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この世界は実はシミュレーションであるという説

どう思いますか? >人間が実は作られたシミュレーションの世界に住んでいるのではないか?という仮説を科学者たちが議論 http://gigazine.net/news/20160413-live-in-computer-simulation/ >この宇宙がホンモノなのか、それともコンピューターの産物なのかというのは「シミュレーション仮説」と呼ばれて学者たちの興味の対象となっていて、天体物理学者のニール・ドグラース・タイソン氏がモデレーターを務める「アイザック・アシモフ記念討論会」でも議論が行われました。 >シミュレーションだとして、実行しているのは誰なのかという部分については「特に幽霊などではなく、別の宇宙の若いハッカーでしょう」と語ったのはシャルマース氏。人間は、「スーパーマリオブラザーズ」でマリオがどれぐらいジャンプできるのかを操作できても、「私がマリオ世界の神だ」とは思わないのと同様、その何者かも自分が神だとは思っていないだろうという考えです。 思うのは、スーパーマリオの例が挙げられていますが、この例で行くと、画面の前で誰かがマリオを操作していようと、していなかろうとマリオにとってはピーチ姫を助けに行くことが現実であると言うことですね。 女王の百年密室という小説の後書きだったと思うのですが興味深い話が書かれていた記憶があります。 それは、人間が物を取ろうと思うよりも早くに、脳の物を取るための部分が反応している・・・というような話だったと思います。 この世界はシミュレーションなのですか?シミュレーションでは無いのですか? 個人的には、シミュレーション説は信じがたいとは思います。

みんなの回答

  • SD92101
  • ベストアンサー率11% (7/63)
回答No.12

こういう興味深い前提を耳にしたことがあります。 私のようなオタクにとって特に魅力的です。 それにしても、活発な議論に値する話題ながらも、神の心に制限を課すと思います。 詰まり、無限の力に関する限界のある議論が合計した不一致のように思えます。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (771/5734)
回答No.11

私の存在を説明するためには必要な説かも知れない。 説、と言うか、私もその考えを自分なりに出した後なので、 他にも似たような事を考える人はたくさんいるのだなと思った。 例えば、ビッグバンで始まったとされる宇宙。 その証明は誰にもできない、ただの考え方のひとつだ。 無論、それを証明する必要など何もない。 何もないところからビッグバンが起こって宇宙が広がっている、 としたら、宇宙を構成するすべての物質がビッグバンのもとで、 何もないところからではなく、その物質から始まっている事になる。 では、この物質は誰があつらえさせた物なのか、と言う疑問。 天体観測による宇宙の膨張から、では過去にさかのぼれば、 と言う観点から、おそらくビッグバンが出てきたのだろうが、 これにしたって、釈然としないのは、シミュレーション説と同じだ。 また、宇宙には端があるのか、あるならその先はどうなっているのか。 一番端っこの星や塵までが宇宙なのか、その先の無限の先までが宇宙なのか。 この端、までが、シミュレーション説をシミュレーション説たらしめているとも言えよう。 無限に広がる空間をシミュレーションするのはほとほと弱る。 だとしたら、ある一定の空間をシミュレーションするに限る。 逆に、端がないからこそ、シミュレーションではないとも言えるかも知れない。 だとしたら、この無限の空間は、いつからあるのだろう。 どのようにしてあるのか、よりも、いつからあるのだろう、と言う疑問の方が重要になる。 広がっていようと広がっていまいと、始まりがどうであるかは、関係ない。 いつからあるのか。 無限に過去から、と言う、空間のみならず、時間の話になる。 空間も時間も無限にある。 あっち方向にもこっち方向にも無限にある。 はたして、この無限の時空をシミュレーションできるものだろうか。 無限であろうと無限でなかろうと、 この世界の外側にいる、シミュレーションしている存在を認めれば、 その世界のさらに外側にいる、その世界をシミュレーションしている存在に気づく。 そう、無限のシミュレーション。 かような事は、やはり証明できないし、する必要もない。 議論しているのは楽しいからしているだけで、その真実には興味がないのだ。 さて、シミュレーションの手法をいくつか考えると、 宇宙の始まりから開始するものもあれば、ある時点の宇宙から開始するものもある。 どうやってこの世界ができたのか説明できない回避策としてなのか、 突然、この世界はこの世界の状態から始まったのだとする考え方だ。 かつて私の弟から、弟の考えを聞いた時に、なるほどなと思った。 それはそれで、弟も、他の多くの人たちも出したであろう、世界の始まりだ。 これが、シミュレーション説のあり方を示すひとつの考え方であろう。 ある時点の宇宙からシミュレーションを開始したとすれば、容易に納得ができる。 そう、この世界とは、外の世界からシミュレーションされているとするだけで、 その成り立ちなどわからない不確かな存在から、確かな存在へとなりえるものなのだ。 ここまで話せば、シミュレーションであろうとなかろうと、 どちらでもいいや、とたいていの人はなってくれそうなものだ。 何も、そのどちらを信じる必要はないし、仮にその真実を知ったところで、 何ひとつ、この世界は変わる事はない。 さて、話を一等最初に戻すとしよう。 私の存在を説明する、と言ったが、そこを補足しておこう。 私は、私の事を「宇宙外意識体」と呼んでいる。 地球人が宇宙人の事を「地球外知的生命体」などと呼ぶ、そんな感じだ。 私が宇宙とする範囲がどこまでかはおいておいて、 私はその外側から、この内側へやってきたのだと思い込んでいる。 何しにわざわざやってきたのかは聞かないでもらいたい。 何しにOKWAVEのアンケートカテゴリーへやってきたのかも聞かないでもらいたい。 ただ、私は、この宇宙の外側からやってきた、としている。 このシミュレーション説を借りると、私の「宇宙外意識体」としての存在を説明できる。 私はもともと、この世界をシミュレーションしている側の世界に存在しているもので、 その意識体を、シミュレーションしている媒体へもぐりこませる技術があり、 そうしてもぐりこんできたのが私である、と言える。 ただ、私は、その外側の存在の記憶やらなにやらかにやらは持ち込まずきている。 もしかしたら、私より他にも、外側の世界からきた存在もあるだろうし、 彼らが、外側の記憶やらなにやらかにやらを持ち込んだかどうかは知らない。 と言うわけだ。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.10

普通に考えてシミュレーションじゃないでしょう ただ、「定命」はあります

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.9

シミュレーションだとしても、しなくても、自分という人間はかわらないように思いました。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.8

そういうことを考えているのは楽しいですよね。 私はシミュレーションではないとおもっていますが、でも最近のAIの発展をみていると「もしかして…」とわくわくしてしまう部分もあります。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.7

シミュレーションだとは思いません。 ドラえもんで、のび太の部屋で地球を作るキットを使って小さな地球を作ったら、作った地球の中ののび太の部屋でのび太が昼寝していた、というエピソードがあった気がします。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • seble
  • ベストアンサー率27% (4041/14683)
回答No.6

SFにはよくある想定です。 学研の「銀河宇宙実験セット」て奴ですね。キミも小学生の頃遊んだでしょ? 専用ケースの中に銀河のミニモデルを生成できるってあれですよ。 ミクロスコープで惑星の生成とか生命の発生とか観察しませんでしたか?注意書きにはバクテリアレベルが発生したらそこで中身は破壊して下水へ流せ、て書いてあったじゃん。放置なんですか?マズイですよ。知的生命にまで進化すると倫理委員会に逮捕されますよ。あ~あ、やっちゃった。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。 仮にこの世界が作り物だとすると、創造主は意外とそんな感じかもしれませんね。

noname#230862
noname#230862
回答No.5

そういうゲームのような感じではないけど私は私の魂が望んだ空間を生きていると思っています。その目的は魂のレベルの向上の為です。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.4

シミュレーションであったとしても我々はそのことを観測出来ない可能性が高いと思います。つまり、シミュレーションであろうとなかろうと我々にとって差はないということです。考えるだけ時間のムダという気がします。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。仮にシミュレーションであっても、米国映画マトリックスのように、仮想現実だとは知らなかった、って事になるでしょうね。 見たとか、触ったを現実と思うならそれはただの電気信号だというようなことをもーフィアスが言っていた気がします。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1158/9169)
回答No.3

確かショーペンハウエルだったと思いますが、わが意識は精霊が見ている夢なのかもしれないというようなことを言っているのでは。しかし秀吉の辞世の句のように人生は夢だと言っているのも誰が見ている夢なのかは別にしてだれでも思うことなのでは。おたがいこんなに分からない人生なのにどうして多くの人がいがみ合うのかわりません。

noname#218095
質問者

お礼

ありがとうございます。

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