• 締切済み

祈る事に意味はあるのだろうか?

kohichiroの回答

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.3

>これに対して、この僧侶は魂も死後の世界も存在しない、現代日本の仏教はゴミまみれになり本当の仏教ではないという。シャカの本当の仏教とは悩みの解決法でたあり、いかに欲を無くして生きていくかを問うている。 個人の信念や思想は(お互いに)尊重するべきです。仏教に対する考え方は様々あるし、今の日本仏教がシャカの思想とは異なっている部分もあるのは当然だと思います。 このひとはいわば原理仏教とでもいうべき過激思想であり、私見では世間を混乱させる部分があると思います。 私は、祈りは人間のまだ完全には理解できていない(そして将来も絶対わかることがないであろう)世界へ対する謙虚な学びの態度であり、意味のないことではないとおもいます。

noname#217235
質問者

お礼

ありがとうございます

関連するQ&A

  • 仏教の考え方とは?遥か古と最新現代のギャップ!

    父の葬儀以来、こちらの方で大変お世話になっています。と同時に今まで神仏には正月や行事及び観光程度でしか触れることのなかった自分ですが、父の死をきっかけに仏教に眼を向けるようになり、とういか亡き父の為に何かの形で触れ合いたいという思いもあって、何かにつけ浄土宗(当方の宗派)の書物が眼に入ると、目を通すようになりました。そのうち、浄土宗の世界に吸い込まれるようになるかと思いきや、現実に戻され、科学的、情報的社会の現代で、父の死というもののその後(死後の世界はあるのか?やはり死後は単なる無なのか?非現実的なのか?後に残された人間がどう生きるべきかなど)と考えることがあります。浄土宗の教えを信じれば、その反対にいにしえの時代(情報も科学も存在しない時代)だからこそ、人々の悲しみや苦しみを紛らわせる一つの手段(信じるものは救われるという暗示や、心療内科、悩み相談などのカウンセリングと同等)ではなかったのではないだろうか?また、雨乞い(現在、中国で人工的に雨を降らせると聞きます)をするのも同じ理論ではないのだろうか、なぜお経が日本語化しなかったのか(意味を理解できれば日本人の信仰心も今よりは高まったので?)とも思い、今のお若い僧侶の方も現代人で有るがゆえ、口に出さずともそういった疑問を持ちながら、葛藤の中で仏教の世界で人々のお力になられている方もおられるのではないのかなどと考えたりすることがあります。いや、自分自身、今ひねくれた考えなのでしょうね。本当はそんなことを考えたくなく素直に父の墓前に手を合わせ父とこれからも何かしら不思議な世界で触れ合っていきたいと思っています。ご僧侶などの方がこの文面を見られたら、お説教よろしくお願いいたします。

  • 我が家は仏教なんでしょうが、仏教が解りません。天台宗となっています。

    我が家は仏教なんでしょうが、仏教が解りません。天台宗となっています。 人間は死んだら、死後の世界は極楽浄土なのか、輪廻転生なのか、無なのか? いろんな法要がされますが、僧侶はなにを信じ、お経を唱えるのでしょうか? それと、経典には死者を弔うものはないと読んだ記憶があります。

  • 釈迦と法華経の本当の教え

     なるべく簡単な質問にしたいと思いますので、要点を絞ってお答え下さい。また、質問者の無知をご了承の上でお願いします。  本題ですが、釈迦(ブッダ)の本当の教えとは根本的に何なのでしょうか?  彼の死後、たくさんの経典が作成され、日本でも幾つかの宗派が誕生しました。特に気になる物に、法華経があります。  法華経は釈迦の説いたものと一致するのでしょうか。日蓮が釈迦の教えを基に新しく作り上げた仏教といえるのでしょうか。  それ以外でも、釈迦のおっしゃったことをそのまま正しく伝えているもの(部分)は何なのでしょうか。  的を絞って、難解な言葉はなるべく避けて頂き簡潔にお答え願います。  

  • 日蓮、法華は自己矛盾をかかえてはいないか?

    日蓮系(創価学会含む)の方たちはどうこれに非情緒的に反論なさるのでしょうか? 「日蓮は自分は釈迦死後2000年後の末法に生まれたとしていますが、釈迦は紀元前800年にはまだ生まれておらず、それから3~400年後の人物。日蓮はまだ2000年後の末法になっていない時に生まれたにもかかわらず、末法だと誤って断定的に語ってしまった。 また、末法思想は大集経からで、釈迦は生前、末法だの正法だの口にしたことは一度もない。彼の死後数百年後の一集団が作ったフィクションでしかない。あるいは、法華経も「釈尊が説いた法華経」と言うが、法華経は釈尊死後数百年もたったある集団が創作したフィクションであり、紀元1世紀ごろのシロモノ。釈尊生存中に法華経の内容を直接語ったことなんぞない。そもそも本来の釈迦は、未来を予想したり、死後を語ることは、一切話さないという態度をとっている。」 これは現代の文献学、歴史学その他で解明されている最新のものであり、これに反論するには科学的論拠が必要だと思います。 私は、大乗非仏説論者ではなく、知的欲求として聞きたいのです。 どなたかよろしくお願いします。

  • 三途の川で渡し賃が要ると考えた人

    仏教では、三途の川に渡し賃が要ると言いますが、釈迦が死後の世界も貨幣経済が発達していると考えていたのですか?それとも中国文化が混入して、日本に伝わったのですか?

  • 葬式仏教について

    もともと仏教のお経は死者を弔うために書かれたものではないと思いますが、葬式や弔いの儀式で、僧侶が役割として読経するようになった起源は、いつ頃、どこの国にあるのでしょうか?

  • 死後の世界を否定するのは「科学的」か

    科学者で「死後の世界」を否定する人がいますね。早稲田の大槻教授とか。 彼の本などを読むと、何か物理学の理論?を使って死後の世界や幽霊を否定しているのですが、そもそも現在の科学(化学)で、死後の世界(魂、生まれ変わり等も)が「ない」ことを証明することは可能なんでしょうか。もし出来ないのだとしたら、死後の世界を否定する科学者は「科学的」でないと言っていいのですか。 私は「死んでみなければわからない」というのが、最も「科学的」な考え方だと思うのですが違うのでしょうか。

  • 死後の世界について

    死後の世界について 死んだ後に自分の歩んだ人生を閻魔様かなにかに審判されるというのは仏教の考えからきているのですか? このとき、殺人や自殺による死は重罪というのは本当ですか? また、死後の世界についての見解は宗教によってどのようになっていますか? 自分のいま持ってる意識や魂みたいなものが死後どうなるものと考えられてるのか気になっています。お願いします。

  • 死後の世界、魂(霊)について仏教での見解の相違

    仏教系の新興宗教では概ね、死後の世界、魂(霊)有りといいます。 仏教の現場の僧尼は、「よくわからない」「あると思う」などばらばら。 宗教学者、仏教学者、評論家は無いといいます。 仏典には、ちらっと読んだ場合は、 有ると取れる記述の方が多いと思います。 なのに、「空」や「無我説」をもって、死後の世界も霊も無いと 断定するのはなぜでしょうか。

  • 自分が何教かわからない。

    私は自分が何教なのかわかりません。 無宗教なのかもわかりません。 神様がいるとは思ってないし、 わりかし現実主義ですが 親戚が死んだからお葬式に行きます。 正座して、お坊さんのお経を聞いて 周りの人と同じようにお線香をあげます。 創価学会にも入っていないし、幸福の科学も、エホバの商人にも入っていません。 家に勧誘が来ますが断っているし、興味もありません。 なので私は無宗教だと思ったのですが お葬式に行くから仏教なのかな?と思いました。 葬式時に無理やり短いお経なども読まされたことがあります。 ということは私は無宗教だけど家族は仏教が正解ですか?