ghostbuster の回答履歴

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  • 間テクスト性

    以前大学の講義の中で「間テクスト性」というものの存在を知りました。 当時とても興味をもったのですが、文学部の専門的な講義というわけではなく一般教養の中で少し触れたくらい、という程度でした。 (文学部のある大学ではありませんでした) その講義自体とても興味深いものだったので最近それを思い出し、パロディやオマージュ、引用の関係など、小説や物語における「間テクスト性」について詳しく知りたいと思っています。 一応Wikipediaの「間テクスト性」のページは見ましたが、そうした専門的な知識がないので、分かるような、分からないような……という状態です。 初心者にも分かりやすく書かれた「間テクスト性」について書かれた書籍がありましたら、教えていただけないでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 物語の登場人物と、倫理

     文学作品に限らず、なにかしらの物語を読むというとき、  「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」というような評価はアリエナイ)  というのは、現在、何かしらの物語を読み、評価するときのごくスタンダードな立場だ、と認識しています。私自身もまあまず殆どの場合、そのような読み方をする読者でありますし、私が会話する相手にもそのような読者であるということを期待します。  しかし、こういった「読み」の在り方は、特に物語の読者となるための基本的な教養として共有している層と共有していない層がいるよな、ということが最近どうも気にかかるようになってきました。言ってみれば、小説を読む/マンガを読む/映画を観るということの「メディアリテラシー」の在る層と無い層という言い方もできるのかもしれませんが、この問題は意外と複雑な議論を含みうるような気がしています。私自身、それがどういった議論になりうるのか、ということを、まだあまり整理して考えられていないのですが、  そもそもこういった「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」といった<読み方>の態度の要請は、おそらく極めて近代的な<読み方>の態度なのではないか、という気がするのですが、 (1)こうした<読み方>の態度は一体いつごろから普及したのか (2)誰が、どういう理屈を掲げて言い始めたのか (3)この<読み方>に対する論争史のようなものはあるのか といったことをご存じの方がいらっしゃったら教えていただけませんでしょうか。シャルチエなどの近代読書行為論みたいな領域で扱われてそうな気もするのですが、どうもそちらのほうに詳しい知人がいないので。  宜しくお願い致します。

  • 物語の登場人物と、倫理

     文学作品に限らず、なにかしらの物語を読むというとき、  「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」というような評価はアリエナイ)  というのは、現在、何かしらの物語を読み、評価するときのごくスタンダードな立場だ、と認識しています。私自身もまあまず殆どの場合、そのような読み方をする読者でありますし、私が会話する相手にもそのような読者であるということを期待します。  しかし、こういった「読み」の在り方は、特に物語の読者となるための基本的な教養として共有している層と共有していない層がいるよな、ということが最近どうも気にかかるようになってきました。言ってみれば、小説を読む/マンガを読む/映画を観るということの「メディアリテラシー」の在る層と無い層という言い方もできるのかもしれませんが、この問題は意外と複雑な議論を含みうるような気がしています。私自身、それがどういった議論になりうるのか、ということを、まだあまり整理して考えられていないのですが、  そもそもこういった「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」といった<読み方>の態度の要請は、おそらく極めて近代的な<読み方>の態度なのではないか、という気がするのですが、 (1)こうした<読み方>の態度は一体いつごろから普及したのか (2)誰が、どういう理屈を掲げて言い始めたのか (3)この<読み方>に対する論争史のようなものはあるのか といったことをご存じの方がいらっしゃったら教えていただけませんでしょうか。シャルチエなどの近代読書行為論みたいな領域で扱われてそうな気もするのですが、どうもそちらのほうに詳しい知人がいないので。  宜しくお願い致します。

  • カリクレス対ソクラテス

    「ゴルギアス」の中で展開されるカリクレスの「自然の正義」論について質問します。 カリクレスは「自分の欲望を自分の力で満たすことができる人は幸福である」と主張しますよね。 これに対するソクラテスの反論を詳しく解説していただけませんか? 本文を読んでも、ポイントがいまひとつわからなくて。。。 「秩序を持って生きる方が、放埓に生きるよりも尊い」 容訳するとこんなところでしょうか?

  • 文明の概念を導入した思想家は?

    ――文明という考え方は、18世紀フランスの思想家によって「未開状態」の対極にあるものとして展開された。―― こういう記述に出合いました。 ここでいう思想家とは誰ですか。何という著作物で論じられていますか。 よろしくお願いします。 なお、断るまでもないのでしょうが原文は読めません。

  • 本質の意味についてご教示お願いいたします。

     本質という言葉の意味がいまいちよくわかりません。 辞書を引くと以下のような解説が出てきました。  (1)あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質    (2)変化常ない現象的存在に対し、その背後または内奥に潜む恒常的  な   もの。  (3)実在に対する語として、なんらかのものが現に存在しているとい  う事実から離れて、そのものが「何」であるかという定義によって   いわれているもの。     あまりにも抽象的すぎてわかりません。    (1)~(3)までの本質の意味を具体例を交えてご教示いただけまし   たら幸いです。     又、僕なりに(1)と(3)の意味を考えて、具体例を交えて書くの    で、    それが正しいかそうでないかの判断もお願いします。     (1)は、ある物事の定義されている性質の事でしょうか?哲学    の本質を言うならば、「前提や問題点の明確化、概念の厳密     化、命題間の関係の整理などの理性的な思考を通じて、様々な    主題について論じて研究を進める学問」がその本質なのでしょ    うか?(WIKIPEDIAを元にして本質を定義しました。     (3)は、例えば1+1はいくつか?という問題があったとした    らその問題の本質は「足し算」。    

  • カントが全財産を賭けたものは?

    カントが全財産を賭けたものは?

  • 社会的事物とシンボル的宇宙

    「物理的宇宙とシンボル的宇宙を対置し、前者を実在、後者を幻想と見なす発想には、社会的な事物を実在と認めない偏向が窺えます。」  やすいゆたか「シンボルを操る動物―カッシーラーの人間観」より この一文が理解できません。なぜシンボル的宇宙を幻想とみなすと、社会的事物も幻想になるのですか。                    

  • カントが全財産を賭けたものは?

    カントが全財産を賭けたものは?

  • 『精神現象学』における「我々」の「尺度」について

    「自己の水脈 ヘーゲル「精神現象学」の方法と経験」、片山善博、2002年3月、23-24項)で、 ((「意識が自分の内部において即自あるいは真理と言明するものに即して、我々は、意識が自分の知を測定するために自分で立てる尺度を持つのである」(G.W.F.Hegel:Gesammelte Werke Bd.9.PHa"nomenologie des Geistes,hers.Rheinisch Westfa"lischen Akademie der Wissenschaften,Du"sseldorf 1980.59)。 ヘーゲルはこのことによって「我々」の「学」たる地位を保証しようとする。 つまり意識が立てる即自を尺度と認めることによって、自らの尺度を対象の側の運動として客観的に示すことができるのである。 したがって「我々」の「学」の可能性を現実化たらしめるには、「我々」は、意識それ自身の運動に身を委ねなければならず(学も現象であるという側面)、さらにはその根本として、意識自身が「学」たる境地に至らなければならない。 意識の区別立てした知(現象知)が、我々の<知>の構成要素となる。)) とありますが、 「自らの尺度を対象の側の運動として客観的に示すことができるのである。」とはどういうことでしょうか? 「尺度」や「我々」をヘーゲル用語辞典などで調べましたが、よく理解できませんでした。 宜しくお願いいします。

  • メルロ・ポンティの「見えるもの」「見えないもの」

    メルロ・ポンティの言う「見えるもの」が「見えないもの」として「見えるもの」を見えさせる例とは、例えばどのようなことなのでしょうか? いまいちよくこの考えが分かりません。 どなたか教えてください。

  • カントの道徳

    カントの道徳はなぜ二世界説をとるのでしょうか?? なぜ二世界説でなければならなかったのでしょうか??

  • イギリス経験論 大陸合理論 先天的かつ総合的判断

    上記のキーワードを使ってのレポートがあります。 どのように論じればよいでしょう? あるいはこのレポートに適した簡単な著作を教えてください。

  • ホルクハイマー・アドルノのフランクフルト学派の思想

    こんにちは。 大学受験生です。 よろしくお願いいたします。 ホルクハイマーとアドルノの共著で啓蒙の弁証法という本に書いてある「道具的理性」とそれ(?)をなんとかするための「批判的理論」が難しくてわかりません。そもそもこんな難しいことを一ページですますのもどうかと思いますが、彼らは何が問題でどういう方法(思想)でそれをなんとかしようとしたのですか? わかりやすく説明していただくとありがたいです。 よろしくお願いいたします。

  • 他者に何か訴えかけようrとするとき、

     我々が何か他者に訴えかけようとするとき、「理屈で語る」のと「物語で語る」のとどちらが効果的なんでしょうか??  例えば嘘をつかせないようにするとき、「嘘をついてはいけません」と言うのと、「嘘つきは閻魔様に舌を抜かれるよ」と言うのとどちらが効果的でしょうか??  ちょっと漠然とした質問で申し訳ないのですが、文意を読み取っていただけると助かります。よろしくお願いします。

  • 自由意志

    絶対的な確実性をもって未来全体を知っている一群の生物を想定して、それらの生物に自由意志と呼ばなければならないような何かが備わっていることが可能であるでしょうか。

  • 自由意志

    絶対的な確実性をもって未来全体を知っている一群の生物を想定して、それらの生物に自由意志と呼ばなければならないような何かが備わっていることが可能であるでしょうか。

  • 「あまりに急いで恩返しをしようとするのは、一種の忘恩である。」

    ラ・ロシュフコーという人の言葉です。 この言葉に、「なんと機微に通じた言葉だろう」と感嘆できる人は現代では皆無なのでしょうか? 寺田寅彦『丸善と三越』 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2437_10300.html 田舎(いなか)から出て来た自分の母は「東京の人に物を贈ると、まるで狐(きつね)を打つように返して来るよ」といって驚いた。これに関する例のP君の説はやはり変わっている。「切手[商品券]は好意の代表物である。しかしその好意というのは、かなり多くの場合に、自己の虚栄心を満足するために相手の虚栄心を傷つけるという事になる。それで敵から砲弾を見舞われて黙っていられないと同様に、侮辱に対して侮辱を贈り返すのである。速射砲や機関銃が必要であると同様に、切手は最も必要な利器である。」いかにもP君の言いそうな事ではあるが、もしやこれがいくぶんでも真実だとしたら、それはなんという情けない事実だろう。

  • 抽象的な表現を使っての詩の書き方について

    個人的趣味の範囲でファンタジー小説まがいなものを書いてるものです。 そこで、魔法を唱える呪文を抽象的な表現で書きたいのですが、中々思い浮かびません。 想像力の欠如と言われればそれまでですが、どうにか上達する手段はないものでしょうか。 何卒アドバイス宜しくお願い致します。

  • 抽象的な表現を使っての詩の書き方について

    個人的趣味の範囲でファンタジー小説まがいなものを書いてるものです。 そこで、魔法を唱える呪文を抽象的な表現で書きたいのですが、中々思い浮かびません。 想像力の欠如と言われればそれまでですが、どうにか上達する手段はないものでしょうか。 何卒アドバイス宜しくお願い致します。