「ないものねだり」のシーソー・ゲーム
恋愛の根本的な部分にかんすることだと,わたしは思うのですが,恋愛とは,「ないものねだり」のシーソー・ゲームのようなものなのでしょうか?
参考までに:
パートナーを選ぶにあたり,多くの人々が,みずからにはないもの,ない要素,できないこと,そういったことが出来る人々を,パートナーに選びます。これは,ある種の「憧れ」のようなものと理解することができるとおもいます。
わたし自身,パートナーとの関係については,いわゆる「ないものねだり」ではなく,ほんとうにパートナーのことを愛しているから,パートナーと死ぬまで一緒にいたいから,パートナーと死ぬまで語りつくしたいから,などの,お互いの関係にかんする要素を重視したいとおもいます。パートナーの人が何か,特別なスキルをもっているから,その人をパートナーにしたいとはおもいません。その人のもっている付加価値を第一に評価するのではなく,ずっと語りつくしたい,スキンシップをしても許してくれる,などの,「お互いの人間関係」を重視してくれる人,おたがいを尊重できる人を,パートナーにしたいのです。
「ないものねだり」という「言説」からうかがえることは,恋愛関係,つまり,彼女や彼氏を「獲得」するためには,いわゆる「付加価値」が第一であるということの「証左」であると,わたしはそのように認識しています。(ところが,それと同時に,恋愛関係における「付加価値」とは,相手との距離を遠ざける要因にもなりかねません。)
「ぶっちゃけて」というレベルのことではありますが,わたし自身,楽器の演奏が出来ます,外国語をぺらぺら話すことができます,そういった「付加価値」はあるものの,それが,いわゆる「モテ要素」になったことは,一度もありません。むしろ,そういったものは,相手を遠ざけるものになってしまうことに,気がついてしまいました。
参考URL:
・ないものねだりは、恋にもつきものですか?
(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1359467408)
・ないものねだり?
(http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0402/232905.htm?o=0)
・“ないものねだり”ばかり…。
(http://okwave.jp/qa/q5407739.html)
・無いものねだりでしょうか?
(http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/1212/281585.htm?o=0)
お礼
ありがとうございました。