litsa1234 の回答履歴

全1118件中961~980件表示
  • The Economist経済記事の一節・foreign currency exposure

    手元に質問が溜まっていますので、決着のついていない質問が前にありますが、同時並行して質問させていただきます。 The Economistのアイスランドに関するやや古い記事からの質問です。「Cracks in the crust」と題する12月11日のもので、今回の金融危機によりアイスランドが陥った苦境についてやや詳しく取り扱っています。 中頃の段落を引用します。 With unemployment rising, citizens talk openly about defaulting on their home and car loans (those flashy Range Rovers are now known dryly as “Game Overs”). Principal payments on local currency mortgages are indexed to inflation, which is expected to be 20% this year. Because of this and their foreign currency exposure, many households’ debts have doubled in krona terms. Sirry Hjaltested, a preschool teacher who joins in the Saturday protests, says that her grocery bills have gone up by half in a few months. She blames the country’s reckless bankers for the ruin of the economy. “If I met a banker,” she says, “I’d kick his ass so hard, my shoes would be stuck inside.” 上記文章中 Because of this and their foreign currency exposure, many households’ debts have doubled in krona terms. とある中で、foreign currency exposure の意味の具体的な説明をお願い致します。 なお、質問箇所以外の部分の意味はざっと次のようなものと思います。 失業率が上昇する中、市民は自宅や自家用車のローンの延滞や支払い不能をおおっぴらに話題にするようになっている(あの高級車レンジ・ローバーは今や冷淡に「ゲーム・オーバー」と呼ばれている始末)。自国通貨建ての住宅ローンの元利金支払いは物価スライド方式であり、今年の物価上昇率は20パーセントと予測されている。これに加えて、foreign currency exposure のため、多くの家庭でクローナ建ての債務金額が倍になった。土曜日の抗議運動に加わった一人で、保育園に勤める Sirry Hjaltested は、ここ半年のうちに食費が1.5倍になったと語る。彼女は自国経済の壊滅は向こう見ずな銀行家のせいだと言う。「もし銀行家のひとりに出会ったら尻を思いっきりけっとばしてやるわ。靴が突き刺さるぐらいに」。

  • 一時的な動詞について

    一時的な動詞が進行形になると「~しかけている」のように訳すことがあると思います. The car is stopping.「その車は止まりかけている.」のようになるのでしょうか? また,自動詞を過去分詞にすると「~した」のような意味になると聞きました.例えば「落ち葉→落ちた葉」は[fallen leaves]のように. そこで「その電車は止まっている.」のような日本文を英訳するとき, The train is stopping.だと止まりかけている.になると思うので The train is stopped.でいいのでしょうか? それとも,この考え方自体が間違っているのでしょうか?

  • kind of

    Many kinds of food were introduced to Japan. kind of は続く名詞が複数形なら kinds of で 単数形なら kind of と載っていたのですが、 この文の food は何故単数形なのですか? food は種類を念頭に話す時は foods となると書いてあったのですが・・・ この場合どっちでも使えるのでしょうか? よろしくお願いします。

  • tsu の s って何??

    「つ」= 「tsu」 には何故 s が付いているのですか。 「つ」= 「tu」 でもいいような気がするのですが。 無知ですみません。 よろしくお願いします。

  • Shall we find in the sallies?

    狐狩りをしている青年が馬上から村の老婆に声をかけます。 "Shall we find in the sallies, Mrs. Marlin?" "He is waiting for you," she said. このin the salliesが辞書を調べても意味が判明しません。 その後、 as every cottager thereabouts knew, a strong dog-fox lived in those sallies;という文章があり、sallyは遠出、小旅行の意味ではないように思えます。アドバイス頂戴できれば助かります。よろしくお願いいたhします。

  • This is your wife talking to you.

    こんにちは。いつもお世話になっております。 This is your wife talking to you. という英文の訳が、「あなたの妻があなたに話してるのよ」となっていました。 これは文法的には、talkingが現在分詞でwifeを修飾していると考えていいのでしょうか? 直訳すると「これはあなたに話しかけてる妻なのよ」となり、意訳とそんなに意味合いは違わないので、それでいいのかとも思ったのですが、 何か他の文法的な解釈があれば教えてください。

  • Financial Times経済コラムの一節・liquidity is, once again~

    The Financial Times紙の経済コラムからです。筆者は Willem Buiter氏。12月2日付けの「It is time for the monetary authorities to jump into the liquidity trap」と題するもの。 「金融当局は『流動性の罠』に飛び込むべし」とタイトルにあるように、筆者はこのコラムで、現在の経済的苦境を打開するために名目金利をゼロにすることと量的緩和を実施することを金融当局に勧めています。 念のため質問箇所のひとつ前の段落から引用します。 This process of quantitative easing can, effectively, go on forever. It only stops when the central bank has monetised all private and public securities. Even if the risk-free nominal interest rates at all maturities are reduced to zero (the deep liquidity trap), the scope for quantitative easing is not exhausted, because the central bank has the option of acquiring risky private securities of any and all kinds, up to and including ordinary equity. Cutting nominal rates to zero and quantitative easing will not be inflationary as long as the virtually unbounded liquidity preference of the private sector persists. These measures will become inflationary as soon as normalcy returns and liquidity is, once again, just viewed as food for the faint-hearted. At that point, there has to be a swift reversal of the quantitative easing and an increase in short nominal interest rates, sufficient to reduce the real demand for base money to a level consistent with the remaining outstanding nominal stock at the prevailing price level. That will be a fun exercise. 1. 上記文章中の liquidity is, once again, just viewed as food for the faint-hearted (流動性が再び臆病者の糧とみなされるだけとなる)の意味をご説明ください。 2. 上記文章中の sufficient to reduce the real demand for base money to a level consistent with the remaining outstanding nominal stock at the prevailing price level. の訳をご教示ください。 なお、参考までに質問箇所以外の部分の訳を以下に示します。 この量的緩和のプロセスは実質上永遠に続き得る。それが止まるのは、中央銀行が私募、公募を問わずすべての証券を貨幣化したときである。たとえリスクのないすべての償還期間の名目金利がゼロに設定されたとしても(「深刻な流動性の罠」)、量的緩和の余地はなくなるわけではない。なぜなら、中央銀行はどんな種類の証券であろうと、普通株を含むいかなるリスクのある私募の証券でも、自分が購入するという選択肢が残っているからだ。 名目金利をゼロにすることと量的緩和は、民間部門がほぼ無制限の流動性を好む限り、インフレを招来しない。これらの方策がインフレを招くのは、事態が正常に復し、流動性が再び臆病者の糧とみなされるだけとなった途端である。その刹那、量的緩和はすみやかに方向転換され、短期名目金利は引き上げられねばならない。ベースマネーに対する実需が~と同じ水準になるまで。それはなかなか面白い作業となるだろう。

  • Financial Times経済コラムの一節・liquidity is, once again~

    The Financial Times紙の経済コラムからです。筆者は Willem Buiter氏。12月2日付けの「It is time for the monetary authorities to jump into the liquidity trap」と題するもの。 「金融当局は『流動性の罠』に飛び込むべし」とタイトルにあるように、筆者はこのコラムで、現在の経済的苦境を打開するために名目金利をゼロにすることと量的緩和を実施することを金融当局に勧めています。 念のため質問箇所のひとつ前の段落から引用します。 This process of quantitative easing can, effectively, go on forever. It only stops when the central bank has monetised all private and public securities. Even if the risk-free nominal interest rates at all maturities are reduced to zero (the deep liquidity trap), the scope for quantitative easing is not exhausted, because the central bank has the option of acquiring risky private securities of any and all kinds, up to and including ordinary equity. Cutting nominal rates to zero and quantitative easing will not be inflationary as long as the virtually unbounded liquidity preference of the private sector persists. These measures will become inflationary as soon as normalcy returns and liquidity is, once again, just viewed as food for the faint-hearted. At that point, there has to be a swift reversal of the quantitative easing and an increase in short nominal interest rates, sufficient to reduce the real demand for base money to a level consistent with the remaining outstanding nominal stock at the prevailing price level. That will be a fun exercise. 1. 上記文章中の liquidity is, once again, just viewed as food for the faint-hearted (流動性が再び臆病者の糧とみなされるだけとなる)の意味をご説明ください。 2. 上記文章中の sufficient to reduce the real demand for base money to a level consistent with the remaining outstanding nominal stock at the prevailing price level. の訳をご教示ください。 なお、参考までに質問箇所以外の部分の訳を以下に示します。 この量的緩和のプロセスは実質上永遠に続き得る。それが止まるのは、中央銀行が私募、公募を問わずすべての証券を貨幣化したときである。たとえリスクのないすべての償還期間の名目金利がゼロに設定されたとしても(「深刻な流動性の罠」)、量的緩和の余地はなくなるわけではない。なぜなら、中央銀行はどんな種類の証券であろうと、普通株を含むいかなるリスクのある私募の証券でも、自分が購入するという選択肢が残っているからだ。 名目金利をゼロにすることと量的緩和は、民間部門がほぼ無制限の流動性を好む限り、インフレを招来しない。これらの方策がインフレを招くのは、事態が正常に復し、流動性が再び臆病者の糧とみなされるだけとなった途端である。その刹那、量的緩和はすみやかに方向転換され、短期名目金利は引き上げられねばならない。ベースマネーに対する実需が~と同じ水準になるまで。それはなかなか面白い作業となるだろう。

  • Financial Times経済コラムの一節・liquidity is, once again~

    The Financial Times紙の経済コラムからです。筆者は Willem Buiter氏。12月2日付けの「It is time for the monetary authorities to jump into the liquidity trap」と題するもの。 「金融当局は『流動性の罠』に飛び込むべし」とタイトルにあるように、筆者はこのコラムで、現在の経済的苦境を打開するために名目金利をゼロにすることと量的緩和を実施することを金融当局に勧めています。 念のため質問箇所のひとつ前の段落から引用します。 This process of quantitative easing can, effectively, go on forever. It only stops when the central bank has monetised all private and public securities. Even if the risk-free nominal interest rates at all maturities are reduced to zero (the deep liquidity trap), the scope for quantitative easing is not exhausted, because the central bank has the option of acquiring risky private securities of any and all kinds, up to and including ordinary equity. Cutting nominal rates to zero and quantitative easing will not be inflationary as long as the virtually unbounded liquidity preference of the private sector persists. These measures will become inflationary as soon as normalcy returns and liquidity is, once again, just viewed as food for the faint-hearted. At that point, there has to be a swift reversal of the quantitative easing and an increase in short nominal interest rates, sufficient to reduce the real demand for base money to a level consistent with the remaining outstanding nominal stock at the prevailing price level. That will be a fun exercise. 1. 上記文章中の liquidity is, once again, just viewed as food for the faint-hearted (流動性が再び臆病者の糧とみなされるだけとなる)の意味をご説明ください。 2. 上記文章中の sufficient to reduce the real demand for base money to a level consistent with the remaining outstanding nominal stock at the prevailing price level. の訳をご教示ください。 なお、参考までに質問箇所以外の部分の訳を以下に示します。 この量的緩和のプロセスは実質上永遠に続き得る。それが止まるのは、中央銀行が私募、公募を問わずすべての証券を貨幣化したときである。たとえリスクのないすべての償還期間の名目金利がゼロに設定されたとしても(「深刻な流動性の罠」)、量的緩和の余地はなくなるわけではない。なぜなら、中央銀行はどんな種類の証券であろうと、普通株を含むいかなるリスクのある私募の証券でも、自分が購入するという選択肢が残っているからだ。 名目金利をゼロにすることと量的緩和は、民間部門がほぼ無制限の流動性を好む限り、インフレを招来しない。これらの方策がインフレを招くのは、事態が正常に復し、流動性が再び臆病者の糧とみなされるだけとなった途端である。その刹那、量的緩和はすみやかに方向転換され、短期名目金利は引き上げられねばならない。ベースマネーに対する実需が~と同じ水準になるまで。それはなかなか面白い作業となるだろう。

  • Onlyの使い方

    Let's only speak English from now on. という英文が使用しているテキストにあるのですが、文脈からは 「今から英語だけを話しましょう」と読み取れます。 しかし構文的にはonly は副詞でspeakにかかっているはずなので 「今から英語を話すだけにしましょう」 と話すことが限定されているようにおもえるのです。 でも限定するのが英語ならば Let's speak only English from now on. になるべきではないかと思います。 上記考えは正しいでしょうか? 文法に詳しい方、回答よろしくお願いします。

  • このmay の文法的意味

    NHK英語講座のテキストに下記の英文が記載されていました。 You never know what may happen. 何がおこるかわからないよ。 このmayの意味がわからなかったので辞書で調べると、複合関係代名詞で類似例を見つけました。 (1)Whoever may come [comes], don't open the door. だれが来てもドアを開けてはいけない. (2)Whichever is [may be] adopted, large expenditures will be called for. どちらが採用されても多額の費用が必要になるだろう. (3)He is innocent, whatever you (may) think. 君がどう考えようと彼は無実だ(mayを省くことが多い) (4)何が起ころうとも no matter what happens; whatever happens; whatever may happen.(後ほど堅い表現になる) そこで質問です。 1.複合関係代名詞の文例のmay 付きは堅い表現と上記(4)に書かれていますが、  (1)~(4)でのmayの用法を教えて頂けませんか。 2.テキスト引用文のmayは、複合関係代名詞の文例のmayと同じ用法で省略可能ですよね。  さらに、引用文の場合は may を will に置き換えても同じ意味になりますよね。  ちなみにBNCでの検索結果は以下のとおりでした。  know what may happen:1件、 know what happens:59件、 know what will happen:32件

  • "I shoud be so lucky" の意味は?

    カイリー・ミノーグの曲に、"I should be so lucky"ってありますよね。 どういう意味なんでしょうか? ここで使われている should が、よく分かりません。 どなたか教えてください!

  • bring と get の違い

    NHK英語講座のテキストに下記英文がありました。 Margherita: Wait. You must be hungry. I’ll bring you something to eat. ト書き Margherita goes in and comes back pulling a toy cart full of delicious-looking food. その中の、I’ll bring you something to eat.についてですが、下記(1)と(2)だけを見たとき bring は誤りで get にすべきと思ったのですが、(3)を見てbringでもOKということがわかりました。 (1)bringとtake はある場所から別の場所へ物を移動させることを表すが, bringは話し手の位置する場所, 話し手の関係する場所, 話題としている場所の方へ向かっての移動を, takeはそのような場所から出て去って行く方向への移動を表す(それぞれcomeとgoに対応する). fetchは別の場所へまず行き, そこにいる人を連れてくるか, そこにある物を持ってくることで, 主にイギリス英語で用いる. 同じ意味合いのくだけた語としてgetを使うことがある <引用元:プログレッシブ英和中辞典> http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=bring&stype=0&dtype=1 (2)bring は、目的地までの動きが「一直線」なのに対し、get の場合は「Uターン」だという違いがあります。 <引用元> 下記の4/8頁 http://archive.mag2.com/0000248990/20071101200000000.html?start=20 (3)((米))ではfetchよりbring, go and get, getが好まれる <引用元:プログレッシブ英和中辞典> http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=fetch&stype=1&dtype=1 そこで、質問です。 1.bring の基本は片道なのに、なぜ米国では往復(Uターン)に使えるようになったのでしょうか。  最近のBritish English でも同様なのでしょうか。 2.get が往復を意味するのに、なぜわざわざ go and get と go を付け加える必要があるのでしょうか。 3.bring の基本は片道なので go and bring だと理解しやすのですが、上記(3)に含まれていないのは、ただ、抜けているだけなのでしょうか。それともそのような言い方をしないのでしょうか。

    • ベストアンサー
    • redtown
    • 英語
    • 回答数6
  • If you knew what the weather is to be expected…の構造、語法ポイント

    大学入試問題(整序問題)で以下の英文がありました。  If we knew [what the weather is to be expected],… 「天気の予想がつけば…」※[ ]部が設問、if節は仮定法現在 [ ]部の構造は the weather = S is to be expected = V what = C としかとれない気がするのですが、the weather = whatがすっきりしません。 [ ]部をwhat the weather is expected to beとも考えましたが、やはり the weather = whatになってしまいます。what ではなくhow(もしくはwhat…like)なら納得できるのですが… 語法上知らないことがあるのか、構文を取り違えているのか… すっきり解説をお願いします。

  • なんで英語を話せる人はかっこいいのでしょうか?

    街中で日本人が外国人と英語で話しているのを見るとかっこいいと思ってしまいます。流暢な英語で話している人を見ると惚れそうになります。僕だけかもしれませんがなぜこう思うのでしょうか? 数学や社会ができる人がかっこいいとは思いませんが、英語ができるとかっこいいのです。教えてください。

    • ベストアンサー
    • noname#81393
    • 英語
    • 回答数8
  • 強調の「do」

    「do+動詞原型」で動詞を強調することができる というのを用いて英訳するときの質問です。 例えば、次の文を英訳すると 私はとても京都に行きたい。 I do want to go to Kyoto. となるのはわかりますが 主語が三人称単数の場合 doはdoesと書かなければならないのでしょうか? もし 次の文を「do」を用いて英訳しなさい。 彼女はとても京都に行きたがっている。 という問題であれば 答えは She does want to go to Kyoto. となるのでしょうか? 指定がなければ She would like to want to go to Kyoto. とすることもできますよね。 てゆうかそもそも 「do」を使って三人称単数の文を強調することはできないのでしょうか…? どうか教えてください。

    • ベストアンサー
    • faker02
    • 英語
    • 回答数2
  • above the fold

    (List each area, section, heading, etc. that is “above the fold” (i.e. does not require scrolling down” – what you first see.) ある会社のホームページについて、批評しなければならないのですが、 この場合のabove the foldって何のことをいっているのですか? どなたか回答お願いします。

  • 英文法(時勢)

    こんにちは!英語の文法で理解に苦しんでいます。。時勢の問題なのですが、 When i lived in italy last july,i_____a beach-side villa for the time. という穴埋めの問題でー選択肢は下記です。 ①rent ②rended ③had been renting ④had rent なのですが、②と④で迷い、正解は②でした。が、なかなか理解できなくて。自分になんと説明したらいいかわかりません。。どなたか賢くない私にもわかるような解説やヒントなど教えていただけないでしょうか?(>_<;)

    • ベストアンサー
    • ness-
    • 英語
    • 回答数4
  • 英米人の初心者向けの英語の会計に関する本

    英文事務を4~5年経験したあと、翻訳を含む金融関係での英文業務に ついています。金融関係はあまり経験がなく、新聞やその他の訳で苦労しています。まず簿記を勉強して知識を固めたいのですが、一方で英語力もさらに向上する必要があるので(現在TOEIC850で、目標はTOEIC900および英検1級。)、簿記の基礎を英語で勉強したいと考えています。英米人の会計を初歩から学ぶ人にちょうどよい参考書をご存知でしたら、教えてください。(今後は金融関係を主とした翻訳等ができるようになれれば・・・と考えています。)

  • Now what do we do?

    (1)Now what do we do? (2)What will we do now? の両方とも「次に(今)何するの?」という意味になると思うのですが、ニュアンスに違いはあるのでしょうか?

    • ベストアンサー
    • noname#191458
    • 英語
    • 回答数2