• ベストアンサー

宗教・仏壇・お寺・信仰などについてご意見を聞かせてください。

こんにちは。20代後半の主婦。2児の母です。 2ヶ月ほど前から、主人の父と同居になり、仏壇に対する意識の相違により、なんとなくしっくり来ない気分を抱えております。 ●お家に、お仏壇は、必要ですか? ●必要だとお考えの方は、毎日お仏壇にどう接してお過しですか? 例えば、毎朝手を合わせて、ご飯を添えてなど、毎日は接することがない人でしたら、~の時に~しています。など、教えてください。 また、自分が死んだら、お仏壇に入り、ご遺族にどう接して欲しいですか? ~の時にだけ~して欲しいや、毎日~して欲しいなど、詳しくお気持ちをお答えいただけたらありがたいです。 ●お仏壇は必要としない方は、必要としないお考えや、自分が死んだ後は、お仏壇が無くてもかまわないというお気持ちやご意見をお聞かせください。 ●また、宗教に対する信仰の心理やご意見。経験して分かったことや困ったこと、様々な、ご意見もお聞かせください。 多くの方のご意見や、お考えが知りたいです。どうかお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 5S6
  • ベストアンサー率29% (675/2291)
回答No.5

●お家に、お仏壇は、必要ですか? 不要 ●お仏壇は必要としない方は、必要としないお考えや、自分が死んだ後は、お仏壇が無くてもかまわないというお気持ちやご意見をお聞かせください。 生活上必要ない。 宗教は否定しないがあったところで邪魔になるだけである。 先祖に感謝している人ならまだしも、祖父母に恨みがある、嫌いだ。 とか言う場合は尚更です。 先祖が守ってくれるとかは、その人の気の持ちようです。 病は気からというような感じで。 同様に例えばお金も入ってくる人の所には自然に入ってきます。 運というか・・・ 家にも仏壇はありますが、私は拝んだことは一切ありません。 お盆も関係ありません。 ●また、宗教に対する信仰の心理やご意見。経験して分かったことや困ったこと、様々な、ご意見もお聞かせください。 宗教に関しては日本の場合、危ないという認識がありますよね。 オウムやその他宗教の犯罪はもちろん。 創価学会も大昔から入っている人はまだしも、若者が入る場合は社会に見捨てられた人。 暴走族、前科者とか、貧困とかだと言う気がします。 事実私の元にきた創価学会もそうでした。警察呼びました。 キリスト教などは神聖なイメージがあります。 ちなみに自分が死んだ場合、火葬して墓に入れられるより、海に流してくれるとか、 宇宙に放流して欲しいとか思ってます。

mamachan55
質問者

お礼

率直なご意見ありがとうございます。 先祖が守ってくれるとかは、その人の気の持ちようです。私も同感です。亡き人でも、生きているけど遠く離れてしまった人でも、いとしく思う気持ちがあったり、懐かしむ気持ちがあったり、時々、ふと近くで見守ってくれているような気持ちになったりしますよね。 宗教が、生活の習慣となっている方で、自分の精神が落ち着くなど、仏壇や宗教を精神の場としている方にとっては、無くてはならないものかもしれませんが、無くても生活で来ている人に対して、宗教(信仰)や、仏壇などの象徴が無いことが、精神的(強いては金銭的にも)に貧しいとか、偏見の目で見たりする方もおられます。 宗教や信仰はその人自信の物であり、強要することではないと、私も思います。 前の方のお礼にも書かせていただきましたが、宇宙散布は素敵ですよね。未来的なニーズですし、是非、そういうことができるようになって欲しいです。私もそれまで生きていないと。と思いました。 率直なご意見を本当にありがとうございました

その他の回答 (11)

  • chupaku
  • ベストアンサー率25% (460/1781)
回答No.12

「仏壇」じゃなくてもいいんですよ。 線香を焚いて思い出してもらえれば。 その場所が仏壇という箱なんですよ。 仏壇が買えなければ箱でもいいし、無くても、台でもいい。宗派だって関係ないんじゃないかな。 何でも食べ物には困らないから、毎日ご飯をあげたりしなくてもいいでしょう。 それより思い出してあげるだけで十分です。 時々故人の好物をお供えしてあげるといいですよ。 それももう生きている時に食べていた状態にして。 たとえば果物なら切って楊枝をさして。という具合です。お酒なら器に注いであげたり。 お舅さんが自分が死んだらそうして欲しいから今からその様にしているんでしょう。 大事なのは生きている人からの気持ちなんです。 思い出してあげることです。 お舅さんをよく観察していて一緒にしてあげて下さい。 中に入っている人の事を聞いておくのもいいじゃないですか?

mamachan55
質問者

お礼

御礼が遅くなり、ごめんなさい。 ご意見、本当にありがとうございました。 chupakuさんのご意見、ごもっともだと思います。 宗教は関係がないというのは、本当にそうですね。 宗教にかかわらず、故人を思う気持ちがあれば、宗教にまつわる戦争もなくなるのに、どうしても自分が正しい(自分の信仰している宗教が全て正しい)という概念が宗教にはつきものの様に思えて、押し付けられるとちょっと引いてしまう気持ちは少なからずありますネ。 大切なのは、生前、良い思い出を沢山作れる間柄であったり、人柄であったりするんだと思います。やはり、気持ちは永遠だけど、物質的なこと(形)にこだわるのは、生に対する執着心であり、死に対する寂しさなのかな。 私は、子供たちに形を押し付けなくても、亡くなった後は、ふと空を見上げて懐かしく思い出してもらえる存在でありたいなぁ。と思います。

  • kurukuru
  • ベストアンサー率39% (145/366)
回答No.11

 我が家に仏壇が来たのは、私が小学高学年か中学生位の時でした。 家のリフォームした後、置き場ができたからか、祖母が念願(?)の大層立派で大きな仏壇を購入して、リビングに置くことになりました。 母としては、せっかくリフォームして家が綺麗になったのに、場の雰囲気にそぐわない上、やたら場所をとる大きな仏壇に、しょっちゅう愚痴をこぼしてましたよ<気持ちはわかる。 でも数年後、2階にあった祖母の部屋を1階に移した時、仏壇も祖母の部屋に移したら、パッタリと愚痴もなくなりました。 目に付くから気になるんですよね。  その仏壇は父が幼少時に亡くなってた父の父(つまり私の祖父)のためのものだったんですけど、私は会ったことも思い出もない人なので、どちらかというとオザナリに対処してました。  が、数年前、20年以上同居した祖母が亡くなってから、認識が変わりました。 今でもお墓や仏壇、葬式に金かけるなんてバカバカしいという思いはありますが、亡くなった当人がそういうのを尊重する以上、こちらが無視するわけにもいかないのです。 心の中で思ってるから通じてるはず、と思いつつも、祖母が仏壇をやけに大事にしてたから、仏壇を無視すると祖母を無視してる気持ちになって、時々お茶入れたり、線香あげたりするようになりました。 祖母が死んだ時わかったんですよね。 「ああ、おばあちゃん、こんなに立派な仏壇を買ったのは、自分がこん中に入りたかったんだ。この仏壇で拝んでほしかったからなんだ」って。<もちろん、祖父に対する思いもあったと思うが。  祖母が家の中で線香をあげると、「線香の煙が臭い」って文句言ってた自分を今とっても後悔してます。 <線香の臭いが嫌いだったんです。  でも、今、仏壇から線香のカオリが漂うと祖母の存在を大事にしてる気持ちが感じられるようで、清清しい気持ちになります。  と、こんなえらそうなこと書いてますが、根が面倒臭がりなんで、仏壇の世話は我が家では思いついた時にする程度なんです(^_^;) <母が主立ってしてます。2、3週間毎位に花を変えたり、お茶いれたり。 私は、「こんな暑い日はおばあちゃんも喉がかわくだろうな~」なんて思ったりすると、お茶供えたりしてます。  我が家の場合、仏壇も墓参りも、信仰心からというより、昔からの伝統と慣習に従ってるだけ、という気がします。田舎出身なんで。 教義だって、あんま知りませんもの(^_^;)。 思いついたからってなかなか毎日仏壇の世話をできるもんじゃないんですよね(^_^;) お義父さんは、よっぽどお義母さんを愛されていたのでしょう。えらいです。  日本の仏教は、なんかもう宗教というより、金儲け主義がだいぶはいっちゃってると思います。(オソルオソル・・・) そこが、つけこまれてるようで悔しくて改革を求めたいところなんですが、まぁしょぅがないってかんじですかね。 余談ですが、私、江原啓之さんの番組が好きでよく見てるんです。 あれ見たら、「会ったこともない人だからって手を合わせるだけじゃだめだな。 ちゃんと、ご先祖様を敬わないと」と思い、祖父にも心の中で話し掛けるようになりました。仏壇の前でね。<ただのミーハ―ですね(^_^;)  あ、知ってる人(祖母)は日常生活でもしょっちゅう思い出すから、仏壇が無くても気にかけることが常にできますが、思い出がない人(祖父)は、仏壇の前に座って気持ちを改めないと、日常の延長として気持ちがいかない、ということにも気づきました。 しょうもない個人的な話ばかりですいません。(^_^;)

mamachan55
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 もしよろしければ、補足も読んでいただけたらありがたいです。 私の立場は、どちらかと言うと、kurukuruさんのお母様寄りですので、お仏壇に対する愚痴が、人事ではない気持ちでした(^.^) 宗教や仏壇のイメージが、どうしてもカルト的な信仰心で「○○を信じれば救われる」「○○しなければ幸せになれない」「○○してはならない罰が当たる」など…。人の弱みや、神経質な部分に付け込んで、団体的な活動に用いたり、強いては金儲けに使われていたりと…悪いイメージをあげたらキリがないのですが、 kurukuruさんのように、柔軟な考えで仏壇に接せられている方がいるということが分かり、私も、柔軟に受け入れそうな気分になりました。 <「ああ、おばあちゃん~拝んでほしかったからなんだ」> そうなんです。 補足にもありますように、私に対して、舅が、仏壇に感謝して欲しいという気持ちだと知ったとき、重たく感じたのは、気持ちの重荷を押し付けられたように感じたからなんです。 でも舅は、意地っ張りの寂しがり屋なので、素直な表現ができないんだなぁと思い、今は少しづつ仏壇の事も一生懸命拝む舅も、可愛らしく思えてきました。舅にとって、お仏壇は死(孤独)への不安が緩和される物だし、先立たれたお義母さんに会って、一緒になれる物という思いが強いので、私も、きっと、舅が亡くなったら、お仏壇の中で、二人一緒になれるきがします。そう思えば、素敵なロマンがありますね。 何が一番良くて、何が絶対ダメとかではなく、亡くなった人や、現在生きている舅や主人を思う気持ちで、自然に、お仏壇を受け入れてあげたい思うようになり、今日は、香りの良いお線香を買ってきて、そのお線香をあげていいかどうか舅に聞くと、舅も嬉しそうだったので、私も、嬉しくなりました。 今はまだ、どちらかと言うと、舅や主人のためといった気分ですが、良い匂いのお線香でアロマテラピー?な感じで、楽しくなりそうです。 私自身は、死んでしまったら、やっぱり実家の両親のように、供養というのには全くこだわりを持っていませんが、主人より先に私が死んでしまったら、やっぱりお仏壇に入れられてしまいますね(笑)う~ん。舅のようなロマンな気分になれないなぁ。 kurukuruさんのご回答で、優しい気持ちになれました。本当にありがとうございました

noname#40123
noname#40123
回答No.10

仏壇ですが、僕は持っています。でも、立派なものではなくて、小さいタイプのものです。 父親が亡くなった時に、購入したものです。 もともと、父親は「僧籍」を持っていて、その関係で仏壇を持つことになりましたけれど、 あまり、華美な仏壇は困りますね。 僕の家には、仏間もありますので、ある程度大きい仏壇を入れることは可能ですが お金がないので、こじんまりとした仏壇で間に合っています。 毎朝、ごはんとお茶は必ず上げていますよ。それで簡単に拝んでいます。 別に朝から、お経を読むと言うことではなく、神棚を拝んで、その下に仏壇を入れているのでそれを拝むと言うことです。 別に高価な仏壇を買ったとしても、残る家族が粗末にするのであれば、悲しいでしょう。 いろいろな宗派の葬式に行きますけれど、同じ仏教でもお経が違ったり様々です。 それについては、後ろの方に座って様子を見ると言うことです。 あと、某宗教団体の勧誘には、正直言って頭に来てます。 いくら、その勧誘している人が良くても、 他の人に対して押しつけるような行動を採るというのは、宗教ではなくて 単なる「カルト集団」です。 その集団に関係する政党が数を減らしてくれると、こちらとしては、すっきりとするのですが。 宗教とは、「来る人を拒まず、去る人を追わず」というのでなければいけないのです。 あのカルト集団は、その本質を全然わかっていないと言うことです。 あの集団に関しては、邪教としか見られないですね。

mamachan55
質問者

お礼

ご回答いただき、本当にありがとうございます。 御礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。 もしよければ、補足を読んでいただけたらありがたいのですが、宗教や仏壇というのを身近に感じることなく育ってきましたので、仏壇を拝むのも、某宗教団体も、一緒の様に感じてしまうほどでした。 皆様のご回答を読んでいくうちに、様々な見方、とらえ方があり、本当に勉強になりました。 今は、少しずつですが、仏壇を、優しい気持ちで受け入れられるようになってきました。 本当に、邪教としか思えないカルト集団が、結構あって、本質からズレた宗教の勧誘があったりするので、私の様に、仏壇を見ただけで、怪しいと思ったり、寄り付きにくいと感じる人が増えるんです。 本質を知りたい、私なりに納得して、舅を(仏壇を)受け入れたいと言う気持ちから、この質問をさせて頂いたのかも知れません。 宗教で戦争がおきるくらいなので、無宗教でいたいと考える私も存在しますが、柔軟に優しい気持ちで受け入れていきたいと思えるようになりました。 ご回答、本当にありがとうございました

回答No.9

♯2です。 すみません。誤解してしまったようです。 お義父さまを、お二人の家に呼ばれたのですね。 そうだとすると、頭では分かっていても、どうも納得できないお気持ち 分かるような気がします。 >私は、主人のお母さんを思う気持ちはもちろんあります。ただ、仏壇を守っていくとか、その物質的な箱にたいしては、少々重たい気持ちが消えなくて・・・素直に感謝という気分にはなれないのが苦しいです。 そう感じるのはもっともだと思います。 仏壇の問題というより、お義父さまとの価値観の違いとその自分の価値観を押し付けようとすることに不満(違和感)を感じているのですね? 心中お察しいたします。 仏壇問題について私が思うこと 仏壇の効用(いい部分)は♯8で書いた通りです。 いまここで、mamachan55さんがすべきことは、今後も起こるであろうお義父さまとの仏壇に対する価値観の衝突を通じて、お義父さまが亡くなったあと仏壇をどうするかについてご主人とよく話し合っていくことではないでしょうか? 勘違いした上にまとまらないアドバイスで申し訳ありません。

mamachan55
質問者

お礼

いいえ!とんでもないです。私も上手にお伝えする文章がかけなくて、申し訳ありませんでした。 ご親切に、私たち家族間の事もご心配くださってのご解答に、本当にありがたく思いますし、今#8も読ませていただきましたが、全くもって、その通りです。 仏壇も、家のデザインの一部と思って、生活に組み込むというのは、現状の私に、もっとも必要なことですし、仰られている通り、家の一部と思えば、モダンな感じもしてきました。 生活習慣として、強制ではなく、自然に子供も私も受け入れていけるように、肩の力を抜いて柔軟になるのも大事ですね。 我が家に仏壇が来たことで、いままでアットホームな良い雰囲気作りをしてきただけに、同居⇒仏壇のためのリフォーム⇒仏壇のある生活と、変わってしまったことが、妙に私の気持ち的な部分で受け入れることができず、表面上で円滑にしようと思う葛藤になっておりました。 舅の気持ちの治まるように、今は付き合って生きたいと思いますが、主人とは、上手な表現をしていただきました食事の味付けや好みの違いを徐々になくしていくように、話し合い、長い年月をかけて、解決できたらと思います。 「~しなければ罰が当たる」とか、「~すべきである」という表現は私は好きになれないのですが、それ以外は、柔軟に対応できる範囲ですので、子供たちにも自然な方向で柔軟な考えを持てるように、微妙なラインを笑顔で保ちたいと思います。 私も、柔軟な考えになり、大人にならないといけない時がきたのかもしれません。 本当に、様々な観点でのご解答で、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。 また、お気づきの事など、是非ご遠慮なくご解答いただけたらありがたいです。 今は、色々なご意見などを、直に受け止めて聞きたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。

回答No.8

♯2です。 補足を拝見し、私なりに感じたことを書かせてもらいます。 あなたのご両親は理性的で合理的な現代社会にマッチした宗教観をお持ちなのだ思います。 亡くなった方を思う気持ちがあれば供養の仕方はどのようなものであっても 尊いものです。 お義父様はともかく、ご主人との考え方の違いに悩んでらっしゃるのだと思いますが 食習慣でよく問題となる結婚後の味付けの仕方の違いを解決していくように お互いが歩み寄ってお二人の供養の仕方を作っていくしかないでしょう。 仏壇に関しては、(同居されてご主人のご実家に入られたと解釈してますが) 仏壇も家の一部と考えられてはいかがでしょうか? ご実家の家のつくり間取り門構えなどに(不満はあっても)自分の思うようにしたいとまでは思われないでしょう。 りっぱな仏壇も家を構成する一要素として諦められませんか? 仏壇がある家というのはモダンではありませんが、教育的にもそれほど悪いものではないと思います。 宗教儀礼というのはとても形式的でつまらないものと言う見方もありますが 子供にとっては、亡き人を供養する気持ちを分かりやすく伝えてくれるものでもあります。 お義父さまが、妄信的な信者で、子供たちに必要以上の儀礼を強要するならば問題ですが 朝夕におばあちゃんを拝み、仏壇を含めた家を掃除することを教えたりすることは 悪いことではないと思います。 仏壇を厄介者扱いせず、それを利用した生活設計をされていってはいかがですか? お義父さまが亡くなられたら、仏壇は小さいものにするなり、必要なければ捨ててしまえばいいでしょう。 そのときまでに、あなたとご主人の間で供養に対する考え方が近づいていることを祈ってます。

  • cherrymoon
  • ベストアンサー率23% (739/3104)
回答No.7

20代独身、両親・妹と4人暮らしです。 敬虔な仏教徒ではないですが、仏壇は必要だと思っています。 とはいえ、本家に仏壇があるので当家には置いていませんが。 今まで育ててくれた両親が他界したとき、供養をしていくのは子供である自分たちの務めでもありますし、今まで自分たちの生活があるのも先祖のおかげだと思っているからです。 私たちには跡取りとなる男の兄弟が居ないので、両親は永代供養を頼むから必要ないと言いますが、妹が最後に出来る親孝行になるだろうからと、とりあえず妹は小さいながらも仏壇を購入することを決めているそうです。 今でも本家に行けば必ず2回(到着したときと帰宅する前)は手を合わせますし、盆・彼岸のときはお坊様をお招きしてお経を上げていただいてます。 勿論、仏様にあげる精進料理も母や伯母たちが用意しています。 本家を守る伯父が祖母を倣って仏様に毎朝炊き立てのご飯をあげているのを知っているので、私たちも仏壇を構えたときはあげます。 仏壇を置くのは宗教ではないと思います。 自分たちが生活していかれることを先祖に感謝し、その気持ちを表すものだと考えています。 非情な仕打ちを受けた人は恨み以外はないと思うので先祖に感謝しろなんて言いません。 でも、育ててくれた親、そのご先祖に感謝の気持ちがあるなら、仏壇を通して感謝の気持ちを伝え、これからも守っていってもらうことを願う対象物として見ていただきたいです。 お墓に行けば先祖供養は出来ますが、地理的な条件で無理な方こそ…と思います。 そういうところから感謝の心ってあると思うので。

mamachan55
質問者

お礼

ご回答いただき、本当にありがとうございます。 お礼が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。 もしよろしければ、補足も読んでいただければありがたいのですが、私自身が仏壇のある生活をしたことが無く、市営住宅やマンションで育ったため、核家族が多くて、仏壇が有るお家もあったのかもしれないですが、仏壇が存在感のあるお家が少なくて、地域や親戚に根付いた宗教ではなかったため、今ひとつなじめない感覚がありました。 皆様のご回答を読ませていただくうちに、いろいろな考えがあり、様々なとらえ方があることが分かり、本当に良い勉強になったと感じております。 ご回答いただき、本当にありがとうございました

  • huyumi
  • ベストアンサー率14% (108/746)
回答No.6

こんにちは。 かなり興味深いご質問ですね。 私の考えとしては、ですが 仏壇は家に必要か、については信仰に対しての重さにもよるのではないかと。 つまり、舅さまにとっては必要不可欠であり、ご質問者様には必要性を 深く感じない訳です。 ちなみに私は仏壇を所有しています。 信仰する上での「対象物」は必要だからです。 そしてほぼ毎朝お水は取り替えます。掃除もします。 炊きたてのご飯はお皿に盛ってお供えします。 そんな私ですが、自分が死んだら子孫には何もしてもらおうとは思いません。 戒名も位牌もお墓も要らないと。 その代わり、信仰は続けなさいと遺言するでしょう。 信仰の心理。そうですねぇ・・ 私は時折もしかして信仰を持たない人間(または薄い人)は信仰を持つ人間より 幸せなのではないかと考える時があります。 しかし、それは心の持ちようだそうです。 いかに生きるか、という点において信仰を持つ人間には真理に到達するのが 速いと感じています。 つまり、悩みは信仰の有無に限らずある事ですが、自身がまず何をすればよいのかが判りやすい。 ちなみに。私の持論は「完全なる無宗教の人間は皆無である」です。

mamachan55
質問者

お礼

ご回答本当にありがとうございます。 そうですね、必要性という点でも、必要としてこなかったことが当たり前になっていましたので、必要不可欠な雰囲気、仏壇が組み込まれた生活というのは、なんだか生活スタイルの方向性が変わってしまったように、感じてしまったのかもしれません。 宗教にかかわらず、哲学的なことでも、いかに生きるか、これは永遠のテーマですよね。 ご回答本当にありがとうございました。

回答No.4

●お家に、お仏壇は、必要ですか? →不要です。 ●自分が死んだら、ご遺族にどう接して欲しいですか? →何もしなくて良いです。仏教を信仰していないので仏壇に入りたいとは思いません。葬式も仏教式でなくて良いし、戒名も要らないと思っています。理想は、葬式も何もしないで火葬にして散骨。時代と費用によっては海よりも宇宙に散骨して欲しいです。 ●お仏壇は必要としない →上記のように、仏教を信仰していないからです。ちなみに私は無神・無宗教・無党派です。 ●また、宗教に対する信仰の心理やご意見 →信仰はしないですが、「宗教を背景とした社会習慣や生活習慣」にはとても興味があります。 例えばキリスト教のある国では進化論を教えないとかありますが、どうしてそこまで宗教を絶対のものとしてそれに従った教育をするのか疑問です。 また最も興味があるのはムスリムの生活ですが、地域によって違いがあるのが興味深いです。酒は飲むけど豚肉は絶対食べない、豚肉の入った鍋をつついた箸が入るのもダメ、という辺り、徹底しているなぁと感心したことがあります。

mamachan55
質問者

お礼

率直なご意見、本当にありがとうございます。 宇宙に散布素敵ですね!ロマンがありますね。 生きているあいだに宇宙旅行は実現しなくても、死んだら宇宙に散布してもらえるんだと思ったら、解き放たれた自由な気分になれそうで、いいですね! 宇宙で散布されたときの真っ白はお骨は、キラキラととても綺麗かもしれません。それに、周り巡って、生命体へと生まれ変わっていくかもしれないですね。 宇宙船でご遺族と一緒に行くことはできなくても、小さなロケット花火みたいな感じで、お骨だけつんで、宇宙で散布してくれるような小型ロケットが開発されるかもしれませんね。そして、散布の様子を小型カメラで中継してくれたり、神秘的だし未来的ですね。 「宗教を背景とした社会習慣や生活習慣」は、興味深いです。たまに、宗教は、(政治家)や(やくざ)と一緒といわれる方がいますが、確かに、密な関係があったりなど、興味深い論点です。 何らかの「~でなければならない」「~しなければならない」など神経質なしきたりを用いて団体心理を構築しているような風にも思われます。 ご解答をいただき、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました

noname#251407
noname#251407
回答No.3

信仰について  「神は我が心にあり」「鰯の頭も信心から」です 仏壇・お墓について  祖先(故人)を供養するために必要と云われています  しかし、故人の供養とは残された人の安心感・満足感であると思います  必要と考えれば設ければ良く、不要だと考えれば無くても良いと考えます 最近は少子化や核家族、遠距離居住(外国も)で墓守ができず無縁墓が増加しております  その為、永代供養の納骨堂や散骨が注目されています 当家には墓(両親の)も仏壇もあり、年3回(春秋の彼岸とお盆)僧侶が来てお経を上げています  墓参りはお盆及び法要時(お寺で行います)のみです  仏壇にはお鉢とお茶(ご飯を炊いた時のみ)をお供えし灯明とお線香です(家内が)  小生は墓や仏壇は無くても良いと考えますが、周りの者がそれで安心・満足であれば、それで良いと思います 当家は内孫が女の子一人なので早晩無縁墓になります  

mamachan55
質問者

お礼

信仰についてなどにもご意見のご解答を下さり、本当ありがとうございます。 「神は我が心にあり」というお言葉、同感いたします。 私も、仏壇お墓について、残された人の安心感・満足感であると思いますし、強いては、本当に失礼なことかもしれませんが、仏壇という物質的なこだわりとしきたりを代々に伝えたいと思う気持ちは、生への執着心であったり、自分が死んでも、誰かと通じていたい不安感や、弱さのように感じてしまいます。 物質的な象徴やしきたりなどが無くても、亡き人のことを思う気持ちや、沢山のいい思い出があれば、そばで見守ってくれている様に感じ、いつまでも永遠のように感じることと思います。 仰られている通り、仏壇があった方が気持ちが落ち着いたり、安心できるなら、それはそれで私もよいと思います。 どちらにしても、生きている内に、子供たちや、大切な人にとって、いい思い出として残るような生き方をしていきたいと思います。 率直なご意見やお考えを教えていただき、心より感謝いたします。ありがとうございました

回答No.2

>お家に、お仏壇は、必要ですか? 家に仏壇が必要かどうかと言えば「必要」ではないとおもいます。 ただ信仰は個人の自由なので個人として仏壇を必要としている人はいると思います。 夫婦を中心とした核家族の家庭では仏様(供養すべき故人)を持たない家庭は多いと思います。 その場合は必然的に仏壇はその家に存在しないでしょう。 逆に、親と同居した場合、仏壇があるケースは多いと思います。 核家族に育ち、仏壇に接する機会の少ないいまの若い人は、仏壇の存在意義を理解できないというのはしょうがないことだと思います。 しかし考えてみてください、この先子供たちが成長し、巣立っていき、あなた方ご夫婦が老後を向かえ、あなたの愛するご主人が先になくなったとき あなたはご主人の位牌をどうしますか? 「引き出しにでも入れておく」とおっしゃるのであれば、あなたにとって仏壇は永遠に必要ないものであるのでしょう。 でもやはり、ご主人の冥福を祈り、ご主人の思い出を偲びたいと考えると、大きさや形はともかく、位牌を仏壇に入れて、毎日ご主人に話しかけるのではないでしょうか? ご主人のお父様と同居なさっているということは、お義母さまは先立たれたのでしょうか? そうだとすると、仏壇にはご先祖様はともかく、あなたのご主人のお母様のご位牌が祭られていることと思います。 信仰の自由があるのだから、あなたが仏壇を必要と感じるかどうかはあなたの自由だと思います。 ただ、お義父さまやご主人が仏壇を大切にしているのならば、その気持ちを尊重しあなたご自身もお二人に倣ってみてはいかがでしょうか? 最後に、推測からの回答であり、失礼な想定をしてしまったことお詫びいたします。

mamachan55
質問者

お礼

ご丁寧なご解答を下さり、感謝いたします。 Alitalia55さんの仰られていること、本当に、様々な立場からの観点でのご解答で、頭の下がる思いです。 もしよろしければ、補足も読んでいただけたらありがたいです。 『お義父さまやご主人が仏壇を大切にしているのならば、その気持ちを尊重しあなたご自身もお二人に倣ってみてはいかがでしょうか?』本当に、全くその通りで、そうしたいと思う気持ち、同居前からも、仏壇などにかかわることでは、快く参加し、お手伝いして参りましたが、同居になって、毎日のかかわり方と、補足のように、なじめないという気持ちと、物質的に重たいという気分があり、複雑な心境でした。 率直なご意見をいただき、心より感謝いたします。 ありがとうございました。 

mamachan55
質問者

補足

<<詳細>> 私は、仏壇のない家に育ちました。 私の両親は、親兄弟(私からいうと祖父母や叔父叔母)が亡くなった時には、葬儀やその後の事も、できるだけシンプルに簡易的な形で全てを済ませてきたように思います。 だからといって、亡き人を思う気持ちが無いわけではなく、時々、亡くなった親や兄弟の事を思い出し、様々な思い出話を私に聞かせてくれました。 それは、とても自然な雰囲気で、私も思い出話を聞くのが好きでした。 私の両親はまだ健在ですが、自分たちが亡くなってもその様に簡易的で十分だし、もちろんお仏壇も要らない。 時々楽しかったことなどを思い出して、私の子供たちに話してくれたら嬉しいというのが本人達の希望です。 一方で、私の主人は「お仏壇は家の宝」という考えで育っております。特に舅は毎朝手を合わせて、~して、と、仏壇が生活に組み込まれております。それを、私は否定する気持ちは全くありませんが、なじめないと言うのが正直な気持ちです。 主人のお母様が他界された時に、お父様(現在同居の舅)は、高額なお仏壇を購入しました。その後、主人と私が結婚し、舅とは別で暮らしておりました。 今回、同居に際して、お仏壇を置くために、リフォームしたり、お仏壇を移動するために思わぬ時間がかかったりと、そして、そのために私は子供を連れて外に行かないと行けない状況になり、正直に言って、お仏壇とはこんなに大変な物なのか。というのが私の感想です。 2階建ての一軒家に住んでおりますが、一階は、リビングと8畳の和室がつながっていて、同居前は、一階で広々と子供のお友達を呼んで遊んだりもできたのですが、同居になり、一階の和室を舅の部屋にしましたので、お仏壇も来て、なんだか立派なお仏壇の仰々しい雰囲気が漂って、今までのアットホームな家の雰囲気が一転したような感じで、私や子供たちのお友達も呼びにくい雰囲気になりました。 舅は、こんな立派なお仏壇が行く行くはお前たちの物になるんだし、リフォームなどの費用は自分が払ったのだから、感謝して欲しいという気持ちのようです。 私は、主人のお母さんを思う気持ちはもちろんあります。ただ、仏壇を守っていくとか、その物質的な箱にたいしては、少々重たい気持ちが消えなくて・・・素直に感謝という気分にはなれないのが苦しいです。 皆さんのご意見をどうか聞かせてください。

関連するQ&A

  • 何故宗教は信仰されるのでしょうか

    今現在、世界には様々な宗教があります。ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教、仏教、オウム真理教など種類も信仰の対象も様々です。 しかし、私には何故宗教が信仰されるのか今ひとつ理解できません。 世界史的に見ればほとんどの宗教は神権政治や民衆反乱によってできた、つまり人が人を動かすために都合のよいからという理由で生まれてきているということです。そして宗教は基本的に神と呼ばれるものを信仰しますが、今日に至る過程の間に宗教同士が混ざり、神が混ざり、新たな神、信仰が作り出されるといったことが少なからずありました。現在においても同じ宗教でも考え方に相違がある、等ということがあります。 人類はここまで宗教のルーツについて客観的な調査ができています。それなのに何故、人類は人類自らが人民誘導のために作り出した宗教を何の疑いもなく信仰できるのでしょうか? 現在キリスト教には20億人の信者がいると言われています。そしてその起源はユダヤ教にあるとされています。そのユダヤ教もバビロン捕囚によって精神的に追い詰められたイスラエル民族がまとまりを取り戻し再び歩み出す際に生まれた宗教です。実際に誰も神の世界を見たわけではないですし、世界を想像した主が信じるものしか救わない、それも必ず救われるわけでもない。(信じて救われるのなら人は死にません。)そんな確かな存在証明もされていない神を本当に20億人もの人が信じているのでしょうか?(例えば、まだ宗教のルーツが完全に把握できておらず、なおかつ神がいたという古代人による表記が多数見つかっている、とかならまだ神はいないという意見に確証性が足りないので理解できないでもないですが・・・) 私は無宗教ですので宗教を信じる人の気持ちを理解しているわけではありません。しかしこうも条件がそろうと神を信じている人の言うことよりも神が人為的に作られた架空のものであるという考えのほうが辻褄があうのでは、と思います。 宗教の自由についてとやかく言うつもりはありませんが、一体何人の宗教信者が史実を理解し、それでも神はいるという確証性のある持論を持ち信仰をしているのか疑問に思います。 どなたか詳しい方ご教授をお願いします。 また、私は世界史についての学があるわけではないですし、宗教についても見当外れな知識や、差別的な見方を持っている可能性があります。この文を読んで不快感を覚えた方には深くお詫び申し上げます。

  • 宗教者の方の、信仰とは

    宗教熱心な友人と話をしていて、不思議に思ったことがあります。 私はわりと無宗教で、クリスマスにもお正月にも特に興味がない方です。 お寺を廻ったりするのは好きですが、庭が綺麗で空気が澄んでいるからとかそういう理由です。 食物は、もとは生きていたものなので、残さないように、感謝して頂く...くらいでしょうか。 生きていることに関しては、色々あって自殺未遂もしましたが(プロテスタント系の学校で暗いお説教ばかり毎日聞いていて気分がうつうつしたり、いじめにあっても全員クリスチャンの先生なのに全然助けてくれなかったりして鬱病を発症したので、宗教嫌いな面もあるのかも・・・)、 今は寿命まで生きたいと思いますし、きっと何かのご縁があって今生きているのだろうと思っています。 悩んでたくさんの本を読みましたが、もしその本の内容を「ぜんぜん面白くない」と言われても、「ああそうかー、この人には合わないんだな」くらいにしか思わないと思います。 なので 「自分の信仰している宗教を侮辱されると自分が侮辱されているようにつらい」 とか 「信仰しているものがないのによく生きていられるなあと思う」 という友人の気持ちが不思議でなりません。 もしその宗教団体が空中分解したらどうなってしまうんだろう・・・と思ったり。まあ大きな団体なので絶対ないとは思いますが。 私は出来ればたくさんの意見を取り入れて自分を作っていきたいのですが、 彼女は既にひとつの教えに沿って生きているので、どうしても齟齬が生まれてしまいます。 でも仲のいい友人だからこれからも付き合っていきたいですし、 純粋に、 信仰とは自分である 信仰とは生きる理由である という考え方のもとが知りたいです(さすがにそこまで突っ込んで聞けないので・・・)。 レスはゆっくりになるかもしれませんが必ずさせていただきますので、 どの宗教でも構いませんので、信仰されている方の心の内をお教えいただけたら嬉しいです。

  • 彼女と信仰している宗教が違う

    付き合って1ヶ月未満の彼女が居ます。 彼女と私の宗教が違います。 私の宗教はキリストに近い、 あの証人 です。(これだけで同じ信仰の方にはわかると思います) 母親と私の兄弟が進行しているようです。 厳密に言うと、私自身は宗教に興味が無く、聞く耳も無しなのですが、唯一認めていると言えば家族が信仰している宗教です。 (私は信仰はしていません) 彼女の宗教はキリスト教です。 彼女も家族ぐるみで信仰していて、彼女の宗教の人たちは私の宗教を極端に批判し、キリスト教に導こうとするらしいです。 彼氏の家族が信仰者だとはバレては居ませんが、バレると彼女の家族には絶対に反対されますよね。 私の母には彼女ではなく、友人と言ってあるのですが「宗教の話はするな」「家には行くな」と言われました。 はやり宗教においては彼女は彼女、自分は自分と わりきった付き合いをしていくのが良いのでしょうか。 たしかに私は宗教は信仰してません。 お互い割り切る付き合いがベストだとしても、彼女が宗教に洗脳されているようで、救ってあげたくて仕方がありません・・。 彼女と話ていて、たまに宗教的思考回路だと感じるので、その辺が割り切れません。 別れた方が良いのか…と頭の中でもほんの少し考えています。。 何か良いアドバイスをください。よろしくお願い致します。

  • 宗教(特に信仰宗教)と聞くとどんなイメージをもたれますか?。

    私はとくに特定の宗教を信仰している者ではありません。 巷では、色々な宗教が氾乱しています。そこで特定の宗教を信仰している方 や無宗教の方からの「宗教(信仰宗教)」に対するイメージとか、 印象とかをお聞きしたいです。宗教と言っても様々な思想がありますから お聞きする方の立場や価値観でご意見は様々だと思います。 難しい質問だとは思いますが、よろしくお願い致しますm(__)m。

  • 宗教と信仰

    こんにちは。 宗教は、何かに頼らないと生きていけない人がするものでしょうか? 自分を信じる強い人は、宗教はいらないと思いますか? 私としては、信仰というよりも慣習として重んじているという感じで、 その文化を受けいれたいと思います。 もちろん、社会に災いをもたらすようなのはイヤですが。 ご意見を伺いたく思います。

  • 信仰宗教について

    主人の実家はある宗教を信仰しています。 結婚時にお寺での仏前式をし、専門用語はわかりませんが、その宗教に属する儀式をするのが彼の実家でのお決まり事です。 が、妊娠が先だったので式もせず、なあなあになっています。 義父から何度となく主人に説得のメールが届いているようですが、主人も無視を決め込んでいます。 主人は子供のころから熱心な両親に教えられ信仰していますが、現在は特に何も行動はしていません。 主人の考えは「人に強要するのは宗教ではない」という考えのため、私にも特に何も言いません。 このような事は、どんなに話し合いをしても平行線だと私は思います。そしてまったく興味がないのが事実です。宗教を信仰している人を否定をするつもりもありません。 一生お付き合いをしていかなければいけない家族なので、なんとか理解してもらって今までどおり仲良くしていたいのですが、、、やはり理解は無理なのでしょうか?

  • 宗教 信仰の自由 家族の違い

    タイトルどおりの質問です。 沢山の方に意見を聞いてみたいと思っています。 宗教を持っている方、持っていない方、国内海外問わず宜しくお願いします。 質問:自分の子供が宗教信仰しようとする場合、反対しますか? 自分の親が宗教を信仰しようとする場合も同様の質問です。 配偶者の場合はどうしますか? 多数の方の考えをお聞かせください。 (大雑把に宗教信仰といっても考えにくいと思うので、下記の場合でお答え願ます。) ●犯罪絡みはなく、世界三大宗教(キリスト教・仏教・イスラム教)であること。(どちらでも構いません。回答者様の考えやすい方や経験談に合わせてお答えいただきたいです。) ●今までの習慣、行事、葬儀など生活が多少なりとも変わるということ。 その場合、配偶者なら統一するかどうか。 自分の子供なら、反対して親のやり方や考え、習慣を押し付けるかどうか。 自分の親なら、反対して今まで通りを強要するか、又は親と一緒に信仰するかどうか。 などで沢山の方の意見や考えをお聞かせください。 経験談の方は宜しければ、具体的な経験談お聞きできたら有り難いです。 宜しくお願いします。

  •  信仰する宗教をどこにしようか迷ってます。選択のヒントを学びたく質問し

     信仰する宗教をどこにしようか迷ってます。選択のヒントを学びたく質問します。 現在、起業するという目的に向かって毎日を生きています。その過程で様々な本を読み漁ってきたのですが、その中で一番私の心に「ストン」と落ちてきた本を座右の書として、日々、起業に向かって一つ一つ毎日のやるべき事に取り組んでおります。いわゆる人生指南書、といいますか、成功哲学に分類される本です。  今までの私は宗教には無関心で、自分が何を信仰しているのか、考えた事もありません。20代の頃は上段半分で「俺は俺という宗教の教祖だ!」などと訳の分からないことを口走ったこともありました・・・ ま、それはおいておきまして、このたびの「迷い」に至ったきっかけは、(1)ある宗教を信仰している友人と「信仰」に関して深く話をした(彼の話は客観的に聞きました。彼の考えに対しては、あるがまま、素直に耳を傾けました。)それをきっかけに、(2)今自分が座右の書としている著者の信仰していた宗教はなんだろう?その著者のルーツ(宗教にあると仮定しております)である宗教に触れることで更に学ぶ所があるのではないか?・・・とそんな感じです。 調べた結果、著者はカトリックだったらしいです。 最終的には何にしても決めるのは自分。結果の原因も自分。 信仰に完全に依存するつもりは毛頭ありません。 人生の目標を達成するための手段として、いままで明確ではなかった自分の信仰心をはっきりさせて見ようかな、と思ったのです。 そもそもこんな目論見で選ぶなんてどうなんだろう?なんてことも考えたりしますが、 皆さんのご意見をお聞かせください。

  • 宗教?

    ふと思い出したことがあり質問させていただきたいのですが、 15、6年前に母が毎朝手をあわせて、(数珠みたいなものを持っていたかも?)なにか唱えていた記憶があります。 仏壇は家にはありませんし、熱心に仏教を信仰しているわけでもないと思います。 これはなにかの宗教?だったのか、21歳になった今でもわからず気になっています。 母にはなんだか聞きにくいです(T_T) これだけしか覚えていないのですが、もしなにかわかる方教えていただけたら助かります!

  • 恋人の信仰宗教を知る方法は?

    恋人と結婚を考えるようにはなりました。 ただ結婚したら後戻りできないので(後戻り出来るといえばできますけど‥離婚とか) 最低限知っておきたい事の中に借金と信仰宗教があります。 探偵とか雇う気は無いので、結局は相手を信じるしかないところもわかっていますが。借金なんかはそうですね。 じゃあ信仰宗教は? 神社やお寺に行った際に、ご実家の宗派は?という話題を持ち出してみましたが、分からないと言われました。 大抵質問された事は答えられるような人なので、そこで宗派を聞けたら私は安心出来ましたが分からないと言われたのでまだ分かりませんよね。 ご実家に伺って仏壇とか見れば宗派が分かりますか?お盆に伺ってお墓参りについていけば、地元のお寺かとか分かり宗派が判明しますよね。 例えば地元に法事の時に使うお寺が無ければ、怪しいとかありますか? 私は変な宗教には入りたくないです。 うちは仏教ですが信仰心は薄いです。でも宗派はちゃんとわかっています。 信仰宗教の見極め方って何か方法があるのでしょうか??