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神経質を治したい!

僕は昔から、かなりの神経質(心配性)なのですが、どうにか治らないものなのでしょうか? 性格だしそんな簡単に治らない、治す必要はないという方もおられるかも知れませんが、毎日が疲れます。 「もっと気を大きく、おおらかに」とよく言われますが具体的にどうしていいのかわかりません。 昔神経質だったけど、今は治った、改善出来たという方おられたらアドバイスお願いします。

みんなの回答

  • ebisu50
  • ベストアンサー率22% (100/444)
回答No.7

神経質(心配性)反対の言葉は? 鈍感(無神経)ではないですか? たとえば他人の気持ちを理解できないのは とりもなおさず鈍感な心の持ち主ではないですか? 子供が授からない友達夫婦の前で自分の家内が妊娠したことを喜ぶことができますか? Facesさんはできないでしょう。 それが正常なことで、他人を思いやる気持ちは神経質な 繊細な心の持ち主だからできることなのではないでしょうか。アメリカ社会が必ずしもいいとは限らないのですが、ビジネスの場で奥さん同伴でパーティーをやるシーンが良く映画に出てきますね。 やはり夫がいい仕事をするにはそれなりに神経の行き届いたいい妻がいなければならないと言うことで家族ぐるみ仕事の場でパーティーをやると言うのは理解するに易いことです。 やはり人間社会では繊細なむしろ神経質なくらい生きることや周りに気を配る人が他人に対しての印象がいい絶対条件ではないですか。その分疲れることは疲れますが、それは大人になっていくことで精神力がカバーしてくれるものだと思います。 眉間にシワを寄せた神経質ではなく、周りに気がきく神経質は大いに結構なことではないですか。

  • juzube
  • ベストアンサー率43% (149/341)
回答No.6

皆さんも大体同じことを仰ってるようなんですが、ご参考になれば。 私も、見ただけで誰からも「神経質そう」と言われたクチでした。 具体的には、自分の体・体調や人の目を異常に気にしすぎる、音や臭いに過敏、睡眠障害、感情が不安定すぎる、毎日イライラする、何か苦手系の予定が入るとそれまでずっと毎日気になる、固定観念にはまりやすい、結果、胃弱と肩こりは慢性病……といったところです。 しかし、ご質問者様と同じく「それは性格だ」という風に思っていたのですが、違っていたのは「治そう」といった風に考えなかったことです。 それは自分の「特性」であり、いい方向に育てていくべきだ、それなしに自分の特異性などありゃしない、なんていうふうに、自己肥大したような考えをもって、神経質な自分を受け入れてました。 子供の頃は極端な臆病、中学以降は自我と回りとの対立、遅れてきた反抗期、以降、文学などにのめって考えすぎ、苦しみすぎ、……みたいな風に、自分としてはもんどり打って過ごしてきました。実際、ちょいと神経症になったりもしてます。 がが、この5年ほどは、神経質、といったような性格ではなくなりました。ちょいと太りもしました。 と言って、何をしたというわけではないんです。いろいろ考え、いろいろ(自己流ヨガや呼吸法など)試し、無駄に神経質な面は頭から切り離そうと試み、仕事もちゃんとやり、といったことを積み重ねてきただけで、つまりは、よりいい方向になろうと「生きて」来ただけです。 なにかのきっかけで神経質なタチが治る、ということは、普遍化できることではないと思います。なにかのきっかけで、心の持ちようが変わり、その後、生き方が変わって性格が変わるのでしょう。それで言えば、私の場合、神経症体験と恋愛かなあ。 というふうに思っておりますので、まず「治す」という、病気みたいに考えることから離れられるのがいいと思います。性格は、治すものではなく、変えて行くもの、変わって行くものです。苦しくても生きにくても、それが不都合であっても、「治す」ものじゃないというのが、私の考えです。 与えられ育まれたその性格をもってして、人生を生き、そして時を経るにしたがって性格も変わっていく、というような。 苦しくても仕方ないです。その分、いろんなことを学び吸収できます。人の気付かないことに気付き、他人に気を回すことも普通よりうまくできるようになる可能性だってあります。神経質、ということの悪い面ばかり見ると、治したい、と思うのですが、いい面を見れば、それを武器に生きていこうと思いません? んでですね、歳食うと、神経過敏はだいたいの場合、弱まりますね。ちゃんと自分のことも回りのことも尊重して生きていけば、時が解決してくれる、というものなのでしょう。 ただし、苦しみが本当に病的なものになったら(自分や回りに明らかに害を及ぼすようになったら)、すぐ専門家に見てもらうことだけは、心掛けておきましょう。どうしたって神経質だと、そういう病気にはなりやすいですもんね。 まあ、そうした病気になったことも、いい経験だったなあと私は思っている訳ですが。 もっともっと、ご自分を尊重されればよいのでは??? というのが、つまるところ、私の結論です。神経質という性質は、美点、特異能力、利点でもあるんですから。

回答No.5

じゃあ聞くけど、逆におおざっぱな人間は神経質になれると思う? 神経質という言葉の持つイメージ、これはどうしても否定語になってる節があるんだな。 だって、繊細とかきめ細かいという言い方に変えたらどう?神経質それ自体が悪いものだという決め付け方。この捉え方を修正すること。そのことのほうが大事だ。 大らか、というのは肯定語だ。しかし、大雑把、アバウトと言い換えたらどうだ? 大らかという性質も、神経質という性質もそれぞれの持つ感性だ。 その神経質というあなたの持つ性質に、否定の色をつけたのは、ほかでもないあなたである。また、あなたを育てた親がつけたのかもしれない。あなたそのものを否定していることに気づかないで、あなたは自分の持つ性質を悪者にしたてあげたのだ。 まずあなたは、そのことに気づかなければならない。 そして、その神経質さは治らない。 いったいあなたは神経質だと嘆いてはいるが、具体的にどのようだ場面でその神経質を発揮しているのか。 その具体的事例をここであげていただかなければあなたの神経質は伝わらない。 あなたの神経質を責め呪ってみたければ好きなだけするがよい。

  • shinsen
  • ベストアンサー率28% (101/355)
回答No.4

こういうのは、治そう治そうと思えば思うほど、どんどん苦しくなっていきます。一番いいのは、治そうとしないこと。治そうとしないとも思わないこと。そういうことよりも、今何をすべきかを考えて、すべきものから手につけていく態度です。【参考URL】に書いてあるテストで、森田神経質のけがあったときは、夏休みなど、暇なときに入院療法をするのが一番効果があります。だいたい、療法を受けた人の1/3ぐらいに効果があるという研究もあります。

参考URL:
http://www.mental-health.org/
  • moubbit
  • ベストアンサー率21% (7/33)
回答No.3

海外旅行をすることをオススメします! 私の場合は… グアムへ行って、 「こんなに環境が違うところがあるのか!」と感動し、 中国へ行って、 「え!一つのお皿に何でも乗せて、こんな所で食べるの!?」 と驚き、 (日本との生活スタイルが違ったのが驚きでした) そんな日本との違いを経験すると、 考え方が変わりますよ。 考え方が変わると、神経質&心配性なのも変わるのではないでしょうか!? 私も以前、とても神経質で心配性でした。 (心配するとお腹が痛くなる位…苦笑^^;) 今では、のほほん~♪とした性格になったと自分では思っています。 以上、経験者からのアドバイスでした★

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.2

嘘のような話ですが、まず、姿勢から見直しましょう。   最重要ポイントは「胎(丹田)」です。 丹田(下丹田)とは、下腹部(へその下あたり)です。 ここが人生の鍵です!(本当です) やや前傾姿勢から腰位置を定めるように腰をグッと入れます(軽くですよ) 頭頂で天を突くよう背筋、首筋を伸ばします。 顎を引き頭を垂直に調整します。 http://www.happywhisper.com/special/200402/top.html こういう姿勢をとると、腹筋にも軽く力が入るかと思います。 決して出っ腹にはなりませんから安心してください。 で、下腹部(丹田)を落とすような感じで、グッと定めるんです。 ・・と、ちょっと説明がおぼつきませんが、まずはやってみてください。この胎を据えた姿勢で立っているだけでも良いんです(立禅) 座るときも丹田を股の間に落とすようなつもりで定めるんです。いわゆる「胎の据わった姿勢」です。 昔の日本人は、着物でしたから、帯で腰を定めてましたから、丹田もグッと座った状態だったようですが、洋装になってから、これが上手くいかないんだそうです。(ちなみに、日本人は西洋人と違って、骨盤の前傾する角度が浅いそうなので、帯で締めるほうが良いのだそうです) 例えば、精神的にひ弱そうな人で、胎の据わった姿勢の人っていませんよね? ズドン!と胎の据わった姿勢で「あ、ごめんなさい・・クシュン」となる人はいないんです。 心と姿勢というのは不ニなものですから、心を鍛えれば姿勢も正されますし、逆に姿勢を正せば心も整ってくるんです。(これは本当の話です) で、正しい姿勢で歩いていれば、歩く姿も綺麗になってきます。 骨盤がグッと定まれば、歩く時の膝の高さも自然と高くあがってきますし、そうすると必然的に、かかとからつま先まで使った正しい歩き方になってきます。 歩き方が正しくなれば、当然、健康効果もありますし、疲労度も減りますし、なにより気持ちが前向きになってきます。 つまり、丹田が決まれば、それだけで、自然とみんな良くなっていくんです。(これは本当の話です) あと考えるときも、胎を据えて考える(感じる)んです。 頭デッカチにのぼせ上がってはいけないんです。 そのための訓練になるのが丹田呼吸法です。 私のHNをクリックしてもらえれば簡単にご紹介してますし、こちらの瞑想法も絶対有効だと思いますので、実践してみてください(これは削除されるかも知れませんので、早めに保存してください) http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1032118 これも基本は丹田です。

  • nobuchi
  • ベストアンサー率54% (475/875)
回答No.1

なるほど、私も思春期の時期に、かたずいてないと気になってしょうがないような神経質な面や、いつもマイナス方向に想像してしまう心配性な面がありました。 実は・・、今はまったく正反対なのですけどね。 その理由を考えると、思い当たるものがいくつかあります。それを紹介しましょう。 もともと自然やアウトドアは好きだったので、『一人登山』を始めた事、これは大きいですね。 想像できると思いますが、多分それ以上に「神経質だ」「心配性だ」なんて吹っ飛びます。 むしろ、それらはプラスの面、「装備はいいだろうか?ルートは間違ってないか?」そんな注意深さに変わり、「これ以上は危険だ」という限界を知るのに心配性はプラスに働きます。 べつに深山に行く必要もありません、近所のハイキングから始めてみるといいですね。 もちろん1人じゃなく、友達と行ってもいいでしょう。 それから・・、『一人旅、いきあたりばったりツアー』 ある意味、逃避的な性格から始まった事ではありますが。当時は「青春18切符(普通線1日乗り放題)」を使ってぶらっと出かけたものです。 見知らぬ街、日が暮れて泊まる場所も無い、駅のベンチで夜を明かし・・。 金は無い目的も無い、けど。 時刻表を握りしめて、気の向くまままたどこかへ。 ま、それをしろとは言いませんが、自分の中の「孤独」「不安」「恐怖」そういった原初的な感情を知るのが重要であったと感じてます。 「心配性」「神経質」、そんなものものすごくちっぽけに思えて、否定するのではなく、逆に受け入れる事ができたと思います。 つまりは、男ならちょっとした非日常を体験する事で・・、意外な自分の姿に気が付く事があるのではないでしょうか。 それを機会に、自分を見つめ直せたらいいですね。