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忠臣蔵、一番の被害者は誰

私は大石ちからさんです、この若さで、反抗期もあろうかと、思う歳でお父さんの意見に賛同し、15才、16才で切腹、大石内蔵助は皆の手前で息子を差し出したのではないでしょうか

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  • ithi
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回答No.3

ooo0000 さん、こんばんは。 吉良家を継いだ義周です。父の代わりに祖父の吉良家を継いだのは元禄3年(1698年)、18歳の時でした。彼は何もわからないまま、赤穂浪士の襲撃を受け、御家断絶の憂き目を見ました。 吉良義周 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉良義周

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  • notnot
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回答No.4

フィクションの忠臣蔵なら、下級の家臣でしょうね。食うにも困る生活。 史実の赤穂事件なら、吉良でしょうか。江戸城内で切りつけられ、隠居させられて、襲撃に遭い、殺され、お家断絶。

回答No.2

大石内蔵助は皆の手前で息子を差し出したのではないでしょうか ↑ それはないですよ。 あったとしてもそうするより仕方ない。 その時点で大石主税は元服してますし、徒党の一味ですから。 被害者というならもしかしたら大石自身じゃないでしょうか。 周辺から仇討ちとせっつかれ、正当な意義申し立ての手段もできず、討ち入りしか選択肢がなくなってしまった。 昔ドラマで、新説忠臣蔵 というものがありました。 大石は気の弱い男で、仇討ちなどしたくなかった、という話です。 何か妙に納得できるものを感じました。 仇討ちじゃなく、正式な手続きだったなら。 歴史も変わったのでしょうね。

noname#229814
noname#229814
回答No.1

家臣全員。参加しなかった人含めて。 殿のキレ易さは大内さんも知ってて再三注意してたらしいし。 職場がなくなったら、転職なんてないから、江戸末期の落ちぶれ貴族みたいな扱いになる。 大内さんはぎりぎりまで京都の遊郭で遊んで金なくなったから、その間に動いてた同僚と合流してやる気出したみたいだけど、自暴自棄にはなっていたみたいだね。 ただ、大名間では代々、嫌み合戦は時代構わずあったから、刀抜いたほうがバカだな。 同じ頃。生類憐みの令の・・・犬将軍に対して、平然と犬の毛皮送ったり、手紙で○○が美味しいと将軍が殺しちゃダメって言った対象動物(魚だったかな?)を送ったり。 言葉遊びと知恵比べは江戸時代は必ず会話にあったからね。 「お前、幾つだ?」「鼠の年になります」って答えるのが礼儀。相手はじゃあ、俺が〇年生まれだから、引き算して・・・ああ、21か。とか。相手に考えさせて、理解させるのが礼儀とされていたし。 廊下でクソジジイに合ったら、それなりの返しができなかった。暴力に訴える。家臣なんて考えてなかった殿様が一番悪い。巻き込まれて浪人になった家臣たち全員被害者。 お家下がりさせられて、尼になった奥様惨いです。 ただ、一度、忠臣蔵の墓場・・・ 泉岳寺 (東京)に行きました。入り口で線香100束が100円ぐらいで売ってて、首を洗った場所を横目に、高台にある墓場見たときは、整然と並ぶ墓石見て泣けた。 ひとつひとつに名前が掘ってあって、誰だろうが、こんなに死んだんだって。並んでる数だけ死んだんだって。 それで殿が悪い!って思ったな。 頭がおかしいと言われていた薩摩藩士ですら、水戸さんのご自慢の庭見せられた時、意味がわからないけれど、とりあえず池で泳いで「素晴らしい水でごあーた」なんて言って、相手は「うむ!」で流したりしてたからね。 血気盛んとはいえ、上に立つ者の教育受けていただろうに・・・ それ無視した殿は墓場見て許せなくなったな。 被害者は藩に属してた侍と言いたいかな。

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