131tobi の回答履歴

全55件中21~40件表示
  • 謙譲語として正しい? 母の携帯番号はご存知ですか?

    「母の携帯番号はご存知ですか?」は謙譲語的に厳密には正しいでしょうか? 身内である母の携帯番号に対しての謙譲語であり、また「ご」を付けている所も厳密にはどうなのでしょう? 自分も含め、現代では多くの人がこの手の言葉を丁寧語として使っていますが、これは厳密には正しい日本語なのでしょうか? また正しくない場合、どう聞くのが正しいでしょうか? A 存じ上げておりません。

  • 「馬鹿にする」より「小馬鹿にする」の方が侮辱的?

    何かのコントで 「○○君はあなたのことを馬鹿になんてしてませんよ。  ただ、小馬鹿にしてるだけで」 「もっと悪いやないかい!!」 みたいな掛け合いがありました。 「小馬鹿にする」の方が「小」がついてる分、軽いイメージだったんですが、こちらの方が侮辱的な意味合いが大きいのでしょうか?

  • 「~個」を何故、「~ケ」と書くことがある?

    「~個」を何故、「~ケ」と書くことがあるのでしょうか?

  • どうも気になる言葉の誤用

     お願いします。  ネット見てて、どうも気になる言葉の誤用がふたつあります。  ひとつは「~せざるおえない」です。「~せざる終えない」「~せざる負えない」などの派生形があります。  もうひとつは「永遠と~する」です。  見て下さっている方はお分かりだと思いますが、前者は「~せざるを得ない」、後者は「延々と~する」が正しいです。  すんごく頻繁にこの誤用を見かけるのは某知恵袋なんですが、まあ、はっきり言ってあそこは使っているユーザーのレベルがアレなのでほっときますが、自称「保守」が集う2ちゃんねるまとめブログとかでもちょくちょく見かけるんですよ。保守が言葉をぞんざいに扱ってどうしようというのでしょう?  言葉というのは時代と共に変化するという意見を言う人もいますが、このふたつの誤用は現在流通している書籍などでも普通に正しい用法が載っていると思います。誤用を覚える方が難しい。多分、著述業の方が「~せざるおえない」「永遠と~する」と書いたら、校正ではねられると思います。  正確に文献研究したわけではありませんが「しだら」が「だらし」に変わるのでも、明治時代から昭和時代くらいの時代は経ていると思います。明治時代が舞台の落語に「しだらしがしだらじゃで、こんなことも言わんならん」という台詞が出てきます。これは「普段の行いが行いなので、こんなこと(説教)も言わなければならない」という意味です。現代は行いがよくないという意味で「だらしない」という言葉になっていますが、主に性的な意味で素行がよくない女性のことを「ふしだら」と言うかたちで「しだら」も残っています。  言葉というものはこれほどゆっくりにしか変わらないものなのに、上のふたつの誤用は多過ぎはしませんか?  もっと言うと「~をすることが望ましい」という意味での「~すべき」というのもありますが、これはテレビが戦犯だとわかっています。字幕で「~すべき」と出すから。もちろんこれは本来「~すべし」ですね。同じ言葉の別の活用で「~すべかる」と書いたらみんなこれは変だなと思うと思うんですが「~すべき」はいつの間にか慣らされてしまった。でも自称「保守」がドヤ顔で「~すべき!」とか言ってたら「この人本当は保守なんかに興味ないんだろうな」と思います。  初代ウルトラマンの脚本家だった金城さんは沖縄の出身でしたが、沖縄が本土同一化教育を強力に推し進めた結果、おばあちゃんの言ってることが孫にわからないという事態が生じ、沖縄文化が断絶したことに悩みを抱えていたようです。  こんなことを気にしている私の方が変なのでしょうか?

  • どうも気になる言葉の誤用

     お願いします。  ネット見てて、どうも気になる言葉の誤用がふたつあります。  ひとつは「~せざるおえない」です。「~せざる終えない」「~せざる負えない」などの派生形があります。  もうひとつは「永遠と~する」です。  見て下さっている方はお分かりだと思いますが、前者は「~せざるを得ない」、後者は「延々と~する」が正しいです。  すんごく頻繁にこの誤用を見かけるのは某知恵袋なんですが、まあ、はっきり言ってあそこは使っているユーザーのレベルがアレなのでほっときますが、自称「保守」が集う2ちゃんねるまとめブログとかでもちょくちょく見かけるんですよ。保守が言葉をぞんざいに扱ってどうしようというのでしょう?  言葉というのは時代と共に変化するという意見を言う人もいますが、このふたつの誤用は現在流通している書籍などでも普通に正しい用法が載っていると思います。誤用を覚える方が難しい。多分、著述業の方が「~せざるおえない」「永遠と~する」と書いたら、校正ではねられると思います。  正確に文献研究したわけではありませんが「しだら」が「だらし」に変わるのでも、明治時代から昭和時代くらいの時代は経ていると思います。明治時代が舞台の落語に「しだらしがしだらじゃで、こんなことも言わんならん」という台詞が出てきます。これは「普段の行いが行いなので、こんなこと(説教)も言わなければならない」という意味です。現代は行いがよくないという意味で「だらしない」という言葉になっていますが、主に性的な意味で素行がよくない女性のことを「ふしだら」と言うかたちで「しだら」も残っています。  言葉というものはこれほどゆっくりにしか変わらないものなのに、上のふたつの誤用は多過ぎはしませんか?  もっと言うと「~をすることが望ましい」という意味での「~すべき」というのもありますが、これはテレビが戦犯だとわかっています。字幕で「~すべき」と出すから。もちろんこれは本来「~すべし」ですね。同じ言葉の別の活用で「~すべかる」と書いたらみんなこれは変だなと思うと思うんですが「~すべき」はいつの間にか慣らされてしまった。でも自称「保守」がドヤ顔で「~すべき!」とか言ってたら「この人本当は保守なんかに興味ないんだろうな」と思います。  初代ウルトラマンの脚本家だった金城さんは沖縄の出身でしたが、沖縄が本土同一化教育を強力に推し進めた結果、おばあちゃんの言ってることが孫にわからないという事態が生じ、沖縄文化が断絶したことに悩みを抱えていたようです。  こんなことを気にしている私の方が変なのでしょうか?

  • 「中国は人が多くて、(大きな/大きい)国です」の書

    「中国は人が多くて、(大きな/大きい)国です」の書き方はどちらがいいですか?

  • 「寝れないだろう」と言う意味は

    寝れなさそう と 寝れなそう とどちらが正しいですか? 「さ」が必要かどうか知りたいです。

  • 「さ入れことば」について教えてください

    「読まさせられる」のような使役受身形でよく誤用の「さ入れことば」が使われます。使役受身形だとそれが誤用だというのはわかるのですが、では「私は今からしゃべらさせていただきます」というのも、やはり「さ入れことば」とよぶのでしょうか? よろしくお願いいたします。

  • 『と思う』と『とは思う』の違い

    最近とても気になっているのは、『は』の使い方です。 『最近にない成果だと思います』 ⇒ 『最近にない成果だとは思います』 『彼は優秀だと思います』 ⇒ 『彼は優秀だとは思います』 上の矢印の前後の語句の違いは、『思います』の前に『は』が入るか入らないかです。 『は』の有無でニュアンスを使い分けることができます。 うまく説明できませんが『は』が入ると、『成果』や『優秀』と無条件に思っているわけではない、というニュアンスが加わると思うんです。 しかし、最近の『は』が入る表現は必ずしもそうではなく。『は』を入れなくても良いのに、即ち『と思う』と言い切るつもりであっても、『は』を入れている場合が多いように感じます。 この『は』を耳にする機会がこのところ急速に増えました。 NHKでもこのような『は』の使い方をするアナウンサーが現れるほどです。 何故、このような間違いと思われる用法があっという間に広がるのでしょう。

  • なぜ「言語ができます」と言えるのですか

    運転することができます(能力・可能)➡運転できます 予約することができます(可能)➡予約できます 見学することができます(可能)➡見学できます 以上のように「する動詞」は「名詞+できます」に置き換えられます 他の動作動詞は置き換えができません。 1キロを泳ぐことができます(能力)➡× 漢字を書くことができます(能力)➡× ピアノを弾くことができます(能力)➡△ピアノができます しかし、次の場合はなぜ置き換えられるのでしょうか。 「言語ができます(能力・可能)」は「言語を話すことができます」とほぼ同義です。 「する動詞」ではないのに、なぜ「言語ができます」の場合のみ「言語ができます」と言えるのでしょうか。「語」という言葉に関係があるのでしょうか。 (新人A)

  • 「おこなった」と漢字で書く場合は

    行った と 行なった とどちらが良いのでしょうか?

  • 大丈夫です、の意味を教えてください

    大丈夫ですの意味は、本当に難しいです。 私は、明日からサービスを提供された時の断り文句として、『結構です』に代わる言葉として『大丈夫です』を使っています。 また、長く続いた契約を終結させて、その人の契約を切る時にも『もう、君は大丈夫です。』と言って切られているのを何度か目にしました。 その他にも、私が担当している仕事を手伝ってくれようと声をかけてくれた人に対して、手伝いがなくても1人で完成出来そうな時は『いえ、大丈夫です』と言ってお手伝いを断ったりもしていました。 私は大抵は、いずれにしても、自分に対する好意に対して、感謝と敬意を込めてお断りを申し入れする時に『大丈夫です』を使っているのです。 しかし、最近は、お客様の質問に対して、『大丈夫です』を連呼しているのを頻繁に見かけています。 『大丈夫です』にも、『よろしいです』と等しく様々な意味があるようで、何を言ってるのか、まるでわかりません。意味がわからないので、私自身は『大丈夫です』と言われるたびに、大丈夫かだなんて誰も聞いてないし、聞いたことに答えず流されたような気すらしてとても不安になります。 いえ、むしろ、何か大丈夫かどうかを気にするほど不安があるのかとさえ思えてしまいます。 そして、『で?』と、私の質問の返事は何だろう、、、といくら聞いても、どうしたらいいか、判断出来ないのです。ハイかイイエをハッキリさせる、システム開発のお仕事をしていた時には『大丈夫』という選択を見たこともなかったため、ずっとわからないまま、避けて来たのです。 本当に深刻に困っています。 『大丈夫』と言われても、あなたは大丈夫かもしれないけれど、私が大丈夫じゃないから、聞いてるのに、大丈夫って何だろう何なの?違う聞き方をすると、答えられなくて、しどろもどろになり、聞いてもいないことや知っていることを1から話始めたり。 仕方なく、聞いては見ても、私が聞いた質問には答えてないので、そうしますと、つまり、私が質問していたこの件はどう対処したら良いのですか?と、また同じ質問を繰り返すのです。 『大丈夫です』の意味がわかれば、深層心理が予測できるかもしれません。 どなたか、詳しく、どうか教えてください。

  • 「スタートが切れる」の「切れる」の意味

    日本語を勉強中の中国人です。ドキュメンタリーの番組を見ています。その中で意味がよくわからない言葉が出ました。教えていただけませんか。日系4世の日本旅について、ナレーションは「祖国を巡る旅、さいさきのいいスタートが切れたみたい」と言いました。「スタートが切れる」はどういう意味でしょうか。「切れる」はなくなったという意味があるようですが、ここはなぜ使われるのでしょうか。むしろ、スタートがあるという正反対の意味のような気がします。なぜ「切れる」という動詞を使うのかよく理解できません。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • ちょっと聞きたい日本語の問題です。

    はじめまして。 中国からの日本語勉強者です。 この問題についてはちょっとわからないんですが、ちょっと説明してもらいたいと思います。 お母さんとお父さんは日曜日も休まないで働いているそうですね。(  )、君はどうしていつも勉強を怠けているのですか。 A.それなのに B.それでも C.けれども D.ところが  正しい答えはAですけど、B・C・Dはみな同じじゃないかと思います。日本人ならではのニュアンスでしょうか。 お願いします。:)

  • 文章の流れにメリハリがつくとはどういう?

    文章の書き方の本で分からないところがあります。 彼は、陸上競技大会の数日前の練習で足を痛めてしまったのだが、痛み止めの注射を打って100m競争に出場し、クラスで一番よいタイムを記録した。 これを、 彼は、陸上競技大会の数日前の練習で足を痛めてしまった。しかし、痛み止めの注射を打って100m競争に出場し、クラスで一番よいタイムを記録した。 にすると、 文章の「流れ」にメリハリがつくと、解説してあります。 この場合のメリハリがつくってどういうことですか? 親は、文章を区切るとメリハリ付くじゃないと言いましたが、私にはさっぱり分かりません。

  • 「あなたにできます」

    「あなたにできます」 このような使い方は正しいですか? 「あなたにもできます」「あなたにはできます」などは違和感はありません。 「おできがあなたにできます」のようなのはナシで。 http://okwave.jp/qa/q9125920.html

  • 「僕が見た風景」、「僕の見た風景」、どちらが正しい

    「僕が見た風景」、「僕の見た風景」、どちらが正しいでしょうか。どちらも使えるとしたら、ニュアンスの違いを知りたいです。よろしくお願い致します。

  • 購入者全員にゲットできる

    「購入者全員にゲットできる」 これは日本語として正しいのですが、何故正しいのか分かりません。 解説をお願いします。 「購入者全員にゲットできるチャンスがある」 このように勝手に語句を足さないでください。 もちろん 「購入者全員がゲットできる」であればなんの問題もありません。 尚、日本語として正しくないと感じるのであれば回答はご遠慮ください。 よろしくお願いします。

  • 購入者全員にゲットできる

    「購入者全員にゲットできる」 これは日本語として正しいのですが、何故正しいのか分かりません。 解説をお願いします。 「購入者全員にゲットできるチャンスがある」 このように勝手に語句を足さないでください。 もちろん 「購入者全員がゲットできる」であればなんの問題もありません。 尚、日本語として正しくないと感じるのであれば回答はご遠慮ください。 よろしくお願いします。

  • 「致しました」「いたしました」の使い分けについて

    「致しました」「いたしました」の使い分けについて、 本動詞の場合であれば「致しました」を使い、 補助動詞の場合であれば「いたしました」を使うと知りました。 本動詞の場合の使い方はわかるのですが(例:私が致しました) 補助動詞の場合の使い方がいまいちわかっていません。 (1)以下のような場合の「する」は補助動詞になるのでしょうか? (それとも前の後と合わせて本動詞となるのでしょうか?) 承知する 案内する 説明する 開始する 補助動詞であれば、以下のようにひらがなとするのが正しいということになりますよね。 承知いたしました ご案内いたします ご説明いたします 開始いたします (2)以下の場合の「する」は補助動詞と理解していますが、間違っていませんか? お願いする この場合は、正しくは以下になりますよね。 ○ お願いいたします × お願い致します ○ お願いを致します