「考えるべき」という意見に賛成です。
お礼
よかれと思ってしただけに、いざ事件が起こると責任を背負うことが苦しいのでしょうか。 利潤追求は仕事の要とは思いますが、それと共に更に出来ることもあるような気がします。。 職種によって(一部はそうではないと思いますが)仕事に対する誠意の差があることを、残念に思います。 奇麗事なのでしょうが、関わるものの価値の差を、私利私欲のために左右してほしくないと感じてます。 勿論、仕事をする前からその大切さや意味に気づいているとは限りませんけど。。 仕事をしていく以上、その影響に責任を負えるような仕事をしていければ良いなと思います。 しくみについて参考になりました。ご意見ありがとうございました。
- apollon061
- ベストアンサー率10% (22/214)
#1様と同じく、私も仕事をする(働く)目的はお金を稼ぐことです。 善を成して、が前提条件ですが。 質問者様の仰るのは、 「仕事をする目的って何?もう少し考えて?」という内容と 「何故悪事を働く輩がいる?自分が与える影響をわかってないのか?」 という内容が混同されていると思います。 社会に貢献する事”そのもの”が目的ならば、ボランティア介護でもやればよろしい。 毎日ゴミ拾いをすれば、人の役に立つし、お金ももらえるかもしれません。 それとビジネスの問題は別だと思います。 結果的に社会貢献をしている人間と、社会貢献する事そのものが目的の人間を 単純に比較することは、論点がずれてしまうのでは、と思いました。
お礼
「私はこう思うのですが皆さんはそれについてどうお考えですか?」という質問をしたつもりです。 確かにapollon061さんが書かれていることと似たようなことを、私自身強く思っていますが、それを「こうでしょう?」と押し付けている質問ではありません。 自分自身で「こうあるべきでは」と信じている範囲で押し付けるつもりもないので、それをきっかけに他の人がどう思っているかを知りたかっただけで、質問の言葉以上の意味合いは含めていません。 誤解させてしまったことは、しょうがないと思っていますが、そうではないと誤解を解かせていただきたいです。 そのために「何かを決定したいわけではありません」と書いています。 apollon061さんが思われているようなつもりは全くなく、興味です。それは確かです。 アンケートの目的は、ただ意見を聞きたいだけだと申している通りです。 そして、「自分の成長や目標、名誉やお金のためだけではなく」と書いているように、私は別に社会貢献することだけが仕事の目的だと言っているわけではありません。。 お金を頂くためだけにしているのではないはずでは、という私の考えに対して皆さんの意見を聞かせて下さいというだけです。 質問文は「何が仕事か」ではありません。 強要などしませんが、もう一度よく読んでいただければ幸いです。
仕事をするとは、「銭」を稼ぐ事です。但し、社会悪で稼ぐのは仕事とは云いません。 その結果として、その仕事が社会に貢献するのです。 「銭」を稼ぎ家族を養うのも立派な社会貢献です。 企業も利益を上げる事により、社員・株主に給与・配当を行うのが使命です。 「○○家」とは本来「銭」に関係なく「技」を極める者です。 「○○屋」が多くなり残念ですが
お礼
自分の仕事を求めている人たちに対しての…という意味の「仕事の意味」について質問をしたのですが…。 hiroshimaさんのご意見は、仕事はお金のためにして、それが結果的に社会に貢献していることになるということですよね? ではその「社会に貢献すること」は意志ではないということでしょうか。 そうだとしたら、私はその部分を、もっと考えるべきではないかという質問をしたつもりでした。 わかりにくかったようでしたらすいません。 ありがとうございました。
お礼
仕事をするということがミッションを果たす機会のひとつ…だとすれば、私は「職種」がポイントだと感じました。 生活するためというのはどの仕事をするにあたっても共通していますが、職種によって出来る場面と出来ない場面とがあるので、やはり「そこで何が出来るのか」ということがミッションに関係あるように…個人的にですが思いました^^ >かつて日本人が持っていた「お天道さまが見ているから、悪いことはできない。」という精神が失われ… これはまさにこの通りだと思います。 仕事云々より、人として恥ずかしいことかどうかを心配するまでもないといった感じで、これはとても危険ですよね。 個人的なことになりますが、私の場合人生どうにでもなると思っているので、もし明らかに不正で他人に迷惑をかけるような仕事をしろと言われたら、結果どうなろうとお断りすると思います。 後で苦しむのはきっと誰より自分でしょうから。。 他人に迷惑をかけるのがいけないと思うのは勿論ですが、それよりもやっぱり自分のことを嫌いになりたくないと思うからです。 働く意味は人それぞれ持っていますが、不正だけは避けるべきですよね。 それがバレなければ罪に問われないといった次元でなく。 大体はそこまで責任持てない人がしていることだとは思いますが。。 ありがとうございました^^