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「存在すること」とはどうということか

世の中には色々な物があります。ペン、机、細胞、宇宙、遺伝子…。世の中には色々な心があります。怒り、悲しみ、喜び…。それは存在でしょうか。いや、存在の程度の問題でしょう。なにか、その核となる成分があり、それによって構成されるもの、それが世に言う「「物」「心」という存在」に当たるのではないでしょうか。一見、あり得ないことのように見えても、少し回り道して考えれば「理解」できると思います。世の中は全てが均衡に、等しいものです。それらのバランスの元にさらに「存在する」「存在しない」があり、それがいわば「神の創った世界」です。なにか、ご意見・ご感想等ありましたらお寄せください。

みんなの回答

noname#44432
noname#44432
回答No.2

おはようございます。 難しいっすね。例えばの話し、この世のありとあらゆる世界、宇宙、空間、において「在る」ものが唯一ただ「自分の意識だけ」と想像してみた場合すごく怖くないですか?何も無い真っ暗な中に自分の意識だけが在り自分が生きてるのか死んでるのか分からない様な状態。自分が何なのか分からない様な状態。この時「自分」は「存在してる」と言えるのでしょうか?ありとあらゆる空間の中で唯一「自分の意識だけを薄っすらと認識できる」時「自分」の根拠って何でしょう? この世に「在る」ものが在るのはそのもの自体が「在る」ために互いに「在る」を必要とするから在るのではないでしょうか? [核となる成分]は無いと思います。全ては偶発の連鎖だと思います。 「神」とは何でしょう?「核」でしょうか? 神は無いと思います。 ちなみに、↑、自分の考えを書いたまでです。答えじゃないです。 答えが解ったらぜひ教えてください(笑)。 失礼しました。

noname#117377
質問者

補足

現世が存在するか否かという話は別にして、実際僕も、この説明が正しいのかは分かりません。ただ、あなたの仰る事が、少なくとも僕の説明よりも浅いものであることは分かります。例えば、 >この世に「在る」ものが在るのはそのもの自体が「在る」ために互いに「在る」を必要とするから在るのではないでしょうか? これは非常に抽象的ですよね。必要とは何なのか、もっと奥深くではどうなのか、そういうものがはっきりしていません。でもこれを無理やり解釈すると、僕の説明と一致するものと考えられます。「必要があるからだ」→「その必要なものの相互関係はどうなのか」→「互いに等しいからではないか」→「それはいわば存在のバランスだ」→「存在とは個々のものか、それとも核のある程度のものなのか」→「個々のものとしても説明はつくが、そのもう一つ奥までいくと「事実的要素」「精神的要素」が両存するものではないのか。→「愛と能力」、「自由と束縛」、それらの相互関係に等しいのではないか。 神はいないというのも、やはりあなたの固定観念ではないでしょうか。それは決して分からないんですから。まあ、あくまでも「そんな気がする」だけなんですけどね。

noname#17872
noname#17872
回答No.1

私もhdkyktさんのようなコト結構考えちゃう方です。 その気持ちわかります!親や友達に哲学的なコトを話すと「現実逃避でしょ。勉強しなさい」とか言われちゃうんですよ(笑)存在するって不思議なコトですよね!?考えるとだんだん怖くなってくる・・・。いくら考えても答えは見つからないから。けどhdkyktさんのように考えるコトがとても大切だと思います♪そんなコトを考える私たちは一体どこから来たのでしょうね?そして今暮らしている空間ってなんなにでしょう?当たり前に生活している今ですが、よく考えてみるとめちゃくちゃ不思議!(笑)理科では説明しきれない! 「ソフィの世界」って本ご存じでしょうか?ちょっと分厚いですけど、とても興味深く、いい本ですので参考にどうぞ^_^おすすめです★

noname#117377
質問者

お礼

そうそう、よくそんなことを言われるんですよね。「もうあいつはおかしいから」とか何とか言われて。「大して頭、良くないくせに」とか。そしたら、僕の頭は勝手に回転し出して、「そもそも頭とは何だ、能力か。能力は人を破滅へと追いやり、心の優しさを奪い取り、果てしのない道をただひたすら走り続ける、いわば暴走車ではないのか。もっと程度をわきまえるべきだ。社会はそれを事実としてしか受け止めず、民衆をより一層束縛し、そのせいでさらに社会は人の心を奪っていく…」とまあ、「あったら便利、なくても生きられる」ようなことを矢継ぎ早に考えさせるんですよね。これはどうしようもない。でもまあ、同じような人がいるというのは、心強いものですね。

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