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信じられるものがない・・これって何?

世の中のもの大半を信じることができなくて困っています。 べつだん、宗教のような信仰がほしいとか、何者にも屈しない自信がほしいとかというわけではないのです。 本当に日常的に必要な、法律や社会的ルール、あらゆる常識、ニュース、人の助言・・・を逐一疑ってしまいます。どうせ信じられないから、と何も自分の身にならないままです。 自分の場合、AC的に親の顔色を伺いながら優等生的に育ってしまった過去があり、 それを自覚した途端、すべての価値観が狂い、よりどころがなくなったような感じです。人格障害にかなり近い気もするのですが。身動きがとれない感じです。病的なものを感じています。 身内に迷惑をかけながら、なんとか生きていますが、 信じられるものがないので先に進みません。社会と交わるとっかかりがないような感じです。 こういった症状の病気や障害ってありますでしょうか。 なにか思い当たるようなヒントとか助言だけでも・・・あれば・・・お願いします。

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回答No.11

疑うというのはとても苦しいことでしょうね。 目に映るものの大半が、意味のない、信じるに足らないと見えるということは、 美しいものを見ても、感動することは難しいし、 悲しさも、どこかベール越しで感じるようなことではないですか? 喜怒哀楽を奪われている状態だと思います。 多分、何かをするという「やる気」も なかなか沸き起こらないのではないでしょうか。 ACというのは、アダルトチルドレンということでしょうか。 親御さんの顔色を見て優等生でい続けた過去がおありなら、 おそらく、一番心が柔軟で、繊細で、貪欲に吸収する力にあふれた時代を 自分のためにではなく、親御さんのために捧げてこられたのだと思います。 魔法がとけて、さあ、親御さん抜きで自分のための人生を歩いていこうと思っても、 礎(いしずえ)となる自分自身が築かれてきていないのですから、 何をするにつけてもどこか人ごと、実体験に結びつかないようなあいまいさ、 不安を感じるのは無理もないと思います。 これまでの回答者に対するあなたの言葉を拝見しました。 とてもていねいに回答者の方の話に沿って返答されているのに感心しました。 同時に、少し人間の心理を解剖しすぎなのでは、ということを感じました。 言葉を変えますと、 とても、デジタルな部分をあなたから感じました。 アナログ・・・・・・つまり記号や言葉にできない「感動や情熱」そういった部分を、 あなたの文章から、やはり感じないのです。 分析し、理解することに関しては、あなたはとても優れていると思います。 それを、いっそう大きな武器、あるいは魅力にするためには、 人間らしいやわらかな心を取り戻すことが必要だと思うんです。 これからは、親御さんのためではなく、 主役は「私だ」と割り切ってください。 「身内に迷惑をかけながら」という文章からも、 ACと気づいていながら、まだあなたは周囲中心の位置からシフトしていないと思うのです。 迷惑をかけるのは仕方のないこと、恩返しは後で必ずするからと割り切って、 どんどん自分を人生の主役にひっぱってくることです。 手始めに、 美術館やコンサート、あるいはおいしいお店へいって、 積極的に、視覚、聴覚、味覚を楽しみましょう。 感覚を鍛える、と言葉を変えてもいいぐらいです。 映画を何本も見、本をたくさん読みましょう。 これらを実行する上で大事なのは、 理詰めで考える前に、 まず心の声に、素直に耳を傾けることです。 それはシンプルなほどいいんです。嬉しいだとか、悲しいとか、愉快だとか。 解剖してしまうと、感動する余地が残らないからです。 全て理屈で説明してしまうと、 最後は「だからどうだっていうの」という言葉でしめくくらざるを得ないでしょう? そして、何よりも変化を楽しむことです。 疑うという心理は、変化を本能的に嫌う傾向があると思うんです。(私個人の考えですが) 宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」に、   「生きることは変わることだ」 というセリフが出てきます。私はこの言葉を読んで、がつんと頭を殴られた気がしました。 変化を追求しなくなったら、 生の喜びはどこで得ることができるでしょう。 安定し続けていても、不思議と人間、落ち着かなくなるものです。 どんなに裕福で心配事がない暮らしをしていても、 変化がなければ、災厄を呼び込んででも人は何かを変えようとする。 あなたが「信じられない」という辛さを訴えるのは、 何かを変えたい気持ちが根底にあるからです。 殻を破って、今まで知らなかった自分を見てみたいという願いはないでしょうか。 感動する力がそなわってきたら、 見るもの聞くもの触れるもの全てがみずみずしく、 積極的に何かをしてみたいという気概に満ちてきます。 変わること、傷つくことをおそれないで、 「信じられない」世界のど真ん中に、勇気を持って飛び込んでみてください。 信じられないものを信じられるようになったときの喜びを、 ぜひあなた自身の力で勝ち取ってください。

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質問者

お礼

ありがとうございます。なんと言っていいか・・・恐縮です。見事言い当てられております。特に「おそらく、一番心が柔軟で、繊細で、貪欲に吸収する力にあふれた時代を・・・」のあたり、私が普段感じていることそのものズバリです。一種の虚無感、生のリアリティの無さのようなぼんやりした感覚です。 感情もたしかに無いです。昔、人から「心から笑ったことありますか」と問われ、「ないかもなあ・・・」と内省したことを思い出しました。 この内面の虚無を、今まで付き合いのあった多くの人たちにもそういう印象を持たれていたんじゃないかなと思います。 具体的処方も示してくださって・・・(わかりやすい!やれそう!)。 感覚を養うことにもっと積極的になってもいいみたいですね。すぐに感動する心を取り戻せるかまだわかりませんが、やってみようという気が起きました。これは私自身から出てきた確かな感覚だと思います。 人間は殻を破り続けることで生の実感を得ていくのかも知れませんね・・・。 (ナウシカのコミック版が家にあるから手始めに読んでみようかな)

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  • 5748
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回答No.2

身内に迷惑をかけていると意識されているだけ救いがあると思います。 私の会社に、 ため息をつく、大きな声で独り言を言う、鼻歌を唄う、机の引き出しを力いっぱい閉める、の繰り返しをしている 男がいますが、本人は一向に傍若無人な振る舞いをしていると思っていません。少しでも、批判しようものなら逆ギレします。 質問のような気持になるということは、現実の生活が充実していないからにほかなりません。 多分、現実との引っかかりの中で「引きこもる」根拠を見出すしかないと思います。 吉本隆明さんの「引きこもれ」を読まれたらいいと思います。

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質問者

お礼

その会社の方が社会性のない人というのはわかりました。ただ、私の質問とは少しずれている気もしますが・・・。 現実の生活が充足していないため、(吉本氏の言うような)現実的生活の中での引っかかり(とっかかり?)を見つけていくべしということでしょうか。 推薦の書、一読してみます。ありがとうございました。

  • apollon
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回答No.1

信じられないなら、なぜ信じられないかを考えない限り、抜け道ってないと思います。 わたしもそんな時期がありました。 でも、そうなると、まわりが信じられないって 思っていても、結局「まわりもあなたが信じられない」と思わせてしまうだけだと気づきました。 愛って、信じることから始まるという名言がありますからね。(それはとりもなおさず自分を信じることでもあります) 何も信じられないなら、何が信じられないか、疑い、 考え検証し、真実を見つけ出していって下さい。 わたしは、病気や障害ではなく、真実の旅に出たことがないから、病気や障害に思えるだけだと思います。 わたしたちは虚構の世界に生きていますから、 信じられなくなるのも当然です。 その後、人は、宗教にしがみついたり、盲目のまま生きたり、自分を病気や障害のように感じたりして不安定な毎日を送ったり、また、真実の旅にでたり様々です。

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質問者

お礼

やはり信じることができない事実を受け止めて、じっくり検証して自分の真実に到達するしかないんですね。 私もそんな時期があったとおっしゃる、apollonさんの言葉は信じられます。 回答してくれる方すべて、その方の身から出たと思える言葉は信じられます。みなさんありがとうございます。

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