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「マグノリア」のカエル
ビデオで「マグノリア」をみました。 冒頭で「偶然の重なり」や「人と人とのつながり」についての前振りがありましたよネ(3人の死刑囚や夫婦喧嘩の話)。これは納得できるんです。でも本編の「偶然の重なり」や「人と人とのつながり」はチョットちがうような気がするんです。本編の「人と人とのつながり」はただ単に「知り合いの知り合い」程度のもんだと私は思います。 それと最後のカエル。これはまったく意味がわかりません。 P.T.アンダーソン監督は一体何が言いたかったのでしょうか? この映画についてのみなさんの解釈を聞かせて下さい。 お願いします。
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- onyo
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私がアレを観た時の解釈(しばらく「???」状態でしたが)は、「肉付けしていく過程でどんどん膨らんだ平行して進むストーリーを、一つの作品として最後になんらかの形で収拾しなくてはならない、その結果のアレ」でした。つまり「収拾つかなくなったんだな(笑)」と。アレのために3時間があったとは思えません。思いたくありません。 「ブギーナイツ」でも思ったのですが、P.T.アンダーソン監督の作品は全体としてのテーマやストーリー展開より、シーンごとのセリフ一つ一つのリアリティに魅力を感じます。おそらく彼は脚本を書くとき、テーマとかエンディングを決めて書くのではなく小さなエピソードやセリフを積み重ねていくのではないでしょうか。つじつまを合わせるためにそれらを削る事が耐えられなくて…というより「このセリフを言わせたいから映画撮ってんだつじつま合わない不条理上等」な感じがします。 個々のエピソード作成→映画を終わらせるためカエル→「どんな事も起こり得る」のフリ(言い訳?)として冒頭のエピソード …こんな流れかなと。 「凡ての映画がクライマックスで得られるカタルシスのために存在するわけではないし。心にひっかかるセリフがあった。それでいいじゃない」と自分に言い聞かせてます。全ての出演者の演技も、エイミー・マンの主題歌も素晴らしかったし。2月にDVD買います。「誘惑してねじ伏せろ」セミナー完全版が楽しみ。 "過去は捨てたと思っても 過去は追ってくる" "許される過ちもある。しかし、許されない過ちもあるのだ"
- 0manabu0
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私が勝手に解釈したんですが・・・。 《かえる》は、本編の中でいくつもの偶然が重なったじゃないですか…. それで、偶然というものが日常的に起こりうるものという考え方が生まれるわけです。偶然が重なっていけば、普通なら起こるはずがない…と考えていることも起こってしまう…. そういう考えだと、私は受け取ったんですが…. ホームページやパンフレットを読みあさってはどうでしょうか…? あまり参考にならなかったかもしれないですが、ごめんなさい。
お礼
私だけじゃなく、みなさんこの映画には 頭を悩まされてるみたいですね。(笑) 私も同じような解釈です。 どうもありがとうございました。
- uran3
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下記参考URLの「マグノリア」紹介ページで「カエル」についても触れられています。 また、ご存知かもしれませんが、公式HPはこちら・・・ http://www.magnoliamovie.com/japan/index_f.html
お礼
「参考URL」にいってみました。 空から降ってくるカエル・・・ ちゃんと意味があったんですね。 どうもありがとうございました。
お礼
なるほど! 「収拾つかなくなった」 この映画のためにある言葉ですね。(笑) onyoさんのおっしゃるとおり、すばらしいセリフが たくさんありましたよね。 それに「ブギーナイツ」!これはかなりハマりました。 私は批判的なことを言いましたが 実はP.T.アンダーソン監督が大好きなんです!(笑) 彼の次回作が楽しみですね!! どうもありがとうございました。