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京都にはなぜいい大学が多いのですか?

関西の三都である大阪、京都、神戸のうち、京都市は最も人口が少なく、京都府の人口も300万人以下で、更には他の主要都市から最も距離が離れているイメージがあります。 京都自体は歴史や伝統のある都市で非常に魅力を感じますが、上に挙げたように条件は他の都市と比べて悪いのにもかかわらず、いい大学がたくさんひしめいているのはなぜでしょうか?逆に言えば大阪や兵庫になぜ魅力ある大学が少ないのでしょうか? (例えば京大は阪大、神大より上だと思いますし、関関同立・産近甲龍のうちそれぞれ2校は京都です。京都府立医大も難関医大だと思います) また、これらの大学は京都や奈良、滋賀からの通学は便利だと思いますが、関西の人口の大半を占める大阪(北部以外)と兵庫からの通学はやや不便です。大阪や兵庫出身のほとんどの学生は通学時間が長くかかっても下宿することなく1時間以上かけて京都まで通うのでしょうか?

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  • publicpen
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回答No.1

>逆に言えば大阪や兵庫になぜ魅力ある大学が少ないのでしょうか? (例えば京大は阪大、神大より上だと思いますし、関関同立・産近甲龍のうちそれぞれ2校は京都です。京都府立医大も難関医大だと思います) まず 大阪の代返的な部分が大きいですね。まず第一に東京に首都が移ったのが1868年(明治元年)年。それまでは京都です。ですから当時の京都は今よりもずっと影響力が強かったわけです。当時は主食のコメの多くが西国で取れてそれが一旦、大阪へ集められてたこともあって大阪の経済力は江戸の2倍以上であり、今よりも影響は強かったと言えます。 次に大学ですが まず京大ですが東京帝大を作った後、大阪帝大になる予定だった。しかし大阪の人は税金や寄付金をたくさん取られるからと大反対し、京都になった。 同志社はキリスト教学校だったので、最初から政府のある東京は都合が悪いと考え大阪での建設を画策した。しかしそこでも寄付などが集まらず、結果、京都になった。 立命館は創始者が公家なので生まれ故郷の京都に作った。 また龍谷や佛教、京都女子などはそれぞれ坊さん系大学なので当然京都にあります。 大阪は中心地・中之島にあった大阪大学キャンパスを80年代に地価高騰の際に、吹田、豊中、箕面の過疎地にぶっ飛ばしてますし(県庁所在地にない帝大は阪大だけ)、ほんともったいないことばかりしてますよね。 >また、これらの大学は京都や奈良、滋賀からの通学は便利だと思いますが、関西の人口の大半を占める大阪(北部以外)と兵庫からの通学はやや不便です。大阪や兵庫出身のほとんどの学生は通学時間が長くかかっても下宿することなく1時間以上かけて京都まで通うのでしょうか? 1時間ぐらいなら通うようです。それ以上になると下宿みたいですね。女子の場合は2時間以上かけて通う場合もあるようです。これは 千葉や埼玉に住んで東京の学校に通う場合とも似てますね。

その他の回答 (3)

  • wertpoiu
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回答No.4

「京都市は、全人口の1割が大学生」というのは有名ですよね。 僕も京都で4年間過ごしたそのうちの一人です。 でもあれって昼間人口(京都市内の大学に通学している学生数)と夜間人口(京都市内に住んでいる学生数)のどっちなんでしょう。 学生の場合は住民票を移さない人も多いですし。

  • potachie
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回答No.3

トリビア 京都市は、全人口の1割が大学生という日本最大の学生街です。 京都大の合格「率」が最も高いのは地元民で、極端に高くなっています。地元民に支えられて大学があるというのは、間違いないと思います。 ただ、下宿も発達していて、中には、門限が厳しく管理されていて箱入りの娘さんも箱に入ったまま下宿できるという仕組みが整っているというのも面白いところかと。

fumidera2
質問者

補足

人口に占める割合だけでいえば八王子市の方が多いのではないでしょうか。 京都市の年齢別人口分布 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Demography26100.svg 一方、八王子市の人口分布 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Demography13201.svg

  • mitunai
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回答No.2

 先の方が理由と概要を説明しておられますので、土壌ということで話をさせてください。  京都は古い町ではありますが、新しいものも受け入れる所ということが大きいと思います。  どこかの料理人(関東の方だったかな)だったかがおっしゃってましたが、京都の料理人と中国の料理を食しに行かれて京都の料理人、しかも老舗の伝統を大事にされると思っていたら向こうのことを吸収しようとか、新しいものを取り入れようとしていた。  古いものがあるからこそ、大事にするだけでなく、新しいものに対しても受け入れる、色々なものを受け入れる土壌があるのです。伝統という基礎があるからこそ、新しいもの応用が出来るということでしょうか。  また、個人的な仮説ではありますが、京都は都であったので権力者が代わっていっても何とか受け入れてきたということも無縁ではなかったと思います。それに学生を愛している町です。  京都では一般的に学生と呼ばず「学生さん」と呼びます。  人口比では依然として京都の学生比率が日本一ということも多い中から生まれるということも考えられるかもしれませんね。  ただ、同志社は京都とはいうものの田辺に、立命は理系は草津、龍谷も滋賀県に学部がありますから総合大学で京都市内にあるのは産業大学だけなんですけどね、私立では。

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