pikaruche の回答履歴

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  • 数学、直交の分野に関することです。

    L={u∈L^2(-1,1);u(t)=u(-t)(-1<t<1)} とすると、LはL^2(-1,1)の閉部分空間である。このとき、 L^⊥={u∈L^2(-1,1);u(t)=-u(t)(-1<t<1)}. Lへの射影PLは PLu(t)=1/2・(u(t)+u(-t)) (u∈L^2(-1,1)). この時、2行目の閉部分空間になるのはなぜか、3行目L^⊥がこのように与えられるのはなぜか、5行目射影PLがこのようになるのはなぜか、について教えていただきたいです。よろしくお願いします。

  • 「占い」とは一体なんなのか

    このページを開いて下さってありがとうございます。 質問の内容は、「占い」というものは一体何なのか、ということを色々と教えて下さい。 この度占ってもらったところ、あまり良い結果ではありませんでした。確かに現状は辛いものですので、その占いは当たっているものと思います。その占いの結果に強くショック受けてしまいましたので、「あぁ僕はこの先ずっとこんな人生なのか」と落胆しています。 まぁ、四十代くらいから安定した運気になるとは言われましたが、でも四十と言われましても、まだ二十代中頃の僕にとっては気の遠い話で、今光が差し込まなければ救いようが無いと思うのです。四十になれば何もかも遅すぎたと絶望している自分自身が目に見えます。 占いとは、やはり信憑性の高いものなのでしょうか? 占いに少しでも詳しい方がいらっしゃればご回答願います。

    • 締切済み
    • noname#252893
    • 超常現象
    • 回答数10
  • 正規直交系の問題です。

    {xk}をヒルベルト空間Xの正規直交系とする。部分空間Lの閉包は、部分空間であることを示せ。 という問題です。 関数解析における閉包がいまいち感覚がわからず、解法がわかりません。よろしくお願いします。

  • 勉強はどこまで理解できたら

    現在大学生で、前に習った科目(線形、解析などの数学系)を復習しています。 最近になって思うのは、これはどこまで理解できたらいいのか、ということです。 証明でそういうことかと納得する必要があるのかと思い毎回見ていますが、どうしても自分の頭では理解できないものもあります。 よく考えてみると、証明はそれが使えるためのものであって、実際に定理を使うときには証明を覚える、理解する必要はどこにあるのだろうと思ってしまいます。 そこで、勉強はどこまでみなさんはやっているか、やったほうがいいと思うか考えを教えていただけたら嬉しいです。 線形代数は特にそうなのですが、実際にどのように使うのかまったく想像もつかないために理解しにくくなっているのかもしれません

  • トーラスのガウス写像の問題

    トーラスのガウス写像はトーラス上のx(u,v)を球面のパラメーター表示の-x(u,v) に対応させます。この事を確かめ、ちょうど同じ(u,v)で表される理由を考えて ください。 という問題で、テキストの解答には トーラスのxu(uで偏微分)、xv(vで偏微分)と球面のxu,xvはそれぞれ長さは違い ますが、平行で、したがって、同じ接平面を定め、同じ単位法ベクトルを定めま す。球面ではガウス写像は-1倍です。 と書かれていますが、テキストを見ながら自分なりに解答してみました。間違い があればご指摘、訂正をお願いします。 <単位球面> X(u,v)= cosu・cosv cosu・sinv sinu Xu(u,v)= -sinu・cosv -sinu・sinv cosu Xv(u,v)= -cosu・sinv cosu・cosv 0 <トーラス> xz平面上のz軸と交わらない円が生成する、z軸に関する回転軸をトーラスとい い ます。そのような円は、例えば、0<r<Rに対し、パラメーター表示 R+rcost rsint で与えられます。 したがって、トーラスのパラメーター表示は X(u,v)= (R+rcosu)cosv (R+rcosu)sinv rsinu となります。―i) u曲線はz軸を含む平面上の半径rの円です。 v曲線は水平面z=sinuに含まれる円です。 Xu(u,v)= -rsinu・cosv -rsinu・sinv rcosu Xv(u,v)= -(R+rcosu)sinv (R+rcosu)cosv 0 ですから、これらは直交し、1次独立で、i)は曲面のパラメーター表示を与えま す。 以上より、トーラスのXu,Xvと球面のXu,Xvはそれぞれ長さは違うが、平行で あることがわかる。 したがって、、同じ接平面を定める。 (定理 接ベクトル全体TX0SはXu(u0,v0),Xv(u0,v0)を基底とする2次元線型 空間(平面)である。) (定義 接ベクトル全体の作る線型空間TX0SをX0におけるSの接平面と定め る。)より また、単位法ベクトルの公式 N(u,v)=Xu(u,v)×Xv(u,v)|/||Xu(u,v)×Xv(u,v)||より 球面の単位法ベクトルは、 N(u,v)=(-cos^2u・cosv+cos^2u・cosv-sinu・cosu・cosv^2-sinu・cosu・sin^2v) /1・cosu =(-sinu・cosu)/cosu =-sinu トーラスの単位法ベクトルは N(u,v)={-rcosu(R+rcosu)sinv+rcosu(R+rcosu)sinv-rsinu(R+rcosu)cos^2v-rsinu (R+rcosu)sin^2v} ={-rsinu(R+rcosu)} =-sinu よって同じ単位法ベクトルを定める。  ガウス写像はX(u,v)をN(u,v)に対応させる写像で、X(u,v)の変化ξとN(u,v) の変化dN(ξ)が逆方向の時、ξ方向で、曲面が上昇するのだから、上昇分を測 る量として、 第二基本変形を φ=-ξ・dN(ξ)で定める。 という定義から、トーラスのガウス写像はトーラス上のX(u,v)を球面のパラメ ータ表示の-X(u,v)に対応させる事がわかる

  • ベルンシュタインの定理がよくわかりません…

    こんにちは。 集合論の本を読んでいるのですが、ベルンシュタインの定理でつまづいています…。 当然その証明がよくわからないのですが、なにより一番わからないのが、なぜこの証明が必要なのか?この定理の問題意識(問題提起)は何であったか?という点です。 と言いますのも、mとnをそれぞれ集合の濃度とすると、 m≦nかつn≦m であれば自明のようにm=nなのではないかと思うからです。 今読んでいるのと別の本を読んでみると、「これは証明を必要とすることなのである」と書いてありますが、なぜなのかがわかりません。 どなたかこの定理が証明を必要とすることを直観的に把握できるように説明していただけないでしょうか? そして二つ目にわからないのが証明の内容にかかわる部分です。 全体を把握していないので中途半端な質問になりますが、お願いします。 集合M,Nを用意して、 MからNの中への一対一写像(単射のことですよね?)をφ、NからMへの単射をψとします。 そしてψ∘φをΦとすると、ΦはMからMへの単射となります。 このときΦ(M)=M2とすると、「M2はMの部分集合である。またΦはMからM2の上の一対一写像(全単射のこと?)だから、MとM2は対当となる」とあります。 わからないのは2点で、「Φ(M)=M2」からなぜM2がMの部分集合と言えるのか?むしろ包含関係は逆ではないのか(Φは単射だから)という点と、ΦがMからM2への全単射であるといえるのはなぜなのかという点です。 質問は以上です。下二つに関しては、私のとんだ思い違いかもしれません。ですのでどうか最初の一つだけでも、教えていただけると幸いです。 お願いします!

  • 有名霊能者の鑑定の最後に激しい目眩

    カテが違っていたらすみません。 長文ですが、宜しくお願い致します。 テレビ出演がきっかけで全国的に有名になった霊能者の元を訪ねた時の出来事です。 鑑定が終わりかける頃突然、天井も床もぐるぐる回り、座っている事もできなくなる様な激しい目眩に襲われました。 全く治まる気配は無く、その状態が一時間半続き、ずっと鑑定時に座らせて頂いていた場所で休ませて頂きました。 完全に治まる事は無かったのですが、長居してもご迷惑ですので、フラフラしながら帰りました。 目眩が完全に治まったのは2日後でした。 鑑定内容は多岐にわたるのですが、最も重要な相談事は、その当時他界して9年の月日が経った実母の遺骨を納骨していない事でした。 私は結婚を機に20年前に実家を出ているのですがその時既に、たった1人の姉妹の姉とは絶縁状態で必要最低限の連絡すら取れないくらい険悪でした。 母亡き後、父に用事があって電話をかけても無言で受話器を上げてそのまま放置されるので、実家に行く事なんて現実的には不可能なのです。 全ての事情を知っている夫が、母の火葬後のお骨拾いの時に分骨してもらうよう私に耳打ちしてきました。平常心を失っていた私はあまり深く考えずにその勧めに従い、実家と我が家で母の遺骨を保管する事が7年続きました。 本来なら父方の先祖が眠るお墓に納骨されるのだと思うのですが、父方の祖父母が添い遂げておらず、離婚でもない複雑な別れ方をしている為、祖父母はそれぞれ違う寺の永代供養の元に眠っており、実家には墓がないのです。 父は世捨て人の様な一面があり、世間ではきちんと執り行われる様な行事を重視しない事が多々あり、母の納骨についてもどの様な方針なのか私にはわかりません。 年月が経つに連れ、我が家のリビングにあるレースのハンカチに包んだ母の骨壺を見る度にこのままで良いのか?と言う疑問が日に日に強まり、生き残った人間の都合で元々1人の人間の遺骨を別々の場所で保管する事がとても残酷な事だと思う様になりました。 母の遺骨の在り方に頭を悩ませていた私は、信頼できる知人が崇拝している四国の山奥にあるお寺の住職に相談に行きました。 住職には霊的な力があるそうで知人はその住職の助言によって今まで何度も身震いする様な出来事に遭遇したそうです。 私が相談に行かせて頂いた時も、家族の名前を見ただけで、性格や家族間の関係をズバリ言い当てられました。 それによると母は遺骨を父の元に戻して欲しいと言っているそうで、分骨していた事に非常に怒りがあったそうです。 翌日、早速実家に返しに行きました。 実家に遺骨を返しに行った日、夫は突然ふくらはぎに激痛が走り、一時的に歩けなくなりました。 話が逸れましたが、その様な経緯があり、母が成仏しているかがとても気になり、遠隔で霊視鑑定と浄霊ができる霊能者をネットで知り、鑑定を依頼しました。 それによると、母は成仏しておらず、あの世とこの世の間にあるとても暗い所で苦しんでいると言われました。 それ以外に私には姉の生き霊とその他にも未成仏の霊が十数体憑いているとの事で、母とその他の私にとり憑いている霊の全てを浄霊してもらいました。 姉の生き霊がとり憑いているのは右側頭部で、私は数年前から顔の右半分の筋肉が麻痺している所謂、顔面麻痺に罹っています。 その霊能者の話によると母は父が来るのを待つと言っていたらしいのですが、暗くて苦しい場所からは出、天に上がったそうです。 私には霊が見える様な特殊な能力はないので、霊能者の説明が事実かを確認する術は無く、信じるしかありませんでした。 しかしその後、表題の霊能者を知りました。 何でもテレビに出演した際、鑑定した女子アナの部屋の様子を透視したとネットで紹介されており、セカンドオピニオンと同じ感覚でどうしても鑑定して貰いたくなり、予約後、半年待ちでその日を迎えたのです。 その霊能者によると、母はとても無念な最後で、まだまだこの世でしたい事が沢山あったそうで、私に激しい目眩が襲ってくるまで、死後ずっと私の体を利用して、やり残した事を実現しようとしていたそうです。 母を私の肉体から切り離した為に目眩が起きたと言われました。 体内から悪いものを出した時に起きる反応だそうです。 中にはその場で何度も嘔吐や下痢をする人もいるそうです。 今思っても今までの人生で最も不思議な出来事です。それと同時に、霊能力とは実在するものだと身を持って知った出来事でもありました。 それから数日後に先に浄霊して頂いた霊能者にその一連の出来事を電話で話しました。 すると、母はその霊能者の浄霊により、天に上がっているから、私の体内に居たなんて事はないと、言われました。 目眩が起きた霊能者に私の部屋の中で処分した方が良い物を尋ねたのですが、首をひねり、鏡を浄化する様に言われました。 向こうから方法を言わないので、こちらから鏡を塩で清めるのか?と尋ねると、自信無さげに肯定しました。 その時、部屋の様子が透視できると言う能力に関しては疑念を抱き、その事も先の霊能者に話すと、人の部屋の様子が視える程の能力の持ち主は日本にも1人か2人しかいないと言われました。 2人の霊能者の言う事が真っ向から違い、どちらを信じて良いのか未だに結論が出ません。 先の霊能者には遠隔で3連夜の浄霊をして頂いたのですが、浄霊の最中に真夜中なのに誰も居ないキッチンの奥から鉛筆を転がす様な音が5分くらい続くと言う、普段起こらない異変があり、対面で鑑定して頂いた霊能者の元を訪ねた日には経験した事のない激しい目眩。 これは、一体どう言う現象なのでしょうか? 霊的な事に詳しい方や同じ経験をされた事のある方がいらっしゃいましたら、ご回答頂けますと幸いです。

  • ベルンシュタインの定理がよくわかりません…

    こんにちは。 集合論の本を読んでいるのですが、ベルンシュタインの定理でつまづいています…。 当然その証明がよくわからないのですが、なにより一番わからないのが、なぜこの証明が必要なのか?この定理の問題意識(問題提起)は何であったか?という点です。 と言いますのも、mとnをそれぞれ集合の濃度とすると、 m≦nかつn≦m であれば自明のようにm=nなのではないかと思うからです。 今読んでいるのと別の本を読んでみると、「これは証明を必要とすることなのである」と書いてありますが、なぜなのかがわかりません。 どなたかこの定理が証明を必要とすることを直観的に把握できるように説明していただけないでしょうか? そして二つ目にわからないのが証明の内容にかかわる部分です。 全体を把握していないので中途半端な質問になりますが、お願いします。 集合M,Nを用意して、 MからNの中への一対一写像(単射のことですよね?)をφ、NからMへの単射をψとします。 そしてψ∘φをΦとすると、ΦはMからMへの単射となります。 このときΦ(M)=M2とすると、「M2はMの部分集合である。またΦはMからM2の上の一対一写像(全単射のこと?)だから、MとM2は対当となる」とあります。 わからないのは2点で、「Φ(M)=M2」からなぜM2がMの部分集合と言えるのか?むしろ包含関係は逆ではないのか(Φは単射だから)という点と、ΦがMからM2への全単射であるといえるのはなぜなのかという点です。 質問は以上です。下二つに関しては、私のとんだ思い違いかもしれません。ですのでどうか最初の一つだけでも、教えていただけると幸いです。 お願いします!

  • ベルンシュタインの定理がよくわかりません…

    こんにちは。 集合論の本を読んでいるのですが、ベルンシュタインの定理でつまづいています…。 当然その証明がよくわからないのですが、なにより一番わからないのが、なぜこの証明が必要なのか?この定理の問題意識(問題提起)は何であったか?という点です。 と言いますのも、mとnをそれぞれ集合の濃度とすると、 m≦nかつn≦m であれば自明のようにm=nなのではないかと思うからです。 今読んでいるのと別の本を読んでみると、「これは証明を必要とすることなのである」と書いてありますが、なぜなのかがわかりません。 どなたかこの定理が証明を必要とすることを直観的に把握できるように説明していただけないでしょうか? そして二つ目にわからないのが証明の内容にかかわる部分です。 全体を把握していないので中途半端な質問になりますが、お願いします。 集合M,Nを用意して、 MからNの中への一対一写像(単射のことですよね?)をφ、NからMへの単射をψとします。 そしてψ∘φをΦとすると、ΦはMからMへの単射となります。 このときΦ(M)=M2とすると、「M2はMの部分集合である。またΦはMからM2の上の一対一写像(全単射のこと?)だから、MとM2は対当となる」とあります。 わからないのは2点で、「Φ(M)=M2」からなぜM2がMの部分集合と言えるのか?むしろ包含関係は逆ではないのか(Φは単射だから)という点と、ΦがMからM2への全単射であるといえるのはなぜなのかという点です。 質問は以上です。下二つに関しては、私のとんだ思い違いかもしれません。ですのでどうか最初の一つだけでも、教えていただけると幸いです。 お願いします!

  • 証明:純然たる観念世界は存在し得ない

      宇宙の公理および人間精神も宇宙の法則に支配される(証明済み)を用いてこれを証明します。 証明: 観念世界は人間精神が作り出す創作物の一つである。 人間精神も宇宙の法則に支配される(証明済み)のであるから、人間精神が作り出す創作物の一つである観念世界も宇宙の法則の結果として生まれる。 このとき第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体であるから、観念世界が宇宙と遊離して単体で存在することは出来ない。 故に純然たる観念世界、つまり宇宙と遊離した単体の観念世界は存在し得ないと結論できる。 証明終わり。 宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)   証明:人間精神も宇宙の法則に支配される http://okwave.jp/qa/q8860468.html  

  • 証明:人間精神も宇宙の法則に支配される

      宇宙の公理を用いてこれを証明します。 証明: 人間精神は人間の脳内に展開される現象である。 人間およびその脳は宇宙の一部である。 このとき第3公理より宇宙の法則は宇宙の全現象を支配するのであるから、人間の脳内現象である人間精神も宇宙の法則に支配されることになる。 故に人間精神も宇宙の法則に支配されると結論できる。 証明終わり。  

  • 宇宙の創造主は存在しない

      宇宙の公理を用いてこれを証明します。 証明: 仮に宇宙の創造主が存在したとする。 すると宇宙は現在からある有限の時間内に創造されたことになる。 このとき第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体なのであるから、宇宙と宇宙の法則は同時に創造されねばならない。 しかし第6公理より宇宙の法則は永遠無限に不変なのであるから、ある有限の時間において宇宙の法則が誕生することは有り得ない。 故に宇宙の法則の創造は有り得ず、これは同時に宇宙の創造も有り得ないことになる。 宇宙の創造が有り得ないのであれば、宇宙の創造主は存在しないと結論できる。 証明終わり。           宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)  

  • 数学の洋書を読んでいて分からない単語があります

    閲覧ありがとう御座います。 数学の洋書に出てくる「all but finitely many」の訳が分かりません。 finitely manyは「高々可算」なのでしょうが上記はどのように訳すのでしょう? 解答よろしくお願いします。

  • 解析の問題です。

    解き方教えてください! x^2+y^2=1のもとで、Z=y^2-4xy+4x^2の最大値最小値を求めよ

  • 解析の問題です。

    解き方教えてください! x^2+y^2=1のもとで、Z=y^2-4xy+4x^2の最大値最小値を求めよ

  • 閉集であるという証明

    実空間をRとして RxRの部分集合 x∈R (x,1/x) 0<x≦1 が何故閉集なのか分かりません。。。(普通のユークリッド空間の距離で作られた位相空間とします) どなたか証明よろしくお願いします。

  • 聖書は 表現〔形式の多様性〕の問題である。

     (1)  《神》なる次元と《経験世界》とのあいだの隔たりを重く見た場合に それらの関係をどう表現するか。これが ひとつの表現の問題である。そもそも神と人とは 互いに同じ平面において並列するものではない。絶対的と言うべき隔たりがある。  (2) けっきょくのところ 神とヒトとの――次元を隔てた――関係を表現するには 仮りの表現にならざるを得ない。神本体をこの経験合理性を超えるようなチカラを持たない人間の言葉で直接に表わすことは出来ない。(つまりこれは 空(シューニャター)観である)。  (3) ぎゃくに言いかえると 神を表わすときには 仮りの表現として――本体(答え)をみちびく補助線を引くかたちで――いかようにもその形式をこころみることが出来る。神についての表現形式は いくらでもある。人間は 自由に補助線を引けばよい。その真実味や信憑性を競えばよい。  (4) かくて 神をあつかう聖書は――幾人かの聖書記者たちが相い競ったかのようにして―― 表現の問題である。ということは 表現形式の多様性の問題である。  (5) とは言っても おそらく主題は 神とけっきょく人間としての我れとの関係であり この関係とは何であり 如何にあるか? だと考えられる。人間の条件(自然本性の限界)を問うかのような《存在》論。あるいは 《〈わたし〉とは何か》。そしてあたかも《無からの創造 creatio ex nihilo 》と言うかのように そこに創造された(生成して来た)《モノ》論――自然科学――。  (6) 神が《創造する》とは どういうことか? 《つくる》とか《創造主》とかの表現ないし文字にこだわることはない。はずだ。  ▲ (創世記1:1)  http://www.blueletterbible.org/Bible.cfm?b=Gen&c=1&t=KJV#s=t_conc_1001  ▲ Gen 1:1 בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים אֵת הַשָּׁמַיִם וְאֵת הָאָֽרֶץ׃  ( Be-resit   bara’ Elohim    et-ha-samaim   wa-et ha-’arec.)  ( In-beginning He-created God (acc.)-the-heaven and-(acc.) the earth.)  ▲(KJV):In the beginning God created the heaven and the earth.  ▲(新共同訳) 初めに、神は天地を創造された。  (7) この《 created / 創造した》を表わす《バラー》なる語についてそれは 《切ることによって形をつくる》という原義の言葉であるようですが 《創造する to create 》の意味では 神にのみ使うと言います。    ○ bara'  http://www.blueletterbible.org/lang/lexicon/lexicon.cfm?Strongs=H1254&t=KJV  (8)  だとしたら ますますこの《創造する》なる表現形式にはこだわる必要がない。と考えられます。  (9) すなわちたとえば 《光(あるいは天地)なるモノを作ろうと思う。というよりは 光なるモノがおのづから成るように環境をととのえてやろう。ぢゃあ そうすっか》とでも言って そうした。のかも知れない。  (10) すなわち 《無からの創造》というときの《無》とは 有ったり無かったりする相対世界の無ではなく 絶対領域であるからには まったく人間には分からない。と同時に それを理解しようとして如何ようにもというほどにわれわれはそれぞれに補助線を引くことが出来る。  (11) 絶対領域というのは 絶対無でもあれば絶対有でもありうる。したがって 神を《有る神・存在としての神・生命なる神》という呼び名で呼ぶことを人は選び得るし あるいはそうではなく 《無い神》としてもその呼び名を選ぶことが出来る。そのほうが 神を知るにはよい補助線だと思えば 人は自由にそれを引く。すなわち いわゆる無神論である。  (12) 無神論にあっては この《バラー(創造した)》の中身を さらにたとえば 《いやいや 神などと言ってもその言葉はどの言語にも用いられているが 実質はない。あるのは ただ光などのモノのみである。すなわち 初めからモノがユラギを始め自己運動を起こした。というだけである。世界は モノの世界である》という表現形式をえらぶかも知れない。  (13) 有神論と無神論。どちらも 人間にとって自由な表現形式をえらんだその結果としてあり 持たれている。互いに同等である。  (14) ところで かの福音書記者のヨハネ(つまりイエスの弟子のヨハネ)は 言葉が《天地や光る》なるモノ(存在)と同時に発生したのではないかという説などは どこ吹く風で この言葉を《ロゴス》として《初め》に持って来た。すでに《神》として持ち出した。そういう表現形式を採ったのである。そういう補助線を引いたのである。  ▼ (ヨハネによる福音 1:1-5) ~~~~~~     はじめに ことば(ロゴス)があった。  ことばは かみとともにあった。  ことばは かみであった。  このことばは はじめにかみとともにあった。  すべてのものは ことばによって成った。  成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。  ことばの内に いのちがあった。  いのちは 人を照らすひかりであった。  ひかりは 暗闇のなかでかがやいている。  くらやみは ひかりをとらえ得なかった。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  (15) 表現の問題としてこのあたりまで たどり着けるのではないか。これを 検証しつつさらにあらたな出発へとすすむことが出来るのではないか。という意味で 成否と当否を問います。  (16) なお《光あれ》(創世記1:3)というときドイツ語が 《 werden :〔光が〕成る》という語を翻訳で用いている。このことは ひとつの――補助線としての――ヒラメキを示しているかも分かりません。《有る》とともに《成る》というニュアンスの言葉を当てることも 一解ではないかと。  (17) フォイエルバッハとかいう人は 神学は人間学であると言ったようです。たぶんこのフォイエルバッハの意図とは違って その《火の川(?)》を突き抜けて このいまの神学⇒人間の存在論――つまり人間と社会の理論――は さらにこれからも寄与するところがあるものと考えますが みなさんにあっては いかがでしょうか?

  • 「神とは、定義できないものである」と定義する。

     「神とは、定義できないものである」と定義する。 ただし、ちょっとまってね。神だとやっかいそうなので、  「Gとは、定義できないものである」と定義する。 Gはもともと意義を持たない、単なるラベル。この定義によって、「定義できないもの」という属性概念の名称になる。そして意義が生成する。 Gの性質は、本質的に「定義できないもの」という属性と言うことになり、 「AはG」ということで、「Aは定義できないもの」ということをさす。 そして、定義以外の「GはB」という形式の概念思考はできないとする。 というのは、Gの定義から考えられることは、この定義以外の属性を分析判断することができないと思うから。 それとも、たとえば、「Gは創造主である」とか、「Gは絶対者である」とかでてきますか? ちなみにこれは、真面目な問いです。

  • 同値変形,存在記号∃について (ベクトル)

    問題 (a→)=(2,4) (b→)=(3,x)である。 このとき、(a→)と(b→)が平行となるようなxを求めよ。」 以下、同値変形で解いてみようとした私の回答です。 (a→)と(b→)が平行 ⇔ (3,x)=k(2,4)を満たすk∈Rが存在する。 ⇔ ∃k, (3,x)=k(2,4) ⇔ ∃k, 3=2k かつ x=4k ⇔ ??? もちろん答えはx=6なのですが、上の同値変形がうまく書き表せません。 書き方を教えてくださるとうれしいです。 また、私はまだ⇔や∃などに慣れていないため、記号の使い方に不適切なところがあるかもしれませんので、ご指摘いただければ幸いです。 回答よろしくお願いいたします。

  • 同値変形,存在記号∃について (ベクトル)

    問題 (a→)=(2,4) (b→)=(3,x)である。 このとき、(a→)と(b→)が平行となるようなxを求めよ。」 以下、同値変形で解いてみようとした私の回答です。 (a→)と(b→)が平行 ⇔ (3,x)=k(2,4)を満たすk∈Rが存在する。 ⇔ ∃k, (3,x)=k(2,4) ⇔ ∃k, 3=2k かつ x=4k ⇔ ??? もちろん答えはx=6なのですが、上の同値変形がうまく書き表せません。 書き方を教えてくださるとうれしいです。 また、私はまだ⇔や∃などに慣れていないため、記号の使い方に不適切なところがあるかもしれませんので、ご指摘いただければ幸いです。 回答よろしくお願いいたします。