entahu2 の回答履歴

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  • 問題を質問の形に うまく文章に起こせないパースンは どう対処して その

    問題を質問の形に うまく文章に起こせないパースンは どう対処して その言語力の 欠損を補い 能力改良 へ向かえばよいのでしょうか 

  • 性的唯幻論について。

    最近、岸田秀さんの著作を読んでおります。 主に性的なものの解釈についての記述を追い掛けておりますので、文化論等は飛ばすと言うやんちゃな読みです。 岸田さんの性についての解釈。 これに、私としては今の所「論理の穴は皆無」と感じておりますけれど、 どうなのでしょうか? この彼の論理で、私はこれ迄自分が抱えて来た問題に解釈がつきましたし、 現状世の中にある様々な性の形も、説明がつく、と思えます。 岸田さんの唯幻論の論理に穴はあるのでしょうか? また、 読み進める際の注意点等ありましたら、ご教示頂けませんか? よろしくお願います!

  • 性的唯幻論について。

    最近、岸田秀さんの著作を読んでおります。 主に性的なものの解釈についての記述を追い掛けておりますので、文化論等は飛ばすと言うやんちゃな読みです。 岸田さんの性についての解釈。 これに、私としては今の所「論理の穴は皆無」と感じておりますけれど、 どうなのでしょうか? この彼の論理で、私はこれ迄自分が抱えて来た問題に解釈がつきましたし、 現状世の中にある様々な性の形も、説明がつく、と思えます。 岸田さんの唯幻論の論理に穴はあるのでしょうか? また、 読み進める際の注意点等ありましたら、ご教示頂けませんか? よろしくお願います!

  • 性的唯幻論について。

    最近、岸田秀さんの著作を読んでおります。 主に性的なものの解釈についての記述を追い掛けておりますので、文化論等は飛ばすと言うやんちゃな読みです。 岸田さんの性についての解釈。 これに、私としては今の所「論理の穴は皆無」と感じておりますけれど、 どうなのでしょうか? この彼の論理で、私はこれ迄自分が抱えて来た問題に解釈がつきましたし、 現状世の中にある様々な性の形も、説明がつく、と思えます。 岸田さんの唯幻論の論理に穴はあるのでしょうか? また、 読み進める際の注意点等ありましたら、ご教示頂けませんか? よろしくお願います!

  • 宗教 = 天国 + 地獄 + 神

    宗教の成立要件について1つ確認しておきたいのですが、この公式あっているでしょうか つまり、右辺の3つが揃わないと宗教は成り立たないと。

  • 神仏に慈悲を願い、取りすがる事は信仰の自由の範囲内で完結するのか その4

    イタズラ回答を回避しながら断続的投稿です。 その一12月22日付 ​http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5539308.html​ 宗教と言う組織の特徴的な現象として「神様争奪戦」の弊害の原因として神仏に取りすがる姿勢を提起したつもりです。 その2 12月31日付 質問趣旨が誤解されてアラシにあったので削除されました。 その3 1月6日付 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5573063.html 自助と互助のバランスとして信仰の共同体(宗教)の役割を問おうとしました。 思いがけずA1さんより健全な信仰心の在り方についてコメントをいただいていますが、そのような感謝とは別にあらかじめ神仏に要求を突き付けるのはとりすがりと言うべきではなかろうかとも考えます。 宗教が健全な信仰をはぐくみより良く生きるための互助団体として機能すれば話は早いのですが、実情はご利益追求のための信仰とは無縁の欲望の成就を祈願するとりすがり団体の側面があり、肥大化した求心力ゆえの暴挙として、要するに神様争奪戦として歴史に現れる失点があるのではないか。 その原因の一つとして曲がった求心力を信仰に期待するとりすがりがあり、集団として暴力と化しているからこそ、神仏に取りすがる姿勢は個人の自由として容認せざる横暴ではないか。 私は平均的な日本人らしい生活をしており、信仰を表ざたにしたり意識的に生活に取り入れたりはしません。このような普通人にとって信仰を表ざたにする立場とは、とりすがりに代表される神仏への辱めを行う人間としての裏切り者、廃人、とも受け止められます。もちろんこれは偏見と判りますが、一般的に信仰におぼれる者の特徴として毛嫌いされる要素です。この点について信仰の内側よりの説明をいただきたいと思って質問しています。

  • 性的唯幻論について。

    最近、岸田秀さんの著作を読んでおります。 主に性的なものの解釈についての記述を追い掛けておりますので、文化論等は飛ばすと言うやんちゃな読みです。 岸田さんの性についての解釈。 これに、私としては今の所「論理の穴は皆無」と感じておりますけれど、 どうなのでしょうか? この彼の論理で、私はこれ迄自分が抱えて来た問題に解釈がつきましたし、 現状世の中にある様々な性の形も、説明がつく、と思えます。 岸田さんの唯幻論の論理に穴はあるのでしょうか? また、 読み進める際の注意点等ありましたら、ご教示頂けませんか? よろしくお願います!

  • 性的唯幻論について。

    最近、岸田秀さんの著作を読んでおります。 主に性的なものの解釈についての記述を追い掛けておりますので、文化論等は飛ばすと言うやんちゃな読みです。 岸田さんの性についての解釈。 これに、私としては今の所「論理の穴は皆無」と感じておりますけれど、 どうなのでしょうか? この彼の論理で、私はこれ迄自分が抱えて来た問題に解釈がつきましたし、 現状世の中にある様々な性の形も、説明がつく、と思えます。 岸田さんの唯幻論の論理に穴はあるのでしょうか? また、 読み進める際の注意点等ありましたら、ご教示頂けませんか? よろしくお願います!

  • 性的唯幻論について。

    最近、岸田秀さんの著作を読んでおります。 主に性的なものの解釈についての記述を追い掛けておりますので、文化論等は飛ばすと言うやんちゃな読みです。 岸田さんの性についての解釈。 これに、私としては今の所「論理の穴は皆無」と感じておりますけれど、 どうなのでしょうか? この彼の論理で、私はこれ迄自分が抱えて来た問題に解釈がつきましたし、 現状世の中にある様々な性の形も、説明がつく、と思えます。 岸田さんの唯幻論の論理に穴はあるのでしょうか? また、 読み進める際の注意点等ありましたら、ご教示頂けませんか? よろしくお願います!

  • @-^^-@スイッチとルートサーバとそれ以外だ-^^-これはコンピュー

    @-^^-@スイッチとルートサーバとそれ以外だ-^^-これはコンピュータ網をダイアグラムいわゆる線図にしたとき真理でしょうか-^^-日常界へ降りてきた回答望むゆえにここに質問@-^^-@でりみたはet_tteiu@-^^-@いわゆる改行というでりみた。 いわゆる改行というデリミタ。 @-^^-@

  • めぐみ(恩恵)について

     次にかかげるパウロの文章を読んで お考えになるところをおしえてください。      これはまづお事割りしますが――集団の宗教やその教義に関すること    は一切取り上げていませんが―― 個人の信仰ないし神学にかかわる    特殊な主題です。ですが その判断基準は 経験科学としての哲学に    あります。  ▲ (パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~~~~~~~~~  (α) その子供たち(双子)がまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、    「兄は弟に仕えるであろう」(創世記25:23)  と〔母〕リベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行ないにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。    「わたし〔=神〕は〔弟の〕ヤコブを愛し、〔兄の〕エサウを憎んだ」     (マラキ書1:2-3)  と書いてあるとおりです。  (β) では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 神はモーセに、    「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を   慈しむ」(出エジプト記33:19)  と言っておられます。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。  (γ)  聖書には〔モーセに敵対したエジプト王〕ファラオについて、    「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現わし、   わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」(出エジプト記9:16)  と書いてあります。 このように、神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは――α・β・γ三つの主題はいづれもひとつの課題におさまるように思われ――端的に言って 神による《えこひいき》あるいは《不条理》のもとに《めぐみ》があるという意味なのでしょうか?  たとえば   ▲ (ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。  ☆ とありますが そういう意味でしょうか? つまりこれは イエスの言葉で 次の話につづくものです。  ▲ (ヨハネ福音 3:6-7) ~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。  『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしに見方はあり考えも持っていますが どうも柔軟性が劣って来たかに感じたものですから みなさんからの知恵をお借りしたいと思いました。(ですから わたしに分かっているところは ただちに突っ込みを入れさせてもらいます。そうして なにかが得られどこかの地点に出られるなら さいわいです)。ブレインストーミングのごとくにでもご見解をお寄せください。

  • めぐみ(恩恵)について

     次にかかげるパウロの文章を読んで お考えになるところをおしえてください。      これはまづお事割りしますが――集団の宗教やその教義に関すること    は一切取り上げていませんが―― 個人の信仰ないし神学にかかわる    特殊な主題です。ですが その判断基準は 経験科学としての哲学に    あります。  ▲ (パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~~~~~~~~~  (α) その子供たち(双子)がまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、    「兄は弟に仕えるであろう」(創世記25:23)  と〔母〕リベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行ないにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。    「わたし〔=神〕は〔弟の〕ヤコブを愛し、〔兄の〕エサウを憎んだ」     (マラキ書1:2-3)  と書いてあるとおりです。  (β) では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 神はモーセに、    「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を   慈しむ」(出エジプト記33:19)  と言っておられます。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。  (γ)  聖書には〔モーセに敵対したエジプト王〕ファラオについて、    「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現わし、   わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」(出エジプト記9:16)  と書いてあります。 このように、神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは――α・β・γ三つの主題はいづれもひとつの課題におさまるように思われ――端的に言って 神による《えこひいき》あるいは《不条理》のもとに《めぐみ》があるという意味なのでしょうか?  たとえば   ▲ (ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。  ☆ とありますが そういう意味でしょうか? つまりこれは イエスの言葉で 次の話につづくものです。  ▲ (ヨハネ福音 3:6-7) ~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。  『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしに見方はあり考えも持っていますが どうも柔軟性が劣って来たかに感じたものですから みなさんからの知恵をお借りしたいと思いました。(ですから わたしに分かっているところは ただちに突っ込みを入れさせてもらいます。そうして なにかが得られどこかの地点に出られるなら さいわいです)。ブレインストーミングのごとくにでもご見解をお寄せください。

  • めぐみ(恩恵)について

     次にかかげるパウロの文章を読んで お考えになるところをおしえてください。      これはまづお事割りしますが――集団の宗教やその教義に関すること    は一切取り上げていませんが―― 個人の信仰ないし神学にかかわる    特殊な主題です。ですが その判断基準は 経験科学としての哲学に    あります。  ▲ (パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~~~~~~~~~  (α) その子供たち(双子)がまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、    「兄は弟に仕えるであろう」(創世記25:23)  と〔母〕リベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行ないにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。    「わたし〔=神〕は〔弟の〕ヤコブを愛し、〔兄の〕エサウを憎んだ」     (マラキ書1:2-3)  と書いてあるとおりです。  (β) では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 神はモーセに、    「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を   慈しむ」(出エジプト記33:19)  と言っておられます。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。  (γ)  聖書には〔モーセに敵対したエジプト王〕ファラオについて、    「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現わし、   わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」(出エジプト記9:16)  と書いてあります。 このように、神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは――α・β・γ三つの主題はいづれもひとつの課題におさまるように思われ――端的に言って 神による《えこひいき》あるいは《不条理》のもとに《めぐみ》があるという意味なのでしょうか?  たとえば   ▲ (ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。  ☆ とありますが そういう意味でしょうか? つまりこれは イエスの言葉で 次の話につづくものです。  ▲ (ヨハネ福音 3:6-7) ~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。  『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしに見方はあり考えも持っていますが どうも柔軟性が劣って来たかに感じたものですから みなさんからの知恵をお借りしたいと思いました。(ですから わたしに分かっているところは ただちに突っ込みを入れさせてもらいます。そうして なにかが得られどこかの地点に出られるなら さいわいです)。ブレインストーミングのごとくにでもご見解をお寄せください。

  • めぐみ(恩恵)について

     次にかかげるパウロの文章を読んで お考えになるところをおしえてください。      これはまづお事割りしますが――集団の宗教やその教義に関すること    は一切取り上げていませんが―― 個人の信仰ないし神学にかかわる    特殊な主題です。ですが その判断基準は 経験科学としての哲学に    あります。  ▲ (パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~~~~~~~~~  (α) その子供たち(双子)がまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、    「兄は弟に仕えるであろう」(創世記25:23)  と〔母〕リベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行ないにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。    「わたし〔=神〕は〔弟の〕ヤコブを愛し、〔兄の〕エサウを憎んだ」     (マラキ書1:2-3)  と書いてあるとおりです。  (β) では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 神はモーセに、    「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を   慈しむ」(出エジプト記33:19)  と言っておられます。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。  (γ)  聖書には〔モーセに敵対したエジプト王〕ファラオについて、    「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現わし、   わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」(出エジプト記9:16)  と書いてあります。 このように、神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは――α・β・γ三つの主題はいづれもひとつの課題におさまるように思われ――端的に言って 神による《えこひいき》あるいは《不条理》のもとに《めぐみ》があるという意味なのでしょうか?  たとえば   ▲ (ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。  ☆ とありますが そういう意味でしょうか? つまりこれは イエスの言葉で 次の話につづくものです。  ▲ (ヨハネ福音 3:6-7) ~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。  『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしに見方はあり考えも持っていますが どうも柔軟性が劣って来たかに感じたものですから みなさんからの知恵をお借りしたいと思いました。(ですから わたしに分かっているところは ただちに突っ込みを入れさせてもらいます。そうして なにかが得られどこかの地点に出られるなら さいわいです)。ブレインストーミングのごとくにでもご見解をお寄せください。

  • ^^^閉鎖病棟^^^^この意味チャンクから^^^^^質問者に^^^^^

    ^^^閉鎖病棟^^^^この意味チャンクから^^^^^質問者に^^^^^^運営にID消されないよう^^^^^^^ご指導ご鞭撻を与えてください^^^^^^^^運営も公安も汐留も赤坂も台場も7→5も12⇒7もMXも^^^^^^^^^わたしを消さないでください^^^^^^^^^^改行。 改行。 まとめに入ります。ここまでの文字列というか前段落は参考情報として大目に見てください。改行。 改行。 質問本題。はばきぎほうせい、の閉鎖病棟は未読ですが、臓器農場は十年以上前に東京四谷で読んだ記憶のある人が質問発行者です。隔離病棟や独房に明るい印象をお与えください。偏見を減少のために。怪魚う。改行。 改行P。 改行。 よろしくおねがいします。管理社会の底辺階級からの手紙。改段落。

  • めぐみ(恩恵)について

     次にかかげるパウロの文章を読んで お考えになるところをおしえてください。      これはまづお事割りしますが――集団の宗教やその教義に関すること    は一切取り上げていませんが―― 個人の信仰ないし神学にかかわる    特殊な主題です。ですが その判断基準は 経験科学としての哲学に    あります。  ▲ (パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~~~~~~~~~  (α) その子供たち(双子)がまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、    「兄は弟に仕えるであろう」(創世記25:23)  と〔母〕リベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行ないにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。    「わたし〔=神〕は〔弟の〕ヤコブを愛し、〔兄の〕エサウを憎んだ」     (マラキ書1:2-3)  と書いてあるとおりです。  (β) では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 神はモーセに、    「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を   慈しむ」(出エジプト記33:19)  と言っておられます。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。  (γ)  聖書には〔モーセに敵対したエジプト王〕ファラオについて、    「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現わし、   わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」(出エジプト記9:16)  と書いてあります。 このように、神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは――α・β・γ三つの主題はいづれもひとつの課題におさまるように思われ――端的に言って 神による《えこひいき》あるいは《不条理》のもとに《めぐみ》があるという意味なのでしょうか?  たとえば   ▲ (ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。  ☆ とありますが そういう意味でしょうか? つまりこれは イエスの言葉で 次の話につづくものです。  ▲ (ヨハネ福音 3:6-7) ~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。  『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしに見方はあり考えも持っていますが どうも柔軟性が劣って来たかに感じたものですから みなさんからの知恵をお借りしたいと思いました。(ですから わたしに分かっているところは ただちに突っ込みを入れさせてもらいます。そうして なにかが得られどこかの地点に出られるなら さいわいです)。ブレインストーミングのごとくにでもご見解をお寄せください。

  • 法華経は何処がありがたいのか

    法華経は何処がありがたいのでしょうか? 心を打つ言葉一つないと思うのですが...。 法華宗の信者。創価学会の皆さん、どうでしょうか?

  • 美術や音楽は進歩していますか。

    美術や音楽は進歩していますか。 今の時代、ダビンチやベートーベンの時代よりも進歩している(上である)と言えますか。

  • エロは生存本能だって言うのに、なぜ隠すのか?

    いいっすかぁ!? 目を見開いて、よーく質問を読んでくださいよ! 本質的なことを書きますからね。 あまりに本質的過ぎるので、面食らうかもしれませんが、そこをもう一段掘り下げるととんでもなく人間存在の不思議について突き当たります。 なぜ人は、自分の性を隠したがるのか? 人が存続していくためには実に大切な本能欲求です。 それを、エロ本をもっているのを隠すとは、なんと矛盾した行動なのでしょうか? そろそろ読むのもいやになってきたかもしれないので、ここからは蛇足です。 小学生のとき20代のおじの家に行って、そのときおじの棚にいろいろ面白いものがあったので、借りてみていたのですが、その中にまぁちょっとエロっぽいものがあった。それをみられたとわかったおじは、いつも機嫌がいいのに急に険しい雰囲気になったのです。「そんなにエロなものってもっていちゃいけないの?」と小学生ながら根本的な疑問を感じて、恐怖というか嫌悪と言うか、大人社会の中でのエロと言う物がそんなに忌避すべきものなんかという戦慄を味わいました。そういうトラウマって誰にでも多かれ少なかれありますよね。 なぜ、こういうときに「ああ、こんなにエロなんだ!立派!」というような感覚に一般人一般社会はなれないのでしょうかね。そんなにも「隠す」ものでしょうか?

  • お寺で住職に注意されたのですが

    4年ほど前、京都の紅葉で有名なお寺に行った時の事。 お茶を飲みながら庭の紅葉を十分に堪能して帰ろうとした時、どういう流れかは忘れましたが真言の話を同行者とすることになりました。 (おそらく住職の話に出たか、寺の掛け軸にあったか) で、軽い気持ちで「昔、猿飛佐助のアニメがあって、主人公のサスケが『オン キリキリバサラ ウンハッタ』と唱えて色々な術を使っていたよ」 という話をしました。 また「孔雀王という漫画で『アビラ ウンケン ソワカ』なんても言ってたな」とも。 すると遠くでそれを聞いていたご住職がとんできて 「そういう言葉をみだりに発してはいけない」 という話を15分ほどされました。 そのお寺は紅葉のライトアップなどをしていて、観光地のお金儲けという様相が強かったので、そういう寺の住職が説教するとはよほど重大なあやまちを犯したのかと怖くなってしまいました。 それらの言葉はどんな意味があるのでしょうか。