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法事以外で寺にお経を上げてもらったことありますか?
- 家族の旅行の無事を祈って、お経を上げてもらったことがあります。
- 葬式や法事以外に、「今生きている人」のために、お寺さんにお経を唱えてもらったり、祈祷などをしてもらった方はおられますか?
- 私はカトリック教徒ですが、家族や先祖の多数派は仏教の葬儀をしているため、お寺さんに行くのが妥当だと考えました。
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こんばんは。宜しければご参考まで・・・。 普通にある事だと私は思いますよ。 病気平癒・交通安全・学業増進・家内安全等々 生きている者に対するご祈願でお経をあげる 事は日常的に行われていると思います。 子安観音だったり子安鬼子母神だったり子安 に霊験あらたかな神仏に対し、子供の健康 発育を願いご祈祷を受ける事もあるでしょう。 ご信心が深いお方だなとは思いこそすれ変人 だと思う人は少ないと思いますよ。神仏の存在 を否定される方からすれば変人と思われるかも しれませんが。 あくまで個人的見解ですが、神と人、仏と人の 間に宗教宗派の垣根を作ったのは人間であって 神仏にとってはこれ程、無用なものは無いので はないでしょうか。 また日本は神道と仏教を同時に受け入れ融合さ せる世界でも希有な国であり民族なのだと思い ます。これは節操が無いのではなく穏やかで柔 軟な心という特性が無いと適わない事だと思い ます。 そういった意味においてカトリック教徒の方が 神社や寺院でご祈願される事も日本人の私から 見れば無用な垣根を作らず神仏に対し自然体な 形でご信仰されるお姿に思われます。 外国の方や宗教意識が強い方からしたら理解不 能な行動に映るかもしれませんが、上述したと おり、そもそも宗教と宗教の間に線引きをした のは神仏ではなく人間なのですからそこに拘る 必要はないように思いますよ。
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- sumiwaka
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叔母の病気平癒の為にお経をあげてもらいました。 もちろん今も生きてる叔母の為です。 3月に震災にあって東北の青森から九州へ転居してきた叔母なのですが、2ヶ月ほど前、乳がんの初期という事が分かりまして、入院前に神社に行ってお守り戴いてくるねって言ったのです。 すると叔母は、自分は小さい時から何かあれば近所のお寺に行ってたし、結婚する時も仏前結婚でやったし、5年前に亡くなった叔父(叔母の配偶者)の病気平癒もお寺に頼んだから、もしお寺で頼めるところがあればその方がありがたい、と言うので、お寺に事情を話したところ、お護摩を焚いて祈祷してもらいました。 そして今日、その叔母が無事に退院したので、お礼に行って、お護摩を焚いていただき、お経をあげてもらってきました。今日、御住職とも話しましたが、就職や進学のお願いに来る方も多いそうです。
お礼
お寺は、葬式はじめ死んだ人の菩提を弔う時だけに行く所、というふうに限定するのではなく、叔母さまのように、結婚式などのハレの場面や、日常のあらゆる場面にも利用されればいいと思います。それともお坊さんたちは葬式や法事への対応だけで手一杯なのでしょうか? 以前からそのような疑問が強く、次のような質問をしたことがあります。 又、これ以外にも、キリスト教絡みや宗教一般関連で数多くの質問・回答をしています。 日本における仏教の将来は? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3504585.html 仏教は若者にアピールしようとしているのか? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3541156.html 仏教や神道の皆さん、クリスマスはどのようにお過ごしですか? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3620123.html お寺さん同士の交流や協力関係はどの程度あるのでしょうか? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3692062.html お坊さんとお経について質問 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5296080.html
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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直接私に上げてもらったわけではないのですが・・・ お寺で結婚式をあげられた方もいらっしゃいます。 記念ビデオ撮影スタッフとしてその場にいたのですが、神前や教会婚などとまた違って厳かでした。 まさしく「今生きている人」の「未来」のためですよね。 葬式・法事関係も結局「今生きている人」のためだと思います。 お経の意味は全く分かりませんが、生きている人が失った人や動物の代わりにまではいかないでしょうけど、そういった儀式をすることで心に空いてしまった穴を埋めやすくなるのでしょうね。 宗教の垣根も関係ないと思います。 自分が本当に死んだらお経とかなんて聞こえないし、お葬式自体見えないと思う無宗教者なので失礼しました。
お礼
>葬式・法事関係も結局「今生きている人」のためだと思います。 なるほど、先祖の供養をすることは、子孫である我々が幸せに生きるため、見守ってもらうためにも大事なことなんですね。 >そういった儀式をすることで心に空いてしまった穴を埋めやすくなるのでしょうね。 その通りですね。
小学校の新校舎が隣接の墓地を立ち退かせた上で建設、となったので当時小学6年で生徒会長と副会長が学校代表で仏事に参加しました。参加者に風呂敷一杯の食品がお土産(?)としてつきました。 読経は眠くて無意味でしたが、授業はさぼれるし、お土産もらえてサイコーでした。
お礼
以前、小6の時、辛い目にも合われたと書いてられたと思いますが、生徒会長または副会長として色々の体験もされたのですね。今は普通の学校では宗教教育はありませんが、そのような世界に触れるのも、偶にはいいことだと思います。
- Gletscher
- ベストアンサー率23% (1525/6504)
旅行の無事を祈るなら、寺ではなく神社ですね。 ”寺”では”祈り”はしませんよ。 ”祈り”は”神”に対して行いますね。 さて、ご質問のタイトルと内容が異なるので少々困惑しますが、タイトルを重視すれば、法事以外でも、月命日やお盆、墓行、施餓鬼などお経を上げてもらう機会は多いですよ。
お礼
No.2さんへのお礼でも書きましたが、キリスト教などの場合、「神」への「祈り」であるものが、 仏教では「仏」への「お経」であり、先祖の供養であることは十分承知しております。 あなたの挙げられた月命日やお盆、墓行、施餓鬼などは全て「死者に対する」ものですね。 私の言う「法事」とはこれらを全て含んだつもりです。
カトリック教徒だけど、家族が仏教という事で、お寺さんを呼んでお経を挙げていただいた、という事ですよね? なる程、変り種だと思います、正直。ただ家族思いのお方であるというのは理解できます。うちの実家は故人の月命日には母親が読経します。昇月命日にはお寺さんを呼んで読経してもらっています。そんなもんですね、うちは。まぁでも、旅行安全の祈願をご先祖様にお願い(読経)してもらうのは良い事だと思いますよ。それに、そうゆう類には読経へ行けないとお寺さんが言った訳でも無くちゃんと来てくれたんですから、間違いではないんじゃないでしょうか。私であれば、神社へ行って旅行安全祈願のお祓いをしてもらうでしょうか。大多数の人はそうだと思うのですが、仏教でもそうゆう事をしてくれるというのは勉強になりました。うちは門徒(浄土真宗)ですが、今度、住職に聞いてみたいと思います。
お礼
いや、私が寺に行ったんです。近くなので・・・。 実は家族が海外から帰ってくる前日に、祖母の書いた絵の入った額縁が、すごい音を立てて落下したので、ものすごく不吉に感じ、(1)教会に行ってお祈りしてもらうか、(2)寺に行って先祖に護ってもらうようにお経を唱えてもらうか、それとも(3)神社に行ってお祓いをしてもらう、か考えた結果、(2)を選択しました。 祖母も先祖の内なので、先祖に護ってもらえればいいのでは、ついでに先祖の追善も兼ねて・・・と思ったのです。それに旅行に行っている家族は一人だけカトリックですが、あとは特定の宗教の信者ではない、つまりいわゆる「消極的仏教徒」なので、私一人が祈るだけならカトリックの神様やキリスト様に祈ればいいんだけど、彼らを主体に考えれば、お寺さんを通じ、ご先祖様にご加護を願うのがいいのではと・・・。正確に言うと「祈る」というのともちょっと違うのだけど、少なくても守ってくれるのではないかと・・・。
- 佐藤 志緒(@g4330)
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私は仏式の結婚式に参列しました。 その時は新郎新婦のために読経がありました。
お礼
そうですね。仏式の結婚式も時々ありますね。 参列されてどん印象を持たれましたか? いつの頃から、仏教は、「葬式仏教」になってしまったのでしょうね?
お礼
ご賛同頂き、有難うございます。 あなたの言われる通り、「神と人、仏と人の間に宗教宗派の垣根を作ったのは人間」であって、これが純粋に『祈る』などの『神仏との対話』の気持ちを萎えさせてしまったりしているのかもしれませんね。本当は、もっと素朴に神仏やお天道様のような自然に手を合わせる気持ちはあるのに、間に宗教という組織を挟むと、抵抗感が強いという方は多いと思います。 私は、「神は一つ・・・しかしそこに至るために、色んな宗教や神仏がある」という立場であり、クリスマスにキリスト教、正月に神社・・・といったいわゆる「節操のなさ」には何の矛盾も感じません。 カトリックの最近の立場も、他教を尊重するという姿勢が見られます。