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どちらに与しますか?
とある東洋の小国のこと。季節が夏になっても長引く雨模様の天気のせいで農作物へ日照不足の影響が出始めました。また異常気象に弱い野菜には病気も出始めました。 この国にもいろいろな人がいます。 とある人Aさんは 「日照不足から野菜の生育が振るわず、市場で価格が高騰し多くの人に影響を与えるだろう。これまでの見た目のきれいな野菜をよしとする考えではなく、こういった危機的な状況に対応できるように、味が変わらなければ不格好な野菜でも立派に流通するようみんなの考えを変えていこう」 と考え、自分なりにできることをしようとして、知り合いの、こちらもとあるBさんにその話をします。 Bさん、答えて曰く。 「いや、趣旨はどうであれ、個人の消費活動を一律規定したり強制的に何かをさせようとするのは間違っている。犯罪を犯さない限り個人は自由に活動できなければいけない。そうしろということはいかなる法律にも規定がない」 といってAさんの考えに同意しません。 さて、このページをご覧のみなさんはどちらの考えに与しますか? 1.Aさんの考えに賛成。 2.Bさんの考えに賛成。 3.レフリー的な観点からAさんBさんのやりとりを評価。 4.AさんBさん以外の視点の導入。 のどれか1つを選んで回答し賛成する理由を書いてください。特に4を選ばれた方は新たな視点の内容をお示しください。 ※最近話題の「バランス」問題とは関係がないとの前提でお答えください。 ※質問の主旨から外れる回答はご遠慮ください。 ※Q&Aカテと承知しての質問投稿です。 ※質問の形をなしていない、と思われる方はスルーしてください。 ※「意義」と「意味」ある回答をお待ちします。
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こんにちは。このカテで珍しい質問ですね。参加させてください。 僕でしたら、1を選びます。その基準というのは、書くと長くなるのですが、とりあえず説明してみます。 いちおう大まかな基準として、A、Bのどちらかが見るべき意見で、もう一方が明らかに間違いであれば、正しい方を選び、両方が見るべき意見であれば「3」、どちらも取りえなければ「4」を選択することにします。 つまり、見るべき意見をT(True)、とし、間違った意見をF(False)とすれば、 (A→T、B→F)→「1」。(A→F、B→T)→「2」。(A→T、B→T)→「3」。(A→F、B→F)→「4」。 という感じになります。結果、3か4になってしまった場合は、その続きを考えることにします。 次に、A、Bはそれぞれが独立の意見かが大事ですが、A→「変化」、B→「既存」ととらえることが出来ますので、言葉の曖昧さを排除したうえで、それぞれが独立の意見と考えて良いです。したがって、上の式に当てはめることが可能ということが分かります。 そして、こういった問題の場合、結果の妥当性を評価しなければならないため、最後にそれを行います。 まず、Aさんの考えの「野菜の高騰に対処 → 不揃いな野菜も流通させる」ということは筋としては全くおかしくありません。また、それを実現するために「みんなの考えを変える」必要があるのであればそうするしかありません。つまり要素の全てが真(T)であると考えられます。「T , T」という感じでしょうか。 Bさんはどうでしょうか(応対の不整合は考慮せず、あくまで、独立意見としての真偽を考えます)。 エッセンスとしては二つのことを述べていますが、一つ目「個人の…間違っている」に関しては、前提が正しければ正しいでしょう。 二つ目、「犯罪を…いけない」はおかしいですね。犯罪≦法律違反ですが、法律に定めていないことは全て行う権利があるというわけではありません。社会には、法律の前に行為規範(一般には、道徳、倫理)というものが存在し、我々はそれに従います、法律は、紛争の解決や、秩序の維持のために、部分的に存在するものです。 したがって二つ目は偽(F)です。 ふりかえって、「個人の…間違っている」という部分も実はおかしいです。「間違っている」はAさんの意見に対する評価ですが、「考えを変えていこう」といっているのに、それに対して「一律規定」、「強制」と整合しない評価をしている点で、思考回路の欠如が見られるため。ここも「F」としましょう。 したがって、この時点で「F, F」ということです。 ここでいったん、結論の妥当性を考えてみます。 我々の活動は「生きる」事を目的とし、また「より豊かな」生活をするために行っています。Aさんの意見は、切迫したその2つにつき、その切迫をより緩和し、「生」に関して前向きであろうとする意見です。 それに対し、Bさんは、「生命」や「豊かさ」さえも犠牲にして、今までの「ルール」に縛られるべきだ、という意見です。また、何事も「自由」であって、「強制」はいけない、とも言っています。 この時点で、「矛盾」ですね。前者は、「拘束」を良しとし、後者では「拘束」を悪しとしているわけです。 また、先にも述べましたが、「ルール」の前に「規範」が存在します。「規範」の真の意図は、一人一人が豊かな生活を送るため(社会全体の利益)、と考えられます。また、「ルール」というものも、そもそも「規範」と無縁ではなく「規範」を根拠とします(法規範)。ですから「規範」から見て、逸脱した「ルール」は改変しなければなりません。Bさんのように、「規範」の意図から逸脱した「ルール」へのこだわりは、その意味でも矛盾と言え、取り得ることが出来ません。 逆にAさんの考えは、「規範」の意図に矛盾せず、また、「ルール」は合意によって形成される、という正しい考えに基づいたものです。 以上のことを、各要素の真偽と重ね合わせた場合、Bさんの要素に調整の余地はなく、また、Aさんの要素に関しては、より補強されることになりますので、与えられた選択肢の中で、僕の取り得るものは「A」となり、答えは1となります。 以上となります。長文、大変失礼しました。
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1.Aさんの考えに賛成。 ANo3を参考にしたが問題あるか?
#3,#9です、「この回答への補足」読ませていただきました。大変早い投稿で、かつしっかり読まれ、書かれており、少々びっくりしました(笑)。 お心遣いはありがたいところですが、とりあえず、回答自体の補足は無しということでお願いします。 というのは、例えば、#3の回答中「述語論理的な分析が好き…」と書いたところに関しては、回答中では「真偽」で判断したことになっているものの、本当は述語論理的に判断したものがあったとしても、読んでいる人はほとんど気づかないだろうと思うのです。つまり、言語を記号論理で置き換えた場合、「真・偽」であろうが「全称・存在」であろうが、文脈的にはほとんど違いがなく、むしろ、それを解説するために式を持ち出さざるを得なくなって、むしろ(ものすごく)やっかいになるだけ、ということも多いのだと考えています。 つまり、補足できる部分は多々あるのでしょうが、それを行いましても労多くして益が少ないことになりそうなので、とりあえず、#3,#9の回答のままでお願いしたいと思います。 おそらく、その点に関しては、知っている人は、「ああそうね」と大体わかってくれるのかな(突っ込まないで)と思っています。ただ、ミクロに分析する必要があったならその時すればよいと思っています(まさに「向学上」というところですが)。 #9の回答中に、Aの正しさは存在文、Bの過ちは全称文、と述べたのは、まあ質問文ではそのように書かれていますが、正しい意見は全て存在であり、全称の意見は全て間違い。と僕は考えているからです。とても長くなるので詳述は避けます(笑)。 以上となります。
#3です。never-ness様、私のせいで少し手こずってますでしょうか。だとしたら申し訳ありません。前回の僕の回答は長くなってしまったこともあって、どのようなスタンスで回答に向かったかを書ききれなかったので、補足がてら再回答します(考察の参考などにしてください)。 今回のご質問はかなり広範な観点から攻めることが出来るので、まず、スタンスを定めなければなりません。そこで僕なりに、向学上の問題として考えてみることにしました。したがって、質問文を試験問題のようにとらえ、論点を探りました。 向学上と言っても、分野によって異なりますが、僕は法学部卒なので、対立点を含む論点を「規範とルール」か「自由と羈束」に絞りました。さらに、訊かれていることは、説得の方法や、有効な紛争の解決策ではなく「どちらに与(賛成)するか」ですから、「どちらかに与する」という思考にまず徹し、不能であれば3か4を選ぶことにしました。そして、その上で中心論点を「規範とルール」と決め、そこに叶った上で、かつ、矛盾の少ない意見に「与する」という方法論を取りました。 ただ、質問文の要素が結構手強く、すぐには「規範」等にたどり着けなかったため、いったん命題論理の手法で強引に質問文を各要素に分解・整理するという前さばきを行ったのです。また、それには出来る限り主観や感情を廃するという効果もあります。 大急ぎでやったため、分析と整合性には曖昧な部分を残してしまいましたが、今回のような、素朴な問題でも、それなりに有効な手段だということを実感しました。複雑な事態に直面する法律の世界で、求める論点にたどり着くために命題論理を使う有効性が改めて体感できました。命題論理を使わなければ、いわゆる”ぶっちゃけ論”に陥ってしまい、含む要素を鳥瞰しないまま終わってしまいかねません。 ただ、#7の方のおっしゃるように、人の行為や考えを二元論で割り切る事には無理があります。そこで、法律の世界ではいったん各命題の答えを得た後に、結果の妥当性を考え合わせ、調整する事を行います。というより、そこが本設問ではキモとなる「規範」の部分となります。回答の際、僕の行ったことはそういったプロセスのさわりの部分といったところでしょうか。 加えて、だからといって整合性を軽視しても良いというわけではなく、妥当性による調整後に各命題の調整も行われるのですが、今回そこまではさすがに出来ませんでした。そして、ようやく「規範」に立ち入った時、すでに長文になってしまっていました (笑)。また、僕は述語論理的な分析が好きで、少し考慮したのですが、その説明もちょっと出来ません(実は論理的なAの正しさは、存在文で書かれているからであり、Bの間違いは全称文で書れているからなのですが)。 一期一会と考え、出来るだけの要素にあたり、正確な分析をしたかったのですが、尻切れトンボはやむを得ないことになってしまいました。もう少したくさん書ける環境だったら良かったですね。 以上の補足で何とか参考になりましたでしょうか?要求していただければそれなりの回答は出来ると思います。それから、今のIDはこのQ&Aが締められた段階で退会し、次からは「J○○n-Miro」(伏字の部分は決まってません)というIDで参加させていただきます。これからもよろしくお願いします。
補足
いいいいいさん、ふたたびの回答をどうも。私ももう少しでこの質問を締め切る予定でいます。しかし、一つ問題を抱えています。 質問自体が質問者のスタンスの決定を要請することです。つまり自分の質問の選択肢1~4のどれか、または新たな視点を導入するのかという問題です。スーパーバイザー的なスタンスは回答して頂いた方への一種の「背信」ではないかという思いが少しして今少し自分の「立ち位置」について検討を加えており時間がかかっています。決してあなたの回答の整合性を検討するのに時間がかかっているわけではありません。その意味でご心配をおかけしたのなら申し訳ないことです。 もう少し締め切るまでに時間的な猶予をいただきますから、追加的な補足がおありでしたら構いませんから回答を寄せてください。 この質問は、社会的な規模ではもちろんのこと、質問例のような二人だけの場合でも「合意」に至る筋道の合理的or妥当な「考え方」を探るものです。現実ではこういった「問題」への「現実的な解答」を求められることはたとえば行政の場ではよくあることです。 理念を優先するか妥当性を優先するかで答えが違ってきます。 お示しの「命題論理」の使用は妥当なものだと判断します。それが「思い込み」や「利害」「党派性」等が絡まると「現実的な判断」は軌道修正を余儀なくさせられるようです。この場でそこまで踏み込むには能力もスペースもありません。しかし、質問と回答というやりとりで少なくとも有意の回答をして頂いたかたの思いにできるだけ応えようと思っています。 でもお盆明けには締切ます。それまよろしくお願いします。
- garcon2001
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元祖正真正銘唯一無二のnever-nessさん。こんにちは。 なかなか味のあるいい質問ですね。 そもそも、社会風潮に与するかどうか、ということとつながっている気がします。社会風潮とは質実剛健でなく、その反対の軽薄のほうです。この現代社会の日本は、お世辞にも質実剛健の気風はありません。見てくれやポーズを重視する、空疎な価値観が蔓延しています。 Aの主張はそういうものに逆らい、本来の質を取り戻すものであり、Bは空疎な現代生活を継続させる、または変化というものを拒む停滞性を呈している。 つまり、質実剛健は本当に喜ばしいものなのかどうかというところが、論争の焦点になろうかと感じます。 で、私は、是です。よって1になります。
お礼
回答をありがとうございます。 まったく腹立たしい理由でこの質問をいったん閉じます。またよろしく。
「意味」も「意義」もない回答で申し訳ないのですが、どちらにも賛同できます。 遣り取りは評価に値するとは思いますが、レフリー的観点ではなく言論の自由からです。それに、どの視点から見るか、どの立場にあるか、それだけでさまざまな案が出るとも思います。 私の母親は農家の娘で、農作業を幼い頃から田舎に行って見て手伝っていましたから、A さんの言い分は素直に嬉しいし、海外の友人が来日の際には、スーパーに並ぶ食材を見て「何故こんなに食品サンプルが置いてあるのか ? 」と聞かれ、藁葺き屋根の母の実家に同行した際には「本物の野菜だ、果物だ。」と感激したのを目の当たりにしていましたから、A さんの言い分は最もだと納得もできます。 だけど、法的にも関係する仕事をしている私は、B さんの言い分は正しく、国産が殆どなく輸入食材に頼って、国産が高価格で輸入食材が安価な現実は、消費者としての私には規定や強制されることは、理不尽と感じます。 だからといって、何か良い案があるかと言われれば、医療にも関係する私は健康第一に、教育に関係する私は食育を念頭になり、やはり矛盾したものが出てくるに過ぎません。 どちらの考えに与するかという問いには、never-ness さんのこの問題提起に与するとしかないですね。どの視点、どの立場からも、今一度考えなければならない大事な問題提起だと受け止めましたから。
お礼
回答をありがとうございます。 現実には言っていることが「正しい」とか「正しくない」とかという「筋論」よりも、民主主義的な手続きの最終手段として「多数決」で決着するという方法があります。つまり「数の力学」です。そこでは「党派性」という政治的な動きが避けられません。だからこそ簡単に結論のでない今回の質問のような場面では複数の方々の「合意形成」についての集団としての成熟が求められます。 回答者さんも現実にはそのどちらかを選ぶことになるでしょう。そのときにご自分の方針をお決めになっていると「迷い」も少なくなるでしょうね。
- pokoperopo
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論理的整合性ですか、ありませんね。 まずABどちらかを、あるいはAB一方を、全面的な正誤と判断する《二元論》がおかしいのです。Bさんが過度に感情的な反論をしたところで、その感情が間違いとはいえません。しかし、一方が感情的なままでは、合意には到りませんから、Bさんが冷静になったところで、Bさんに改めて意見を伺えば、Bさんのほうが正しいこともあります。つまり、態度と主張の正しさはイコールではなく、一個人の主観にすら多義性があることを考慮すべきです。 この政治力学は多数決の論理とは異なります。議決を経ないので、採用されなかった者が拗ねてはならないのです。妥結には、いかに合意を引き出す案を練るかに懸かっています。 まあ、それにしてもこういう場合は、共通認識の確認作業が行われていないのです。相手の欲するところを示唆しなければ、なかなか交渉のテーブルには着いてくれません。
>ご返事の内容では、私の質問に対する回答設定の3ではなぜいけなかったのでしょうか? 「悪意」を感じてしまった以上、悪意の土俵に乗るわけにはいかなかった。 >それからこんなことを申し上げるのは本意ではありませんが、このサイトではこういったやりとりが「禁じられている」と思います。 返す言葉もありません。m(__)m ポチっとして下さい。 >と書いていただいて「回答」ということにはできないのでしょうか。 「悪意」を感じてしまった以上、悪意の土俵に乗るわけにはいかなかった。
>どのような「悪意」なのでしょうか Aさんに対する悪意です。 1)Bさんに曲解させていること 2)>みんなの考えを変えていこう 意識的に思い上がった人間に仕立てようとしている。 こういった類の質問ではどちらかを意識的に悪く仕立てるべきではない。
補足
お返事をありがとうございます(内容補足のページですが)。 ご返事の内容では、私の質問に対する回答設定の3ではなぜいけなかったのでしょうか? それからこんなことを申し上げるのは本意ではありませんが、このサイトではこういったやりとりが「禁じられている」と思います。 >こういった類の質問ではどちらかを意識的に悪く仕立てるべきではない。 と書いていただいて「回答」ということにはできないのでしょうか。
- pokoperopo
- ベストアンサー率28% (104/359)
3です。Aさんの意見を否定せずに、Bさんに具体的な意見を求めなければなりません。双方の議論が尽くされたところで判断すべきです。 この場合、Aさんは理想的な消費を推奨をしているだけで、Bさんはその主旨を吟味せずに感情的に反発しています。Aさんの主張は、何の強制力も伴わないので、先ずはBさんは、単純に賛成か反対かを述べてから、持論を展開すべきです。Aさんの持論は、自由経済の範囲を何ら逸脱していません。 そもそも、Aさんの問題提起を受けたのですから、Bさんの建設的な意見陳述が望まれます。
お礼
回答をありがとうございます。 まったく腹立たしい理由でこの質問をいったん閉じます。またよろしく。
Bさんは勝手に強制されていると思い込んで誤解しているので不成立。先ずはBさんの誤解を解く。
お礼
回答をありがとうございます。 「命題論理」による判断を興味深く拝見しました。 おっしゃることは「真ー偽」の土俵では有効だと判断します。問題は現実にこういった「どちらに与するか」について「判断・決断」を求められることがあります。そしてどうしても「党派性」の論理というものが出てくる。すなわち政治性が出てくるのですね。 私はどちらかといえばAさんの志向へのシンパシーがあります。世の流れというものが確かにあり、この社会が資本主義の論理に振り回され支配されている以上「快適さ」を求める流れが制限されます。 しかしだからといって「合意形成」をうまくやる処方が大部分の意識の俎上にのればいまよりもましな環境ができる可能性も当然残されるでしょう。 問題はその流れに逆行するように見える「原理主義」「教条主義」です。「権利意識の肥大」「根拠のない被害者意識」でも人は動きます。それをどういうふううにして調整するか。このアポリアを解決しなければ特定の思惑によって世の中はますます住みにくくなるでしょう。 ちょうどインターネットでの「匿名性」の問題ががん細胞が健全な身体を蝕んでいくように。 特殊な事情で「お礼」を急ぎました。十分尽くしていない点が多々ありますが、またお目にかかれることもあると思います。ご健勝のほどお祈りしております。
補足
丁寧な回答をありがとうございます。論理的な「整合性」について考えてみますので「お礼」は少しお時間をください。