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単なる迷信
人を呪わば穴二つ って言葉があります 私はこんなの単なる迷信だと思ってます しかし 人によっては本気で信じてる人もいます この言葉の意味はだいたい 他人の不幸を願ってたりすると自分も不幸になるって意味です 戒めで使うのかも知れませんが 私は他人の不幸を願っても それで自分が不幸になるなんてないと思います 意地悪されたりイジメられたりしたら 相手の不幸を願っても当然だとおもうけど 皆さんは この言葉 迷信だと思いますか? それとも いやいや この言葉は人生の真理を表してると思いますか? 私は何の科学的根拠もない都市伝説の類いだと思います
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それが迷信でも都市伝説でも、そして人生の心理を表していてもどうでもいいと思ってます。だって戒めとして古人の言霊として現代に伝わっているのですから。 私が信じているのは、良い行いも悪い行いも、何時か誰かから何処かから返ってくるということです。 でも、> 意地悪されたりイジメられたりしたら相手の不幸を願っても当然だ を例にすると、直接呪いを掛けなくても、意地悪したり苛めた人はすでにその時点で穴二つなのです。意地悪されたり苛められたりした人はその時点では一つの穴なのに、直接意地悪をし返したり苛め返したりしなくても、当然とばかりに不幸を願えばその時点で二つになるのです。 私が知る実例を挙げると、中学生の時に意地悪したり苛めっ子だった人は、就職後に意地悪され苛められ転職を繰り返した挙句、家賃が払えず追い出され行方不明が一人、子供が通う幼稚園で子供の情操教育にと子犬をもらい、卒園したら犬も大きくなったからと捨てた一家は、1か月も経たない間に長男が事故で亡くなり、翌月には離婚で御主人が出て行き、翌月には脳梗塞だか心筋梗塞だかで亡くなった母親を、まだ学生の次男が見付けるという顛末を迎えました。 意地悪されたから、苛められたからと不幸を願って、わざわざ自分も穴二つにしなくてもいいんじゃないの。 良い例を挙げると、子供の頃に御近所にいた優しいお姉さんは、面倒見が良くて私も仲良くしてもらっていて誰からも好かれていた。中学生になって透析が必要になって当時は入院するしかなく学校も病院に併設で学習する事態になったけれど、子供ながらに善い行いをしていたからか、移植でき私が大学卒業の頃に大学受験になったものの、健康体でキャンパスパスを闊歩できるようになり大卒の学歴を取りました。 会えばいいことをもたらしてくれる友人は、高校生の時に家事に遭って親も財産も全て失くしたけれど、火元を恨むことなく夜学に通って何とか卒業して就職してからも、生活費がやっとの稼ぎでも妹も高校卒業まで面倒を見て苦労したけれど、地元では名が知れた有力者の目に留まり、息子の嫁にと望まれて恋愛して結婚し、妹さんは遅ればせながら大学進学もして、二人とも幸せに暮らしてますよ。
- nanashisan_
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単なることわざですよ。 全てのことわざに言えることですが、当てはまる場合もあれば、当てはまらない場合もあります。 信じる/信じないとか迷信とか、そんな問題ではありません。
- sakura-333
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都市伝説寄りですかねぇ。 ただそんな下らない事に執着している事自体が不幸だなとは思います。 悪の申し子に関わり続けて良い事はありません。
- OnePunchMan
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人を呪わば穴二つ 意味:人を呪わば穴二つとは、人に害を与えようとすれば、 やがて自分も害を受けるようになるというたとえ。 要は、いくら他人の不幸を願おうが、直接相手に害を与えなければ、 しっぺ返しを食らうことは無いと思います
- m_kotokami
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嫌なことや意地悪をされたら嫌な気持になるのは当たり前だし、恨んでしまうことがあるのも当然だと思います。 実際私もそういう気持ちになりますし。 でも、実際にあなたに必要なのはその人が不幸になることでしょうか? あなたが幸せになることでしょうか? 人に与えらえた時間は有限です。 相手の不幸を願う時間があったら自分の幸福を願ったほうが効率いいですよ。 相手への怨嗟をコントロールしてそこで負った心の傷の分まで 自分自身の幸福を望む方が自分自身でも対価をより多く払った気持になりますしね。 すごく心の強さを必要としますけど。 たぶん、「人を呪わば穴二つ」は、 人を呪う時間や特定の人に向ける怨嗟が強いと特定の方にしか目がいかなくなって 更にほかの人に足を掬われたりするから気を付けろってことだと思います。 だから、そのやられた痛みを忘れろとは言いませんし、嫌な気持ちを捨てろとは言いませんが、 恨みや憎しみをある程度コントロールする強さをつけないと危ういと思います。 (最初は死にたくなる気持ちでコントロールすることになると思います) それに「人を呪わば穴二つ」を信じるか否かはあなた次第ですが、 同じような言葉の「因果応報」は信じたいんじゃないんですか? こういった言葉はこっちは信じるけどこっちは信じられないというものではないと思いますよ。 私は「因果応報」を信じたい、だから「人を呪わば穴二つ」も警戒して生きています。
gagaga6さん、自覚がないとしたら不幸ですね。 人は常に何かを考えています。最近話題のシルバメソッドは、過去や未来の余計なことに 意識をむけずに現在のことに意識を集中することで「脳を休めよう」としています。 人を呪うことでよくない思念や波動がつくられ、自分自身がその影響をうけます。 自分自身が幸福な人生を生きたいののなら、まず周囲の人々和解して愛の波動で 人生を生きるべきなのです。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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人生の真理だと思います 諺にはそれに裏打ちされた理由がちゃんとあります デタラメな理由はありません >意地悪されたりイジメられたりしたら相手の不幸を願っても当然だとおもうけど 願わなくても相手は勝手に不幸になります それを「天網恢恢疎にして漏らさず」(てんもうかいかいそにしてもらさず)と言います
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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迷信だとは思いません。 人は生きてきたように死ぬといいますから 他人には幸せそうに見えても 本当の事は解らないではないですか 真理を表わしていると思います。
- qwe2010
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真理です。 他人の不幸を願う人は、 その人の、言葉にも、態度にも表れます。 そんな人を、よい人とは思えないでしょう。 嫌な人、危険な人と思われ、 次第に孤立していき、幸せな環境からは遠ざかっていきます。
- mshr1962
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>皆さんは この言葉 迷信だと思いますか? >それとも いやいや この言葉は人生の真理を表してると思いますか? どちらかといえば、真理でしょうね。 相手を呪うという行為自体が、普通ならしないことです。 そういう精神状態だったといえば、それまででしょうけど。。。 一時的にそういう精神状態に陥ることがないとまで言いません。 でも、それが続くようなら他人から見れば、異常ととられてもしょうがないでしょう。 そういう人は相手が不幸になった時に、そこで終わりにできない精神状態になるのだと思います。 それを持って「人を呪わば穴二つ」というのでしょうから。。。
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