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夢をあきらめてはいけない理由
- 夢を諦めることは多くの人が体験してきており、一般論として「夢を諦めるな」と言われるのは何故なのでしょう。
- 「夢を諦めない」ことは辛くて大変なことだと思いますが、それには何か理由があるのでしょうか。
- 「夢を諦める」ことは道義的に責められる事ではないのに、なぜ一般的には「夢を諦めるな」と言われるのでしょう。
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「夢」をどのレベルでとらえるかが大切だと思います。 「人生の目標」と考えると分かりやすいかもしれません。 家族のために自分の夢をあきらめるお父さん。しかし、そのお父さんにとっては、家族がより幸せになってい事が人生の目標で、失ったわけではないと思います。「自分のため」から「誰かのため」に目標設定が変わっていると言うことです。 また、「人生の目標」を持たない例として、こんな話しがあります。 学生「人間が目標をもって生きなければ、どうなるのでしょうか?」 教授「新宿のホームレス100人にインタビューしてきなさい。分かるから。」 学生「・・・・、はい。」 学生がインタビューから帰ってきて・・・・ 教授「どうだった?」 学生「はい。分かりました。」 教授「何が分かった?」 学生「みんなに共通する回答がありました。」 教授「何だった?」 学生「みんなからの回答に共通の語尾がありました。」 教授「何だ?」 学生「みんな、人生の中でどうしてここで生活するようになったかを聞くと環境の変わり目毎に『・・・しかなかったから。』という判断で追い込まれていったという間です。」 教授「それで分かっただろう。目標がなければ、どんどん環境に追い込まれていくということだ。」 職場で仕事をしていても、生きていない人も見かけます。環境に流されて、幸せを感じている人は少ないのではないでしょうか? 目標に向かい続ける、目標をあきらめ続ける。選択権は、その人にありますが一般人では、環境がその人を幸せにしてくれるケースは少ないと思います。
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>メディアにとりあげられる「夢を諦めないで努力し続けて、その夢をかなえた人」のドラマばかりです 思うのですが、これは「諦めるな」といっているのではなく、それだけ「あきらめないでいることは難しい」ということを表現しているのではないでしょうか。音楽やドラマや映画や小説などは、夢を与えるものでしょう? だからそういったメッセージのものが多くなるのは至極当然のように思いますよ。例えば、「何もかも諦めて失敗して平々凡々と何の盛り上がりもなく人生が終わりました」というドラマ、観たいと思います? そんなもの誰も作らないでしょう。大勢に鑑賞してもらう、人々に共感や感動を与えたい、そう考えれば、おのずと「夢をあきらめずに頑張る」的なものが多くなるのは、営業上?当然の成り行きのように思います。 >「夢は諦めてはいけない」と思いますか? どうも、この「諦める」という表現が引っかかります。夢って、諦めるとか諦めないとかいった類のものなのかな?という気がしてしまうのですね。自分の心のなかのことなんですから、そんな何かモノのように「諦める」とか「諦めない」とかいうのって変に思うのです。 例えば、「小説家になる」という夢があったとします。頑張ったけどなかなか実現できない。夢ばかり見てないでちゃんと働いて、結婚して子供もできて、ごく普通の庶民として暮らしていく。それは、夢を「諦めた」ことなのかな?と思うのです。例えばそうやって毎日暮らしていて、定年退職して少し時間ができて、「そうだ、久しぶりにまた小説を書いてみようかな」と思って書いたものが新人賞に入選した、というようなこと、あるかもしれません。 最近、話題となっている詩人の柴田トヨさん、御存知ですか? 初めての詩集が出版されたのは、確か98歳のときです。人間、いつになっても夢が現実になる可能性はゼロじゃありません。「諦めた」と思っても、その後でいきなり実現することだってないわけじゃありません。サイモン&ガーファンクルは、デビューして出したアルバムが惨憺たるもので、2人とも夢を諦めたんです。ポール・サイモンは放浪のたびに出てしまい、アート・ガーファンクルは大学に戻って真面目に勉強をしていました。そうして完全に夢を断念した頃、「サウンド・オブ・サイレンス」が突然、大ヒットして2人はスターになったのです。諦めるとか諦めないとか、実は夢の実現にはあんまり関係ないことかもしれませんよ? 私は、夢というのは、「しばらく引き出しにしまっておく」という程度のものだろうと思うのです。とりあえず、今は無理だからしまって忘れておこう。でも、別に「捨てる」必要はないでしょう。心のなかの引き出しはたくさんありますから、邪魔にもなりません。今は無理でも、いつかまた引き出しから取り出して眺めてみることがあるかもしれない。もちろん、一生引き出しにしまいっぱなしのまま忘れて人生を終えることもあるでしょう。でも、そんなに思い切りよく「捨てる」必要なんてないと違います?
お礼
回答ありがとうございます。 「諦めてしまった」夢はどこへ行くのだろう。まったく関係ない道に進んでしまったら、その夢を追った過程はなかったことになってしまうのか。などということが気になっていました。 >私は、夢というのは、「しばらく引き出しにしまっておく」という程度のものだろうと思うのです。 なるほど。この考えはいいですね。
- nahaha55
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>「夢はあきらめない方がいいもの」という価値観が一般的のようです。 そんな事ないでしょう。夢=非現実として、「いつまでも夢を見ていては駄目だ」 という人も多いですよ。 逆に「夢をあきらめてはいけない」っていう人は、自分がやりたいことを出来なか った反動でもあるのではないですか。 >「夢を諦める」ことは罪悪であるような そこまでいう人いるんですか? 自分はそんな人知りませんけど、聞いた事もありません。 >「頑張れ」と励ますことは良くなくて、「頑張らなくていいんだよ」 おおぉっ、これは聞いたことがあります。 阪神大震災の時に家も財産も失った人に「頑張れ」というのは、非常に酷なもので 当人にしてみれば「何を頑張るんだ」と思ったそうです。 現代人のそれは、「頑張って結果がついてこなかったら損だよ」とか、或いは、 「どうせ無駄だから」と、何処か冷めている又、職場では「そんなに力むなよ、サボれ ないじゃないか」という意味で使われるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >夢=非現実として、「いつまでも夢を見ていては駄目だ」 という人も多いですよ。 そうなんです。「現実」にはこういった対応をされることが多いのです。そうなのにもかかわらず、「一般論」としては「夢を諦めるな」と言われるのは何故だろう? と思ったのです。でもまあ、よく考えれば一般論と現実が違うことなんてよくある話かもしれませんね。
- cucumber-y
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ご質問者さんが既に仰っている通り、推奨されているのは「夢はあきらめない方がいいもの」であり「夢を諦めてはいけない」ではありませんね。 さらに『有名歌手になる』のは夢の一つであり、『平穏な生活を送る』も夢の一つ、踏み込めば『山口行ってフグ刺しを腹いっぱい食べる』、『庭付きの家を買う』、『両親に海外旅行をプレゼントする』と出てくるでしょう。 (あくまで例です。) 私自身、学生時代の夢の筆頭は『やっている競技で世界の舞台に立つ』でしたが、事故で右足切断して『堅気のサラリーマンになる』という、これまた子どもの頃からの夢に筆頭を変えました。 「夢を諦めない」=「希望を捨てない」だと私は思うので。 言われている『夢』は堅苦しく一つに絞って限定されたものでは無いということです。 その時、その時で明るい未来を夢見て前進すると考えていいのではないでしょうか。 40過ぎても少し考えただけで100を越す夢を思いつくオッサンの回答でした。(笑)
お礼
回答ありがとうございます。 >40過ぎても少し考えただけで100を越す夢を思いつくオッサン いいですね。かくありたいものです。 私も「夢は変わっていく」ものだと思っています。しかしメディアでは「堅苦しく一つに絞って限定された」夢を叶えた人物ばかりが評価されているような気がします。もう少し「挫折」や「変わっていった夢」を評価する風潮があってもいいのになぁと思います(まあ「娯楽性」を考えると仕方がないことなのでしょうけど)
- Lupinus2
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なぜ夢を簡単に諦めてはいけないか。 それは、それが夢だからです。 興味あることとか、やってみたいことではなく、「夢」だからです。 簡単に諦められるものは夢とは言いません。 簡単に諦められるのは寝てから見る夢です。 それが夢である以上、ちょっと落ち込んでいる時には、頑張れよ、諦めるなよと言うのがマナーです。 だって本人が夢だって言っているのだから。 「ちょっと歌手ってやってみたいんだよね~」というレベルなら、「やっぱり無理だったじゃ~ん。代わりにビックエコーでも行こうか」で済みます。 歌手になりたかったけど、結婚し、生活のためにサラリーマンになったのなら、 それは夢よりも大切な守るべきものができたためであり、 自分の夢よりも家族の方が大切だったからです。
お礼
回答ありがとうございます。 「それが夢だからです」いいですね。格好いいですね。 どうも日本人は(日本人に限らないかな?)「夢」という単語や概念そのものに「夢(ドリーム)」や「ロマン」を感じているのかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 >目標がなければ、どんどん環境に追い込まれていくということだ >選択権は、その人にありますが一般人では、環境がその人を幸せにしてくれるケースは少ないと思います。 新しい視点でとても参考になりました。少なからず、「~しかなかったから」と「環境」に追い込まれて生きてきた自分にとっては多少耳の痛い話ではありましたが。