pikaruche の回答履歴

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  • 「独占」が何故「市場の失敗」をもたらすのか?

    経済学を学んだ方に質問です。 「市場の失敗」の原因として「(自然)独占」が挙げられることがありますよね? 確かに「市場」には「競争」というイメージがあり、「独占」には「競争が無い」というイメージがあるので、一見すると「うんうん、独占が起きてしまったら市場の良さが損なわれるよね」と納得してしまいそうになります。 しかし、「市場の失敗」とは、「パレート最適な配分が実現されない」ことですよね? ならば、「独占」は「市場の失敗」の原因にはならないように思えてきます。確かに競争が行われないことは消費者の不利になりますが、そもそも「パレート最適」とは「それ以上どう配分をいじっても、誰かの効用を下げずに他の誰かの効用を上げることはできない」という状態を指す言葉で、消費者の損得と直接には関係無いものです。つまり、いくら消費者が損をするような配分が行われようと、「その配分をそれ以上どういじっても、生産者(この場合は独占者)の利益を減らしてしまう」のであれば、それは「パレート最適」ということができ、「市場の失敗」は起きていないことになります。 経済学では、独占企業もまた他の全ての者と同様に「自己の効用の最大化」を考えて振る舞うものと想定されますよね? すなわち、「消費者たちからいかに多くの金を搾り取り、自社の利益を最大にするか」を考えて立ち回るということです。そしてその目論見が成功したなら、その時点で「パレート最適な配分」は達成されていることになるのでは? 独占企業が考えられる限りの手を使って消費者から金を搾り、自社の利益を最大化した結果がその配分なのですから、それを少しでもいじれば、必ずその独占企業の効用(利益)は減ります。いじることによっていくら消費者の効用が増えても、独占企業の効用が減ってしまう以上、「パレート最適」の定義には合致してしまいます。 以上が素人の私の「素朴な疑問」です。誰か詳しい方、お答えいただけませんでしょうか?

  • 「独占」が何故「市場の失敗」をもたらすのか?

    経済学を学んだ方に質問です。 「市場の失敗」の原因として「(自然)独占」が挙げられることがありますよね? 確かに「市場」には「競争」というイメージがあり、「独占」には「競争が無い」というイメージがあるので、一見すると「うんうん、独占が起きてしまったら市場の良さが損なわれるよね」と納得してしまいそうになります。 しかし、「市場の失敗」とは、「パレート最適な配分が実現されない」ことですよね? ならば、「独占」は「市場の失敗」の原因にはならないように思えてきます。確かに競争が行われないことは消費者の不利になりますが、そもそも「パレート最適」とは「それ以上どう配分をいじっても、誰かの効用を下げずに他の誰かの効用を上げることはできない」という状態を指す言葉で、消費者の損得と直接には関係無いものです。つまり、いくら消費者が損をするような配分が行われようと、「その配分をそれ以上どういじっても、生産者(この場合は独占者)の利益を減らしてしまう」のであれば、それは「パレート最適」ということができ、「市場の失敗」は起きていないことになります。 経済学では、独占企業もまた他の全ての者と同様に「自己の効用の最大化」を考えて振る舞うものと想定されますよね? すなわち、「消費者たちからいかに多くの金を搾り取り、自社の利益を最大にするか」を考えて立ち回るということです。そしてその目論見が成功したなら、その時点で「パレート最適な配分」は達成されていることになるのでは? 独占企業が考えられる限りの手を使って消費者から金を搾り、自社の利益を最大化した結果がその配分なのですから、それを少しでもいじれば、必ずその独占企業の効用(利益)は減ります。いじることによっていくら消費者の効用が増えても、独占企業の効用が減ってしまう以上、「パレート最適」の定義には合致してしまいます。 以上が素人の私の「素朴な疑問」です。誰か詳しい方、お答えいただけませんでしょうか?

  • 「独占」が何故「市場の失敗」をもたらすのか?

    経済学を学んだ方に質問です。 「市場の失敗」の原因として「(自然)独占」が挙げられることがありますよね? 確かに「市場」には「競争」というイメージがあり、「独占」には「競争が無い」というイメージがあるので、一見すると「うんうん、独占が起きてしまったら市場の良さが損なわれるよね」と納得してしまいそうになります。 しかし、「市場の失敗」とは、「パレート最適な配分が実現されない」ことですよね? ならば、「独占」は「市場の失敗」の原因にはならないように思えてきます。確かに競争が行われないことは消費者の不利になりますが、そもそも「パレート最適」とは「それ以上どう配分をいじっても、誰かの効用を下げずに他の誰かの効用を上げることはできない」という状態を指す言葉で、消費者の損得と直接には関係無いものです。つまり、いくら消費者が損をするような配分が行われようと、「その配分をそれ以上どういじっても、生産者(この場合は独占者)の利益を減らしてしまう」のであれば、それは「パレート最適」ということができ、「市場の失敗」は起きていないことになります。 経済学では、独占企業もまた他の全ての者と同様に「自己の効用の最大化」を考えて振る舞うものと想定されますよね? すなわち、「消費者たちからいかに多くの金を搾り取り、自社の利益を最大にするか」を考えて立ち回るということです。そしてその目論見が成功したなら、その時点で「パレート最適な配分」は達成されていることになるのでは? 独占企業が考えられる限りの手を使って消費者から金を搾り、自社の利益を最大化した結果がその配分なのですから、それを少しでもいじれば、必ずその独占企業の効用(利益)は減ります。いじることによっていくら消費者の効用が増えても、独占企業の効用が減ってしまう以上、「パレート最適」の定義には合致してしまいます。 以上が素人の私の「素朴な疑問」です。誰か詳しい方、お答えいただけませんでしょうか?

  • 「独占」が何故「市場の失敗」をもたらすのか?

    経済学を学んだ方に質問です。 「市場の失敗」の原因として「(自然)独占」が挙げられることがありますよね? 確かに「市場」には「競争」というイメージがあり、「独占」には「競争が無い」というイメージがあるので、一見すると「うんうん、独占が起きてしまったら市場の良さが損なわれるよね」と納得してしまいそうになります。 しかし、「市場の失敗」とは、「パレート最適な配分が実現されない」ことですよね? ならば、「独占」は「市場の失敗」の原因にはならないように思えてきます。確かに競争が行われないことは消費者の不利になりますが、そもそも「パレート最適」とは「それ以上どう配分をいじっても、誰かの効用を下げずに他の誰かの効用を上げることはできない」という状態を指す言葉で、消費者の損得と直接には関係無いものです。つまり、いくら消費者が損をするような配分が行われようと、「その配分をそれ以上どういじっても、生産者(この場合は独占者)の利益を減らしてしまう」のであれば、それは「パレート最適」ということができ、「市場の失敗」は起きていないことになります。 経済学では、独占企業もまた他の全ての者と同様に「自己の効用の最大化」を考えて振る舞うものと想定されますよね? すなわち、「消費者たちからいかに多くの金を搾り取り、自社の利益を最大にするか」を考えて立ち回るということです。そしてその目論見が成功したなら、その時点で「パレート最適な配分」は達成されていることになるのでは? 独占企業が考えられる限りの手を使って消費者から金を搾り、自社の利益を最大化した結果がその配分なのですから、それを少しでもいじれば、必ずその独占企業の効用(利益)は減ります。いじることによっていくら消費者の効用が増えても、独占企業の効用が減ってしまう以上、「パレート最適」の定義には合致してしまいます。 以上が素人の私の「素朴な疑問」です。誰か詳しい方、お答えいただけませんでしょうか?

  • 死んだらどうなる?

    高2男です。 死後の世界や来世前世、無になるなどいろんな意見がありますが、どう思いますか? 考えても仕方がない分野の質問かとも思うのですが、いろいろな意見を聞きたいので質問させていただきます。 自分は半々です。 いまの技術ならクローン人間とか作れるらしいですし、クローンが作れるということは魂とかもないと思うし、微生物とか分裂する生物に関しても説明がつかなくなってしまうと感じました。 でもやっぱりあって欲しい気持ちがほとんどあるので、半分半分です。 みなさんは死後の世界やら来世などあると思いますか?ないと思いますか?

  • 「独占」が何故「市場の失敗」をもたらすのか?

    経済学を学んだ方に質問です。 「市場の失敗」の原因として「(自然)独占」が挙げられることがありますよね? 確かに「市場」には「競争」というイメージがあり、「独占」には「競争が無い」というイメージがあるので、一見すると「うんうん、独占が起きてしまったら市場の良さが損なわれるよね」と納得してしまいそうになります。 しかし、「市場の失敗」とは、「パレート最適な配分が実現されない」ことですよね? ならば、「独占」は「市場の失敗」の原因にはならないように思えてきます。確かに競争が行われないことは消費者の不利になりますが、そもそも「パレート最適」とは「それ以上どう配分をいじっても、誰かの効用を下げずに他の誰かの効用を上げることはできない」という状態を指す言葉で、消費者の損得と直接には関係無いものです。つまり、いくら消費者が損をするような配分が行われようと、「その配分をそれ以上どういじっても、生産者(この場合は独占者)の利益を減らしてしまう」のであれば、それは「パレート最適」ということができ、「市場の失敗」は起きていないことになります。 経済学では、独占企業もまた他の全ての者と同様に「自己の効用の最大化」を考えて振る舞うものと想定されますよね? すなわち、「消費者たちからいかに多くの金を搾り取り、自社の利益を最大にするか」を考えて立ち回るということです。そしてその目論見が成功したなら、その時点で「パレート最適な配分」は達成されていることになるのでは? 独占企業が考えられる限りの手を使って消費者から金を搾り、自社の利益を最大化した結果がその配分なのですから、それを少しでもいじれば、必ずその独占企業の効用(利益)は減ります。いじることによっていくら消費者の効用が増えても、独占企業の効用が減ってしまう以上、「パレート最適」の定義には合致してしまいます。 以上が素人の私の「素朴な疑問」です。誰か詳しい方、お答えいただけませんでしょうか?

  • 死んだらどうなる?

    高2男です。 死後の世界や来世前世、無になるなどいろんな意見がありますが、どう思いますか? 考えても仕方がない分野の質問かとも思うのですが、いろいろな意見を聞きたいので質問させていただきます。 自分は半々です。 いまの技術ならクローン人間とか作れるらしいですし、クローンが作れるということは魂とかもないと思うし、微生物とか分裂する生物に関しても説明がつかなくなってしまうと感じました。 でもやっぱりあって欲しい気持ちがほとんどあるので、半分半分です。 みなさんは死後の世界やら来世などあると思いますか?ないと思いますか?

  • 『聖書』は 日本人には要らないか?

     漠然とした問いです。必ずしも焦点がさだまらないかも分かりませんが 問いとしてはむしろはっきりしているとも考えます。要るか要らないかですから。  哲学カテで問うているというのが ただひとつの前提でしょうか。  という出で立ちで 思うところを述べてみてくださいますか?  むろん なぜそう考えるかをお聞きしたい。  そうして主題を伸ばして行ければというコンタンです。  たとえば 『聖書』とそしてクリスチアニズム(特にはそのオシエ)との違いがすでにあります。  教会など坊主の関与する世界とそうではない世界との違いもあります。  あるいは あなたはこの書物をどう位置づけていますか? といった問いにもなるかと考えます。  よろしくどうぞ。

  • 哲学に人生を賭けるのは愚かか?

    私は思春期に色々と考えて 哲学を極めないと世界は良くならないと思いました。 それで大学も中退して、家を出てアルバイトをしながら 自分で考えました。 能率は悪かったですが 仏門に入ったようなつもりでした。 永平寺などでは東大での人が修行を積んで仏教を極め悟りを目指すようですし 京大や東大や九大にも優秀な人が哲学科の大学院まで行って 教授になったりして 哲学をしています。しかし答えがでない。 私はそんなに優秀ではありませんので 違う方法を取った訳です。 哲学的に哲学してみました?その結果「存在性思想」にたどり着きましたが これもまだ ?マークが付きます。 哲学に人生をかけ 病気をして無意味な一生を終えようとする私はバカだったのでしょうか? 病人の為短文でご感想などお聞かせください。

  • 霊感・霊視占いって当ると思いますか?

    私は、あることで悩んでいるときに、友人と気晴らしに横浜に旅行しました。 その時、中華街で街頭占いの占い師さんに友人と一緒に占ってもらいました。 特段リサーチはしていなかったので、たまたま選んだ占い師さんです。 その方は霊視・霊感が強いとおっしゃっていて、 私や友人の過去や未来が視えるとの事でした。 私の事はさておき、友人は霊視で「近いうちに生涯の伴侶にめぐり会う」と言われましたが、 今、不倫の泥沼にはまっています。私が「やめなよ」と言っても聞きません。 相手の奥さんにもばれて、結構大変なことになっています。 その点では、霊視は外れたことになります。 私の占いは仕事運でしたが、「トラブルはあるかもしれないけれど乗り越えられる」と言われました。 私は、今の職場が好きですし、仕事にトラブルは付き物ですが、頑張って乗り越えています。 そう言う意味では、霊視は当ったことになります。 でも、友人は結婚・恋愛願望が強い、夢見がちなところのある女性ですし、 私は、結婚・恋愛にも興味はありますが、キャリアアップを第一に考えるタイプです。 それは、占わなくても、会話の中からわかると思います。 占い師さんは、本当に霊視が出来たのでしょうか? 本当の霊視が可能な方は、ごく限られた(日本には数えるほどしかいない)と思います。 中華街の占いは、旅行のおまけみたいな感覚でしたので、 それほど真剣にとらえてはいませんが、私は占い自体に疑問を持ってしまいました。 霊感・霊視って本当にできる町の占い師は居るのでしょうか(特殊能力者は除く)。 私自身は、全く霊感がないため、何かの事故現場に行っても、全く霊的なものは感じず、 その後、霊障で?不幸をもたらされたこともありません。

  • 木村藤子さんに精神バランス崩してると言われました

    私は前に、霊能者で有名な木村藤子さんに透視してもらった事があるのですが、木村藤子さんが私に「精神バランス崩してる」と言われました。 後で周りの人(学校や家庭の人など)に私って精神バランス崩してるように見えるかどうか質問したらみんな「全然精神バランスなんか崩してないでしょ」と言われました。 周りの人から私は正常に見えていても、神様は私の心の奥深くの状態を見てそれで精神バランスを崩してると判断したということですか?

  • どんな《神は死んだ》のか?

     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの〔ニーチェの〕文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてそんなに熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。

  • 大学院に行きたいというアメリカ人の彼。

    大学院に進学して心理学者になりたいというアメリカ人の彼。結婚は、無理でしょうか? 付き合って1年半のアメリカ人の彼がいます。 私、彼共に28歳です。私は、結婚願望が強く、子供を考える 歳になりました。 彼と縁があれば結婚をしたいと思っています。 彼も同じように結婚を考えているようなのですが、彼の夢を聞いて不安になりました。彼の夢・考えは、 30歳になったら大学院に進学したい。心理学者になりたい。この夢は絶対で、私が反対しても変わらない。結婚して子供は、大学院に行く前に作りたい。一緒にアメリカに来て欲しい。と。 大学院に行きながら子供を育てられる経済力はあるの?と聞くとバイトするから!と言います。子育て経験がない私ですが、大学院に通いながら空いた時間のバイトだけでは不可能だと思っています。私が働くと言っても知らない地で言葉の壁もある中、私の収入はあてになりません。 それを彼に伝えても、心理学者になれば給料はすごくよくなる!僕は絶対に心理学者になれるから、少しの我慢だ!と言うだけです。 私の両親は、「悪いけど、夢物語を聞いてるようにしか感じない。心理学者になりたい事は良いことだけど、30歳からとか、親になってから、とか甘すぎる。それで、あ、そうですか。と娘をアメリカに行かせられない。結婚を考えるなら彼では無理じゃないか?よく考えなさい。」と言っています。みなさんの考えを聞かせて下さい。 彼が言う心理学者とは、彼が言うように簡単になれるものなのでしょうか? 私は、彼が好きですが目標とするものが違う場合、別れるのもお互いの為だと思っています。 彼とは結婚を考えるのは、難しいでしょうか? 分かりづらい文ですが、宜しくお願いします。

  • 死別

    4か月前主人と死別しました。 仕事に悩み、一人で抱え込みこの世を自ら去ってしまいました。 わたしとまだ小さい子供を残していきました。持ち家でわたしと主人の実家は遠いです。こちらでできた友達の力を借りて今日まで来ました。主人が逝って2ヶ月くらいのころ友人の知り合いのかたに霊視をしてもらいました。そのかたは人助けになれば…、と力を商売にしている方ではないので呼ばれるように行ったという感じです、もちろんお金など払っていません。いろいろアドバイスいただきました。主人の言葉も教えていただきました。一つ、気になることがあります。今の家を出なさい。土地がよくないといわれました。でも、私はここにすみたいのです。 どういけないのかまでは聞いていません。 最後は、心に従うのが一番だとは思います。しかし、人生でこんなに辛いことはないと思うほど悲しい経験をした後なので、怖いんです。ここに住んでいってもいいのか、自信がありません。ここを離れてどこに行けばいいのかもわかりません。子どもたちという守るものがあるので余計怖いのです。わかっています。こんなことに左右されていてはいけないんだと、でも、毎日考えて仕方ありません。どなたか、スピリチュアル的な回答でアドバイスいただけないでしょうか?

  • なぜ原理主義がでてくるのか?

    高等批評とか懐かしいのですが、 なにはともあれ、文献学とかで聖書も解体されているわけです。 それなのにどうして、 聖書に書いてあることと、やっていることが違うとか いうことになるのでしょうか? みんなわかっていて、からかうのが楽しいからそういう話になるのでしょうか? 高等批評 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E6%89%B9%E8%A9%95

  • 全く知識が無い人がいい加減に回答する

    法律に詳しい方に回答お願いします。 と、きちんと質問に記載したのに、間違ったことを平気で回答されました。 この回答を外すにはどうしたらいいでしょうか? 皆さんはこのような時にはどのように対処していますか? 削除して質問しなおすしかないのでしょうか?

  • ミクロ経済学の問題です。

    ヒントか答えだけで嬉しいです。 教えてください。お願いします 完全競争市場の場合を考える。 財1、2を消費する消費者と財1、2を生産する生産者がいます。 効用関数は、U=X1X2 生産関数は、X2=F(X1)=2X^1/2 消費者の初期保有量は財1が2単位、財2が0単位である。また、消費者は生産者の株主であり、利潤を受け取る。従って、消費者の所得は利潤と初期保有の一部を売却して得られる金額の合計に相当する。完全競争均衡における価格比(P1/P2)を求めなさい。

  • 経済学(数学)の英語の文献の解説をお願いします

    以下の文献になるのですが, http://upup.bz/j/my56847fgEYti-2Arf_IRD6.png なかなか難しく手が出ない状態にあります. とある文献(最初のほう)の1例の意味が理解できません. そのため,私自身の英語力故に理解できていない可能性もありますので, もしも英語力堪能な方がいらっしゃれば,文章部分の和訳のみを行って いただけると非常にありがたいです。 また,もしも内容まで理解でき,解説頂ける方がいらっしゃいましたら, ご解説頂けるとありがたいです. 恥ずかしながら手も足も出ないというのが本音でして, もしも英語もしくはこの方面に関する知識をお持ちの方がいらっしゃいましたら お助け頂けると非常にありがたいです. 宜しくお願い致します。

  • 偶然と必然と。 偶然はあるの?

    例によりまして、ふと、私の頭に浮かんだ素朴な疑問について質問いたします。 偶然って何ですか? 必然(性)とは何ですか? Wikipediaを見たところ、必然性の欠如をもって偶然と呼ぶ、といったような記述がありました。 ネットにある辞書によりますと ───────── 偶然 [名・形動]何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。「―の一致」「―に見つける」⇔必然。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/60444/m0u/ ───────── ───────── ひつ‐ぜん 【必然】 [名・形動]必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。また、そのさま。「―の帰結」「なまけたのだから不合格は―だ」⇔蓋然(がいぜん)/偶然。 http://kotobank.jp/word/%E5%BF%85%E7%84%B6 ───────── ───────── がい‐ぜん 【蓋然】 たぶんそうであろうと考えられること。ある程度確実であること。⇔必然。 http://kotobank.jp/word/%E8%93%8B%E7%84%B6?dic=daijisen ───────── とありました。 論理学的な必然(性)はひとまず置いておきまして、 どうやら、必然と偶然を分けるものは、  1 因果関係の有る無し  2 予測可能か、いなか の2点にあるようです。 で、更に私の疑問は深まります。 この世に因果関係と無縁に存在するものはあるのだろうか? ある現象が発生するための因果関係があまりに複雑で、また、同時に、我々の得られる情報があまりに少なく、その現象の発生を予見できないものを、 単に偶然と呼んでいるのに過ぎないのではないか? もちろん、私たちは量子力学や不確定原理を知っていますので、ラプラスの悪魔が存在しないことは知っています。 ですが、我々の感覚器官は精度の悪い観測器のようなもので、量子レベルの不確定さは検出できません。 また、私たちが実際に生きている世界はマクロ系であり、この世界は古典物理学が支配する決定論的世界です。  ───ここでいう決定論的は100%の精度の意味ではなく、99.9・・・%と、9が有限桁続く精度の予見可能性の世界、程度の意味。この精度は99.9%でも構わない─── この様に考えるならば、 人間が実際に五感で感じ、生きる世界の現象に偶然などありうるのだろうか? ただ、我々の知識と情報の欠如のために、そして、計算能力の低さのために、偶然と感じるだけなのではないか? 皆さんのお考えを教えてください。 ───────── ラプラスの魔【Laplace's demon】 自然界のあらゆる力と宇宙全体のある時点における状態を完全に把握することができ,かつ,これらの素材を完璧に解析する能力をもった仮想的な知的存在.このような魔(demon)にとっては宇宙の中に何一つとして不確実なものはなく,未来のことを完璧な形で予見することが可能となる. https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%AD%94-791574 ─────────