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位牌の開眼法要とは?
- 天台宗の位牌の開眼法要について教えてください。
- 母が亡くなって一年以上経ち、今頃になって位牌を納めたいと思っています。
- 近隣に天台宗のお寺がなく、仏壇のご本尊様に般若心経を読みながらお願いしてもよいでしょうか。
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真言宗の僧侶です。 ちゃんとしたお坊さんが葬儀をしたなら、お母様は成仏しています。大丈夫です。 戒名は、仏弟子に授ける名前です。仏弟子の系譜を受けていないあなたが、戒名をつけても、それはただのニックネームです。 無理してつけずに、あなたにとってのお母様の呼び名は「お母さん」でいいと思います。 仏様を開眼する儀式というのは、分かりやすくいえば「仏様をお招きすること」です。 一方、お経を読むのは、仏様を喜ばす「法楽」というものです。仏様の教えを受け継ぎ守っていることを知っていただいて喜んでいただくのです。 開眼では、仏様をお招きしなくてはなりません。 逆に開眼するのに、法楽は必ずしも必要ありません。とはいうものの、いらっしゃっていただいた仏様に何ももおもてなしをしないのでは、申し訳ありませんので法楽を捧げます。 もう遅いですが、お話を伺うと、わざわざ仏壇を用意する必要もないと思います。 仏壇は、日々お供えをして廻向したり、仏様との世界をつなぐ電話のような役目を果たすものです。 お母様は、仏様になったとはいえ、新米の仏様です。まだまだ功徳を身につける修行が必要な仏様です。そこで我々は、功徳があることをいろいろとして、その功徳を新米の仏様にお供えするのが廻向の考え方です。 仏教と関わり合うつもりがなければ、無縁な考え方でしょうから、仏壇もいらないと思います。 無宗教ならば、無宗教と堂々としていればいいと思います。日本の文化に仏教が溶け込んでいますので、ある程度はしょうがないでしょうが、他人の宗教に惑わされていると、いつか新興宗教なんかにはまってしまうことになりかねませんよ。 私ならお坊さんに戒名を付けてもらって、開眼もしてもらいます。それが私が信じている宗教のやりかたで、それで自分の不安がとりのぞけるから。お寺との付き合いが気が重くても、親や親戚のことで不安に生きていくよりもいいと思います。 宗教は仏教に限らず、不安(特に現代仏教は死についての不安)を解消する理論や方法を持っています。また、それを詳しく知らなくても、お坊さんに任せていれば、代わりにやってくれます。それが楽でいいと思います。 これは、私の意見です。 あなたが自分で信じられるようにすればいいと思います。信じられれば不安はなくなります。
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- hamrou
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こんにちは 最近は お寺様とのお付き合いを敬遠される方は多いようです 御仏壇や位牌を用意されたら開眼法要・お魂入れ。などをする事が普通ですが お寺様によっては必要ない。と言われる方もおられ 大切なのは御自分でどれだけ先祖を敬う心や気持ちをもってるかが大切です と言われた方もおられます なので 御仏壇を購入し本尊様と位牌と簡単な具足を置いてお参りをされてる方もおられます お経のテープを流しても気持ちを込めてお経を読むことが大事だと思います 大切なのは 自分の気持ちだと思います 一番いいのは お寺様に戒名をお願いし 仏壇と位牌に開眼法要をして頂くのがいいと思います しかし いろいろ事情もあると思いますし 戒名を御自分でお考えのようですので 気にされる事は ないと思います お母様もきっと理解して喜んでくれると思いますよ 勝手な事をいいましたが これが正しいわけではありませんので参考にしてくださればと思います 失礼な言動をお許しください
お礼
回答ありがとうございます。 叔父叔母が立て続けに亡くなり、それぞれの葬儀や戒名やその後のあれこれを見ている内に、お寺さんに母を託すことが嫌になってしまいました。 私の勝手で母が成仏できなかったらとの不安もよぎりますが、仏壇が届いた今日、回答を頂いたことも何かの縁かもしれません。 先日から、先に旅立っている叔父叔母や姑の戒名を並べ、釣り合いが取れるように考えながら戒名の本とベクターの戒名ソフトに有る文字を吟味し母らしい戒名を練っています。 今日中に決めて、明日位牌を御願いしに行ければ良いのですが、生前の母を思うと文字がわんさか私々々々・・・と押し寄せてきて中々決められません。 この苦行が私への修行でしょう。
お礼
丁寧な回答回答ありがとうございます。 葬儀の時のお坊さんは、正直なところちゃんとしたとは言いがたく、出来れば二度と縁が無いことを願う方だったのですが、四十九日の法要時、霊園で御願いして下さったお坊さんは、優しい話し方で、お経も丁寧で誠実な空気が漂い、母が安らいでいるように感じたのできっと成仏しているのでしょう。改めて安心しました。 元来私以上に神仏などは信じていなかった母が、なにかの時に不意に「死んだ後に仏壇が無いのは寂しい」とつぶやいたのがずっと気にに掛かっていたのと、母が鬱病真っ盛りの時に姑が亡くなったのですが、その位牌を義弟に託したままになっていたので、それを引き取りたいことも有って仏壇を購入しました。 さらに、母への賛辞と安らかな休息を願うニックネーム戒名で位牌も発注してしまいました。もっとも仏壇の前では、お母さんと呼んでしまうでしょうが。 お陰さまで仏壇開きや、仏様に対する基本的な概念は理解できたと思います。 仏様に失礼が無いように心がけ、時にはお経を頑張って仏様に感謝を申し上げる事が、私なりの供養だと、気持ちの整理が出来ました。ありがとうございます。 しかし、新たな問題が起きてしまいました。 母は天台宗。姑は真言宗だったのです。 一本の仏壇に一緒にしちゃうことに抵抗は有るのですが、仏壇を二本は無理です。 現在は、阿弥陀如来の掛け軸が仏壇の中央奥に掛けられていて、仏具セット等がその下に有りますが、この掛け軸は、開眼法要されていないので阿弥陀如来の写し絵にすぎないと解釈しました。 その上で、新たに釈迦牟尼仏の掛け軸、又は小さな仏像を探し、それを中央に奉らせて頂いて、時折頑張っ般若心経や、その時々にふさわしいお経を捜し読ませて頂こうと思いました。 もし、この考え方がとんでもない罰当たりでしたら、再度ご指導御願いしたいのですが・・・(._.) 釈迦牟尼仏が原点かと思います。 現在仏壇には阿弥陀如来の掛け軸が掛かっていますが、真言宗は大日如来がご本尊。 回答を何度も読ませて頂いて考えたのですが、阿弥陀様は開眼の法要をお願いしていないので、阿弥陀如来のお姿を写した絵に過ぎないと云うことなのでしょうか。 ならば、大日如来の掛け軸を入手し、同様に開眼はしないままで、御軸を左右に振り分けて飾り、位牌をその横にそれぞれに置いて、奉るしかないかと考えています。 左右に
補足
お礼が、なんか変なカキコになってしまっていて申し訳ありません。 おかげさまで気持ちの整理が付いてきました。 やがてこの仏壇には私や主人が加わりますが、その面倒を見る娘の嫁ぎ先がさらに別の宗派の可能性だって有りです。 ならば、今は私の思うままに手を合わせ、気が向いたらお経を読むことにしました。