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おだやかなもの

よく晴れた冬の朝 なつかしい遠来の客 夕刻の空腹感 波のうねり 微恙の快復期 しばし別の世界へいざなってくれる物語や飲みもの あなたにとって穏やかなものって何ですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • parie7
  • ベストアンサー率53% (132/247)
回答No.15

こんにちは。 今回は「おだやかなもの」ですね? 実は私の夫が年末から急に入院をしまして 最初は顔色も悪く、どうなるのかなと不安を抱いていました。 だけどだんだんと快方に向かっていて表情も明るくなってきました。 最近は面会に行くと仕事に追われていた時にはあまり見せなかったような おだやかな表情で私を迎えてくれます。 質問の意図から離れているかもしれません。すみません。

zephyrus
質問者

お礼

それはそれは。アクセスなど控えてらっしゃったのはそういう事情がおありだったのですね。 恢復に向かわれているよし、何よりです。 これは今回回答いただいた中でも最も切実なおだやかさに違いありません。 意図に沿っていて、しかも大切なことを思い出させていただきました。 回答いただき感謝です。大事になさってください。

その他の回答 (22)

  • mamaty
  • ベストアンサー率29% (90/310)
回答No.23

こんにちは、Zephyrusさん。毎日寒いですね。 今日はとてもいいお天気で、土曜に降った雪もやっと溶けそうです。 外は寒いけれど、家の中のひだまりはぬくぬくしておだやかです。 こんな日は一歩も外へ出たくありませんね。まぁ、お天気の悪い日も一歩も外へ出たくありませんが。 これって、ひきこもり…???(爆)お仕事をなさっている方は可哀相だなぁとのんきに考えつつ(ぉぃ) おだやかなものおだやかなもの。 のんびり、ぬくぬく、心煩わされることなく過ごせる時間。 誰かの誕生日、クリスマス、ケーキを作って焼けてきた時漂ってくる、焼ける匂い。お菓子の焼き上がりの匂いは大好きなので至福のひととき。(でもたまにしか作りません)(ぅっ) 家事がひと段落、もしくはてんこ盛りだけど、手をつけずにぼけーっとしている時間。明日できる事は明日に回す。どこかの国の習慣。 干してふかふかになった布団でお日様の暖かさの残る昼寝。 独り静かにひだまりで、編み物、読書、好きなことをして過ごす時。 末娘のぷくぷくのおなかをなでている時。 ここまで書いてふと思うこと、おだやかなものって、自分にとって大切な愛するものを抱きしめている瞬間かもしれませんね。 その対象は人によって千差万別。当然愛する人である場合もあるでしょうし、音楽かもしれないし、食べ物かもしれない。大切な紙片・思い出かも。 安心してそれらと過ごす時間が人にとっては、おだやかなもの。 勝手に答えのようなものをだしましたが、これは私にとってのおだやかなもの。たくさんある答えの一つ。 ぼんやり金魚が泳いでいる様を眺めている時も穏やかな気分。 水仙や梅の花などがほころんできた時の、良い香りに包まれた時も。 #14さんが仰っている墓地もなんとなく分かる気がします。お墓参りした時って妙に清清しい気持ちになりませんか? (私はご先祖様や神様仏様に手を合わせても、何の願い事も浮かばないのですが、ほかの方はどうなんでしょうね?) ああ、水に濡れた水差しをテーブルに置いて、ひっくり返したりして遊んでいる時間もかなりおだやかなものです(笑) 思いつくまま、適当に(趣向も凝らさず)並べてみました。ほほほ。 おだやかなお茶の時間のような他愛もないおしゃべり、いつもどおり。またこんな時間をご一緒できるとよろしいですわね(^_^) お邪魔しました。ごきげんよう。

zephyrus
質問者

お礼

寒中凍てつく中、無理してご訪問いただき恐縮です。ありがとうございます。 これで23件。私を入れて24、二十四節気の完成です。(と言いつつ、もうひとかたいらっしゃれば、私を除け、またもうひとかた現れれば延べ人数でなくする♪ いい加減な景気づけに過ぎませんが、それが可能になったのも、こうしてお越しくださったおかげです) はじめ気分が乗ってらっしゃらないが、中ほどからエンジンがかかりましたね。(違いますか?) ぼくもひだまり、窓辺は大好きですね(まどぎわ、ではありません。念のため)。日の光がいっぱいに射しこんでくる窓のカーテンを閉め、その薄暗がりを目出ながら昼寝をするのが、実は大好きなのです(これ、本当です)。 それと、墓地。ああそうか、お墓ってお参りするところですね、ふつう。 萩原朔太郎って詩人がよくうたった夜の墓場、柳の枝が風にそよぐなまめかしい墓場を連想したので変なことになっちゃった恥。お説ごもっともです。それで正常かつ清浄です。 お墓にはぼくも特にお願いはしませんね。帰ってきたよと報告するくらい。天気がいいね、とか。 でも、それって、とてもおだやかなことですね、考えてみれば。や、ここでもまた、気づかせていただいたぞ。「自分にとって大切な愛するものを抱きしめている瞬間」か。 「お茶の時間のよう」に「他愛」なく、「こんな時間をご一緒できる」。 そうでした。……これにまさる言葉はないような気がします。

zephyrus
質問者

補足

この欄をお借りします。アンケートお寄せくださった皆様へ。 このアンケートを思いついたのは気分がたいへんすぐれないときで、皆様のお答えから励ましていただこうという思惑があったことは否定できません。ひとは変身するとリリックになる、もしくはひとはリリックに変身するものだという思いこみが私にあって、気持ちの持ちように過ぎないこんな場合にも、そんな心情がどこかで働いていたのかもしれません。 けれども、途中からこんな軟弱さなど消し飛んでしまいました。 私にとってこのアンケートはアンケートを超えたもの、人と人とのふれあいにまで発展しました。 No.15様あたりから、おだやかさもある切実さを孕んだもの、他存在への臨場感を伴うものだという認識が、モノローグのウスバカゲロウのような私の胸にもようやく生じたと申せばよろしいでしょうか。 もちろん、おだやかであるさまざまな時と場所がNo.1様から連綿として参考になるものばかりであったのは言うを待たないし、 まともな質問であると評価くださったNo.13様、二度もお越しいただいたNo.8様(おい質問者、手前味噌だぞ)(アワッ)、 「みなさん詩人」とおっしゃりながら一等詩的な感覚をお持ちのNo.14様(詩はナビのもの異邦人のもの)、 「結構たくさんある」と気づかれ「考えている時間が楽しかった」と(おだやかな)睡眠に就かれたNo.17様、 こうした「おだやかなことを思い出す時間も、またおだやかな時間」であったとおっしゃるNo.21様、 「穏やかだと感じる景色は、実は自分の中にある」と喝破されたNo.19様の一言もまた印象深いものでした。 また、No.16様は「明のなかの暗」「暗のなかの明」という哲学的観照を挙げてらっしゃるのに、こちらが気づかないという迂闊もありました。(これはほかの方でもしばしば起っていることだと思います) そしてついにNo.23様の「お茶の時間のように他愛なくご一緒する」時間こそ、おだやかさそのものであるというさりげない一言にとどめをさされ、この質問が完了したことを知りました。 たとえ一つの気分であれ、それは自己に終始したものではなく、もっと広い世界との交関のことらしい。 まことにもって有意義であったと言うほかありません。 締切時における頭痛の種、ポイントについては、ですからお二人に絞ることは不可能です。これはアンケートカテだからという口実を軽くしのいでいます。 ……従ってここは今回は見方を変えて、励ましの気持ちを込めたもの、とさせてください。私のなかではみな良回答。ほかに代わる基準を持ちようがないのです。どうかご了承くださいませ。 国の内外を問わず緊急の問題が目白押しの今日、なかなか暢気にぷかぷか「海に浮かぶブイ」(No.22様から引用)にもなれず「忙しない日常を忘れる事」(No.18様から引用)も出来にくくなっていますが、しばし、こうした閑談におつきあいくださった皆様の心の余裕を讃し、いま一度感謝申し上げるしだいです。 次回、当方の質問見かけられた折にも、今回に懲りることなく回答お寄せいただければ幸甚に存じます。 なお、お礼文中でほのめかしておりましたアンケート第二弾は「立ちどまるもの」というタイトルのものだったのですが、今回の充実により当分質問の必要がなくなりました。この点も悪しからずご了承いただけますよう。

  • gruyere
  • ベストアンサー率40% (41/101)
回答No.22

こんにちは みなさん、季節について書かれているようですので、私もひとつ・・。 私がおだやかと感じるのは「夏の夕方」です。昼間の焼け付くような日差しが弱まり、少し気温も下がり過ごしやすくなる時間帯。他の季節だともう暗くなってしまう時間、おまけのように明るい2時間ぐらいが、私におだやかさをもたらしてくれます。この時間にお風呂にはいったり?、遠くで聞こえる子供の声を聞きながらまどろむのが好きです。(なんとも季節はずれの回答になってしまいましたが・・・汗) あとは・・・つけっぱなしのFMラジオ ゆず風呂 神社、お寺、観音さま、阿弥陀像・・・。 何も言わなくても分かり合える瞬間(とき) 海に浮かぶブイ(これはなんとなく波に揺られている様が・・。でも多分意味不明ですね・・。) こんな感じでしょうか。(あまり詩的でなくてすみません。) ちょこっとおじゃましました~。

zephyrus
質問者

お礼

よくいらしてくださいました。 早速ですが、「何も言わなくても分かり合える瞬間」は無粋な私にはなかなか難解なことで、男女を問わずいてくれただろうかと、自分の勝手は棚に上げて考えてしまいました。そう思える人も過去にはないではなかったのですが。 それからご自分の回答に対し「あまり詩的でな」いとお断りですが、これは二重にお間違えなのではないかと恐る恐る提言いたします。 一つはこの質問は何も詩的なものを求めてのものではなく、結果としてそうしたお答えが多いだけなのだということ。 もう一つは「海に浮かぶブイ」が私にはとても詩的に思えるのです。入り江の入り口あたりでぷかぷかやっているブイ、これは見過ごしてしまいやすい情景であって、しかも言えば誰しもなるほどと納得できる、見る人の実感がこもっているからです。気づきにくいことを最初に言えるって、すてきなことなんだと思います。いかがですか。 神社仏閣もお好きなんですね。ゆず湯のぬくもりも(あとかたづけが結構面倒だけど^_^)夏の夕暮れの遠くのざわめきも、今ここまで届いてきそう。 とてもおだやかな気分になりました。ありがとうございました。

  • Lioh
  • ベストアンサー率49% (121/243)
回答No.21

こんにちは。 *まわり道した道で見つけた紫陽花 *非常階段で眠りこけていた猫 *年賀状を全部書き終えた瞬間 *普段は母につきっきりの猫が、私の体調の悪い時だけ、私の足元で寝てくれること *高熱がでた時の「冷えピタシート」 *故郷の黄金色の夕焼け *故郷の稲穂の海 *夏の夕刻のヒグラシの声 *朝に聞こえる鳥のさえずり *竹林にしみこむ恵みの雨 *雨が晴れた後の、まだ濡れているコンクリートのにおい *なじみの八百屋さんで耳にする、なにげない会話 「菜の花って、まだまだ高いね~。」 「ええ。この寒さで、温室物しか入荷できなくてね~。」 「菜の花って、どうやって調理すればよかったんだっけ?」 「炒めてもいいし、ゆでてからしとあえてもいいし。 ・・・もうそろそろ、菜の花も露地物がはいると思うんだけど。」 *通勤電車に乗って、本を読むための自分の場所を確保をできたとき *日曜の晩に、電車の中で見た親子の姿 お父さんが子供を抱え、お母さんも子供を抱え、 4人とも幸せそうな顔で寝ていた姿。 *帰りの電車の最寄駅手前のトンネルを出た後 「お。あともう少しで家に着く」という安堵感がなんともいえません。 *休みの日に作る晩御飯 火のとおりが早くないから、煮込む時間がないから炒め物にするか、と時間に追われず、 ゆったりと作れます(笑)。今日は、大根を煮ようかな。 *私の回答ペース(笑) *知らなかった事に出会った時の気持ち 以前は、知らない自分を責めて、もっと勉強しなきゃ、と 絶望に近い気持ちを味わってました。 今は、「さあ、(ますます)おもしろくなってきた♪」と、 遠足にでかける前のような高揚感を覚えるようになりました。 *中学校を卒業する時に聞いた、校長先生の話 卒業生全員に「どんな贅沢をしたい?」というアンケートをして、 最後に、「いろいろと大変な事がこれからあるかもしれないけど、 ・・・心に贅沢を持つ事も、忘れないで欲しい。」と終えました。 日々の生活に追われて、ついつい忘れがちになってしまうけど、 折にふれて思い出す言葉です。 ・・・Mr.sugar&salt、今でもこの言葉を抱えて生きていますよ。 そして、おだやかなことを思い出す時間も、 またおだやかな時間でした。 あわただしい締め切りではなかったので、 なんとか、私の回答も間に合いました。ほっ。 私も昨年、何年かぶりに再会した同級生達と、 過ぎた年月も気にならず、とりとめのない話をして、 とても楽しい時間を過ごせました。いいものですね。

zephyrus
質問者

お礼

これ、おろそかに読めないお答えですね。 まず考え、思い出し、並べ替え、一番適切と思える言葉に組み直し、洗練させてある。だから、ただの紫陽花ではなく(それだけでも充分ほっとさせる花、みづ色の空気が流れる季節に開く花なのに)、まわり道したときにふと出会った紫陽花だし、閑雅な裏通りの非常階段で見つけたネコ助くんなんですね。そして高熱の引いたあとふる里の夕焼け、稲穂が出てくるのはごく自然だし、蝉、小鳥と続き、やがて実生活の静かなざわめきの中へ還ってくる。音も色彩も淡く抑えてある、そんな感想を持ちました。 まあ、勝手な恣意的解釈はここまでにして、(恣意的といえば、皆様へのお礼と称してここで申し述べたことどもは皆わたしの恣意的解釈に過ぎず、もっと回答の真意を汲んでほしかったとか、うるさい礼文だとか、眉を顰めてらっしゃる方も多々あるに違いなく、こちらとしては頭を下げるしかないけれども、そっと口の中でこんな不埒な言葉もつぶやいてみるのです「ひとは誤解する程度に理解しあえば充分だ。ポール・ヴァレリー」などと。) ご指摘いただいたとおり、おだやかさの自覚を促すおだやかさへの思いめぐらし。時として決然としてそれを放擲する覚悟も必要だろうけれども、その時のためにもこのひとときの「贅沢さ」を知っておきたいという気持ちはありますね。あるナビ(予言者)の詩句のように、今あるこの世界は当たり前のようでいて、きっと驚きに満ちた世界に違いない。 ひと一人の一生など一幕のファルス(道化芝居)に過ぎないとしても、それはそれでなかなか真剣な戯れ。古くて恐縮ですが、映画「気狂いピエロ」のラストでジャン=ポール・ベルモンドは半端な気分で腰に巻きつけたダイナマイトの火が消えず吹っ飛ばされてしまいます。あんな下らぬ死が自分にも見舞うかもしれないが、素敵なご信条にあやかり「さあ、ますます面白くなってきた」と高揚していたいですね。えっ、さすがに無理ですか? 無理ですね。でも、そんな気概はできればいつまでも失いたくないと希わずにいられません。 ずれまくったおしゃべりの段、どうぞご容赦を。 野菜たっぷりな晩餐、ありがとうございました。安房直子さんの料理店(童話)のように楽しかった。 かたゆきかんこ しみゆきしんこ 宮沢賢治「雪渡り」の季節に。

noname#19577
noname#19577
回答No.20

こんばんは、#8です。再度おじゃまします。 (よかった、まだ締め切りになってなくて^^; ) ご丁寧なお礼文を有り難うございました。それだけで、なぜか心がなごんだような。 質問者様の文才には全く頭がさがる思いです。 水面(みなも)に映える陽の光り、質問者様はモーツァルトの「プラハ第一楽章」やラヴェルの「水の戯れ」を連想されるそうですが、趣味のよさを感じさせて頂きました。 私は・・・実は、こんな場面で聴きたい曲は、プログレッシブロックのキング・クリムゾン「風にかたりて」なんです。 フルートの音色が冴えて、ゆったりとして、眠気を誘います。^^; ついでに、酒でも入っていれば、まさに夢見心地。春が待ち遠しい。 他の回答者様たちの示されたもの、どれもが“おだやかなもの”ですね。 その日の仕事を終え、自宅でくつろぎのひととき。 気がむけばパソコンに向かい、ここで楽しい質問に出会う。 これこそが“おだやかなもの”なんだなぁ、と思いつつ、今宵も一杯。 さぁ、明日も仕事がんばろう。・・・。 おじゃましました。

zephyrus
質問者

お礼

どうぞどうぞ、なんの遠慮もいりません。 早々に締め切って叱られたことがあるので(考えてみればありがたいことです)、以来、慌てないことにしています。 お答えいただいた音楽、検索してみたところリンク切れが多く、にわか勉強できませんでした。 よいものに触れるには貪欲でありたいのですが、あれこれ疎いことばかりで自分自身困っています。 春を告げる花の咲くのを待ち望む季節は予兆に満ちていて、日の光を見てるだけで楽しいですね。 年末年始、下降気味であった気分を、皆様に啓発されてどれほど寛げることができたことか。 そんな中、ふたたび足を運んでいただいて、こちらも嬉しい限りです。どうもありがとうございました。

  • itab
  • ベストアンサー率50% (431/861)
回答No.19

おだやかなもの ◇孫を抱くおばあちゃんの笑顔 ◇何も予定がない雨の日曜、朝風呂の入浴剤の匂い ◇我慢したトイレの後 一杯のブラック珈琲 ◇静寂の中の夕焼け 季節は秋  以上いかにも凡庸だとは自覚していますが、  おだやかなもの=凡庸 と言うことかなとも思ったりして・・・。  穏やかなものを日常に織り込んでいく(若しくは日常に感じる)のは、人が人として生きていくために必要なことなのでしょう。  みなさんのたくさんの「おだやかなもの」を拝見しながら、あらためてそう感じました。  穏やかだと感じる景色は、実は自分の中にあるんですよね。

zephyrus
質問者

お礼

夕空をタビする茜雲のように高雅にご訪問、ありがとうございます。まずはひとっ風呂浴びてきますか。 孫を抱くおばあちゃんの笑顔はたいてい歯があちこち欠けていて愛嬌と一抹の哀感がありますね。 朝湯は確かにおだやかで贅沢な気分になります。回答者様はこれに「入浴剤の匂い」とお書きですが、 一半の実感は間違いないこと、もう半分は「般若湯の匂い」ではないかと問題視しております(^^♪ トイレの解放感も格別ですね。特にケッ作を生み出したあとではゲージュツ家の心境もかくやと思い致されるところであります。 ブラックはぴったりですね。 最後の一行に至言が。すべては回答してくださった皆様の胸の中にあるもの、なんですね! 腕を下げていませんね♪ それに凡庸は非凡の実相かもしれません。奇をてらう必要などないことですし。 や、失礼の言、どうぞご寛恕を。楽しく拝見しました。

  • harumikan
  • ベストアンサー率36% (33/91)
回答No.18

こんにちは。私の中の『おだやかなもの』ですが… 平日の昼間に独り家の中で弾くピアノ ですね。。。アダージョで弾く曲は特にそう感じます。 その他、四季を通して考えてみました(^-^) 春  桜の花びらが舞い散る中、自転車を漕ぐとき 夏  畳の上で寝転びながら、窓の外の入道雲を眺めているとき 秋  子どもたちと一緒にドングリ拾いをするとき 冬  一面の銀世界にキラキラと光が差し込んだとき 忙しない日常を忘れる事ができる、このひと時ってとっても幸せですね♪

zephyrus
質問者

お礼

茅屋へようこそ。ありがとうございます。 ここにはピアノがなくて残念です。小学校のときの同級生の女の子や、知人の娘さんが弾いてくれた曲のことなど思い出します。 なるほど四季のうつろいは心を和ませ穏やかな気分にさせるものがいっぱい詰まっていますね。 暑くてかなわなかった夏が過ぎ去ると、その苛烈さを懐かしみつつ目の前に深まりはじめた秋の風情を楽しんだり、 春を待ち望む懐手のまま雪景色の美しさに驚いたり。 日常を忘れさせ、あるいは陳腐な世界が実は特別な世界だということに気づかせてくれたりもします。 お説の通り、確かに幸せなひとときなんですね、きっと。

回答No.17

こんばんわ^^ 質問を拝見し考えていたら結構たくさんあるな~と思ったので、参加させていただきます。 ・温めた牛乳の匂い ・春に吹く微かな風 ・祖父の笑顔 ・犬の寝顔 ・激務を終えた後の平凡な日々 ・お風呂から上がって、化粧水→乳液→クリームを塗り終え、髪も乾かし終え、「さぁ~これでいつでも眠れるぞ」という状態のとき ・休日、外は良いお天気、リビングには寝ている犬以外誰もいない、そんな日にちょっと遅く起きてゆっくり朝食を食べているとき ・帰り道に自転車をこぎながら見る満月 ・朝のスタバ(ソファー席) ・金曜日の夜 まだありそうな気もしますが、そろそろお布団が恋しくなってきたのでこれくらいで、、。 考えている時間が楽しかったです^^ ありがとうございました。

zephyrus
質問者

お礼

たくさん挙げていただきました。ありがとうございます。 多く思いつけるということは、発想の柔軟性もさることながら、それだけ安らかな日常を送っていらっしゃるあかしのようにも受け取りました。 お祖父さん、お祖母さんがおだやかであるということ、またそういう風に見えるということ、これはもうそれだけで幸福なことなのかもしれません。 肌や髪の手入れをしたあとのほっとした気分、今日すべきことは一通り終えたという気持ちはこれは男にはなかなか味わえないことですね。もっとルーズに生きてますので。 満月のいとおもしろう出でたる夜半は自転車をこいでいくと月へ至る道があるってご存知でした?僕はまだ一度も見つけたことはないですけれど。(いま思いついた冗談です。本気にしないでください)

  • thing
  • ベストアンサー率31% (36/116)
回答No.16

思いつくまま・・ 1少年のころ遊んだ路地裏の散策 2小津安二郎の世界 3ロウソクの灯り 4貧しい国の子供たちの瞳 あとは余談ですが・・ おだやかさを求めて幾千里(ぉぃ)、ついに到達した真理とは、 「すべての事象は下からやってくる」というものでした♪ (革命にしても、おだやかさにおいても) いちど硝子戸の向こうの縁側で「足湯」をされることをお奨めいたします♪ 垣間見るそのおだやかさは、なけなしの友人の来訪のように あざやかであろうと思われます。(自信なし^^) そういえば『門』の宗助は縁側でごろんとなって空を見上げます。 あれもおだやかな場面でした。 ~見知らぬ町にて。

zephyrus
質問者

お礼

ろ、路地裏ですか。なるほど。案外変化しにくい場所(トポス)ですね。小津氏の世界も懐かしい日本。 子供たちの瞳。ひょっとして豊かな国より貧しい国のほうが子供たちの瞳が輝いているのではないか、などと。どうなんでしょう。 けれども、子供たちから笑い声が絶えた場所こそ、この世の終わりに違いないとは思います。 足湯も、おだやかさが下からやってくるというご指摘も、全く意外。拝聴です。 「門」のおだやかさは明るさの失われた日常、という印象がありますね。 同じおだやかさとは言っても、いろんなトーン、段階があるぞと気づかされました。 よくおいでくださいました。そして刺激に満ちたお答え、ありがとうございました。 ~見知らぬ停車場にて。

  • d-drop
  • ベストアンサー率22% (214/938)
回答No.14

 みなさん詩人ですなあ。  晴れた日の散歩。  ベンチの老夫婦。  墓地。  なんとか無事に過ぎた1日(週/月/年/生<たぶん>)の終わり。  湯気。  あと……なんていうか。仕事の最中とか、せわしく動いてる街中を歩いてる時など、ふっと、風が立ったように、そんな「もの」がくる時ありません?  エアポケットに入ったようになるというか。  自分が透明な風船の中にいて、そこはとてもおだやかで、そこから外界を絵でも見てるように眺めてる一瞬が、私にはあります。      

zephyrus
質問者

お礼

墓地は面白いですね。湯気は白湯、湯船、朝の川面といろいろ連想できそう。 日常の中でふと周りとの距離感を意識する瞬間、エトランゼの時間というのは確かにありますね。 それから少し話はずれますが、十代後半の女性たちというのはしばしば、 自分の周囲に空気の繭のようなものをつくってその中に棲んでいるって感じるときがあるんですが、あれも不思議ですね。 回答いただき感謝です。どうもありがとうございました。

noname#19692
noname#19692
回答No.13

こんにちは。すてきな質問ですね。 集合住宅の窓の灯り。あのひとつひとつに幸せがあるんだなぁと思ったとき。 草の上に寝ころんでぼんやりと流れていく雲を眺めているとき。 雲間から射す光。 雨上がり。木々に小鳥が集まっているとき。 ココアをゆっくり飲みながら読書or編み物をして過ごす夜。 状況ばかりなってしまいました。表現がヘタなもので…。 おじゃまいたしました。

zephyrus
質問者

お礼

詩人さんですね。「窓に/うす明りのつく/人の世の淋しき」って好きな詩句があるんですが、それを思い浮かべました。 雨上がりはそういえば小鳥たちがにぎやかですね。 あれは昔の職人さんみたいに「おう、どうやら上がったらしいぜ」と袖まくりしながらぞろぞろ繰り出して来るからか。 (イメージを勝手に変えてすみません) 編み物は、あれは回想へ傾く時間なのかなと想像しています。 たくさんのよいもの、ありがとうございました。

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