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豪雨
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- 韓国のフェイズドアレイレーダー開発は簡単にできる?
米国が韓国にフェイズドアレイレーダーの技術移転を拒否したそうです。韓国はアメリカの技術供与の申し出を拒否して自国で開発すると言っているそうです。 近年人工衛星の打ち上げに成功した韓国の素晴らしい科学技術をもってすればフェイズドアレイレーダー開発は簡単に開発できますよね? これが出来ないと日本に張り合って導入する予定のF35も張り子の虎になってしまいまう気がしますが・・・。
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- 国際問題
- ketsuro8da
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- タダでボランティアしてますって胸張って言ってますが
タダでボランティアしてますって胸張って言ってますが、本当にタダで働くことが社会にとって良いことなのでしょうか? 定年後の社会にお世話になったので社会に還元したいと言ったおばあちゃん。おばあちゃんは採算度外視で定食屋を始めたら周りの飲食店は潰れた。 タダで高齢者の老人ホームのボランティアをしている人。これってただ老人ホームの経営者の肥やしを増やしてるだけだったりする。 無料で老人支援施設を作ったら、有料の老人支援施設は老人が集まらなくて廃業。 鼻っから儲けを度外視することが本当に社会の役に立ってるのだろうか?
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- blackkigyou2017
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- 東京が水不足っておかしくない?
全国的に雨が降って、東京の水がめである新潟や群馬でも雨が降って、東京の周辺も東京そのものも結構雨が降って水不足ってなんか不思議です。 どなたかわかりやすくご解説願います。
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- 自然環境・エネルギー
- 4237438
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- 地球温暖化ってたいしたことないの?
米国のトランプ大統領がパリ協定の枠組みから抜けるみたいなことを言ってます。 ていうことは、地球温暖化っていうのは、いかにも大変だみたいな空気をみんなで つくっているだけで、ホントはそれほど大したことではないんでしょうか? 米国が「うちは抜けるわ。やりたい国どうしでやってくれ。ドイツとか。」 みたいな態度をとるということはそういう気がするんですけど。 まあ将来的に困るかもしれないけど、とりあえずすぐにどうこういうことはないから しばらく様子みましょうか、みたいな。
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- 自然環境・エネルギー
- noname#227888
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- 夏フェスの時の熱中症対策
夏フェスにいく予定があるのですが、熱中症対策として下記以外にできる対策があれば教えてください。 ・ペットボトルを凍らせてもっていく(スポドリ、麦茶) ・帽子をかぶる ・塩分タブレットをたべる ・ぬらすと冷えるタオル
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- ライブ・コンサート
- matiaeoaji
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- ヤマト運輸のDM便って4日以上もかかるものなんです
ヤマト運輸のDM便って4日以上もかかるものなんですか?問い合わせ番号をもらいましたが未だに到着しません。今日で丸4日目なんです。
- 北朝鮮問題で日本は危機にさらされているが、日本はこ
北朝鮮問題で日本は危機にさらされているが、日本はこれから先はどうなっていってしまうのでしょうか? 怖くてたまらないです。 アメリカの動きのせいで日本がよく狙われてますが、しかし、北朝鮮問題だけではなくアメリカなどの動き次第で日本は危機にさらされている状況下にあるが、日本はどうなっていってしまうのかな・・・。 心配だし絶望的感情があるくらい私は怖いです。 日本はアメリカにNoとは言えないし、アメリカの属国みたいなものですから仕方ないのかな・・・。 しかし、日本はこれから先はどんな危機が待ち受けるのだろう。
- ここ数年、日本の果物が高くなっているのはなぜ?
私は埼玉在住なのですがここ数年、日本の果物が高くなっています。 桃、ナシ、デコポンなどが3割以上値上がりしている感じです。ただ輸入品のオレンジとかバナナとかは横ばいか少し安くなっている感じです。 ここ数年、日本の果物が高くなっているのはなぜですか?
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- ニュース・時事問題
- drogan-man
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- 週間天気をよく見ていると、結局当日は雨が降る日が多
週間天気をよく見ていると、結局当日は雨が降る日が多いのに、はじめから雨と予報せず、始めは晴や曇と予報して途中で雨の予報に変えることが多いですがなぜですか。 降水確率も最初は低いのに、段々高くなることが多いですがなぜですか。1日前の予報で雨マークがなかったのに、当日は雨が降る事が多いです。
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- 地学
- noname#265211
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- 台風で自宅やその周辺に損害が出たことはありますか?
台風で自宅やその周辺に損害が出たことはありますか? 私は向かいの家の屋根が半分ぐらいはがれてめくりあがっていてびっくりしました
- 英文を訳して下さい。
The increased tempo of attack allowed by the systematic planning and decentralisation of responsibility from army to corps and divisions and the reduction of much of the planning to a routine, led to the time between attacks being further reduced. Faster attack preparations reduced the time available for artillery to prepare assaults, which combined with the return of heavy rain after 4 October, substantially to reduce British artillery support during the battles of Poelcapelle on 9 October and the First Battle of Passchendaele on 12 October. As optimism at the possibility of advancing over the Passchendaele watershed increased the weather broke. Victoria Cross Acting Lieutenant-Colonel Philip Bent of the 7th Division, 1 October. Nine Victoria Crosses awarded during the Battle of Broodseinde, 4 October. Acting Sergeant-Major James Ockendon, of the 29th Division. Acting Captain Clement Robertson, of the Royal Tank Regiment. Sergeant Charles Harry Coverdale, from the 11th Division. Acting Corporal Fred Greaves, of the 11th Division. Private Arthur Hutt, from the 48th Division. Sergeant Lewis McGee, of the Australian 3rd Division. Lance-Corporal Walter Peeler, from the Australian 3rd Division. Acting Lieutenant Colonel Lewis Pugh Evans, of the 21st Division. Private Thomas Henry Sage from the 37th Division. The Battle of Poelcappelle was fought in Flanders on 9 October 1917 by the British and German armies, during the First World War and marked the end of the string of highly successful British attacks in late September and early October, during the Third Battle of Ypres. Only the supporting attack in the north achieved a substantial advance. On the main front the German defences withstood the limited amount of artillery fire managed by the British after the attack of 4 October. The ground along the main ridges had been severely damaged by shelling and rapidly deteriorated in the rains, which began again on 3 October, turning some areas into a swamp. Dreadful ground conditions had more effect on the British, who needed to move large amounts of artillery and ammunition to support the next attack. Poelcappelle ポエルカペル
- 日本は、何で蜘蛛の巣、電線国なのですか?
・日本中どこでも、電線電線またまた電線です。 ・何でこんな国になってしまったのでしょうか。 ・せっかくの貴重な世界遺産や風景が台無しに。 ・道や街は、電柱ばかりで、災害防災の妨害に。 ・外国は、電線敷設は地下が殆どらしいですが。 ・戦後や震災後チャンスはあったと思いますが。 ・住民も景観の保護を主張しなかった責任あり。 ・オリンピックを控えて、東京都知事は積極的。 ・訪れる外国人もハイテク日本の不思議と撮影。 何とかならないのでしょうか。 無電線日本を夢見てる爺より。
- 予想、総理の意図
「もしかして、北朝鮮を挑発してるのかなぁ」 先日の国連での総理の演説を聞いて、ふと、そう思ってしまったのですが、皆様はどう思われますか? (1)北朝鮮から攻撃を受け、憲法改正⇒自衛隊を軍隊へと昇格させたい (2)アメリカの意図を(それこそ忖度)汲み取っての演説 (3)国際社会で、リーダーとして認められるには、あれくらい積極的に (4)総理の正義感 (5)その他 本来であれば、「大日本帝国の末路を思い出せ、軍備を増強したら終わり」と、北朝鮮を説得する側に回るべきだと思うのですが、アメリカや人道支援を決めた韓国よりも強硬姿勢を貫いている。 そういえば、イスラム国のときも、わざわざイスラエルで演説して、怒りを買ったような記憶があるな~と思っているこの私に、どうか、総理の意図を(予想して)教えて下さい。 宜しくお願い致します。
- 室内アンテナはどこにつけるんですか?
室内アンテナを購入しようと思っています。 家にはTVの出力端子がそれぞれの部屋の壁にあります。 アンテナの置き場所は屋根裏部屋と考えていますが、 家の出力端子に電波を送ろうと思ったら、どこかから入力する必要があるのですよね? 屋根裏(部屋ではなく)に入るとあるものなのでしょうか? それとも、テレビに直接つなぐものでしょうか? 出来ればブースターを使ってでも、屋根裏部屋におきたいのですが。 電波は中継基地が目の前なので大丈夫だと思います。 なお、家が保証対象外になってしまうため、室外アンテナは設置できません。
- ウィルス、バッタ、水害
世界中で蔓延してるウィルス 世界中の食い物を食い荒らすバッタ 暴発した格差問題と人種問題 中国で起きた大水害 もう何か地球全体が世紀末感漂ってるね。 人類の強欲と横暴に対して、神様仏様がお怒りなん?
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- noname#244009
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- 家購入 夫の意見
現在、アパートに住んでいます。 来年春に更新時期を迎えるのと、子供が小学校に上がるので、それまでに家購入をと思い昨年より一年くらい土地を探していますが、なかなか良い土地がありません。 不動産屋さんもHMさんも口を揃えて「ここらへんは地形の問題もあって新しい土地がなかなか出て来ない。多少の妥協も必要です」と言うので、多分本当だと思います。 最近、小学校からは遠い(2km以上)がその他は希望通りの土地があり、夫の意見を聞いたところ「そんなに急いで買う必要があるのか、もう少しじっくり探しても良いんじゃないか」と言います。夫は超慎重な性格で、昨年土地探しを始めた時も全く同じ事を言っており、最近では土地の話題を持ち出すだけで嫌な顔をするようになりました。おそらく、大きい買い物なので&打ち合わせなどの手続きが面倒なので現実として考えたくないのだと思います。「じゃあ、今のアパートにずっと住むのか」と聞くと「それは嫌だ」と言います。夫の言う「もう少し」は一体いつまでなのか、このままではいつまでも家を買えないのではないかと悲しくなります。 希望するエリアは今とは違う学区なので、来年に間に合わなければ小学校を転校になりますし、アパートの更新料も無駄になります。せっかく早くから動き出したのに、夫がいつまでもこの有り様ではズルズルと時間だけが過ぎて行きます。かと言ってメインでお金を出すのは夫なので強い態度には出られません。 やはり、夫がその気になるまで諦めて待つしか無いのでしょうか…?
- 英文を訳して下さい。
The expulsion of German forces from their outposts in Ngaundere meant that significant resistance in the north of Kamerun would be absent. It allowed General Cunliffe's columns the freedom to move further south into the central plateau of the colony. The British did pursue the German forces who had once occupied Ngaundere who withdrew to Tangere. The British took this position without a fight on 12 July and repulsed a German attempt to recapture it on 23 July. The German force withdrew once again in the direction of Tibati. However, due to heavy rains and the remaining German stronghold at Mora, Cunliffe would not continue his advance southward until October. His force arrived on 23 August to assist in the Siege of Mora which would last until the end of the campaign. The Battle of Otavi fought between the militaries of the Union of South Africa and German Southwest Africa on 1 July 1915 was the final battle of the South West Africa Campaign of World War I. The battle, fought between Otavi mountain and Otavifontein, was a delaying action led by the German Major Hermann Ritter. Ritter's forces intended to buy the main German force at Tsombe several days so as they could harden their positions there. In the end, Botha's forces were able to rout Ritter's troops, leading to an overall breakdown in the German lines that brought the campaign to an end. By mid 1915 the South African advance in German Southwest Africa had gained considerable ground and efforts at negotiating a ceasefire had failed. Rather than seek a decisive battle, the German commander Victor Franke had decided to resort to keeping his army as intact as possible so as to maintain a German claim to the territory after the end of the war. Rather than resort to guerrilla warfare or attempt to break out of German Southwest Africa, Franke decided to retreat along the railway and build up defenses around Tsombe. With the South African army under Louis Botha rapidly approaching, Franke decided to leave a delaying force under his second in command Major Hermann Ritter at Otavifontein. The delaying force was tasked with holding up Botha for as long as possible so that the main force at Tsombe could concentrate its forces and solidify its defenses there. Botha began his advance on June 18, learning from intercepted communications that the Germans were retreating up the railway but would not retreat farther than Namutoni. Botha split his 13,000 troops into four columns with one on each flank and two under his personal command driving up along the railway. With a swift advance, the South Africans began to surround the German positions and Botha's central columns managed to reach Otavi by July 1. The Battle of Otavi オタヴィの戦い
